Strange Days

2003年10月31日(金曜日)

日々の鍛錬

00時00分 自転車 天気:曇り

 今夜も今夜とて、巨大ハムスターと化す俺様だった。やはり45分間、ローラー台を回す。俺的には45分が限界のようだ(飽きるので)。虫けら並みの注意持続時間しか持たないこの身が恨めしいことなりよ。
 ローラー台から降りて、片付けのためにフィン部(空気抵抗を利用して、ローラーに負荷をかける部分だ)に手をやると、これがやけどしそうなくらい熱い。ただの高効率団扇の癖に、ここまで熱を持つとは。45分の回転運動が、どれほどのエネルギーを発生させているか分かるってもんだ。
 寝る前に、腕立て伏せと腹筋(足を上げる方)もやる。これは怠ると、たちどころに筋力の衰えが分かる、恐ろしい鍛錬だ。時間的には5分程度のものだ。
 夏以降、トレーニングをすっかり怠っていたので、ずいぶん筋力(いや根性の方か)が衰えているのが分かる。これから冬にかけて、また立て直さないと。

2003年10月29日(水曜日)

ローラー台とDiablo2

00時00分 自転車 天気:雨のちいい天気

 今日は、朝のうちは雨が残ったものの、帰る頃には晴れ間が見えていた。路面は十分乾いてはいたが、境川沿いには水溜りが残っているだろうから、ナイトランは無し。代わりにローラー台で45分。軽めの負荷で徐々に回転数を上げてゆく。15分過ぎからは高負荷でのダンシングも織り込み、45分ほど音楽を聴きながら回した。ローラー台では実践的なトレーニングは出来ないとされている。固定されているので、現実の路上で必要なバランス感覚を養えないのだ。それは事実なのだろうが、固定されているが故にやりやすい動きもある。今日は意識的に体をひねり、両太ももと、それにつながったわき腹の筋肉を、積極的に使ってみた。わき腹の脂肪を燃焼させるのが目的だ。効果が出ればいいのだが。
 ローラー台でいい汗をかいた後は、ゲームで嫌な汗をかく。Diablo2だが、リスター閣下の脅威を避ける手段が見つかった。氷系の弓で氷結させれば、リスター閣下の部下は難なく片付くことが分かった。リスター閣下は傭兵に任せればよい。
 Baal陛下のおかげでいいアイテムが揃ってきたので、持ちキャラとその傭兵の装備替えを進めた。サクサク進んでいるジャベアマ、パラディンにバーバリアン、いまいち進まないソーサレス、新進の暗殺者様の装備換えをした後で、ずっと忘れていたネクロマンサーをロードした。確か、LoD化以来、まだロードしたことが無かったな。すると、びっくりしたことに、鎧とブーツが未装備状態になっている。どうもユニークアイテムの装備可能レベルが、前よりも上がってしまっているようだ。なんてこった。とりあえずありあわせの装備を整えたが、このネクロを育てなおすのは大変そうだぜ。

2003年10月26日(日曜日)

BD-1でおでかけ

00時00分 自転車 天気:なかなかいい

 今日も今日とて、元気に自転車でお出かけ。なんとなく町田方面に走りたかったので、南町田のモンベルショップを冷やかすことにした。自転車は、ロードで出ようかなとも思ったが、久しぶりにBD-1で出かけた。なんと9/15以来の出動だ。リア側のスポークに緩みがあったので、ちょっと躊躇していたのだ。とりあえず緩んでいたスポーク(1本だけだった)を締め、これでまた緩んだりしたらショップに持って行こうと考えた。
 BD-1を境川まで走らせる。そして境川に沿って、北上するルートを取った。最近、町田方面に出るときには、海軍道路経由ルートばかりだった。
 久しぶりに乗ると、BD-1の良さが分かる。いろいろ手を入れて来たせいもあって、ペダルの回転は軽い。まあチェーンホイールを52Tに換えたという事もあるのだろうが。XTハブ化したホイールも貢献しているだろう。後ろ過ぎると感じていたポジションも、回転主体のペダリングなら、むしろ有利な場合が多い。サイクルハウスしぶやのオリジナルスプリングも、乗り味の柔らかさに貢献しているようだ。
 やがてR246との交差を過ぎ、グランベリーモールへと到着。駐輪場にBD-1を固定し、モンベルショップを見て回った。そろそろ冬物のサイクリングジャージ、、それも撥水性の高いものが欲しくなっていた。そういう機能的なジャージは、大体値が張るものだ。ボーナスが出るまでには買いたいが。
 自転車本体も、そろそろ2004年モデルの入荷が進んでいるようだ。TREK5200のトップがC-Cで520なんていう、ちょうどよさげなものもあったりするのだが。2003年モデルの値下げも進行しているようだ。EPIC FSRに22万円前後の値札がついていた。
 店を出て、来た道を戻ってゆく。それにしても、BD-1のヘッドパーツは弱点だよな。少々の段差でも、前後に煽るような動きが出て、がたついてしまう。下りでは、ハンドルが振動して、かなり怖いのだ。それにしてもこんなに弱いなんて......。んっ? これは弱いんじゃなくて、緩んでる? 明らかにガタがある。高鎌橋の近くでBD-1を止め、ヘッドパーツの玉当たりをきつくした。下向きについているアヘッド部を緩め、真下の引き上げ(この場合は引き下げになるのだろうか)ボルトを締めこんでやる。やはりガタが出ていたのだろう、それだけでずいぶん印象が良くなった。前にも締めなおしたのだが、BD-1のここはかなり緩みやすいようだ。あるいは、引き上げボルトにグリスを奢りすぎたか?
 ダイクマに立ち寄り、帰宅した。

2003年10月25日(土曜日)

