Strange Days

2000年02月27日(日曜日)

NHKスペシャル

20時20分 テレビ

 なぜか異常に頭が重く、帰ってすぐに一眠りしてしまった。一眠りすれば気分も良くなるだろうと思っていたのだが、目覚めても相変わらず、というより更に悪化している。飯食わないとなあ、と思いつつ布団の中で番組を見た。
 今回の「世紀を超えて」は前回の細菌に続いてウィルスの話題。
 去年、マレーシアの養豚場を中心に、正体不明の疾病が流行し始めた。激しい咳と痙攣をもたらすこの疾病は、多くの豚とその世話をしていた人間を落命せしめた。
 事態を重く見たマレーシア政府は、さっそく事態解明に乗り出した。疾病発生当初は日本脳炎だと思われていたこの疾病は、調査によってやがて新型ウィルス性のものである事が分かってきた。ウィルス性疾病の対策としてはその抗体を予め発生させておくためのワクチン投与が有効なのだが、なにぶん発見間も無いウィルスでは難しい。結局、マレーシア政府は感染の疑いがある豚を大量に処分する事によって、事態の拡散をかろうじて食い止めた。
 ウィルスというのは核酸に蛋白質がいくばくかくっついたような代物で、その増殖には他の生物の細胞が必要だ。真核生物は細胞に自身のDNAを複製する仕組みを持っているが、これに割り込んで盗用してしまうのがウィルスなのだ。
 近年、新型ウィルスによる強烈な疾病が増えている。あのエイズはもちろんそうだし、つい最近ではエボラウィルスのド派手な症状も記憶に新しい。また毎年流行するインフルエンザもそうだ。
 ところでこのマレーシアのウィルスはどこからやってきたのだろう。近隣の動植物を調べていったが、豚を介して2次感染していったと思われるものばかりだった。そこで調査団が注目したのが最初に発生した養豚場の環境だ。そこはマレーシアの密林を切り開いた平地で、切り立った崖が間近に迫っていた。その崖には洞窟がいくつもあり、そこに大量のコウモリが住んでいるのだ。ある研究者が、過去にコウモリから新種ウィルスが媒介された事例があったことを思い出した。そしてコウモリを調べてみると、ウィルスそのものは発見できなかったが、ウィルスに対する抗体の存在が確認された。コウモリが最初の宿主(自然宿主)である可能性は高くなった。
 この事例では、自然宿主であるコウモリと距離を置けば、おそらく事態は改善されるだろう。しかし今後も新種ウィルスとの接触は増大する可能性がある。人間の活動範囲はまずます広がり、未知のウィルスと接触する機会は増大しているからだ。
 そもそも、ウィルスは自然宿主と共存している状況では宿主にほとんど影響を与えない。というのも宿主を殺すような強い毒性を持つウィルスは、宿主の内部でそれほど長期間増殖出来ず(その前に宿主が死ぬ)、DNAの頒布という目的からは不利になってしまうのだ。そこで結局、その宿主に対して毒性を持たないか極低いウィルスのみが生き延びる事になる。
 エイズやエボラのような毒性の強いウィルスも、個体の死を放置すればやがて人間と共存する道をたどるだろう。以前、サイエンスにそのような戦略を数学的に検討した論文が載っていた。もちろん、それは現代の倫理観からは相容れないもので、到底実行できない戦略だと強調されてはいたが。
 しかし過去、例えばヨーロッパで大流行したペストなどに対しては、まさにこのような事態が発生した証拠が知られている。遺伝的な証拠から、ペストに対する耐性を持つ遺伝子の所有者が、ヨーロッパでは有意に多い事が明らかになっているのだ。
 いずれにせよ、ウィルスという古くて新しい敵との戦いは、まだまだ続いていく事だろう。先週も書いたが、無限ともいえる遺伝的多様性を相手に勝てる望みは低い。しかし自然との距離を意識し、その脅威の発現を最小限に抑える事で、ウィルスの脅威をかわす望みはあるのだ。
 こうしてみると、人間の活動範囲の拡大が未知のウィルスを呼び覚ますというシナリオを'50年代には書いていた小松左京の慧眼は、まったくおそるべしとしかいいようが無い。

2000年02月26日(土曜日)

