Strange Days

2002年12月30日(月曜日)

二河峡

20時00分 自転車 天気:よく晴れてる

 ママチャリ号を二河峡へと走らせた。二河峡は呉の市街地を流れる二河川の上流、約3kmほどの所にある渓谷だ。こんなに市街地に、そして河口に近い渓谷は珍しい。子供の頃はよく遊びに行ったものだ。去年の夏にも訪問したのだが、大雨や地震で大岩が流されたり倒壊したりして、その景観は随分変わっていた。かつてはこんなに雑然としたものじゃなかったはずだが......。そんなことがあって、足は遠のいていた。
 今日、訪れたのは、ただの気まぐれだった。が、おかげでいろいろ面白いものを見つけることができた。
 ママチャリ号でえっちらおっちら遡上する。このママチャリ、背の低い母に合うサイズゆえ、僕には思い切り小さすぎる。特にペダルが近すぎるのがつらい。サーカスの熊のような塩梅で、ペダルを必死に回しながら走った。
 やがて二河峡公園に着いた。自転車をかつての茶屋跡に止め、すぐ近くの鉄橋で対岸に渡り、上の方に登る階段に進んだ。落ち葉が深く積もり、人通りは少なそうだ。登りきったところには鉄の門があり、この辺りに水道施設があることをうかがわせた。
 さらに進むと、展望台があり、テーブルと椅子がいくつか設けられていた。そこからは雄滝が見下ろせる。雄滝は大きな岩の一枚板を流れていて、その景観だけで公園を作るに値すると思った。惜しむらくは、場所が奥に入りすぎていて、ちょっと気軽には来れないという点だろう。
 展望台の脇に水が轟々と流れ出る水路の出口がある。近代水道の最初期の設備だとかいった銘板が貼ってある。その脇に岩をえぐった階段があったので、登ってみた。ちょうどトンカラリンみたいな感じで数メートル登ると、もう終点で、行き止まりだった。金網がめぐらされ、ここも水道設備の一環だということがうかがえた。というか、そう書いた表示がやはり掲げられていたのだが。
 展望台に戻り、来た方向を見ると、その脇に川の方に向かって階段が続いているのが見えた。この階段は、やはり落ち葉が積もり、また壊れかけてもいたので、やや危なっかしい。幸い、履いているのはライトトレッキングシューズだ。
 下って行くと、滝見橋という吊り橋に出た。その名の通り、雄滝を見上げるには絶好の場所だ。対岸に渡り、さらに道は上の方に続いている。そのつづら折りの道を歩いて行くと、岸壁に不動明王が彫られ、その回りにたくさんの像が並べられた地点に差しかかった。滝に不動明王はつきものだが、ここの像たちは人気もないため、かえって神秘的に写る。デジカメにその光景を納めていたら、上の方でなにかが動いた。よく見ると、不動明王像の上の方にも細い道が続いている。そこを歩いて降りてくる人がいたのだ。
 その細い道には立ち入らず、手すりで補強してある比較的立派な道(とはいえ苔むし、やや危なっかしい点に変わりない)を登っていった。途中、さっき上の方から降りて来ていた男性とすれ違い、挨拶を交わす。散歩中のおじいさんでした。
 道を50mほどの上り詰めると、なんと車道に出てしまった。この辺では旧道という細い道だ。ここから二河峡公園に戻るにはどうすればいいのだ? 簡単には戻れそうになかったので、苦笑いしながら来た道を戻る破目になった。
 滝見橋を渡ったところで、さっき降りてきた道と別に、下流に向けて道があることに気付いた。ここを降りて行くと、さっきの鉄橋まで戻れた。
 ママチャリまで戻り、近くの案内板でさっきの順路を確認した。さっきの不動明王ゾーンは観音堂というのだと思っていたのだが、それとは位置が違う。どうも別に観音堂という本格的なものがあるらしい。
 ママチャリにまた乗って、今度はいつもの河口の公園へと走った。いつも人気のないここに、珍しく先客が。公園の真ん中には、昔の庭園の名残で枯れ山水風になっている場所があるのだが、なんとその岩の上にトライアルバイクでよじ登っている連中がいたのだ。いやはや、こんな場所で見かけようとは。こんな小さな公園でさえ、公園トライアルは行われているのだった。しかし、この先復元するかもしれない庭園を使ってやるのはやりすぎだ。
 日も暮れてきたことだし、踵、いやホイールを返して、家路を急いだ。

ママチャリ復活の日

17時00分 自転車 天気:よく晴れてる

 実家には母が買った24インチのママチャリがある。これ、母が通勤に使うつもりで買ったはいいが、そもそも自転車に乗れないので、練習もしないでほったらかしになっていた。どうせなら僕が使ってやろうと思った。
 昼前に中通りに出て、モリスで中華そばを食す。12:00前に行ったのだが、既にけっこう並んでいた。相変わらずうまい。盛りつけも麺の茹でもいい加減だが、スープの旨みはすばらしい。家系ラーメンだと残してしまうが、ここは全部飲み干してしまう。これで帰省の目的は果たした。
 帰宅して、ママチャリのタイヤに空気を入れ、外に連れ出した。いつもスポーツバイクばかり乗っているので、ママチャリのサドルに体重の大半をかけるポジションは新鮮だ。安定性もすばらしい。BD-1とはちょうど逆だ。安定性はいいが小回りは利かず、ペダルを踏んでも反応が鈍い。その代わり、10km/hくらいでトロトロ走るのは非常に楽だ。こんな自転車に慣れている人が、いきなりBD-1に乗れば、そりゃあ『不安定だ』という感想も抱くだろう。それもBD-1に慣れるまでのことではあるけれど。

2002年12月29日(日曜日)