アイスお代わりミニツアー

00時00分 自転車 天気:自転車日和

 今日は、たか氏の呼びかけで境川沿いに走ることになっていた。いわば、アイスお代わりミニツアーだ。場所が近いのと、のんびり走るという表明がなされていたので、BikeEで出動することにした。
 朝は8:30起床予定とし、世の倣いとして携帯電話のアラームを、目覚まし時計代わりに設定し、就眠した。
 朝、その携帯電話の振動(マナーモードに入れっぱなしだった)で目が覚めた。枕元のそれをすばやく取り上げ、画面に目をやると、まだ8:00前。アラームではなく、メールの着信だった。しかも、どこぞの聞いたことも無い企業からのスパムだった。携帯電話搭載のMUAはヘッダー部を表示してくれないので、どういう経路で来たのかが追求できない。腹立たしい限りだ。などと考えているうちに、また意識がふっと途絶えた。
 次に意識が戻ると、メールを消さなきゃと思いつつ画面に目をやった。枕元に、フリップが開かれたまま放置されている。げっ、もう9:40を回ってるじゃないですか(x_x)。この携帯電話、電子メール操作中はアラームが抑制されてしまうようなのだ(というのは、前にも同じ目に遭ったから)。慌ててたか氏に電話をかけ、大和駅ではなく、途中の高鎌橋で落ち合うことにした。
 大急ぎでBikeEを整備して、高鎌橋に向かった。おっと、朝飯を食ってないので、コンビニでパンを買って、と。
 高鎌橋に着き、パンを食いながら本隊を待つ。暖かな一日になりそうなので、自転車で行く人がとても多い。一度、てっきり本隊の到着かと思うような、自転車の一団もすれ違った。何の気なしにサイクリングロードの案内板を眺めていたら、新しい発見があった。ちょうど湘南台の南、東岸の方に、なにやら城跡があるらしい。面白そうだ、行ってみようと思う。とはいえ、大場城跡公園ほどにも有名ではないので、きっと、遺構がちょろっとあるという感じなのだろうが。
 やがて、川上の方から、見慣れた顔ぶれが下ってきた。たか氏、こぐ氏あゆこ女史夫妻、そしてはるだぁ氏だった。はるだぁ氏はロードで来ないのかなと思っていたのだが、久しぶりに見るJEDIで登場。しかしスタンドがずれてしまっているようで、ほとんどありえないような角度に突き出している。
 一同を待たせてパンを食い終わり、ようやく今日のツーリングはスタートする。まずは飯田牧場でアイスだ。でかいBikeE ATの取り回しに苦労しながら、飯田牧場への車道に入る。飯田では、今日は巨峰ソフトをやった。さわやかな味わいが良い。気温もそれなりに上がり、なかなかのアイス日和だった。
 この次には、もう昼食タイムだった。へっころ谷でほうとうをいただいた。4人がきのこほうとうを注文したところ、大きな鉄鍋一杯に煮え立つそれが運ばれてきた。とても温まり、また鍋効果か、一人で食べるよりもおいしく感じられた。ここは多人数で来るのが吉だと思った。
 店を出て、境川に復帰する。そしてずっと川沿いに下っていった。実はBikeEのシート位置を少し前進させていたのだが、こっちの方が調子は良かったようだ。アップライトの場合を参考にして位置決めしていたのだが、リカンベントの場合は心持近づけた方が結局は有利なようだ。
 サイクリングロードを終点まで進み、ここからは左岸の裏道を縫うようにして進んでいった。東海道線を超え、一度右岸を進んだ後、たか氏は左岸へと渡っていったロードに気づいた。左岸を進んでゆくと、もしかして江ノ島まで出られるのでは? そこで、今まで通ったことの無い裏道を行くことになった。これは大正解。気がつくと、なんと湘南モノレールの江ノ島駅まで出ていたのだ。道は細いが、その分車の交通量は多くは無い。帰路は別として(後述)、江ノ島に出るならこのルートで決まりという感じだ。
 江ノ島口の繁華街を抜け、江ノ島に渡る。自転車を駐輪場に置いて、デッキに上がった。ボーっと日向ぼっこをしながら、江ノ島の風に吹かれていた。こぐ氏とはるだぁ氏は、いつしかごろ寝を決め込んでいた。たか氏、あゆこ女史をのんびり話しながら、海に出ているヨットを目で追っていた。こういうのんびりした時間を持てるのはいいなあ。
 1時間ほどそうしていただろうか。そろそろ日も暮れかけてきたので、帰ろうということになった。来た道を戻ってゆく。たか氏とは(買い物があるとかで)途中で分かれ、こぐ夫妻とは高鎌橋で、はるだぁ氏とは長後街道沿いの最初の交差点で分かれた。特に立ち寄ることも無く、帰宅した。
 ポジションを見直したからか、低速ツーリングだったからか、意外に疲労は残らなかったようだ。

2003年10月23日(木曜日)

5W LEDライトを気にしつつ

00時00分 自転車 天気:晴れたようだ

 Tarmacは納期来年3月と公示されている。なんとか、次の南会津までには届くかなという感じだろう。7800デュラエースの出荷も始まったようなので、来年の夏までにはフルデュラ化したTarmacに乗れるかもしれない。まあ、それは、その頃の懐具合に拠るが......。
 Tarmacは、ツーリング装備をゴテゴテ着けて重量化したTCR-2の反省から、出来るだけ軽量なまま乗ってやろうと思っている。ハンドルは補助レバーもつけないで、インフレーターはボンベ式のものを、そして荷物は中くらいのサドルバッグ一つに収めてしまおう。逆にTCR-2はさらに重装備化してもいいな。まあそれも、Tarmacに移植する予定のコンポが、Tarmacのデュラ化で戻ってきてからだが。
 一番重量を食いそうなのがライト。リアはやはり立派なものが要ると思うので、リフレクター付の大き目のもの、フロントはEL400に高輝度LEDを使ったものを組み合わせる。アメリカ製の1W級のものは、既に価格も手頃で手に入りやすいようだ。しかし、どうせなら5Wのものをという気持ちもある。ロードバイクなので、それなりにスピードが出る。またサイクリングロードは真っ暗な場所が多いので(照明に金を掛けない場合が多い)、1W級では少し力不足かもしれない。5Wあれば、安全に走れるはずだ。しかし、5W級は、電源が高価なリチウム電池で、しかも最大4時間程度しかもたないものばかりだ。リチウム電池は500円/個という辺りが手に入れやすい価格帯なのだが、すると400円/時くらいのコストが掛かってしまうことになる。どうにも不経済だ。もっとも、あくまでも緊急用と割り切るつもりなので、保存が効くリチウム電池の組み合わせには、利点も多いのだが。
 まあ、これもHL-1500と組み合わせるのが現実的かな。軽量な5W級のライトがあるといいのだが。

2003年10月21日(火曜日)

今日も巨大ハムスター

00時00分 自転車 天気:晴れのち曇り

 だんだん、朝の寒さが堪えるようになって来た。寝不足も手伝って、朝は毎日のようにフレックス出勤する俺様だった。このままでは、冬には毎日半日年休取る破目になるぞ。
 帰宅して、TCR-2をローラー台に載せた。ナイトランには危険が付きまとうし、ライトの管理等が面倒で嫌になる。室温が下がる今時分からは、ローラー台をメインで使っていこうと思った。でもまあ、外を走る方が、刺激が多くて飽きが来ないのだが。
 ローラーを45分回し(この辺で飽きた)、風呂に入ってからまたゲーム。モーモー牧場をしばし荒らす。TCPゲームで、ゲスト側でモーモーポータルを開き、抜けて別のキャラで入りなおすと、何回でもモーモーポータルを開けるようだ。とはいえ、E5が追加されたD2Xでは、アイテムに関してはあんまりうれしいものは出ない。そりゃ山ほど落としてくれはするが。
 星を見ようと思ったが、雲が濃くなってきたので、夜更かしして就眠。

2003年10月19日(日曜日)

近所をうろちょろ

00時00分 自転車 天気:いいにょ

 今日はいい天気だったので、午後になってから自転車で出かけた。昨日はBikeEで、などと考えていたのに、なんとなく面倒になって、結局TCR-2の出番となった。カンパのジャージ(考えてみたら、唯一のカンパ関連製品だ)にジーンズで、さくっと出かける。
 サガミ。MTBもロードも、新車が続々入荷中というところ。ふと、No.3店にプリコメの20インチ(ETRTO406らしい)が入荷しているのに気づいた。BikeEのリアにいいかな。でも、今のコンチネンタル・グランプリに換えたばかりなんだな。
 サイクルセンター店で、冬用アパレルを見て回る。カステリのごつい冬用ジャケットが気になった。でもまあ、ウィンドストップジャージ+ジャケットに適当なオーバージャケット、という構成でも十分暖かいしな。雪の降るような日でも走るなら別だが。
 サイクルセンター店3Fで、キャットアイの新作LEDライト、EL400を発見。機能的にEL200相当だが、サイズはかなり小さく、EL300に比較すると容量的に半分以下。形もシンプルな円筒形で、防水性能も高い。EL100/200の不満点を、明るさを除いてはほぼ解消している。また新型の取り付けブラケットは、かなりサイズ幅に余裕がある上、大きく首振りできるので、ロードバイクのバー下に取り付けできるとなっている。常々、このバー下は、僕の乗り方では全く使用しないので、なにかライトの類を取り付けできないかと思っていたのだ。さすがキャットアイ、目の付け所がいい。熟慮の末、買ってみた。
 境川まで走り、南下してゆく。サドル位置はうまく決まったようで、足の回転も踏み込みも軽い。ロードバイクの乗り味を満喫しながら、飯田牧場まで走った。
 飯田牧場では、エスプレッソチョコを求めた。ほろ苦いカカオマスの香りが良い。
 帰りには、湘南台に出て、ダイエーに立ち寄った。ダイエーを出たときには、既に日が没していたので、早速EL400の出番だ。単4電池*3という扱いにくい構成だが、安売りの電池を使い捨てることを考えると、苦にはならないだろう。バー下に取り付け、EL200を点灯して、帰り道を走った。電池が新しいせいもあり、EL200よりは明るい印象だった。これなら、普段はなにも着けないで、いざというときにEL400をバー下に、そして1WのLEDを使ったライトをバー上に取り付けて走れば、軽量化も出来るし、見た目もすっきりするのではないか。
 いや、常用するわけではない(ナイトランするなら充電式10Wを着ける)ので、ふつうのバルブ式でもいいのだが。

