Strange Days

2000年11月26日(日曜日)

世紀を越えて

22時44分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは世紀を越えて、シリーズ「未来世代」。あれ、(プログラムによれば)このシリーズは今回でお仕舞い。2回限りの小シリーズだったようだ。
 今回はベンチャー企業の聖地、シリコンバレーに集まる起業者たちの話題。
 1980年代、シリコンバレーは日本の安い半導体に押され、不況にあえいでいた。シリコンバレーが生み出した新技術、半導体は、しかし日本を始めとする後続グループが急速に製品化し、あっという間にシリコンバレーのお株を奪ってしまったのだ。
 しかし今はどうか。半導体産業のチャンピオンは相変わらずシリコンバレーであり、後続グループ、特に日本は大きく水をあけられてしまっている。この逆転劇の主役となったのが、シリコンバレーを舞台に熾烈な競争を繰り広げている、ベンチャー企業群だったのだ。
 シリコンバレーの歴史は、スタンフォード大学から始まった。'30年代、この大学の1教授が卒業生が近辺に定着できるように、大学周辺で起業するように卒業生に働きかけるようになった。それに促されて二人の卒業生が起業したのがHewlett-Packard社だった。そしてHP社を皮切りに、数多くのベンチャー企業が興っては消えていった。
 シリコンバレーの特徴は、そこに居を構える企業群の生存競争が激しく、その結果新陳代謝が激しいことだ。6000ある企業のうち1000ほども1年のうちに消えてゆくということだ。このような激しい入れ替わりの原因は、シリコンバレーにおいては起業が非常に簡単で、かつまた失敗しても起業者自身は失うものが少ないというシステムにある。
 シリコンバレーでは、起業者と資本家とが明確に分かれている。その結果、起業者は資本に関するリスクを背負うことなく高い目標に挑むことが出来る。一方、資本家はその失敗を全て背負うことになるので、資本提供を望む起業者を厳しく選別する目が必要になる。その結果、起業者は失敗しても挑戦を続けることが出来、また事業に見切りをつける判断も速く下せるようになるのだろう。
 こうしたシステムがシリコンバレーにおける激しい新陳代謝となって現れ、失われていた優位を'90年代に入って取り戻す原動力になったわけだ。
 こうしてみると、拙速は巧遅に勝るというのがビジネスの世界での黄金律のようだ。どこまでも走りつづけなければ生きていけないのだな。僕には起業なんて無理だということが良く分かった(笑)。

2000年11月19日(日曜日)

