Strange Days

2004年03月28日(日曜日)

自転車整備に追われる

23時34分 自転車 天気:いいのだ

 さて、自転車に手をかけないと。
 まずはHARDROCK号のステムを交換する。長いステムに換え、ハンドルバーの角度をアップ気味にしておいた。バイシクル・クラブ誌に載っていたミキ氏のポケロケは、やはりハンドルをやや起こし気味に設定していたので、真似することにした。前から、リラックスポジションと、ブラケットポジションの差が大きくて、微妙に疲れてしまう点だったのだ。
 さらに、ハンドルに着けるバッグも、TOPEAKからRIXEN&KAULに変更した。あんまりバッグは使わないので、統一して使いまわした方がよかろう。TOPEAKとオストリッチのバッグが余っちまった。1000円/個で売ります。
 バッグを変えたところで困るのが、ライトの取り付け先。TOPEAKの場合、アタッチメントに取り付けるマウントがあって、そこに取り付けできていたのだ。RIXEN&KAULではそうもいかない。そこで、サガミで買ってきたキャットアイのブラケットが登場。31.8mmまでの太いハンドル用のものならば、サスペンションフォークの下の方に取り付け可能だった。リジッドフォークなら、もっと上の方に持って行けそうだ。
 この状態で試走してみた。うん、前よりハンドルが遠くなったが、あまり問題は無さそうだ。ハンドルの遠さも、シートを前進させると、解消された。こうなると、やはり前フォークをリジッドに換えたくなったな。HARDROCK号
 次はBikeE。昨日のポタのとき、扱いが荒かったためか、リア側のマッドガードが破損してしまったのだった。サス近辺に取り付ける部分が壊れ、外れてしまっていた。いっそのこと前後とも取り外してしまおうか、などと考えたが、取り付け方を換えたらまた着けられそうだったので、とりあえずそうしておいた。
 今日は、自転車の世話で終わった一日だった。

海軍道路花見状況観察報告

17時23分 自転車 天気:いいぜ

 昨夜の疲労が残ったまま、昼過ぎに起床。この体の重さは、恐らくは昨日の前半戦の分だろう。
 とりあえず飯を食って、それから買い物に出ようと思った。今年に入って出動無し、冷遇してきたなんちゃってランドナー(にも程遠い)HARDROCK号で出かけようと思った。なんか、まったり走りたいと思ったのだ。
 HARDROCK号を玄関先に出し、それからふとハンドルバーの角度をもう少し上げようと思い立った。どうもリラックスポジションとブラケット部との差が大きすぎるように感じていたのだ。六角レンチでアヘッドのハンドル固定部を緩め、ハンドルバーの角度を換え、それからアヘッドを締め始めた途端、ピキン、という音と共に、ボルトが跳ね返ってきた。えっ、ピキン、だって? 見ると、アヘッド側のねじ山が飛んでしまっている。うがぁ、安物めが!
 こうなっては仕方ない。新しいアヘッドも買わないと。とほほほ。
 こうなると、TCR-2を出すのが順当か。しかしTCR-2の場合、昨日のポタで磨耗が決定的になった、クリートを交換しなければ。(摩耗しきったクリート)予備は1式半あったので、左だけ交換した。ついでに、左右共に、クリートの位置をかかと側に少し下げてみた。
 とにかく、お腹の空き具合は待ったなしだったので、TCR-2を出して、CoCo壱番屋まで走った。そういえばあさぐりカレーを今年もやっているのだ。うむ、うまい。
 さて、出るときには海軍道路で花見して、それから南町田のモンベルショップに寄って、などと考えていた。しかし時間的に無理そうに思えたのと、昨日の疲労がじわじわと響き始めていたのとで、考えを改めた。海軍道路でUターンして、サガミに立ち寄って帰ろう。
 海軍道路に向かう横浜市道環状4号線は、瀬谷に近づく辺りからえらい混雑であった。花見客も多いのだが、瀬谷の踏み切り周辺で道路の改修工事が進められており、車線制限されている影響もあった。自転車なら平気で進めるが。
 海軍道路を北上して行く。開花率はまだ50%前後という感じだ。来週頭ぐらいが見頃だろう。八王子街道に突き当たったところで折り返し、また南下してゆく。渋滞している車は、ほとんど全てといっていいくらい駐車場待ちの行列だった。なんだってこんな日に車で来るんだろう。瀬谷駅から歩いてもそんな距離でもないし、いい天気なのに。体が不自由というわけでもないだろうに。ひたすら排気ガスを撒き散らしながら、辛抱強く待っているこの集団は、一歩引いた位置から見ると、なんとも異様なものに映る。病んでるな、正直にそう思った。
 瀬谷の渋滞を抜け、スイスイ走ってゆく。サガミサイクルに立ち寄った。新しいジャージを買おうかと思ったが、ちょうどC.B.あさひに発注しようかと思っていたところだったので、止め。キャットアイから出た新型LEDライトは、まだ店頭には並んでなかった。
 3Fでエミネンザのカーボンロードに目が行ったが、もう1シーズン乗るんだしと思い直し、我慢だ。Roubaix ProのSサイズがあったが、これはトップチューブが少し長すぎるのを思い出して、やはり我慢だ。とはいえ、TCR-2より2mm長いだけなので、問題は無さそうな気もするのだが……。
 さらにNo.3店に行く。ここでMTB用のリジッドフォークを買う予定だったが、どうも売れてしまっていたようだ。在庫を聞こうと思ったが、こういう季節故にか客が多く、店員さんに声をかけるきっかけが無い。
 店内をぶらぶらしていると、前から気にしていたプリモコメットの20*1.35(ETRTOサイズで406)に目が行った。BikeEの後輪は、これに換えようか。しかし、あれは高かったんだ。ケブラーで補強してあるから、もってくれないかな。もう少し考える。しかしチューブの方は今日買いたかったのだが、店頭には見当たらない。うーむ。まあ、あさひに頼むか。
 もう一つ、アヘッドを買わなくてはと思っていたのだが、前に使っていた長いアヘッドがあったのを思い出した。あれでいいだろう。買わなくて済みそう。
 帰路は、久しぶりにかまくらみちを走った。細い上に交通量も多いので、基本的には通りたくない道だ。
 日暮れ前に帰着。

2004年03月27日(土曜日)

しまなみの打ち合わせでにち氏宅ですき焼きな夜(だがK1とアド街っくに阻まれる)

