Strange Days

2002年09月29日(日曜日)

第1回南会津サイクルトレイン二日目

00時00分 自転車 天気:朝からハラハラ、雨のちくもり

また雨か、と思いきや


 夢も見ないでぐっすり眠った(実際には見たのだろうが、忘れた)。真夜中、ふと目覚めた事があったが、近くの国道から時たま車が走る音がするだけで、静かなものだった。また、すぐに眠り込む。
 明け方、またふと目を覚ます。
 雨がふっとるやんけ。
 かなり激しく降っている。これはいったい、どうしたことなのじゃ!(日本昔話風に読め) 昨日の雨を吹き飛ばした魔力も、とうとう失せてしまったのか。考えていても仕方ないので、起床予定時刻までまた眠り込んだ。
 6:00頃に起きた。まだ窓の外では雨がけぶっている。「かなり激しく降っていた」と高橋氏。窓から見える、別の建物の屋根が濡れて光っている。これは、本格的雨中走行になりそう。なんとなく諦めムード。
 7:00から朝食。美味しいパンにサラダ、スクランブルエッグ、果物のヨーグルトがけ、ベーコン。このベーコン、都会のスーパーで売っているような腑抜けた代物ではなく、ちゃんと肉の味がするもの。さすがに燻しモノには強い宿である。
 朝食が終わる頃には、雨脚が弱まってきた。他の建物の屋根を観察すると、光の反射が鈍くなってきている。もう、パラパラという程度だった。出発時刻が近づき、別の棟に保管してあった各自の自転車を出し、別の宿に泊まっていた参加者たちを待つ。雨は上がっていた。しかし、この先はかなりの下りなので、寒くなるだろうと警告を受けた。雨具を着込んでゆくことにした。
 宿近くの道はぬかるんでいる。別宿に泊まっていたにち氏らが合流。引率の和田氏が出発を告げ、木林森を後にした。いい感じの宿でした。
 短い未舗装路を下り、再び舗装路に出た。太い車道との合流点でさらに別の宿に泊まっていた参加者を待ち、全員で下り始めた。

養鱒公園へ


 昨日、登ってきた道を、出発地の田島駅まで下ってゆく。走りながら、いつの間に青空すら見え始めた空と、延々と続く田園風景を堪能する。
 走りながら、尿意に悩まされ始めていた。いちおう、出発前に宿で済ませてきたのだが、昨日のビール攻勢がちょっと効いたらしい。まあ、田島駅まで走ればいいかと考え、先行集団を追って走っていった。
 田島駅への道は、ちょっと複雑だ。途中、おやっ、という場所もあったが、なんとか迷うことなく田島駅に到着。ここで後続を待つのかな、と思ったら、そのまま通過してゆくではないか。ちょうど、僕がこの集団の最後尾で、後には誰も見えない。このポジションは、一番のんびり走れるので、性には合っているようだ。それでも、遅い人をパスしていたら、いつの間にか真ん中に入り込んでいた。
 田園風景の真ん中で一休み。尿意を抑えながら(爆)、目を蕎麦畑に向け、黒く実った実を物珍しそうに眺める。流れる時間がのどかだ。登りが続くのと、天候が回復したのとで、雨具を脱いでおいた。
 後続はほとんど来ない。スタッフが電話で連絡を取ると、どうやら大量に道を間違った参加者が出た模様。おの氏やにち氏、気のいいおばさん集団などが含まれている。それは別途追い着かせることにして、今日の目的地、観音沼に向かうことになった。
 ここからはアップダウンを繰り返しながら、徐々に高度を稼いでゆく。先行する集団はだいたい決まってきて、僕はその後ぐらいを着いて走った。坂道ではペースをつかめ、一気に駆け上ってゆく。うむ、なかなか爽快なり。
 やがて、中間地点の養鱒公園に到着。その名の通り、鱒を養殖して、釣堀にしている場所だ。「ようそんこうえん」とでも読むのか。トイレに駆け込み、一息つく。
 ここでSHIG氏のトライクに試乗させていただく。地面すれすれをシューっと滑るように走るのは快感。ああ、やヴぁいなあ、欲しくなっちゃう。アパートの惨状を思い出して、ようやく気を取り直した俺様だった。
 迷子中の後続集団に関して、なにか結論が出されたようだ。ここにいる先行集団だけで、再び走り出した。和田氏が行程の説明をした後、再び先頭に立って(いや自転車は座って、か)走り出した。

観音沼へ


 中間地点の南小学校まで、田島近辺で見たような稲田の中を登ってゆく。日本はええ国じゃのう、と東風風に思う僕だった。
 やがて、奇妙な設備に囲まれた十字路に到達し、そこでいったん停止した。奇妙な設備というのは、道の片側に、金属製のフレーム状のものが、延々と立ちはだかっているのである。それを横目に、南小学校まで、さらに移動する。この設備、冬の雪避けに使うものらしい。高橋氏の話では、谷の下から吹き上げてくる風に乗ってくる雪で、道が埋まってしまわないようにという設備らしい。風向きを読んで、そこから道を守るようにして立てられている。
 南小学校前の道は、田畑が連なる谷の、かなり小高い位置にあった。ここからは、刈り入れ寸前の稲田が、ずっと下の方まで連なっているのが見える。その光景の美しい事ったら。まさに黄金の海だ。稲田は、見上げるものではなく、見下ろす方が楽しいと思った。
 南小学校を発ち、さらに登ってゆく。道はやや悪くなったが、ずっと全舗装路だ。200mほど上がるはずだが、勾配は緩いままで、楽々登ってゆける。たぶん、後で取り返されるんだろうな、などと疑心暗鬼になりつつ走っていると、見慣れた黄色いSat'R'Dayが......。いつの間にか、迷子組が先行していたのだ。なんでも、田島駅近くで道を誤ったことに気づいたので、その後の行程をかなりショートカットしたのだとか。
 その集団を少しずつ抜きながら登ってゆく。田原氏、にち氏をパスした辺りで、やっぱり来ました、急坂。おー、結構来るなあと思いつつ、高度をどんどん上げてゆく。高度計機能付の時計のおかげで、どれくらい登ったかがわかりやすかった。
 やがて、少し下り始めたところで、観音沼に到着。ここで昼食になると説明される。沼のほとりまで進み、昼食の配給場所にたどり着く。沼は結構広い。ボート遊びが出来そうだ。が、水中植物が多いので、オールに絡みそうだ。
 にち氏と適当にベンチに座り、おの氏らがやってくるのを待ちながら、適当にトイレを使ったりした。やがて全員が揃ったようで、昼食の仕出し弁当が配られた。熱々の缶のお茶の他、ペットボトルのお茶も配られた。登りでボトルの水も使い切っただろうという、自転車イベントならではの心配りだ。
 昼食後、沼のほとりに下りてみた。昼食場所からは分からなかった、観音沼の広さが良く分かった。ここで昼食にすれば良かった、などと考えても後の祭りだが。後一月も経てば、紅葉が見事だろう、などと話した。
 観音沼を発つ前に、沼を背景に写真撮影会だ。サイスポ誌に掲載されるようだ。