NHKスペシャル「世紀を越えて」

23時25分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは後半に入った世紀を越えて新シリーズ。教育に的を絞ったシリーズだ。今夜はアメリカで広がる新しい学校の形態、チャータースクールに関するレポートだ。
 9年前、アメリカで画期的な法律が制定された。誰でも政府機関の許可を得られれば、"公立学校"を設立できるというものだ。こうして設立される学校をチャータースクールという。チャータースクールは設立されると生徒数に応じた多額の助成金を得られる。それが基本的な運営費になるのだ。それが学費収入を主体に成り立つ私学との違いなのだろう。従って、ふつうの公立学校と同じく生徒の負担は軽い。そのような有利さと引き換えに、教育委員会からの厳しい監査が入る。この監査で学校として不適当とされれば、設立許可を取り消されてしまうのだ。
 チャータースクールの設立の原動力となったのは、アメリカでは'70年代から顕著になり始めた教育の危機に立ち上がった、父母たちの努力だった。自分の子供が画一的な学校教育に馴染めず、あるいは登校拒否に陥ってゆく。そういう現状を自ら解決しようと、自分たちの手での教育を目指す運動が起こった。それが'90年代に入って結実したのがチャータースクールだったのだ。共和党政権下で誕生したチャータースクールは、クリントン政権下で急速に普及した。既に全米の公立学校の数パーセントを占めるまでに至っている。チャータースクールは通常の公立学校と異なりカリキュラムを政府に縛られないのが特徴だ。ある学校ではアートを積極的に取り入れている。また別の学校では時間割を完全に無くしてしまった。逆に日本の有名私学を思わせるハードスケジュールを組んだ学校もある。その代わり、その結果に対して厳しい責任を負わねばならない。いわば教育の網の目を被せることを主任務とする通常の公立学校は、最低限の規格を守ればその廃止を問われることがない。しかしチャータースクールでは、その自主的に企画された教育が不十分であると裁定されれば、即廃止の運命にある。事実、そのようにして消えていった学校も少なくないという。このようにして父母に私学、通常の公立学校、そしてチャータースクール(さらに在宅学習という選択肢もあるらしいのだが)という多用な選択肢を与え、その義務である子供の教育を活性化させようというのがチャータースクールの狙いだ。増えつづけるチャータースクールは他の公立学校に対策を迫っている。その結果、様々な試みがさらに広がってゆく情勢にあるという。
 日本でもチャータースクールを作りたいという声が高まっている。その一つの試みが藤沢市で続いているようだ。自由度の低い公立学校の枠内での改革に限界を感じた教師たち、既存の学校に不満を抱く親たちが集まり、チャータースクール設立に向けた話し合いや運動を続けている。その中心になっている教師は、かつて公立学校での改革に参加し、担任制を廃したグループ指導制による学級崩壊を救ったものの、「担任を廃止するなんてとんでもない」といった匿名の(というのが卑劣だが)電話などにより、翌年には元の担任制に戻さざるを得なかったという経験をもっている。匿名の、いわば無責任な声により新しい試みが潰されたのは残念だ。その反面、この事件は担任制という旧来の手法に対して、例え無根拠ではあっても信頼感があり、またそれを変えることに対する感情的な反発があるということを示している。これはむしろ、公教育というものが保守的な立場に立たざるを得ないという、越えられない限界の存在を示しているのだと思う。だから、その「外」で新しい教育を追及しようという姿勢は正解だろう。しかしまだまだ文部省などの反応は鈍い。政治家の関心を呼び始めているものの、立法への道はまだ遠いという感じだ。
 チャータースクールの成立には異存はないものの、少し気がかりなことがある。僕は学校には訓練の場、特に動物的な本能に反して成立している現代社会への適応の場としての意味があると思うのだ。卑近な例を引けば、時間割という奴は、統一された時系列に沿って調整されている実社会への適応訓練という意味が大きいのではないだろうか。人間に、生まれつき時間に合わせて生きてゆくという本能があるわけではない。あのくだらな~い「前へ倣え」だの組み体操だのにも、いわばある型に人を嵌めてしまうという意味付けが大きかったはずだ。その型を取り払って、果たしてこのクロノポリスを生き延びる人間が形成できるだろうか。アメリカでチャータースクールの試みが始まってまだ9年。それが社会にどんな影響を与えてゆくのか、まだ確かではない。チャータースクール制の導入は、その影響を見極めてからでも遅くはないのではないだろうか。などと結局文部省のお役人と似たようなことをいってしまったりして。
 しかし、今我が子を抱えている親たちには切実な問題だろうと思う。彼らにとっては、今まさに問題の真っ只中にいるわけなのだから。そんな、いわば現実にドロップアウトしてしまった子供を抱える親たちのために、限定的にでもチャータースクールの試みを始めることは、意味があるのではないだろうかと思った。

2000年11月12日(日曜日)