23時29分 自転車 天気:晴れ

 帰宅して、再出動の準備をする。夜、にち氏らと落ち合って、しまなみ行きの打ち合わせをしようという話になっていたのだ。携帯電話で連絡を取りながら、戸塚駅辺りで合流しようと考えていた。ところが、にち氏らは藤沢駅から輪行するという。では、横浜まで自走しよう。
 MR-4Fを持ち出し、だんだん日が暮れて行くR1をひた走り、横浜駅に着。この時点でもにち氏らは戸塚にいたので、まだ時間がある。杉並区の方でパレードに参加していたこぐ氏がやってきているとのことだったので、ダイエーの1F(まあ食い物周辺を探していればいいだろうと判断したのだが)を探し回ったが、見つからない。どうも、先回りして、店の空き状況を調査してくれていたそうだ。
 やがてにち氏らと合流。しかし、こぐ氏の報告によれば、どこも満杯だという。ハマボウルの裏に出来た焼肉屋でも、同じ状況だった。ならば、と、にち氏宅でのすき焼きを提案したところ、受け入れられた。買出し組と別れ、先ににち氏宅で部屋を整理する組に入る。
 座卓の整備をして待っていたところ、買出し組が帰って来た。さっそく、すき焼きの準備を進める。
 今日、ここに集まってきたのは、しまなみ行きの詳細日程を詰めるためだった。とりあえず、移動の方法と、初日の集合時刻を詰めねばならない。
 そんなことを話しながら、すき焼きの調理を始めた途端、点けていたテレビでK1の中継が始まる。俺的には格闘技などどうでもいいのだが、それでも皆の視線はテレビに集まってしまう。しまなみの話など、どこかに飛んでしまった。
 K1が終わったのが21:00過ぎ。これでようやく話が進み始めたが、しかしアド街っく天国にしばしば視線が行ってしまう。たまりかねて、にち氏が検索の用のためにPCを立ち上げたところで、テレビは切ってもらった。
 結局、初日は11:00集合を9:00集合に早めることになった。呉の実家から参加する予定の僕には、どちらでも変わりは無い。しかし、2時間行程を前倒しに出来るのなら、大三島の宿泊地までの50kmの行程を、強行軍にする要も無くなる。のんびり走れそうだ。
 帰路も、サンライズ糸山から松山に抜ける僕に同行する人はいなさそうだ。なら、一度やってみたかった山越えをやってみるか。
 そんな風に22:00過ぎまで過ごし、ともかく行きの切符はこぐ氏にまとめて取ってもらうことになったようだ。
 横浜からの帰路は、マモル氏ともども自走で帰宅した。なんか、距離の割には、ハードに響いた一日だった。

江ノ島花見ポタ

20時03分 自転車 天気:いいじゃないか BGM:Epitaph(King Crimson)

 いい天気だ。今日の江ノ島ポタリングは、気持ちいいものになるだろう。
 今日は久しぶりにBikeEで行くつもりだったので、早速カバーを外し、点検する。BikeEの場合、前後輪のサイズが違うので、チューブを2種類持たねばならない。ところが前輪の16インチ用の細いチューブが手に入らず、なかなか遠乗りには持ち出せない状況だったのだ。しかしまあ、大人数のポタだし、もう宣言しちゃってるし、などと気軽にBikeEで出かけたのが誤りだったかもしれない。
 10:00集合だが10:30出発と聞いていたので、まあ10:00過ぎに着けばいいかと思いつつ、戸塚駅に走り出した。
 戸塚駅には、10:10くらいに到着した。岡山氏がやはりBikeE ATで参加しており、マモル氏から『二人で先頭走って』と言われる。うむ、確かにリカンベントの後ろを走るのは楽しい。それを見る他人の反応がだが。
 参加者は16人くらいに達したようだ。適当な時間に出発した。まずは柏尾川に沿って走る。
 柏尾川沿いには桜並木があり、名所になっている。去年同時期に実施した江ノ島ポタリングでは、快晴の空の下、満開の桜を楽しめた。ところが今年は、桜の開花率が50%未満という状況で、桜色の並木道を、というわけには行かなかった。来週末だと、もう桜は終わってるだろうし。今回はタイミングが合わなかった。
 走りながら、どうも左のペダルに、クリートがはまりにくいと感じていた。クリートの固定力が強すぎるのかと思っていたのだが、今朝方確認すると、もう最弱にされていた。不思議だ。なぜこうもはまりにくいのか。
 ともあれ、細くて高圧なタイヤを履いたBikeEは、実に快調に進み、青空の下で気持ちいいサイクリングの一日になりそうな予感が横溢していた。だが運命の神は、そんな弛緩しきった俺様の精神を嘲笑うが如く、予想だにしない試練を投げかけてきたのだった。
 後に襲い来る運命など露知らず、柏尾川沿いに順調に下って行き、やがて東海道線を越え、境川に合流した。そこからは境川に沿って走り、以前数回寄ったパン屋に立ち寄った。ここで昼食を仕入れて、店を出ると、BD-1に乗った男性が、我々の自転車をしげしげと眺めていた。この方、パン屋に向かう橋を渡る際にすれ違ったのだが、『あ、リカンベントが多いなあ』とかいった独り言を耳にしていたので、興味があるのかと思っていたのだ。引き返してきて、こんな風に観察しているということは、まあ自転車好きなんだろうと思った。BikeE AT*2
 声をかけて、いろいろ話をしているうちに、見覚えがあることに気づいた。でもあの人とは自転車が違うな。しかしどうしてもそうとしか思えなくなったので、確認してみたところ、やはり@nakの掲示板辺りで見かけていた、みなみ氏であることが判明。去年か一昨年のアイスお代わりツアーのときにも遭遇したのだった。あの時はケルビムの折り畳みに乗っていらっしゃったのだが、BD-1も購入されたそうだ。なんとリアを3段にしていた。ポタリングなら十分ということだろうか。『BBの位置が高すぎて』とか、様々なこだわりがありそうだった。
 みなみ氏に別れを告げ、後は江ノ島まで走っていくだけだ。境川沿いに走り続け、やがて片瀬江ノ島駅に到着。ここで記念撮影と、水分の購入に走った。そして江ノ島大橋を越え、いつものヨットハーバーに腰を落ち着けた。
 昼食タイム。暖かな日差しを感じる日で、風がまるで無い。海は穏やかだった。昼寝でもしていたい気分だ。しかし、今年も野生動物の襲撃はあった。昼食時、「あっ」という声がした途端、なにかを抱えた鳶が、スーッと離れてゆくのが見えた。参加者の一人が、昼食をまんまと持って行かれたらしい。江ノ島花見ポタ恒例行事だろうか。
 さて、飯を食い、まったりしたところで、記念撮影をする。穏やかな海を背景に、いい感じに撮れたと思う。
 ここから、辻堂の海浜公園へと走っていった。やはり先頭に立ち、車道をしばらく走り、次に太平洋自転車道に入って、しばらく経った時だった。急に後輪から振動が伝わって来るようになったのだ。止めて、後輪をチェックすると、やはりパンク。なんてこった。よりによって後輪かよ。
 BikeEは、リアにSRAMの内装3段ハブを使っているため、ホイールを外すのが面倒なのだ。うーむ、どうしたものか。
 外野がわいわい言っているのを余所に、沈思すること15秒。パッチ当てで対処することにして、持ってきた工具を探る。が、ない。なんとパッチを置いてきてしまったらしい。いい加減な準備にたたられたようだ。換えチューブはあるが、こうなると外すしかない。
 外そうにもレンチが無いので困っていると、ねず吉氏がレンチを貸してくれた。BikeEに乗る場合は、今度からレンチも持ち歩くようにしないと。とにかくホイールを外し、タイヤを外して調べてみた。なんと、鋭いガラス片がぶっすり刺さっている。こりゃ、一発でやられるわ。とにかくチューブを換え、空気を入れておいたが、タイヤに空いた穴が高圧で広がるため、やや危うい感じがあった。ここでまた沈思し、残念だがここから帰還することに決定した。パッチが無いので、前輪後輪とも、もう修理は不可能だ。これ以上の危険は冒せない。
 海浜公園に走り出す一行を見送り、こっちはボチボチと戻り始める。走っている限り、BikeEは扱いやすくて安楽な乗り物だ。特に20km/hくらいで走る場合、他に較べようも無いくらい楽だ。
 帰路、どうにも左クリートがはまらなくなったので、調べてみると、SPD-SLのクリートが削れてしまい、顎が無くなっている状態だった。いやはや、SPD-SLは、消耗が早い。半年に一本使っている感じだ。
 湘南台の桜並木も、まだ全開とは行かない様子だった。
 なんとか、16:00頃に帰宅できた。はぁ、タイヤの損傷を考えると、新しいタイヤに換えた方がいいのかもしれない。

