Strange Days

2002年03月30日(土曜日)

お花見に行こう

19時00分 自転車 天気:晴れたなあ

 ボーっとしていたら土曜日だ。油断も隙もあったもんじゃない。今週はどこぞに走りに行こうとかあまり考えてなかったからな。
 しかし、あまりに天気が良くてもったいないので、これが最後の機会と思われる花見に繰り出すことにした。
 14:00前、飯を食ってから、MTBハードロック号で出動。こいつはBD-1だのMR-4Fだのと違って"号"とつけたくなるのだが、なんでだろう。普通名詞っぽいからか。Mobilly"たん"ともチョト違う。
 家の前から北上していって、国際慈善病院のところで右折、しばし突っ走る。やがて相鉄が目に入るはずだが......あ、越えちゃった。ここは越えないで、東側の通りに出ると緑園都市のメインストリートには入れるんだよな。と、俺様大錯誤。坂また坂で方向感覚がやや狂ったせいもあるのだが。フェリスのグラウンドが散在している辺りで道に迷い、坂を降りてみたところで逆方向に進んだらしいことに気づいた。標識に『東戸塚方面』とあったからだ。東に進みすぎたか。
 地図でようやく現在位置を確認し、北上して坂を越えたところでようやく緑園都市に到着した。
 緑園都市の、いかにも住みやすそうなメインストリート(といっても坂気味)を走り、適当なところで右折する。ちょうど"パーツオフ"なる謎の店舗を発見。ブックオフ系の、PCパーツを扱う店か? これはこれで便利そうだ。
 ちょっと走ると、こども自然公園の第2駐車場に到着した。ここからは自転車で入れそうになかったので、外を迂回して北の正面入り口から入った。今日はさすがに自転車に乗って走るのが危ないくらいの人出だった。桜の花もあちこちに健在だ。散り始めのものが多かったが、池の向こうに立つ一本の桜が、緑の中にすっくと立つ姿も見え、なかなか楽しめる。ここ、丘一つまるごと桜の木というところもあり、家族連れも多かった。
 さて、桜は見たし、買い物して帰ろう。二俣川駅まで出て、田園都市線沿いに三ツ境まで走った。相模サイクルセンターに入り、ちょっとヘルメットなどを見定める。うむ、今日はLibrettoの料金も振り込まねばならないし、ちょっと高い買い物は出来ない。その代わりに、@nakさんちで話題になった3actionを購入。これ、乳酸をどうにかしちゃうぜという舶来のヤクで、疲労が溜まった状態で使うと体が"リセット"されたようになるんだとか。こう説明を書いてみて、やっぱりヤバいクスリに思えるな。でもサイクリング中にバテバテになり、どうにもならないときに使う最終兵器として購入してみた。
 もう一つ、春~夏用の指きり手袋も購入。去年のもあるが、アレはいい加減くたびれているので、新規に購入。最初はSPECIALIZEDのものを買う気だったが、よく見ると指きり部分の処理が雑で、すぐにほつれそうだった。他にカンパニョロとパールイズミのがある。カンパのが倍くらいする。パールイズミのものでもスペシャのものより仕上げが良かった(さすがアパレル専業)ので、パールのを購入。
 3F、さらに3号店をちょいと冷やかし、帰路に着いた。
 境川まで走り、ずっと南下してゆく。高鎌橋の一つ北の橋を渡り、丘を越え、ダイクマに立ち寄った。ここでもちょっと買い物をして、いよいよ暮れ行くいずみ野に走り出した。いい加減暗くなってきたので、ハブダイナモの威力を発揮しようと、専用品(実はふつうのもの)のHL-500IIのスイッチに手を伸ばした......。無いやんけ。なにがって、スイッチが。このライト、中に単三電池を4本収納して、中蓋を閉め、さらにスイッチ兼用の外蓋を閉めるようになっている。この外蓋が届いたときから緩かったのだが、とうとう行方不明になってしまったのだ。これはむかつきますな。
 そこでダイクマに戻り、自転車コーナーでHL-500IIを購入。その場で付け替えた。うん、ちゃんと作動する。やはり、ライト本体は全然専用品じゃないのだな。
 ともあれ、これで明かりを確保できたので、夕闇迫るいずみ野を越え、帰宅できた。
 しかしまあ、このハードロック号、一番道を選ばないで、かつ夜も怖くない自転車に仕上がってきた。それを意図していたのだから当然ではあるが。

2002年03月28日(木曜日)

10kmほどぐるぐる

22時00分 自転車

 久しぶりに自転車に乗る。TCR-2を引っ張り出して、運動公園の周りをぐるぐる走った。一周おきにアタック、のったりを繰り返す。なかなか飽きない走り方だ。
 快調に走っていたら、10週目くらいにライトが暗くなりはじめた。電池切れか。この電池だけ、もう一本欲しいところだ。奮発してスタジアムライトを買って、電池を使い回し使用か。見た目、同じ電池を使っているようなのだ。

2002年03月16日(土曜日)

