Strange Days

2008年01月14日(月曜日)

NHKスペシャル 「南米の神秘:純白の大砂丘」

23時50分 テレビ 天気:良さそう

 今夜のNHKスペシャルは、ブラジル北部にある大砂丘の話題。
 ブラジル北部にあるレンソイス国立公園、大西洋に沿った海岸にあるそこは、世界一白い砂丘といわれる。真っ白な砂丘が延々と続く様は、この世のものとも思えない。直近の都市からは300kmもの道程を要することもあり、この地は人口もほとんど無い、人間の存在感が希薄な地だ。砂丘地帯の自然環境が過酷なこともあり、従来ここに調査の手が入ることは稀だったという。しかし、雨季乾季という自然のサイクルに合わせ、この地には不思議な命の営みが見られるという。
 年頭、乾季の真っ只中のここに、生命の兆候は見られない。乾ききった砂丘を、海から吹く強い風が動かし、風紋を作り、砂丘の形を変えてゆく。人間が足を踏み入れるのさえ難しい世界だ。生命の痕跡さえまばらだ。ところが、雨季に入ると、この環境が一変する。
 砂丘の上に黒い雲が掛かり、激しい雨を叩きつけてくる。日に何度もスコールが降り注ぐ。だが砂丘に水など溜まりそうに無い。
 ところが、雨季も酣という頃になると、砂丘と砂丘の間の谷地に、無数の池が現れるのだ。何百という青い池が白い砂丘の間に散らばり、砂丘の装いは一変する。
 現れるのは池だけではない。そこにはどこからか生き物もやってくるのだ。池には水草が生え、それどころか魚たちや蛙、亀までもが姿を現すのだ。
 蛙は、乾季の間は砂地の中深くに身を潜めているらしい。乾ききったかに見える砂丘も、実はその砂地を掘り進んでゆくと、やがて湿り気を帯びてくる。その中に潜り込み、乾季の間を生き延びるらしい。
 魚の由来は分からないが、砂丘群奥深くにあるオアシス地帯の、恒常的に存在している池から、池の氾濫時に次第に伝播し、雨季の間はやはり湿った砂地で卵だけが生き延びるようなサイクルを送っていると考えられている。
 しかし、こんな砂丘に、なぜ湿った砂地が。それは、実は雨季に現れる池の成り立ちとも関連している。レンソイスの砂丘群の下には、どうやら水を通さない粘土の層があり、実は豊富な地下水が存在しているらしいのだ。だから砂丘群の地下には湿度の高い砂地が豊富にあり、地下水位が高まる雨季には遂に池として姿を現すというわけだ。
 そもそも、レンソイスの砂丘群は、どのように成立したのだろう。レンソイスの南西に長大な川が流れている。南米らしく高低差の少ない、緩やかな大河で、1000kmほども山岳地帯を流れ、ついにレンソイスの南西に流れ出ている。この山岳地帯を流れる間、多量の土壌を削りだしてくる。ダムの無い川で、削りだされた土壌は、常に土壌同士で研磨され続ける。弱い質のものは砕け散り、比較的硬い石英の砂粒だけが残されるのだ。そうして出来た石英の砂が、今度は海で波の作用を受けるようになる。レンソイスの海岸線は遠浅になっており、岸まで運ばれるのに、10万年掛かるといわれている。その間、砂はさらに強い研磨を受ける。そうして粒の揃った石英の砂が、岸へと打ち上げられ、そこからは強い風が内陸へと運んでゆく。レンソイスの白い砂丘は、そうして出来た、粒の揃った石英の砂が作り出すものだったのだ。
 レンソイスに人跡はまばらだが、中央部のオアシス地帯には小さな村がいくつかある。外部との連絡がほとんど無い場所で、人々は自給自足を絵に描いたような生活を送っている。雨季には風が止むので、海岸まで出て漁をするという。砂丘のどこに水が出やすいか、そんなことも知っている。『都会は忙しないので、ここの方がいい』と長老は言う。若者に聞けば、また別の感想を聞けたかもしれない。
 雨季も終わりに近づくと、レンソイスの生き物たちは子孫繁栄のために必死になる。蛙は早く成長しなければ、消え行く池と運命を共にすることになる。亀も乾季の間生き延びるための栄養を取らねばならない。レンソイス奥深くまで調査している生物学者によると、この蛙*1も亀も、レンソイス特有種なのだそうだ。『レンソイスの生き物たちのことは、まだ全くといっていいほど分かってない』と彼はいう。生物学者にとってはやりがいがある仕事だろう。
 乾季直前、消え行く池を渡り鳥が訪れる。小さくなってゆく池では魚の密集度が高くなり、かつ水深も浅くなるので、魚を取りやすくなるのだ。鳥たちがやってくると、池の消滅までは僅かだ。
 やがて、乾季の始まりとともに、強い風が吹き始め、池は一つ、また一つと消えてゆく。そうして、次の雨季までは、ただ風と砂だけが空を見ているのだろう。
 行ってみたいが、地球の反対側なんだよなあ……。

