Strange Days

2003年07月27日(日曜日)

夏の鵠沼海岸を行く

00時00分 自転車 天気:案外にGood

 昼過ぎ、ラーメンを食いたくなったので、MR-4Fで湘南台に出た。湘南家でラーメンを食いながら、さてどこに行こうかと考えた。今日は人手が凄いし、砂嵐がイヤなので町田に出ようかと考えた。が、やっぱり夏の湘南海岸は見ておかねば。本当はHARDROCK号で行くのが一番良さそうなのだが(道を阻む砂山的には)、MR-4Fでも偵察の用は足せるだろう。ということで、このまま出撃。とりあえず、鎌倉を目標に置いた。
 境川を南下する。いい天気になってきたせいか、自転車で走る人の姿が目立つ。途中、4人連れのローディーとにこやかに挨拶を交わしたりしながら、市民病院まで走った。そこからは、GPSを見ながら、裏道を開拓する心積もりで走っていった。GPSの誤差のおかげで、物凄い激坂を越える破目に陥ったりしながらも、交通量の少ない舗装路を走って、やがて河口近くに出た。最後の1kmほどは国道を走り、江ノ島に到着した。
 江ノ島から鵠沼まで、自転車を乗ったり走らせ、あるいは押して歩きながら、明るい空気を満喫した。いいねえ、ビキニの馬鹿そうなねーちゃん連中は(爆)。
 鵠沼のプロムナードでは、人出の多さに押して歩く破目になった。泳いでいる人は意外に少なく、砂浜の散歩を楽しむ人や、ビーチバレーに興ずる若者の姿が目立った。
 引地側近くにまで出て、ここから引地橋沿いに北上し、藤沢市街で境川に復帰した。行きは南風だったのに、いつの間にか西風に変わっている。合成風力の呪いで向かい風を受けながら、ゆっくり北上していった。
 飯田でアイス休憩を取った。ココアアイスをやっていると、Bike Fridayに乗った男性がやってきた。なんとなくその自転車を眺める。おや、ドロップハンドルなのでポケロケかと思ったのだが、Vブレーキだし、タイヤは406だしで、これはポケラマか? それで思い出したのは、5月の南会津で見かけた、同じ仕様のバイクのことだ。この持ち主は、もしかしてあの時の? 訊ねてみたかったのだが、アイスを買いに入ったまま出てこなかったので、その機会は逃した。
 その後は、寄り道しないで帰宅。
 帰ってからアイシングを十分にする。実は、先々週の日曜日に、両足の剃髪、いや剛毛を処理したのだが、そのおかげでアイシングが楽になった。いまいち筋肉が冷えないので、もしかしたらと思ってやってみたのだが、正解だったようだ。うん、次は頭を剃るかな(まさに剃髪)。

2003年07月26日(土曜日)

泉の森公園までふらふら

00時00分 自転車 天気:なぜか良し

 今日は特に予定も無かったので、昼過ぎまでぐっすり寝ていた。アパートの前の中学校で、なにか球技の大会があるようだ。歓声が上がっている。やっと夏らしくなってきた。
 家で腐っているつもりは無いので、昼過ぎにEPICで出かけた。背負いたくは無かったので、シートポストキャリアにバッグを載せて、そこに雨具などを納めた。
 CoCo壱番屋で、そういえば今月一杯までだったのではないかと思って、トマトアスパラカレーを食す。よく見ると、8月一杯であった。まあ、うまいから問題なし。
 境川を遡って行く。銀杏団地の路上駐車の多さに呆れながら(恥ずかしくは無いのかね、ここのドキュン住民は)、東名に突き当たるところまで走った。そこから適当に折れつつ東名を潜り、R246に合流。泉の森公園の北側から進入した。
 晴れ間も見えるものの、時々不気味な雲が流れて行く空模様だ。それゆえにか、古民家園には人影も無く、珍しく一人の探訪となった。今日みたいな空模様の日に来ると、なにかと和むな。
 しらかしの家に立ち寄り、それから元来たルートを逆に走って、家路に就いた。

2003年07月22日(火曜日)

夏旅行危うし

00時00分 自転車 天気:なんだかな

 夏、帰省したら旅に出るつもりだった。しまなみ海道を走り、松山まで峠越えコースを走り、それから佐田岬まで走ってフェリーで別府に渡り、それから別府をポタリングして高速船で呉に戻る計画だった。ところが、またしても暗雲が漂ってきた。顧客の大型案件が秋にかけて進行しているため、長くこちらを空けられそうに無いのだ。帰省は不可かも、なんて説まである。ううむ、どうしたことか。
 旅行は諦めるとして、帰省はどうするか。毎年続けてきたわけだが。しかし、一年くらいはいいかな。帰省するのにも金がかかるし。
 旅行は来年のGWに延期(またか)、帰省は取りやめという方向で考え始めている、後ろ向きな俺様がいる。どうにもシオシオである。

2003年07月20日(日曜日)

