Strange Days

2001年04月29日(日曜日)

NHKスペシャル「宇宙 未知への大紀行」

23時18分 テレビ

 今夜は期待のNHKスペシャル新シリーズ、「宇宙 未知への大紀行」第1集が放送された。今回は「降り注ぐ彗星が生命を育む」と題し、彗星がもたらす破壊と恵みとを追跡する内容だった。
 太陽系の周縁部、冥王星軌道の遥か先に、微小な天体が無数に巡っている。オールトの雲と呼ばれるこの領域は、太陽系が生成された時に残された、材料の残りだ。ほとんどが水、すなわち氷で構成されている。
 このオールト雲は、元々は彗星軌道の詳細な解析により、その策源地として予言されたものだ。彗星はこのオールト雲から"転落"した氷のかけらが、太陽系中心部へと落ち込んでゆくことで生まれる。
 現在、地球上の生命の全てが、アミノ酸を基本とする有機化合物により構成されている。ところで、このアミノ酸には光学的特性から左旋系、右旋系という2種類がある。化学的特性はほぼ同一であり、また自然条件で合成すると同量生まれる。ところが、地上の生物が利用しているアミノ酸は、全て左旋系のみなのである。この謎は、生命が使用するアミノ酸が宇宙からもたらされたものだと考えれば解けるという。
 もともと、アミノ酸は星間物質として盛んに生産されている形跡がある。特に太陽系の生成時のような環境では、多量のアミノ酸が生じていた可能性が高い。しかし、地球のような惑星が生まれる時には、無数の天体が衝突し、重力エネルギーを熱に変えてゆく過程で高温になる。そのため、高熱によりアミノ酸は壊され、誕生直後の地球にはアミノ酸が存在しなかった可能性が高い。しかし、その後オールト雲から多数の彗星が飛来し、あるものは地球近傍にて多量の構成物質をばら撒き、あるものは直接地球に突入した。すると既に低温になっていた地表ではアミノ酸は壊されずに蓄積されてゆくことになった。実は、アミノ酸をある種の紫外線にさらすと、右旋系の方が壊されやすいことが判っている。この事から、長期間宇宙を漂っているうちに、彗星内部のアミノ酸は左旋系ばかりになってしまい、それが地表にもたらされたと考えられるのだ。
 彗星は、しかししばしば恐るべき災厄をももたらした。地球の生命史を紐解くと、しばしば大規模な絶滅劇があったことが明らかになっている。数千万年前、地球を大型の彗星が直撃した。カリブ湾奥深くに命中した彗星は、莫大なエネルギーを放出し、付近の海水、地殻を蒸発させ、巨大な津波で近隣の地表をなぎ払った。それだけではなく、遠く離れた地点にも焼け爛れた地表の破片が降り注ぎ、やがて地球規模の大火災を巻き起こした。火災は多量の煤を吹き上げ、大気を暗く濁らせ、光をさえぎった。太陽光を得られなくなった植物は絶滅寸前になり、その植物に連なる食物連鎖の諸相も共倒れになってしまった。地球上に、生物がほとんど存在しない時代が続いたらしいのだ。
 しかし、この大破局は生命に別種の機会を与えた。
 地球に降り注ぐ彗星の数をプロットし、地球の過去の生命種数を重ねてゆくと、驚くべきことに彗星による災厄が増えた時代に、生命層の大爆発が巻き起こっていることがわかった。これは、生命圏の壊滅という危機的状況に、新しい環境に適用することで立ち向かおうとした、生命の苦闘の跡を物語るものだ。地球の複雑な生命圏は、度重なる災厄のストレスがもたらすものだともいえるのだ。
 このように、彗星は地球生命圏のゆりかごとなり、また災厄をもたらす妬みの神ともなる存在だったのだ。いやあ、彗星恐るべし(落ちてきたらもっと恐るべし)。

2001年04月28日(土曜日)