恐怖と対決すること

23時03分 テレビ

 鍋を作りながら(といっても鋳造したり鍛造したり溶接したりしていたわけではない)NHKスペシャルを見た。昨夜から続けての教育問題、というか子供はどうなっとるのだ問題だ。
 なにせ鍋を作りながらだったのでよく見ていられず、印象を語ることしかできないのだが、主に引きこもりに関してのレポートだったと思う。番組では引きこもってしまった子供(といっても20代の大人が多いそうだ)と苦闘する家族の姿を追い、公的な支援がなかなか得られない現状を訴えていた。引きこもりに限らず心に病を抱える人口はますます増大しているわけだから、公的なカウンセラーの増員は必須だろうなと思った。
 それにしても、なぜ引きこもってしまうのだろうか。きっかけはいろいろあるのだろう。僕もなんとなく外に出たくない時期が続くことがある。しかしいざ引きこもってしまった人々がその状態をさらに続けざるを得ない理由は、なんとなくわかる気がする。簡潔にいえば、外が怖いのではないだろうか。外に出れば何が起こるかはわからない。どんな不条理な理由で傷つけられるかわからない。いや、たとえ道理に合っていても傷つけられるのに耐えられないことさえあるだろう。しかし家にいればとりあえずこれ以上傷つくことは無い。だから今の状態、引きこもっている状態を続けざるを得なくなるとまずは考えられる。
 しかしテレビでは、引きこもっている人の口から、引きこもっていることでさらに傷ついていく心境も語られていた。引きこもっていても苦痛に感じるのは同じなのではないだろうか。つまり「傷つくから」は引きこもりつづける第1理由にはならない。だから「怖いのでは」と考えるのだ。傷つけられるというのは、怖い理由の一つに過ぎないのだろう。
 どうして怖いのか。それは「わからない」からではないだろうか。引きこもりにより、引きこもった個人は外部とのチャンネルを絶ってしまう。すると当然情報が途絶するわけで、引きこもり者は外で何が起こっているのかを知ることができなくなる。いや正確には「外があるということが分からなくなる」のかもしれない。するとすべての判断が自分の内部情報だけに基づくことになり、未来予測がネガティブに傾きがちになり、さらには支離滅裂になる。その結果、「外」に対して闇雲な恐怖を抱くことになるのではないか、と。
 でも外界の未知さというものは、いつでも人間を取り巻いてきたはずだ。それなのに、なぜ今になって引きこもりが増えたのだろうか。
 理由の一つは、かつては引きこもるという行動に対する社会的な制約が強く、家から強制的に排除されることが多かったからだろう。しかしそれ以上の理由として、外への好奇心が失われているからというのもあるのではないだろうか。恐怖の最大の理由は未知であることだ。もしも対象が既知のものならば、それに対する対策も講じようがある。恐怖を克服する手段はある。しかし対象が未知ならば講じようが無い。恐怖は恐怖のままとなる。誰でも、いつでも、未知なものに対して恐怖を抱くのはごく自然な感情だと思う。しかしそれを克服するための知的な好奇心を持てるのが、人間の最大の特徴なのではないだろうか。かつてはそれが人を引きこもりから救う鍵になっていた。それが教育の失敗なのか悪霊のせいか分からないが、我々の生活の中から徐々に失われてきてしまっているように感じるのだ。そういう感覚を共有している人は多いように思う。
 一時期「何故殺してはいけないか」という子供からの質問を想定したような問いに、どのように答えるかが(大人の間だけで)話題になったことがある。あたかも子供が疑問を発しているように見えるが、実際にそれが問われている状況、そして回答が考えられている状況を考えれば、大人が自問自答しているだけなのは自明のことだと思う。そして答えはある程度問いそのものが内包していると思う。なぜならば、単に「殺してはいけないか」という問いに対してだけならば、「本当は殺していい」という合意が社会の広い範囲で共有されているからだ。それは死刑制度の存続、戦争に対する反応、そして以前の玄倉川の痛ましい事故で見られたような「死んで当然だ」という反応を見るだけで充分だ。これらの問題に対する社会の反応は、命より優先すべきものがあるという認識が、かなり広範囲に共有されていることを示している。つまり、場合によっては「殺していい」のだ。
 しかし「何故~」となると少し趣が変わってくるかもしれないと思う。「何故~」と問うからには、「殺したい」というより積極的な意思が存在するはずだ。何故ならば、「殺したい」という意思を止める理由を欲しているという構造が存在するわけなのだから。そしてその裏返しは、「何故殺さなければならないか」ではないだろうか。つまり、「殺したい」という衝動の理由を問う自問自答がその正体なのではないだろうか。
 どうして「殺したい」、それも自分でも分からない理由で「殺したい」などと思うのだろうか。これを僕は「怖いからだ」と思うのだ。「怖い」のは理解できないからではないだろうか。例えば少年が浮浪者を襲うということがあるが、彼らは浮浪者が「怖い」から襲うのではないかと思っている。身体に危害が加えられるなどと考えているわけではないだろうが、なぜあんな無為な状態でなおも生きているのかが理解できず、その存在そのものが怖いのではないだろうか。そう考えないと、単に反撃可能性が低いからというだけでは、いくつかの残虐な事件の謎は解けないと思う。大人にも同じ傾向が存在するように思える。
 知的好奇心の喪失という謎を解くには、情報の氾濫を想起すれば充分かもしれないと思う。僕たち(なかんずく僕のような知識人まがい)は、周囲に溢れる出来合いの知識を受け容れるだけで精一杯だ。それ以上の、本当の意味での未知に挑む気力はそんなに無い。あるいは教育カリキュラム、教師の資質双方の問題が、現代の日本人から知的好奇心を喪失させたのかもしれない。なにより、恐怖に立ち向かう意思を、僕たちは失ってしまっているのではないか。これをどう立て直せばいいのか。どうにも答えの出せないでいる。

