Strange Days

2002年04月30日(火曜日)

今治~松山を走る

22時00分 自転車

 朝までぐっすり寝て、7:00に起床。カーテンを開けると、外には来島海峡大橋のごつい姿が待っている。いい眺め。
 レストランに行き、バイキング形式の朝食をとる。去年の夏は冷たいうどんがあって美味しかったのだが、それはない。まだ冬メニューらしく、おでんなどもある。適当に済ませ、朝のコーヒーで一服。
 9:00出立のつもりで、のんびり身支度を整えながら、今日の道行きを考えた。山越えも考えたが、やはり海岸線沿いに走ろう。正確な地図を持ってないので、海沿いに走るほうが無難だ。
 荷物を背負い、9:00過ぎにサンライズ糸山を後にした。松山に向かう前に、来島海峡大橋を逆のほうから(つまり西側から)見てみたいと思った。適当なところで南に進路を取り、これまた適当に幹線を走っていると、波方港に到着。来島海峡大橋の西というより、南西方向というべきらしく、橋のこちら側の終端と、四国側の誘導路が見えた程度だ。
 さて、いよいよ松山へ。
 さっきの幹線を走っているとき、『松山→』という標識が見えたので、その地点まで戻る。分岐分岐で標識をたどりながら走っているつもりだが、なぜだか今治市街へと近づいている気がしてならない。首をひねりつつも、やがて道は予讃線と並走しはじめる......。
 やがて、市街地の一角で、再び『松山→』の標識を目にした。現在位置が分からなかったが、漠然と今治市内で、道が真南に転じたような感じがあった。うう、これはもしかして、山越えコースに出てしまった?
 道を走ってゆくと、次第に登りになり、その予感はますます現実味を帯びてきた。こっちを走るつもりは無かったが......。しかし、ここまできたら、山越えもいいもんだ! かなりやけくそに、ゆるい登りに見える道を走っていった。しかし、そのやけくそな決意も、再び見えた標識に覆された。『北条、松山→』。山越えコースでは、海沿いの北条市内を通ることはない。つまり、実はちゃんと海沿いコースを進んでいたのだ。そういえば、今治の隣町に出るくらいまでは、内陸部を通ってるんだったっけ。ともあれ、実は海沿いコースを通っていたことが分かり、一安心だ。
 今治市から北条市へと抜ける道は、今治市内では道幅も広く、快適だった。歩道も十分広い。そのくせ、交通量はそれほどでもない。気持ちよく走れる。
 唯一の懸念は天候だ。しかし、今のところ崩れる気配はない。曇ってはいるが、晴れ間も見える。時折、やはり自転車で旅しているらしい人々と行き会うが、しまなみ海道で見かけたほど多くはない。
 広くて快適な道も、隣町に入ったところで2車線のみの狭い道になる。なんというか、地方自治体の財政規模の違いを見るような思いだ。
 この狭い道を走るのは、やはり少しばかり疲れる。が、幸いにして、さらに隣の菊間町に入ったところで、再び道幅が広がった。そして、坂道を一つひょいと越えたところで、目の前に瀬戸内海がパーっと広がった。ここまでの道行きが報われたような気分だ。
 しばし海、そして時々鉄路と並走してゆくと、コンビナートが現れた。北条市に入ったのだと思った。察するに、北条市は四国北部での工業都市的な位置付けなんじゃないだろうか。村上龍も、『ヒュウガウィルス』で四国を工業地帯のように書いていたが(あれは四国を占領した英国が工業化に失敗した名残、という設定ではあったが)。
(追記)実はまだ北条市ではなく、越智郡菊間町だった。
 コンビナートの北に、「地下石油備蓄基地」という看板が掛かっていた。なんとなく、マル暴やマフィアがヤミ石油でも備蓄しているかのごとき表記だ。
 右に海を見ながらひた走る。天気が今一つなのが残念だが、贅沢はいえない。日ざしが強いと、それはそれで体力を消耗してしまうのだ。
 市街地に入り、JRの鉄路と再会する。その高架の下を潜ったところで一休み。ミルクバーをかじりながら、水で喉を潤す。日差しは強くなく、風はさわやか。いい気分だ。
 北条市内をひた走り、やがて松山市に近づくと、再び坂が増えてくる。それと共に道も良くなるのが不思議だ。堀江港を通過する。
 道はやがて市街地に入り込み、やがてなんとなく見覚えのある道へと至った。ここは、たしか道後温泉本館の前からまっすぐに伸びているR437だ。正確には県道187号で、市街の西の方でR437につながっている。角を曲がり、187号に入る。この辺りで時刻は13:00前。そろそろ腹が減ってきた僕は、なんでもいいから食いたいと思い、目に付いたラーメン屋に飛び込んだ。そこで、日本全国どこでも食えそうな、いかにもチェーン店らしいラーメンとギョーザを食した。ううむ、松山に来てまで食うものか? まあ、腹は満たせたし、店員のお姉ちゃんたちも妙にかわいかったので、よしにしよう。
 ラーメン屋を出て、道後温泉への最後の行程を突っ走った。やがて、温泉街に到着。
 自転車を新館の方に止めて、歩いて道後温泉に入った。神の湯二階席というチケットを買うと、廊下の突き当たりの階段を上れという。登ると、大広間になっていて、接客のおばさんが浴衣を渡して、席を作ってくれる。タオルは持っていたが、石鹸は無かったので、石鹸目当てに貸しタオルも頼んだ。
 その二階席は女性客との共用だ。湯船と着替え室は一階にあり、二階席で浴衣に着替え、一階に降りて裸になり、湯を使うというシステムだ。1Fへの階段はこのグレード専用のものがあり、ロッカーも同じく専用のものがある。そこで服を脱ぎ、湯船に入った。あー、体をべとつかせていた汗を流せて、気持ちすっきりだ。しばらく湯船に漬かり、疲れを癒す。
 体を拭いて、服を着替えて二階に上がると、お茶が出てきた。茶菓子をかじりながら、涼をとる。室内は古風な造りだが、外には新しいホテルなどが林立している。時に取り残されたような建物だ。
 制限時間は1時間ほどなので、その前に温泉を出た。
 自転車の方に歩いて行く途中、果物屋で伊予柑ソフトクリームを発見。早速、試してみる。柑橘系の酸味が心地よい。
 さて、帰ろう。MR-4Fを再び走らせ、道後温泉の前の道はまっすぐ県道187号につながっていて、187号はさらに国道437号につながっている。そしてR437は地方道19号につながって、松山観光港に到る。まずは西に向けてひた走る。やがて『松山観光港』の標識を認め、それに沿って北へと走った。この辺、道を覚えていたので、気楽なものだ。
 松山観光港までは30分くらいだろうか。去年はこれだけ走るのも結構消耗した記憶があるが、今回は余裕ありありで悠々走り抜けた。荷物を減らし、自転車を替え、道も憶えているという条件はあるにせよ、それなりに脚力がついてきた気もする。
 松山観光港に着き、呉までの乗船券を買う。ほどなく、乗船が始まったので、自転車を車両デッキに置き、客室の外のベンチに陣取った。出港し、四国の地が離れてゆくと、一つの小さな旅が終わったことを実感した。思えば、走っているときにはそれなりにつらいこともあった。でも楽しかったことの方が、はるかに多く記憶に残っている。去年は挑戦というか、苦行というか、そういう意味合いが強かったしまなみ海道だが、今回はずっと楽しめる旅になった。次に走るときには、もっともっと楽しめるといいな。

2002年04月29日(月曜日)