2003年10月16日(木曜日)

夜トレ

00時00分 自転車 天気:いい感じ

 そろそろ夜の冷え込みが強くなってきたが、今夜も元気に夜トレに出動した。流石に長袖のジャージを着用しての出走だ。
 走りながら、どうもシート位置が決まってないと感じた。少し前にサドルが前傾気味だったのを正し、ついでにサドル高も調整したのだが、それからどうも近すぎるように感じるようになった。そこで帰宅して、サドルをさらに、僅かに上げておいた。大体ポジションは決まってきたのだが、細かい点でまだ決まって無い観がある。そもそも、だんだんハンドルが近すぎる気もしてきたし。
 Tarmacが入ってくるのは来年の3月になりそうなので(果たして桜が咲く時期までに乗れるだろうか)、まだまだTCR-2を可愛がってやらないと。

2003年10月13日(月曜日)

名古屋~大阪ツーリング4日目

00時00分 自転車 天気:とうとう雨(だが次第に晴れる)

阪急デパートで食い倒れ開始


 夜半から降り出した雨は、朝になっても降り続いていた。相談の結果、今日は歩きで大阪を回ることにした。自転車はあらかじめ輪行状態にしておき、会議室にそのまま置いておく事にした。それを許可してくれたホテルには感謝。
 雨は小降りになっていた。地下鉄で目的地まで移動し、10時に梅田地下街から阪急デパート地下売り場に入り、今日の食い倒れツアーがスタートした。
 まずはイカ焼きを買う。安い。うまい。朝食がまだだったので(当然だが)、次々に食い物を買い漁る。きつねうどん、焼ソバ、ミックスジュース。全員暴飲暴食状態だ。しかし胃袋が痛んでも、財布はさほど痛まない。さすが、食い倒れの街大阪。

天六商店街


 再び地下鉄で移動し、天六商店街に。ここのアーケードは日本一長いんだとか。確かに、果てしなく長かった。アーケード街というと、寂れてしまった商店街の起死回生策という観があるが(いや、そりゃ偏見だ)、この商店街は人通りも多く、活況を呈している。阪神優勝の余波で、どこもかしこも虎縞だらけだった。
 @nak組が、前回の上方入りの際に食い逃したという、とても美味しいたこ焼き屋に向かった。が、まだ開店前。早すぎ。そこで、天六の近くをうろつく。雑貨屋で、缶コーヒーが80円台で売られている。見たことの無い、ジョージア御当地仕様である。
 裏通りに入ると、店を開いていた揚げ物屋(?)で、一斉におでんの買い食いに走る。ごぼ天を買ったが、うまい。関西風のにごり出汁で、こっちの方が関東煮よりは好きだ。
 少しうろついて、先ほどのたこ焼きやに引き返すと、もう待ち行列が延び始めていた。慌てて並ぶ一同。
 代表者が買ってきたたこ焼きを喰らう。うまい。球の中がとろけていて、アツアツだ。でも、俺的なベストは、実家呉の総菜屋さんのたこ焼きだな。これは本当にトロトロに蕩けたたこ焼きで、アツアツの、まだ皮がカリッとしているものは、絶品だ。これとビールがあれば、夏の昼間にはなにもいらない。

お好み焼きと身投げの橋と


 昼食はお好み焼き屋で。大阪風の自前で焼くものを想像していたが、実際には既に焼いてあるものを目の前の鉄板でアツアツのうちに食べるというスタイル。これはこれで美味だったが、一日一食(ずっと切れ目無く食べつづけてきたので)という観のある現状では、いまいちお腹が喜んでくれなかった。
 それから道頓堀で、例のグリコの看板(阪神仕様)が見える橋を拝見。ここから無数の人々が身を投げたわけだ。もちろん、自殺とは別の目的で。小汚い堀が見渡せ、別の意味で良くも飛び込む気になったものだと感心する。人が多く、息苦しいほどだった。自転車ではとても来れなかったろう。SatRDayで来たら、おみこし代わりに放り込まれていたかも、との声も。

さらば、上方


 最後に立ち寄ったのが、関西
さーけりすといやサイクリストの間で有名な、麦酒食堂だった。ここで関西変な自転車界の大物、横井氏、レスラー氏、新倉氏とお会いする。けったいなおっさんたちだった。横井氏は横浜に赴任中とかで、一緒に走りませんかという話が出た。
 ここが企画したオリジナルビール、そして大阪の地ビールを愉しんでいるうちに、もうお別れの時間がきてしまった。我々は、慌しく店を後にし、ホテルに戻って荷物を取り、新大阪へと向かった。新大阪からはのぞみで帰る。大阪、名古屋間に意外に時間がかかっているのに気づいた。でも、自転車で走るのに較べれば、一瞬だね。
 新横浜から地下鉄で立場に戻り、立場からは自走して帰った。なんとか、雨に降られずに帰還。
 今回は本格的な泊まりのツーリングということで、いろいろ不安はあったのだが、メンバーの経験(特に前回名古屋ツアー組みの)を生かせ、大成功だったと思う。今度は広島に走ろうとか。面白い道はあるかな。
 それとは別に、関が原への旧道が心に残っている。もしも時間を取れたら、もう一度、今度はじっくり走ってみたいと思った。

2003年10月12日(日曜日)

名古屋~大阪ツーリング3日目

00時00分 自転車 天気:また晴れた

桂川を行く


 宿坊を出て、まずは自分たちが泊まった仁和寺を見て回った。国宝の金堂を始め、文化遺産の塊のようなこの寺だが、あいにく予習をしてなかったので、見どころはいまいちつかめなかった。でも、もう一度、今度はじっくりと京都市内を回ってみたいものだ。
 しばし、京都の美味しそうな場所を走る。映画の撮影に使えそうな竹林を抜けた後、抹茶アイスを食す。それでも止まらず、冷奴まで立ち食いする始末。本当は湯豆腐の方が良かったのだが、『3分かかる』といわれたのでは。
 さらに走り続けてゆくと、桂川に架かる橋の上に出た。嵐山だったようだ。ここからの眺めが絶景だった。上流側は水をたたえた淀みになっており、舟遊びに興ずる人々の姿が見えた。下流へは流れが抜けている。また上流側から右岸に掛けてはこんもりした山がうずくまっており、その中腹には寺院の伽藍が見え隠れする。デジカメ程度では、この風景は収めることが出来ないだろう。超広角レンズをつけた1眼レフが欲しいところだった。
 ここで合流したのが、ベネトン14インチを駆るベス女史だった。一行はますます大所帯になってゆく。
 続いて、電電宮なる、NTTグループの守り社かと思えるような神社を参拝した。面白い神社だった。エジソンとオームが祀られている(!)。