2000年11月11日(土曜日)

国宝探訪

23時55分 テレビ

 今日は鍋にしようと思い、材料を捌いていたら10時を過ぎてしまっていた。さっさと作り、鍋を平らげながら国宝探訪を見た。
 今夜は室生寺の五重塔。以前、NHKスペシャルで取り上げられたのをみたことがある。(7/29の日記)
 この寺の五重塔は、屋外にあるものとしては日本最小なのだそうだ。'98年夏、この塔を台風が襲った。1200年間耐えてきた塔を、強風にへし折られた大木が直撃したのだ。早速、五重塔の再建が進められた。この五重塔に関しては以前書いたから繰り返さない。
 室生寺には他にもいくつもの国宝がある。優美な姿を見せる金堂と、そしてそこに守られた仏像群だ。釈迦如来像を中心とした5体(この場合はやっぱり"柱"ではないだろうな)の仏像と、それを護持する十二神将像が安置されている。この仏像に魅せられた写真家は、これらの仏像群には不自然な点があると指摘する。まず仏像の大きさがまちまちである点。そして様式に不一致がある点だ。大きさの違いは措くとして、様式の不一致とはなんだろう。実は室生寺の仏像群は、ここにしかない特有の様式を持っている。たゆとう細波のように優美な曲線で構成された着衣。連波式衣紋というらしい。また光背を彫刻ではなく、杉の一枚板に彩色を施すという形で表現しているのも特徴らしい。これらを室生様式と呼ぶ。このうち、光背の彩色を比較してみると、結局5体のうち3体だけが当初からあったものと推測されるそうだ。
 しかしなおも不自然な点が残る。この3体のうち、地蔵菩薩の光背と本体の大きさが一致しない。通常、仏像の頭部は光背の中心に位置するのだが、それより小さいのである。写真家は、室生川の下流域にある別の寺に安置されている別の地蔵菩薩が怪しいという。それは室生寺の他に例が無い室生様式で作られ、さらに大きさも室生寺の光背と一致する。つまり、本来はこの地蔵菩薩像が、室生寺の3体のうちの一つだったのだ。
 この地蔵菩薩像がなんだって別の寺にあるのか謎だが、そんな大切なものがひょいひょい移動したりするのが不思議といえば不思議だ。