トロッコ電車でゴーゴー


 観音沼からは、再び蕎麦畑の真ん中(といっても畑に突入したわけではないが)を突っ走り、やがて川沿いの道に出た。川は遥か下に見えている。なんというか、趣深いなあ。いい感じでアップダウンをこなしてゆく。
 本来なら"塔のへつり"という景勝地を経由するはずだったが、時間的に押していたので、湯野上温泉駅に直行した。しかし途中、川の上に高々と架かる鉄橋から、塔のへつりの一部を垣間見た。侵食の進んだ川べりの奇岩地帯が、青々とした深い水の色ともども見ものだった。ここは、次回、是非に。
 この湯野上温泉駅で、歴史散策コースと合流。サリーナ女史らともここで再会した。
 ここからは、もう走ることはない。自転車を駅の側に並べた。『近くの温泉に入れます』とのこと。にち氏、おの氏、田原氏と、近くの温泉宿に向かった。
 そこは単なる旅館だが、500円払えば入浴できる。帳場近くにいたおばさんに尋ねると、奥の風呂場を案内された。ここは本当に単なる風呂場という感じで、洗い場は3人で一杯になってしまう。湯船は少し余裕があるので、浸かって待っていた。ほどなく、洗い場が空いたので、ざっと汗を流しておいた。
 入るとき、おばさんにお茶もどうぞと言われていたのを思い出し、大広間に入って少しくつろいだ。おばさんに金を払いたいが、見当たらない。いいのか? なんというか、のんきな雰囲気だ。そろそろ集合時間という頃に、やっと奥からおばさんを呼び出し、500円なりを払って外に出た。すると、
 雨だった。
「結構強く降ってる」とにち氏。確かに、かなり濡れそうな感じだ。仕方ない。駅まで小走りに飛び出した。実は、背負っているバックパックには折り畳み傘が入っていたのだが、すっかり失念していた。役立てるチャンスだったのに。
 幸い、雨はあっという間に小降りになったので、ほとんど濡れずに済んだ。
 駅舎で少しくつろいでから、ホームに自転車を移動させた。会津鉄道が走らせているトロッコ列車に、特別車両を連結させて、そこに積み込むのだ。
 ほどなく、トロッコ列車が到着。一般客が乗っていた。ホームの異様な状況に、子供たちがはしゃぎたてている。しかし、こっちは手早く積み込まねばならないので、おおわらわである。自転車を積み終わり、人も乗り込むと、現地スタッフとはいよいよお別れである。お互いに千切れんばかりに手を振って、別れを惜しんだ。また来年もよろしく~(もう出る気になっている)。
 人員の方は、一般客の乗っている車両に相乗りすることになる。ドアのすぐ近くに車内販売コーナーがあり、とっぽい感じのお姉ちゃんが切り盛りしていた。これが目が回りそうなくらいに忙しそうだ。ほんと、見ている方が目を回しそうだ。ひっきりなしに乗客がなにがしかを買い求めに来る。子供が好きそうな駄菓子も売っているので、そういう小さなお客さんも多い。たまに客席まで出向くのは、子供が親のお使いで酒を買い求めに来る関係だろうか。さらにこのお姉ちゃん、観光アナウンスの役目も負っている。この数日間見た中では、もっとも働き者だった。思わず、心の中で声援を送ってしまうぞ(笑)。僕とにち氏は、早速ビールを買う。乾杯! 労働の後の一杯は堪えられない。
 列車は、しばし川筋と並走する。そして川に架かった鉄橋では、少し速度を落とし、あるいは完全に停車した。停車したのは塔のへつりの間近だった。凄い景観の真っ只中に、なぜか露天風呂がぽつんとあるのには笑った。入浴中の男性客がいたのにも笑った。かなり離れていたので、詳細は不明だが(笑)。
 列車はいくつかのトンネルを潜り、やがて会津田島駅に滑り込んだ。

旅の終わり


 会津田島駅での乗り換え時間は18分間。自転車がどんどん引き出され、持ち主の手によって帰りの便が発つホームに運び込まれてゆく。んで、僕のMR-4Fは......? どうしたことか、見当たらない。あまつさえ、トロッコ列車は、また出発してしまった(はからずも笑)。どこに行ったのだ、と白鯨を追い求めるエイハブ船長のように(意味不明)ホームを放浪していたら、ホームにぽつんと立てかけられているMR-4Fを発見。誰かが親切にも運んできてくれたようだ。
 列車に、出発時と同じように自転車を積み込んでゆく。慌しく各自の席に着き、ホッとする間もなく電車は出発した。さらば、南会津よ。
 帰りの電車では、なんとなく一人になりたくて、隠れ場を求めてしばしうろつく。自転車乗りには酒飲みが多い。そこここで宴会が繰り広げられていた。酒を飲みたい気分ではなかったので、どこか黄昏られる場所を探してうろついた。最終的に、自転車を固定してあるドアの間近に、隠れるようにして座り込んだ。ほとんど寝てすごす。夢うつつに、短い旅でめぐり合った、心に残る風景を思い返していた。
「弁当買えますよ」の声に、我に返る。顔を上げると、ちょうど駅で待ち合わせ中だったらしく、窓越しに駅弁売りから弁当を買っている様が目に入った。腹が減ってきた。立ち上がって、ちょうどおの氏のボックスの窓近くにいた駅弁売りに、山菜おこわを要求した。900円。うっ、小銭が800円しかない。しかも、札も万札しかない。とっさに、おの氏に100円を借り、無事に購入できた。今度、おの氏に会ったら100円返しておかなくちゃだわ。僕自身が忘れそうなので、僕とおの氏が同席しているのを目撃した方は、『100円』と教えてください。そうすれば思い出せるでしょう(他力本願もいいところだ)。
 そうやって一人で黄昏たり、にち氏のボックスに座り込んで話したりとしているうちに、列車はとうとう業平橋駅に戻ってきた。自転車を引き出し、ホームで簡単な解散式。スタッフの皆さん、お疲れ様でした。本当に楽しかった。
 この後、どうやって帰ろうと、にち氏と話した。僕は押上から帰るつもりだったが、にち氏と話しているうちに、東京駅まで自走してもいいと、考えが変わった。二人とも道順が分からないので、おの氏を待つことにした。おの氏がゆっくりと、最後の方に出てきた。おの氏は先導を快諾してくれたので、おの氏を先頭に走り出した。
 休日夜の東京は、案外に走りやすいものだった。広い、余裕のある車道を、東京駅まで突っ走った。東京駅でおの氏と別れ、東京駅から東海道線に乗って帰宅した。途中、横浜まで一緒だったにち氏と、「次回も出たいね。伊豆大島にも行きたい」などと話し合った。
 帰宅したのは10時過ぎだった。「今、帰ってきたよ」とつぶやいてみせるが、独り者の悲しさで、膝の上にエラノールがちょこんと乗ってくることもない。

2002年09月28日(土曜日)

第1回南会津サイクルトレイン1日目

00時00分 自転車 天気:奇跡だ、雨が上がった!(雨のちくもり)

やる気萎え萎えの朝


 昨夜から降り始めた雨は、朝になっても上がらない。3:00過ぎには早々と起床したものの、この雨には途方に暮れてしまう。今日から二日間、南会津サイクルトレインに参加するのだ。その間中、雨に降られるなんてことになったら......。かなり気が滅入ってくる。いっそ、行くのをやめちゃおうか。この雨では参加者は少ないだろう......。いやいや、2万円も払ったのだ。参加するよりあるまい。
 ようやく決心したが、どうやって駅まで行こうか思い悩んでしまう。もうBikeEで自走することはおろか、ロードバイクの輪行すらあきらめている。持ってゆくバイクは、MR-4Fに決定。だが、立場駅までどうやってゆくか。雨具を着込んで走るのも馬鹿らしい距離だし。結局、アパートで輪行体勢を整え、駅までは傘を差してゆくことにした。小さな折り畳み傘なら荷物にならないし、自転車に乗ってないときには何かと便利だ。
 アパートを5:30に出て、地下鉄で上大岡まで。ここで京急に乗り換える。京急は都電浅草線に乗り入れており、特急便だと楽に押上まで行けそうだ。押上から、今日の乗車地である東武鉄道の業平橋駅まではすぐだ。
 京急は、乗車口付近が広く空いているので、輪行では助かる。特急便で、ほとんど止まることなく都営線に乗り込んだ。都営線では地下鉄と同様、各駅停車になる。やがて押上に到着。改札口を出て、地下道を左に進むと業平橋駅になるのだが、いきなり改札口があるだけなので、集合地点に行くのに入場券の類が要りそうだ。それも馬鹿らしいので、右に向かって一度外に出ることにした。その地下道の出口付近で、輪行解除をしている女性たちを発見。
 僕は、業平橋駅までとぼとぼと歩いていった。少し雨が降っていたので、傘を差しながらの道行きだ。かなりの苦行。なんで自転車を担いで、雨の中を歩いてゆかなければならないのだ。不条理だが、せっかく輪行不要のサイクルトレインという企画に参加するのに、出発地までわざわざ輪行するという不条理の前には、まったく誤差の範囲内だ(本当か?)。
 業平橋駅に到着すると、改札脇の駐車場前で、怪しい動きをする一団が目に入った。慌しく輪行解除をする人々、そしてその間に立って、様子を見ているスタッフらしき人々。テーブルが広げられ、受付が開設されていたので、そこで名を告げる。封筒に入った名札、注意事項等が渡されたので、ひとまず受け取って、MR-4Fを展開し始めた。
 と、そこに見慣れた顔が。おのひろき氏登場。今日はSat'R'Dayで登場。ViewPointは持ち込めなかったらしい。僕はMR-4Fを受付の奥に移動させ、名札付けの作業を続けた。その間に、にち氏、加藤夫妻、SHIG氏、くろかー氏、サリーナ女史らが登場。参加者が雨をしのげるガード下に殺到したため、かなりの混雑になり始める。
 SHIG氏はGTO車のトライクで登場。これこそ、今回の企画にふさわしい参加"車"だ。そう簡単に輪行できそうに無いからな。BikeEで参加したのは田原氏。僕もBikeEで参加したかったが。京急の込み具合なら、BikeE輪行も難しくは無かったと、今になって思う。
 さて、集合時刻が来て、どうやらほとんどの参加者が受付を済ませた模様だ。スタッフから簡単に説明があり、各自乗車開始の運びとなる。ホームまで自転車を押して行くのだが、一箇所だけ階段があった点は改善して欲しいなと思った。短い距離だからなんてことは無いのだが。
 今回のツアーは4コースに分かれている。そのうち、僕が参加するのは、自然満喫コースだ。おの氏らも同じコースだ。
 自転車は、基本的には車両片側のボックス席を潰し、網棚を利用して吊り下げる形式だ。その他、大物や輪行車はドア近くの広いスペースに置かれる。リカンベント勢はもれなくドア近辺行き。加藤夫妻のスーパートレンクルも窓際行き。これは、吊り下げるには小さすぎるからだろう。僕は『リカンベントで参加』と申告しておいたせいか、やはりドア近辺のスペースが割り振られた。MR-4Fなら吊り下げ不可能ではないのだが。荷物を車中に置いて、いったん外に出ようというとき、スタッフの一人から声を掛けられた。やまみちアドベンチャーの主催者、丹羽氏だった。最近、やまみちアドベンチャーにメンバー登録したのだが、そのことを憶えていてくださったらしい。
 参加者の年齢層は、思ったより高い。30、40代がボリュームゾーンという感じか。60、70の方もいる模様。自転車で一番多いのは、セミスリックタイヤを履かせたMTBだ。次にクロスバイク、カジュアルバイク。意外にも純粋なロードレーサーは見当たらない。一台、年配のご婦人の持ち物があるだけだ。ツーリング車もチラホラ。
 車中、田原氏と隣り合わせ、概ね田原氏と話しながら、だんだん変わって行く外の景色を眺めていた。天気は相変わらず怪しい。雨は降ったりやんだりというところか。栃木辺りで主催者側による予定、決まりごとの説明があったが、窓の外がこんな状況だからか、参加者の反応はいまいち鈍い。僕も、これではどんな悲惨なツーリングになるのだろうかと、かなり陰鬱な気持ちに浸っていた。
 しかし、しかしである。