間抜けな幻の荒川オフ

22時00分 自転車 天気:くもり

 今日は荒川オフがある(とこの時点では信じきっていた)。眠気みなぎる体を5:00過ぎにはたたき起こし、出立準備をする。今日は荷物を少なめにする。火器は無し。昼は適当に済ませよう。いつもより軽めのリュックを背負い、MR-4Fで出撃。やばい前輪を労わりながら立場駅まで走り、ここで輪行準備。横浜に出て、JRを乗り継いで浮間舟渡まで出た。
 浮間舟渡着は8:45くらい。まだ余裕の時刻だ。駅前で組み立てようかと一瞬考えたが、まあ担いでいって公園内で組み立てようかと考えを変えた。輪行バッグを担いで、公園内に。
 誰も居ない。いつもたむろしている近辺に、人っ子一人居ない。正確にはただの通行人はいるが。しかし、自転車をばらしていたり、乗り比べていたりという怪しげな人は、ただの一人も居ない。
 おかしいなあ、時間を間違えたか。あるいはなにか日程が変わったのか。などと思いながらうろうろしていると、そこにBD-MLのメンバーがさっそうと登場。仮にA氏としておこう。A氏の登場でこちらの勘違いという線は無くなった(と思い込んだ)僕は一安心。こういうのをぬか喜びというのだ。
 A氏も、誰も来てないことに驚いたようだ。A氏と会話しながら、やっぱりこれは僕の......、という考えが再びわきあがる。とりあえずMR-4Fを組み立てながら、9:15くらいまで待ってみようということにする。
 A氏が乗ってきたのは、僕が次の次くらいに是非にと考えている自転車だ。書くと人物を特定できるので控えるが(笑)。頼んで乗せてもらう。細いタイヤを履いているので、これがまた夢のような漕ぎ出しの軽さ。TCR-2より、小径な分、軽くなっている。いいよ、これは。その上、A氏いわく、折りたたむのも早いという、シートピラーを倒し、後ろのフレームを前に折ると、ずいぶん小さくなる。思っていたよりお手軽に扱えそうだ。なんか、やばいな。買うなら来年以降かと思っていたのだけれど。
 しばし待つ。『負けだね』とA氏。誰も来ないということは、すなわち僕らのほうが間違っていたってことだ。なんかガックリ。その代わり、A氏とちょっと飯でも食いましょうということになった。A氏とは前から話してみたかったので、願ったり適ったりだ。
 適当にうろうろと走り、最後はモスでということに。この時間、この界隈には、案外に開いてる店が少ない。そういえば、立場駅前にもモスが出来たのだ(前にあったファミリーマートがつぶれ、その後に出来た)。だんだん拓けてるなあ。
 それはともかく、A氏とはその乗車の話など、やはり自転車の話をする。A氏の自転車歴が案外に短いのには驚いた。どうしたら2年くらいであんな乗りこなせるようになるんだろう。
 その最中、なんと我がPHSに入電が。この番号は、実家と遊び関係の友人にしか知らせてない。取ってみると、なんと警察からだった。この間の事故の件だ。いわく、警察に通知した原付のナンバーに対しては盗難届が出ており、やはり盗難車らしい。警察ははっきりとはいわなかったが、これを検挙するのは難しいという雰囲気だった。やはりな。予想通りのことだったので、落胆もなにもない。というか、警察が一応でも仕事をしていることが分かって、ちょっと安心した。こんな電話が来るということは、少なくとも事故届はちゃんと登録されたということだろう。とりあえず『続報を(あれば)待て』ということなので、一応礼を言って切る。
 結構しゃべっていたので、A氏とここで別れ、一人で荒川を下ってみることにした。モスの前でA氏と別れ、地図と勘を頼りに荒川まで走った。なんということも無い、我が住所近辺でも大和から長後にかけていくらでも見つかりそうな、郊外の住宅街が広がっている。東京は中心部の限られた範囲を除いて、日本中どこでも見られるような地方都市が、そのまま大きくなっただけの場所なのだ。
 やがて荒川に出る。むむ、今日はすごく少ないぞ。すれ違う人が少ない。日が翳っているせいだろうか。そういえば、今日はカンパのシャツにスペシャのベストというカッコで来たのだが、やや肩が寒い。
 ともあれ、いつものコースをどんどん下ってゆく。途中、トイレ休憩を挟み、平井大橋まで南下。橋を渡り、新小岩で再び輪行体勢に。今日は輪行が多い。
 新小岩から新八柱に出て、そこからMR-4Fを労わりながら、東進していった。やがてオオヤマさんとこに到着。店頭にいた大山さんに、早速前ホイールを取り替えてもらう。
 大山さんに組んでいただいたホイールに入れ替え、これでやっとMR-4Fが戦列に復帰した。「この自転車、ハンドル回りがぎしぎしいうんだけど」などと大山さんに話す。MR-4Fは、エアサス回りのトラブルがやたら多いのだそうだ。それに折りたたみ部があるし(その分弱い)、ステムの構造も複雑だしで、やたら故障しそうな自転車ではある。ホイールも流通が少ないだけに、そう安くは無いのだそうだ。ちなみにGiantからリムを入手してもらい、ハブとスポーク(黒い奴はホイールスミスなど高いのしかないそうだ)をまた用意して組んでもらって、1万円。CBあさひで買った26インチのハブダイナモ完組ホイールが8000円くらいだったことを考えると、確かに安くはない。金使っちゃいそうな自転車だなあ。
 大山さんを後にし、西進する。秋葉に寄り、東京で輪行しよう。まだ日が高いので、快調に走る。狭い道は歩道に逃げ、広い車道は突っ走る。こういうシチュエーションでは、MR-4Fはとても軽快だ。復活したMR-4Fは、風が無ければ40km/h巡航できそうなくらい、走行感が軽い。
 途中、青砥でファミレスに入り、遅い昼食を取った。一人だと気ままに走れるので気が楽。僕にはこういう走り方が向いてると思う。だが、集団で走って、最後に宴会で訳がわからん状況になるのも楽しい。
 ファミレスで休みすぎたのか、ちょっと足が鈍る。しかしやがて浅草通りに出て、今度は南下し、やがて秋葉原に出た。イケショップでT600用の液晶保護シートをもう一枚買う。今貼っているのはイマイチきれいに貼れなかったので、暇を見て張り替えようかと思う。またサードパーティ製のUSBホットシンク/リチャージケーブルがあったので、買う。かさばるクレードルを持ち運ぶ必要は、もうない。
 さらに、予備/サブモニタとして物色中のアイ・オーデータ製15インチUXGAモニタの現物を見ようと探し回ったが、ZOA~T-ZoneDIY店界隈では見つからなかった。ううむ、あれ、売れてるのかな。
 秋葉を去り、東京まで走り、日本橋口で輪行体勢に以降、東海道線、地下鉄と乗り継いで立場に帰った。
 立場で再び組み、走り出そうとする。おや、なぜか後輪がロックしている......。なんと、後ろブレーキのワイヤを曲げているバナナがゆがんで、クランクと衝突しているのだ。そのせいで、後ろブレーキがロックしてしまっている。これ、いかにも華奢そうだったから......。とりあえず当たらない位置まで寄せ、帰宅した。バナナとブレーキをつなぐ金具が破損してしまっていたので、ワイヤをインシュロックで止めてクランクと当たらないようにはした。しかしまあ、いろいろ壊れやすそうな自転車という印象は裏付けられた。