2004年03月26日(金曜日)

夜トレついでに夜桜見物

22時28分 自転車 天気:いいようだ

 今夜は風が強いが、しかし空は晴れている。雨の心配がないようなので、夜トレに出かけた。しかし、こんなだらだらと強度の低い運動をしているだけで、トレーニングなどと名乗ってよいものだろうか。
 ともあれ、いつものコースを21:00前後という微妙に中途半端な時間に走ってきた。
 予想通り、風は強い。しかし、行きでは風を背負う形になったので、ペダルはぐるぐる回せる。やっぱりトレーニングにならんのではなかろうか。とはいえ、脂肪は燃えちゃってくれたりしないかな、などと期待したりもするのだが。
 湘南台で、また夜桜を観察。まだ5分咲きというところか。先週末の時点では、今週末には全開かと思っていたので、これは予想外。とはいえ、ここ数日の寒さを思うと、開花が遅れたのもしょうがないか。
 帰路のR467は風に向かったが、状態のいい舗装路なので、やはり飛ばせ、気持よく走れた。それなりに汗を掻きつつ帰宅。

2004年03月24日(水曜日)

ドロップバー特等席の戦い

23時45分 自転車 天気:相変わらず雨

 ドロップバーのフラット部は特等席だから、有効利用できないか。ってのは誰もが思っているらしい。
 というわけで、僕はアークスパンを使ってライトとサイクルコンピュータ、GPSを取り付けてます。
 さらに、EL400ならバーエンド近くのフラット部も有効利用できます。EL120はだめです。これの首振り範囲は左右10度くらいしかないのです。

2004年03月23日(火曜日)

夜トレついでに桜偵察

22時59分 自転車 天気:くもり

 今夜も寒いが、さりとて耐え難いというほどではないので、夜トレに出かけた。
 TCR-2で黙々と走って湘南台。風が無いためか、足は回る方だ。
 湘南台通過の際、桜並木をちょいと偵察する。既に2~3分咲きというところだろうか。今週末には見頃だろう。
 俣野の登りでそれなりにもがき、R467をリターンしていると、急に足が回らなくなった。こんな簡単に売りきれるなんて……。
 しょんぼりしながらも、でもやっぱり汗かけたし、などと機嫌を直しつつ、帰宅。

2004年03月21日(日曜日)

横浜ポタ

22時47分 自転車 天気:晴れた!

 今日はにち氏がBD-MLで募集した、横浜ポタリングの開催日だ。いまいち寝付けないまま、6:30には早々に起き出していた。
 食事を取り、自転車の準備をしながら、天気をチェックする。気温は低いが、お日様は拝めそうだ。身支度をして、出発。自走で横浜駅に向かった。
 車の多いR1を走り、旧高島駅の高架を潜り、横浜駅東口に。おっと、集合場所は北東口とか言う新しい出口だったっけ。しかしそこまで行くには、地下に潜るか、R15に戻るかしかないようだ。車が途切れがちだったので、R15に復帰し、集合場所に到着した。
 集合場所には、まだ誰も居なかった。時刻は9:00前。このところ、遅刻が増えていたので、今日は気合を入れて早めの到着を心がけたのだ。うむ、余裕で間に合った。
 ……9:00まで間もない時刻になったのだが、誰も来ない。不安を感じ、ポタの案内を確認すると……。集合時刻は10:00でした_| ̄|○
 それまで1時間、寒い思いをして立ってなきゃならないのか。こんなことで為替相場は安定させられるのだろうか、などと思いつつ、寒空の下に立ち続ける。と、9:00を過ぎた頃、ねず吉氏がひょっこりと現れた。乗り込んだ特急が異常なくらい早く着いてしまったとか。ちょっと救われる。
 ねず吉氏が弁当を買いに地下に降りて行くのと入れ違いに、今度はにち氏が現れる。流石に隊長としては、早めに集合場所に顔を出さねばならないのだろう。
 やがて、少しずつ人が増え始める。ほとんどが輪行での参加だった。子連れの謎和田夫妻のペアバイクも登場。それとタメを張れる、ふじか夫妻のチャイルドバギー付きBikeE RXも登場。街中のポタという位置付けゆえか、普段は平地ばかり走っているという向きの参加が多かったようだ。
 20人超の参加者が集まったところで、出発。僕が殿を引き受ける。が、殿はほとんど写真に納まらないんだよな。
 まずは歩道を走り、高島町方面に抜けた。みなとみらい線の新高島町駅は、相も変わらず何も無い場所だった。今日のポタの裏テーマは、みなとみらい線をなぞろうというものだった。とはいえ、以前少人数で実施した、みなとみらい線ポタのように、各駅を訪問するという流れにはなりそうにない。
 一行は、みなとみらいの核をかすめ、臨海公園へと向かった。風が穏やかになり、日差しも出てきたので、気温の低さの割に凌ぎやすい。
 臨海公園から新港パークへと走り、ここで昼食となる。各自、ワールドインポートまで歩き、適当に食事を買い、新港パークの芝生で食事タイムを過ごした。日差しが暖かい。
 昼食後は、赤レンガ倉庫をかすめ、大桟橋へ。ここをしばし散策する。今日は、初めて先端部まで歩いてみた。
 大桟橋を離れ、また赤レンガ方面に走った後、山下公園へと向かった。公園内へは立ち入らず、前の道を通過しただけだった。
 ここから坂道との戦いが始まる。山手の海側からトンネルを通り、住宅街を長い縦列を組んで通り抜け、イタリア庭園への坂道に入った。ここは最後尾で苦戦する謎和田夫妻をhai氏に任せ、一気に登る。が、記憶よりずっと長く坂道が続いていたため、最後の方は強烈にへなへなであった_| ̄|○
 イタリア庭園は、改装中で入園できるかどうかひやりとさせられたが、結局は問題なし。JR石川町駅を線路上から見下ろせる、不思議な眺めを堪能した。
 最後は港の見える丘公園で記念撮影。後でふと思ったのだが、当日の僕は花粉症対策の超立体マスク+サングラスだったから、ほとんど正体不明の変態にしか見えなかったのではないだろうか。それもまた良し(いいのかよ)。
 石川町方面に下り、桜木町駅まで走ってから、解散とあいなった。みなさん、お疲れ様でした。
 この後、有志一同が揃い、GCSを訪問した。狭い店なので、10人くらいで襲撃すると、ほとんど営業妨害に近くなってしまう。
 その後さらに、お好みハウスで、という話もあったのだが、体調が急激に下降中だったので、ここで別れ、自走帰還した。