毛虫だらけの昼食タイム


 桂川をしばし下り、やがてお菓子どころで買出しの後、桂離宮、の正門だけを見学した。皇室財産ゆえ、見学するにははがきを出し、しかも抽選の上で、と手間がかかるそうだ。
 昼食はコンビニで買い出し、川沿いの公園で取ることになった。川沿いにある高い土手の上という絶好のロケーションにもかかわらず、なぜか人気が無い。その謎は、ほどなく判明した。公園の案内板の近くに自転車を止め、思い思いに休んでいた一行のあちこちから、悲鳴のようなもの(って『バールのようなもの』の類だが)が聞こえてきたのだ。遊歩道の左右に立ち並ぶ樹に、無数の毛虫が群生していたのだ。それが、気がつくと衣服の上を這いまわっていたりして......。僕も、案内板の上に腰掛けた拍子に、毛虫の死骸を潰してしまった。道理で、人気が無いわけだ。
 毛虫騒ぎに前後して、近くのコンビニへと昼食買い出し隊が出動した。僕も買い出し隊に志願し、同行した。あまり食欲も無かったこともあり、いなり寿司を中心にウィンナーなどを付け合せる。
 コンビニを出て来た道を戻ろうとした時だった。左右のビンディングを嵌めて、漕ぎ出すと同時に、ギアをシフトダウンした。が、なかなかギアが決まらず、ノイズが続く。これはおかしい。
 自転車を止めようとした時、『なんか絡んでるよ』と周りから声がかかった。見ると、リアハブの周囲に黒い鉄線のようなものが......。あちゃー、やっちゃった。キャットアイの携行ワイヤロックを掛けたまま、強引に漕ぎ出してしまったのだ。破損したのはワイヤロックの方で、スポークなどには異常は無い。助かった。ただ、ハブのシールドが一部破れてしまったので、この先雨に降られると不安だ。まあ、実はリアハブは、もっといいのに替えたいと思っていたのだが。
 ともかく、走るのに異常は無いので、昼食地点へと走って戻った。途中、橋の近くで、リカンベントを含む一隊と遭遇した。関係者か? いや、無関係の第三者でした。しかし、近畿に来て、ぽた郎氏以外の野生(笑)のリカンベントを見たのは、これが初めてだった。
 昼食には、ぽた家がわざわざ買って来て下さった鯖寿司が饗された。要するに"ばってら"。とても美味で、ちょっと食欲が落ちがちだった胃袋にも、すんなり収まってくれた。

悪名高き淀川の車止めを越えて


 昼食を済ませ、桂川をさらに南下していった。桂川、淀川などが集合する地点を経て、淀川のサイクリングロードに移る。専用のサイクリングロードは、道幅も広くて快適なのだが、車止めが聞きしに勝る恐ろしい代物。どんな自転車に乗っているにせよ、一度降りなければ通過できないような様式になっているのだ。荒川で言えば、青い水門のところのそれが近い。設計者の思い描く自転車(おそらくはママチャリ)以外は、担いで越える他は無い。それが、数百メートルごとに登場するのだ。これほど利便性を欠いた設備も無いだろう。
 ここで問題になったのが、にち氏と(あ)氏のSatRDay。ツーリング装備を含め、恐らく20kg超には達しているだろうそれを、いちいち担ぎ上げねばならないのかと思われた。数度それを繰り返した後、試しに車止め(というか自転車止めか、これは)の中央に設けられた、ロータリー式の車椅子通しを使ってみると、ぎりぎりで通過できることが判明。以降は、担ぎから解放された。とはいうものの、いちいち止まらねばならないのは同じことだ。
 途中から、昨夜の湯豆腐に参加して頂いていた、pekopoko氏も同行していた。乗車は、なんとあのロデオ(赤)。これでこの一行にちゃんと着いてきた。まあ、荒川では20km/h超で車道を走る一団に、ちゃんとついてきた人もいるけれど。
 このロデオが大活躍したのが、小休止にと止まった公園での試乗会でだった。(た)女史が早速挑戦する。最初は一漕ぎも出来なかったのだが、だんだん乗っていられる距離が伸び、なんとか一漕ぎ、もしかしたらさらに、というところまで上達したようだ。どうやら買う機満々。ソファー掛け気分のまま走れる究極の安楽自転車、SatRDayの次は、一瞬足りとも油断ならない究極のじゃじゃ馬自転車、ロデオを買う気みたいだ(笑)。頑張れ、これ以上となるとFREVO RACERが待っているだけだぞ(リカンベントのロデオと呼ばれる、最強のじゃじゃ馬自転車)。

イトーサイクル訪問


 車止めの嵐を除けば、サイクリングロードはよく整備されていた。初日に走った名古屋のサイクリングロードの惨状と見比べれば、まだしも将来に明るい展望が拓ける......といいなあ。
 かなり走った後に、右岸へと橋を渡った。橋の途中で記念撮影。行き違う人々は、一隊何の集団だと思ったことか。
 市街地を走り抜け、やがてとある自転車店へと到着した。ここが今日の目玉、イトーサイクルだった。東の和田サイクル、西のイトーサイクルというところか、小径車の改造に関して造詣の深いショップだ。僕も、トレンクルに着けたアルホンガのデュアルキャリパーブレーキを、ここから通販で取り寄せたことがある。
 店は、和田サイに較べるとずいぶんきれいだ。普通の自転車屋をやっている。そして店舗の前には、真っ赤なGreenspeed GTOが。乗ってる人も真っ赤。迎撃してくれた(?)定吉氏だった。定吉七番の定吉か。いや、ただの定吉だろう(謎)。今回参加できなかったまき氏もいい加減赤い人だが、定吉氏の赤さ加減には負ける。自転車パーツもことごとく赤で、赤くないものは自分で塗ってしまったとか。徹底している。
 さて、店内を見て回る。普通の自転車屋をやっているが、ランドナー向けのオールドパーツの棚が広い店が、ちょっと異彩を放っている。ウェブページの商品傾向と比較すると、思ったより普通の店という感じだ。が、店主の人がやや変わった人で、宇宙人ッぽいと言う声さえも聞かれた。一見、それほど変わっているとは感じなかったが、店を出る時ににち氏のSatRDayにスルスルと滑るように近づいていった足捌きを見ると、やはり宇宙人の血が流れているのかもしれない。
 ここでベス女史がベネトンのブレーキキャリパーを、アルホンガのデュアルに交換。さらに『内装3段化する!』といってました。みんな同じ道をたどるのか。

とんがらし、そして猫事件


 今夜の食事は、「とんがらし」というイタ飯屋で取ることになった。開店時に押しかけるも、狭い界隈ゆえに路上駐車は気が引ける。すると、店主の人が近所の空き地に止められるように交渉してくれた。治安は悪いかもしれないが、昔ながらの人情味の残る街のようだ。
 店に入り、ビールやワインを空けながら、イケる料理に舌鼓を打つ。ワインピネガーも、地中海系の海鮮料理もダメと、ボスニア派兵にはとても耐えられないような僕だが、この店のものはイケた。店を辞す時、店のスタッフ共々記念撮影。アットホームな雰囲気の店だった。
 食後は、さすがにアルコールをふんだんに摂取したことがあり、またホテルも近いこともあり、自転車を押して行くことになった。私鉄数駅分を歩いていったのだが、酔いも覚めて気分よく歩けた。
 半分以上歩いた地点だったろうか。『に~』という声とともに、白いものが足元に寄って来る。猫、それも生まれてそれほど経って無さそうな、本当に小さな子猫だった。それが、なぜか僕の自転車に擦り寄ってくるのである。とことこ駆けながら、盛んにホイールに擦り寄ろうとする。ホイールの下敷きにしそうなので、こっちは慌てて自転車を止め、慎重に避けなければならない。それが繰り返されるうちに、いつの間にか一団と距離が開いてしまった。例の東名高速下の(勝手に建てられた)猫小屋で見かけた子猫もそうだったが、生まれて間もない猫は警戒心も無いらしい。手を伸ばして押しやっても、また追いかけてくる。なにがこの猫の情熱を掻き立てているのか? 他のより大きめ(この日の参加車の中では最大の24インチ)ホイールと、銀色のスポークが目を惹いてしまうのか。
 そりゃ可愛いのである。片手に乗りそうな子猫が、無心に擦り寄ってくるのだから。ここが境川なら、思わずお持ち帰りしたかもしれない。だがここは遠征先の大阪だ。お持ち帰りするわけには行かないのである。こぐ氏に引き渡して猫汁を堪能していただくわけにもいかない。そんなわけで、アワアワと慌てている間に、ますます集団から距離が離れてしまう。このままでは迷子の危機なのである。ここは心を鬼にする時だ。
 猫をそっと靴のつま先に乗せて、ポンと1mほど向こうまで放った。当然、猫は怪我も無く、また寄って来る。するとまた同じ事を繰り返す。何度かやって見せると、さすがに猫の方も、こちらが寄せ付けまいとしているのを察したのだろう。少し離れて、にーにー鳴き始めた。今だ。すかさず駆け出して、一気に距離を開ける。背中に、猫の悲しげな『に~』という声が追いすがってきた。それを振り切って、なんとか原隊に復帰できた。これが僕以外誰も知らない、"大阪猫事件"の顛末だった。
 それにしても、なんなんだ、この罪悪感は(笑)。別に悪いことをしたわけではないのだが。去年夏の猫轢死疑惑といい、どうも僕は自転車と猫に関しては面白い体験を......いや、ツいてない思いをしなければならないようだ。