今治城へ

22時00分 自転車

 少し足を休めた後、バックパックを置いて、再びMR-4Fで出かけた。明日今治市街には寄らず、松山までまっしぐらに走るつもりだったので、今日のうちに今治を見てこようと思い立ったのだ。それと、できれば明日の走路を判断できるような地図も。
 海岸線をひた走り、やがて今治の市街地に到着。さっそく目に付いた本屋に飛び込んで(本当に飛んだわけではない)、地図を漁ったが、ピンと来るものは無い。再び自転車でアーケードを走り、別の本屋の店先にMR-4Fを止めようとしたときだった。ブレーキを掛け、左のクリートをはずして、その左足を着こうとしながら、右のクリートを外そうとする。む、外れない。そちらに注意が集中したせいか、左に傾けていた姿勢が、なぜか右へと傾く。次の瞬間、足を着くにつけない僕は、とっさに隣の自転車のサドルを掴んだが、あえなく派手な音を立てて転倒した。通りすがりの人々が「おおっ?」と振り返るくらいだ。かっこ悪いことおびただしい。実は、なんだか右のクリートが外れにくいなあと思っていたところだったのだ。幸い、怪我は無かったので、すばやく飛び起き、なんでもない顔をして地図を漁り(やはりこれというものは無い)、そそくさと退散した。
 今治城を目指しながら、右クリートのリリース具合を確認した。なんだか、片面はまあまあ外れやすいのだが、もう片面がすこぶる外しにくい。どうしたことだ。クリートがずれたのかもしれない。
 今治城にたどり着くと、なんと城中をブルドーザーが掘り返している。改築中らしい。風情もなにも無い。入るのはあきらめ、堀の側でクリートの再調整をした。どうも、クリートが外に傾きすぎていて、外にひねって外すときに、より大きな角度でひねらなければならなくなっているようだ。試行錯誤しつつ、ある程度内側に傾けてやると、まあかなりましになった。それでも不安はあるのだが。しかし、外れやすい方の面を使う限り、実用上は問題ない。
 試行錯誤に30分以上かけたので、そろそろ日暮れ時が近づいてきた。宿に帰ろう。
 再び海岸線を走ること15分、造船所の横の上りに差し掛かった。さあ、これを押さないで上れるか。ひーこらいいながらも、(ちょっと休んだりしたが)なんとかその急坂を登りきることに成功。をを、なんとなく成長した気分(笑)。
 宿に帰り、ちょっと横になり、7:30に予約しておいた夕食をとる。3000円のコースを予約しておいた。やはり魚介類がメインだ。鯛の兜煮、お造り、汁物、付け合せ、そして釜飯というところ。まあ、こんなものか。これに生ビールがついてきたのが嬉しい(笑)。
 部屋に戻ると、NHKで樹海の特集番組をやっていた。ミジンコ研究家として名高い同郷のミュージシャン、坂田明閣下が先導しておられる。いいなあ、微小生物の世界。そうだ、ニコンのファーブル・ミニを買おう。
 一風呂浴び、部屋の窓を開けてバルコニーに出ると、たくさんの警告灯を明滅させた来島海峡大橋と、暗く横たわる来島海峡が広がっていた。改めて、あれを渡ってきたのだという感慨にふけりながら、長い一日が終わった。