BikeEで湘南を目指しました

00時00分 自転車 天気:怪しいものよのお

 連休二日目。今日はどこに出かけようか。空も心配だが、この時期の雨はもう仕方ないと諦め、雨具を揃えて出かければいい。一度、BikeEで湘南を走ってみたいと思っていたのだ。決まり、BikeEで鎌倉まで走ろう。と、その時は考えていた。
 BikeEで出かけるもう一つの理由、それは昨日受領したRecumbent-MLジャージの使い心地を見ることにあった。このジャージ、意外にスリムで、密着性が高い。またフロント側に大きなジッパー付ポケットがある。(あ)氏が便利だと言ってたのを思い出す。確かに、財布にカメラ、Clieにタオルを放り込んでも、まだ余裕があるくらい大きい。しかも、背面と違って、腹は汗をかく量が少ないので、それほど蒸れるわけでもない。
 出かける前に、BikeEにLumotec Oval Plusを取り付けた。V用アダプタだと、フロントブレーキが後ろ側に着いているBikeEには取り付けできない。キャリパー用アダプタで取り付けた。
 またしてもCoCo壱番屋に寄り(なんか、暑くなってくるとカレーで元気を出したくなるのだ)、それから境川を下っていった。
 ううむ、どうも足が回らない。どうしてもスピードを出せない。なんとも粘つく重さを感じてしまう。20km/h以下が一番楽しいのだ。タイヤの走行抵抗が大きいのだろうか。
 藤沢市街に出たが、どうも鎌倉まで走る気力が無くなった。実はハンズに用事があったので、今日はハンズで折り返すことにした。スタバでモカフラッペを買い食いする。夏は氷だよな。
 ハンズで買いたかったのは、MR-4FにLumotecを取り付けるための細工をする材料だった。インスピレーションを働かせながら、1000円分くらいのボルト、補強金具、レールを買い求めた。
 ハンズから来た道を戻り、境川を遡ってゆく、早く帰って寝よう、などと暢気に考えながら走っていた。ふと、Lumotecが光っている気がした。行きにもそんな気はしたのだが、リフレクタに太陽光が反射しているだけだろうと思っていたのだ。しかし、日の暮れ始めた道を走りながら、これやっぱり光ってるやんけ、と確信してしまう。降りて確認。やっぱり。しかし、Lumotec背面のスイッチをどっちに入れても、なぜか点灯するのだ。これ、どういうことよ?
 謎だが、まあ暗くなっても来たし、ついてても構わないだろう。帰宅してから追求しよう。
 高鎌橋まで後少しという場所で、少し怪しかった空から、雨粒がぱらぱらと落ち始めた。それまでにも霧雨のようなものは落ちていたのだが、これは粒が大きい。やばい。高鎌橋の地下連絡路にBikeEを止め、しばしやり過ごした。
 雨はなかなか止まない。水曜日の恐怖体験が蘇った。あの時はうまくやり過ごせて、帰宅後に土砂降りになったのだが。今度はダメかも。
 弱気になってきたところで、雨脚が弱くなって気がした。すぐにBikeEを連絡路から出し、家まで疾走した。そのとき、地下道でレインジャケットの上だけを着込んで帰ったのだが、帰る途中に立ち寄ったヨークマートで、残ったズボン側と、それを入れた袋がなくなっているのに気づいた。どこかで落としたようだ。一度家に帰って荷物を置き、さっきの連絡路まで走ってみると、あった。バックパックの口が開いていたため、途中で落としてしまっていたようだ。車道じゃなくて良かった。
 今日も危ういところで逃れたようだ。帰宅後、また雨脚が強まってきた。
 肝心のLumotecだが、これはいい。明るいし、LEDを内蔵していて、ある程度走ると点灯してくれる。停車中にもしばらく光ってくれるので、なにかと助かるのだ。去年の頭、多摩川ロングライドに挑んだときには、こぐ氏がこれを着けていて、なにかと助けられたな。問題はMR-4Fへの適用だが、BikeEで使えるだけでも十分ありがたく思った。

2003年07月19日(土曜日)

サイクリングジャージ受け取りオフ

00時00分 自転車 天気:案外にもつ

 Recumbent-MLで作成したジャージ(夏用)が出来上がったという。荒川オフで受け取る予定だったのだが、まき氏が今回の荒川にはこれないという。大体、雨の予報なので、荒川オフが実施されるかどうかも怪しい。どうするべ、とまき氏と話し、多摩川で受け取りオフでもやろうということに決まった。昨夜、土壇場になってMLに開催通知を流しておいた。
 関戸橋に10:00集合。まあ1.5hくらいかと見積もって、8:20くらいに家を出た。正直、BikeEでは3時間弱はかかると思ったので、TCR-2で出動。これは正解だった。ラテックスチューブは、高圧に入れたパナのタイヤのゴツゴツ感を、大きく軽減してくれる。
 それでも、意外にエンジンの掛かりが悪く、多摩ニュータウン通りに入るまでに、1.5hくらいも費やしてしまった。ここからは下り気味であることも手伝い、コンスタントに30kh/h~35km/hで走ってゆく。この道は案外に好きだったりして。
 関戸橋着は、それでも10:20くらいになった。2,3名かと思われた参加者だが、その場には5人いた。なんと@nak(あ)氏もいる。もちろん、みんなリカンベントだ。ツチノコローレーサーの下國氏もいるくらいだ。
 まき氏からジャージを受け取り、ひとしきりだべった後、自己紹介もなにもなしに、とりあえずの目的地である羽村へと走り出した。
 途中、あっちこっちで道に迷いながらだったが、結構いいペースで走った。考えてみれば、関戸橋から拝島橋まで遡ったことは無かったので、迷うのも当然か。まだSatRDayへの適合が万全とはいえない(あ)氏が、ややオーバーペースを訴えるくらいの速さだった。12:00には羽村取水堰に到着してしまった。
 羽村取水堰で一休みしながら、プチ試乗会。(あ)氏のSatRDayに乗せてもらったが、BikeE並に乗りやすいという印象だった。もっとも、下ハンドルが怖くて、旋回は出来なかったのだが。
 さて、いよいよ本日の目玉、昼食場所へと向かうことになった。羽村に来たらぜひ寄りたいと思っていた店、それが讃岐うどんの一心だった。麺の腰がかなり強力だとか。その店を求めて、GPSを頼りにしばし右往左往する。初めての場所でこっちにも余裕が無かったので、隊列を止める場所が危険だとか後方の注意が足りないとか文句をいわれる。余裕が無い状況だったのでキレかかったりもしたが、もっともなことでもあるので拝聴するに留める(改善しなかったのか? いやもう遅かったのです)。
 コンビニで道を尋ねたりしながら、なんとか一心に到着。思ったより小さな店だ。
 結果からいえば、この店には二度と来ないだろう。麺は噂どおりに非常に腰があって印象的だったのだが、主人の客足あしらいが悪すぎる。6人で入ろうとしたら、『そんなに入れない。常連が寄り付かなくなる。迷惑だ。席が無い』とまくし立てられたのだ。確かに小さな店にこの人数は迷惑かもしれない。しかし、「分散して座るから」といっても、なおも文句は続く。ぜんぜん聞いてない。どうやら、客なんて来なくてもやっていけるような、非常に恵まれた店らしい。結局、こちらが1,2人ずつ、間を置いて入店するという涙ぐましい努力をすることで、なんとかこの高貴なるおうどん様を拝食させていただくことが出来た。この店主の文句は、我々が店を出るときにも続いた。まったくもって不愉快。3人ずつの客なんて次々にやってきているのに、6人の客も受け容れることが出来ないとは。主人が一人でやっているせいかもしれないが、なにかひどい勘違いと思い上がりを感じた。何度も書くが、この店には二度と行かないし、また行かないことをお勧めする。こうした店を繁盛させることは、客商売というものを勘違いした傲慢な店舗をのさばらせるだけでなく、本当に良心的な店を圧迫することにもなりかねない。などと募る怒りに傲慢かます俺様であった。
 ともあれ、こういう店に付き合わされた他のメンバーこそいい面の皮だろう。ごめんなさい。リサーチは慎重に、そしていざという時の代替手段の用意も怠り無く。
 昼食後は、また関戸橋へと取って返した。行きは先頭を引いたので、帰りは末尾をついてゆく。リカンベントは後ろから観察するのが楽しい。特に下國氏のツチノコは、自転車として非常識ともいえる低姿勢なので、見る人見る人の顔に驚きが走るのが楽しいのだ。
 関戸橋に帰り着き、ここで一応の解散となる。三々五々散って行く。僕はまき氏、下國氏と共に、Y's Parkを冷やかした。と、ここでULTEGRAのSTIネームプレートを発見。これはY's Garageの方で探そうと思っていたものだ。いきなり目的を果たしてしまったので、ここで両氏と別れて、来た道を戻る形で帰宅することにした。
 多摩ニュータウン通りを遡ってゆく形になるが、このルートは多摩川に向かって下っているのだと思い知らされた。行きは40km/h近くで飛ばしていたのに、帰りは25km/hでヘコヘコ走ってゆくのが精一杯だ。町田寸前の坂道も、多摩川からさかのぼる方がきついようだ。しかしなんとか越えて、後はR16を逆走して帰宅ルートに乗った。
 今日の走行距離は120km超。こりゃまた、意外に走ったもんだな。このルートもなかなかいいかもしれない。

