Strange Days

2003年02月01日(土曜日)

コロンビア墜ちる

07時00分 思考 天気:快晴

 夜2:00頃、何の気なしにテレビを点けた。録画していた番組を見るつもりだった。ところが、目に入った光景に釘付けになった。そこには、青空を背景に、白い航跡を描いた物体が、次々に分裂しながら飛ぶ映像が映し出されていた。一瞬、ミール落下の様子を思い浮かべたが、テロップを見て驚いた。『スペースシャトル分解、墜落か』とあった。まさか、まずそう思った。それから、いや、やはりこの日が来たか、と思い直した。いつかはこういう日がまたやって来るだろうと思っていた。チャレンジャーの爆発以来、宇宙開発で再び死者が出る日が。しかし、まさかそれが再びスペースシャトルで起きるとは思っていなかったが。
 '60年代以降、人間が宇宙に行く機会はますます増えて来ている。サリュート以降、ミール、ISSと稼働し、宇宙に人が常駐する時代が始まっている。それは有人機が危険な領域、すなわち大気圏を通過する機会が増えているということも意味する。地上、0km/hの世界から、衛星軌道、8km/sの世界へと登り、また降りてくるという行程からは、常に危険を抹消できない。人類が到達した最速の領域へと行き来する間には、ほんの数秒のうちに完了しなければ大きな危険を誘発する作業が、おそらくは何十、何百となく必要になるはずだ。打ち上げの度に、そんなシビアな手順をこなして行かなければならない。つまり、余裕がないのだ。チャレンジャーの事故の時は、そんなシーケンスからのわずかな逸脱が、ついに爆発へと到る危険を呼び寄せてしまったのだ。今回のコロンビアでは、なにが原因かまだ分からない。だが、ほんの一瞬の出来事が、あっと言う間に空中分解を誘発した可能性が大きいだろうから、その構図は良く似ていると思う。
 もともと、シャトルの危険率はかなり高いものだった。現行のスペースシャトルは、'70年代の技術で建造され、'80年代の技術で改修され、'90年代の技術で管制されて来たものだ。機体の構造には、最新の科学的知見からすると無駄が多く、かつまた余裕もないものだ。管制コンピュータなどは3重化されているものの、機体構造の一部分が破損すれば、全体的な破壊に到ってしまう可能性が高い。損害を他の部分で支えてやる設計にはなってないのだ。それは今の技術でも達成が難しい課題だ。
 有人飛行の度に必ず人命を危険にさらすリスクは存在し続ける。宇宙開発は、日常的な空路の運営と同じく、そのリスクと利益を秤にかけながら進められている。それはロシアでも、そして間もなく有人飛行を行うと見られる中国でも同様だ。次の事故はロシアか、そのロシアの技術を流用している中国で起きるだろうと見ていたから、アメリカで再び発生したことに少なからず驚いている。
 真の原因は未解明だが(発射時の小さな事故が引き金になったという情報が入っている)、今日の7人の犠牲は、過去の、そして未来の犠牲者の一部にしかならないということだけはいえる。アメリカはこの犠牲者たちを、善かれ悪しかれ乗り越えていけるだろう。しかし、これから数年にわたるであろうシャトルの飛行停止が、これからの宇宙開発にどんな影響を与えるのか(必ずしも悪い影響ばかりではないはずだ)、注視する必要があると思う。