さあ、駒止湿原へ


 終点、会津田島に近づくにつれ、次第に天気は好転の兆しを見せ始めた。雨は途切れがちになり、空も少しずつ明るくなって行く。完全に雨が上がるという気配ではないが、とりあえず途切れがちになっている。これなら、問題なく走れるかも。
 やがて会津田島に到着。慌しく荷物を降ろし、駅前でいっせいに自転車に手を入れる。といっても、走行状態のまま載せてきたのだから、出走前のブレーキ点検程度で済む。さすが、サイクルトレイン。
 今回のツアーは、本邦初の都市、地方直結型サイクルトレインということだからか、取材陣がかなり多かった。サイスポ誌は記者を同行させたようだ。 また、新聞社、テレビ局の取材もあったようだ。
 荷物はサポートカーに載せておけば、走行中適宜取り出す機会がある。いっぽう、今夜の宿に直行する便もある。僕は、その説明を良く聞いてなかったため、全ての荷物を直行便に預けてしまった。すぐ気づいて、まあいいか、補給食類はウェストバッグに詰めてあるし、と思ったのだが、気が変わって雨具だけは身に着けておいた。時折、雨がぱらつく天気だからだ。
 のんびりコース、峠チャレンジコースが手前の駅で降りたため、ここからの出発は歴史散策コースと、我々自然満喫コースだ。散策組が先に出発し、我々は最後の出発となった。東京からの同行スタッフ、現地スタッフそれぞれの紹介と、注意事項の説明の後、いよいよスタートだ。
 各自、自転車にまたがり、一列になって走って行く。先導者の他、要所要所にスタッフが先回りし、各自のペースで走れることになっている。これはありがたい。
 会津南部地方の風景は、駅の近辺こそ少し開けた地方の集落という感じだが、そこを一歩離れると、たちまち美しい農村風景と化す。田には頭を垂れるほど実のなった稲がざわめき、黄金色の穂を揺らせている。刈り入れの終わった直後の空虚な田も、何か美しい。くもりがちの空から注ぐやわらかい光が、暖色の続く稲穂の海を、暖かく照らしている。それが何面も何面も、遥か彼方まで続いている。僕もにち氏も、思わず歓声をあげる。
 針生まではそんな農道、交通量の少ない国道を、気持ち良く走って行くのだ。針生からは、いよいよ駒止峠までのアタックが始まる。暑くなりそうなので、サポートカーに雨具を預けた。上って行くと、石橋の集落辺りで、最後の覚悟ゾーン(ここで断念すれば、回収車に乗って上がって行ける)に行き当たるはずなのだが、そんな感じはない。先行していた人ともども、石橋の集落を走り抜け、やがて上り勾配に入った。本格的な上りか? とりあえず、個人的に覚悟完了!
 針生~駒止峠間は、だいたい8%程度の平均勾配だ。感覚的には、後半になるほどきつく感じた。最初のうち、足を回しながらも、少し勾配が緩まる区間では、少し筋肉を休める(もちろん回しつづけながら)ことが出来た。こんな感覚を覚えたのは初めてだった。この程度の勾配なら、いくらでも無休憩で上って行けるわい。などと坂をナメ始めたところで、来ました、急勾配。いっそう勾配がきつくなり、もう足を溜めることなんて不可能になった。スピードも14km/hから8km/h、さらには7km/h台にまで落ちてしまう。ああ、チーム5km/hの再来か。
 SHIG氏を見かけたので、ゆっくりと抜いた。トライクはいいよなあ。いくら遅くても転倒することはないのだ。このトライク、なんと81段変速(前3段、後ろスプロケット9枚+内装3段)だそうな。しかし、この坂では自重が効くのか、ゆっくりゆっくり上って行く。
 幸いにして、勾配はそれ以上はきつくならず、なんとか踏みつづけることが出来た。つらいが、楽しい。つらさが他の全てを圧倒してしまう、麦草のような事態には至っていない。つらさも、つらさとして許容し、上るにつれて変わる景色を楽しむ余裕もずっとあった。先行していたにち氏を追い抜く。だが、いくらも行かないうちに、息が切れて、とうとう足が止まった。ここで一休み。左足も攣る寸前だ。クリートの位置が、どうも合わない感覚がある。
 やがて、また踏み始め、かなり進んだ大きなヘアピンでまた一休み。先行していた人々共々、急激に高度が上がる前方のヘアピンカーブを見て、引きつり気味の苦笑いを浮かべる。だが、『こんなところ麦草に比べればなんだ、あのときのつらさはこんなものではなかったぞ』と自分を叱咤し、さらに進み始めた。
 その後は、補給食のエネルギーゲルが効いたのか、足が止まることなく、ずっと漕いで漕いで進んでいった。すぐ側を川が流れている。そのせせらぎが気持ちいい。風も暑くない。もう秋なのだ。
 坂道をひたすら進み、ヘアピンカーブでは悪態をつきながらアウトコースを回り、あまりにつらくなったら蛇行で凌ぐ。しかし、いつか回せなくなる、という感じではない。
 やがて、周囲の風景が変わった。樹木が減り、見晴らしが良くなる。と、向こうに分岐路が見え、スタッフの姿が見えた。右に行くと15%あるのではというくらいの激坂、左は今までと同じくらい。嫌な予感にとらわれながら、右を差して首を傾げてみると、「そっちです」と答えが返ってきた。がーん、大ショック(とほほ)。しかし、もうあまりないという。また力を振り絞って、その激坂を登りだした。と、それほど行くこともなく、駐車場と、そこに数人の参加者の姿を認めた。ここがゴールだ。カメラを構えるスタッフに愛想を振り撒きながら(爆)、駐車場に滑り込んだ。いい感じで湧き上がる達成感をかみ締めながら、自転車を止めた。
 駐車場には売店がある。その近くに自販機があったので、ペットボトルのお茶を買って、ほとんど空だったペットボトルと入れ替えた。売店の側に湧き水がある。ただでのめるようだ。そこに『冷やしトマト』の札を見た僕は、店番の男性に聞いてみたが、きっぱり「売り切れ」といわれた。今、よく冷やしたトマトを食べたら、凄くおいしいだろうな。次回の宿題だ(ってもう出るつもりになったのかよ)。
 ほどなく、にち氏、SHIG氏らが上がってきた。トライクは目立つ存在で、早速写真を撮られまくっていた。ともあれ、初日のメニューはこなした。