締めくくりは、やはりBD-1で

17時00分 自転車 天気:なかなかいい天気

 今年一年もよく走ったなあ。しみじみと感慨にふける我が輩である。思い出すだけで、三浦半島数回、真鶴数回、大山、ヤビツ、しまなみ海道、麦草峠、南会津、大島、その他シングルトラックやらロングライドにも挑戦したなあ。万年虚弱体質の僕には想像もつかないような日々だった。
 自転車も相変わらず買いまくった。MR-4FにBikeE、そして大物のEPIC。最後のは予想外だった。パーツもたくさん買って、改造もしまくったなあ。おかげで金が無くなったぜ。後悔半分、諦め半分の境地だ。まあ、金は天下の回りものというしな(どうも僕に縁のないところを回っているようだが)。
 昨日、今年一番の距離を乗ったに違いないTCR-2を走らせて、走り納めの気分になっていたが、起きてみるとどうも走り足りない。もう一走りして、それで終わりにするか。今日帰省するのだが、今回はそんなにいないので自転車は持ち帰らない。だから、今日ちょっと走って、それでおしまいということにしよう。最後を飾るのは、やっぱりBD-1ではないか。最初に買った自転車だし、最近は他の自転車にかまけて乗ってなかったから、最後はこれに乗ってやろう。思い起こせば、武蔵の森林公園オフ以来だ。
 タイヤに5BARまで入れ、長後のCoCo一番へと走った。久しぶりに乗ると、ロードバイクとの姿勢の違いがよく分かる。BBが前方にあるので、ペダルを前方に蹴り出すような感じになるのだ。ロードバイクに比して、上体を起こし気味にしないと、かえって呼吸がつらい。だいたい、ハンドルバーとサドルが同じ高さになるのがいいのだろうか。あまり低すぎるのは考えものだ。しかし、ロードバイクに比べて路面の荒れに鈍感だし、サスペンションもうまく働いている。こいつのサスペンションは、前のコイルスプリングの振動を、短いフレームと後ろエラストマで減衰させる、いわば前後一体の設計になっているようだ。
 ペダルをくるくる回しながらCoCo壱番屋まで走る。昼食を取り、そのまま帰宅した。

2002年12月28日(土曜日)