2002年03月10日(日曜日)

いやはや、ひどい目に遭いました

19時00分 自転車 天気:晴れ

 昨日の激走の影響が残って、全身がけだるい。本当はずっと寝ていたい気分だ。だが、こういうときは、少し体を動かして、新陳代謝を促したほうがいい。昨日酷使したBD-1を労わる意味もあり、MR-4Fで長後方面に出かけた。
 裏道経由で高鎌橋まで出て、長後まで一走り。国道沿いにあるCoCo一番屋まで走った。道幅が広いので、結構走りやすい。しかし足が回らないので、まったりと歩道を走ってゆく。こういう場合、MR-4Fならどっちでも快適に走れる。
 沿道を探しながら走ると、やがてCoCo一番屋発見。ソーセージカレーなんぞを食す。よく考えると、昨日の昼食もカレーだったじゃないか。
 CoCo一番屋を出て、飯田牧場に寄って帰ろうと思いながら、しばらく南下した。湘南台を過ぎ、なつかしの六会も過ぎ、さて、そろそろかと思いつつ走っていたら、いつの間にか更なる田舎に出てしまった。あれ、通り過ぎた?
 さらに南下してゆくと、道は急に下り始めた。これは、と構えていたら、道は白旗の坂に続いていた。なるほど、こうなっていたのか。ここを北上したら、かなり脚力つくなあ。
 白旗で折り返し、境川に入る。ここまでは向かい風だったが、ここからは風が背を押してくれる。フロントをアウターに入れ、ぐいぐい漕ぐと、あっという間に40km出たりする。しかしこの陽気、とんでもないバカを呼び出してしまった。
 西俣野近辺、ちょうど飯田牧場が見える辺りを走っているときだった。ん、前から異音が......。案の定、バカがスクーターでやってくる(戦車じゃないだけマシだが)。危ないなあ、と思い、徐行しつつ左を行った。その時、このバカどもは嬉しげに乗っているくせにスクーターに慣れてないらしく、前方右を行っていた人を避けるとき、予想以上に大きく蛇行したのだ。もともと狭いサイクリングロードだ、避けるのは難しい。それでも、1台目は避けたのだが、後続は二人乗り(まったく......)だったせいもあるのか、さらに大きく蛇行し......接触! 衝撃とともにMR-4Fから投げ出され、かろうじて手を着いて着地した。
 振り返ると、件のスクーターは転倒し、二人乗りしていた後ろの女の子が痛い痛いと喚いている。しかも、そこに僕に後続していたおじいさんが乗った自転車が突っ込んだようで、そのおじいさんも転倒してしまっている。見たところ、MR-4Fを除けば、最大の被害を受けているのはスクーターのバカどもだ。やれやれ。MR-4F、逝っちまったなあ、と思いつつ、PHSをポケットから引っ張り出してみたが、この西俣野はちょうど幹線から離れていることもあり、電波が届いてない。ちょうど通りがかったMTBerに声を掛け、携帯電話を借り、110番した。これが、なかなか呼び出しに応じてくれない。その間に、バカはつるんでいた2台の間で仲間割れを始めている。周囲はあっけに取られている。
 なかなか取ってくれないなと思っていたら、バカどもはまだ痛がっている女の子を乗せて、大急ぎで走っていってしまった。さらにあっけに取られる我々。巻き込まれたおじいさんともども、苦笑するしかない状況だ。
 とりあえず、やっと110番が電話を取ってくれたので、さっそく事情を話し始める。が、場所がなかなかうまく伝わらない。『横浜ドリームランド南端から藤沢へと抜ける道と、境川サイクリングロードとの交点から、だいたい200m南下した辺り』といえば一発で分かるかと思ったのだが、思いのほか意が伝わらない。どうも、警察の意識としては、あくまでも主要幹線道路からの位置を聞きたいようだ。この間の自爆事故でもそうだったが、自分の現在地を伝えるのは、案外に難しいものだ。
 それでもなんとか場所を伝え、警官を待つ間、呼び止めてつき合わせてしまったMTBerと雑談する。僕自身の怪我は軽微だし、天気は明るいしで、まああまり落ち込んではいない。しかし、あの女の子、頭打ってるようだったが......(当然ノーヘル)。
 MTBer氏は思ったより若く、間もなく高校卒業というところらしい。受験で乗れなかったMTBに、久しぶりに乗っていたところだということだ。このMTB、SPECIALIZEDのHardRockだった。僕もこれの2001年モデルに乗っていることから、しばらく雑談に花が咲く。
 やがて、やっとのことで警官が登場した。俣野橋から、スクーターを押してやってきたのだ。ご苦労様。ここ、幹線道路から隔たっているので、警察も来るのに時間が掛かるらしい。最近の治安の悪さを考えると、不安な兆候だ。
 警察は、前回同様、簡単な調書を作っただけだ。スクーターのナンバーは伝えてあったのだが、調べるのにさえ週明けを待たなければならないとか。明らかに捜査するつもりなんか無さそうだ。奴らは見た目中坊くらいで、スクーターも盗難車と思われるので、おそらく捕まりはすまい。少年課の補導の網とかに引っかかる可能性のほうが高い。たとえ捕まっても、保険なんかに加入しているわけもない。スクーターの本来の持ち主と同じく、丸損だ。
 実は、MTBerが親切にもMR-4Fの状況を見てくれて、ステムが回転してしまっただけで、恐らくフレームは無事っぽいと分かっていた。ただし、前ホイールが曲がってしまった。ブレーキのクイックを開くと、なんとか乗れる。
 MTBerに礼を言って別れ、警官の事情聴取が終わると、とりあえず飯田牧場までは行こうと考えた。前ホイールがかなり振れているのだが、案外に時速20km/hくらいなら問題ない。ブレーキが不安だが、後ろブレーキだけでも対処できる。
 結局、飯田牧場はあまりに人が多く(この陽気だ)、諦めて帰った。
 それにしても、ああいったバカから身を守るにはどうすればいいんだろう。恐らく、サイクリングロードに侵入したバカを見るたびに、ナンバーを控えて警察に通報するといった、地道な活動が必要になるだろう。しかし、警察の態度からして、全然あてにならないな。

