Strange Days

2001年05月24日(木曜日)

なにもしないこと

23時16分 思考

 立花隆がまとめた、例の石器発掘捏造事件に関するムックを読みきった。前半は確かに捏造事件に関するレポートなのだが、後半になるとなにやら現代科学論じみた科学者自身のエッセーや、立花以外のライターによるレポートばかりになるという、なんだか奇怪な造りのムックだ。後半1/3は、「どの辺が捏造事件と関わってくるのだ」と突っ込みを入れたくなって来るようなものだ。いや、面白かったけど。
 ムックでは、「日本にも旧石器時代が存在したこと自体は(つまりそういう遺跡があること自体は)間違いない」としているが、学会や自治体による遺跡洗い直しは始まったばかりだ。今は全てが「限りなく黒に近い灰色」だが、ここからどれだけの黒を排除できるのか、さらにはどれほどの白が抽出できるのかが問われることだろう。
 このムックで面白かったのは、もちろん捏造事件に関するレポートも面白かったが、むしろ後半1/3の辺りが面白かったように思う。この辺では、「科学と発見」というテーマを取り上げ、科学者自身による"発見"の経緯に関するエッセー、そして様々な科学的発見に関するサイエンス・ライターたちのレポートが全てを占めている。ああ、"発見"という点で、メインテーマ(捏造事件)と一応つながっているのだな。別に全く切り離してもいいような内容だが。実際、もしかして別の本をまとめるためのネタを急遽流用したのかしらという観も無きにしも非ずだ。
 この中で、発見は長い継続と、瞬間的な中断の後にやってくるという事が書いてある。例えば、あるテーマに関して延々と研究を続けていたが、業績が上がらない。しかし旅行とか、手続き上の都合で研究が中断し、ふと空虚な時間が空いたときに、突然問題を解く鍵が手に入る、という事例が語られている。これは気分転換という単純な言葉で片がつくことではないだろうと思う。重要なのは、ある発見の契機は一時の中断(による視点の変動)ではあっても、それ以前に長い蓄積があるということだ。つまりある問題に関して(例えばクロスワードパズル)出来るだけの考察(解けるだけのクイズを解く)を行った後、初めて解への道を発見するような種類の事例だと思うのだ。
 まあ蓄積は個々にやってゆくしかないだろう。で、この"中断"として"なにもしない時間"が良いなどとされているのだが、結局なにかを解決した時間が"なにもしなかった時間"などといえるだろうか。要するに、人間はなにがあっても、なにかしらの思考に取り付かれ続けるという事ではないかいなと。正確には、そうしないではいられない人間が居るということか。僕も温泉にでもつかりに行くか。

2001年05月04日(金曜日)

SFセミナーの余韻

22時12分 思考 天気:くもり

 昨日のSFセミナーの余韻が残っているのか、どうも色々考えてしまう。怖い考えになるわけではないが。
 瀬名氏のSF界への違和感と共感は、共有できるような出来ないような、アンビバレンツな気持ちだ。それはたぶん、僕自身がSF界への帰属意識がある反面、そこはかとなく外から眺めているような部分があるからだろう。
 そんなわけで、大体寝て一日を過ごした(ダメじゃん)。