横浜ポタ下見行

00時00分 自転車 天気:いい天気になったよ

 朝7:30起床。寒い。洒落にならんぞ、こりゃ。今日は来年1/4決行予定の横浜ポタの下見があるのだ。いや、下見という名目での、事実上の乗り納めオフになりそうだが。適当に飯を食いながら、天気予報をチェックした。今日一日、晴れが続く模様。雨具も輪行も考えなくてよさそうだ。ならば、ということで、TCR-2で自走することにした。
 9:00ぐらいに家を出て、桜木町まで突っ走る。勝手知ったるR1だ。やはりロードバイクはこういう舗装路には強い。1時間弱で桜木町駅の近くに到着した。桜木町駅の改札に向かっていると、階段の側で輪行解除をしているおのひろき氏とその松女史の後ろ姿が目に入った。サープライズ!(爆) 背後から急襲しようと近づくが、あえなくその前に発見されてしまった。一緒に集合場所のみなとみらい口に出ると、同じく輪行解除していた@nak(た)女史と会う。しばし待つうちに、残るにち氏、こぐ氏、その奥方のこぐやまのかみ女史が相次いで到着する。こぐやまのかみ女史(これ、早くいいハンドルをつけないと定着しちゃいそう)、(た)女史はそれぞれUKブロンプトン(インター7仕様)というブルジョワジーの乗り物で参加。それ以外のメンバーはだいたいBD-1系だ。
 適当に体が冷えきったところで(爆)、まずはみなとみらい方面へと走り出した。まずは隣港パークへと。インターコンチネンタルホテル(それにしてもなんという名前だろう)と国際展示場の間を走り抜け、午前の白んだ明かりの中の隣港パークに到着した。この時間にここに来るのは始めてだ。だいたい、黄昏時にやってきて、その通りに黄昏れるのが通例だったから。人気も無く、明るい日差しに溢れるここは、初めて訪れたように新鮮な印象だった。
 近くの新港パーク(それにしても"x港"という公園が多すぎる)まで走り、ここでしばし休憩。この間に、(た)女史はワールドポーターズに走り、お茶を買ってきたようだ。ここも人が少なく、のんびりした雰囲気。
 さて、お昼時が近いので、先を急ぐ。赤レンガパークを通過し、山下公園に駐輪した。ここから、中華街に歩いて入り、そこで食事することになっている。中華街の入り口ですずきなおし氏と待ち合わせ、一緒に店を探しながら歩いた。やがて裏通りにある(た)女史お薦めの店に入った。ここでの昼食は、全員が1000円コースを選択し、人数分の分量を持った大皿が出てくるというアバウトな、しかし中華料理の醍醐味を味わえそうな物となった。全員の漠然とした総意により、1/4の昼食場所もこことなった。
 駐輪場に戻ったところで、財布の中身が乏しくなっていた僕は、銀行に行ってこようと考えた。にち氏らと相談し、結局はすずきなおし氏に案内の労を取ってもらい、石川町のUFJに立ち寄ることになった。行ってみると、クレイジー・ダボのすぐ近くだった。なあんだ。金を下ろし、トンネルを越えて、産業道路の適当な地点で後続との合流を図った。が、しばらく待っても来ない。どうも先に行ってしまったらしいと判断し、シンボルタワーへと急いだ。
 案の定、一行は既にシンボルタワーに到着していた。ここでお茶休憩。なぜか火器は出ず、揚げギョーザ風のお菓子(いや惣菜?)、胡麻団子を、自販機の缶を供に食すお茶タイムとなった。今日は霞はあるものの、空はよく晴れている。日差しが暖かい。
 今年の実績では、ここから磯子方面に走り、不動坂という激坂を通って丘に登るルートを通ったという。だがこの不動坂、坂がきついというよりも、交通量が多いのが問題。そこで、目的地である「港の見える丘公園」まで、本牧の大通りに沿った裏道から上がるルートが、すずき氏によって提案された。すずき氏の先導により、一行は湾岸道路を通り、本牧ルートから裏道に入った。しばし、二度と通れなさそうな生活道路を通過し、やがてかなりの坂に差しかかった。小径車と700Cロードバイクとでは最適な走行速度がまるで違う。失礼を承知で、先行車の右をパスして一気に駆け上がった。ゆっくり登ると、かえってつらいのだ。
 この辺で(あ)氏と落ち合うことになっていた。携帯電話で連絡を取り、丘を越えた所にあった「港の見える丘公園」(ベタなネーミングだ)で落ち合うことになった。公園に入ると、黄色いブロンプトンを従えた(あ)氏が待っていた。これでメンバーが揃う。
 公園の広場で、どうやら練成途上らしき大道芸人の男女カップルが、それぞれに芸を披露し、まばらな拍手を受けていた。それにお構いなく、我々はなぜか試乗会へと突入した。きっと、暮れ行く横浜の空がそうさせたのだろう(まさに宇宙の神秘だ)。
 我がTCR-2にも試乗していただく。ロードバイクの乗り味を知ってもらい、ロードバイクを買わせてしまおうという目論見だったが、狭い公園での試乗には限界があったようだ。あまり積極的な反応は得られなかったようだ。
 一方、その松女史がSPDなビンディングペダルを装備してきたことから、俄にビンディングペダル体験大会にも発展した。その場にSPDシューズが3足(その松女史、おの氏、僕)ほど揃っていたので、合うサイズも探しやすい。まず(た)女史が体験。事前に散々に脅かされていたせいか、最初はなかなかはまらなかったようだが、最後には危なげなく試乗を終えた。『足を回すのが楽』との感想。これは、来年最初にはビンディングでデビューか? 次ににち氏。こちらはサクッとクリートをはめ込み、サーっと公園の出口、こちらからは死角になっている方向に向かっていった。と、そこからなかなか戻ってこない。『こけたか?』と話していたら、にち氏が戻ってきた。やっぱりこけたとのこと。早速ビンディングの洗礼を受けたわけだ。なんでも、走ってるときに携帯電話を落とし(この日、4回ぐらい落としたのと違うか?)、それに気を取られた結果、自分がビンディングを着けていることを忘れてしまったとか。
 にち氏の失敗をじっくりと眺めていた(あ)氏は、真打ち登場とばかりにその松's BD-1にうちまたがった。サクッとクリートをはめ、サッと走り出す。まるでビンディングを履きなれているかのようにスムーズではないか。(あ)氏はいったん公園の出口方向に消え、またすぐに戻ってきた。トイレに行きたくなった僕は戻ってきた(あ)氏とすれ違う。氏は『こんなのなんでもないじゃん』という顔をしていた。氏は減速し、ゆっくりと仲間たちの方に近づいていった。それを思わず見送っていると、氏がなかなかビンディングを解除しないのが気になった。ペダルの上に立ち、すぐには外せそうにない体勢だ。(あ)氏はおの氏らにぎりぎりまで接近し、ほとんど止まる寸前まで減速していた。(あ)氏がなにかを口にしようとした。その瞬間、氏はBD-1もろとも傾き始めた。その時のおの氏の慌てた表情は忘れられない。おの氏も(あ)氏がすぐにはビンディング解除できない体勢であることに気付いたのだが、口にしようかどうしようか迷っているうちに(あ)氏が倒れはじめたのだ。周囲の皆が慌てるなか、(あ)氏はなす術もなく転倒した。ペキンパーばりのスローモーション効果付きだった。(あ)氏いわく、ビンディングを着けていることを一瞬忘れたとか。こうして約3名へのビンディング洗礼は終わった。これが港の見える丘ビンディング試乗事件の顛末です(一部想像、誤解を含むかも知れず)。
 日暮れ時まで港が見える丘公園で過ごした後、一行はお好みハウスへと向かった。ここでとりあえずの締め。今日はけっこう混んでいたため、お任せモードで烏賊、焼きそば、お好み焼きなどを食す。20:30から予約が入っているとかで、約2時間で辞す。来年1/4の予約は入れた模様。
 その後は、お好みハウスで買った八朔ゼリーの賞味をすべく、スターバックス(横浜秘境店)に移動し、しばしまったり過ごした。
 22:00過ぎに解散。これで年内のオフはもうない。今年はよく遊んだねえといいながら、三々五々散っていった。
 僕はR1経由で家路を急ぐ。こういう道はロードバイクだと楽だ。帰宅した頃には、寒気もなくなって汗ばむくらいだった。しかしまあ、もう少し暖かかったらいいのだが。

2002年12月26日(木曜日)

ブレーキの効き改善は続くよ

00時00分 自転車 天気:快晴

 寒波がやってきたのだろう、夜になって急激に寒くなってきた。あまりの寒さに天体観望はお休み。ええい、根性無しめっ。
 だが、そんな夜にも、夜トレには出動するのだ。昨日交換したブレーキの効きを見たい。期待を込めて、MR-4F改を持ち出した、のだが......。
 んーむ......やっぱり効かない。ブレーキのタッチは向上したのだけど、効きは全然改善されてないのだ。これはどういうこと?
 帰宅してから、ブレーキの動作を良く観察した。アーチが接触するまではスムーズだ。が、接触してからも、把握力が弱いのか、リムが滑ってしまう。TCR-2の場合、接触して、少し握力を掛けると、すぐにリムの滑りは止まる。が、MR-4F改の場合、相当握力を掛けないと、リムが止まってくれないのだ。リムの状態はどちらもそこそこきれいだし、シューの汚れも軽度だ。
 よく観察すると、リムのシューが当たってから、強く握力を掛けると、バーテープの一部がググッと持ち上がる。TCR-2ではほとんどそういうことはない。これで思い出したのが、MR-4Fをドロップ化したときの作業だ。実は、ストレートバーから交換したとき、STIレバーから補助レバーまでの間に挟むブレーキアウターを短くしすぎて、上からバーテープで抑えてごまかした経緯がある。あれがブレーキの把握力に影響しているようだ。やはり、またバーテープをはがして、アウターを入れなおすしかないか。
 実は、もう既に黒いアウターを発注してある。買い置きのシルバーのものがあるのだが、やっぱりMR-4Fには黒だろう。というところで、ふと思いつく。黄色いアウターはどうだろう。結構いい感じになりそう。どこかで探して見繕ってくるか。