2003年07月17日(木曜日)

余った部品を売りました

00時00分 自転車 天気:くもりだかあめだか

 MR-4FのオリジナルパーツはTIAGRAグレードのものだった。シマノ9速対応の最低グレードだが、コレといって不満は無かったように思う。前3枚化のついでにULTEGRAグレードのものに交換してしまったが、まだまだ使える状態だった。
 ちょうど、すずきなおし氏が2003年モデルを買ったとかで、『余らせてない?』とお声が掛かった。2003年モデルはパーツのグレードを落として、8速対応のものに変わっているのだ。9速化したいから、ということなので、コンポ一式を売却する運びになった。
 掲示板と携帯でやり取りして、22:00過ぎに自宅まで取りに来ていただく。前後のディレイラーと、シフター、ブレーキレバー。後2者は面倒なのでハンドルバーに着けたままの引渡しだった。ちょっと立ち話をして、しかし雨が降り始めたので、帰宅することになり、見送った。
 これで結構かさばるハンドルバーごと片付き、少し台所も広くなった......かな。いろいろ無駄なパーツを持っているので、もしかしたらと思ったら気軽に声を掛けてください(誰に向かって話しているんだろう)。
 実は3段化Mobilly14も売っちゃおうと思ってたりして。

2003年07月16日(水曜日)

今日は休日

00時00分 自転車 天気:くもりだったり雨だったり

 今日は会社の創立記念日なので、世間は平日だがこのきなんのきの社員には休みだ。
 一日中、ボーっとしているつもりだったが、銀行に用事があったので、藤沢市までちょっとだけ走ることにした。
 昨夜、MR-4F改のコラムスペーサーをアルミ10mm*8からカーボン20mm*4に換えたのだが、気分的にまたTCR-2を持ち出してしまった。
 昨日書き忘れたのだが、ハンドル周りの変更のついでに、購入以来換えてなかったチューブも交換したのだ。買った時に着いてきたのはKENDAのブチルゴム(とにかく丈夫)だったが、これをMichelinのラテックスに交換したのだ。昨日、走ってみたときには、あまりの体調不良に違いが感じられなかったが、今日は好調だったので良く分かる。細かい振動が減り、大きな入力があっても、角が丸くなった感じがする。乗り心地は良くなった。が、今日はなぜか足が回らない。低速からの加速時、なぜか粘つくような抵抗を感じるのだ。なぜ?
 藤沢市中心部に到達し、銀行で野暮用を済ませてから、ハンズ前のスタバでまた一服。今日は気温が少し高いので、昨日より冷たいものが美味しい。
 ハンズをちょっとうろつく。雑多な小物類が整然と陳列されている中を歩くと、妙に心が落ち着くのはなぜだろう。
 帰路、飯田に寄ろうかと一瞬思ったが、気が付くと通過していたのでそのまま帰宅ルートを走った。
 高鎌橋の歩道に下りた辺りで、急に天候が悪化し、雨がぱらついてきた。トンネルに自転車を入れ、きっと通り雨だろうこれが過ぎ去るのを待った。ほどなく、雨が止んだので、ホッとしながら自転車を走らせた。
 立場のヨークマートに立ち寄り、食料品を買って外に出ると、また雨がぱらつき出している。嫌な予感を抱えて走り出すと、ほどなく本格的に降り始めた。が、なんとか濡れ鼠になる前に、帰宅できた。運が良かったようだ。
 通り雨かと思ったこの雨は、意外に長続きして、夜半まで降り続いたようだ。
 帰宅して、外の雨を見ながら、ふとTCR-2のタイヤをチェックした。すると、なんと昨日より1.5BARも減っている。ラテックスの場合、気圧の低下が早いとは聞いていたが、これほどとは。乗り心地が良く、しかし粘つくような抵抗を感じていたのは、実はこのせいだったのか。再検証が必要だ。

2003年07月15日(火曜日)