2004年03月20日(土曜日)

Tarmacをキャンセル

13時37分 自転車 天気:良くない

 かれこれ半年近く待っていたTarmacだが、いまだに納期が示されない。サイクルベースあさひに問い合わせても、はっきりした納期は示されない。今のところ3末で、納期が延びるという通知は来てないが、という感じの返答だった。今まで散々延びてきたのだから、もう当てには出来ない。あさひも板挟みになって苦しいのだろうが。キャンセルする旨を告げる。
 さて、代わりのフレームを、と思ってはみたが、TCR-2の調子がいいので、もう1シーズン頑張ってみるつもりになった。本当なら、Roubaix Proの一番小さいサイズが日本に入ってくればいいのだが、なにを考えているのか入荷リストに入ってないそうだ。どこの誰が悪いのか知らないが、日本に入る最低サイズのフレームでも、身長170cm無いとつらいんじゃなかろうかと思うぞ。
 とりあえず金に余裕が出来たので、一眼デジカメの購入を、本格的に検討しようと思う。って、何も買わんという選択肢はないのかっ(->無い)。

2004年03月16日(火曜日)

今夜はTCR-2で夜トレ

21時14分 自転車

 今夜も夜トレに出かけよう。電池を換えたサイクルコンピュータの調子も見たいし。というわけで、今度はTCR-2で出走した。
 高めのサドル位置が決まってきたのか、足は回る回る。逆風の中、ガシガシ踏んで、俣野の登りまで走りきった。
 俣野の登りは、時間的に早い時間だったこともあり、交通量が激多であった。注意しながら登りきると、R467を追い風に乗って一気に北上する。いい感じだ。アップダウンのアップでもがき、ダウンでダレるというダメパターンにはまりつつ、長後街道へと合流した。
 帰宅して、バイクスタンドを見ると、そう言えばまだ今年出したことがないHARDROCK号が、寂しげに揺れていた。いや、EPIC号を掛けたから揺れたんだけど。金曜日は、これでちょっと出かけてもいいな。休めるのなら。

かまくらみち経由で飯田牧場まで走ってみた

18時44分 自転車

 フレックス出勤のつもりでやや遅めに目覚めた途端、脳に大宇宙の絶対真理を告げる電波が到着した。少し工夫すると目覚まし時計代わりに使えそうだな。
 ともあれ、届いた電波の内容は『今日代休を取れ』というものだ。来週月曜日に取るつもりだったのだが……。よく考えると、今週金曜日は休みで、その直前に差し迫った仕事がある。この仕事が今週中に片づくとは思えないのだ。それどころか、金土日のいずれかに出ろという話になるかもしれない。なら、やはり今休むべきか。電波に犯された俺様は、その命ずるままに会社に電話を入れたのだった。
 昼まで爆睡し、昼過ぎにのろのろと起き出した。さすがに体が腐りそうな気がする。ちょっと出かけることにした。
 近所のかまくらみちを南下して行くと、米軍深谷通信隊の陣地の中を突っ切って行くことになる。あの辺を走る気になった。かまくらみちは路面がよくないので、EPIC号で出かけることにした。
 立場でかまくらみちに合流し、イトーヨーカドーの近くを通りすぎると、道はもう片道1車線になる。交通量も少なくはなく、通りたくは無い道だ。
 やがて見晴らしが妙に良くなると、深谷通信隊の敷地内に侵入していた。正確には、敷地内を突っ切るかまくらみちに。敷地内には農地が広がっている。米軍が黙認しているというところだろう。厚木基地にせよここにせよ、一国の首都の近傍に、外国の軍隊が駐留しているという事実は、決して忘れるわけにはいかない。日米安保条約は今の日本にとって必要なものだとは思うが、沖縄にせよ厚木にせよ、米軍の日本本土への関与を可能な限り低減させる努力を、時の為政者は続けて欲しいと思う。
 もっとも、この深谷通信隊は、その実態が既に存在しない部隊で、日本への返還交渉が進んでいるという。瀬谷の通信隊基地共々、なにかの公園が整備されることになるのだろう。
 やがて環状4号との合流点、通称三叉路に到達した。ここで誤って環状4号を北上してしまうが、すぐに道が途切れたため、間違いに気づいた。
 やがて俣野に出て、橋を渡ると、もう飯田牧場だった。ここでアイスをむさぼり食らい、帰宅した。EPIC号もサドルをやや上げ気味にしたためか、踏み込みが軽く、いい按配に走れた。という割りに疲労したが。

2004年03月15日(月曜日)