2002年12月25日(水曜日)

MR-4Fブレーキ換装

00時00分 自転車 天気:晴れ

 以前から懸案だったBD-1のブレーキ換装に手を着けた。といっても前ブレーキだけ。TEKTROのブレーキを外し、ULTEGRA化したTCR-2から外してあった105グレードのものに替えた。これだと右シューだけトーインが着くという現象は出ない。どうも、TEKTROのものは、なんらかの原因で歪んでしまったようだ。
 取り替えたブレーキだと、シューが左右ともリム面と並列になり、ちゃんと効きそうな雰囲気だ。それと、なぜかブレーキタッチが劇的に改善された。前はグニャッという感じで最悪だったが、今はTCR-2と同じくコクッという感じになったのだ。やっぱりTEKTROのものはなんらかの原因で壊れてしまったようだ。
 今日は風が強すぎて外に出られないのだが、明日の夜トレで効きを試してみようと思う。ブレーキが改善されたら、後はハンドルの高さという問題が残る。

2002年12月23日(月曜日)

MOBILLYたん受け取り

00時00分 自転車 天気:晴れました

 今日は結構な天気になった。できればツーリングに出かけたいところ。しかし、朝の寒気に早起きの道は阻まれ、結局昼になってから起床する。
 今日は改造したMOBILLYを受け取りに、和田サイに出向かねばならない。しかし明るい時間に自転車に乗りたい気持ちも強かったので、長後のCoCo壱番屋まで昼食に出かけた。明るい空の下、乗り回すロードバイクは、やはり気持ちいいものだ。
 15:00過ぎ、身一つで電車に乗り、和田サイクルを目指した。
 和田サイ着は18:00前。和田店長に声を掛け、我がMOBILLYを受領した。和田店長の話だと、僕のMOBILLYはUGO14より重いリアハブを使っていたらしい。あまり重量増にならなかったかもしれない、とのこと。早速試走する。うっきー氏のものと同じく、幅広い速度域に対応できる、頼もしい足応えだった。
 和田店長に礼を言い、家路に着いた。もう少し待つとタムラーがぼちぼち出現する頃だが、気力が下がり気味だったのでそそくさと引き上げた。
 このMOBILLY改で鎌倉往還、さらには三浦半島往還をやってみたい気分だ。その前に、もう少し軽量化しないとな。

2002年12月20日(金曜日)

止まらぬブレーキの恐怖

00時00分 自転車 天気:悪くなる一方

 今日はMR-4F改で夜トレに出動。空は雲が多く、明日はやはり雨になりそうな雰囲気だ。今年の冬は天候が安定しない。
 MR-4F改の悩みは、ブレーキの利きが悪いこと。本当に、なんでやねんといいたくなるくらい止まらないのだ。ブレーキケーブルのルートに無理があること以外に、ブレーキ本体になにかが起こっているような気がする。時間があれば前ブレーキだけでも105に替えて試してみたいところだ。
 例によって明かりはEL300だけなので、西俣野までトロトロと走っていった。西俣野の上りをミドルギアでえんやこらと越え、R467に入った。30km/hから、時には40km/hくらいまで出して、ブレーキの調子を見るが、あらゆる領域で止まらず、フィーリングもグニャッとしたもので、良くない。アルテグラを着けたTCR-2だと、短い距離でシュッと止まってくれるのだ。走っているときの安心感が段違いなのだ。MR-4F改は、ケーブルを全面的に張り直そう。
 交差点を過ぎたところで、一台のワゴンに右から抜かされたところだった。そのクルマ、こちらを抜きざまに突如として左に変針したのだ。しかも、なにを思ったのか、曲がる先の脇道に鼻を突っ込んだところで、急に一時停止してしまったのだ。ぶつかる、と、思いきや、なんとかブレーキで停止できた。そのドライバー、どうも自転車がどんなスピードで走っていても、2m以内に止まれると信じ込んでいるようだ。こういう手合いが多いので嫌になっちゃうぜ。
 しかし、止まらないブレーキはやはりヤバすぎると思い知ったので、なんとかなるまでMR-4F改は出走停止にせざるを得ないなあ。ブレーキシュー交換とか、ブレーキ本体交換とか、いろいろ試してみよう。もしかしたら、ケーブル張り替えだけで済んじゃうかもしれないのだが。

2002年12月19日(木曜日)

いきなりですか、雨さん

00時00分 自転車 天気:晴れ時々雨

 火曜日に夜トレをやったから、中一日置いて今日もやろうかと思いながら、会社の建屋を出た。途端に目に入ったのは、濡れた地面。アイヤー、雨が降っていたとは。路面が濡れ濡れで、我がTCR-2の2000km超(たぶん2500km弱)の酷使に完全スリック状態の('の'が多すぎ)タイヤではスリップ三昧であろうと思い、今夜の出走は取りやめだ。明日走ろう。
 あんまり毎日走りつづけていると、筋繊維に超回復が起こる前にまた疲労がたまるので良くないそうな。しかし間を置きすぎると超回復のピークを逃すのでこれも良くは無い。要するに一日置きくらいがいいんじゃないかと思っているのだが、なかなかうまくいかないもんだ。雨の日に備えて、ローラー台か、雨の日仕様の自転車を作るか(BD-1にマッドガードを着けりゃいいのだが)。

2002年12月17日(火曜日)

フォークがぐらぐらする?

