Strange Days

2001年02月01日(木曜日)

自殺の罪

23時00分 思考

 知り合いが自殺した。知り合いというのは他でもない、ココからリンクを張っているくらけ氏だったりする。
 昨日、あちゃいん氏のBBSに、そのくらけ氏の知人と名乗る方から、氏の死去が報告されたのだ。最初、新手の荒らしだと思ったのだが、関係者の調べでは残念ながら事実だったということだ。
 くらけ氏と知り合ったのは、確かまだDOS/V全盛(つまりWindows時代)だった'93年頃じゃ無かっただろうか。当時はPC-98の勢力が巨大で、PC互換機など国内では吹けば飛ぶような存在だった。ソフトも英語圏のものは当然多いのだが、日本特有の事情にあわせたものは少なかった。
 これで困ることの一つに、画像表示の問題があった。当時、画像フォーマットはいくつも乱立していた。今でこそJPEGの他はGIF、PNG位と言う状況にまで単純化されたが、当時はMAG、MAKI、Q4、PICなど、いくつものフォーマットが、日本でだけ乱立していた。それらのローダも当然作られてはいたのだが、ターゲットはほとんどPC-9801で、DOS/V(というかPC)に対応したものは数少なかった。特にX68Kで使われていたPICフォーマットに関しては、可逆圧縮フォーマットでフルカラー表示というスペック故人気が高かったのだが、PC上では表示できないという状況だった。かといってWindowsは3.1が出たばかりで、まだまだソフトがお寒い状況だった。
 そんな空白を埋めてくれたのが、くらけ氏のpiclvだった。これはDOS/Vコマンドラインのローダで、PICファイルを再現性高く表示してくれるものだった。こいつのおかげでほぼ完全にPC-9801と縁が切れたのだった。
 非常に嬉しかったので、感想がてら当時健在だったASCII-Netへの転載願いを出したのがくらけ氏との出会いだったかな。くらけ氏は感想を喜んでくれ、また転載も快諾してくれた。
 それからしばらくして、僕は今度はOS/2にはまりだした。そこでNIFTY-Serveの旧OS/2フォーラムに顔を出すようになったのだが、そこでまたくらけ氏を見かけるようになった。勝手に同年代だと思っていたのだが、性向にもやや似たところがあったのかもしれない。そしてくらけ氏と「OS/2用のPICLVを作っては?」などとチャットで話していたものだ。やがてくらけ氏がリリースしたPICL/2は、やはり絶対的にアプリが少ないOS/2での貴重な存在になったものだ。
 そしてやがてインターネット時代に入り、僕は一時NIFTYを止めたのだが、今度はあちゃいん氏のウェブページでくらけ氏と出くわすことになったのだ。このように、我々はありとあらゆるところでばったり顔を合わせる運命にあったのだ。
 故人がどういう経緯で自殺を選んだのかは知らない。そもそも知り合いといいつつ、彼の顔も住所も知らない。だが彼とはやはり知り合いだったとしかいえない。様々な意味で、お互いの属性を知り合っていたのだから。顔を知らないことなど些細なことだったのだ。
 たぶん、彼は僕と同年代だったのだろう、と勝手に考えている。少なくともそのくたびれぶりは僕らの世代に共通したものだ。故人が何を考え、このような最終的結論に達したのかは、もう永遠の謎になってしまった。彼の死に関して一番残念なのは、彼はもうなにものも生み出せない存在になってしまったということだ。もう、僕や他の人々と対話し、そこになにかを生み出すことが出来ない存在になってしまったのだから。自殺というものに罪があるのなら、まさしくそのことに掛かっているのだと思う。なにものとも対話できない存在に自らなる。それは人間としては決してとってはならない道だと思うのだ。
 しかし彼はこの世界から去ってしまった。もう僕の手が届かない彼岸へと去ってしまった。彼の死に関して、僕は涙を流したりするわけではないけれど、恐らくこれからしばらくはそのことを考えることになるだろう。