今月の宇宙デジタル図鑑

23時08分 テレビ

 うだうだしているうちに日が暮れ、一眠りしたら(まだ寝たのかコイツは)サイエンス・アイが始まった。今週は月末恒例の宇宙デジタル図鑑。今回は先日大修理を乗り越えたハッブル宇宙天文台の最新映像から。
 ハッブルはなんといっても現在唯一の可視光線を主軸に置いた宇宙天文台であり、この10年でもっとも劇的な映像をものしてきた存在だ。地上の巨大望遠鏡群が本格稼働を始め、能力的にはハッブルを十分上回るようになってきてはいるが、知名度ではハッブルがまだまだNo.1だろう。
 ハッブルの最大の利点は地球の大気を通さず、直接宇宙に目を向けているという点だ。この結果、ハッブルは直径2.5m程度の主鏡で、地上の8m級巨大望遠鏡に匹敵する集光力を持つ事が出来る。また大気が動く事による屈折経路のずれ(地上の望遠鏡がシーイングという言葉で悩まされる代物)も存在しない。地上の望遠鏡でも手の込んだ補正装置を用いる事で克服できるが、ハッブルの方が光学系をシンプルにして効率の高い観測が出来る事は言うまでもない。
 さて、問題の"最新映像"はというと、残念ながら過去見たものばかりで、新味に乏しいものになったのは残念だった。
 我らがすばるもそろそろ本格稼働の時期だと思ったが、どうなったのだろう。大気補正を使ったクリアな映像が楽しみだ。恐らく、ハッブルのそれを上回るものになるだろう。

2000年02月20日(日曜日)

誰もいない部屋

23時54分 テレビ

 今週の誰もいない部屋。第一の部屋は一見して自己啓発セミナーの講師かと思わせるような部屋構え。トレーナーかなと思っていたら、その通りだった。久々の正解だった。
 2番目の部屋は有名人の部屋の紹介で、いつもは取り上げないのだが、今夜は面白かった。デジタルクリエイター(と昔は名乗っていたような気がするのだが)の高城剛の部屋で、部屋の中には生活の臭いが全く無い。台所のコンロは使われた形跡が無く、冷蔵庫も無い。ベッドがあるだけといっても過言ではない。ではどうやって生活しているのかというと、いつも持ち歩いているバッグに生活必需品を詰めて持ち歩いているというのだ。このバッグにはモバイルPCやポータブルDVDプレイヤーも入っていて、いつ、どこに行っても生活できるというのだ。これが真のモバイラーだぜ。
 最後の部屋は肌に悪そうな乾燥しきった部屋。最初の和室はお茶の道具に造花っぽい生け花(?)。次の部屋ではパスタマシンや筆、絵の具。なにか作っているのは確かという感じ。お茶の葉を使ったアクセサリーデザイナーという説を取ったが、答えは大外れで和菓子職人だった。あんな巨大な和菓子ってのもあるんだねえ。