00時00分 自転車 天気:晴れ

 今夜も夜トレ。妙に足が回って、西俣野の坂をのぞけばアウターで踏んでいけた。超回復したのか?
 帰宅して、TCR-2を部屋に入れようとしたときだった。階段を上がる前後からどこかガタガタすると思っていたので、ヘッド周りを揺さぶって確かめてみたのだ。すると、フロントフォークがガタガタと揺れるではないか。どういうこと?
 とりあえずステムを締めなおしたりしたのだが、解消できない。そういえば、フォークはどう止められてるんだっけと思い、メンテナンス本を読んでみた。それによれば、フォークはキャップを貫通している長いボルトで固定されているのだと分かった。なるほど、勘違いしていた。てっきりステムで止めているのだと思っていたのだが、それは間違いだったのだ。
 ステムを緩め、キャップ部のボルトを締めると、ガタつきは解消された。ついでに玉当たりも調整しておいた。やっとヘッドパーツの構造が分かってきたな。

2002年12月16日(月曜日)

MR-4F改の改良点を考える

00時00分 自転車 天気:晴れのち雨

 ここ数回のサイクリングで、MR-4F改の問題点が明らかになってきた。一つはハンドルの位置が低すぎること。これは既に分かっていたこと。もう一つはブレーキがまるで効かないことだ。なんだかフラットバーの頃より余計に効きにくくなっている。リムを掃除しても解消されないので、原因は別にありそうだ。
 ハンドル高さの件は、応急処置としてステムの位置をさらに少し上げた。限界点を超えているが、この程度なら折れたりしないだろうと思う。この時に、ブレーキケーブルの経路もずらした。いままでは真ん中でフラッシュライトを挟むようにして交差させていたのだが、これを左右に分け、交差を止めた。これで余裕が多少出来たのか、ブレーキフィーリングが少し向上した。ステムを動かしたついでに、回りやすいハンドルバーのクランプ部を、十分に脱脂しておいた。
 ブレーキフィーリングも影響しているのだろうが、ブレーキの利きにはパッドの取り付け方も関係しているように思えた。前の右パッドが、見たところトーイン付き過ぎの状況だったのだ。その修正を試みたが、どうしても強いトーインがついてしまう。もしかして、ブレーキが歪んでいるのだろうか。ブレーキ本体が歪んでいるのか、取り付け部が歪んでいるのかは不明だが、そういう話は何度か聞いた事がある。
 もしもブレーキが歪んでいるのなら、ブレーキ取り替えるのも手だ。だがMR-4Fの後ろブレーキは、後ろに突き出したシートチューブに干渉する関係で、シマノのアルテグラなどのグレードのものはつかない。デュラエースならイケそうという話もあるが、高いからなあ。
 とりあえず、前ブレーキを前にTCR-2で使っていた105に替えて様子を見ようかと思う。いくら良く走っても、止まらない自転車は怖いからな。

2002年12月15日(日曜日)