いよいよしまなみ海道へ

19時00分 自転車 天気:くもり時々晴れ BGM:AVIATOR/DEEP PURPLE

 朝、6:00に起床。前日まとめておいた荷物を背負い、MR-4Fを駆って呉駅に向かう。実家を出るとき、母が起き出して見送りする。気楽な旅の始まりだ。
 呉駅でMR-4Fを畳み、7:00くらいの三原行き各停で三原に、三原で乗り換えて二駅の尾道には9:00前に到着する。GW本番前ということもあり、人出は考えていたほどではない。それでも、目的を同じくすると思える自転車乗りが、ロードバイク、MTB、あるいはランドナーで通りすぎて行く。朝の潮風を胸いっぱいに吸い込むと、これから始まる小旅行への期待に胸が膨らむ思いだった。
 ルートは深く考えてなかったが、概ね去年と同じルートをたどるつもりだった。ただし、生口島では島の北、観光地がある方を走るつもりだった。去年はショートカットのつもりで南側を走ったのだが、実は距離的に大差無く、しかも観光ルートから外れるので、走っていてつまらなかったのだ。
 尾道駅前の岸壁まで走り、そこで渡船に乗る。渡船には、レンタルのMTBに乗った若い女性の二人組が既に待っていた。僕が乗って程なく、今度はこれもレンタルとおぼしきママチャリに乗った男性二人組が乗り込んで来た。渡船出港。
 渡船は細長い小湾の奥まで入り込む。運賃は大人一人100円+自転車10円だ。なにか補助が出ているのだろうか。それくらい安いと思う。
 渡船を降りると、同道の二人組*2はさっさと走っていってしまう。僕はあえてゆっくり走り出した。今日は、時間と競争するのは止めようと漠然と考えていた。去年、ヘロヘロになりながらも、実質5時間くらいで走りきれたことを考えると、どんなにゆっくり走っても、夕方までには糸山に確実にたどり着ける。去年は時間を気にしすぎて、途中の観光地、景勝地を楽しむことは無かった。今回は、走ることだけでなく、そういう途中の道行きを楽しもうと思っていた。いわば、時の回廊の脇道を探って行く旅にしたかった。
 向島では、渡船を下りた場所から広い道まで走り、右に折れて走って行けばいい。何ら迷うことのない道だが、早速気の迷いが生じる。さっき渡船で降りた人々が見当たらない! どうしたことだ。二組とも道を誤るとは考えられないし、向島にこれという観光地があるわけでもない。もしかしたら、去年のルートから変更があったのだろうか。確かにこの道で間違いない。去年と同じ道だ。その迷いは、やがて海岸線に出て、因島大橋の姿を見ることで、ようやく解消された。
 因島大橋は上下二段の特異な構造の橋だ。歩行者と自転車にとって、走ってあまり楽しい橋ではない。しかし、歩行者と自転車のための路面が車道より5、6m下にあるので、そこに上るまでは少しだけ楽ではある。海岸線の道からは、車道の脇にあるアプローチ入り口から上って行くのだが、うっかりすると見過ごしにしてしまいそうだ。
 アプローチをひたすら上って行く。去年はヘロヘロになりながら上っていったが、今年もやはりヘロヘロだ(滅)。だが、今年は全く休まず、アプローチの上端まで上りきれた。自転車が違うからか、多少脚力が着いたからか。なんにせよ、去年よりはずっと楽だ。
 因島大橋の鳥籠のような自転車道を渡り、爽快な下りを突っ走ると、そこは因島だ。
 因島は工業化が進んでいて、道沿いにも大型店舗が散見される。道路もよく整備されている。多少アップダウンのある道を、MR-4Fで走り抜けて行く。やはり、前2枚でクロスしたギア設定がこの快適さを生んでいるのかも。BD-1(去年の夏にはオリジナルのままの8速だった)ではどうしても回しきれない、あるいは回りすぎるギアしか探せなかったが、MR-4Fではいいケイデンスで回せるギアが見つかる場合が多い。去年はこの先のアプローチからはほとんど押して上がっていたが、今年は難なく自力で登れた。先行きに自信を抱いた瞬間だった。
 とはいうものの......、この因島、一向に橋が見えない。走れど走れど道があるばかり。因島は半ば都市化している島なので、走っていてもいまいち風情が無いのだ。それにしても、橋はどこだ......。止まって、去年のしまなみ行で活用した、派出所でもらった観光用ロードマップを調べる。......むむむ、なんだか島を逆回りしてしまったようだ。因島大橋を降りて、生口橋の方向とは逆に回ってしまったのだ。はからずも、去年とあわせて因島を一周してしまったことになる。次の生口島も、去年は南回りだったから、今年観光ルートを通れば1周達成だ。まあいいか、こういうのもありだ。と、一人旅ならではのいい加減さで構える俺様だった。やがて、生口橋がようやく見えてきた。
 因島から次の生口島までは、この生口橋を渡る。この橋は、それぞれの岸にある鉄塔に本体を鋼索で懸吊する構造だ。この鉄塔は車道から見上げると天頂に向かってすぼまるような形になっている。幾何学的で、美しい造形だ。また、生口橋は車道と歩道が平行しているタイプで、走って気持いい。愉しい橋です。
 生口島では、今年はちゃんとした昼食と、観光地を見て回るつもりだった。去年はいい加減にコンビニで済ませたので、ハンガーノックと熱中症のダブルパンチにやられかけたものだ。
 生口島までアプローチを下り、よく整備された道を北側の観光地まで走る。やはり、観光ルートだけあって、南側よりは走りやすい。南側も十分走りやすいのだが、標識類が充実しているのだ。
 その案内表示に従って走って行くと、やがて一際賑やかな一角に出た。ここに耕三寺、平山郁夫美術館がある。耕三寺はミニ東照宮という感じで、凄まじいばかりにケバい派手派手な寺だ。平山郁夫美術館は、平山画伯の日本画があるかと思いきや、しまなみ海道沿線の水彩スケッチが主体だという。今回は寄る必要を感じなかった。
 この辺りの商店街を歩く。少し鄙びた観光地という佇まいだ。食事処を探してしばらく歩くが、ピンと来るところがない。そこで耕三寺のまん前にある店のことを思い出した。小綺麗な店で、メニューも悪くなかったのだが、この先にも店はあり、もっといいところが見つかるかも、と見送っていたのだ。みんな同じことを考えるなら、あそこは案外に穴場かも。
 そう思いつつ耕三寺前まで引き返し、その店に入ってみた。万作、というその店は、間口の割りに奥行きがあり、結構入れそう。座敷もある。が、その時には、昼時にも関わらず、客は他に一組だけだった。多少の不安を感じつつ、席に着いた。
 メニューを見ながら、給仕の女性にここのうまいものを聞いてみると、魚介類全般におすすめだという。そこでじゃこ天丼というのを注文する。これは、ちりめんじゃこを使ってかき揚げのようにしたものだという。さらに、ビールも注文する。
 出てきたじゃこ天丼にありつく。......んまいっす(T^T) ここまで大休止なしで突っ走って来ていたので、ここでの昼食は胃に染みた。ちりめんじゃこを織り込んだかき揚げは、サクサクした歯触り、たれがかかった部分の食感ともにナイス。吸い物の身の正体を尋ねてみると、鯛だという。確かに骨が硬い。これにビールが組合わさると、満足指数はかなり高くなるぞっと。僕が平らげている間に、ようやく他の客が入り始めた。案外に穴場な店なのかもしれない。
 店を出て、自転車を止めてあった広島銀行の支店まで歩き、自転車のそばでしばし一休み。アルコールが回る回る。うが、こりゃあ回りすぎだ。真っ昼間から500ccも入れたせいか。二人くらいで分け合えばちょうどよかったのだが。
 ひろぎんの隣に、果物屋がある。そこでソフトクリーム発見。これは、神奈川支部の名にかけて試さずにはおかれまい。桃ソフトクリームというのを試してみる。桃の上品な酸味が、食後の口をすっきりさせてくれた。
 しばらく、携帯で神奈川支部の掲示板にアクセスしたりしながら休憩し、ようやくアルコールが醒め始めたので、再びMR-4Fで走り出した。
 しかし、多々羅大橋を目指して走っているうちに、やはり心拍が上がりすぎだと感じるようになった。アルコールが抜け切ってないのだ。そこで、道の途中にあった小さな休憩所で、寝っ転がって昼寝モードに入った。傍目にはマグロか、水死体のようにも思えただろう(笑)。
 ここでアルコール抜きをほぼ果たして、再び走り出した。時刻は13:00。前回よりちょっと遅いが、あちこちに寄っている分を考えるといいペースだ。
 ここまでにも、数多くの自転車乗りと行き会っていた。今回は積極的に声を出して挨拶しているせいか、ほぼ確実に反応が返ってくる。そこはかとないグルーブ感が心地よい。
 多々羅大橋へのアプローチを上りはじめ、途中の休憩所で一服していたときだった。「撮りましょうか?」と、同じく休憩していたらしいカップルの男性の方から声をかけられたのだ。そういえば、今まで一人でツーリングに出て、自分の写真を残したことはなかったな。お言葉に甘えて、その場で多々羅大橋を背景に俺様の高貴な間抜け面をデジカメに収めてもらう。
 そのカップル、やはり尾道から今治へと向かって走っているらしい。去年はなぜか折り畳みマニアの友人と共に、借りたブロンプトンで走ったとか。こんなところでブロンプトンの名を聞くとは。それで、去年の体験が忘れられず、今度は自前のMTBで走っているんだとか。女性の方(気のいいお姉ちゃん)は、GiantのMTBに乗っている。同じGiant同士、むやみに親近感を感じる(笑)。
 しばし談笑し、もう少し足を休めたい僕を残し、そのカップルは去っていった。こういう出会いが多いのも、一人旅のいいところだ。
 多々羅大橋を登りきると、去年も感動した眺めが広がる。無数の鋼索が一点に集中して行く様は、何度見てもすごいとかしか言いようがない。来島海峡大橋ともども、建造物としての迫力に圧倒される思いだ。こんなものを作ってしまう日本人は、自分たちのことをもっと誇りに思っていいのではないだろうか。少なくとも、金さえあれば何でもやってみせるという意味で、アメリカ人がアポロ計画を誇るくらいには誇りに思っていいのではないだろうか。
 この多々羅大橋も、生口橋ともども、橋桁を鋼索で橋梁に直接吊るすタイプの橋だ。この橋梁の麓で手を打つと、その音が反響、共鳴しながら増幅され、発信元に帰ってくるという。自動車の走行音に邪魔されて、柏手程度では聞こえない。そこで、拍子木が用意されている。拍子木を取り、打ち鳴らしてみると、『ぐわーん』という感じで想像以上に大きな反響が返ってきた。これは面白い。
 大三島へのアプローチをかっとぶようにして下る。MR-4Fは、さすがに長距離ではBD-1より疲れにくい。たぶん、フロントサスが無いので挙動が安定し、リアサス(というかこれはセンターサスか?)のおかげで肉体的疲労が軽減されるのだろう。
 大三島に降りると、道の駅がある。ここで一休みだ。自転車を咲き乱れるさつきの側に止め、アイスクリームを買い求めた。むらさきアイスだげな。要するに芋のソフトクリーム。ほんのり上品な甘さが、体の疲れを癒してくれる。多々羅大橋を眺めつつ、よくあれを渡ってきたなとしみじみ考える。
 道の駅を出て、再び走り出した。大三島を走る距離は短い。あっと言う間に大三島橋に到着する。そのアプローチを探しながら走っていると、後ろから「どこ行きたいん?」と声をかけられた。振り返ると、地元民とおぼしき壮年の男性が、実用自転車に乗って追尾してくるところだった。四国に渡るんです、と答えると、「なら、この先にアプローチがあるよ」と教えてくれた。礼を言って少し引き離す。やがて、そのアプローチへの入り口が見えた。そこを入ると、「その先、左に曲がればええよ」と、再びさっきの人が。全然離れてないやん。また礼を言い、今度は上りなので引き離すつもりでペダルを回し始めた。これで離せたろう。
 ひぃひぃいいながらもアプローチを極め、同じように登って来ていた自転車集団を抜き、ようやく橋を渡り始めた。すると、またしても後ろからあのおじさんが追いかけてきて、「よお走るねー」とにこやかに話しかけてきた。
 うん、確かに、去年の僕より、そして今のアプローチで抜いていった、明らかにへばっていた集団よりはな。
 でも、重いシングルギアの実用車にみかん箱(たぶん10kgはある)を積んで、涼しい顔で上がってきたおじさんほどじゃないけどな。
 この謎の鉄脚おじさんは、多くのチャリダーを次々に抜き去りながら、伯方島へとくだっていった。なにか、悪い夢でも見たようだ。やはり、生活のために毎日このスロープを走っている地元民にはかなわないということか。しかし、瀬戸内らしく、穏健で親切なおじさんだった。
 伯方島では、やはりこれを外せない塩アイスを求め、道の駅伯方で休憩を取った。ソフトクリームではない。案外に塩辛いものではなく、生のバターを口にしたときのような塩っぱさと、アイスクリームの甘みがミックスされ、一言では形容し難い。しかし、下手物ではなかった。
 伯方島も走行距離は短い。しかし、ここから伯方・大島大橋のアプローチは一番厳しいのではないだろうか。自転車を押して上がっているおじさん集団を横目に、一人で休み休み登っていった。
 伯方・大島大橋を渡りきると、いよいよ最後の島、大島だ。大島ではサイクリング道が島の真ん中を突っ切っていて、丘をいくつか越える塩梅なのだ。去年は、ほとんど押して上がったなあ。しかし、今年はかなり体力を温存している。ゆっくりだが、着実に坂を上って行く。時刻は15:00過ぎだ。多くのチャリダーが、最後の力を振り絞って丘を越えて行く。僕もその群れに身を投じ、やはり丘をひぃひぃいいながら越えて行く。その途中で、写真を撮ってもらったカップルが休憩を取っていた。再会を喜び合いながらも、止まるに止まれない僕はなおも先を急ぐ。ほとんど休憩もなく、ひたすら走って行く。何度も繰り返すようだが、去年に比べると自転車力が着いてきたなと思う。
 丘を越えきり、海岸線を走っているとき、側の早瀬の潮流が川のように流れているのが面白く、立ち止まってしばし眺めた。日本に来た中国人が、「日本にも黄河のような大河があるじゃないですか」といったのが瀬戸内でだった、という作り話めいた小話があるが、本当に川のように流れるものだな。
 やがて、いよいよ最後の橋、来島海峡大橋に差しかかった。気合いを入れて、長いアプローチを上って行く。アプローチは緩やかで、なんとかこぎ続けられる。しかし、途中の休憩所でコーラを飲みたくなり、小休止を取った。
 MR-4Fの脇で橋を眺めていると、アプローチを次々に自転車が上ってくる。ママチャリの老夫婦、気合いの入ったロード集団、MTBを駆る家族。いろんな人々が登って行く。その中に、おや、やたら手を振りながら上ってくる女性が。なんとさっき再会したカップルだった。今度は僕が抜き去られる番だ。笑顔で別れる。
 彼らを含む自転車集団が、次から次へと上って行き、やがて高巻くアプローチを、そしてついに橋へと上り詰めて行く。僕は、名も知らぬ人々と、言い知れない一体感を感じて、それらの人々をしみじみと見送った。たとえ幻想にせよ、僕らはなにかを共有しているという気がしてならなくなった。そしてそれらの行きずりの人々が、その瞬間にはたまらないほど愛しく感じられたのも事実だった。
 やがて、自転車の列が途切れた。僕は立ち上がって、MR-4Fにまたがると、最後のアプローチを上り詰めた。
 そして、ついに来島海峡大橋を走り始めた。走れど走れど行き着かない、恐ろしいほど長い橋だ。だが、やがて橋の中央に差しかかった。ここで僕はガッツポーズ。この先は、もうほとんど下るばかりだからだ。快調に橋を走りきり、短いアプローチを下りきると、糸山展望台への分岐点だ。坂を上り、トンネルを抜けると、展望台に到達。目の前に来島海峡大橋の偉容が広がる。いやあ、こんな代物を渡ってきたんだな。
 展望台から、ひとまずチェックインすべくサンライズ糸山へと下っていった。16:00、サンライズ糸山到着。サンライズ糸山には、僕以外にもたくさんの自転車乗りが集まっていた。同様に宿泊するらしい、道中何度か見かけた気合の入ったロード集団に続いてチェックインすると、部屋に荷物を置きに行く。ベッドに腰掛け、やっと一息だ。部屋にはベッドが三つある。ん、4人部屋じゃなかったっけ? ともあれ、一人にはもったいない広さだ。今度来るときは、神奈川支部の連中と来たいなあ。