2002年03月09日(土曜日)

走った走った走った食った! 多摩川ロングライド再挑戦

22時00分 自転車

 今日は神奈川支部主催の多摩川ロングライドに参加する。これはサイクル・スポーツ誌に掲載された多摩川周回ルートを走ろうというものだ。去年、@nak、にち、たか諸氏によって決行されたが、二子多摩川から南への進出がかなわず、是非リベンジをということで企画されたのが今回のツーリングだ。走る、食うのバランスが取れている(どっちも多めだが)カナ支部主催の企画にしては、走り側にかなり振れている。
 とにかく集合時刻に確実に間に合うよう、家を6:00に出発し、地下鉄、小田急、東急田園都市線と乗り継いだ。今日の獲物はBD-1だ。最初はロングライドでは楽なMR-4Fで出撃しようかと思っていたのだが、ダートがかなりあるといわれて、ダートもこなせるBD-1にしたのだ。
 車中でうとうとしながら、二子玉川に到着。駅前でBD-1を展開し、二子橋を渡った。集合場所はこの橋の下と聞いていたのだが、どっちの岸かは聞いてない。探すつもりで、とりあえず道が多そうな東岸に渡ったところ、ちょうど目の前を見慣れたBD-1Wが走ってゆくではないか。こぐ氏駆る重装備BD-1Wだった。こぐ氏に声をかけ、つるんで橋の下をくぐると、@nak(あ)氏の黄色いジャケットが目に入った。集合時間前に合流成功だ。
 集合場所には、いつもの@nak夫妻、同道してきたこぐ氏、Sat'R'Dayのまき氏の他に、分身が何人もいると噂される猛者ミキ氏、こちらは初参加の桑原氏が揃っていた。ミキ氏は俺的憧れのBikeFriday PoketRocketに搭乗。欲しいんだよなあ。でも円安だし、先にSat'R'Dayが欲しいので、買うとしてもずっと先のことになりそうだ。
 ところで、にち氏とたか氏は? 雑談しながら待つうちに、相次いで到着。これで前回メンバー4人+新参4人+途中まで応援(ミキ氏)と9人揃った。ところで、後一人いっとく氏が参加するはずなのだが。こちらは少し待っても到着しない。やむなく出発。いっとく氏が駆るアマンダ20インチも見たかったのだが。
 一行は、川べりのサイクリングロードを進む。道幅は狭く、所々荒れているのでちょっとつらい。あまつさえ、未舗装路も結構現れるのだ。と、それほど走らないうちに、@nak(た)女史にトラブル発生。パンクだ。僕はパンクに見舞われた事がないので、興味深くパンク修理を見守った。
 執刀者は応援団のミキ氏である。ベテランの氏は、18インチタイヤの固さにてこずりながらも、手際よくパンク修理をこなしてゆく。パンクの原因は、直径2mmほど、長さ2cmほどもある線材(?)だった。いやはや、どうやったらこんなものが刺さるんだ。そんな代物が垂直に刺さっていたために、チューブすら完全に貫通していた。ともあれ、それを抜き、パッチを張って応急処置完了。さすが、頻繁にパンクに見舞われるというミキ氏、手際は鮮やかだった。
 そこからはひたすら北上してゆく。川上に向かうにつれ、ダートが増えてくる。手首が弱い僕に、このバイブレーションは拷問に近い。それと、チェーンガードが無いせいもあって、2回もチェーンはずれを起こしてしまった。チェーンにテンションをかけてない状態で、シフトアップすると(つまりテンションをさらに落とすと)、チェーンホイールから落ちてしまうようだ。このことに気づいてからは、もうチェーン外れは起こさなかった。
 川原のダートを走るのは、やはりリスクが付きまとう。しかも、今日はロングライドということなので、自然に25km巡航になっているわけだ。そこで細かいトラブルが頻発し、徐々に全体のスケジュールを引っ張り始めた。集団走行ではこれが怖いのだな。
 川原を走っているとき、@nak(あ)氏が目の前で転倒した。路肩の段差にタイヤを取られての事故だった。幸い、怪我は無かったが、BD-3に着けたセキサイダーが曲がってしまった。段差は、小径車には大敵なのだ。僕は何度やられたことか......。
 所々に休憩を挟みながら走る。昼が近づくにつれ、これに道順確認の休止が頻繁に挟まるようになった。前回、小峰峠を目指しているつもりで、全然別の峠に入ってしまったという経緯もあり、現在地の確認は慎重だった。が、その割に違う道に入っていたりしてな(爆)。「リベンジではなく返り討ちに遭うのでは?」という声も聞かれた。それもまた楽し。
 ミキ氏とはこの辺でお別れ。小径ロードバイクといえるポケロケでダートは突っ走るし、すげえなあ。今日はMR-4Fでも良かったかもと少し思った僕だった(が、後でそれは思い違いだと悟る)。
 一行は支流に入り、徐々に細くなってゆく多摩川水系と並走しながら、次第に山奥へと導かれていった。八王子を過ぎ、いよいよ道は上りになってゆく。ここが小峰峠か? いや、雰囲気的にはまだまだなようだ。しかし、オフロードを飛ばしてきたりしたせいで、既にかなり疲労し始めている。坂に激弱な僕だが、今日は一つの発見があった。坂を登っているときには息をしなくては力が出ない(爆)。どういうことかというと、どうやら僕は上りでペダルに力をかけるとき、無意識のうちに息を詰めてしまう癖があるようなのだ。そこで、長距離走の要領で意識的に呼吸しながらペダルを回すと、そんなに苦しくは無い......こともないが、足が止まるほどではない。こういうことでも、意外に気が付かないもんだな。って、なんぼなんでもうかつすぎる。
 しかし、この次には峠を越えるのだ。ちょっと憂鬱になる。出来れば避けたいが......。やがて、一行は幹線から折れ曲がり、峠への道に入った。いよいよ峠の上りだ。
 ところが、目の前に現れたのは、それ以上の侵入を阻むフェンスだった。どういうことだ? 道は明らかに正解だという事だったが。
 そのフェンスに掛かっている看板、近くにいた作業員風の人々への事情聴取によって、ようやく事態は明らかになった。なんと、小峰峠は3月末まで工事中で、封鎖されているのだという。その代わり、武蔵五日市へと抜けるトンネルが、既に開通しているので、そこを使えということだ。小峰峠自身は、整備されて歩行者専用の道になるらしい......自転車はどうなるのよ?
 ともあれ、その新トンネルを通ろうということで、来た道をちょいと引き返す。そのトンネルは、ほとんど走るまでも無く見えてきた。新しそうな、広いトンネルだ。幸い、向かって右側の歩道がかなり広く、自転車での走行に問題無さそうだ。そちらを進むことにする。
 トンネル内は十分明るく、また前後のメンバーがライトを点けたので、僕は点けないで走った。走るうちに、速度がどんどん上がってゆく。お、これは、もしかして下り? そう気づいた瞬間、今までやや憂鬱だった気持ちが、一気に明るくなってしまった(笑)。現金なものである。ダウンヒルを楽しみながら走るうちに、やがてトンネルを抜け、小峰公園に到着した。