吉例、荒川サイクリング

00時00分 自転車 天気:チョット雲多いかな

 朝5:45起床。前日にほとんどの支度を終えていたので、すぐにサイクリング装備に身を固め、とりあえず吉牛で牛鮭を食らった後、立場駅まで走った。立場駅前で輪行態勢を整え、地下鉄で戸塚に向かう。戸塚でちょうど湘南急行を捕まえ、後は池袋まで直通できると安心し、シートでゆったり休んだ。
 今日の服装は、下はパールイズミのレーシングタイツ、上は長袖Tシャツの上に、カステリのウィンドストッパー・ジャージ、同じくウィンドブレーク・ジャケットを着込んでいる。これが非常に快適で、軽いのに冬の寒気をほとんど感じないで済む。特にジャージが秀逸で、前方からの風を防ぐように腕、体の前面にはウィンドストッパー素材を貼り、それ以外の部分は薄いジャージ地になっている。放熱性がいいのだ。暑くなっても、ジャケットのジャンパーを開放すると、ジャージの非ウィンドストッパー素材の部分からスーっと熱が逃げて行く。これはいい。かぜ氏が熱心に薦めるわけが分かった。もう一着買うかも。
 少しうつらうつらしてるうちに新宿到着。ここで降りる予定は無かったが、時間的に早すぎ(7:40くらい)なので、時間調整のつもりで、ここで一度降りた。
 埼京線で大宮行きを捕まえ、余裕ありすぎだなあと思う間もなく着。なんと8:15に着いちゃったよ。いくらなんでも早すぎである。
 集合場所に移動し、MR-4F改を組み終わっても、まだ8:20くらい。全然時間があまってしまった。どうせ、大半の参加者は8:55以降に到着するのだろうに。
 この寒さでは寝て待つわけにもいかない。仕方ないので早速火器を出し(間違いなく今日の一番乗り)、コーヒーを沸かし始めた。と、そこに最初の参加者が。BD-1に乗った青年で、BD-MLで"駆け出し前の自転車屋"と名乗っていた人だった。名乗りは"た~くん"だが、この日記での慣例に従えば"た~氏"となるのか。彼はCBあさひの関東店舗に就職する予定なんだとか。僕も通販はよく利用するよなどと話しているうちに、だんだん人が集まり始める。変わったミキストフレームの折り畳みに乗った女性が現れた。実はミキストの折り畳み、ブリヂストンのグランテックが欲しかった時期があったのだが、その自転車はその24インチ版、今は作ってないバージョンらしい。女史のハンドルはひとりしつか。なんて意味なんでしょ。
 9:00頃にはまあ過半数かなという人数が集まっていた。ふと、うー氏と目が合うと、「ミラーあるよ」と声を掛けられた。えっ、間に合ったの? 実は、BD-MLでうー氏の骨折りによる眼鏡取り付け式バックミラーの共同購入の話があり、一口乗っていたのだ。返事が遅れているとかで間に合わないかなと思っていたのだが、ギリギリに来たらしい。早速受け取り、ZEALのサングラスに取り付ける。一応、背後の視界は確保できるが、慣れが必要だ。それと、アップライト、しかも我がMR-4Fのように戦闘的な前傾姿勢では、肩が邪魔になって背後が見えない。リカンベントでの使用がよさそうだ。
 9:15頃、ようやくほぼ全員揃、った雰囲気(爆)。ドタ参、ドタキャンが相次いだので、正確な人数はいまいち不明だが、60人近い模様。それにしても、この寒空に60人も集まるなんて。
 スタートが宣言されて、三々五々走り始める。最初のうちはた~氏、hai氏と並走する。MR-4F改は意外に疲労も少なく、股間への負担もフラットバー時代から減ったような気がする。しかし、寛いで走れるという感じではないな。
 最初の休憩は、以前は青水門の上で取っていたのだが、最近はその先の草地で取るようだ。60人ともなると、水門の車止め周辺に固まっていると、ずいぶん迷惑になるからな。
 ここで、今回参加した業者の方が持ち込んだ、スクーターバイクという新しいリカンベントの試乗などが行われた。リアサスを持つこのリカンベントは、外装8段、シートが比較的立った、親しみやすい形態のものだった。次々に試乗するのだが、BikeEより不安定、いや安定しているなど、意見が分かれる。普段、リカンベントに乗っている人ほど、寛容な感じを受けた。人の自転車を眺めながら寛いでいたら、寝坊したまき氏が猛然と追いついてきた。RecumbentMLの方で作ったジャージの配布を今日やるつもりだとかで、サイドバッグがパンパンに膨らんでいた。
 さらに虹の広場まで走り、また休憩。今日は休憩時間が長め。寒いのと、人が多いのとで、自然に集団の動きが少なくなってしまうようだ。
 ふと、妙にレトロなベルの音がしたと思ったら、48インチのオーディナリ車にまたがって、フィリップ氏が登場。たちまち人だかりだ。高い乗車姿勢もあり、目立ち度では随一である。
 虹の広場を出て(いつもよりペースが遅い)、kit氏が乗っているLOOKのKG381をうらやましがったら、試乗させてもらえた。サイズはほぼ近かったようで、サドルがチト高かったことをのぞけば、比較的楽なポジションを取れた。短い試乗だったのでどうこうはいえないが、BBからの衝撃がTCR-2より軽い感じがした。それと、なぜかダンシングが楽しい。kit氏が以前所有していたOCR-Xに比べると、長距離でも疲れにくいそうだ。参ったな、ますます欲しくなっちまった。
 最後の休憩を挟み、葛西橋を下流側から渡ると、いつものコンビニで昼食の買出しだ。今日は火器を所持していたので、アルミ箔鍋のきつねうどんを買ってみた。これだけでは寂しいので調理済みウィンナーも買い、バックパックに入れた。
 買物が終わった人から順次、葛西臨海公園に向かった。海沿いの道に出たところで後続を待つ。後続が現れたところで、腹もすいたし、時間も遅いのでアタックだ、と増速して走り出したが、誰も着いてこない。ロンリーな道行となった。
 いつもの東屋には先客が居た。一瞬、今日は使えないかと思ったが、実は先客は寝坊して直行してきた参加者の一人だったのだ。やがて、後続も到着し始め、東屋周辺に変わった自転車と参加者が満ち溢れることになった。
 きつねうどんは見事に出来た(当たり前)。しかし物足りない。鶏鍋にでもすればよかったかな。それと、愛用のプリマスガスバーナーは、五徳が三本足で、しかも径が小さいため、大き目の鍋を載せた場合に不安定になりやすい。シエラカップで湯を沸かすぐらいなら気にもならなかったのだが。
 とりあえず解散が宣言された後、hai氏とともに御徒町のOD-BOXに寄ろうという話になった。途中まで、西葛西に行きたいが道がわからないひとりしつか女史らを先導する。西葛西駅前で一行は分散し、僕はhai氏の先導で御徒町へと向かった。
 交通量が多く、快適とはいえない道行きだったが、やがてhai氏の骨折りにより無事到着。OD-BOXを探し出し、下のフロアから順次見て回った。アウトドアフロアでは、今日の葛西臨海公園での火器大会とでもいう状況に触発されたhai氏が、携帯ストーブと食器を見て回った。イワタニのジュニアバーナーがよさげ。僕も五徳の広い、煮炊きにも使えるサイズのものが、一つ欲しくはなった。でも今のプリムスでもなんとかなるしなあ。
 東京駅までhai氏とともに走り、ここでMR-4F改をたたんだ。走行距離は60km足らずだったのだが、なぜか疲労感が強い。

2002年12月14日(土曜日)

イトイサイクル相模大野店訪問

00時00分 自転車 天気:けっこう快晴

 明日は久しぶりの荒川オフ参加なので、今日はあまり遠出しないことにした。
 昼過ぎ、やはり自転車に乗れないのはつまらないので、フラフラと出かけてしまった。乗車はEPIC号。漠然と冬用ウェアを欲していたので、在庫豊富なサガミに向かう。
 3号店を冷やかし、また店員さんと話をする。クランク軸幅を詰めて、チェーンを噛みこんでしまった現象のことを話す。その場には赤のSサイズがあったが、赤というよりオレンジに近い印象だ。これなら黒でよかった。我がEPIC号のリアフレームが傷ついた事を話し、いつか折れてしまった場合に取替え可能か聞いたら、前のROCK HOPPERでは可能だったので、多分可能だろうということだった。これで一安心。
 サイクルセンターのアパレルコーナーをうろついていたら、かぜはるか氏激賞のカステリ・ウィンドストッパー・ジャージの在庫が復活していた。早速、持っているウィンドストッパー・ジャケットの色に合わせ、黄色のMを買った。さらに足元の寒さ対策として、シューズカバーも買う。
 サガミを出て、瀬谷方面に走り、海軍道路に入った。相模大野に向かうつもりだった。海軍道路の北端でコースを西に向かい、やがてR16に合流。そのまま走りつづけると、やがて相模大野駅近くに出た。伊勢丹の対面を注意深く探すと、ずいぶん立派なビルにイトイサイクルが入っているのを発見した。ビルの1Fから5Fまで、全部使っているようだ。売り場は1Fから4Fまで。1Fはお買物自転車主体の品揃えで、2Fに本体、3Fにパーツ類が置かれている。完成車の在庫量は多い。が、サガミのようにマニアックな品揃えという感じでもない。サガミの1号店(ママチャリ専用店)から3号店までをまとめ、マニアックな部分を抜いたような塩梅だ。
 品揃えをチェックしてから、もう暮れ始めている空と競争しながら、自宅へと自転車を走らせた。