今夜もMR-4Fで夜トレ

23時29分 自転車

 早い時間に帰宅できたので、今夜も夜トレに出かけた。どうも疲労が残っているようで、あまり強度を上げては走る気になれなかった。トレーニングにならんなあ。
 今夜もハブダイナモの気楽さに惹かれ、MR-4Fを持ち出した。ポジション的にハンドルがTCR-2より近いかなと思っていたのだが、フレームの(仮想)トップチューブ長は、TCR-2ともども535mmで変わらないのだ。ステム長も同じ。リーチも変わらないはず。では、なぜハンドルを近く感じるのだろう。実はMR-4F改は、TCR-2よりさらにSTIレバーを起こし気味に取り付けてある。その差を感じたのではないだろうか。ならば、そのうち来るだろうTarmacには、リーチが短めのハンドルに、STIレバーを寝かせ気味に取り付ければどうだろう。今のTCR-2よりやや近く、かつ低くなるだろう。あまり低くするのは腰に負荷が掛かるので避けたいが、坂道での踏み込みが強くなるので、可能な範囲で低くしてみたいと思っている。
 1時間弱走り、帰宅した。

2004年03月14日(日曜日)

モンベルショップまで

20時07分 自転車

 昨日、リクセンカウルのピラーアタッチメントを着けたTCR-2の調子を見るべく、昼過ぎに南町田のモンベルショップへと走り出した。
 走り出す前は、重心が上がった分、走りにくくなっているのではないかと考えていた。確かに重心は上がっているのだが、かといって走りにくいというほどではない。駆動系を整備した効果もあり、非常に楽々と走って行ける。さすがに自転車を振ると、重量物が左右に動く感覚があるのだが、思ったよりはぶれる感じがない。期待した以上に、使えそうだ。TCR-2の現状
 南町田のモンベルショップに立ち寄った。少し模様替えしたようで、自転車コーナーもツーリングギアの位置が変わっていた。REIのパニアが半額処分中。うーん、ちょっと考えてみようかな。
 帰路、少しサドル位置が低くなっている気がしたので、少し上げた。今日は南風があるため、帰路の方がつらい。その向かい風の中を進むには、サドルを上げ気味にした方がいいだろう。サドルとハンドルの高低差はあまり付けない方なのだが、だんだんサドルが上がってきたため、今はハンドルがかなり低く感じる。腰に負荷が掛かっているのが分かる。うーん、BikeEが恋しい。
 またサドルが低くなっているように感じながら、湘南台のダイエーに立ち寄った。ここで電池切れのサイクルコンピュータのために、CR2032と12V32Aの小型電池(トランスミッターの方に使う)を買ってきた。店を出て、走り始めると、おや、サドルの位置は適正な気がする。どうも、走っているうちに、高いサドル位置に慣れてしまい、錯覚を起こしていた可能性が出てきた。
 帰宅して、念のためにサドル位置を測ると、BB舳~サドル中央で69cm。また高くなってるやんけ。どうも、疲労していたため、高いサドル位置を快適に感じていたためのように思われる。つくづく、ポジションというのは難しい問題だと思った。

2004年03月13日(土曜日)

自転車をいろいろメンテナンス

22時10分 自転車

 さて、買ってきたものでいろいろなんとかするナリよ。
 まずプラバインダ。これはなんちゃってランドナーHARDROCK号のリアキャリアに、キャットアイのリアフラッシュライト、LD-R550を取り付けるために買ったのだ。キャリアにはL字金具を介して取り付けられるのだが、そのL字金具への取り付けに、径の太い、しかし短い木ネジの類が必要なのだ。
 早速4*20のプラバインダを合わせてみるが、径が細い。これ以上のサイズはなかった。負け_| ̄|○
 慌てることはない。5*20の木ネジも買っておいたのだ。が、これは長すぎる。あまつさえ、合わせる過程で、前に買ってあったらしいプラバインダ(全く同じサイズ)さえも発見される。負けに負け続ける負け犬天国であった_| ̄|○
 気を取り直そう。径はいいみたいなので、短くすればいいのだ。切ろう。しかし、ネジの先っぽを切るのは、けっこう面倒くさいのだ。ともかく万力でネジを固定し、金属鋸でガシガシ切っていった。手が疲れるぜ、こんちくしょうめ。やっとこ切り落とし、やすりで整えて、試してみると、おおっ、ぴったりだ。これでようやく、キャリア後端という絶好の位置に、フラッシュライトを止めることが出来た。しかし、同じ工作をもう一度せよといわれたらめげるなあ。
 その間、EPIC号の駆動系も清掃する。チェーンはチェーンクリーンキットを使って清掃する。エコテッククリーナーをほぼ原液のまま使うと、これがもうてきめんに良く落ちる。さらにハンズで何の気なしに買ったブラシ(ドイツブラシという謎の商品名)を使ってスプロケ、チェーンホイールも清掃する。これが意外によくできた商品で、手の届きにくい場所にも入り込んで、きれいにしてくれる。
 とりあえずチェーンを乾かすべく、EPIC号を避けておいて、さらにTCR-2の清掃に取りかかった。こちらも駆動系は同じ要領で清掃し、チェーンを乾かす間、別の工作をした。ここで、今日買ってきたシムが出てくるのだ。このシムをシートピラーにかませ、そこにリクセンカウルのピラーアタッチメントを取り付けるのだ。なんで直接取り付けないかというと、カーボンピラーではこのアタッチメントの取り付け法では負荷が掛かりすぎ、折れる可能性があるからだ。このアタッチメント、細めの金属バンドで取り付けるので、狭い面積に荷重が集中する。それをシムで分散させようというわけだ。もちろん、ピラーの径もシートバインダーの径も27.2mmなので、バインダーに噛ませるわけではない。
 Freepack Sport、Allrounder Mini、どちらも取り付け可能にすると、意外に高い位置にしなければならなくなった。さすがに700Cともなると、タイヤとの干渉もシビアになるのだ。
 これでTCR-2は、前後にリクセンカウルのバッグを二つ取り付けられるようになった。その代わり、サドルバッグは取り付け不可能になったのだが、これはバッグが着けば十分だ。その替わりに、換えチューブだけを収めたエランサック(どえらい小さい袋式ベルクロ止めサドルバッグ)を、シートバインダー辺りに取り付けた。
 EPIC号とTCR-2のチェーンにクライテックを塗布し、ボディをワックスで磨いて、スタンドに返しておいた。明日はTCR-2の搭載性を試すべく、どこかに出かけようと思う。