ホテルで、まるで修学旅行のように


 ホテルでは、各自シングルの部屋が取られていた。きさ女史がホテルと交渉してくれて、会議室に自転車を置いてよいことになった。これは、翌日のことを考えると、とても助かった。
 寝る前、"ミーティング"ということでにち氏の部屋にみんな(10人)集まったのだが、実際には酔っ払いの延長戦だった。こんな狭い部屋なのに、むりやり集合写真を撮ったりして。これだけでかなり笑えた。
 部屋に戻り、風呂に入りながら、昨日の仁和寺では出来なかった洗濯をする。コインランドリーは無く(駅の近くにはあるといわれたが)、風呂場で石鹸を着けて洗っておいた。部屋のエアコンを入れ、そのまま自然乾燥を図ったのだが......。

2003年10月11日(土曜日)

名古屋~大阪ツーリング2日目

00時00分 自転車 天気:また晴れた

こぐ家、きさ家合流


 起床後、昨夜買ったパンなどの朝食を取る。朝食は美味しいものを食べたくはあったが、仕方ない。コンビニ朝食だった。
 身支度をして、サイクリングターミナルを出たのは、8:30頃だった。今日は途中でこぐ家、きさ家、ぽた家と合流しながら、京都市内まで走ることになっていた。
 途中、長浜ドームに立ち寄りながら、合流地点の琵琶湖畔まで走った。
 琵琶湖に着き、こぐ、きさ両家を待ちながら、一服入れる。琵琶湖を間近に見るのは、実は初めてだった(米原にも彦根にも来た事はあるのに)。ほとんど海という感じだが、波がほとんど立ってない点が違う。
 ほどなく、両家が現れた。米原駅から走ってきたのだ。これで一行は、一気に9人の大所帯になった。昼飯にする美味しい駅弁を買いに行くことになり、半数が米原駅へと向かった。
 駅弁は、その駅弁を作っている会社で買えた。すぐ側に製造現場があり、いかにも事務所という感じのビルの入り口で購入。なんとなく焼肉弁当を選択したが、やっぱりステーキ弁当の方が良かったかも。買ったはいいが、バッグに入りきらず、サコッシュで運ぼうかとも思ったが、弁当が片寄せになってしまいそうなので、にち氏に運んでもらった。感謝。サコッシュ自体は、コンビニの買い物等で大活躍してくれた。これは便利なグッズだ。
 元の合流地点まで戻る道で、やはり琵琶湖周辺を走るつもりらしいサイクリスト集団と並走した。琵琶湖では多くのサイクリストを見たが、湖畔を走っている間、我々のように時計回りルートを走っている人は、ほとんど見かけなかった。反時計回りに、がセオリーらしい。我々は、長浜から京都に抜ける都合上、どうしてもこうなってしまう。
 きさ家の先導で、琵琶湖畔を走ってゆく。もっぱら歩道を逆送して行くことになるのだが、琵琶湖畔に設定されたサイクリングコースがこうなっているのだから仕方ない。むしろ、裏道っぽい湖畔の車道を走っている間の方が、心地よかった。

昼食とぽた家合流


 途中、休憩を挟みながら、琵琶湖を右に走ってゆく。湖畔から離れたり近づいたり、自転車の一団はやがて昼食のために足を止めた。場所はちょっと荒れた護岸の側だった。羽虫が凄かったが、渚に出るとそうでもない。ここで買っておいた駅弁を広げる。肉がやや硬めに煮付けてあったが、悪くない。あまり食欲が無かったのにぺろりと平らげたので、美味しかったということだろう。
 琵琶湖は湖だけあって、波はごく穏やかだ。漣が立っている程度だった。広さは、瀬戸内のちょっとした灘より広いのではないかと思うほどだが、波はさすがに海ほどではない。干満も無いのだろう。長閑だなー、などとのんびり構えていたら、急に波が立ち始めた。風か、船か、どちらかだろう。
 さて、ぽた家との邂逅地点である近江大橋を目指し、さらに南下していった。途中、大きな物産センターのような場所に立ち寄った。海産物......いや、水産物とくくるべきか、が豊富で、うまそうな匂いに満ちたここは、ちょっと胃の毒だった。さっそく、なにがしか購入した者もいたようだ。
 さらに走りつづけ、近江大橋まで後少しという地点で、再び小休止。琵琶湖の方を見ると、巨大な風車が立っていた。なにかの実験施設だろうか。
 こぐ氏は夜行で来た疲労が出たのか、道端でゴロンと横になって寝てしまう。僕も多少の眠気を感じ始めていたので、缶コーヒーを買って飲んだ。カフェインが全身に染み渡る。
 さらにさらに南下。あまりにゆっくり走ると疲労してしまうので、とうとう歩道ではなくて車道を走ることにした。歩道を走る一行を追い越して、どんどん先に走っていった。スピードが乗ると走行感が軽くなり、楽しく走りつづけることが出来た。と、(あ)氏も歩道走行に飽きたのか、背後に着いてきた。SatRDayでもそこそこの巡航速度は稼げるんだな。
 橋をいくつか渡ったところで、後続を待つ。再び歩道を走る一隊と合流し、さらに近江大橋に近づいたところでだった。前の方を走っていた人たちが、『おーっ!』と声を上げながら反対側の歩道を見ていた。そちらに目をやると、黒いBikeEとBirdy、そしてポケラマ風の小径車(後でよく見るとMetro7だった)にまたがった一団が目に入った。ぽた家との邂逅の瞬間だった。
 少し進んだ歩道で、感動の集合。Metroに乗った男性は、関西小径車界(ってあるのか)の一人、Qyou氏だった。
 遂に12人に膨れ上がった集団は、ぽた郎氏の先導で、ひとまず近江大橋を越えた。
 橋を越えた公園で、しばし邂逅を喜ぶ。陽気に誘われて多くの人出があった公園では、この集団は良く目立った。