2002年12月13日(金曜日)

夜トレ行って来た

00時00分 自転車 天気:まだ晴れてる

 今夜も夜トレに出撃。ペダルをガシガシ漕ぎ続け、1時間強で帰着。今夜はなるべく長くダンシングをと心がけたが、やっぱり何分も続けられない。ダメだ、ヘタレだ。シートピラーはなかなか具合良くなってきたが、路面の突き上げをそのまま伝えてくるのにはメげる。やっぱりサス付に戻しちゃおうかな。
 夕食は作るのが面倒だったので、コンビニで買い食いした。

2002年12月11日(水曜日)

ボーナス出たからナイトラン(因果関係不明)

00時00分 自転車 天気:快晴

 無事、ボーナスが出た。でも、この前にEPIC号を買ったばかりだから、もう派手な買物は出来ない。来春に向けて、再びじわじわと貯めモードである。
 そんな鬱憤が炸裂したか、久々にナイトランしたくなった。いや、夜走ること自体は、日曜日にもやったか。TCR-2をトレーニングコースに走らせる。
 今日はそんなに負荷をかけてなかったし、実際30km/hなんて全然届かないような低速で走ったのだが、なぜか非常に汗をかく。ああ、ここ数日の暴飲(ビール)暴食(鍋)の分が抜けているのか。いや、今日はCWXの上にパンツを履いたので、やっぱり暑いのかな。
 ここ数回の試乗で、どうしてもずり下がってしまい困らされたカーボンピラーだが、十分に脱脂するともう下がらなくはなった。その代わり、あまりにきつく締めてしまったせいか、もうヒビが入ってやんの。あーあ、安もんだから(なんと6000円)、それほど痛くは無いのだが。
 帰宅して、上着を脱ぐと、汗が額から垂れた。

2002年12月08日(日曜日)

過酷で楽しい、三崎マグロツアー2

00時00分 自転車 天気:始終小雨降る

 さて、恐れていたとおり、雨はやまない。朝になっても小雨が降っている。ところが三浦半島のピンポイント予報では、昼の間はくもりだという。雨ではない。降雨確率は50%。超絶的に微妙だ。しかし、ものすごく寒くなることは間違いない。迷ったが、いちおう決行のサインを掲示板に出した。悪天候であることから、参加は各個人で判断してくださいと書いた(というか僕が判断することでもないのだが)。すると参加取りやめが相次ぎ、最終的に4人しか残らないという事態になった。まあ、これくらいなら気楽に先導できそうだが。
 ドロップ化MR-4Fを抱えて横須賀中央に降り立ち、しばし待つ。すると、この悪天下にのこのこやってきた
変わり者勇者たちが集まってきた。hai氏、まき氏、そしてにち氏だ。みんな好きだネー(僕もだがな)。
 寒い中、駅前で自転車を展開し、コンビニで買い物を済ませ、いざ出発だ。
 小雨が続いているが、大雨ではない。みんな覚悟して雨具をつけているおかげで、さほど不快な思いをせずに走って行ける。寒いのも、走っている間は気にならない。が、止まると応える。
 R16を馬堀海岸へと向かう。今日は北北西の風という予報だったので、たぶん追い風に乗って行けると考えていた。が、実際にはえらい向かい風だった。こんなはずじゃないのに。しかし考えてみると、馬堀海岸はほぼ東西方向に伸びているので、風はやや左前方から、合成風力としては完璧に向かい風になるのだ。これは盲点だった(というか早く気づけ)。気づいたところで、向かい風は耐え忍ぶしかない。ドロップハンドルを生かしたクラウチングスタイルで頑張る。
 しかもこの日、波がかなりあって、岸壁をしばしば波が乗り越えている。けっこう高く上がる波にヒヤヒヤしながら走っていたところ、来ました、突然、高波が。避ける間もなく、その波しぶきの下に突入だ。どうなる日本! 被りました、しっかりと。「アルミも錆びる」とまき氏に脅かされる。後でしっかり整備しなければ。
 この向かい風は、観音崎を回ったところで弱まった。後はむしろ追い風だ。これは快適。みんな一気に平均速度が上がる。
 浦賀、久里浜と周り、ペリー公園で一休み。雨足は強くなく、弱く降ったりやんだりしている。おかげで、そんなに不快な思いはしない。しかし、止まっていると体が冷えてしまう。トイレに行ったり別の観光客の撮影を手伝ったりしているうちに、震えが来るようになった。危うし、俺様の肩!
 体が冷えきったところで再出発。三浦海岸を走り抜け、いよいよ引橋への上りにかかる。いよいよドロップ化の真価が問われる時が来た。一本道なので、後続にお構いなしに、自分のペースで上り始めた。うん、楽だ。やはりな。このポジションは登り坂に強いようだ。フロントをインナーに落とすことなく(実はこの日一度もインナーに入れなかったのだが)、ガシガシ登って行ける。中間地点で後続を待つふりをしながら休憩を取り(ずるい)、また上り続ける。引橋まで登りきった時点での感想は、この自転車ならこの世のどこにでも行けそう(悪路を除く)、というものだった。頼もしいぜ、ドロップ化MR-4F。
 引橋からだいたい下り基調で三崎港に降り、みんなそろってちりとてちんに突入。ここでいよいよお昼ご飯である。僕はマグロ照り焼き丼、他のみんなはお得なちりとてちん丼だった。これにまき氏、にち氏、僕には黄金の発泡液体がつく。hai氏はリンゴジュースを注文。乾杯! ここでハプニング発生。給仕の女性がhai氏のジュースを倒してしまい、hai氏にジュースが降りかかってしまったのだ。「リンゴの香りのレインウェアだ」などといじめているのか慰めているのか分からない他三名だった。
 マグロに満足した後は、"うらり"であんとろまんをぱくつく。外は寒いが、中は暖かい。勢い、長居してしまいそうな一行だった。しかし、帰路のことが気になる。これ以上天候が悪化する前に、にち氏宅に移動し、すき焼きに備えようという話になった。結局、三崎口駅でエンドだ。
 三崎口まで、いつもの坂をよじ登り、三崎口へと下った。走行距離は35km程度だった。