2002年04月26日(金曜日)

さあ、旅の準備だ

22時00分 自転車 天気:晴れっぽい曇り

 会社をさっさと退けて、明後日からの旅(といっても実家を足場にするだけだが)の準備をはじめた。まずはハンズに出かけ、再利用可能なインシュロックなどを購入。帰宅して、自転車の方の準備をはじめた。まずは、ディアドラのサイクリングシューズのソールをやっと剥がせたので、クリートを取り付けた。ちょうどSH51が余っていたので、ほぼ目分量で取り付け、TCR-2で走って位置を確認した。今のシマノシューズでの経験が生きたのか、ほとんど一発でそれなりの位置を出せた。が、やっぱりどうも最後の詰めができないんだなあ。これは、長距離を走って調節しなければならないのだろうか。
 そんな感じで、今日も20kmばかり走った。自転車で本格的に走るようになって1年だが、やっとあれこれの装備が体になじんで来た気がする。ますます楽しくなってきたぞっと。

2002年04月24日(水曜日)

今日も12kmほど

23時00分 自転車

 今日もTCR-2で出走。時間があったので20周しようかと思っていたのだが、10周越えた辺りでヘッドライトの電池切れになってしまった。いちおう、ヘッドランプ(頭に着ける方な)は着けていたが、高速のロードバイクにLEDでは間に合わない。そこで打ち切りとなった。
 実は、出る前に左足側のクリート位置を調整し、少しつま先寄りに移動していた。ビンディングにすっかり慣れてしまったが、足の回し方を工夫する過程で、どうしても後ろ寄りに着いていると感じるようになった。着けた当初から左右の位置が違っていたのだが、どうしても左は後ろ寄りにしないとうまく回せない感じがして、この位置に決めた経緯がある。
 変えてみて、かえって膝に負担を感じるようになった。あるいは、今日はがんばって踏んだせいかも知れない。もう少しこの位置で試してみて、しっくり来なかったら戻してしまうかもしれない。
 クリートの位置は、どうも僕の場合は理論どおりに決まらないようだ。

2002年04月23日(火曜日)

MR-4Fのタイヤ

23時00分 自転車

 MR-4Fに標準で着いているKENDA24*1は、とりたてて不満があるわけではないが、かといって目を瞠るような高性能タイヤでもない。しかし、24*1というサイズには、他に選択の余地が無さそうに思えた。
 しかし、世の中には24インチのジュニア用ロードという分野もあり、またトライアスロンでは前24インチのファニー車も使われる場合があるということなので、もしかしたらスポーツ向きの、より高性能のタイヤがあるんじゃないかと思ってもいた。
 今日、気合を入れて探してみると、やはりあることが分かった。しかも、大手のPanaracerからだ。tecnova2というタイヤを出しているのだ。どうやら、スポーツ車椅子用のものの色違いらしい。スペック的には、120PSIまで入る。これくらい入ると、90PSIに比べてエアボリュームが大きくなり、パンクもし難そうだ。しかし、売ってるところは無さそうだと思っていたら、サイクルショップナンバーワンで買えそうなことが分かった。試してみるか、とは思うけど、今は休み前で忙しいし、懐も乏しいので先送りだ。GW明けに試してみようかな。

今日も10km

21時00分 自転車 天気:くもり

 今夜はMR-4Fで出走することにした。整備以来、これだけはまだ乗ってなかったのだ。
 昨日と同様、ロードモーフで空気を入れる。90PSIまで入れておいた。やっぱり、フロアポンプの方が楽だ。ただし、パナレーサーのフロアポンプの方も、ゲージがあてにならないような気がしてきた。
 帰宅した時間が遅かったので、今日も10周だけ走ることにした。ふと思いついて、SPDシューズの左クリート位置を再調整した。後ろ過ぎる気がしていたのだ。回してみて、今の位置の方が良さそうに思った。クリート調整は難しい。
 MR-4FはHL-500IIを着けているので、10WパワーのTCR-2に比べて照明が弱い。それで、というわけでもないのだが、今日はハンズで買った安物のLED+ハロゲン球ヘッドライトをヘルメットに着けてみた。LEDは三つ着いていて、明るさはHL-EL100と同等だろうか。手許のサイクルコンピュータや、すぐ側の地面を照らすのに適している。遠くを自転車のライトで照らすようにすると、かなり走りやすくなる。これ、いいなあ。
 10周、TCR-2と同様に、踏む、回すを交互に繰り返す。しかし、ハンドル位置をドロップハンドルのように変えられないせいか、あまりメリハリを着けられない。買ったまま放ってあるバーエンドを早く着けるべきか。

2002年04月22日(月曜日)

今日は10kmほど

22時00分 自転車 天気:くもり

 夜、ひさしぶりにTCR-2を引っ張り出した。しばらくの間、モニタ用の箱が自転車ラックの前をふさいでいたので、大物を出しにくかったのだ。モニタを発送してしまい、やっと大物も引っ張り出せるようになった。
 先々週整備したとき、空気圧の調整をしてなかったので、ロードモーフで空気を入れてみた。これ、買ったはいいが使ってなかったんだな。パンクすることなんか無かったし。確かに、空気を入れやすい。インフレータとしては高圧を入れられる部類だろう。が、こいつのゲージが全くあてにならない。いれても1BAR単位くらいでしか動かないし、なんとなく低圧で入っている気がする。ZEFALの空気圧計でチェックしながら入れた。とりあえず100PSIまで入れておいた。入れては空気圧計でチェックするというのは面倒そうだが、多めにいれて調整すれば簡単そうだ。
 そのまま、運動公園周回コースに走り出した。1周、出来るだけ踏み、次の週はゆっくり回すだけという感じで、10周した。時間的に20周は無理だったので、ここで帰ったが、この程度ではほとんど負荷になってないな。
 ボーナスが出たら、TCR-2のコンポ入れ替えをしようと思う。前3枚化まで踏み切るか......。

2002年04月20日(土曜日)