京都で湯豆腐を


 大津市内を走り、やがて蝉丸神社に至った。ここは境内を京阪電鉄の線路が横切る面白い構造。時代を感じさせる古びた、苔むした境内の地面が印象的だった。
 この前後はかなりの上りがあり、また車道は交通量が多くて歩道を走っていたので、少々辛かった。それでも坂を登りつづけると、逢坂の関跡に到着。石碑と常夜灯が目に入った。ここが都と下界とを分ける地点だったわけだ。
 今日は仁和寺に宿泊する予定だった。寺に、それも歴史あるそれに泊まるなど、滅多に出来ない体験だろう。その仁和寺までは、京都市街を横切って行く形になる。殿を着いて行ったのだが、結構疲れる道行きだった。トランシーバーで先頭を引くぽた郎氏と連絡を取りながら走ってきたのだが、市内でそれを続けると、頻繁なストップ・アンド・ゴーの度にやらなければならない。疲れるというより、ストレスのたまる道行きだった。まあ、それでも、全員が安全に走れたので、良かったのだが。
 途中、京都市役所近辺で別の参加者(てふてふ氏というスーパートレンクル乗り)を待ち、やがて仁和寺へと到達した。が、どうも閉門されてしまっている。もしかして、門限? などと一同青くなっていたが、やがて、ようやく中から人が出てきて(どうやら勝手に通用門を入って受付まで行けばよかったようだ)、今夜の宿に入ることが出来た。
 宿坊、ということで、古めかしい合宿所のようなところを想像していたのだが、実際には内装もきれいな小さな観光ホテル風の建物だった。ここにQyou氏を含む男8、女4、合計12人が泊まる。それぞれ大部屋への宿泊だ。なんとなく、気分は修学旅行。この建物、真言宗の寺である仁和寺が、信徒や関係者を宿泊させるために作ったもののようだ。
 荷物を部屋に置くと、今度はタクシーで今夜の宴会場まで向かった。"わら"という店名の湯豆腐屋だった。最初に胡麻豆腐が出てきたのだが、これがまた胡麻の香りとぬめるような食感がたまらない逸品だった。湯豆腐も期待にたがわず美味。また野菜の天ぷらも、運動で枯渇したエネルギーを即座に補充してくれた。それと、京都という土地柄か、漬物が非常に美味だったことも付け加えておく。まあ、要するに、なにもかも良かった。
 宿に戻り、風呂に入ったりしているうちに、眠気が襲ってきた。日付が変わる前に布団に入った。

2003年10月10日(金曜日)

名古屋~大阪ツーリング1日目

00時00分 自転車 天気:晴れました

名古屋へ


 4:30起床。身支度と簡単な朝食を済ませ、MR-4Fを立場駅に走らせた。立場でMR-4F改を輪行状態にする。ペダルを外すとスムーズに輪行状態に出来るので、最近は8mmのアーレンキーで外し、それから車体を畳んでいる。畳んだ車体に外した前輪を紐で固定し、バイク巾着に収める。ペダルはマルチツールごとバイク巾着の携行袋に収め、バイク巾着に一緒に入れておく。
 少々重い思いをしながら地下鉄に乗り組み、新横浜で下車。新幹線の改札口まで歩き、乗車券だけ買って、こぐ氏に買ってもらっていた指定券と一緒に改札をくぐらせる。
 ホームに上がると、今日一日同行するにち氏、hai氏、そして@nak(あ)氏が待っていた。(た)女史は仕事の都合で今夜の宿からの合流だった。
 新幹線への乗り込み時、各自の輪行袋が問題になる。後続の客にとって邪魔になるのだ。そこで近くのドアから分散して乗り込み、各自の輪行袋はシートの背後(最後尾席だったので真後ろは空いているはずだ)、デッキに分散して置くことにした。席は最後尾に横並びだった。分散行軍、集中攻撃は近代軍事の基本だ(ほんとかよ)。今回、にち氏、(あ)氏がSatRDayで走る関係で、それぞれ荷物がかなり多い。またhai氏も意外に多いようだ。輪行袋+バックパックだけの僕が一番身軽そうだ。というか、少なすぎ?
 やがて乗り込む予定ののぞみが到着し、慌しく荷物を搬入した。デッキに立っている乗客がいた関係で、デッキへの荷物分散は少し戸惑った。が、なんとか手早く済ますことが出来た。のぞみに自由席が出来た関係で、自由席からあぶれた客が離れたデッキにまで立つらしい。
 席に収まり、いやあ荷物の搬入が大変だったね、などと話しているうちに、もう名古屋に着いてしまった。

濃尾平野脱出


 駅の西口を出て、各自の自転車を展開した。構内には修学旅行の学生が溢れ、駅前の広場にも多くの人が集まっていた。世間では平日なのだが、それでも暇な人間は多いらしい。
 しかし、2台のSatRDayを含むこの集団は、いささかいささか目立ちすぎる存在だった。SatRDayの調整をしていたにち氏、(あ)氏に通りすがりのおじさんが声を掛けてきた。それに適当に受け答えしているうちに、いつの間にか観客の輪が出来始めていたのだ。慌てて出発する我々は、駅前での集合写真を撮り損なってしまった。
 駅前を脱出して、幹線道路沿いにおおよそ北東を目指して走っていった。名古屋は縦横に幹線道路が抜けており、交通の便はいいはずだ。が、あまりに幹線が多すぎて、気を抜くと迷ってしまいそうだ。コンビニ休憩を挟みながら、黙々と関が原方面へと向かっていった。楽しくは無いが、まあこれからのツーリングの準備だと思えば、不快ではない。ただし、自転車の存在を無視したような名古屋の道は、ちと不快だった。
 やがて、ほぼ南北に走る長い自転車道へと至った。そこは各地にある水道道(すいどうみち)の一つで、木曽川から名古屋市内へと水を引き入れるルートだった。それなりに整備された自転車道になっていたが、我々が走った区間はやや荒れていて、ロードでは辛かった。
 その水道道をなぞって走るうちに、やがて木曽川の渡河地点へと至った。ここから先は、自転車走行可能な橋を求め、細かく移動しながら、西へと向かった。
 やがて濃尾平野の西端近く、大垣に至った。ここで昼食をとろうということになり、大垣からさほど離れていない街中で食事できる場所を探した。が、見つからない。飲食店がほとんど見当たらないのだ。結局、コンビニで適当に買い、牧田川の堤防で食べることにした。日差しは予想外に強く、飯を食っている間にも皮膚がじりじりとあぶられる感じがある。
 目を北西にやると、山と山の間に谷間のような低地が見えた。あちらが関が原のはずだ。

関が原越え


 食事を終え、再び牧田川沿いに走り出した。この辺はのどかな県道なので交通量は少ない。ところが、川向こうに東名高速道が見えるようになった頃から、急に混み始めた。それも産業用の大型トラックが多い。ここは東名と平行している関係で、高速料金をケチりたいドライバーの抜け道になっているらしい。自転車で通るには非常に危険だ。が、この先は旧街道を通ることにしていたので、少しの我慢だ。慎重に走り抜け、やがて再び河を渡ると、幹線を逸れた少し細い道に入った。そこが旧道だった。
 旧道は古い家屋が散在する、なんとなく気分のいい道だった。なんと言っても交通量が少なく、信号もまったくといっていいほど無いのが良かった。やや上りではあったが、まったりと走れる道だった。空気は冷たすぎず暑すぎず、走って楽しい道だ。旧道、ということは、近年になるまではこちらが街道だったわけだ。上洛戦中の信長軍や、関が原に入る東軍も、ここを通ったのだろうか。
 街道沿いには店がほとんど無い。自販機があるくらいだ。だが、時々、景観保護がされているのか、旧家が多く残る地区を通ったりする。あまり汗をかかないせいか、ボトルがそれほど減らない。まあ、時々自販機と遭遇するので、真夏でも干からびることは無さそうだが。
 やがて、『関が原』の標識を横目に、関が原らしき盆地へと入った。なんとなく、広い平原を想像していたのだが、実際には細かい高低のある起伏に富んだ土地だった。もっとも、江戸期以降は土地改良が進められ、関が原戦当時とは地形が大きく変わっているそうだが。
 『福島正則陣跡』という、小さな祠と、大木が立つ地点で小休止を取った。行政の予算で整備されたのだろう、無料駐車場などが整っていた。が、我々が足を止めている間には、まったく観光客は見かけなかった。今日は平日だからだろうか。
 さらに走り始め、駅周辺の旧跡を巡るウォーキングの人々とすれ違い、旧街道筋を走ってゆく。関所跡を眺め、坂道を登って行くと、やがて国道(R365だった模様)に合流した。コンビニで休憩を取り、ほぼ下りの車道を突っ走って行くと、ついに長浜市に入った。関が原突破だ。