世紀を超えて

20時53分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルはシリーズ「世紀を超えて」。今夜は20世紀の医療に革命を起こした抗生物質とその耐性菌との戦いの話題。
 今世紀初頭にイギリスで発見された抗生物質は、今世紀中葉には実用段階に達し、急速に世界中に普及していった。抗生物質は医療の現場で猛威を揮っていた感染症の撲滅に大きな力を発揮し、'60年代にはアメリカ保険局によって勝利宣言が出されるほどになっていた。勝利は目前だと多くの人々が考えていた。ところがフレミングが早期に指摘していた通り、抗生物質の多用は耐性菌の顕在化を促す方向に働く。個々の細菌は突然変異によって様々な形質を獲得し、中には抗生物質を無効化出来るものも現れる。そうした特殊な種類の細菌は、抗生物質によって他の種類の細菌が根絶された環境では資源的に有利になり、むしろ増殖を促される事になるのだ。'70年代、'80年代と抗生物質の使用量は増大し、家畜にまで用いられるようになった。耐性菌が増殖する環境は、いたるところに整いつつあった。したがって「抗生物質の多用はやがて大きな失望をもたらすだろう」というフレミングの予言が、'80年代に入って現実のものとなる。
 強力な抗生物質の耐性菌の登場は、医療の現場に大きな課題を与えるものとなった。旧来の医療"習慣"では、医師は患者の病因が細菌によるものなのかを見極める前に、とりあえず万能薬として抗生物質を与えてしまう傾向が強かった。ところが抗生物質の濫用は耐性菌の増殖を促し、場合によっては病状をさらに悪化させるリスクが伴う。そのリスク評価を巡り、一般の医師と、感染症に詳しい医師たちとの間での意見の対立が日常化しているようなのだ。
 医学者たちも耐性菌に手を拱いているわけではなく、新型の抗生物質の開発に余念が無い。しかしこうした抗生物質にも、いつかは耐性菌が生まれてしまうだろう。この戦いに終わりはない。
 全く新しい試みもある。耐性菌の近似種を遺伝子操作し、毒性の無い細菌に変えて役立てようというものだ。この細菌は人体に有害な毒素を全く出さないので、組織が破壊される事はない。しかしこの細菌も増殖のためには資源を消費する。すると耐性菌が独占できるはずの資源が制限され、結果的に耐性菌の増殖が抑えられる事になる。細菌を根絶するのではなく、その増殖をコントロールしながら共生しようという狙いだ。
 その一方、抗生物質の使用もコントロールしようという動きが活発だ。まずは家畜に無制限に使用されていた抗生物質を規制し、さらに医療の現場で用いられる抗生物質も出来るだけ抑制しようという方向で調整が続いている。しかし安い畜肉は抗生物質の使用に支えられてきたもので、一朝一夕には使用を止める事が出来ない。しかしいずれ、リスクと効果を秤にかけながら、妥協点が見出されていくだろう。
 こうして番組を振り返ってみると、20世紀末に登場した新たなキーワードが注意を促しているように思える。共生と制御だ。自然界の事象を敵対的に評価し、根絶と抑圧という暴力的手段を取ってきたのが、産業革命以来の科学的自然観だと思う。しかし20世紀も末になり、そうした科学的自然観が先鋭的になるに連れ、次第に自然界からの反撃も激しいものとなってきた。あるいは反撃、という概念そのものが旧来の科学的自然観に毒されているのかもしれない。
 しかし人為的多様性など比較にならないほど多様な自然界に対し、これ以上征服的な事業を展開できる見込みは既に薄い。無限を相手に勝利できる人間はいないのだ。するとどうしても自然界と共生する事を、その苦い半面と共存していく道を取らざるを得ないのだ。その為には自然界(として科学が観測するものども)の仕組みを抹殺し、人為的な仕組みに作り替えるという旧来の手法を捨てる必要がある。むしろ自然界の仕組みを利用し、その矛先が人間に向くのを逸らすために制御するという道を選ばなければならないだろう。

2000年02月19日(土曜日)

いのちの日々

23時49分 テレビ

 その後はNHKスペシャルの再放送で、'93年放送の「いのちの日々」というホスピスの日々を追ったドキュメンタリーだった。
 日本にホスピスの思想が本格的に導入され始めたのは多分'90年代のことだと思う。'90年代に入って、ようやくあちこちの大病院を中心にホスピスが開設され始めたように思う(あるいはなんらかの法改正があったのかもしれない)。長岡の大きな病院に開設されたビサーラ病棟も、そうしたホスピスの一つだった。ここでは死病との無意味な闘争に残された日々を費やすよりも、心安らかに死ぬ道を選んだ人たちが、最新の医療機器と仏教を中心とした物心両面のケアを受けながら、最後の日々を過ごす。恐らく、すべての患者が長岡出身なのだろう。故郷で親族に看取られながらの死を待つのだ。
 ここに入院したある女性は、長岡の夏を飾る大花火大会を心待ちにしていた。しかしその願いをかなえる前、初夏に臨終を迎えた。あるいは悔いは残ったかもしれないが、家族に看取られながら、苦痛を出来るだけ抑制しながらの死は、無数の管を接続されて機械に生かされつつの死よりも、どれほど心安らかになりうるものなのだろうか。
 長らく大工として働いてきたある男性も、やはり花火大会を心待ちにしていた。彼は病棟に設けられた木工室で大工としての腕を揮い、一対のベンチを作っていた。それに座って花火大会を見物するのをなによりも楽しみにしていたのだが、無理がたたったのか当日は車椅子に座っての見物となった。しかしホンの一瞬だけベンチに腰掛け、願いを果たす事は出来た。この男性は夏の終わりには逝ってしまったが、少なくとも満足感はあっただろう。
 長らく東京で暮らし、小料理店を営んできた男性も、故郷長岡で死を待つ道を選んだ。7人兄弟の末っ子という彼は、妻に先立たれたばかりだ。妻と二人で切り盛りしていた店を置いての、心残りのある入院だった。彼は入院後しばらくして、無理を押して上京し、店を知人に譲り渡す手当てをつけて、心置きなく死を迎える事が出来た。
 長岡で薬局を営んできたある女性は、できれば正月を自宅で迎えたいと思っていた。今でこそ在宅ケアが盛んに取り沙汰されてはいるが、番組制作当時の段階ではまだその体制は整っていなかったため、心ならずも病室で迎える新年となってしまった。彼女は自らの生涯を手記につづっている。それは残していく夫や家族へのせめてもの遺産となりうるものだ。次第に悪化する体調に、好きだった川縁の散歩もままならぬようになってしまったが、それでも「心は少女時代のまま駆け回っている」と彼女はつづる。芭蕉の辞世の句、「夢は枯野を駆け巡る」を思わせるような心境に達していたようだ。この女性は番組中では存命のままだったが、放映直後に亡くなったそうだ。
 こうしてみると、それぞれ小さな思いは果たし、確かに家族に囲まれての死ではあるが、実際に死に赴く人々の気持ちは、死を体験した事の無い僕にはうかがい知る事は出来ない。満足感はあったのだろうが、同時に苦い現実を無理に受け入れるような面もあっただろう。しかしこうした必然の、受容の苦みをいくらかでも和らげるのがホスピスの役割であるはずだ。機械に生かされ、死と生の境界が限りなく曖昧になっているような現代医療の現場で、だからこそホスピスは重い意味を持つのだろう。