恐怖の坂が待っている。東京坂ポタ

22時00分 自転車 天気:くもり

 前日、例によってバタンキューで寝ちゃったので、明け方早くに起き出した。風呂に入り、身支度しながら天気予報を見る。雨が降る情勢では無さそうだ。
 今日は、@nak掲示板で募集があった、東京坂ポタ実行の日だ。健脚の、同時にポタリングの達人であるミキ氏の呼びかけで、上野から文京区、新宿辺りまでの坂を、自転車で回ってみましょうということになっていた。
 10:00集合なので、8:00過ぎには部屋を出た。今日は、坂があるとはいうものの、所詮は市街地、さらには距離は30km程度だという。東京の坂を舐めきっていた僕は、愚かにもMobillyたんで出動したのだった。結果的には、それほど無茶ではなかったが。
 9:45頃、集合場所の日暮里駅に到着。北口に集合という事だったのだが、まずホームから北口改札口への出方に迷い、さらに北口が無さそうなのにも参った。なんとか、自転車の一団を発見する。
 今日の参加者は13人だが、ほとんどがBD-1、あるいはブロンプトンをチョイスしてきていた。あれ、誰か一人くらいトレンクル辺りを持ってくると思ったんだけど。
 さらには、Mobillyたんの高級版(ブレーキがデュアルキャリパー)であるUGO14を所有するいっとく氏までもが、アマンダでオーダーしたスポルティーフでやってくる始末。ぅゎぁ、一番足がない僕が、一番坂に弱い自転車で、この連中に追随するなんて......。いきなり鬱になる(笑)。
 とにかく、人は集まったので出発進行だ。あ、デジカメ持ってくるの忘れた。ということで、今日は画像は無し。
 駅の線路をまたぐ細い道を抜け、いきなり凄い坂(というかほとんど階段)。はい、いきなり押しです。その"上"の道に出て、そこからは順調に走ってゆく。こういう街中では、14インチシングルギアのMobillyたんとて、多段ギアの車両に負けるものではない。坂を除いてな。
 んで、まずは上野公園までかと思っていたら、いきなりストップだ。すぐ近くにおいしいお菓子屋さんがあるのだとか。自転車を停め、入ってみると、小さな鯛焼きが売りの和菓子屋だった。13人が別個に買うのは大変なので、@nak(た)女史らが代表で購入してくれた。
 再び走り出す。ほとんど平坦な道を、せいぜい15km/hで走ってゆくので、Mobillyたんでも十分追随可能だ。しかし、足の回転の方は忙しい。
 一行は、見晴らしのいい公園に入り、そこで最初の休憩となった。まずはミニ鯛焼きをつまみながら、談笑。この鯛焼き、中はあんこでぎっしり、皮はスポンジ系の柔らかさで、お茶請けに良さそうだ。が、1個200円という値段はどうかな。
 ここで自己紹介。今回はこういうツーリングには初参加という方が二人参加されている。その他、いっとく氏とは初対面だったか。
 一服の後は、次なるエサを求めて走り出す。やがてうさぎ屋という和菓子屋に到着。ここでもどら焼きを仕入れる。あんこ系が多いなあ。
 この辺、前にオードビーを探したときにうろついた記憶がある。見覚えある風景だと思いながら走っているうちに、アサゾー到着。スポーツ系の自転車屋だ。思い思いに物色する。eショックマスターブラスターが無いかと期待していたのだが、やっぱりない。距離的に秋葉からすぐのところなので、これから秋葉に来る度にここにも寄ってしまいそうだ。店先にあった、預かり品らしいLOOKカーボンロードがそそる。
 アサゾーを出て、さて上野公園に行こう、というところでまたストップ。近くにおいしい芋菓子屋があるという。またしても買出しする一行だった。
 この辺から位置の把握が困難になってくる。というか、端から諦める。ひたすら一行に追随してゆくだけだ。
 上野公園に入り、おやつの場所(またかよ)を探して回る。さすがに人出が多く、適当な場所がない。結局、池の側の並木道でおやつに。
 うさぎ屋のどら焼きは、評判になるだけあってとてもおいしかった。特に出来たてで暖かかったこともあったろう。ここまで、どう考えても消費カロリーより摂取カロリーのほうが上回っている。
 さて、ここからいよいよ坂アタックが始まる。といっても、のぼりはできるだけ緩やかなところを選び、下りで壮絶な坂を下る。そこから、やりたい人だけが来た道を少し戻り、坂にチャレンジするわけだ。もちろん、僕は端から棄権モードだ。見た目、15%くらいの坂だ。元気な人々が挑んでゆく。
 昼食(結果的に)のためのパンを仕入れ、街中の小公園で休憩。その他はひたすら坂を巡るという感じだった。一人で走っていたら絶対通らないような裏道ばかり通るので、なんだか愉快だ。
 しかし、Mobillyたんは、坂に弱いねえ。軽すぎてダンシングでは安定しないというのもあるが、なんといってもブレーキが弱すぎる。下りが物凄く怖いのだ。なにせ、止まれない。いっとく氏と話したのだが、UGO14のブレーキは良く効くという。やはり、交換に踏み切るべきだと思った。
 坂攻めの締めは、23区内最高峰の箱根山への登山。といっても、かわいらしい丘だ。Mobillyたんでもなんとか登れる。一応、徒歩で頂上を極めてみたが、はっきりって周りには何も見えない。ビルの方が高いくらいだ。
 最後は屋台村という場所で締めようという予定だったが、あいにく今日は休み。他に適当に探した韓国料理屋で締めと言うことになった。
 しかし韓国料理は辛味バンバンの世界だ。七味系辛味の苦手な僕は、ビールで舌を冷やしながら食らう羽目に。広島もんの僕にとって、「辛い」というのは「しょっぱい」ということを意味していたのだ。エスニック系の辛味は苦手なんだ。
 しかし、お好み焼きっぽいものなど、僕でもなんとかなるものは多かった。腹は満たせたが、アルコールと辛子の相乗効果で、酔いが回る回る。帰れないんじゃないかと思ったくらいだ。
 帰りは三々五々解散してゆく。たか氏とは新宿駅で別れ、桑原氏とは目白辺りで別れ、後は一人で帰宅した。帰って、やっぱりバタンキュー。

2002年04月18日(木曜日)

買物

22時00分 自転車 天気:晴れですか

 強風がおさまり、穏やかな一日だった。
 仕事が立て込んできて、GW出勤の可能性も見えてきた。4/29は死守せねばな。
 こういう忙しいときには、買物欲も高まってくる。またしてもサイクルベースあさひで買物してしまう俺様! しかし、買ったのは小物ばかりだった。今、使っているビンディング対応シューズがいまいち合わないので、ディアドラの一つ小さいサイズのを買うことにした。サガミで探したけれど、気に入ったものが無かったのだ。
 考えてみれば、今年はまだ自転車を買ってないのだな。BikeE、今年後半にPocketRocketくらいで済むかな(しかし病気の虫が動き出さないとも限らない)。

2002年04月14日(日曜日)

サガミ~ダイクマと買い物

20時00分 自転車 天気:晴れ

 昨日の真鶴サイクリングで心地よく疲労したせいか、またしても20:00頃に寝入り、真夜中に起き出すパターンにはまる。風呂に入ったりしてぐずぐずした後、明け方にまた寝入り、昼過ぎまで寝る。
 起きて、昼食を取った後で、いよいよモニタの入れ替えに着手する。E66Tも、届いた代替機も30kgを越える重量だ。ぎっくり腰になりそう。
 苦労しながら入れ替え、E66Tの発送の手配をする。これ、サイズ的には宅急便の扱いサイズを越えてしまっているのだ。クロネコと相談し(といっても近所を物欲しげにうろついている黒の野良猫と話し合ったわけではない)、来週の日曜日に発送ということにした。通常の貨物の場合、午後からしか受け付けてもらえないらしい。
 代替モニタは、サイズが21インチと少し大きく、細かい文字が読みやすいのに気づいた。E66Tは、4年も使ってきたので、いい加減劣化が進んでいるのかもしれない。
 とりあえず手配を終えて、買い物に出かけた。サガミで、いくつか値段を見てみたいものがある。
 MobillyたんにTOPEAKのクイック式キャリア、それに装着できるかごを着け、かまくらみちを北に向かった。Mobillyたんでも10km/hそこそこでのんびり走ってゆけば、交通量が多くても怖くない......ってこともないなあ。歩道が無い区間で、車に追い越されるとかなり怖い。しかし、行程的にはさほどきつくはない。しかし、キャリアが左方向にずれるのには参った。これ、いっそのことクランプピンに変えた方がいいかも。
 サガミ3に到着し、駐車場にMobillyたんを停めた。バリバリに気合の入ったロードバイクとMTBに挟まれて、かご付のMobillyたんがちょこんと停まっている様は笑える。
 サガミ3の階段に飾ってあるBikeE ATを観察する。うーん、これ、2001年モデルかそれ以前のもののようだ。あちこちにほこりが溜まっている。価格的には149000円と安めではある。なんといっても近場のサガミで買えるのがいい。オプションは他で入手するとして、本体はやはりここで入手に決まりか。
 Mobillyたんを置いたまま本店に向かう。実は、サイクリング用の靴をロード系とそれ以外に分けたかったので、SPD-Rなペダルと靴を見繕いに来たのだ。分けたいというのは、ロード系(TCR-2、MR-4F)とそれ以外(HardRock号、BD-1)とではBB幅が違い、ペダルの位置もその分違うはずだ。従ってクリート位置も変えなければならないはずで、それならいっそのこと靴を分けちゃえ、さらにはペダルも変えちゃえ、と思ったわけだ。もっとも、それは言い訳で、単にSPD以外のペダルを試してみたいだけなのだが。それならLOOKやTIMEなんかがあるけれど、これらに対応したクリートをつけた状態では、もはや歩くことが困難になる。まだ歩行に耐えられそうなSPD-Rにしようと思ったのだ。
 靴とペダルを見て回った。靴の方は気に入ったものがない。一方、UltegraグレードのSPD-Rペダルは、あさひ通販の方が安そうだ。結局、小さなU字ロックと、ポラール心拍計のバイクマウントを買って店を出た。
 そこから裏道を探して住宅街を右往左往した挙句、境川沿いに出て、上飯田団地付近まで走った。飛ばす必要が無いので、もしかしたら他のスポーツ車より楽かもしれない。時間的にもたかが10km程度なので、そんなに差は出ないし。
 ダイクマに寄る。昨日、非常に便利だった、280円の小型バックミラーを仕入れた。MR-4Fにも着けるつもり。さらに電動ドリルも仕入れた。リョービの電源コード式のもので、充電式と同じトルクまで出せるが、価格は圧倒的に安いというものがあったのだ。そう滅多に使う機会も無いだろうから、これ位のでいいだろうと思う。さらにタップ・ダイスセットがお安くあったので、仕入れる。後は万力と材料があれば、Mobillyたんへのデュアルキャリパーブレーキ取り付け工作が実行できそうだ。買った物は全てかごに放り込んでおいた。便利だ。しかし、油断するとウィリーしそうなくらいリアが重くなる。
 口が寂しかったので、ダイクマ入り口の出店でフランクフルトを買い食いし、立場へと戻っていった。
 立場駅前のヨークマートで、さらに諸々の買物をした結果、かごからあふれそうな状態になる(笑)。ここまで来るとハンドリングがクイックになりすぎ、さらにリアが重過ぎるので、操縦には気を使う。なんとか帰宅。
 かごを外し、はかりに掛けてみたら、なんと10kg超に達していた。Mobillyたんは9kg程度だ......。もしかして、こいつは一番実用的な自転車かもしれない。