駒止湿原で迷子寸前


 にち氏と、駒止湿原を見に行こうということになった。出発は14:40ということだったので、急ぎ足で向かう。と、その前に、売店で湧き水を飲んでみた。うまい。
 この駒止湿原、道がぬかるんでいる関係で、靴がすぐ泥だらけになってしまう。雨の後だけになおさらのことだ。まあ、道なりに行けばいいのだろう、とばかりに、大自然をなめきった態度で歩き出した我々であった。雨に降られようが風に吹かれようが、身に着いた習い性は、簡単には矯正できないものだ。
 遊歩道は湿原の中に板を渡してあるもので、自然を間近にしてます、という感じがして好ましい。最初はただの原っぱのように思えたが、進むに連れて湿っぽくなり、やがて小さな沼地とせせらぎが見え始めた。自然観察の達人なら、きっと楽しい眺めなのだろうなあ。この時期は夏までのギラギラした輝きはなく、かといって秋の紅葉には早いので、いまひとつ盛り上がらない。が、緑の中を歩く時間は、それでも心を落ち着かせるものだ。
 歩く歩く、遊歩道を歩く。が......いつまで経っても帰り着かない。途中、一組のカップルに会い、『かなり歩いても戻れないので、逆に歩いてきた』などといわれていたのだが。果たしてこの道でいいのか? やがて、道はぬかるみ始めた。さっきの泥濘などかわいいものだ。さっきは靴底が汚れるだけで済んだが、今度は靴の周りまで汚れてしまう。にち氏と不安に駆られながらも歩き続ける。あっちの方からぐるっと回ってきたから、方向は合っているはずだ、などと話しつつ。時間は無情に過ぎ、とうとう集合時刻を過ぎた。これは、迷子か? 助けを求めようにも、ここは携帯電話がつかえない。もう、笑うしかない。
 まあ、いくらなんでも置いては行かれまい、などと話しつつ歩いていたら、ようやく見覚えのある場所に出て、焦眉を開いた。
 我々は大自然の脅威(プチ迷子)から辛くも逃れることができた。天候にもてあそばれるは、坂に苦しめられるは、湿原では迷子になりかけるは、実に自然を満喫できた今日一日だった。

お宿で宴会? いえいえバタンキューでした


 駐車場に再び集合する。結構キツイ坂だったが、ほとんどの人は自力で登れたそうな。特に、高橋さんという御老人は、僕などよりよほど早く、ほとんどトップグループで登ってしまったのだそうな。しかも、自転車は前シングル(38Tくらいか)、後ろ6枚の古いツーリング車だ。聞けば、ウォーキングでずっと鍛えてきたのと、以前は駅伝の選手だったということで、心肺機能がとても丈夫らしい。『駅伝ではとにかく走りきらなければ許されないので』ということだとか。三つ子の魂百までだね。
 宿には、40人超の参加者が三つに別れ、それぞれ別宿に泊まる。僕はおの氏、加藤夫妻、田原氏と同じ宿。にち氏、SHIG氏は別だ。針生まで戻り、それぞれの宿に入った。
 僕が泊まったのは『木林森』(もくもくもく)という宿で、後で聞くと薫製屋さんを兼ねているのだとか。木にこだわった宿だった。
 部屋は4人部屋で、僕とおの氏、田原氏、そして先出の高橋氏が同部屋だった。さっさと荷物を放り込み、風呂に向かう。小さな風呂だったが、汗を流すには十分だ。
 夕食時間までは、食堂でお茶を飲みながら雑談する。食事が待ち遠しくなってきた。
 6:30くらいから晩餐が始まった。この宿は薫製屋だけあって、いぶしもののレベルが高かった。メインディッシュに出てきたのは、ヤマメの刺身と、同じくヤマメの薫製。30cm以上はある立派なもので、刺身は臭みがなく、コリッとした歯ごたえがたまらない。薫製は腹から裂くときれいに身と骨が別れ、身は旨味がギュッと凝縮されていて、いくらでも酒が進みそうだ。こぐ氏が来ていたら、泣いて喜んだろうなあと想像する。
 食事が進んだところで、ミーティング兼自己紹介タイムだ。引率してくれているのは和田御夫妻。なんと、たか氏、まき氏(体調不良で欠席)と同じく、北海道600km縦走をやり遂げた方だ。今回はスタッフに回ったという。加藤夫妻。加藤直之氏いわく、『新素材マニア』。着ているものもすべて新素材だとか。加藤御夫妻の他、後二組のご夫婦が参加されていた。そして浦安から来た女性三人組。友達同士で、お一人が仲間を次々に自転車にはめていったとか。
 先の高橋氏のウォーキング談義を挟んで、真打ち(どこがだ)俺様の登場。「自転車7台持ってます」 受けました、なにか違う意味で。
 この間、サービスのビールを飲み続けていた。他のテーブルで片づかない分が、男ばかりのマイテーブルに流入して来ていたのだ。栓を抜いたまま来たので、来た分は飲まねばなるまい、などと頑張っていたら、かなりへべれけになってしまった。
 部屋に戻り、布団を敷いたのが20:00過ぎ。すぐに布団に入り、目をつぶった途端、ストンと意識が途切れた。こうして、南会津の一日は終わったのだった。

2002年09月26日(木曜日)

朝トレ

00時00分 自転車 天気:くもり

 今朝も今朝とて朝トレに出かけた。連休が続いたので、一週間ぶりだ。
 5:00前と、ちょっと遅めの出発だったが、雲がかかっているので、西俣野を回るくらいまではライトを点けっぱなしだった。少し膝が冷える。
 湘南台公園で休んでいると、ようやく東の空低くに朝日が見えてきた。朝はますます遅くなってゆく。

2002年09月23日(月曜日)

昭和記念公園下見オフ

00時00分 自転車 天気:くもりでしょう

 二日連続の自転車行で、ちょっと疲労がたまり気味だ。今日はにち氏らと昭和記念公園の下見をするつもりなのだが、どうしようかな。
 どうしようかなとは思ったものの、なんとなく天気がもちそうだったので、結局は昼過ぎに出かけることにした。やはりだるいので、かなり逡巡したのだが。
 一昨日はTCR-2、昨日はBD-1と来たので、今日はMR-4Fで出動だ。本当はBikeEで行きたかったのだが、下見だし、自走するにはきついので、結局軽く走れるこいつになったのだ。
 さてさて、昭和記念公園まではちと遠回りだ。地下鉄、東海道線と乗り継いで、川崎で南武線に乗り継いで立川、青梅線で西立川というルート、同じように地下鉄で湘南台まで出て、小田急で登戸まで、そこで南武線に乗り継ぐというルートもある。どっちにせよ、距離的に都心までと変わらないのに、金は1000円以上かかってしまう。しかし、どうせ輪行するのなら、もう少し節約できる。湘南台まで、立川から昭和記念公園までを自走するのだ。今日はその手で行った。
 行きは湘南急行で登戸までは直通だった。南武線で立川まで行き、駅の近くでMR-4Fを展開して走り出した。地図にあるはずの道が無かったりして、少し往生したが、ほどなく昭和記念公園を発見。でかい外郭にあきれながら、入り口を探して走った。途中、にち氏と電話しつつ、なんとか落ち合えた。13:00集合なのに、着いたのは15:00前。
 みんなのはらっぱ、という広い場所ににち氏、(か)女史、かぜ氏、hai氏らが待っていた。まったり和みながら、オフ開催に当たっての問題点を話し合う。サイクリングロードの状況は、あまり飛ばせそうにない。駐輪場所と和み場所が離れている。食事する場所が、意外に少ない、などなど。それぞれ、本質的な問題ではあるまいと思われた。
 適当にしゃべって、最後におのおのサイクリングロードを時間まで走ることにした。僕は遅れて到着したので、まだ走ったことがない。グルッと一周してみたが、ゆっくり走るには気持ちいいコースだ。飛ばすなら、外周部の方が向いていそうだが。
 みんなで立川駅まで走り、そこで解散。南武線で登戸まで行き、小田急で湘南台まで戻った。ここからは自走するつもりだったので、ホッとしたついでに湘南家で夕食を済ませた。そして外に出ると、雨がふってるやん......。まさか、この時刻に降られようとは。幸い、強く降っては無かったので、急いで帰宅した。
 この3連休は雨に脅かされたが、なんとか切り抜けることが出来たようだ。