擬似冷房症退治

20時48分 自転車 ( 自転車いじり , 自転車散歩 ) , 暮らし

 今日も朝から頭痛と吐き気に悩まされる日だった。食欲が無い、なにもやる気が起きない、しょうがないから寝る、すると寝すぎて夜眠れなくなる。悪循環だ。これを断ち切るには、気合が必要だ。身体を動かして汗をかき、新陳代謝を促すと回復することが多い。
 無理やりに身体を動かそうと、TCR-2で出かけることにした。その前に、ハンドル周りのレイアウトを整理する。補助ブレーキレバーが左右に離れすぎて、左の端の方に追いやったミノウラ・スペースバーもバランスが悪い。補助レバーを真ん中に寄せると、内側に出るケーブルと、RIXEN&KAULのアダプタが干渉する。干渉を避けるべく、補助ブレーキレバーを下向きにした。今までのように水平に取り付けておくと、ドロップハンドルのショルダー部を持ったまま親指でブレーキを掛けられるのが便利だった。しかし今のままでは全体的な使い勝手が悪いので、この点は目を瞑った。
 スペースバーも取り外し、サイクルコンピュータと主灯を一箇所に取り付けできるブラケット(ああ、うまい言い方は無いものか)を左補助ブレーキレバーの隣に、EL200を右の補助ブレーキレバーの隣にプロファイルのブラケットを介して取り付けた。こうなると主灯にバッテリーライトを着けたときにスイッチを取り付ける場所が無くなるが、完全に固定する必要も無いものなので、ステムに無理やり取り付けた。
 さらに、バッグを取り付けたときの、シフトケーブルとの干渉問題にも手当てした。シフトケーブルの根元(STIから出ている部分)に、Vブレーキなんかでバナナの代わりに使う金属製フレキシブルケーブルを挿入したのだ。これで、バッグを載せてケーブルが左右に押しやられても、変速性能に影響が出ることが無くなった。
 リラックスポジションでの使い勝手が、以前と同じくらいに向上した。懸念していたバッグによる主灯の隠蔽も、ブラケットが長いおかげで、うまい具合にバッグの下側に飛び出してくれた。EL200は補助ブレーキレバーとしっかり干渉して、大きく下向きになってしまうが、これはポジショニングライトなのでこれでも役には立つだろう。いざという時にはヘッドランプ代わりに使うつもりなので、その点少し困るのだが。この状態で、バッグの右側に回避させている。
 いよいよ出かける。まずは飯を食おうと、長後のCoCo壱番屋に出かけた。トマトアスパラカレーは止めて、平凡にソーセージカレーを喰らう。む、カレーが効いたのか、少し体調が回復した、気がした。
 グランベリーモールにアディダスのアウトレットショップが出来たそうなので、それを冷やかしに行くことにした。境川沿いにずっと遡って行く。足が回らないので、ロードバイクにもかかわらず20km/h台前半でトロトロと走る破目に陥った。屈辱だ。
 なんとか、グランベリーモールに到着した。件のアディダスショップを冷やかすも、事前情報通りサイクルウェアは全くない。
 モンベルショップにも立ち寄った。実は、こちらにはアディダスのサイクルウェアが溢れている。ざっと冷やかして、隣のスタバで一息入れた。体調はかえって悪化している。いかんなあ。生きて帰れるだろうか。甘いものを食べて(キャラメルドーナツ&ホイップクリーム)、コーヒーでカフェインを摂取しておいた。
 最悪の体調のまま、しかしこのままスタバの藻屑と消えるのもなんなので、とりあえず取って返す。境川を一生懸命に下っているうちに、遂に代謝が向上し始めたのか、不快感が嘘のように消えていった。家に帰り着く頃には、もう全く健常体になっていた。便利な身体である。
 帰宅して、ふとEL200のレイアウトに関し、妙案を思いついた。下ではなく上側に取り付けるのだ。するとハンドルバーとの干渉は無く、正しく前方を照らし出せるのだ。しかし、この状態では、リラックスポジションで手と干渉する。しかし、その場合は外しておけばいいのだ。これで懸案はほぼ解決した。

2003年07月13日(日曜日)

HARDROCK号なんちゃってランドナー化完成

22時44分 自転車

 さて、HARDROCK号のランドナー化を完成させよう。
 まずは(ランドナー化とは直接関係ないが)リアホイールの振れ取りだ。テンションを左右で統一するところまではやっておいたので、後は振れを取って行くだけ。基本は振れの出ているポイントの触れている方向とは逆のスポークを増し締めしてやることだ。ポイントに一番近いスポークを1/6、その前後のものを1/8といった風にしめて行くのだ。が、今回は全スポークを締め直したのだし、テンションメーターもあるので、テンションを見ながら決めていった。飛び抜けて異なるテンションのスポークがあったら、そのテンションを補正してからやり直すといった風に。休み休み、2時間弱で左右の振れは取れた。ほとんど0.1mmくらいの範囲に収まったようだ。しかし、縦振れが残ってしまった。縦振れを取るには膨らんでいる側の全てのスポークを増し締めすればいいのだ。が、このホイール、良く見るとずいぶん歪んでいるのだ。特に溶接部分はポコンと膨らんでいる。これはあんまりなので、やすりで補正しておいた。しかし、全体的に0.3mmくらいの振れは残ってしまった。まあ、これは我慢するか。
 最後に、リアキャリアの取り付け。これはキャリア上面とダボ穴の高さが違いすぎて、取り付け金具ではうまく結べないという問題だった。結局、取り付け金具を手力(爆)で曲げ、ダボではなくシートバインダーのクイックに通すことで固定した。クイックでは固定力に不安があるので、スクリュー式に替えた方がよさそうだが。

BikeEにちょっと手を加えた

17時00分 自転車 天気:いい方だ

 なんちゃってランドナー化の進むHARDROCK号ともども、我が家の貨物運搬車として活躍し始めているBikeE。今日はこれにまたちょっと手を加えた。
 一つは、前38Tがさすがに軽すぎると感じたので、同じ杉野の42T(青)に交換したことだ。これで、スピードが欲しいときに内装トップを使う頻度が低くなり、ほとんどの場合は内装ミドルで走っていけるはずだ。
 もう一つはシート角度をより傾斜させた。これは前からやろうと思っていたことなのだが、シート角度の調整方法が分からなかったために頓挫していたものだ。今日、シートの固定部をじっくり観察したら、すぐに分かったので即実行。なあんだ、良く見ればよかった。シートバインダー部品とシート金具を留めている木ネジを抜いて、一段低い穴に締め直すだけだった。これで前側が上がり、シートはより後傾斜になった。小改装なったBikeE ATで、湘南台まで買い物にいってみた。以前より内装トップの使用頻度が下がり、内装側をほとんどシフトしなくても良いようになった。ただし、坂道発進などでは内装ローに切り替える場合が多くなった。しかし、内装のシフト操作そのものが減ったのは良い傾向だ。
 シート角度が変わったことで、今まで悩まされていた座面による圧迫が減ったようだ。これもいい感じ。
 湘南台のダイエーでなにがしか食料を買い込み(ヨークマートよりも食品売り場が充実しているので)、家に戻った。帰路、自転車で集団走行する少年たちの歓声を受けたり、散歩中の男性に声をかけられたりする。リカンベントの注目度は、やっぱり高くなってしまうんだなあ。
 今度、BikeEで三浦半島を周回してみようかなと思う。

2003年07月12日(土曜日)

セキサイダー復活

23時40分 自転車

 ハンズで買ってきたのは厚さ5mmほどのゴム板と、M5のボルト各種(15mm、20mm、25mm)、そしてパイプ椅子なんかに着けるゴム足(12mm径)だった。最後のはセキサイダー2輪化の時の余りがあるのだが、今後のことも考えて買ってきた。紛失しやすいしな。
 まず外れてしまったセキサイダーのゴム足を付け直す。今回は紛失しないように、セメダインの万能糊を使って固定した。外すときには破壊的に外すことになるだろうが、問題はあるまい。
 次にセキサイダーの固定。左のM5*20以外は紛失してしまったので、それ以外をということになる。紛失した一因に、右側のねじが長かったため、完全に固定するまでねじ込んでなかったというのがあるだろう。奥までいれると、スプロケットに干渉してしまうのだ。これはM5*15に替えることで、完全に解消できた。
 さて、前2本は、畳んだときにシートピラーを受けるゴム板と共締めされている。そのゴム板も紛失したのだから、当然買ってきたゴム板で代用するのだ。適当なサイズに切り、穴を開けて、2本のM5*20で締め込んだ。これでいいだろう。
 しかし、セキサイダーを外した一瞬、BD-1がやたら軽く感じられたのは事実だ。それくらいの代償を払う価値はあるのだが。