運慶の変貌

23時16分 テレビ

 帰宅して、一息ついてから、国宝探訪を見た。なにやら癒し系の番組だなあ。今回の題材は平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した仏師、運慶だ。
 運慶は源平が争い、結局武士によるヘゲモニーが確立されていった時期に、優れた仕事を残した仏師だった。彼は慶派と呼ばれる仏師集団の棟梁の家に生まれ、やがて仏師を統べる存在となる。
 運慶の若い頃の作品は、平安期の流れを汲む穏やかな風貌の仏たちだった。しかし源平合戦の過程で、慶派の活躍していた奈良の寺院が戦火に遭った。彼は東大寺再建の請願を立て、多くの作品を残していった。それらの多くは、最終的な勝者となった東国武士たちの好みに合わせた、荒々しい感情と張り詰めた緊張感をたたえた写実的な作品だ。そこには平家への怒りもあったのかもしれない。運慶は、時代の潮流に合わせた技法を学び、我が物としていったわけだ。そして、この時期の最高傑作が、東大寺南大門に置かれた阿吽二形の仁王像だった。写実的でありながら、それを大きく誇張することで現実を超えた緊張感を演出して見せたこの大作は、しかしたったの69日で製作されたという。それを可能にしたのは、多くの仏師を統べる棟梁の立場をもって初めて可能になる、徹底した分業体制だった。しかしさすがに製作時間が短すぎたのか、一度作った部分の手直しが数多くあったようだ。しかしそれが緊張感をもたらしたようにも思える。あるいはそれは、天才芸術家だけに可能な奇跡だったのか。
 最晩年、運慶が生きる仏教界は、鎌倉新仏教の興隆期を迎えていた。貴族と僧侶のためのものであった仏教は、法然の専修念仏運動によって最下層にまで自律的に広まりつつあった。そうした流れの中に、また新しい仏像が求められていた。そして運慶は、興福寺北円堂の諸仏でそれに答えたのだ。その中の特に印象的な2体は、無著、世親という古代インドの兄弟僧に題を求めつつ、その顔は日本人の、おそらくは同時代の僧侶の顔をしている。悟りを求めつつも悟りにたどり着けず、しかし怒りを抱くことも諦めることもなく進み続ける彼らの姿は、日々もがきながらも行き続ける道を選ばざるを得ない庶民の心情を反映させたものだったのだろうか。

2001年04月21日(土曜日)

国宝探訪

23時50分 テレビ

 時間が22:00に移動した国宝探訪を見た。今夜の題材は「白描絵料紙理趣経」。平安時代末期に流行した、きらびやかに装飾された仏教経巻だ。厳島神社に平家が奉納した経巻と同類のものだ。
 この経巻の特徴は、経巻の下地に製作途中の絵巻物を使用していることだ。絵巻物の下絵と見られる線画が、そのまま残されている。この経巻の但し書きによれば、後白河法皇が製作を進めていた絵巻物が、法皇逝去により未完成となり、法皇を弔うべく未完成の下絵にそのまま経文を書き込んだという。だから下絵がそのまま残されているのだ。その線画の内容は、一見して源氏物語のような、絢爛豪華な王朝絵巻に見える。実際、そのような意見が多い。
 これに異を唱える向きもある。というのは、この下絵には、ふわふわした毛玉のような、異様なものも書き込まれているからだ。これは物の怪ではないかともいわれる。当時、平治の乱を始めとする戦乱が諸国に巻き起こり、公家政権は危機に瀕し、市中は度々戦火に巻き込まれていた。人心は動揺し、物の怪のような超自然的な存在が広く信じられるようになった。そうした流れの中にこの経巻もあるというのだ。しかし別の意見では、この正体不明の物体は、隠れ蓑を纏って隠身の術を使っている貴族の姿ではないかとする。
 この当時、宮中のあちこちを、隠身の術を使って密かに見回るという筋書きが流行した。恐らく、スキャンダラスな絵物語に使われたのだろう。後白河法皇は絵巻物の収集、製作に熱心で、こうした流行の素材にも熱心だったのだろう。
 絢爛豪華な平安絵巻にミスマッチな題材の気もするが、怨霊の類が頻出することを思えば、そうでもなかったのだろうか。

2001年04月14日(土曜日)

NHKスペシャル

22時51分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは、ロシアのテレビ局が撮影した北方4島の自然を追う番組だった。見たところ、ロシア人はこれらの島をあまり活用して無いように見える。あるいは軍用施設の存在は、あえて隠したのかもしれない。
 これらの島々には、日本の本土では見られなくなった自然が生き残っている。もしもこれらの島々が日本の実効支配下にあったら、恐らくここまで手付かずではいられなかったろう。そう思うと、なんだか複雑な気分ではある。また地名をNHKのナレーションではいちいち日本時代の古名に直していたのが笑える。恐らく、ロシアで放映した時には、カリングラードとかいったロシア名で呼んでいたのだろう。国後などは住民が7000名も住んでいるという。軍事的に占領でもしない限り、国後、択捉の"返還"などありえないように思える。自衛隊には、これらの島を奪還する作戦計画が存在していないのだろうか。

2001年04月07日(土曜日)

番組改編

22時40分 テレビ

 NHKの番組編成が、一部変わっている。土曜夜の国宝探訪、サイエンスアイは生き残った。特に国宝探訪は人気があるのか、22:00に移っている。サイエンスアイは相変わらず。
 ちょっと期待していた未来潮流系、あるいはYOU系番組の復活は無いようだ。