2002年04月13日(土曜日)

再び真鶴に

22時00分 自転車 天気:雨の予報が、晴れ!

 昨夜は帰宅してすぐ寝込み、夜中に起き出すというパターンだった。これ、睡眠時間を取れても、体はなぜか回復してくれないんだな。そんなわけで、また朝方寝入ったりしながら、今日はサガミに行ってくるかなどと考えていた9:00過ぎのことだった。ふと、インターネットの天気予報を見たのだ。昨日までは午後から雨の予報だった。ところが、なんと午後にも晴れの予報になっているではないか! こういうのを不意討ちというのだ。
 急遽、予定を変更し(というか本来の予定に沿って)、真鶴再訪を決意した。
 吉野家で飯を済ませ、11:00に家を出、自転車で戸塚まで突っ走る。今日の相棒はBD-1だ。
 今日は新兵器をいくつか持って行くことにした。まずはダイクマで買った小さなバックミラー。バーエンドにねじ込むタイプで、小さいのでバーエンドグリップを握っても邪魔にならない。像はゆがむがちゃんと後ろの確認ができる。これで300円くらいだった。
 もう一つ、これは前に買ってあったTwoFishのベルクロ止め式ボトルケージ。BD-1に着けるのは初めてのはず。トップチューブに着けると、ボトルの重みでずれるかと思ったのだが、そういうことはなかった。
 最後はヤバイクスリ、3Action。これがどれくらい効くか、今日こそ試してみようと思う。
 戸塚から東海道線で小田原に。ところが、乗った列車が平塚で人身事故を起こし(飛び込みか?)、40分ほども到着が遅れてしまう。迷惑な話だ。
 小田原駅東口を出て、BD-1を展開し、早川に向けて走り出した。
 国道1号線を早川口で曲がり、早川のランプ近辺に。この辺り、自転車ではどう走れば正解なのか、いまだに分からない。ランプへの手前で「ここから自転車と歩行者は道路右を進め」という看板を見て気づくのだが、その時点では道路右に出る正式の手段がないのだ。どこの誰がこんなこんなことをしたのかわからないが(たぶん、自転車や歩行者のことなど全く考えてないが、法規上の必要性だけからこのような看板を掲示したのだろう)。やむなく、クルマの間を走って抜けて、反対側に出るしかない。
 やがて、真鶴道路に出た。ここからは快調に走って行く。多少のアップダウンはあるが、それほどには厳しくない。それでも、長い上りでは息が切れる。BD-1でもMR-4Fとさほど変わりなく走って行ける。それは、MR-4Fの時には完全自走だったからだろう。
 何度かの休憩を挟み、やがて真鶴隧道に到達した。正確には新島トンネルというのか? ここを越えると、眼下に岩漁港、その先に真鶴半島が見える。真鶴半島は、本当に小さくてかわいらしい姿だ。ちなみに、トンネルを越えた民家の門の前にBD-1を置いたのだが、めったやたらと犬に吠えられた。赤い部分に反応しているのか?
 ここからは下り基調で(と思ったらいきなり上りもあるのだが)真鶴駅にあっと言う間に到着した。小田原駅から、だいたい1時間程度だった。
 ここで、テラス・ティキというレストランを探す。Lycosの情報では、磯崎の方にあるということだったのだが......。そんな洒落たものがある気配はない。本当の漁港だ。帰って調べると、他の情報では全然別の場所にあることが判明した。よく調べておけばよかった。
 真鶴半島を、例の凄いヘアピンと上りに苦しめられつつ、ケープパレスに到着する。ここ、自転車はどこに置けばいいのか。
 岬の突端まで歩く間、鮮やかな緑と咲き乱れる花を楽しむ。いいなあ、前回、真冬に来たときは全然ピンと来なかったけど、春の真鶴はいい。
 突端ソフトクリームを食す。うん、ただのソフトクリームだ(爆)。春の陽気に誘われて、たくさんの観光客がそぞろ歩いている。
 ケープパレスに寄り、お土産を仕入れる。きび餅と抹茶福餅とかいうもの。どっちも本当に真鶴土産なのか疑問だ。
 さて、時刻は16:00前だ。湯ヶ原まで走り、そこから輪行で帰ろう。その前に。3Actionを試してみよう。そろそろ膝が痛くなってきてたのだ。ボトルに水を入れ、よく振って、1/3程度飲む。うぐ、甘いっす。チェイサーに水必須(笑)。10分ほど休み、走り出す。うぉ、効きます、効いてます。足が異様に回る。上りでもガンガン漕げます。体は疲労しているので、そのギャップでおかしくなりそうだ(笑)。効果ありだな。
 3Action効果もあり、真鶴駅までは順調に走って行けた。3Actionを適時飲みながら、さらに湯ヶ原まで走る。風が強く、ハンドリングが乱されるほどだ。下りでは緊張する。クラウチングスタイルで風を避けながら、湯ヶ原まで下っていった。
 湯ヶ原駅着は16:30くらいだった。ここでBD-1を輪行状態にする。今日もよく走ってくれた。ご苦労様。
 この辺で、妙な頭痛を感じた。3Actionの効果は30分ほど継続するが、その後は前以上に疲労する感じがする。これを繰り返すと、消耗しすぎて頭痛を感じるのかもしれない。しかし、10分ほど座り込んでいたら、かなりよくなった。
 小田急線に乗り込み、買ってあったビールとおにぎりで一杯。プハー、ウマー! これがあるから輪行ツーリングはやめられないのだ。
 今日の走行距離は30km程度。事故もなく、楽しめてよかった。

2002年04月10日(水曜日)

BikeEを買おう

22時00分 自転車

 前から興味ありありだったリカンベント。Sat'R'Dayを買おうとかドイツ製のフルサスの奴をとか威勢のいい事をほざいていたが、最近の円安を考えるととても手が出ないではないか。やっぱ稼ぎが乏しいからなあ。
 そんな時、思いがけない身近でリカンベントに出会った。いや、アパートの隣室にリカンベントが住んでたとか、道を歩いていたらおなかを空かせたリカンベントを拾ってしまったとかではない。あのサガミが、実はリカンベントも扱っていたのだ。
 置いてあったのは3号店。あそこはMTB&色物という扱いらしく、スクーター風バイクとか変な代物も結構置いてある。その店舗への階段に、BikeE ATが飾ってあったのだ。それに気づいて以来、リカンベント購入は現実味を帯びてきた。要するに新たなる物欲衝動が盛り上がり始めたのだっ。
 BikeEはかなりの荷物を積んで、しかも安定して走れるという意味では、極めて実用的な自転車らしい。手許にあるのがほとんどスポーツ車ばかりで、MTBで出動しても荷物は背中に背負うばかり。かご付ママチャリでも買おうかと考えていたほどだった。しかし、バイキーなら自転車さえ運べるほどなので(笑)、買い物には最強だ。
 問題はサガミで買って、いきなり乗って帰られるか。まあ、あの辺は裏道がたくさんあるので、幹線を走らなくても大丈夫そうだ。うーん、買うに当たっての障害が無い!
 それでも、ボーナスまで待つつもりだ。なんらかの抑制が無ければ、物欲もただの浪費欲に過ぎないのだ。我慢するほど気持ちいいのだ(ほんとかよ)。