久しぶりに鎌倉まで行って来たの事ナリよ

19時38分 自転車 天気:意外に保ったりして

 今日は遠出するつもりなんかなかった。天気が怪しいのだ、なんて気象庁がほざいた日には、さすがの我輩もずぶ濡れ危険率を高く見積もってしまう。まあ、飯食って、ちょっとサガミまで冷やかしに行くか、なんて考えてみた。EPIC号での出撃だ。どうせならということで、レーシングシャツとレーシングパンツ、靴下はスペシャライズドで揃えたぜ。ついでに色も赤で揃えた。毛ずねが丸見えなのがアレだが。
 飯はどこで食おうかと考え、なんかラーメンを食いたかったので、湘南台の湘南家に立ち寄った。
 飯を食って、サイクリングロードまでの長い下りを降りていった。今日は意外に天気がいい。気温は高く、日差しもある。なんだか、サガミに寄っておしまいというのはもったいなくなった。そうだ、水着のねーちゃん鎌倉を見に行こう。というわけで、久しぶりに鎌倉行だ。
 EPIC号でサイクリングロードを南下して行く。そういえば、2年前の夏に初めてここを下ったときには、ほとんど休み休みだったよな。鍛えられたもんだ。いや、やっと人並みになったって事だ。~
 サイクリングロードが尽きる藤沢市民病院の裏からは、行けるところまで川沿いに走った。走って気持ちいい道ではないが、車のプレッシャーを感じないで済むのは、あるいはいいかもしれない。
 藤沢橋の近くで一度R467に出て、少し走ればまた境川沿いに復帰できるはずだ。しかし正確な道順を憶えてなかったので、結局R467を走って江ノ島まで出ることにした。
 境川橋まで走ったところでまた気が変わり、再び境川沿いに。片瀬江ノ島駅の近くまで走り、適当に町中の細い道を走っていたら、いつの間にか片瀬江ノ島だった。
 R134を走って鎌倉に向かった。今日はサイクリストが多い。梅雨の中休みを待ちかねていたのだろう。
 由比ヶ浜に着き、さらに若宮大路(及びその延長線)に入った。途中、下馬のコンビニで一休み。水分がやたらおいしいのは、自分で思う以上に水分を失っているからだろうか。
 自転車を近代美術館の駐車場に停め(大目に見てね)、いざ参拝だ。と、本殿は改築中で、若宮に一時遷宮しているようだった。こちらに参拝する。
 そういえば、鶴岡八幡宮の東側は見て回ったことないなと思った。足を踏み入れる。
 通りがかった小さな池で、亀がゆっくりと浮き沈みしているのが見えた。吉兆か?
 少し行くと白旗神社がある。こっちは分社で、藤沢にあるのが本社か?
 国宝館に入ろうかなと思ったが、時間が意外に遅かったので、今日はパスした。
 源氏池をゆっくり眺めながら戻り、再び自転車で若宮大路を通って帰路に就いた。
 帰り道では、ハンズに用事があったので、その正面のスバーバックスで一休みすることに。マンゴーシトラスなんちゃらを買って、店の前で立ち食い(満員だったので)していたら、ビーチクルーザーっぽいフォルムのタンデムに乗った父娘が、楽しげに走っていった。なんだか、湘南という風土もあるのだろうが、はまる光景だ。
 ハンズではBD-1補修用品を購入し、また境川をゆっくり走って帰った。

2003年07月06日(日曜日)

伊豆大島オンロードツアー(2日目)

00時00分 自転車 天気:雨ですか!

いきなり雨ですか


 同室の方の鼾がちと厳しかったのだが......、それでもいつしか寝入って、朝を迎えた。5:00頃、ふと雨音を耳にした気がした。それから6:30に起床すると、見事な雨。昨日の晴れ間さえ見えた天気はなんだったのだ。この急変には惑わされる。
 予定では7:00朝食ということだったが、実際には大幅に遅れて7:30過ぎに始まった。この雨にはツアー引率の丹羽氏も、頭を悩ませただろう。
 この日は三原山へのヒルクライムが予定されていたのだが、果たして決行されるのだろうか。丹羽氏のスケジュール説明では、これでも決行するつもりのようだ。しかし、天候が天候なので、宿でゴロゴロしていてもいいという。とりあえず、9:00出発が宣言された。
 どうしよう。この天気だ。あまり走りたくはない。しかし、ルートだけでも押えておきたい。今度は神奈川支部(だから何の支部なのだ)のメンバーと来たいと思っているのだ。まあ泥除け、Vブレーキ装備のBD-1だから、なんとか走れるでしょう。雨中ヒルクライム参加決定。
 荷物をまとめ、大広間に集めておいた。

純粋ヒルクライム


 出発時間を前に、宿のガレージに集合する。かなりの雨だから、大事を取ってGPSは置いていった。実はGPSと隣り合わせに置いたサイクルコンピュータが干渉するらしく、GPS作動中はサイクルコンピュータが動作しない。GPSを外すと動作する。GPSを着けている時にはGPSばかり見ているから、別にこれでも構わないのだが。しかしGPSをつけない場合もあるだろうから、外すわけにも行かない。やっぱり、干渉しないように離して取り付けるべきか。
 宿で休むのは男性一人、女性二人はサポートカーで登る事になった。
 9:00くらいに出発。雨脚は強くは無いが、路面は濡れっぱなしだ。昨日の最後に登ってきた道を下り、島の北西にある三原山登山道路へと向かった。
 道は次第に傾斜を強め、だんだんヒルクライムらしくなってくる。登山道路の入り口までは、全員が一団となって進んでいった。登山道路に入ってからは、実質的なフリー走行になる。
 登山道路は、それほど厳しい傾斜ではなく、平均5%程度、高度差は500m超というところだ。軽いギアのBD-1なら楽々登って行ける。丹羽氏、ロード隊の山崎、伏見、Tsangの各氏にコバンザメのように張り付いて、一生懸命登っていった。坂に激弱な僕には、大きな試練だ。
 雨は霧雨になっている。雨具を着込んでいるので、身体が濡れることはない。だがこの時期のヒルクライムは、放熱が問題になる。ロード隊にくっついて足を回しながら、胃の辺りがもたれるような感覚を抱いた。心拍が上がりすぎている。僕の場合、放熱に失敗すると、こういう症状を呈することが多い。心拍数と相談しながら、少しだけペースを落とすと、Tsang氏を除いたロード隊に引き離されてしまう。なぜかTsang氏とのランデブーが多い昨日今日だ。そのTsang氏にも、途中からとうとう引き離され始めた。現在位置が不明だったので、ここでは踏ん張らないで、心拍数に従った。
 あんまり暑いので、霧雨が続いているにも関わらず、雨具の前側を半分だけ解放。これで少し楽になった。が、この霧雨が眼鏡を曇らせて、視界が全然利かない。乳白色の世界で、前方10mまでしか見えない路面を見つめながら、黙々と走る。景色がまったく目に入らないので、ひたすらな、純粋なヒルクライムという感じだった。
 ずっと前方にTsang氏が走っている気配があるが、それだけ、時々現れる対向車だけが、僕以外の動くものだった。
 と、突然、道端に立っている丹羽氏の姿が目に入った。向こうも、こちらがいきなり霧の中から現れたようなものなので(このBD-1は前後ハブをXT化していることもあり、非常に静かなのだ)、驚いたようだ。この先の道を指示されたついでに、残りの距離を訊ねると、だいたい4kmくらいで、既にかなり登っているという返答だった。少し気合を出した。
 ちょっとだけTsang氏に追いついたが、またすぐに遅れて、単独走行になってしまう。傾斜は心持ち緩くなったようだが、それでも登りは続く。ただ九十九折はもう無いようだ。ひたすらまっすぐな道が続く。サポートカーに追い抜かれてからは、完全に一人の道行きになった。
 やがて、道は登り一辺倒ではなく、アップダウンするようになってきた。どうやら三原山の外輪山を越えて、カルデラへと降りはじめたようだ。周りの風景が見えないので、現在位置がまったく分からない。
 時々現れる対向車に注意しながら、しばらくアップダウンをこなすと、霧の中からサポートカーが現れ、その向こうに、今まさに自転車を停めようとしているTsang氏の姿が見えた。実は少し前を走っていたようだ。
 そこはバスの券売所を兼ねた休憩室だった。屋根の下にBD-1を停め、軒下に入ると、やっと全身についた雫を振り落せた。さらに眼鏡も荒っぽく拭く。やっと視界が復活した。