2000年11月05日(日曜日)

NHKスペシャル

23時46分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは大量に輸入され、大量に捨てられてゆくペットの話題だった。
 最初に大量に輸入している当事者であるペット業者が「ペットは去勢して1代限りとして飼うのがベスト」(なので全部去勢している)といってはいたが、小さな昆虫類や小動物まで本当に去勢できているのだろうか。掌に載るくらい小さな生き物にとっては、去勢/不妊手術自体が危険なものになると思うのだが。
 ペットを実際に捨てた人の声を聞けなかったので本当のところは分からないが、問題の根底にはブラックバスなどの密放流と同じく、人間の対自然観に潜むエゴイスティックな所有感が横たわっているのではないだろうか。つまり自分の楽しみのために既存の生態系を壊してバスを放流してもいい(あるいはするべきだ)という認識と、目の前の生き物の生殺与奪の権利を持ちかつ個人的な罪悪感を逃れるためにその生き物を外に放ってもいい(放つべきだ)という認識とは、同じように既存の生態系が自分の所有物であるという認識がない限り生まれてこないはずではないだろうか。どっちが生態系にダメージを与え、どっちがより個人的かという差はあるかもしれないが、この二つの立場は基本的に同じくらいエゴイスティックに思える。そもそも、ペットを飼うということ自身、相当にエゴイスティックな行為だとも思うのではあるけれど。
 こう考えてみると、ポストペットだのAIBOだのは、案外にペット問題の解決に役立つアイテムになるのかもしれない。

2000年11月04日(土曜日)