2002年04月07日(日曜日)

舞岡公園~ウィトリッヒの森訪問

22時00分 自転車 天気:くもり気味

 寝入ったのは遅かったのだが、4時間もしないうちに目がさめた。昼まで眠るつもりだったのだが、なぜか目が冴えて眠れない。外を見るともう雨は上がって、道路も乾き始めている。三浦半島を強行するかという考えも過ぎったが、眠気がそれを打ち消す。眠いのに眠れない、つらい状態だ。
 昼頃まで布団の中でうだうだしていたが、昼過ぎに再びHardrock号で走り出した。今日は舞岡公園を再訪し、さらにウィトリッヒの森という小自然公園を訪問しようと考えた。
 立場から中田まで裏道を走り、踊場の丘を越えて戸塚に出る。戸塚の西友辺りの細い歩道を抜けようと、MTBを押して歩いていたとき、なにかがカランと落ちた。なんと、HL-500IIの裏蓋が、またしても落ちていた。これ、中に電池を入れてテンションをかけてないと、すぐに外れてしまう。構造的な欠陥だ。テープで止めてしまおう。とりあえず、サドルバッグに入れておいた。また落ちてなくしたらかなわない。
 戸塚まで出て、開かずの踏切を渡り、ユニー方面に向かうと、舞岡へと続くヤな感じの坂がある。去年、ここを走ったときは死ぬかと思ったものだ。シッティング、ダンシングを切り替えながら、黙々と上ってゆく。去年のときより断然楽だ。それでも、ジモティーにはママチャリで抜かれたりするがな(爆)。
 坂を越え、気持ちの良く坂を下ると、やがて舞岡駅に到着する。ここで右に曲がり、しばらく突っ走ってゆくと、やがて舞岡公園の入り口に到達した。東屋とトイレ、スピーカーが立っている。自転車でも入れこめそうだったが、念のために偵察することにした。ボトルをポケットにねじ込み、道を登ってゆく。
 木の段を越えると、広々とした空間に出た。特に何があるわけでもない。風が心地よい。空が青い。降り注ぐ陽光が暖かい。
 広場の上に東屋とベンチがあり、お昼を楽しもうという人たちがいた。さらに上ってゆくと、木の杭で切り取られた道に出る。ここはMTBでなら走れそうだが、雨の直後だし人出も多いということで断念。というか、公園内を自転車で走るのはやはりまずかろう。
 MTBまで戻り、舞岡公園沿いに南下していった。やがてまたしても嫌になるような坂にぶち当たる。ここはどこだ? ここでau登場。EZナビで現在地を取得する。これ、EZアプリのロードに時間が掛かるのが難なのだが、実はロード状態のまま閉じれば、次にすぐに測定には入れると判明。1分くらいでその場の地図まで出せる。これは便利。しかし、地図があまりに高縮尺なので、かえって現在地をつかみにくい恨みがある。これは、紙の地図と組み合わせることで解決できそうだ。このサービスは、文字通りウォークナビ向けだと考えて良さそうだ。地図の縮尺は、歩くために最適なものだからだ。
 坂をやはりダンシングとシッティングを切り替えながら、エイコラ越えてゆく。さすがに一休みを挟み、超えると、すぐ近くにバス停、少し先に公園のメインゲートが見える。立派な駐車場つき。
 管理棟の近くにある案内板で現在地を確認していたら、駐車場の管理人が「ここは自転車進入禁止ですよ」と教えてくれた。位置を知りたいというと、わざわざ事務所まで戻って簡単なマップをくれた。駐輪場も近くにあるという。礼を言い、その場を辞す。
 公園から南下すると市道環状3号線にぶち当たるはずだ。急な坂を下り(上った分だけ下るのは当然だ)、広そうな道を下ってゆくと、高架の下をくぐった。ここが環状3号? またEZナビの世話になると、そういうことらしい。しかし環状3号線は、はるか頭上だ。またあそこまで登るのか......。完全に鬱になりながら、適当な坂道から環状3号まで登っていった。段々体がなれてきたのか、案外楽に登りきれる。
 環状3号は道幅が非常に広く、とても走りやすい道だった。が、工事中の場所も多い。~地図上、西の突き当りまで走ればいいはずだが、「ここが突き当たりか」という場所から北に折れて進むと、あるべき道がない。またEZナビで位置を確認し、地図とつき合わせながらルートを探っていった。EZナビの地図と、紙のそれとで、細かい違いがあるのに閉口した。混乱に輪が掛かる。
 高層住宅が立ち並ぶ丘にまで出て、ここから西に行けば1号線に出られるというところまで来た。が、地図上、それらしい道がない。嫌になってきたので、南下して原宿六浦線を原宿まで走り、そこで1号線に出るルートに変更した。
 相変わらずEZナビの世話になりながらも、位置的には確実に目的地、ウィトリッヒの森に近づいてゆく。しかし坂が多いこと多いこと。体の節々が痛んでくるが、真鶴のときのように踏めなくなるというほどではない。
 原宿に至り、少し先の細い道に入り、進んでゆくと、こんもりした木立の前に「ウィトリッヒの森」という看板が見えた。着いた! 疲れたなあ......。
 この洒落た名前が付けられた小公園は、その名のとおりウィトリッヒ(故人)というスイス出身の方が所有していた土地だ。その没後、夫人(こちらも故人)が横浜市に寄付し、そこを整備したのがこの小さな自然公園だ。小さな自然公園と回りくどい言い方をしたが、まさに小自然公園という在りようだ。数ヘクタール程度の土地は基本的に全く人手が入っていない。故郷の山で見られたごく当たり前の雑木林という景観だ。日があるにもかかわらず孟宗竹の、楢やブナの林は鬱蒼として、日陰を形作っている。
 看板が掛かった場所からMTBでゆっくり降りてゆくと、入り口付近にトイレ、ずっと下って小広場と東屋がある。R1が近いにもかかわらず、その騒音は遠くに聞こえるだけだ。広場にMTBを止め、空を見上げると、くもりがちの空がぽっかり広がっている。
 他に訪れる人は少ない。どうも地元の人々の散歩道らしく、林に続く曲がりくねった道に入ってゆく姿を見かける程度だ。
 ボトルをポケットにねじ込み、その道に歩み入った。落ち葉がうずたかく積もり、それを掻き分けるようにして歩く。歩道そのものは手すりも、急傾斜での滑り止めの板も良く整備されている。
 東屋に戻って一服していると、壁に由来を記した銘版が貼られていた。この東屋、ウィトリッヒ夫妻が暮らしていた住居のフランス瓦を使用したものだという。銘版には心無いいたずら書きがされていた。ドキュンか、近所の小中学生だろう。後者ならあまり責める気になれない。僕だって同じようなことをしていた気がするから(爆)。どの道、冥界へと去った夫妻の眠りを乱すものではあるまい。
 遠くのチャイムが17:00を知らせたので、そろそろ帰ることに。出入り口までMTBで駆け戻り、さらに西に進むと、物凄い下り坂を経て川岸に出た。宇田川だ。少し進むと境川との合流地点に出た。ここからはいつものサイクリングロードを走るだけだ。
 途中、飯田牧場に寄る。今日は新顔のキャラメルを試した。これ、甘くておいしい(特に運動の後は)のだけど、買った側から解け始め、しずくが垂れるのには閉口した。
 飯田牧場から高鎌橋まで戻り、上飯田団地を経て帰宅した。
 今日の走行距離は30kmだが、その倍は走ったような疲れ方だった。

2002年04月06日(土曜日)