 公園にあるバイオチップ利用のトイレを利用したりしながら(確かにきつい臭いはしないが、ケッタイな臭いはする)、少し休憩。気分的には明るく、まだまだ全然走れそうだ。僕のメーターの読みでは、だいたい40km強を走ったところだ。
 さて、昼食の目的地までは後一息だ。小峰公園から下り、少し走ると、武蔵五日市駅前に出た。そこにあるやまねこ亭という店で、今回の昼食だ。
 店内は広くは無いが、8人全員が座ることが出来た。カレーが売りらしいので、僕はキーマカリーとデザートにケーキを頼む。なんでも自転車乗りのメッカらしくて、確かに店内には自転車関係の本が並んでいる。その中に、もう入手困難な東京サイクリングガイド西部編もあった。これ、5年前の発行なんだな。
 カレーはスパイスが効いているからか、単に重労働の後だからか、おいしくおなかに収まった。コーヒーを味わいながら、しばし休息する。
 さて、店を出ると後半戦だ。近くのコンビニで補給食の買出しを終え、また走り出す。道は、武蔵五日市駅の前からまっすぐに続いている。
 しばし、この幹線道路沿いに突っ走り、また川に行き当たった(この辺、着いていっただけなので、記憶があやふや)。川沿いのダートをまた走り(ダート走行が多いオフだ)、しかし春めいた眺めを楽しみながら下っていった。僕は少し神経質なディレーラーに注意しながら、25km以上で飛ばす一行に、必死に追随していった。
 やがて、川沿いのバーベキュー場のような場所で、また小休止。ここで持ってきていたVAAMの粉末を、水で流し込んだ。
 再び走り始める。川沿いの状態の良くない道を飛ばしてゆくので、疲労がどんどんたまってゆく。このまま追随できないのではと思い始めた頃から、徐々に足が軽くなっていった。VAAMが効いたのかなあ。
 福生市拝島近辺で道に迷ったりしながらも、やがて堀のように見える玉川上水に到達した。ここに沿って、ジモティに道を教えてもらったりしながら、延々と突っ走る。途中、小休止を挟み、また突っ走っているときだった。@nak(た)女史のPacific18にトラブル発生。またパンクだ。二度もパンクにやられて落ち込む女史に替わり、男性陣がパンク修理に挑んだ。さっきはミキ氏が片付けてくれたが、今度はパンク経験の少ない連中ばかりだ。かなり難航する。結局、同じカラータイヤの使用経験がある僕が、薄型のタイヤレバーを借りて外し、チューブを入れ替えて、修理完了。空気が急激に減ったわけではないことから見ると、過激な走行にピンホールが開いてしまった可能性が高いと見た。
 やがて日没前に、小金井公園に到着。ここでほっと一息。
 ここから、玉川上水を外れ、ところどころ市街地を経由しながら多摩川の支流、おそらく野川を下っていった、はず。はずというのは、あまり現在位置を考えないで、ひたすら一団に追随していったからだ。疲労で足は鈍りがちだし、容赦なくダートは突っ走るしで、こりゃハードだなあなどと思っていたもんだ。何度かダートに車輪を取られそうになって、際どい状態になった。落ちれば堤の下とか土手の下とか、かなり危険な場所もある。命懸けだよ。僕一人なら、無理せず幹線を通るか、輪行して帰ったろう。しかし多摩川周回という大テーマがある以上、簡単に進路を変えるわけには行かない。この傾向は、日が落ちてナイトランに突入して以降、ますます強まった。幸い、人通りは少なく、舗装されたそれなりに安全そうな遊歩道を走ることが増え、心理的な負担は多少減った。が、ここでトラブルがあって遅れれば、もう追随できないかもしれない。
 そういう焦りがとうとうミスを生んだ。うっかりテンションを掛けてない状態で、ディレイラーをシフトダウンさせてしまったのだ。次の瞬間、クランクから負荷がスカッと抜けた。チェーン外れだ。「ストーップ!」 爆走して行く一行の背中に叫んだ。幸い、こぐ氏が気づいて止まってくれた。チェーンをかけ直し、すぐに走り出す。もう、全く余裕もなく、ひたすら走り続ける状態だ。正直、この辺では全く楽しくなかった。せっかくおいしいとこ取りできるフォールディングバイクなのに、などと愚痴っぽく考える暇もなかったのだが。
 実は、時間的には出発地点の二子橋に戻っているべき時刻だったのだが、その頃にもかなり上流を走っている状況だったのだ。余裕がないはずだ。今日は細かいトラブルが累積して(そのうちかなりは僕が生産したのだが(爆))、次第にスケジュールが逼迫する結果となったのだ。8人も参加したツーリングだ。そのそれぞれに少しでもトラブルがあれば、全体のスケジュールが遅れてしまう。次回、もしも本気で周回をやり遂げるのなら、少数精鋭で望むべきではないだろうか。多人数のツアーでは、無理のないスケジュールに納める方が吉だと感じた。
 しかし、物事にはなんでも終わりがある。ナイトランで羽田まで行くか、という話も当初はあったのだが、予想以上のスケジュールの遅れに、とうとう出発地点の二子玉川駅でゴールにしようということになった。市街地に入り、やがて「あれがゴールだ!」と指さす場所に到着。なにがなんだかわからないが、とにかく終わった(笑)。かなりハードだった。特にダートが。
 駅近くの中華料理屋で打ち上げをやろうということになり、その前に自転車を止める。サイクロコンピュータの積算距離計から、今日の走行距離を計算した僕は、思わず笑ってしまった。100.1km。ぴったりセンチュリーkmを超えたところだったのだ。
 中華料理屋に首尾よく席を取り、皆思い思いに注文する。やっぱりこれでしょう......ということで、僕は黄金色の液体を注文。みんなでそれぞれ注文の飲み物を差し上げ、乾杯! くぅ、うますぎるぜ。ともあれ、この一口があるから、辛い100kmも許せるってもんだ。
 今日は走るばかりで食う方はおとなしいと思っていたら、最後にやりました。いやまあ食うは飲むは食うは。次々に注文が出され、テーブルに届く度に瞬く間に片づいて行く。神奈川支部の本領が発揮される瞬間だった。
 その後は、駅前のコーヒースタンドで喫茶する。しかし、僕などもう何も話す気力もなく、テーブルに突っ伏す始末。まもなくお開きとなった。
 ぶったまげたことに、僕以外のメンバーはみんな自走で帰るんだとか。僕より遠いたか氏までもが自走するのには参った。僕は体の声に素直に従い、輪行で帰る。
 帰りの車内で5分ほどうとうとしたら、少しは回復した。うむ......これはもしかして、朝から寝不足だったのだろうか。思い当たる節はある。でも、基本的に100kmを連日走破する体力は、僕にはないようだ。
 もし、次回があって、参加することになったら、MTBを担いで行くことにしよう。