かなり恐怖のダウンヒル


 休憩室で一息つくと、暖かいものを飲みたくなった。みやげ物屋の辺りに自販機があるようなので、暖かいものを求めて行ってみた。暖かいコーヒー発見。買おうと思っていたら、ちょうどみやげ物屋に立ち寄っていた、サポートカーを運転していた宿の若大将が、奢ってくれた。ありがたい。全員に暖かな飲み物が行き渡った。
 霧で、30m先も見えない展望台に苦笑しながら、後続の到着を待った。昨日元気だった入江氏は、昨日の酒が響いたようで、のんびりとしたヒルクライムになったようだ。
 全員が揃い、一服してから、今度はダウンヒルだ。丹羽氏を先頭に、長い下りを楽しむ。この雨の中では恐怖が相半ばして、なかなか怖楽しい下りとなった。こんな時、雨でもよく効くVブレーキはありがたい。車間距離に注意しながら、40km台後半の速度まで出しながら、麓まで一気に下ったのだ。景色がよければ、きっと爽快だったろうな。しかし景色が目に入らない分、走りに集中できていたかもしれない。

さらば、大島よ


 昼食は船上で取る予定だったのだが、なぜか出港時間が予定より遅かったため、宿で取ることになる。サンドウィッチ、チリビーンズ、コンソメスープの昼食は、暖かい部屋の中で取ることが出来た。霧雨の、吹きっ晒しのデッキで取るより、こっちの方が疲れないで済む。
 食後の後片付けをして、いよいよ宿を後にする。自転車はまとめて別便で運び、人員はマイクロバスで出発する。岡田港まで移動し、乗船時間まではみやげ物屋を巡ってみた。これというものは無く、なぜか大島牛乳なるものを買って飲んでみただけだった。
 船に乗り込み、2等船室の自分の席(というか和室風なので領域というべきか)に荷物を置き、待つほども無く出港。さらば、大島。また来る日まで。
 帰路では、例によって酒盛りしたり、寝てしまったりしながら過ごした。と、突然アナウンスが入った。曰く、『本船の左に潜水艦が見えます』。カメラを手にデッキに出ると、左前方から浮上航走中の潜水艦が見えた。形状から海自のティアドロップ型シリーズと思われる。艦番号表記が無いから現役艦だろう。潜航蛇上に人影が見えた。
 その後、横になってウトウトしているうちに、間もなく入港とアナウンスがあった。荷物を手にデッキに上がると、竹芝桟橋はすぐそこだった。

いろいろ壊れてました


 BD-1を転がして船を下り、外の広場で解散とあいなった。ああ、今回も面白かったな。天気に恵まれなかったのは残念だが、次回への楽しみも出来た(ってもう参加する気満々ですか?)。
 帰りは品川まで自走するつもりで走り出した。走りながら、どこかがガチガチ音を立てているのが気になった。駆動系をチェックしたが、別段不調ではない。ではこの音はどこから......。ふと気づいた。セキサイダーがぐらぐらではないか。なんと、セキサイダーの固定ボルトがことごとく外れ、左後方の一本だけで止まっている状況ではないか。右後方のものはともかく(ボルトがスプロケットに干渉しそうなので、わざと浅く差していたのだ)、折り畳んだ時のフレーム受け用ゴム台と共締めした2本まで無くなったのには驚いた。なんでこんなことになるんだろう。ともあれ、フレームからずれて転がしにくくなるセキサイダーを労わりながら、なんとか帰り着いた。セキサイダーからは、他に迷走防止用ゴムキャップ(本来前2輪が着いている部分にかぶせている)も無くなっていた。うーん、雨が入って抜けやすくなっていたのか。まあ予備はあるし、手当ての目処もついている。今度はきっちり、外れないように接着してしまおうと思う。

2003年07月05日(土曜日)

伊豆大島オンロードツアー(1日目)

00時00分 自転車 天気:いい感じ

大島上陸


 寝入ってすぐ、船が揺れ始めた。それほど大きくは無いのだが、意外に周期が小さく、気に障る。おかげで目がさめてしまった。そのままうとうとしながら、起床時間を迎えた。
 身支度して、デッキに上がった。雨は降ってないし、天気は悪くない。一時はどうなることかと思ったが。
 5:00過ぎに上陸。各自の荷物を持って、伊豆大島に足跡を記す。去年の秋以来の再訪だ。BD-1を転がして、迎えにきた宿(去年と同じ)のトラックとマイクロバスに、トラックには自転車、バスには人員と荷物が乗り込んだ。しかしトラックに自転車が乗り切らず、BD-1を抱えてバスに乗り込む破目になった。
 宿に到着する。1F(玄関からは下階)の部屋に荷物を置き、しばし休息する。スケジュールは全体的に遅れつつあり、昼食、出発時間共に後ろにずれている。時間があるのと、着替えをしたかったので、一風呂浴びる。