泉の森公園訪問

22時00分 自転車 天気:くもり気味のち雨気味

 今日こそ三浦半島再訪をと考えていたのだが、目覚めるともう昼。また寝過ごしたか。平日と違って緊張感がないために、寝過ごしやすいのかもしれない。
 仕方なく予定変更。三浦半島は明日に回し、今日は近場で気になっていた場所を訪問することにした。
 引地川を遡ってゆくと、厚木基地の北で源流地帯に到達できる。ここが泉の森公園だ。わりと近場にあり、前から行こうと思っていた。あまつさえ、引地川の遡行も試みたことがあったのだが、そのときは天候が悪化したため打ち切りになった。今日は泉の森に直接向かうことにした。
 Hardrock号を駆って、R467号線沿いに出る。まずはCoCo壱番屋で腹ごしらえだ。そこから北上する目論見だったのだが、少し行くと歩道の無い、2車線の細い車道になった。交通量が少なくなく、ここを行くのは危険そうだ。境川沿いに北上することにした。境川まで出て、東名との交差まで出た。ここでサイクリングロードを外れ、東名をまたいだ北にある道に出て、今度は西に。少し太い道に行き当たり、そこを北上すると、幅の広い立派な道に出た。R246だ。車道も歩道も広く、走りやすい。ただ、交通量がかなり多い。
 R246沿いに走ってゆくと、『これが泉の森か!』という感じの森が見えてくる。が、それは間違い。さらにさらに走ってゆき、小田急江ノ島線の線路を越え、大きな森が見えてきたところで、やっと『泉の森』の字を目に出来た。
 入り込んだ場所はキャンプ場らしい。デイキャンプを楽しんだ人々が、そろそろ帰り始める時刻だった。MTBを置いて、道をてくてく歩いてゆくと、大和市内にあった古民家を移築した資料室があった。記帳して、入り込む。夕刻ということもあるのか、他に訪問者は居ない。
 民家は二棟。一軒は江戸時代中期の、もう一軒は末期の建造だという。広い土間、板敷き、畳敷きの部屋という構成は変わらないが、末期のものは大黒柱の発生など構造的に進み、より広い部屋を確保しているという。広さはその辺の一戸建てと変わらないのだが、なぜか広々とした感じがする。家財道具が無いというせいもあるのだろうが、広い空間を演出して見せるという点で、実は現代建築よりも進んだ点があったのではないだろうか。
 土間からの上がり口に腰掛け、暗い土間のほうを眺めていると、その隅の方になにかが居てもおかしくないような気がした。こういう家に住んでいた頃、人々はみな妖怪変化の存在を実感していたのだろう。
 資料室を出て、MTBで別の公園入り口に向かう。しばし探しつつ走ると、やがて駐輪場が見えてきた。たんなる空き地なのだが。そこにMTBを置き(安いMTBだと割と平気でいられる。高い自転車だと気になっておいて行けないかも)、道に沿って歩くと、自然観察棟が見えてきた。この公園で見られる野鳥などの情報、様々な生き物の情報が展示されている。トイレと自販機があるので、トイレを済ませ、パックのコーヒーで一服する。
 2Fに上がると、図書室と各種団体の会議室、展示場がある。図書室では老夫婦が何事か調べ物をしていた。展示場では地元の自然保護団体(なのかな?)による展示がされていた。大和市内にある自然の情報などをまとめたものだ。その中に活動状況を報告するための写真展示もあった。それを眺めていてびっくり。参加している女子高生が、しっかりパンチラ(というかパンモロ)している(爆)。気づかんかったのかね。
 調整池の北にかかっている橋の上から、川原で遊ぶ人々をしばし眺め、夕闇が迫ってきたので帰途についた。今度、もっと早い時間に来ようと思う。
 帰路、ダイクマに寄って、ベルトにつけられるポーチを買った。夏になるとバイカーズパンツでは暑かろう。チノパンでも携帯電話、Palm、財布、その他を持ち歩くには便利そうだ。
 帰って、最後になったMobillyたんの整備を実施した。シングルギアなので簡単といいたいが、逆にギアの清掃が難しい。そうだ、デュアルキャリパーなブレーキに換装しなければ。そのためには、適当な電気ドリルを買う必要がある。ダイクマに充電式の安価なのがあったなあ。
 真夜中になって、とうとう雨が降り始めた。明日の三浦半島は無さそうだと判断し、散々夜更かしして明け方に寝入った。

2002年04月05日(金曜日)

さらに自転車整備

22時00分 自転車

 ちょっと間が開いたが、残った自転車の整備をした。今日はTCR-2とMR-4F。実はこの2台、スタンドをつけてないのだ。ディスプレイスタンドで固定して、チェーンの清掃、フレームなどのワックスがけ、チェーンルブの添付と手際よく片付けた。さすがに慣れたものだ。
 TCR-2の変速時、やや違和感があったので、こちらもついでに調整する。ロー側は問題ないのだが、トップ側の何段かで、変速したりしなかったりという現象が発生している。トップに入れてギア位置を調節し、さらに一段下げてワイヤのテンションを調整する。これで改善された。BD-1の方もやや不調を感じていたので、ついでに調整しようとしたが、試しにギアチェンジしてみても不調は見当たらない。負荷をかけたときにしか出ないのか、思い過ごしだったのか?
 なんにせよ、だんだん難しい調整に手が出るようになってきた。

2002年04月04日(木曜日)

風強し

22時00分 自転車 天気:晴れ

 今日は夜になって強風が出てきた。風が窓を叩き、少し開けておいた隙間を通って、部屋の中を吹き抜けてゆく。体感温度は、昨日より数度下がった感じだ。窓は閉めておいた。
 さて、ADSLを引いて、ウェブ閲覧時に大きな画像を表示させても苦にならなくなった。ISDN時代にもあまり気に「しなかった」が、今は気に「ならない」という感じ。
 それで、バイクフライデーのカタログを眺めていた。最近出たPocketGnuという機種が気になる。折りたたみMTBという感じで、前サス、シートポストサスが着き、太目のタイヤを履いている。フレームはPocketRocketなどで定評あるH型フレームだ。この世のどこにでも持っていけて、どこでも走れそうな自転車だ。いいよなあ、これ。Sat'R'DayとかPocketRocketよりも、これを先に買おうかと思う今日この頃。夏ごろにはまたころっと意見が変わってたりしてな。

2002年04月03日(水曜日)

懐かしのしらゆり公園に

20時00分 自転車 天気:とてもよい

 夜、帰宅して一息ついてから、TCR-2でしらゆり公園に出かけた。ここ、去年BD-1を買った直後にはよく出かけていたが、その後は足が遠のいていた。実は昨日もBD-1で昇ってきたのだが、今日はロードバイクで試してみることにしたのだ。
 公園に続く最後の坂道は、去年の段階ではかなりつらかった。登りきると、もう足を回せなくくらいだった。しかし、昨日BD-1で登ったときにも感じたことだが、今ははるかに楽に上りきることが出来る。自転車用の筋肉が鍛えられてきたというのもあるのだろうが、クランクの回し方とか体重移動とかいったスキルが向上してきたのも大きいのだろう。BD-1の場合、アセラ8段からXTに換え、さらにチェーンホイールを52T化したというのも大きい。これでオリジナルに比べ、ギア比がかなりクロスになってくる。
 TCR-2ではさすがにBD-1よりさらに楽に登れる。ベターっと踏むだけでもするする進んでくれる軽さも影響しているのだろう。
 しらゆり公園でターンし、今度は坂を下ってゆく。BD-1はHL-500II(2.5W)だが、TCR-2はHL-NC260(12W)。前方の視認性が全然違う。もう少し電池がもってくれればいいのだが......。
 後はいつのも運動公園周回コースを10周ほど。ちょっと負荷が低すぎたのか、あまり汗をかかない。時間があれば、20kmくらいがちょうど良いかもしれない。

2002年04月01日(月曜日)

自転車を大掃除

22時00分 自転車

 多摩川激走以来、汚れっぱなしだったBD-1をきれいにした。駆動系の調整はやらなかったので、きれいにしたという表現が妥当だろう。
 BD-1の前に、最近もっぱら乗っているハードロック号をきれいにする。ディグリーザーをチェーンに吹き付け、中性洗剤を溶かした水をチェーンクリーナー(ブラシをいくつか組み合わせてチェーンから汚れをこそぎ落とすもの)に補充しつつ、チェーンを洗う。それほど手を汚さずにチェーンを洗えるので便利だ。さらに各部をウェスで清め、ギアも出来るだけきれいにして、ワックスをかけておいた。BD-1も同様にした後で、そろそろ乾いてきたチェーンにレースデイを塗布しておく。ワックス分がすぐに詰まるので、結構塗りにくいのだ。これを使い切ったら、WAKOSのシリコンオイルを試してみようと思う。
 仕上がった2台はピカピカになったぜ。......所々の隅はきれいに出来なかったけどな。そこはブラシかなんかでなんとかしようと思う。