2002年03月03日(日曜日)

必死に登って必死に食った、大山しし鍋ツアー

22時00分 自転車 天気:晴れのちくもり(急激に気温低下)

 朝、8時に起床。今日は神奈川支部(もうなんの支部かは問題ではない!(そうか?))主催の「大山しし鍋食い倒れツアー」決行の日なのである。慌ただしく身支度を整え、BD-1で出撃した。昨日のフロント2枚化(52T/38T)の効果を見る意味もあり、BD-1で出撃だ。だんだん最強化しているぞ。
 地下鉄で湘南台まで、湘南台から小田急で相模大野経由で伊勢原まで。その間の乗り継ぎがことごとく悪く、余裕を見て家を出たつもりが、伊勢原到着は集合時間の10:00ちょうどになってしまった。しかも、海老名辺りから便意を催し、到着の直前からは意識がもうろうとし始めていた(滅)。
 伊勢原で電車を降り、BD-1その他を抱えた体で階段へと急いでいたら、階段の近辺で声をかけられた。なんと、@nak(た)女史だった。ということは夫君の@nak(あ)氏も当然同道しているわけだ。それだけではなく、にち氏、今回初参加のかぷりしぇ女史、更にはまき氏までもが同じ電車からぞろぞろ降りてくる。列車の運行時間ゆえの収斂効果なのであろうか。しかしなにせ我が輩は腹の状況が状況なので(笑)、ほとんど上の空で相槌を打ちながら、階段を上り、急いでトイレに駆け込んだ。ああ、すっきり。
 改札口近辺で待ってくれていた他のメンバーと合流し、北口の階段を降りると、派出所近辺に自走組のたか隊長(神奈川支部ではガイドをこう呼ぶ)、こぐ氏が待っていた。こぐ氏にはneko氏から貸していただけるW化関係パーツを持ってきていただいていたのだが、僕の方がいつものバックパックではなく、容量の小さなBD-1用リアキャリアバッグで来ていたので、帰るときまで預かっていただくことにした。
 各自の得物を展開する。今日はBD-1*2(俺様の物はフロント2枚仕様)、BD-1W*2、BD-3*1、UK Brompton(Inter7仕様)*1、Sat'R'Day*1、トレンクル6500*1、という布陣だ。トレンクル6500で出撃のにち氏は、真の漢といえよう。@nak(た)女史はBromptonでの出動。実はBD-1で出動の予定だったのだが、今朝になってハンドル折り畳み部のヒンジ止めピンが脱落しているのが判明し、急きょBromptonでのの出動と相成ったとか。にち氏はBD-1Wをかぷりしぇ女史に貸与するため、トレンクルでの出動と相成ったとか。
 一同はたか隊長の先導で、一路大山を目指す。その前に、途中のコンビニで各自自己紹介を実施した。初参加のかぷりしぇ女史へのナビゲーションの意味もあったようだ。
 途中、@nak(た)女史のBD-1修理部品を探すため、自転車屋に寄ったりしたが、やがて大山への登山口に取り付き、我が輩が大嫌いな坂道を上り始めた。
 少し登った地点でたか隊長停止。道路の向こう側の店で、豆腐アイスなる物を食せるのだとか。一同に如何を尋ねるたか隊長だったが、一行は寒空の元でさえアイスお代わりツアーなる過酷なツーリングを実行する連中である。答えは知れたことであった。
 僕は無難にバニラを試してみた。これ、普通のアイスなのだが、ミルクの代わりに豆乳を使っているものだと思えた。思えた、止まりだったのは、なにせ朝から冷え込んでおり、味がよく分からなかったからだ(爆)。他のメンバーは抹茶やらストロベリーやらを試していたが、ストロベリーが非常に硬く(凍っているに等しかった)、てこずっていたのが印象的だった。
 さらに登って行くと、やがて阿夫利神社の鳥居が目に入った。といっても、下社までまだまだ登らねばならない。
 やがて、登り一本だった道が、初めて平らな場所に出た。そこで右折すると、いよいよ最後の戦いの場が目に入るのだ。もう、身震いするほど素敵な坂道だ(俺は漢として泣く)。ところが、そんな道でも、ジモティはママチャリでスイーっと登って行くのだ。生活のために走らなけりゃならない連中には、本当にかなわないよ。
 ここにあったみやげ物屋の駐車場(この地形では貴重な平地)で、休憩兼試乗会が開催された。もともと、@nak(た)女史はBD-1Wの乗り味を試してみたかったそうなので、いい機会だった。僕もにち氏のトレンクルを試してみる。これがもう、反則的な軽さ。Mobillyたんよりずっと軽い感じだ。肩に担いで歩いても問題なさそうだ。しかし、乗ってみて、ハンドルがすごくクイックなのにまた驚いた。Mobillyたんが安定しているのに較べ、操縦性が全然違っている。
 さて、乗り較べも済んだところで、いよいよ激坂地帯に突入だ。10%超、最高15%に達する坂は、小径車ではかなり厳しい。というか、俺的には700Cでも辛いはずだ。
