Strange Days

2000年06月24日(土曜日)

NHKスペシャルなど

23時55分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは「虐待と向き合う」。アメリカでの児童虐待と、それを克服しようとする「親業クラス」の話題だった。親業なんて言葉、本当にあるんだな。
 子供たちに暴力を振るう親たちの多くが、やはりそのような育てられ方をしてきたのだという。それを自然なことだと思うから、暴力を振るうことにためらいが無いのだ。あるいは、怒りをコントロールできなくて、いけないことだと思いながらも、ついつい手を上げてしまう親も多い。親業クラスはこうした親たちに子供との接し方、特に怒りのコントロールを教えるために、アメリカの行政機関が設けたセミナーだ。
 ある父親は娘たちが自分に反抗的なのに腹を立て、日常的に暴力を振るっていたという。しかし10代も後半ともなれば親離れし始めるのは当然であり、むしろ利害関係の調節というドライな仕事が親に課せられているのではないかと思った。
 23:00からは国宝探訪という番組がある。いつも楽しみにしているのだが、今夜は長崎の大浦天主堂の話題だった。長崎に天主堂が初めて建ったのは織豊期のことで、土地の支配者の大浦氏が入信して云々と、これは司馬遼太郎の「街道をゆく」で取り上げられていた。その初代天主堂はキリスト教の禁教とともに取り壊され、長崎に再び天主堂が建てられるのは、幕府による開国直後の1864年のことだったという。フランス人神父が中心となり、長崎に住むようになった外国人信者のために建立された。材料のかなりは本国から取り寄せられたが、施工したのは日本人大工であり、結果的に日本式の建築と西欧式のそれとが折衷されたような様式の、世界に類を見ない建造物となった。
 例えば、カテドラルを特徴づけるステンドグラスは、ふつうは色ガラスの小片を鉛でつなぎ合せるものだ。ところがここでは木の桟にはめこむ形を取った。するとその桟の太さを様々に変えることで、本来のステンドグラスでは出せなかったシルエットを描くようになった。また天井部分の丸みは、竹を編んだ上に土と漆喰を塗り込めることで象られている。このように、西洋建築のテーマを、日本の大工たちは創意工夫しながら描き出していったのだ。しかし限界もあった。初期の構想では尖塔を三つ作ることにしていたのだが、左右の尖塔の施工方法に無理があり、竣工後ほどなく落ちてしまったらしい。石造りの剛構造を主体とした欧州の建築と、木による柔構造を主体とした日本の技術と狭間で埋められなかった部分だ。
 フランス人神父がこのカテドラルを建てた動機の一つが、キリスト教禁教以来隠れ潜んでいるはずの日本人信者たちを呼び寄せるためだった。その狙いは当たり、建立された天主堂を目当てに各地の隠れキリシタンが現れるようになった。が、それから明治初頭にかけては禁教が維持されていたため、その多くが弾圧されてしまったという。禁教以来250年も信仰を維持していたというのは、ほとんど非日本的である。日本的な神道や仏教なら、250年も経てばすっかり忘れてしまっただろう。

2000年06月19日(月曜日)

みんなのうた

17時37分 テレビ 天気:晴れ的なくもり

 そろそろ今節分のみんなのうたについて書くか。
 新作分。
 山遊歌。中年に差し掛かった友人たちがかつての山歩きの事を思い出している、ってな感じ。山行きたいなー。
 名もない花のように。自分らしく生きるってのは決して自由気ままに生きることばかりじゃないよな。9 to 5で生きていたかつての官公庁の人々も、あるいは彼ららしく生きていただけなのかも。
 はる なつ。南家こうじの絵は良いです。でも見ているとむずがゆくなる。
 再放送分。
 赤い自転車。相変わらず絵が怖いです。人魚、こっちにガンつけんなよな。
 みずうみ。大貫妙子はこういうのも歌ってたんですね。湖畔に立って深い緑色の湖面を眺めているような心的光景。
 雨のてん・てん。河合奈保子もこういうかたちで自分の歌が残るとは思ってもいなかったろう。C.C.さくらの2代目エンディングともども梅雨空にお似合いですな。
 いたずラッコ。もう最高。さびの部分ではいっしょに歌ってます(ただの馬鹿)。ラッコはいいな。

2000年06月09日(金曜日)