2002年09月22日(日曜日)

東京シティサイクリング2002

00時00分 自転車 天気:くもり(まれに崩れる)

 自転車三昧の3連休2日目は、東京シティサイクリングに参加することにしていた。昨日の三浦半島が足に残っているので、かなりしんどかった。が、距離的には楽そうなので、BD-1で出撃することにした。
 鉄道を乗り継いで、新宿駅に。集合場所にBD-1を乗り付けると、既に結構な人数が集まっていた。BD-1を押しながら、BD-ML関係者を探す。BD-1がある……あれか。いや、あそこにもBD-1が。おやおや、こっちにはBD-1のペアが。どういうことか、そこここにBD-1があった。どれがBD-ML関係者なんだか……。と、異様に車高の低い車両が目に入った。トライクだ。こんなものに乗るのは、リカンベントMLからの参加者に違いない。案の定、SHIG氏だった。近くにはおの氏もいて、Sat'R'Dayが停まっていた。だんだん、おの人脈の参加者が集まり始める。
 ちょっとトイレにと思い、探しながら歩いていると、おや、トレンクルを押して加藤夫妻がやってくる。挨拶して、おの氏らはあちらですと教えて差し上げる。
 出走までにはかなり時間があるので、会場内の自転車を見て回った。何度見ても、一番多いのはBD-1系だった。ミズタニ自転車の社長が参加していたが、きっと大喜びだったろう。輪行車として高く評価された結果であるのは間違いないだろう。
 他に、MR-4Fを1台だけ見かけた。走っているMR-4Fを見たのは初めてだ。車椅子と合体したタンデム、DUETという車両も見かけた。おの氏によれば、新幹線輪行でやってきたのではないかとのこと。一見、ずいぶん大変そうだが、前半は単なる車椅子なので、後半の自転車半分くらいが荷物として増えるだけなので、実はかなり簡単に輪行出来るのだとか。他に、子連れの参加者も多く、さらには犬連れの参加者までいた。
 9:00から開会式だ。お歴々の挨拶に続き、柔軟体操。意外に、昨日の爆走で疲れた体には効いたようだ。少し、体が軽くなる。
 出走は2分間隔で、50台ずつだ。僕らは最後の方に出走した。走り出してすぐ、延々と続く大渋滞が現れた。12km/hが関の山の低速走行が続く。しかし、そこここの信号で整流効果が現れたのか、次第に車間が開き、走れるようになっていった。同時に、BD-MLで固まって、ということも難しくなる。
 新宿周辺を走り抜け、神宮周辺を回り、パレスサイクリングのルートに入った。ここで少しスピードアップして足を回してみたが、ぜんぜん回ってくれない。
 ここで、BD-ML/リカンベントML辺りで食事しようということになり、東京駅へと繰り出した。駅の、こういう場合でもなければ滅多に入る機会の無い食堂に入り、しょうが焼き定食でエネルギー補給する。
 もう昼を過ぎていたので、ここでラストスパート。というにはあまりにのんびりしたペースで、ゴール地点の夢の島を目指した。
 夢の島のアリーナに入り、ゴールイン。本当は30kmコースを走ってみたかったが、それは来年にお預けだ。
 ゴール受付で、参加賞その他をもらう。朝、出走受付の時点で、MAZDAのロゴ入り2ウェイバッグをもらっていた。ゴールではさらにバナナ、ガム、ジュース、カップスープをもらう。2000円でこれなら、かなりコストパフォーマンスはいいなあ。
 最後に待っているのは、大じゃんけん大会だ。今年はなぜか小西博之(久しぶりに見たな)がじゃんけん役に回り、自転車、写真集、ボトル、バナナ一箱(爆)を賭けてバトルを繰り広げた。自転車は数人まで絞り、その全員で一斉じゃんけんを繰り広げたのだが、負けた場合の残念賞がそのバナナ一箱だったので、余計に熱が入ったようだ(笑)。僕はなにも当てられなかった。
 これで東京シティサイクリングは無事終了した。大きな事故も無かったそうだ。大会関係者が言うには、「来年はレインボーブリッジを通れるかも?」とのこと。期待して待ちたい。
 解散後、各々帰途に就く。僕は一人で東京駅まで走り、R15経由で自走する考えもあったのだが、空模様が怪しかったので、結局は東京から輪行で帰宅した。
 来年も参加したい催しだった。

2002年09月21日(土曜日)

三浦半島周回リベンジ成功

00時00分 自転車 天気:くもり

 4:30に起床。風呂に入り、食事をとり、時間を見ながらサプリメントを摂っておいた。今日、たか氏の呼びかけで、三浦半島一周への再挑戦を図ることになっていた。前回は悪天候にやられた苦い経験がある。天気予報によれば、降水確率は低いようだ。ちょっと考えて、出来る限りの軽装備で出ることにした。朝トレ時の装備と大差なく、輪行装備も雨天装備も無しだ。玉砕覚悟の特攻仕様である(笑)。
 6:45頃、TCR-2で家を出た。7:00ちょっと過ぎに高鎌橋まで来ると、ちょうど向こうからたか氏がやってくるところだった。一方、川下側には既にかぜ氏が到着していた。今日はこの3人で江ノ島、三崎、横須賀、磯子、横浜と回り、三浦半島周回を達成する予定なのだ。
 たか氏は真新しいコルナゴの鉄ロードにまたがっていた。ちょっとまたがってみたが、できれば10kmくらいは走ってみたいところ。
 それぞれに準備を整え、まずは江ノ島まで突っ走る。先頭をひくのは、またしても僕だ。
 江ノ島まであっという間に到達し、さらに鎌倉、厨子、葉山と突っ走ってゆく。この辺では、足がかなり良く回り、30km/h台を維持して突っ走った。風がフォロー気味だったこともある。やはり、編隊走行は、単独走行とは違った緊張感がある。
 葉山の海岸地帯から、少しずつアップダウンが増えてきた。坂もケイデンスを維持してよじ登ってゆく。少しずつ疲労を感じはじめてはいたが、予想よりいいペースで走れたこともあり、気分的には楽だった。
 三崎口には10:00よりかなり前に到着。引橋で「三崎はパスしよう」と提案。海岸沿いに走ると、かなりのアップダウンがあるので、今回は敬遠したかった。そうしようということになり、三崎の山岳地帯は回避した。次回は挑戦できるかな。
 三浦海岸に下り、最初に見えたコンビニで最初の休止。糖分を摂りながら、少し足を休める。この辺で「ちょっと飛ばしすぎたかな」という気がしていた。平地はともかく、坂道を重めのギアでよじ登ってきたので、少しバテ気味になってきていた。が、この先、そうたいした坂道は無いはずだ。
 再び走り始めた。休憩が中途半端だったせいか、足が回らない。風もアゲインスト気味に変わり、ちょっとの風なのにつらい。苦労しながら野比、久里浜と走り、浦賀を経由して、観音崎へと到達した。ここでトイレ休憩。かなり疲労を感じる。
 観音崎の坂をよじ登る。なんてこと無い坂なのに、かなり足に堪えはじめてる。とうとう、いくつ目かの坂で足が止まり、一休みをいれて登りきった。観音崎はなんとか突破。
 その後しばらくは、延々と平地を走ってゆく。風は相変わらずややアゲインストだが、時折弱まり、さらにフォローに変わる瞬間が、とても心地よく感じられるほどだ。
 体は疲労気味だが、ずっと突っ走って来たこともあり、気分的にはいい感じだった。しかし、この先は少しずつ坂が増えてくる。
 横須賀市でコンビニ休憩を取り、横浜を目指して走ってゆく。この辺では先頭をかぜ氏、たか氏と替わってもらい、緊張感が失せたせいか、かなりダメな状態で走っていた。坂道でつらいつらい。予想もしなかったようなブラインド坂道(角を曲がったらかなり足にキそうな坂が待っている)があったりして。とうとう、八景島の手前のトンネルで二人にちぎられ始めた。それまでは多少遅れても、下りで取り返せたのだが、もう回せない。うがー、ダメだ。というところで、コンビニ休憩を入れてくれた。信号に「青砥」と表示のある辺りだ。地図を調べると、金沢区と磯子区の境目辺りのようだ。自転車を降り、補給食のエネルギーゲルをむさぼる。
 こんな状態では足を引っ張るばかりなので、集合場所を決めて各々走ろうということにした。集合場所は根岸駅前とした。走り出してしばらく、後ろからたか氏が追いついてきた。が、かぜ氏は着いてこない。スローパンクだという。かなり回復してきた僕は、なんとかたか氏ともども、根岸駅前に到達できた。
 かぜ氏を待ちながら、今後のオフのことなんかを話していたが、なかなか来ない。ようやくかぜ氏が現れたので、昼にしようということになった。適当な店に入ろうと、探しながら走り出した途端、トンカツ屋の看板が目に入った。そこに決定し、店に入る。時間は13:00前。最初の予想以上のハイペースだ。
 店は案外に当たりで、カツがやや小さかったことをのぞけば、ご飯、キャベツお代わり自由と、昼食には向いている。ここでたっぷり休憩を取り、かなり元気を溜め込めた。
 再び走り始めた。市街地ということもあり、27km/h前後で走りつづける。磯子から横浜市街へとR16を走り、R1近辺でかぜ氏とお別れだ。かぜ氏は今から東京まで走るのだとか。元気いいなあ。
 たか氏と僕は、R1経由でR16を走りつづけ、鶴ヶ峰で厚木街道に転じ、三ツ境に到着。サガミNo.3の駐車場にTCR-2を停めると、ホッと安堵感が身を包んだ。三浦半島周回達成だ。記念写真を撮りたいくらいだったが、今日はデジカメを持ってきてない。
 サイクルセンターを冷やかして、たか氏とはここで別れる。環状4号線経由で泉区に舞い戻り、ダイクマでちょっと一休みする。久しぶりにコークを飲みながら、2度も失敗した三浦半島周回に成功した喜びを、しばしかみ締めた。こういう企ては、単独行よりもグループ行のほうが良いのかもしれない。モチベーションを維持しやすいからだ。その分、プレッシャーも大きくなり、つらい面もあるけれど。
 まだ16:00過ぎにアパートにのんびりと帰り着き、自転車をラックに架けた。またやりたいな(次回は単独行かな)。

