Strange Days

2007年07月29日(日曜日)

横須賀美術館探訪

21時37分 思考 天気:くもりのち雨

 さて、今日は夕方から雨との予報だ。空模様は、確かによくない。でも行きたいところがある。
 5月に三浦半島を周回したとき、観音崎に美術館が出来ているのに気付いた。横須賀美術館が開館したということだった。ぜひ一度、足を運んでみたかった。
 さて、観音崎まで公共の交通機関で到達するには、JR横須賀線、あるいは京急三崎口線、浦賀線で最寄駅まで行き、バスを使うくらいしかない。だがもちろん、僕には折り畳み自転車がある。京急への乗り継ぎはちょっと苦労するので、JR横須賀線を利用することにした。最寄駅は北久里浜だ。
 Brompton*1で戸塚まで走る。パタパタ畳んで、横須賀線に連絡した。やはりローラーをインラインスケート用に交換した効果は大きく、以前よりも走行抵抗、直進性共に改善された。滑りすぎてのお散歩現象も、心配したほどではない。ドア横において、バッグで押さえれば十分だ。
 さて、北久里浜まで行くつもりだったが、雨の心配は少ないと見て、気が変わった。横須賀から走ろう。JR横須賀駅で降り、横須賀市街を抜け、馬堀海岸に出た。ちょうど、『美術館経由』とあるバスと並走する形になった。停留所も信号も多い街中では、自転車と変わらない速さだ。しかし、さすがに馬堀海岸に出ると引き離された。
 観音崎までの多少のアップダウンもこなし、京急のホテル近くにある真新しい美術館についた。あ、カメラ忘れた。
 駐輪場は、向かって左手のスロープを登るとあった。屋内式で、スタンドまである本格的なもの。ここならロードバイクでも困らない。でも、監視カメラも無いので、ちょっと恐いものがある。Bromptonを停めると、更に上の美術館に入った。
 企画展の観覧券900円なりを求めると、これで常設展の観覧も、別棟の谷内六郎館への入館も出来る。
 さすがに出来たばかりあって、非常に清潔で涼しげな佇まいだ。中にはロッカールームも用意されている*2
 企画展は、アルフレッド・ウォリスというイギリスの画家のものだった。この画家の特異な点は、画を書き始めたのが70になってからだということだ。それまでの半生を、船乗りや船具商として過ごしてきた彼は、70の時になにを思ったか画を書き始めた。それは、20世紀初頭という時代には、とっくに過去のものとされていた、素朴な具象画だった。ところが、それを新進気鋭の芸術家たちが、偶然にも目にしたのだった。ウォリスの登場は、なかなかインパクトがあったようだ。大戦間の時代、シュールレアリズムが幅を利かせ、ダリのような超絶技巧の持ち主が、美術界を席巻していた。ウォリスは、それら時代の最先端に対するアンチテーゼとして脚光を浴びたのではないか。
 ウォリスの画の特徴は、現実世界の構図だのお約束だのに無頓着で、自分が『見たまま』描いているという点だ。どういうことかというと、例えば船を真後ろから書いているとする。普通は船尾から(構図にも拠るが)上甲板側にかけてを描くはずだ。ところが、ウォリスは船の側面を書いている。つまり、後から見ているはずが、なぜか船首を向こうに向けて、右側に横転しているという奇妙な構図になるのだ。たぶん、船乗りだったウォリスにとって、船尾よりは側面の印象の方が重要だったのだろう。船乗りが船を識別する場合、側面図を参考にする場合が多い。だからウォリスがある構図の画を書くとき、そこに船を登場させたいのならば、頭の中の船(の側面図)を、必要に応じて配置していったのではないか。そこに描かれている横倒しに見える船は、ウォリスの頭の中にある、印象に残っている『見たまま』というわけだ。
 また、画のパーツのサイズも、現実を無視している。海から見た、浮かぶ船と大きな家という構成の画を書くとき、ウォリスは船を小さく、家の方を大きく描くのだ。家の前に並ぶ花を活ける壷が、海の上のスクーナーより大きかったりする。同じような関係は、船と魚、船と灯台などの間にもある。どうやら、ウォリスは一番描きたかったものを大きく描く*3らしい。
 だが、だからこそ強い印象を残す結果にもつながる。ウォリスの描いた絵は、ウォリスの関心の中心を、図らずもはっきり見せている。ウォリスの画を具象画とはいったが、こう考えてゆくとちょっと違うのかもしれない。
 さて、地下に降りると常設展がある。日本の近代画家の作品が並んでいる。なんだか暗い色調の画が多いように思う。近代画家が多いのは、浮世絵だの海外の古典だのに手を伸ばすと、途方も無い金が掛かるからなんだろうな。
 この美術館は、展覧室がかなり多い。企画展と常設展とで、併せて10を超えているようだ。小部屋が多いのは、出来るだけたくさんの作品を展示したいという意図か。
 一旦外に出ると、谷内六郎館に入った。なにやら新潮の表紙画を描いてきた人らしい。そういえば、なんとなく見覚えある気がする。
 館内では、この人の'58年近辺の作品が多数展示されていた。好んで幼い姉弟を描いている。それを見ながら思った。これは萌えという概念の源流の一つではないか。当時新潮を読んでいたオヤジ世代から見ると、この子供たちは我が子を連想させるものだったはずだ。だが絵空事だったから、そこに展開される四季折々の風物に対し、肉親に対するほど身につまされるような感情移入はしなかったはず。ほのぼのとしているくせにどこか邪まな、ごくごく軽薄な情念を憶えたはずだ。
 長々と書くのは面倒になったので、大胆にアブダクションを試みる。
 その軽薄な情念がホンの数回相転位するだけで、我々の世代が獲得した萌えという概念に直結するはずだ。萌えは現代に降り立った鬼子ではない。それなりに長い歴史を背負った、日本人なら誰もが知っているもののはずだ。あなただって解っている。名前を知らなかっただけで。
 さて、美術館を後にすると、帰りは北久里浜を目指した。浦賀近辺をぽたぽたと走り抜け、18:00前に北久里浜に着いた。後は戸塚まで、電車一本で戻れる。
 今日の走行距離は25km弱。戸塚までの距離を差し引くと、20kmくらいか。おいしいポタリングだった。