またGCSに行ってきたナリよ

18時10分 自転車

 今週一杯の残業疲れか、11:00まで目が覚めなかった。起きて昼食を取り、一休みしたところで出かけた。今日もGCSに用があったので、横浜まで自走だ。EPIC号を引っ張り出した。
 踊場の坂を越えながら、どうも膝にストレスがかかると思った。そこでもう5mm上げると、これがもう全然違う。どうも少し下がっていたらしい。BB舳~サドル中央長は、最初の頃は67cmでバッチグーだと思っていたのだが、少しずつ上がってきて、今や68cmになってきた。ポジションが少しずつ変わっているからだろうか。ポジションは変数が多いものなので、固まる日というものが来ないかもしれないと思ったりして。
 山下公園通りの真ん中辺りで、1本西の通りに出た。確かこの辺にあったはずと思いつつ走るも、見つからない。おかしい。もう1本西、つまり2本西の通りにありました。記憶違いがあった模様。
 GCSでプリコメ16インチ用のチューブ、ついでにシートポスト用シムを求めたが、置いてないとのこと。正確には米、英式のものはあったし、シムも27.2->30.4のものはあったのだが。シュワルベの16インチチューブの細いものは品切れだとか。シムも用途が用途なので(後述)サイズはどうでもいいのだが、JEDI用の高いものだったので、ここで買うのは止めた。
 こっちならあるだろうと思い、ハンズに寄る。しかしチューブは見当たらない。ううむ、やっぱり和田サイに行くしかないのだろうか。一方、27.2->30.8のシムはあったので買っておく。さらに上階で、4*20のプラバインダ(平たくいえばプラスチック用木ネジ)なども買っておいた。
 再びR1をすたこら戻る。R1はどうにも危険なのであまり行きたくは無いが、かといってここを外すと最短距離で帰れないので、行かざるを得ない。日暮れが近づいていたので、少し焦っていたのだ。
 なんとか日が暮れきる前に帰宅した。

2004年03月12日(金曜日)

MR-4F改で夜トレ

10時50分 自転車

 昨日は暑い一日だった。いやほんと、会社に行く途中、何度コートを脱ごうと思ったことか。
 帰ってもエアコン要らずの暖かさで、結局エアコンは全く点けないで済んだ。いよいよ春めいてきた。
 暖かいとナイトランも楽だ。帰宅が遅かったので23:30に家を出る破目になったが、風も冷たくは無いので、気楽なものだった。気分的にMR-4F改に乗りたかったので、久しぶりにMR-4Fで夜トレに出かけた。
 ハブダイナモなMR-4Fでのナイトランは気楽だ。バッテリーライトの場合は電池切れに注意しながら走るので、どうしてもストレスを感じる。MR-4Fの方がナイトランでは楽だ。大山しし鍋ツーリングの時にも、ハブダイナモのおかげで、夜の自走帰還も楽に出来た。さっさとハブダイナモな完組を組んで(馬に乗馬の類か)くれ > サガミ。このままでは首が延びて延びて、キリンさんのようになってしまうではないか。
 それと、やはりTCR-2よりはMR-4Fの方がポジションが合っていると感じた。TCR-2の方が少しハンドルが遠く、ハンドルを引き付ける場合にはいいのだが、同時にストレスを感じてしまう。TarmacはTCR-2より1cmほどハンドルを近くにできる見込みで、ポジションの問題も改善できるはずだ。TCR-2は、やはりフレームが大きすぎるように思う。Tarmacが来たら、今の80mmのステムは譲って、60mmくらいのを付けてみようかと思っている。
 帰宅したのは翌0:30頃。風が強い夜だ。

2004年03月09日(火曜日)

夜トレしました

23時13分 自転車

 最近、空気が温んで来たし、今夜は夜トレしようと思った。
 21:30頃に家を出て、いつものコースを回ってきた。む、スピードメーターが凄いことになっている。積算距離計が0に戻ってるし、速度もマイル表示だ。どうやら電池が切れかけているようだ。換えないと。このスペシャのサイクルコンピュータは、かれこれ3年使ってきたわけだ。意外に保った感じがする。
 土日の疲労はいまだに回復せず、トロトロ走るのが精一杯だった。ダメだな、これではセンチュリーランなど出来そうにない。鍛えねば。センチュリーランよりは、ブルベに興味があるのだが。基礎体力が無いし、スキルもないので、これで挑戦するのは無謀なだけだ。
 とぼとぼと走りきり、帰宅。今夜は夜空が晴れ渡っている。明日もいい天気になりそうだ。

2004年03月07日(日曜日)