2002年09月19日(木曜日)

久しぶりの朝トレ

00時00分 自転車 天気:晴れ

 しばらく、雨が降ったりしたので朝トレできなかったが、今朝も早起きして出動した。
 今朝は4:00起床で、出たのも4:30くらいだったので、俣野橋を過ぎて国道によじ登った辺りでも、まだ真っ暗だった。日の出が遅くなったなあ。さすがに、湘南台公園からの帰路では、ライトを消してもいいくらい明るくはなったが。
 今日は、短いクランクにも慣れたのか、あまり苦にならないで西俣野の坂道を登れた。最初の頃は、ただ登ってゆくだけで半死半生になった坂道だが、今は楽なものである(それでも呼吸は乱れる)。単なる慣れなのか、少しは鍛えられたのか。

2002年09月16日(月曜日)

天の罪に触れたか......とにかく三崎鮪ツアー決行

00時00分 自転車 天気:くもりのち雨、一時局所的に雨脚強まる

 前日、あまりにも寝すぎたせいか、夜になって全く眠れず、そのまま起き出す。昨日は14時間くらい寝たからなあ。
 空模様は相変わらず"どんより"だ。しかしこの二日はこのままもってくれたから、今日も案外......などと、僕は楽観していた。天気の野郎めが密かに嘲笑っているとも知らず。
 ともかく、ゆっくりと身支度をして、8:00前にBD-1で出動した。最初はMR-4Fかとも思っていたのだが、スプロケットのクロスギア化の様子もみたいので、BD-1での出動となった。頭のどこかに雨の可能性も残っていて、輪行が楽そうなこっちにしたというのもあったろう。
 地下鉄、京急と乗り継ぎ、横須賀中央西口には9:00過ぎに着いてしまった。気楽なもんだ。集合時間の9:30まで、人待ち顔でボーっと過ごす。
 9:20頃、にち氏はなぜか自転車で外の道から回ってきた。東口に出てしまったのだとか。朝飯がまだのにち氏のために、コンビニに立ち寄り、三笠公園に入った。そこでしばし休憩。時刻のせいか、天候のせいか、公園に人影は少ない。
 公園を出て、海岸線に沿ってずっと突っ走ってゆく。ほどなく、観音崎に到着。段々空気が湿り気を帯び、かなり不気味な雰囲気になってきた。今にも降り出しそうだ。と、思う間もなく、雨が降り始めた。霧雨といったところ。少しずつ、少しずつ雨脚が強まっていった。
 観音崎を回り、さらに海岸線をかもめ団地経由で浦賀、やがて久里浜に到着した。まだ路面は乾いており、走るのに支障はない。が、メガネに水滴は付着するのには閉口した。
 やがて引橋への登りにかかった。ここからがクロスギア化の真価を問われる局面だ。
 ここまで、クロスギア化の良い面ばかりが見えていた。ギア選択が楽で、ケイデンスを維持できるので、走っていて疲労が少ないのだ。だが最大スプロケットが34Tから27Tにダウンしたことにより、坂で使える軽いギアは減っている。坂で支障はないかが問題だ。
 ここまでずっとアウター一本だったのだが、インナーに落として、なおかつケイデンスを維持して登っていった。案外に楽に登っていける。ギアを落としたときの落差が小さいので、XTスプロケットのときのように足が回りすぎてかえって疲労するようなことはない。案外に楽かも。足が回る場合なら。引橋まではきつい登り、緩い登りが交互に出てくるのだが、きつい登りでも足が止まりそうになることは無かった。このままどこまでも回してゆけそうだった。こんな風に感じられたのは初めてだ。いい加減、この坂に慣れたのかもしれないが。
 引橋まで登りきり、相変わらずアップダウンしながら三崎へと下っていった。雨はやや強まっていたが、路面に水が浮くほどでもない。それほどひどく濡れないで、とりあえずショッピングセンターの駐車場に入れた。ちょっと雨天装備をして、"ちりとてちん"まで走った。店の前の商工会館らしきビルの軒先に自転車を停め、店に入った。
 これがツアーの目的である鮪タイムの始まりだ。にち氏ともどもちりとてちん丼を頼み、ビールを、と思ったら、樽生はガス欠で出せないという。壜ビールを頼み、二人で分けた。まずは乾杯。労働の後の一杯は、やはりたまらんうまさである。
 にち氏は鮪料理を喜んでくれたようだ。前回行った"ぢんげる"よりも美味かったという。値段の差もあるのだが。
 しばしくつろいだ後、ショッピングセンターを冷やかし、あんとろまんを買って、2Fのデッキでお茶を、と思ったら、露天なので雨に降られている。室内の展望ロビーで、あんとろまんの甘味で疲れを癒しながら、今後のオフのことなんかを話した。
 しばらく時間をつぶしたが、雨脚は強まるばかりで、止む気配はない。天気予報も明日にかけて悪化するという内容だった。これは、鎌倉まで走るのは無理だ。三崎口まで走り、そこから輪行しようという話になった。
 まだ雨脚が弱いうちに、と、にち氏ともども引橋への坂を登り始めた。雨脚は少しずつ強まっている。昨日、一昨日と雨にならなかったのに、今日はこの様か。などと考える間もなく、引橋を越えたところで、雨脚が冗談ではないレベルにまで強まった。前が見えない、道路には水が浮いている。笑えるくらいに最悪のコンディションだ。しかし、もう走るしかないので、覚悟を決めて、スピードを落としながら、三崎口まで走った。
 幸い、事故を起こすことも無く、京急三崎口駅の軒下に滑り込んだ。しばらく、靴下に染み込んだ水を搾り出し、水滴を払う。撥水性のウィンドブレーカーを着ていたおかげで、さほどひどくは濡れなかったこと、またバックパックのレインカバーのおかげで中身が濡れなかったことなどから、気分的にはそれほど惨めではなかったのだが。むしろ、妙な爽快感があった。
 しばし、水分を払った後、輪行準備をして、京急で帰宅した。最初はお好みハウスという話もあったのだが、ちょっと気分が乗らないので、僕は直帰した。
 帰宅して、着替えた後で、BD-1の掃除をする。先週、整備したばかりなのに。幸い、なぜかそれほど汚れてなかったので、水気を拭い、ワックスとルブがけをするだけで済んだ。
 とりあえず、オフの目的は達成できたが、過去2回とも鎌倉まで回帰という裏目標を達成できてない。次回は、ちゃんと走りきるぞ。