News23でのR.村上 v.s. 筑紫哲也

23時39分 テレビ

 この間インターネット中継されたR.村上と筑紫哲也の対談が、News23で放映された。時間的に15分程度のごく短いものだったので、ほとんど要約というレベルだった。まあ移り気な視聴者は深い議論なんざ聞きたくないのだろう。
 対談そのものは筑紫による「共生虫」の予言性に対する指摘に始まった。村上は自分の中で"引きこもり"をシミュレートしたらああなっただけだとかわす。
 対談では、'90年代に入っての相次ぐ経済的社会的破綻を子供たちがつぶさに見て、大人への信頼を喪失した点を指摘している。また少年の犯罪に対する社会全体のばかげて過敏な反応が、自己の位置を見失って犯罪に走る少年たち(とは限らないと思うが)に付け入る隙を与えているとも指摘している。
 これはどういう意味か。大きな犯罪を起こした少年たちの言動を見ていると、何か漠然としたもの、例えば学校、例えば社会に対する復讐というニュアンスが引き出される。この対談でも語られたように、語彙の少ない少年たちの言葉を額面どおり受け取るのは危険だ。だが漠然とした目標に向けられた漠然とした感情というものの存在は明らかだ。そこで自分が起こした犯罪に対し、社会全体があたかもこの世の終わりのような反応を示すことは、犯罪者だけでなく、その予備軍たる少年たちにも達成感を与えてしまうということだと思われる。
 村上は、「子供はもっと愚かであっていいのでは」という。まだ幼いうちからなにかを悟ったように感じ、未来への閉塞感を抱く子供の多いことに、村上は懸念を抱いているようだ。
 それと矛盾するようだが、と村上は前置きを置いて、「戦略的に生きろ」とも語った。自分が何をしたいかを見極め、それを達成していくような生き方をしろというのだ。
 しかしこの前後の論理の乖離は大きい。悟ること、何か結論を出すことを回避しながら、自分の進む道を見極めるというのは本当に可能なのだろうか。この辺、実は村上もまだ未整理の問題なのだと感じた点だ。
 一方筑紫は「モデルの不在」を指摘した。戦前は大将か大臣か、戦後はもう少し具現化して本田総一郎やビル・ゲイツ(マジかよ)か、というモデルがあり、それを目指すというある意味戦略的な生き方が可能だった。ところが今、少年たちには成りたい者がないというのだ。そして筑紫は、そこには肯定的な意味もあるという。多様な生き方を、自分で決めることができるのだから。しかし「モデル探し」をしてしまうのは、これはもう人情というものではないだろうか。
 僕が感じたのは、少年たちの"語る技術"の貧困さは、彼ら自身を苦しめているのではないかというものだ。人間は苦痛を感じたらそれを人に訴えたり、訴えることが出来なくても自分の内部で言語化してその根源と対決することができる。しかし今、子供たちは語ることが苦手になっている。語るということは語彙だけの問題ではない。まず語るべき事項の持つ意味性、それら相互の関連する論理性をも理解し、きちんと行使することが重要だ。また語るべき事項が、現代ではあまりにも複雑になりすぎていることも指摘できるだろう。「ちびくろサンボ」が善だった、あるいは悪だった時代のなんと単純だったことか。
 "語る技術"は、語彙を習得し、それを文法に沿って幾度となく繰り返し使用することで得られるものだ。そこには必ず訓練という要素が必要とされるだろう。しかし教育の現場では訓練という要素が次第に軽視されているように感じている。「個性」という魔物に囚われすぎて、軍隊の記憶を呼び覚まさせる訓練という要素を、現場の教師が次第に排除しつつあるのではないかと勘ぐってしまう。
 語る、ということは人間の生活史全てに関わってくるものだから、いずれにせよ少年に自らを積極的に語らせるように、社会の様々な局面で働きかけていくのが筋ではないだろうか。
 この対談、時々インターネットのBBSでのメッセージを拾い読みしながら進んだ。この点だけはインターネット公開の意味があったといえるだろう。

2000年06月04日(日曜日)

ちょっとテレビ見た

22時45分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは老朽化が進むコンクリートの話題だった。今、日本にある建築物のうち、特に高度成長期に作られたもののコンクリートに、急速な劣化が見られるというのだ。この話、数年前ぐらいから盛んに取り沙汰されていたが、最近特に喧しいのは山陽新幹線でのトンネル壁面剥落事故の影響だろうか。
 この番組では監査と保守の重要性を強調していた。つまり日本では(アメリカでも近年まで)建築時の品質チェックが甘く、また建造後の維持点検にもほとんど金を使ってこなかった事が、急激なコンクリート劣化の要因になっているというわけである。作ったものの品質を改善するのは不可能に近いので、品質は建築時に作りこまなくてはならない。また建築物にもライフサイクルがあるので、それに見合った手を打っていけば、延命の大きな助けになる。そういうわけで、ゼネコンにもそれなりの新事業が見込めるようになるというわけだな。
 どこで見たのか忘れたが、江戸時代に島津藩が財政再建のために取った諸策を挙げているWebページがあった。その中で島津の家老が大阪商人に250年ローン(!)を飲ませた件を挙げ、「現代の日本ではゼネコンに泣いてもらうということになるだろう」としてあった。確かに今体力がそこそこあって、しかも消えてもさほど困らない業種はゼネコンぐらいだろう。全部消えても、韓国や米国の業者を入れればいいだけのことだ。ゼネコンへの拠出、すなわち公共投資の効果はいまや随分と疑わしく思われている。自由競争により国内外の同業者に門戸を開き、その代わり国内で雇用を創出もらうというのが良いだろうと思う。国外の業者では日本の現場での慣習や要求を受け容れてもらえないというのなら、それは市場が開かれていないか、必要な規制が実施されていないだけなのだから。