大山しし鍋ツアー2004

21時17分 自転車

 今年で3回目の大山ツーリングの日がやってきた。去年、一昨年とヒルクライムする割にはカロリーが過剰なほど食いまくるツーリングとなった。
 朝は6:15には起きるつもりだった。確かにその時間に目覚し時計(携帯電話)を止めた気はするのだが、ふと気づくと7:00前。いやはや、二度寝しちゃったか。大慌てで飛び起き、身支度して、長後方面へと慌しく走り出した。朝食抜きなのである。
 長後に向かったのは、たか氏と伊勢原まで自走しようと、前日の夜の掲示板に書いておいたからだ。たか氏からはかくかくしかじかで待つ、という返答があり、そこに行けばいいだろうと安心しきっていたのだが。
 件の場所に到達したのは約束の時間の前だったのだが、時間が過ぎても一向にたか氏は現れない。夢の世界か? しかし、電話番号を携帯に記録してなかったので、連絡も取れない。他のメンバーに連絡をとってもらえないか、と掲示板経由でお願いする。その間、今日のMR-4Fの写真を撮ったりしながら、のんきに過ごした。
 その後、8:30になってたか氏と連絡が取れた。なんと、すでに現地に到着しているという。待ち合わせ場所で待っていたが(僕が)こなかったので、てっきり輪行するものだと思い込んだらしい。さらにいえば、待ち合わせ場所も間違っていた。"XXから信号三つ目"ということになっていたのだが、実はたか氏の知らない間に信号が新設され、僕が馬鹿正直にカウントしながら走ったため、一つずれてしまったのだ。これはいったい、どうしたことなのじゃ!(常田富士夫風に読め)。
 ともあれ、現地に走る他は無いので、自走で向かうことにした。輪行ではかなりの時間を要するのだ。
 9:00集合予定ではあったが、足をいじめつつなんとか9:40頃には到着し、すべてのメンバーが揃った。ハンガーノックになりそうなので、駅にあった総菜屋でたこ焼きを買い食いする。
 ここからが大山登山の始まりだ。昨日の50kmほどのひとっ走りが意外に堪えたようで、既に足に疲労を感じていた。まだ斜度が緩い場所は大丈夫だったが、きつくなるに従い、心拍が急上昇し始めた。つらい。つらいが、何とか止まらないで上ってゆく。
 途中、奇妙な建造物がどかんと建っているのに遭遇。過去2回ここを上っているのだが、誰も気づいてなかった。ABM発射基地か? いや、銀行の文書保存施設だった。銀行の文書は永久保管だとか。そんなの不可能だろうが、超長期ローンなどを考えると、1世紀は保管しなければならないだろう。恐るべし、銀行。
 土産物屋で一枚撮った後、最後の上りにかかった。ここは無理せず、休み休み上っていった。整備して調子のいいMR-4Fにも助けられ、なんとかまり屋に到着した。もう上らないでいいんだな、と燃え尽きたボクサーのようにしみじみ考えた。
 毎年御世話になっているまり屋さんで、早速しし鍋をいただいた。効果時間を考慮し、黄金色の発泡する液体(人体に注入することで目覚しい効果をもたらすという)を一杯だけやり、しし鍋を時間をかけて平らげた。こぐ氏らが両国で食したという野性味溢れる獣類とは異なり、洗練された鍋というべきだろうか。最後にご飯にかけていただいたのだが、これもおいしかった。
 しし鍋の後は、一休みして近所の散策を。今年の大テーマとして、仙人鍋リベンジというものがあった。昨日今日と開催されている大山豆腐祭りでは、駐車場で様々な催しが行われている。その一つが仙人鍋。巨大な鍋で仙人鍋なる豆腐を使った料理らしきものが振舞われるらしい。ところが、過去2回、我々はこの仙人鍋を食い逃していた。会場では、ちょうど豆腐大食いコンテストというものが開催されていた。わんこ豆腐なる、このコンテスト以外では決して目にすることの無い代物を、いったい何杯平らげられるかが競われていた。我々が見ている前で、21杯という偉大な記録が打ち立てられた。僕の観測では、このコンテストを勝つためには、食うのではなくて飲む、が鉄則だと思われる。21杯の人も、豆腐(1/4丁程度と思われる)を二口で飲むようにしていた。胃薬とお友達になれるだろう。
 仙人鍋は14:30かららしいという情報があったので、それまでは ケーブルカーの駅まで続く土産物屋をうろついた。いつの間にかせんべいを二袋ばかり仕入れていた。去年は蕎麦を買い、それなりに美味かった記憶がある。今年は下社へは参らなかった。
 会場に戻ってみると、まだ13:30を回ったばかりなのに、もう行列が出来ている。また食い逃したのではたまらん、と並んで待った。
 14:00に仙人鍋がスタート。と、アナウンスがあった。なんでも『鍋奉行が~の行事を執り行う』とのこと。しかし、来場者の大半は列を作って待っているので、全く見ることが出来ない。謎の儀式であった。
 いよいよ配布が始まり、やがて遂に仙人鍋を手にすることが出来た。豆腐となにかの草が煮られたもので、ポン酢がかけられていた。豆腐はまろやかで、草は石油系の味わいがあった。目的は達成できた。いま少し会場を散策した後(ちなみにこれは仙人鍋の全景で、奥が鍋奉行氏らしい)、会場を後にした。
 下りは気持ちよく、しかしバスに絡まったりしながらも、あっという間に下山した。下る途中で進路を変更する。鶴巻温泉に向かうのだ。
 鶴巻温泉で汗を流し、しばしぐでーっと寝転がっていた。意外に堪えているようだ。急激に気温が低下した影響もありそうだ。
 最後は毎度の天安。今年はてんぷら盛り合わせと鳥雑炊。てんぷらはごま油の香りも高く、雑炊はお腹に優しい味わい深いものだった。この店、物凄く地味に営業しているので、たか氏がジモティに聞いてなかったら、決して気づかなかったろう。入店したとき、店の人に『インターネットでうちの店のことを書いてくれた?』と聞かれた。なんでも、娘さんが天安のことをインターネット検索で調べたら、誰ぞのページが引っかかったらしい。天安に関して詳しく書いたのは@nakさんちだから、恐らくそちらでヒットしたのだろうということになった。
 天安が込み合ってきたので、帰宅することにした。
 鶴巻温泉駅から輪行し、海老名でたか氏と共に降り、そこからは自走で戻っていった。たか氏は『峠を三つ越える』といったが、その通り、ピークを三つ越える羽目になった。疲労しているようで、あっという間に心拍数が急上昇だ。走り込んでないのがありありと分かった。
 なんとかピークを越え、本来の待ち合わせ場所まで戻ってもらい、そこで別れを告げた。そして一人でのんびりと走って帰った。
 今年は参加者が少なくてやや寂しかったが、来年もやりたいもんだ。

補遺

06時16分 自転車

 昨日、修理した部品を"テンションボルト"などと書いたが、正式名称は"アウターアジャストボルト"らしい。テンションボルトは、ストロークアジャストボルト(ハイ/ローの位置決めボルト)の近くについている、フレームとの支え棒のようになっているそれのことだ。ややこしいんだよ!

2004年03月06日(土曜日)

MR-4Fのリアディレイラーの修理を試みた

22時45分 自転車

 MR-4FのRD不調の原因というのが、実はテンションボルト(ワイヤを固定部に通すところのアウターを固定している部分がボルトになっているのだ)のネジが切れてしまったというものだった。なんかの拍子に斜めにねじ込んでしまい、それから奥まではまらなくなってしまったのだ。おかげでテンション調整幅が極端に狭くなり、テンションを上げるに上げられなくなった。その結果、ギアに負荷が掛かると、RDが左右に動くようになり、チェーン飛びが起きるようになったらしい。原因の推測は可能だが、修理は可能だろうか。
 修理するとすれば、まずパーツ交換が考えられる。ところが件のテンションボルト自体はともかく、それがはまる部分はRD本体であり、スモールパーツとしては扱ってないようなのだ。つまり、本体買い換え? シマノの実質大幅値上げの後なので、あまり買い換えはしたくない。
 とりあえず、ネジの切り直しでなんとかなるか、やってみることにした。
 自転車からRDを取り外し、タップとダイスでボルト、受け部それぞれにネジを切り直してやった。M6らしい。ブロワーで切り屑を飛ばし、グリスをたっぷり付けてはめると、なんとか使えそうだ。ただ、ユルユルで、なんかの拍子に動きそうだ。この部分はスプリングとワイヤ自身でテンションが掛かっているので、そうは簡単には動かないだろうが、ワイヤが激しく行き来するので、油断は出来ないな。
 とりあえず、RDを付け直し、モノはついでにチェーンとスプロケットを清掃しておいた。時間が無いのでディグリーザーをジャンジャン使う、地球に厳しい清掃だ。さらに超音波洗浄機にも掛けておいた。チェーンは凄くきれいになるな。
 これらを取り付け直し、近所を試走する。うん、ギア飛びは皆無になった。問題は、ロングツーリングでなにかが起きないかだ。まあ、前と違ってテンションボルトはちゃんと動くので、その時はその時で調整し直せばいいか。
 明日の大山には、こいつを連れていこうと思う。