2002年09月15日(日曜日)

今日も不完全燃焼

00時00分 自転車 天気:案外にくもったまま

 今日は荒川オフの日なので、朝の気分次第では出ようと思っていた。が、朝の時点で気分が乗らず、これは見送りに。雨に降られると嫌だと思っていたのだ。しかし、どうやら最後の最後まで雨に降られずに済んだそうだ。出ればよかったかも。
 寒い。気温が急激に下がり、朝方は20度を切ったそうな。そんな中、タオルケット一枚でずっと眠りこけていたせいか、昼過ぎに起きると頭痛がするようになっていた。やばい、風邪の予兆だ。明日のオフのためにも、ここは治さなければ。
 こういうときの治し方は、ただ一つ。ねぎをたっぷり入れたうどんを食べて、暖かい布団で汗をかくのだ。夏前にしまった羽毛の掛け布団を取り出し、うどんを食って横になっていたら、時々大汗をかいたおかげで夕方には治っていた。風邪ひきかけだったので、これくらいで済んだのだ。
 この勢いで、神奈川支部の掲示板に『明日決行』と通告。hai氏がやはり風邪でこれなくなったので、にち氏との二人旅だ。さあ、明日は雨に降られるか、雷に打たれるか;^^)

2002年09月14日(土曜日)

鮪ツアー決行できず

00時00分 自転車 天気:朝のうち雨だったのに......

 朝、6:00前に目覚め、外を見ると、路面は濡れて雨が降っていた。これはあかんと思い、神奈川支部の掲示板に「延期するね」と一報を入れ、また寝てしまった。
 昼過ぎに起きだし、外を見る。案外に雨は降ってない。路面は既に乾き、空はどんよりと曇っているものの、すぐに降りだしそうな暗さでもない。ううむ、読み違えたか。天気予報も朝一のそれよりも好転している。全然信用ならんね。
 ちょっと昼食と散歩を兼ねて出かける。TCR-2を長後に走らせ、CoCo壱番屋で昼食。なんか食欲が無いときには、ここでカレーとなってしまう。ここから境川まで戻り、サイクリングロードを北上、中原街道、厚木街道と進み、三ツ境のサガミに向かった。サガミでなんとはなしに偵察しながら、ロードフレームを見定める。いや、すぐに買う気は無いけれど。LOOKのカーボンフレームが案外に安いが、これはサイズが僕には大きすぎるのだな。ALANのものもあり、こいつは合うかもというサイズだ。しかし、ツーリングで頻繁に乗降することを考えると、スローピングフレームがいいのだが。パンターニのおかげで名を挙げた、ウィリエールのフレームが気になる。サガミの在庫にはなさげだった。
 店を出るとき、チェーンコネクトピンを10本ほど買った。なんか、整備の度にバシバシ切っていたら、何本あっても足りない気がしたのだ。
 翌日以降、天気予報を見る限り、あまりよろしく無さそうな感じだ。明日は雨の確率が高い。難しいな。いい方に外れてくれればいいのだが。にち氏と話し、明日は中止し、明後日様子を見るというスケジュールに変更した。この時期の天気は読みにくい。果たして、三崎で鮪にありつけるのだろうか。

2002年09月11日(水曜日)

久々に朝トレ

00時00分 自転車 天気:くもりのち晴れ

 久しぶりに(6日ぶりか)朝トレに出かけた。今日はフレックスで遅めに出勤するつもりだった関係で、アパートを出たのは5:00前だった。まだ空が白み始めたばかりで、ライトは必須だ。
 いつものように境川サイクリングロードに出て、南下して、俣野橋で国道までよじ登る。今朝はクランクを交換して初めての早朝ランだが、足が思うように回らない。明らかに、踏みづらいのだ。回しやすいのは確かだが、坂で踏めないのはつらい。回す主体なら、チェーンホイールを48/32くらいまで小さくしたいところ。だって、このヘタレな俺様には、アウタートップなんて絶対踏めないもんね。しかし、そういうチェーンホイールは、案外に高価なのだ。それに、TCR-2のルックスを崩したくはない。2万円くらいの叩き売りクロモリフレームを買って、MTBパーツを組んでみるというのも手かも。
 ともあれ、TCR-2のペダルを踏みづらいのはいかんともしがたいので、サドル位置を調整するか、さらに短いステムを探すか、迷うところなのだ。

2002年09月10日(火曜日)

BD-1試走

00時00分 自転車 天気:えーっと、くもってたかな

 今日は夜になっても雨が降らなかったので、昨日スプロケットを交換したBD-1で走ってみた。といっても、中田中央公園の周りをぐるぐる回っただけだが。
 クロス化の効果はかなり感じる。従来はギアチェンジすると、がくんとペダル負荷が変わったものだが、それが軽減されたおかげで走りやすい。その代わり、ロー側でもあまり軽くならないので、やっぱり坂は不安だ。やっぱ、インナーを39Tにしちゃおうかなとか思ったりして。まあ、どうしてもというのなら、坂は押せばいいのだが(このヘタレめ)。
 これでSTELVIOを履いたら、かなりロードっぽい乗り味に出来そうだ。

2002年09月09日(月曜日)

BD-1をクロスギア化

00時00分 自転車 天気:雨やらくもりやら

 今朝はくもりという予報だったが、案外に朝夕と雨に降られた一日だった。
 さてさて、HardRock号の改装の前に、BD-1のリア周りを交換しなければならない。帰宅して、BD-1をリペアスタンドに載せると、リアスプロケット、リアディレイラーを交換した。スプロケットはXT(11-34T)からUltegra(12-27T)に、リアディレイラーはXT(ロングケージ)からXT(ショートケージ)に変わった。これでかなりクロスしたギア比になる。しかし最低のギア比でもかなり重くなる。34T/27T≒1.26ぐらい重くなるだろう。しばらくこれで試して、もしかしたらフロントのインナーを39Tに戻すかもしれない。42T/34T≒1.24から、39T/27T≒1.44と、やはり重くはなるが、これくらいならなんとかなるかもしれない。
 これで走ってみたいけど、残念ながら今日は雨。明日はどうかな。

2002年09月08日(日曜日)

MR-4Fのパーツも交換してみた

00時00分 自転車 天気:意外にくもりのまま

 TCR-2に次ぎ、MR-4Fを清掃した。先週、三浦半島を走ってきて、そのままだったからな。 同時に、サドルとペダルを新しいものに交換した。サドルはグランジの穴開きサドル(BD-1に当初からついているもののOEM品らしい)から、セラ・サンマルコのERA-Kに替えた。色は黄色だ。TCR-2につけているERA-PROがすこぶる調子良かったので、もう少しグレードの高いものを奢ってみたのだ。しかし、-PROより-Kの方が硬い素材で出来ている。長距離だと股間にキそう。
 ペダルの方は、今と同じくM515だが、色をシルバーから黒に変えた。色だけが問題で。
 今日は雨の確率が高いとにらんでいたのに、昼から空は明るく、すぐには降りそうに無いくらいには回復してきた。MR-4Fで散歩に出かける。
 最初はこども自然公園を目指すつもりで、緑園都市方面に向かう。国際親善病院の通りを直進せず、ちょっと走った東側の道に入ると、激坂を登らないで済む。それでも、かなりの坂は越えてゆくのだが。
 緑園通りに入り、丘をいくつか越える。サドルはやはり硬い。しかし、すわり心地が妙に良いのはなぜだろう。長距離ではどうかな。
 こども自然公園に向かうつもりで、HARD OFFのところで細い道に入った。が、迷ってしまい、いつの間にか緑園通りに(しかもHARD OFFの手前で)復帰してしまった。あれ、前はどう抜けたんだっけ。
 いつの間にか雲行きが怪しくなってきたので、この後行こうと考えていたサガミはすっ飛ばし、境川まで新幹線沿いに突っ走った。そしていちょう団地近くに出ると、久しぶりにももの木が営業してる。早速寄って、今日は30円のコロッケ二つ、60円のメンチカツを二つ買った。
 適当にMR-4Fを停めて、コロッケをほうばる。むむむ、これは嫌なことを発見してしまった。まずい! コロッケは(30円セール中だからか)衣が厚く、しかもさっくり感が無いのだ。一方、メンチカツはんまい。この先、コロッケは買わないかも。
 なんて考えていると、同じようになにがしか買った男性が、BD-1(グラファイト)を押してやってきた。会釈して、すぐ側に腰掛けたので、話し掛けてみる。やはり、この人も2chでももの木のことを知ったらしい。飯田牧場にもいってきたという。買ったのはコロッケだけだったようなので、メンチカツも勧めてみた。
 ももの木を去り、南下していった。雲行きが怪しいのでこのまま帰ろうかと思っていたのだが、また晴れ間が見えるくらいに回復していたので、飯田牧場まで走った。今日は久しぶりにソフトクリームを。コーヒー味がなくなったのは、返す返すも残念なことである。
 やっぱり硬いサドルは股間に来るなあと思いつつ、帰宅した。