大島砂漠(のバス停)へ


 出発は9:00前後になった。各自の自転車にまたがって、いよいよ伊豆大島一周道路へと走り出した。大島砂漠への入り口までは、今まで通ってきたルートと変わらないようだ。
 途中までは、海沿いの車道通行禁止のコースを走る。そんなコースだから、騒音とは無縁で(そもそも車道でも車が極端に少ない)、景色を楽しみながら走ってゆけた。道に海藻が堂々と干されていたりする。
 一周道路に入り、途中の大島公園で休止。ここで興味のあったSoftrideに試乗させてもらった。シート下にサスが入ったロードバイクという感じ。ロングライドでは有利だろう。変わった形に興味が集まったのか、ここで試乗要望が続出していた。
 再び走り出す。これからはかなりの登り基調で、ヒルクライムに激弱な僕には辛い展開が続く。たまたまペースが似通ったのか、先頭集団は男衆が組んで進んでいった。
 GPSを眺めながら、そろそろこの辺かなあ、などと思い始めた頃、前方に大きな土管のようなものが見えてきた。ここが大島砂漠のバス停だった。ここは、去年の大島砂漠ダウンヒルでの、車道への脱出口だったところだ。しかし既に先客がいた。例のTCAの一団だった。なんだか同じコースを走っているようだ。こちらは年配の方が多い。
 待つほども無く、後続が到着する。登りの多いルートだったが、みんな楽しそうだ。バス停(そういえばまだ機能しているのだろうか。バスを一台も見ていない)でしばらく休憩を取った。
 なんとはなしに女性たちと大島砂漠のことを話していたら、記念写真を撮りたいということになって砂漠の方に少し入ってみようということになった。カメラを委ねられ、砂漠と三原山を背景に、何枚か撮り合った。

波浮港


 再び出発。昼食場所の波浮港に向かう途中、筆島を望む展望台で、次の小休止を取った。筆島、というのは、大島の沖合いにぽつんと立つ、文字通り筆のように屹立する小島だ。なんか、大波で倒壊しそうな危うさがある。
 展望台から再出発する。一周道路を離れ、波浮港へと下る道を進んで行く。ほどなく、波浮港へと到着した。
 大島全体の時間の流れも、いい加減本土とは異なるものだった。しかしこの波浮はさらに時の流れが緩やかに、半ばまどろむように流れて行く場所だった。小さな入り江に抱かれた小さな港町が、曇がちの空から降り注ぐ柔らかな光に浮かんでいる。僕は瀬戸内の育ちだから、あの箱庭のような風景を思い出した。外洋に浮かぶ島の光景とは思えないくらい、穏やかな姿だった。
 昼食場所は、この港に面した商店街(まるで30年ばかりタイムスリップしてしまったかのような場所)にある寿司屋だった。長い年月を経て暗色になった階段を上り、面白い形の欄干を持つ2階席へと案内された。予め予約が入れられており、待つほども無く寿司がやってきた。こんなに遠く離れているのに、なぜか江戸前寿司と名乗っている。まあ、東京ではあるし(そういう問題では)。
 昼食の後は、この小さな商店街をぶらつく。わずかな観光客の他は、我々だけだ。通りの突き当たりにある肉屋で、揚げたてのコロッケが手に入るという。少し待って手に入ったコロッケは、揚げたての熱々で美味しかった。ここで、自転車ツーリングで休憩といえばアイスだよな、ということになり、各々店を回って(開いている店は少なかった)アイスを手に入れる。一番欲しかったチョコ最中が無かったので、カップアイスで我慢だ。でもうまい。日差しが見え隠れし、気温が上昇気味だったので、このアイスはまさに甘露だった。

サイクリングロード


 波浮港から一周道路までの間、少しの間海沿いの遊歩道を走った。ちょっと砂が浮いていたが、ロードバイクでも問題は無いくらいだ。
 それから一周道路を走り、やがて大島温泉へと着く。去年入った露天風呂がある場所だ。今は寄らないが、後で自由時間に来ることも出来るそうだ。この大島温泉の公園で、しばらく小休止を取った。
 ここからは海沿いのサイクリングロードを進んで行く。やや荒れ気味だったが、それなりに整備された道が、岡田(おかた)港付近まで続いているのだ。車にも、対向車にも悩まされること無く、終点までのんびり走りきった。
 終点はトイレのある駐車場。ここから宿まではしばしの登りだった。この道も良い。ゆっくり登って、やがて宿へと帰りついた。

早速宴会、だが


 この後はシュノーケリング、温泉行きなど、一応のメニューはあるものの、自由時間となった。大半が温泉行きを選ぶ中、山崎氏はなんともう一度伊豆大島周回を決意。今からですか。あの登りを込みで考えて、このやる気。気合の入ったローディーはやはり違う。
 温泉では、前回露天風呂に入ったので、今回はパス。内湯だけに入る。髪を洗い、ジャグジーなどを使っていたら、少しのぼせ気味になった。さっさと上がると、休憩室には既に丹羽氏らがぐでーっと横になっていた。ビールを買って合流する。入浴していたメンバーが集まり、だんだんビールの缶が増えてきた。夕食がすぐ後なので、ここではさすがにセーブした。
 宿に帰って、ほどなく宴会、いや夕食が始まった。去年も思ったのだが、明日葉がうまい。なんというか、石油系の美味さというか(なんだそれは)。特にてんぷらがいいなあ。
 既に缶ビール1本を空けて、夕食にも小ジョッキをつけた。夕食が終わり、さあ騒ぐぞというところで、凄え眠気に襲撃され、ダウン。しばらくテーブルの横で鮪と化していた。
 ふと気づくと、もう20:00過ぎ。まだ宴会は続いている。茶を飲みながらその輪に加わった。ふと目を別のテーブルにやると、丹羽氏が明日の昼食にするチリビーンズを茹でていた。Q女史は? その向こうで鮪になってました(お情けで写真掲載は見送ろう)。
 21:00過ぎに、一度お開きになりかかったときに、僕は自室に戻った。しかし宴会はその後も続いていたようだ。
 布団を引いて横になったが、なぜか眠れず、朝まで断続的に寝ただけだった。

2003年07月04日(金曜日)