街道を行く

22時05分 テレビ

 今夜の街道を行くは、ここのところ続いている中国シリーズ、45分間の長尺版だ。今夜は中国福建省の回。
 中国には数多くの少数民族が共存していて、福建省にもかつての海洋民族の子孫がひそりと暮らしている。またそうした古い非漢民族圏の風俗も良く保存されている。それは福建省が文明の中心、黄河流域から少し離れ、周囲を峻険な山に囲まれていたためだ。この地は長らく漢民族の視界の外に置かれ、ようやくその版図に組み込まれ始めたのが三国志の時代、呉の臣民が入植を開始してからだという。それ以降、大規模な潅漑によって福建省は大人口を養えるようになり、漢民族の流入が活発化した。
 この潅漑の規模というのがなんともでかくて、広大な湿地帯の水を集めるためのため池(当然、日照りの際には給水もするのだろう)を掘りぬいたというもの。日本の讃岐地方に見られる可愛らしいため池の類とは隔絶したような、ちょっとした湖ほどの規模があるものだ。日本ではまだ文明時代も始まっていない時代に、こうした工事を行えるだけの人間を養っていた漢民族の凄みを感じさせられる。

2000年02月13日(日曜日)

誰もいない部屋

23時57分 テレビ

 今夜の誰もいない部屋。最初の部屋は一見貧乏学生の下宿風の小部屋。住人は非常に清掃に気遣っており、棚に謎の「もやし」(\8000!)を収納している。炬燵ではみかんではなくりんごを食べ、結構歳らしい。岩手県出身で、住民の職業にはこの職業の者が非常に多いという。
 なんとなく仮の宿っぽいなと思っていたが、答えは杜氏。酒を造る人だ。もやしは麹種だとか。
 最後の部屋は緑系が多い、カエルグッズの部屋。カエル、という辺りで冬樹蛉兄の事を思い出したが、こんないい部屋に住んではおるまいとすぐに捨てた。なにか工作っぽい事をやっているのでトロンボーン奏者かなと思ったら、答えは競艇の選手だった。エンジンと艇体を抽選で選ぶのは知っていたが、プロペラだけは持ち込みできるのだとか。

2000年02月06日(日曜日)

ネパールの危機

22時28分 テレビ

 帰って、NHKスペシャルを見た。今夜は地球温暖化でネパールの高地の人々も難儀をしているという話題。
 ネパール国内にかかるヒマラヤ山脈でも、地球温暖化の影響は深刻化している。4000mから8000mにまで達する高山群には氷河が発達しているのだが、それらが溶け出し、大きな湖を形成しているからだ。近年に入って、こうした高山の湖の決壊により、下流の多くの村が流されるという災害が多発している。現在、ネパール国内にはそうした湖が多く形成されているのだが、その中でも最大の湖の決壊が心配されている。その湖を塞き止めている自然のダムが圧力に耐え切れず、間もなく決壊してしまうのではないかと考えられているからだ。もしも決壊すれば、下流の住民数万人に被害が及ぶ。
 事態を重く見たネパール政府は、科学者を中心にしたプロジェクトを組み、決壊防止事業に乗り出す事にした。ネパールの雨季には水量が増え、決壊の危険が高まる。
 工事は地元の住人との軋轢、機材の不足、そして決壊の危険が高まるに連れ必要になる応急処置に引きずられ、予定の半分しか進まなかった。が、去年は何とか乗り切った。残りは今年の雨季までに工事を終えなければ危険だ。
 しかし、地球温暖化による水没の危険性はオランダや南洋の島々に関して語られてきたものだが、こんな高地でも同様の災害がありうるというのは盲点だった。