小さき人々

23時41分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは久しぶりにガツンとやられた気がする。ロシアの女流作家、スベトラーナ・アレクシェービッチが混迷にあえぐ祖国の様々な人々について語る。
 アレクシェービッチ女史は、ゴルバチョフ政権下の'85年に、WW2時独ソ戦に動員された女性兵士の苦渋を描いた「戦争は女の顔をしていない」で一躍脚光を浴びた気鋭のノンフィクション作家だ。それ以来、アフガニスタン戦争、チェルノブイリなど、ロシアを中心としたスラブ諸国を襲う災厄に関して書きつづけてきた。
 近年、ロシアは2度にわたる崩壊を体験してきた。一つは'91年のソ連邦解体に連なる共産主義社会の崩壊、そしてもう一つはその後に豊かな富を生み出すはずだった資本主義社会の失敗だ。今、ロシアは一部の成功者を除いて、経済的などん底にあえいでいる。日本のそれなど比較にならないほどの破綻だ。人々はかつて信じていたモノたちがあっけなく崩れ去るさまを目の当たりにし、誇りを傷つけられている。
 日本でもそうだが、ロシアでは毎日のように自殺者が電車を止めてしまう。最近、一人の老人がやはり電車の前に身を投げた。彼は独ソ戦緒戦において絶望的状況の中で陥落したブレスト要塞の生き残りの一人、ソ連邦英雄とされた元兵士だった。ブレスト要塞の陥落は、それを予期していなかったスターリンの名誉を傷つけるものとされた。捕虜となった人々はシベリアへと送られ、その存在そのものが抹殺された。ところがフルシチョフ政権が登場するとスターリン批判の格好の題材として取り上げられ、彼らブレスト要塞の生存者たちは逆にソ連邦英雄へと祭り上げられた。この老人はそれに奢ることなく、模範的労働者としてその後の人生を歩んできた。「ソビエト連邦」、「社会主義社会」という枠内での栄誉に、十分に満足していたのだ。ところがそれらの栄誉も、ブレスト要塞での悲劇の後に得た勲章も、ソ連邦の破滅ですべて無に帰してしまった。名誉を得るだけで満足し、決して財産は望まなかったのに、その名誉さえ奪われてしまったのだ。既に老境にあった彼は生きる意味を見失ったのか、ついに自死へと至った。彼の妻は、彼が「休暇に出かける」という書置きだけを残して出て行ったと証言する。彼女はそれを額面どおり受け取ったようで、さして不審に思わず農作業を続けたという。生活は楽ではない、というか苦しい。そのような想像力を働かせる余裕が無かったものと思われる。彼女は「あなたは死んでしまったけど私は生きつづける。あなたより強いのだから」と涙ながらに老英雄をなじるのだ。この言葉は痛ましくはあるけれど、同時になにか救われるような強さを感じさせてくれる。しかしアレクシェービッチはいう。「彼がブレストの罪を負わされたとき、彼は彼女だけのものだった。しかし彼が英雄とされたとき、国家が彼を奪っていった」と。この過酷で醒めた短評は、アレクシェービッチが単なる民衆の代弁者でないことを物語っているように思える。彼女は「権力者は人間の生の声を一番恐れる」からこの仕事を続けているのだと語る。権力者による隠然たる暴力を暴き立てる。そこに彼女の関心があるようだ。
 巨大な権力機構であるソ連崩壊のきっかけになったとさえいえるのが、悪夢のようなチェルノブイリ原発事故だった。アレクシェービッチの故郷は、ソ連邦崩壊により誕生した小国ベラルーシにある。ベラルーシはチェルノブイリ原発が存在するウクライナと国境を接している。そのため、事故が発生したときには莫大な量の放射性物質が降り注いだのだ。その影響は計り知れない。今に至るも多数の人々が汚染地帯での生活を余儀なくされている。
 事故が発生した当初、多くの人は単なる火事だと考えたそうだ。当の技術者たちが原子炉の崩壊という現実を認めたのは、空からの観測や外部の専門家による指摘を受けてからのことだったのだ。そのため、ろくな装備もないまま、あまりにも多くの人が致死量の放射線を浴びてしまった。
 原発のすぐ近くに住んでいた消防士も、事故発生とともに駆けつけ、莫大な量の放射線を浴びてしまった一人だ。その結果、彼自身が高レベルの放射性を持つことになってしまった。看護婦さえも近寄ることを拒んだという。彼は新婚ほやほやで、家では妻が帰りを待っていた。しかし「すぐ戻る」と告げて事故現場に駆けつけた夫が、いつまで経っても帰ってこない。やがて夫は入院しているという情報が飛び込んできた。しかも彼はモスクワの病院に移送されるという。地方の病院では手のうちようが無いほどの事態が、彼の身に起こっていたのだ。