 途中で休憩を取りながらも、一行は黙々と登って行く。登りながら、僕はなぜこんな辛い思いをしてまで自転車に乗っているのか、そして他の人々はなぜ平気な顔をして登って行けるのか、いろんな思いが脳裏に渦巻いてしまう。
 やがて最後の激坂地帯だ。15%超と、後荷重のMobillyたんならウィリー必至の急傾斜を、BD-1のインナー(38T)をうならせてじりじり登って行く。ケイデンス選択を誤りながらも、なんとか目的の旅館にたどり着いた。やがて後続も到着。いよいよしし鍋タイムだ!
 この旅館、たか隊長の同僚の御親族の店らしくて、真っ昼間、怪しい自転車集団にもかかわらず、歓待していただいた。
 早速、食膳を囲む一同だった。今日は豆腐祭ということもあり、また丹沢は鮎で有名な土地でもあるので、こんな豪勢な光景が。たか隊長、これで3500円は凄すぎます。どうやらたか隊長が知り合いということで、店の方で頑張ってくれたようだ。
 まずは、これも店からの心尽くしのビールで乾杯。なにせ重労働の後だ。ウマイったらありゃしない。箸を取る。大山豆腐というものもあるくらいで、大山の豆腐はレベルが高い。最初に口をつけた冷や奴は、ただの冷や奴の癖に口当たりがまろやかで、店売りのそれとは確かにレベルが違っていた。サイコロ状に切った豆腐とマグロを湯葉で包んだ料理もいけます。写真には撮らなかった揚げ出し豆腐も、豆腐のレベルが高いので当然ウマイ!
 さらにメインのしし鍋。これは普通のすき焼きのように卵でいただくのだ。隣にはグルメで博識なこぐ氏。氏共々、「しし肉は予想以上に獣のにおいがしない」とか「豚より高密度」と評しあった。いやまあ、うまければいいのだ。
 ある程度箸が進んだところで、次に鮎の塩焼きが登場した。神奈川のこの辺の水系は、鮎の名産地だ。それだけにこれは外せないところだろう。時期的に養殖かと思うが、やはり内蔵や骨まで喰らえる鮎のさわやかな食感が、さらに食を進めてくれた。
 最後はお澄ましとご飯(紫蘇振りかけ)で締め。まさに食い倒れツアーの観を呈してきた。しかし、これだけの量が苦にならないくらい美味だった。たか隊長の骨折りのおかげである。
 質的にも量的にも満足した我々は、思わずその場でごろごろし始めた。ここで昼寝したい気分だ。しかし、大山に登ったのだから、せめて阿夫利神社下社には詣でないと。
 一時間ほどごろごろした後、旅館で自転車を預かってもらい、阿夫利神社詣でに出かけた。旅館の近くにバスの折り返し点があるのだが、ちょうどその辺で豆腐祭のイベントが開かれていた。その中に、仙人鍋を振る舞うというものがあった。これ、湯豆腐らしい。さすがに今の腹では入らないということになり、帰路に考えようということになった(というかまだ食う気だったのか)。
 ケーブルカーの駅までは、みやげ物屋が軒を連ねている。今日の寒さのせいか、客はそれほど寄りついてないようだ。
 やがてケーブルカーで急斜面を一気に登る。そして下社の駅で降り、下社へと歩いた。下社の石段の下でトイレ休憩となり、行きたい人はトイレまで歩いて行き、後の我々は茶屋のおばさんの呼び込みに閉口しながら待った(この天気では客の出も少ないんだろうなあ)。
 やがて一同そろって下社の参拝である。途中、むやみに逞しい狛犬に引きつけられながらも、我々はそれぞれ参拝を済ませた。交通安全のお守りを購入した人もいたようだ。
 さて、そろそろ山を下りよう。夕方近くになってさらに気温が下がっている。旅館まで戻り、我々はダウンヒルで一気に麓まで下る。下り、大好き。途中で土産に大山まんじゅうを買おうと思ったら、祭の関係でお茶とまんじゅうをただで振る舞ってもらえた。祭、大好き。
 再びたか隊長を先頭に、鶴巻温泉を目指して突っ走る。その時、俺様のBD-1が異音を発し、チェーンが外れた。チェーンが外れるのは良くあることだが(をいをい)、たか隊長の指摘でプーリーのナットが紛失しているのに気づいた。みんなで道を探してもらうが、見つからない。やむなく、インアー・ロー時のチェーンこすり対策に張ってあったガムテープで処置し、また走り始めた。ガムテープって万能だよなあ。後で気づいたのだが、実はこのプーリーにはもともとナットは着けてなかったのだ。早く気づけよ! すいません、気が動転してたんです(寒かったし)。ともあれ、BD-1の変速機を使わず、シングルギアで突っ走った。
 やがて日没直前に鶴巻温泉に到着した。広い湯船でゆったり和む一同。ツーリングの後の温泉は、確かに気持ちいい。
 休憩室でしばしゴロゴロした後、最後の目的地の天ぷら屋に移動した。ここもたか隊長の調べ。
 僕が頼んだのは天ぷら定食。嫌いなイカ、苦手なエビなどもあったのだが、何が何が、あまりにうまいので全部ペロリと平らげてしまった。昼間のカロリー過剰摂取を考えると、やはり大変美味だったのだろう。
 最後は鶴巻温泉まで移動し、解散。みんな輪行で帰宅していった。
 今日も走って食べて食べて食べて、楽しかった一日だった。