近江牛と地ビールと


 長浜市内を走る。長浜駅の周辺は、整備が行き届いた観光地だった。美味しそうな店も散見されるが、明日の朝食をと思って入った店は、既に閉店直前で、調理パンの類が売り切れていた。仕方ない、それはいずこかで仕入れよう。
 にち氏が目をつけていた、地ビールの店に入ったのは、間もなく日も暮れきろうという時刻だった。地ビールをやりながら、近江牛の地ビールになどをつつく。肉は柔らかく、歯に挟みこむとそれだけで肉汁がジュッと染み出てくる。肉の匂いは強くないが、濃厚なたんぱく質の香りが食欲をそそる。一言でいって、コクとまろみが違う。ビールは予想外にフルーティで飲みやすかった。いや、どこかねじが緩んでいたのだろう、この2種類の形容以外には、我々はうまく表現できなくなっていたようだ。
 宿は、やや南東にあるサイクリング・ターミナルに取っていた。そこまでは、当然自走だ。ハブ・ダイナモの威力をかみ締めながら、サイクリングターミナルへと走った。
 サイクリング・ターミナル、と名乗る割には、自転車の客は我々だけだった。部屋に荷物を運び込むと、(あ)氏は宿に直送していた、別便の荷物を開梱した。(た)女史は、会社を退けてから直接宿まで来ることになっていたので、自転車は別便で送っていたのだ。(た)'s SatRDayを期待していたのだが、届いていたのはBirdy。なんか、急にこちらに乗りたくなったんだとか。後々、SatRDayの輪行の大変さを目の当たりにして、今回はそれが正解だったなと思った。
 ほどなく、(た)女史も来たので、買っておいた地ビールを飲みながら、明日以降の日程を話し合った。そのはずなのだが、実際は無駄話に終始し、笑いのうちに『もう寝よう』ということになった。布団に潜り込んで、即刻就眠。

2003年10月07日(火曜日)

ツーリング準備

00時00分 自転車 天気:雨だがや

 さて、そろそろ週末の名古屋~大阪ツーリングの準備を始めなければ。週間予報によれば、天気の方は心配無さそうだ。前回、小田原~名古屋のレポートを読むと、毎日雨だった模様で、やや心配になるが。雨具はしっかりしたのを持っていこうと思う(合羽じゃなくて)。気温も気になる。最近数日は低い気温が続いてきたが、予報によれば、ツーリング中はかなり気温が上昇しそうだ。だが、朝晩は冷えるだろう。半袖ジャージ+レーパン+上下ウォーマーでいいか?
 着替えは最低限にして、出来るだけ嵩を減らしたい。でもトラブル対処のために、工具類は少し充実させないとな。トータルでの重さは、南会津行きのときより増えそうだ。Freepack Sportは、あまり容量が無いので、悩ましいところ。
 まあ、最悪は、各地の自転車屋を頼るという手もあるから、工具は本当の応急用にとどめるべきだろう。チェーンコネクタ、チェーンルブ(雨に備えて)、ニッパーとインシュロックくらいは持ってゆこう。
 明日はMR-4Fを整備して、荷物をまとめておこうと思う。

2003年10月05日(日曜日)

海芝浦公園オフ

00時00分 自転車 天気:いいのだ

 今日は、なぜかきさ家掲示板で告示された、海芝浦ポタの日だ。10:30くらいに鶴見集合、11:00に出発というスケジュールが公示されたので、10:45到着を目処に家を出た。今日の乗車は、走行距離と輪行前提を勘案して、トレンクルの出番だ。
 出る直前まで、洗濯していた関係で、ちょっと遅れ気味の出発だった。が、乗り継ぎがスムーズで、10:40には鶴見駅東口に出ていた。それで、ええっと、皆さんはどこでしょう? 見当たらなかったので、にち氏に電話してみる。近くのファストフード店に居るという。外から覗き込むと、いました。
 店の前で出発準備をする一行。今日はこぐ夫妻、お久しぶり(麦草以来?)の吉田信生氏、そしてくいくいという初顔合わせの方が参加する予定になっていた。吉田氏と久方ぶりの挨拶を交わし、こぐ氏から来週必要になる新幹線指定券を受け取った。雑談しつつ、軽装の僕は既に出発準備万端だった。
 ところで......、先ほどからこの一団に見慣れない女性が混じっているのだが、どちらでしょう? 聞いてみると、なんとこの方がくいくいさんだった。漠然と男性だと思い込んでいたので、これにはびっくり。それにしても、なんで男性だと思い込んでいたのだろう。
 コンビニでの買出しを経て、まずは新芝浦駅へと移動する。無人駅で、一つきりのプラットホームが、海と線路に挟まれている、面白い眺め。ほどなく、電車が来たので、各自輪行状態の自転車を持って、乗り込んだ。
 終点の海芝浦には、5分も経たずに到着。この駅、改札を出るとすぐに東芝の工場なので、切符の他に入門許可がないと駅を出ることも出来ない。正確には、改札から駅舎内までは出られるので、帰りの切符を買うことは出来るのだが。
 駅舎を出ることは出来ない。だが、駅の海寄りには、東芝が敷地を解放してくれた海芝公園という小さな公園があって、そこまでは出てゆくことが出来る。この公園、この駅に何らかの理由で(反対行きの電車に乗った、乗り過ごした、我々のように酔狂でやってきた)この駅に来た一般客を救済するためのものなのではないか。しかしこの海芝公園、人が10人も来たら息苦しさを感じそうなくらい、狭い。笑えるのは、小さなロータリーがあるので、自転車の試乗にも使えるということだ。ここで輪行解除して、記念撮影。こういう馬鹿をやることにも意味があるとくいくい女史は力説する。確かに。今度はフルサイズのロードバイクで来てみようか(帰るまでに輪行状態にできるかどうか)。
 帰りの時間が近づいたので、みんな慌てて輪行準備をし、電車に乗り込んだ。電車は1時間に1本しか出ないようだ。でも、隠れたスポットという感じで、他では得られない臨海地区の眺めが得られるのが良い。
 新芝浦まで折り返し、ここからまた自力で走る。途中、総菜屋で惣菜を買い求め、少し走ると、キリン生麦工場だった。かれこれ3度目のただ酒ツアー決行だ。
 受付でチケットをもらい、見学コーナーを見て回る。いつも思うのだが、平日に、このラインが稼動しているところを見てみたい。その方が、よほど楽しそうだ。
 終点の試飲コーナーで各自の飲み物を受け取る。ラガーをもらい、外の芝生でさっき買った惣菜を広げる。暖かな陽気の中、冷たいビールをクイっとやる。もうそれだけで幸せ。おなかも満たせて、なお幸せ。2杯目はジュースを所望し、みな酔いが醒めるまで、芝生の上でまったりした時間を過ごした。
 適度に酔いが醒めたところで、再出発。今度は、横浜近辺にかけて、海沿いに残る漁師町の面影の残る町を走った。つげ義春の世界、という前情報は、いささか期待外れだった。僕の実家、呉の海岸通りの方が、よほどつげ風味だ。
 臨海地区で、ディスプレイ・ミュージアムという店舗を発見。中を探索してみる。その名の通り、ディスプレイ用品の大規模店舗で、ありとあらゆる品物が揃っている感じだった。独特の雰囲気に、しばらく居ると酔っ払ったように気分がふらつき気味になってしまった。骨董品コーナーには、セピア色の記憶を刺激するようなものが並んでいた。なんとなく、信楽焼きの狸が欲しかったが、見つからなかった(買う気か)。
 いよいよみなとみらい地区に入り、臨海パークに向かった。海風が強く、また潮が満ちていたので、海の間近に行くと飛沫を浴びそうだった。さらに新港パーク、赤レンガ倉庫、大桟橋に走る。大桟橋で、みんなで桟橋の上に行こうということになった。が、一度行ったし、なんとなく疲労感が強かった僕は、残って自転車を見張ることにした。一行が帰ってくるまでの間、なぜかやたら道を聞かれた。タクシーの運転手にまで聞かれる始末だ。黄色いウィンドブレーカーを羽織っていたからか?
 一行が戻り、夕方から駅近くで宴席を設けようと言うことになった。お好みハウスという声もあったが、にち氏がこれもお勧めという、中華料理屋でやることに。店内は大混雑だったが、料理は確かに美味で、しかもリーズナブルなお値段に収まってくれた。中華料理は、多人数で食べるものだ、という意見に納得。こぐ氏とくいくい女史が、実は嗜好という点で盟友であることが判明。一同を恐怖のどん底に陥れる(爆)。「狸汁オフ」という恐ろしげな代物も企画されそうだ。
 ここで解散。僕は地下鉄で輪行して、22:00前には帰宅した。今日は走らなかったけれど、楽しい一日を過ごせたな。