GCSに行ってきた

20時13分 自転車

 今週の半ばくらいまで、土曜日は雨という予報だったのだが、朝早く降っただけで、きれいに止んでくれた。いい天気になった。
 さてさて、明日は恒例の大山しし鍋ツーリングの日だ。過去2回はBD-1で登ったから、今年は別の自転車で行きたい。となると、モノはMR-4F改しかない。他の自転車は輪行に向かないか、坂がつらすぎるかなのだ。しかし、MR-4Fも気にかかっていることがある。リア・ディレイラーの調子が悪く、変速が決まらないのだ。原因は分かっているので手の打ちようはあるのだが、かなりかなりそうに思って着手できないでいた。しかし、どれくらいダメなのか見るために、こいつで横浜に出かけることにした。前から名前は知っていたGreen Cycle Stationに行ってみたかった。この店、ずっと鶴見にあったのだが、最近山下公園の近くに越してきたらしい。
 MR-4Fを久しぶりに出して、踊場方面に向かった。なにせRDの不調が気にかかり、あまり積極的に乗りたくなかったのだ。が、久しぶりに乗ると、やはり手持ちの自転車では一番ポジションが出ているように感じる。しかしRDの不調は目を覆うばかりで、少し負荷をかけると、即座にチェーン飛びが起きる。負荷をかけないようにきれいに回すと良いのだが。きれいに回すトレーニングにはなるかもな、などと突っ込みどころ満載のことを考えながら、R1を走っていった。
 途中で横浜市道環状2号線に合流し、磯子まで走り、磯子から本牧に、本牧から山下公園方面へと走った。空は半分以上が晴れているが、北の方に禍々しい雲があり、どうにも気にかかる。
 山下公園の近く、1本南西の通りを走って行くと、突然GCSの看板が目に飛び込んで来た。ここにあったのか。県民ホールの裏側だった。
 店内はそれほど広くはないのだが、小径車を中心にかなり在庫しているようだった。ルイガノがめったやたらと目立った。在庫の7割はそうだったのではないだろうか。他の店ではあまり見ない、リクセンカウルのバッグ類も在庫しているようだった。ここで前から欲しかったシートピラーアタッチメントを入手した。僕がいた30分ほどの間に、男女のペアと親子連れがやって来ていた。地の利はありそうで、名が知られるに連れて客が増えるのではないだろうか。小綺麗な店舗だった。
 GCSを出て、さて走り足りないなと感じたので、サガミ方面に走ることにした。R16を鶴ケ峰まで走り、厚木街道経由でサガミに立ち寄った。2Fアパレルフロアがやや模様替えをしていた。前に較べるとヘルメットの在庫を漁るのが楽になったようだ。
 3Fもやや模様替えしたようだった。しかし、去年の梅雨の時に頼んだ完組、いつになったら組んでくれるんだろうね。マビックのリムが一向に入らないようだ。GIANTが全部買い占めたとかいう噂も聞いたが。
 境川に出て、帰宅した。

2004年03月03日(水曜日)

ローラー台

21時48分 自転車

 今夜も時間的に余裕がある。よし、夜トレだ! などと考えたのだが、どうにも空模様が不安だったので、室内でローラー台を回すことにした。
 CLIE T650でヘヴィロックを聴きながら、だんだん回転数を上げてゆく。ローラー台は、気象に左右されないのがいい。だが常に一定の負荷が掛かるので、ずっと足を回してなければならない。実際に走行する時は、坂道の登りですら、足を休められる瞬間があるのだが、それが無い。それゆえ、濃いトレーニングにはなりそうだ。
 40分近く回し続け、脂肪燃え燃え状態なのを実感しつつ、まだまだ回すぜと思っていたところ、突然ヘッドホンからの音楽が途切れた。見ると、電池切れ。うっかりディスプレイONのまま使っていたのだ。電池が少しヘタリ始めているせいもあるのだが、基本的には電池寿命が短いな。こういう用途には、最近のPocket PC(驚くほど看板に偽りありな名称だ)の方が向いているのかもしれない。
 明日も天気が不安定なので、その気になってもローラー台が関の山かな。それと、そろそろ自転車の掃除をしなくては。

2004年03月02日(火曜日)

夜トレ

23時47分 自転車

 朝トレはやらなかったので、夜トレを。いつものコースを走ってきた。自転車はいつものロードではなくて、EPIC号で出動。ハンドル交換の効果を確かめたかったのだ。
 確かに、以前に較べればダンシングしやすく、またグリップを握ったまま踏ん張っても安定する感じだ。ハンドルバーもBD-1の530mm(カーボン製でエンド部にバーエンドバー固定用のアルミが挿入されているため、ここまでしか切れない)に対し、少し短く500mmに詰めたのだが、それも効果あったように思う。もう少し切り詰めてもいいとは思ったが、かえって踏ん張れなくなるように思う。
 ただし、Qファクタの広さはいかんともしがたく、それゆえに踏み込むときに力が逃げる感じがある。ダンシングの時も、ロードに較べると少し大きめに振らないと、安定してくれないように感じた。仕方ないかもしれないな。
 それと、今度はハンドルの高さが気になってきた。シートと同じ高さにしたのだが、ロードみたいに数cmは下げたい気もする。これもまあ、山に持って行くときには、今のポジションの方が有利なのだろう。
 それにしても、どうもロードの乗り味に慣れすぎたのか、マウンテンバイクでは全然スピードを出せなくなってしまった。そういう性格の自転車なのだから、これも仕方ないのかもしれない。

寒さに負けて朝トレさぼる

10時21分 自転車

 今朝は4:00には起きていた。昨夜は20:00に寝てしまった(なんだか疲れていたのだ)というのもあるのだが、ここ数日は暖かだったので、そろそろ朝トレを始めようかと考えていたのだ。が、目覚めて、外気に当たると、ここ数日無かったくらい寒い! 根性無しの僕は、また布団に舞い戻ってしまったそうじゃ(常田富士夫風に読め)。
 実は、月曜日の朝も4:00頃に起きていたのだが、雑用を片付けているうちに日が昇ってしまい、なんとなくやる気が殺がれてしまった経緯がある。こんなことではいかん、と僕の腹部脂肪(最近、また成長期)が主張しているのだが、根性の無さはどうにもならんな。