2002年09月04日(水曜日)

MTB改装計画発動

00時00分 自転車 天気:晴れ

 少し前に検討したHardRock号軽量化計画を発動した。先日、あさひとアスキー・サイクルにコンポを発注し、それが受理された旨メールが返ってきたのだ。
 MTBのメインコンポは、コストパフォーマンスを考慮して(っつうか金が無い)LX主体で、チェーンホイールだけは167.5mmのクランクがXTグレードにしかないので、XTのものを発注した。後はLXグレードのブレーキ、STI、フロントディレイラー。BBはXTとLX共通だとか。
 あれ、スプロケットとリアディレイラーは? これは、今BD-1W'に着いているものを流用するつもり。BD-1はもう少しクロスしたギアにするのと、リアディレイラーのケージが地面にヒットしそうなのを回避するため、アルテグラのスプロケット(12-27T)とXTミドルケージのディレイラーに変更するのだ。
 これらに加え、猫踏み一号のクランクも165mmにする。これもアルテグラグレードのものを発注した(105と価格的にほとんど変わらないのだ)。
 HardRock号と猫踏み一号のクランクが160mm台のものになると、後はBikeEだけが170mmのまま残る。クランクはコンポとしては高価なので、なかなか買い揃えられないのが現状だ。BikeEこそ回転主体のペダリングなので、早いうちになんとかしたいのだが。いろいろ特殊そうな部品があり、またBikeE社自身が破綻したので(リコールがらみの賠償金支払いで行き詰まったといわれている)、ちょっと気が重いのだが。

2002年09月03日(火曜日)

ケイデンス

00時00分 自転車 天気:晴れ

 今朝も今朝とて朝トレ。よく眠れないまま早起きしてしまったのも同様だ(前日14時間ぐらい寝たということもあろうが)。
 土日とちょっと距離を走り、その時になんとなく分かったのは、高ケイデンスを維持した方が、長距離では疲れないということだ。って、そんなこと、過去何度も自分で書いてるやんか。ようするに、実際にはその意味するところが分かってなかったのだ。高ケイデンスとはいうが、90RPMというケイデンスは、どれくらいのピッチなのか。今まで、なんとなく考えもなしに楽そうなピッチで走っていたのだが、何かが違う気がしてきた。90RPMってこれくらいか、と思っていたピッチは、実際にはその半分くらいじゃないかと思えてきたのだ。せっかくケイデンスセンサーつきサイクルコンピュータをいくつも持っているのに、ケイデンスセンサーを着けるのが面倒なので着けない、などというバカなことをしてきた報いである。
 土日と、意識的に倍速ぐらいの気持ちで足を回しつづけた。すると、見た目の忙しなさとは裏腹に、案外に長距離を楽に走り抜けることが出来たのだ。なるほど、高ケイデンスを維持せよ、というのはこのことなのかと少し理解できた次第。
 今日もサイクリングロードを走りながら、いつもよりかなり高いケイデンスで走った。歩行者がいるのでピッチを維持するのは難しいが、フロントをインナーに落としたまま、30km/h弱でシャカシャカ足を回しながら走りきった。すると、ある瞬間に、足が回るというのはこういうことか、と突然分かったことがある。足がBB軸を中心に円を描いているのがありありと実感でき、そしてその上死点、下死点で、少し引っかかるような感じがしたのだ。クランク長170mmではちょっと長過ぎるのではないかと思っていたのだが、確かに長いということを実感できたのだ。そして、確かに足を"回して"いるのだな、とも納得したのだ。こんな風な理解が浮かび上がってきたのも、土曜日にクランク長165mmにしたMR-4Fのクランクを"回し"続けたからだろう。そのときの感触がどこかに残っていて、猫踏み一号ことTCR-2との回し比べで、さらにその感覚が補強されたのだろう。
 猫踏み一号のクランクは、近々165mmに交換するつもりだ。そうしたら、もっと回しやすくなるだろう。それがどれくらい走行感の差につながるか、試してみる日が楽しみだ。

2002年09月01日(日曜日)

初秋の湘南海岸へ

00時00分 自転車 天気:晴れ

 今日もいい天気だ。昨日の疲労が少し残っているが、ちょっと走ろうと思って、猫踏み一号で出動した。
 まずは長後のCoCo壱番屋で腹ごしらえ。なんか、少し腹が緩いような気がする。まあ、走っているうちに治るだろう(本当か)。
 CoCo壱番屋を出て、湘南台に向かい、湘南台公園で進路を西に取った。湘南台にあったWaveEyeがIBM藤沢工場近辺に移転したので、一度見に行こうと考えたのだ。
 警察署前で南に転じ、延々南下してゆく。IBMのでかい工場の前を通過しきると、やがて目的地に着いた。これがWaveEyeの新店舗か......。なんというか、ガレージを改装したような塩梅だ。というか、実際にそうなんだろう。広さは前の店舗と変わりない。客も案外に少なくは無かった。まあ、盛り返して欲しいものだ。品揃えは、湘南台店舗時代末期よりは良くなっている。SokectAなメインボードの中古が欲しかったが、ロードバイクに乗って持ち帰るのはつらいので、次にBikeEで来たときにしよう。
 また少し北上し、適当に東に折れて、湘南台方面に戻っていった。ふと気が付くと、マーシュの側を走っていたので、ちょいと冷やかす。
 マーシュの裏から境川サイクリングロードに入り、さてどうしようかと考えた。引き返したいくらいの体調だが、同時にまだ走り足りないような感じもあったので、ひとまず海を目指した。R134に入って、江ノ島まで走る。江ノ島口の地下道を通るとき、ビキニのバカそうなねーちゃんが、オイルを塗りつつぺたぺた歩いているのと行き会った。なんとなく得した気持ち。
 R134に上がり、今度は西に向けてずーっと突っ走る。結構風もあり、また疲労もあり、なかなか30km/hを維持できない。ちょっとグロッキー気味になりつつ、柳島のサイクリング道終端に到着した。ここからサイクリング道に入り、東へとゆっくり走った。砂の吹き溜まりも、慣れるとあまり戸惑わずに乗り越えてゆける。
 適当なところで猫踏み一号を停め、浜辺を見下ろしながら少しぼんやりとしていた。強い風が強い波を呼び、サーファーたちが大喜びで波に向かってゆく。中には、波に乗るのではなく、波に蹂躙されるのを喜んでいるような奴もいる。人それぞれだ。いや、あれって単に下手なだけ?
 足元の砂を払って立ち上がり、また猫踏み一号をサイクリングロードに沿って走らせた。もう、盛夏の混雑は無かったが、なにかの催事で自転車の大量駐輪があったのには参った。
 引地川まで戻り、境川サイクリングロードへの道を戻っていった。途中、40km/h以上(むしろ50km/h弱)で突っ走る高速ローディを発見。同じロードバイクに乗っているが故、見逃しには出来ず、追い始めた。が、徐々にちぎられる。速い! 結局、境川への分岐に差し掛かったため、追跡は中止となった。命冥加な奴め(いや、たぶん僕が)。
 既に日が沈み、翳り始めていた。こんな時間まで走るつもりではなかったので、ライトはEL100だけだ。真っ暗になるとさすがに怖い。飯田牧場を諦め、ひたすら北上していった。
 アパートに帰り着いた頃には、既に一番星が輝き始め、空も薄明かりが残るだけの時間になっていた。今日は、当初考えていたより走ってしまった。