2003年10月04日(土曜日)

EPICやっと清掃

23時00分 自転車 天気:晴れました

 夜、泥に汚れたままのEPIC号を、アパートの廊下で清掃した。泥が固着していたら、と思って、霧吹きを用意していたのだが、ブラシと雑巾できれいに取れた。下から跳ね上げた泥だったので、当然上下逆にして清掃すると楽だった。前後のホイールも外し、これもきれいにする。仕上げにワックスを塗る。でも、FDの裏側とかには、まだ結構泥が残っている。これらはパーツを外してやらないと無理そうなので、ワイヤ張替えなどの機会にやろうと思う。
 EPICは、スリックに戻さず、ブロックのままスタンドに戻した。MTBは山を走ってこそのものだと痛感したので、これで円海山や小山田辺りを走ってみようと思う。

久しぶりに三崎往還

18時00分 自転車 天気:晴れました

 最近、あまり走りこんでない。9月に入って南会津のことで頭が一杯になったせいもあり、また夏の反動が出たこともあり、いまいち意欲がわかなかったのだ。で、今日は、久しぶりに三崎にマグロを食いに行くことにした。
 自転車は、あれこれ迷って(といってもMR-4FとTCR-2とでだが)TCR-2に決定。一応、輪行袋を持って、CrossX Airに雨具などを入れて背負い、10:30くらいに走り出した。
 まだ昼前ということで、江ノ島近辺の混雑はそれほどでもない。詰まり気味になっている車を横目に、鎌倉まで粛々と走った。
 厨子へと抜けるトンネルを、少々しんどい思いをしながら走った。なんとなく、ハンガーノックの予兆が現れている。朝、口にしたのは、時間が無かったこともあってカップラーメン一つ。ちょっとヤバ気味だ。BCAAタブレットをかじり、CCDドリンクで喉を潤す。CCDドリンクは足が回る時間が伸び、効果を感じるのだが、BCAAはどうだろう。いまいち体感できてないのだが。
 ややヤク漬けになりながら、森戸海岸を駆け抜け、妙に警戒厳重な葉山御用邸近辺を駆け抜け(誰ぞ皇族が滞在していたのだろうか)、武山に向かってやや内陸部を進んでいった。
 広大な自衛隊駐屯地を横目に武山を越え、アップダウンを繰り返すと、三崎口に向かう最後の上りに掛かる。ここまで、風向きの関係か、反対方向を走るローディーの他には、同業他社はほとんど見かけなかった。が、このきつい上りに掛かった辺りで、背後にプレッシャーを感じた。ふと振り返ると、20mくらいの距離まで、青いジャージを来たローディーが迫っているではないか。次第に詰めてきて、ちょうど車の列が右を抜いてゆくところだったので、左に避けて通してあげようとした。が、かなり苦しんでいるようで、なかなか追いついてこない。スピードを落としているのも危険(それにツライ)ので、先を進んだ。自分の心拍と相談しながら、マイペースで上って行く。案外にきつく感じなかったのは、南会津の結果、多少でも超過回復したおかげか。背後のローディーは、少し離れてしまったが、上りが緩くなると、また詰めてきた。三崎口を超えたダラダラした上りでも、マイペースで登っていたら、またいつの間にか離してしまっていた。上りでは、一気に行けると確信したとき以外、なんとなく抜きたく無くなって、距離を置きたくなるものだが、このローディーもそうだったのかもしれない。
 この辺で、かなりハンガーノック気味になりつつ、油壺へと逸れ、海岸に出た。この辺の眺めは好きだ。車は少ないし、ヨットの群れるハーバーは、いかにも首都圏近郊の観光地という観がある。
 ようやく三崎漁港に着き、心積もりに入れていた漁港中心に近い店に立ち寄ったが、店先まで長蛇の列だった。バス停に近いので、徒歩の人がここに殺到するようだ。諦めて、"ちりとてちん"に入った。今日はマグロの漬け丼、そして黄金色の発砲する液体を頼む。まずは水分補給だ。キューっとやると(なにをだ)、五臓六腑に染み渡るウマさ。漬け丼も、とろけるようなマグロの舌触りが心地よかった。
 岸壁に出て、ガスバーナーとトランギアの飯盒でお湯を沸かし、コーヒーを入れた。そういえば、これを使うのは、今年初めてではないか。酔いを醒ましながら、しばしのんびりとした時間を過ごした。
 少し経って、うらりに移動する。あんとろまんを買いに行ったのだが、『今、蒸してるところ』とのこと。15分したら来てとの事だったので、しばらくうらりの館内をうろつく。魚介類がうまそうなのはもちろんだが、気になったのは八百屋さんで売ってた『にんじんジュース』。"100%"とのことだが、もしかしてにんじんを搾っただけの代物なのか? ちょっと手を出す勇気は無かった。
 さあ、あんとろまんだ。さっきの店に買いに行く。が、まだ蒸しているところだという。後30分かかるかも、などと言われてしまった。どうしようかな。とりあえず、飲み物コーナーにあったアイス最中が呼んでいたので、買って外で齧った。
 外は気温が上がり、暖かな天気だった。対岸に城ヶ島を望める内海の穏やかな表情は、心が癒されるようだ。その上、アイス最中もうまい(いや、その辺のコンビニで買えるものなのだが)。今日はカンパの長袖に、タイツを履いてきたのだが、下はレーパンだけでよかったかも知れない。
 アイス最中のおかげで気分がすっきりしたので、そろそろ帰ることにしよう。三崎高校への上りをゆっくり走り、下りは元気良く下ってゆく。三崎までは往復100kmというところ。だが妙に疲労している。ハンガーノックのまま走り続けたためか。
 ややへろへろになりながらも、日のあるうちに帰宅した。

2003年10月03日(金曜日)

名古屋~大阪ツーリング迫る

00時00分 自転車 天気:晴れっぽい

 来週末、予てから計画されていた、名古屋~大阪ツーリングが決行される。神奈川支部では、去年の春先に小田原~名古屋間のツーリングを実行したのだが、僕は参加できなかった。今回はフル参加のつもりだ。いちおう、仕事のめどはついている。乗るのは、距離のあるツーリングでは一番楽なMR-4F改にする予定。というか、そこそこ荷物を詰めて、舗装路で一番走行感が軽いのは、MR-4Fしかない。荷物はFreepack Sport一つに入れることになるが、4日分、衣料品を洗濯、使いまわすことにすれば、問題はあるまい。
 秋の上方の風情を楽しみたいものだ。

2003年10月02日(木曜日)

久しぶりな夜トレ

00時00分 自転車 天気:晴れだが、夜には雲が

 夜、久しぶりにトレーニングコースを走った。最近の南会津シフトで、TCR-2にはまったく乗ってなかったので、タイヤがふにゃふにゃになるくらい気圧が下がっている。ラテックスは、気圧の低下が本当に早いな。
 フロアポンプ(空気漏れがあったパナのポンプだが、本体と基部の勘合部が緩んでいただけだった)で空気を入れ、久しぶりにロードの乗り味を味わった。やっぱロードはいいなあ。MTBとは走りの軽さが全然違う。
 1時間弱で家まで戻り、さてEPICを清掃しようかな(まだやってなかったんかい)ということろで、お休みタイムに突入した。寝る、ぐぅ。