2002年12月03日(火曜日)

今夜はダメダメな夜トレ

00時00分 自転車 天気:くもり

 日曜日に、TCR-2のシートピラーを、サス付(ポストモダン・ブレーサーっての)から、スペシャの安いカーボン(激安6000円台)。に替えた。本来はMTB用なのだが、ロード用は250mmがほとんどで、270mmは欲しかったので、350mmのこれを買うことにしたのだ。
 カーボン地のシートピラーは艶やかで、美しい。特に肌触りがたまらん。
 21:30を過ぎた頃、いつものコースに走り出した。
 ......なんか下がってないか? いや、シートの位置が......。どうも、走っているうちに、だんだん下がってくるのだ。カーボンの滑らかさが災いしているのか。停まって、シートを大きく上げ、グリスを拭う。しかし、それでも下がる傾向は止められなかった。いつもと違う足位置、突き上げる衝撃(カーボンとはいえサス付とは比較にならない)から、いつもの倍は疲労しながら帰着した。
 これは、少し残っているグリスのせいかと思い、ディグリーザーでシートピラー、シートポスト周辺を入念に脱脂しておいた。しかし、突き上げる衝撃のことを考えると、もしかしてロックショックス辺りの長めのサス付に替えた方が良いかも。

2002年12月02日(月曜日)

ドロップ化MR-4Fで夜トレ

00時00分 自転車 天気:くもりやら

 昨日改造したMR-4Fで、早速ナイトランに出かけた。
 ポジションのせいかドロップハンドルのせいか、ダンシングは以前に比べて格段にやりやすい。しかし、腰に負担が掛かりそうなポジションではある。
 境川をゆっくり下って行く。メインのライトがEL300なので、前方視界はあまりよくないのだ。そして俣野ののぼりに差し掛かった。ここからがドロップ化MR-4Fの真価を問われる局面だ。
 ギアをミドルに落とし、坂をぐいぐい登っていった。ペダルに力を掛けやすい。本当にぐいぐい上ってゆく感じ。頂上まで登りきっても、余力はTCR-2の場合よりあったかもしれない。意外に好感度高し。
 R467そ突っ走る。ここでも結構なハイペースで走れる。TCR-2並だ。これは、いいかも。しかし、やはりハンドルが低すぎて、背中に負荷が掛かっているのを感じる。背筋鍛えるにゃよさげだが。
 やっぱりステムは替えるかな。それともなんちゃってアヘッドに換えるか。

2002年12月01日(日曜日)

MR-4Fドロップハンドル化(&前3枚化完結編......か?)

00時00分 自転車 天気:寒い雨

 雨のしょぼ降る一日。こういう日には自転車いじりだ。
 昨日届いたのは、TCR-2用のカーボンシートピラー、MR-4Fドロップ化部品、そしてBikeEローギア比&クロスレシオ化セット、その他だ。
 このうち、TCR-2のシートピラーは、昨夜のまだ雨の無い時間に試してはいた。今年の頭に替えたサスペンション付シートピラーにはあまり不満が無かったのだが、極度のスローピングフレームであるTCR-2に、長さ250mmのこれはいかにも短い。実際、インサート限界点を2cmほども越えている。フレーム側にダメージが及ばないか心配だ。次はもっと長いサス付に替えるという手もあったのだが、見た目でカーボンピラーを選んだ。ちょうどスペシャライズドから激安なものが出ていたので、これに決定。でも大丈夫かね。走ってみると、サス付のように沈み込むことがない分、ダンシングとシッティングそれぞれの姿勢に差が少なく、その点は良い。しかし、シッティング時に路面の突き上げはまともに食らう。一長一短ありだ。カーボンのしなやかさがどれくらい有効だろうか。
 今日のメインディッシュは、MR-4Fのドロップハンドル化だ。
 MR-4Fをメンテスタンドに載せ、まずはハンドルをケーブル、ステムごと外した。替わりにつけるのは、プロファイルの80mm/72度ノーマルステム(ノーマルサイズ)、チネリのドロップハンドル(芯芯400mm)。これを組み付け、UltegraグレードのSTIを組み付ける。さらにケーブル類を引いてゆく。従来、ケーブルエンドはキャップで処理していたのだが、外れやすく扱いにくいので、半田で処理してみた。これは結果良好で、大変扱いやすく、見た目もかっこいいぞ。
 それから前後ディレイラの調整をして、またがってみて、ポジションを見た。......こ、これは、ハンドルがすげえ低い。見た目、シートに対して、5cmは低い感じだ。物凄く戦闘的なポジションだなあ。ステムの調整幅が、思っていたより少ないのが誤算だった。わざわざ72度というハンドル位置が低くなるものを選んだのが、裏目に出たようだ。
 とりあえず、走れなくは無さそうなので、バーテープを巻いて、ヨークマートまで買物に行ってきた。
 まだRDのチューンが完璧じゃないので、シフトはスムーズじゃない。それを置いて、このポジションはどうだ。なんというか、物凄く戦闘的だ。TCR-2(シート:ハンドル高低差は3cm程度か)に対し、ドロップ化MR-4Fはほとんど這うようなポジションになる。BD-1に対し、本気で走れる折り畳みと位置付けたMR-4Fには、あるいはふさわしいポジションかも。だが、これで100km走れるだろうか。早くも腰がどうにかなりそうな予感がする。
 サガミで、もっといいステムを探してくるか。