 発電所所属の消防隊が現場に到着したのは、事故発生からわずか5分後のことだったという。この迅速な活動開始は任務を考えれば当然のことではあるが、その結果として十分な情報もなく、闇雲に危険に立ち向かわざるを得なかった。チェルノブイリでの初期の死者は、原発技術者を除けば消防隊に集中している。記録によれば急性放射線障害で倒れた消防士は17人、そのうち6人がモスクワの病院で、手厚い介護の甲斐なく死に至った。彼もその死者のうちに含まれている。莫大な放射線を浴びたとき、彼は現代医療でも手の届かない彼岸に去ってしまっていたのだ。彼はもはや生かされる死人となっていた。
 絶望的な状況にもかかわらず、医療テクノロジーの力、そしてなによりも妻の献身により、彼はその後の数カ月を生き延びた。最後は組織の壊死が全身に広がり、関節が外れてしまうほどの状態になったという。考えるだけでも気が滅入りそうだ。しかし妻の献身は、彼にとって救いになったと考えたい。彼の最後の時間は無駄ではなかったのだと。
 だが彼の死を看取った妻には、チェルノブイリはなおも災厄をもたらした。事故当時身ごもっていたのだが、夫の死後に出産した子供は生まれつき内臓障害を持っており、出産からわずか数時間で世を去った。その後、彼女は別の男性との間に一子を設けたが、その子供も障害を負っていたという。彼女は心の中で最初の夫の面影を追い求め、その肉体は放射線障害の影におびえている。
 事故から14年経った今、チェルノブイリ一帯は住人がいないという意味での無人地帯になっている。しかしチェルノブイリの無事だった原子炉の運転は続いている。これもようやく廃止されることになったようだが。
 チェルノブイリ事故での被災者は3群に分けられる。一つは先の勇敢な消防士、原子炉の技術者など直接被爆したグループ。次にチェルノブイリ原発近辺の清掃、修繕や、事故を起こした4号炉を"埋葬"するための"石棺"作りに携わった労働者、軍人、技術者たち。そして最後に事故による汚染域内にいたため被爆した人々だ。最初の群、次の群も問題だが、今最大の問題となっているのが第3群、汚染地域に住んでいる人々だ。公式には、健康に問題が発生するほど汚染された地域からは住民が退去させられ、別の地域で生活しているとされている。しかし実際には避難範囲である半径30km圏内の外でも汚染はひどく、さらには"無人地帯"にも多くの住人が舞い戻っているという。舞い戻らざるを得なかったのだ。移住先では十分な支援も職もなく、生きてゆくためには汚染されている故地に戻らざるを得なかったのだ。そうした地域では、主に食料からの経口による被爆が続いている。
 そうした食料による汚染を局限しようと、医学アカデミーを辞してまでも被爆量の測定、住民の指導を続けている医師がいる。彼は簡単に被爆量を計測できる機械を製作し、放射線の影響を受けやすい子供たちの調査を続けている。彼には気がかりな子供がいた。その子供は計測の度に異常に高い被爆量を示すのだ。家庭に問題があるとにらんだ彼は、その実際を調査した。すると貧しい小作農である両親は、子供たちの栄養源として牛乳を与えていることがわかった。牛乳は牛のえさ、牛、そして牛乳という方向に濃縮が進む結果、放射能汚染度が高くなってしまう食品だ。当然、医師は牛乳を与えることをやめるよう両親に告げた。しかしそれは無理だと両親は言う。経済的に貧しい彼らにとって、牛乳は他に代替しようのない重要な栄養源なのだ。生きてゆくために、たとえ将来に影響が残るとしても、牛乳を与えることをやめるわけにはいかないのだ。「どうしようもない」と彼らは言う。いかに危険が潜在しているとはいえ、他の道は選べないのだ。
 この状況は、一見して貧困とチェルノブイリ原発事故が重なり合った特異な状況にも見える。だが果たしてそうなのだろうか。
 この農夫の悲劇の根底は、目の前に苦難があっても避け得ないこと。そしてその苦難がいつまで続くかわからないことに端を発する。アレクシェービッチは「これは新しい状況だ」という。戦争とは違うのだと。戦争ならば、戦争が終われば人々が傷つけられることはもうない。生まれてくる子供たちも、恐らくは健常者だろう。だがチェルノブイリで災厄に見舞われた人々にとって、その傷害はいつ果てるとも知らず、将来生まれてくる子供たちにまで影響が残ってしまう。だがそのような状況ならば、僕らの身の回りにも簡単に見出せる。例えば環境ホルモン、例えば薬害エイズ、例えばPCB汚染など、思いもよらないところに顕在化し、しかもそれを避けるのが困難な状況ばかりだ。現代人は、そのような不条理で、しかも後遺症の果てしない苦難に取り囲まれているといっても過言ではないだろう。先の勇敢な消防士と、日本で起こった東海村での臨界事故の犠牲者との類似点を指摘するのは容易だ。アレクシェービッチは「チェルノブイリの惨禍は終わってない。今まさにその状況にある」という。それならば僕らもその状況下にあるといえるのではないだろうか。人間は、今やその全員がチェルノブイリ状況下に生きているのだ、と。
 それにしても、いつもより長い75分の番組は、とても数日では消化できないほど重い内容だった(冒頭の石鹸の話など)。頭を一撃されたように感じる。