2002年03月02日(土曜日)

BD-1のフロントを2枚化

22時00分 自転車 天気:くもりかなあ

 BD-1を52T化した効果を見る意味もあって、サガミまで買い物に出かけた。
 かまくらみちを北上し、サガミ2号店でSUGINOの38Tを買い求めた。小さすぎるかと思ったが、52Tのインナーに38Tなら、今着けている52Tとの差14Tで、なんとかキャパシティの範囲に入るはずだ。
 さらに、FD取り付け工作のため、今は亡きサンツアーのシュパーブプロFDを二つ購入した。一つ1000円だ。
 帰路は境川まで出て(というか裏道を走っていたら出てしまった)、いつものコースで南下した。風が弱く、30km/hくらいで飛ばせる。巡航速度は風次第だなあ。
 高鎌橋から対岸の道を折り返し、上飯田団地経由で区役所近辺に抜け、さらに裏道を通って泉町、我がアパートと帰宅した。なにかつかんだ気がする。この辺の裏道の走り方がかなり飲み込めたぜ。
 帰宅して、早速BD-1の105クランクに38Tインナーを取り付けた。取り付けは簡単。ついでに取り付けねじも、BD-1標準の非貫通型から、サガミで買ったシマノ互換の貫通型に替えた。これだとシマノの工具を使って空転を防止できるのだ。
 チェーン長を調節しないで変速を試すと、意外なことに問題なく変速できている。チェーンがたるみ気味なのが気になるが、ひとまず試走に出てみた。
 うん、ちょっとチェーンがふわふわする。実用には問題ありかな。チェーンが跳ねて、下手すれば外れることもありうる。さらに、プーリーが下がりきった状態で右旋回すると、プーリーが路面にこすった。あちゃー。これは前から発生を覚悟していた現象だ。BD-1に着けたXTのリアディレイラーは、キャパシティに余裕があるミドルゲージを使ったのだが、こいつはプーリー部のアームが長めなのだ。
 帰宅して、4コマ減らしてみた。すると今度はアウター・ローで変速できないという問題が発生。エエッ? オリジナル56Tからの60T化に伴い2コマ増やし、そこから52Tにしたんだから4コマ引いていいんじゃないの? なんだか理屈に合わない気がするが、これが自転車いじりというものなんだろう。2コマ足してオリジナルと同じコマ数にすると、アウター、インナー共に問題なく変速できるようになった。
 おっとっと、問題は残っている。インナーでリアが1、2段目の時、チェーンがフレームをこすってしまうのだ。とりあえずガムテープを貼って保護しておいた。
 neko氏の情報だと、世の中にはBBスペーサーという、BBの突き出し量を調整するためのパーツがあるそうだ。それを入手するのがよさそうだ。
 何にせよ、前2枚化BD-1は、意外に早く実用に出来そう。明日、この状態で出撃するつもりだ。

2002年03月01日(金曜日)

BD-1フロント52T化

23時00分 自転車

 神奈川支部(どこのだ)の掲示板の方で、こぐ氏のご友人、neko氏からBD-1のW化に関する情報をいろいろいただいた。更にはW化の鍵を握る各サイズのBB、FD、IKDのFDブラケットまで貸していただけることになった。これでいろいろ実験できる。
 それに触発されたという面もあって、とりあえず確保してあったSUGINOの52TをBD-1に着けてみた。
 60Tから8Tも減ることで、チェーンのコマを減らさなければならないかと覚悟していたのだが、案外にそのままでも変速性能に影響は少ない。これなら52Tと60Tを交互に使えるかも。なんのためにだ。
 走りの方は、60Tに較べればややクロスレシオになり、最適なケイデンスを見つけやすくなった。なかなかいい感じ。
 日曜日にある神奈川支部(だからなんのだ)大山食い倒れオフには、こいつで出撃しようかと思う。