伊豆大島に出発

00時00分 自転車 天気:くもり

 いよいよ伊豆大島へ出発する当日となった。
 今日は会社を休んで、もっぱら睡眠不足の解消(爆)と、出立準備を進めた。
 昼まで寝て、昼過ぎになんちゃってランドナー(未成)でCoCo壱番屋に出かけた。それから戻って風呂に入り、荷物をまとめる。この時点まで、どの自転車を持ってゆくかで迷いがあった。オンロードなんだから、MR-4F改で決まり、なんて思っていたのだが、この時期には雨の心配もしなくてはならない。濡れた路面を泥除けの無いMR-4Fで走りたくはない。そうすると、BD-1でという選択肢が浮かび上がってくる。......まあ、いいか。そんなに飛ばすはずも無いし、ヒルクライムもこなせるし、輪行にも便利だし。そんなわけで、最後の最後に急遽BD-1出撃が決定。もちろん、泥除け付だ。荷物はバックパックに背負っていく。島に着いてからは、着替えなどは宿に置いて行くことになるのだが、携行品はBD-1に着けている大型サドルバッグに入れれば十分だろう。
 19:30頃、家を出た。地下鉄で戸塚へ、戸塚からJRに乗り換える。最後はBD-1を展開して、乗船地点に向かった。
 乗客ターミナル前には、やまみちアドベンチャーの丹羽氏の姿があった。が、まだ受付は始まってないとか。BD-1を置いて、参加者が集まってくるのを待った。すぐ隣に、TCA(東京サイクリング倶楽部)の人々も集結していたので、始めのうちは『こんなに多いのか!』と驚いていた。実際には丹羽氏、植山Q女史を含め、計13名のツアーとなった。女性6名、男性5名と、女性の方が多い。自転車はやはりスリックを履いたMTBが多く、他はロードバイクがやはり多かった。一台、Softrideというブランドのトライアスロン用自転車が目を惹いた。ブーメラン型のフレームから、ちょうどBikeFridayのAir系のような感じで、強化ウレタンとカーボンで形成されたビームが延び、その上にサドルがつく形になっている。非常に乗り心地良さそうで、興味を引かれた。
 21:30頃。既に受付を済ませ、BD-1も輪行状態にしてあった。簡単なミーティングが始まり、乗船手続きについての説明があった。乗船の前に自転車を船まで運び、また戻ってきてから、正規のルートで乗船する。各自、自転車を持って、係員の誘導に従い、積み込みルートに向かった。
 セキサイダー付のBD-1は、こういうフラットな空間での移動では最強で、自転車をそのまま運ぶ組と変らない速さで進んでいける。自転車を規定の場所に置いて、また引き返した。それから乗船。ターミナルの乗船口に進み、事前に手渡されていた切符の半券を係員に渡してから、船内に入った。
 割り当てられた部屋は最下層Dデッキにある特2等船室だった。なんだか、船が沈んだら逃げ出せそうに無いような、奥まった一角にあった。
 きっと宴会があるだろうと思い、デッキに出た。いつもなら適当に車座になってやるのだが、時間的にすぐに終わらざるを得ないので、適当なテーブルを囲んで、それぞれ持ち寄ったビールを手にして集う。まずは乾杯。
 参加者は、男性はほとんど単独、女性はいずれも二人連れという面白い構成だ。大島リピーターも何人かいる。かくいう僕もその一人か。
 夜景を眺めているうちに眠気に襲われ、消灯時間が近づいたので、早々とお開きとなった。眠っているうちに大島に着くだろう。

2003年07月02日(水曜日)

なんちゃってランドナー化HARDROCK号試走

00時00分 自転車 天気:くもり

 今日は定時退勤日だったので、さっさと18:00には帰宅した。時間が出来たので、シフト調整まで済んでいるHARDROCK号の最終調整に掛かった。
 まずはバーテープ。青いコルクリボンを巻いておく。補助ブレーキを着けなかったせいか、割と簡単に、きれいに巻いてゆける。さて、最後にエンドの部分を処理しようとして、ちょっと手間取った。バーエンドシフターを着けた関係で、ここはシフターをキャップ代わりにして巻き込むのが正しいはずだと思い込んでいた。しかし、厚めのコルクリボンを巻き込んで、このシフターで蓋をするのは不可能だ。結局、バーエンドでコルクテープをカットした。下巻きの場合、これでもほつれたりはしないようだ。やばかったら、ビニールテープで補強しよう。
 これで中田中央公園へと試走に出かけた。とりあえずサイクルコンピュータをハンドルバーに止め、ライトはどうしようかと考えた。ハンドルバー中央をTOPEAKのフロントバッグアダプタが占領しているので、ハンドルバーに取り付ける場所がない。幸い、このアダプタには装備品のマウンターが付属している。それに取り付けた。ペダルもM324に付け替えた。本当は(これも不良在庫の)ミカシマ製ツーリングペダルに替えたかったのだが、なんと片側のペダルが見つからない。どこに行ったのかね。そんなわけで、とりあえずM324に取り替えて、試走に出かけた。
 走り出す。重い。なにせ、こいつに着けてるへミスファーは、ほとんどブロックタイヤ並みの重量を持つセミスリックだからだ。しかし、11-34Tなんてギアを着けている事もあり、スピードを気にしなければ軽く走りつづけられる。だが、スピードが遅ければ、ハブダイナモの出力も低く、ライトも暗い。これは手を打たなければ。
 懸念していたバーエンドシフターの使い心地だが、片手運転が下手な僕でも難なく扱える。が、激坂での変速操作はちょっと恐ろしいものがあるな。ブレーキレバーのブラケットはSTIより小さく、握りやすい。
 ブレーキ鳴きがあったので、フロントのシューを再調整して、その調子を見ながら帰宅した。
 さて、本体の調整は終わったので、リアキャリアを載せて完成だ。ところが、フレームサイズが小さいせいか、きれいに着いてくれそうにない。上側のダボ穴とつなぐ金具を、うまく曲げてやらないと着きそうにないのだ。これは、慎重に事を運ばないと。今日はやめて、余裕があるときに続けることにした。

2003年07月01日(火曜日)

ローラー台となんちゃってランドナー

00時00分 自転車 天気:くもりのち雨

 今年も半分過ぎた。頑張りましょう(なにをだ)。
 今日は、昼前から雨がしとしとと降り始めた、梅雨らしい天気の一日だった。
 こんな日は、早くに帰宅できても、自転車には乗れない。いや、こういう時こそローラー台でしょ、というわけで、小1時間ほどローラーを回した。なんというか、気分は巨大ハムスター。それほど気温は高くなく、また扇風機を仕掛けたので、汗まみれになるというほどでもない。ワイヤレスヘッドホンで音楽を聴きながら、ハムスターってこんな気分なんだろうなあと思いつつ、低負荷で回し続けた。高負荷で回すとかなりの音を発するので、夜にガンガン回すのは気が退ける。
 風呂を挟んで、なんちゃってランドナーの調整に掛かった。懸案のリアブレーキだが、一晩置いた時点でなぜか動きがスムーズになっている。ワイヤが取り回し形状に合わせて馴染んだのか?
 ブレーキ調整の後は、変速系だ。難しいFDの調整は、こいつの場合シフターがフリクション式なので、チェーンが落ちない範囲に追い込むだけでいい。リアもすぐに調整完了。これでバーテープを巻いてやれば走りに行けるのだが、雨が降り続いているのでそれは無理だ。
 これで湘南海岸を走ってみたいもんだ。