2008年01月10日(木曜日)

NHKスペシャル「夫婦で挑んだ白夜の大岩壁」

02時00分 テレビ 天気:寒いさー

 昼間あまりにも寝すぎたので、夜になっても眠気がこない。なにか無いかと思い、久しぶりにテレビ番組を調べたら、NHKスペシャルで面白そうなのをやるみたい。
 最近、NHKスペシャルの自然ものを見かけなくなって、もともと見ないテレビを全く見なくなってしまった。全くNHKめが、受信料払わんぞ*1と思っていたものだ。どうやら、平日でもNHKスペシャルを放映するようになって、単発の自然ものはそっちでやるようになったということらしい。
 今夜の再放送は、北極圏に聳える未踏の大岩壁に挑む夫婦クライマーの話題。
 2002年の秋、ヒマラヤの高峰ギャチュンカンで、一組の登山者たちが危機に見舞われた。屈強のクライマー夫婦、山野井夫妻だった。体調不良の妻を置いて、なんとか単独での登頂に成功した夫妻だったが、下山中の雪崩で妙子婦人が宙吊りになってしまう。無酸素登山だったため、予定外の長期行動の結果、二人とも視覚障害を起こしていた。目が見えなければロープを固定するハーケンを打てない。救助と下山のルート確保のため、夫の泰史は過酷な決断を下す。氷点下のヒマラヤで、あえて素手で岩を探り、確実なポイントを探してゆくのだ。『1時間に指1本』を犠牲にしながらも、かろうじて妙子を救助し、二人は半死半生でベースキャンプに生還した。しかし代償は大きかった。泰史は手足合わせて10本の、妙子は18本もの指を凍傷で失ってしまったのだ。クライマーにとってこれは致命的だ。二人のクライマー生命は終わったかに見えた。
 2007年夏。しかし二人はグリーンランドの大岩壁に挑んだ。失った指は取り戻せないが、登坂能力は訓練によってかなり回復できた。往時の6割程度。それでも、山に挑むことは可能になった。指無しでは使いにくい道具をカスタマイズし、再び山を仰ぐ場所に立つことになったのだ。
 あれほどの危険に遭って、なぜ? そう聞かれて、泰史は『楽しいから』と答える。名声を求めるのではなくて、ただ山に登ることが生きがいだし、そもそもそれが楽しいからだという。かつての僕ならばほんのわずかの共感も無かっただろうが、自転車で坂を越えてゆくという苦行に目覚めた*2今なら、なんとはなしに頷けるものがある。
 二人が挑む大岩壁は、氷河から1300mも立ち上がる大絶壁だ。特に途中に聳える絶壁が難所に思われた。ここを3週間の予定で上りきる予定だった。北極圏のここは、夏の時期は白夜だ。行動時間も長く取れ、天候も穏やかで好都合だ。
 同じように指を凍傷で失った先輩登山家の協力を得て、二人は絶壁に取り付いた。この絶壁は比較的傾斜の緩やかなパート、大絶壁のパート、頂上を含む尖塔パートと三つに分けられる。登山はルートを切り開くトップ、それを補助するセカンド、そして後続して荷運びをするサードに役割が分けられている。主に泰史と妙子がトップとセカンドを代わりつつ、ルートを切り開いていった。
 泰史には一つの希望があった。妙子を頂上に立たせたいということだ。ギャチュンカンでもK2でも、妙子は登頂まで成功しなかった。登頂してこその登山だ、と泰史はいいたかった。妙子に登頂の喜びを味わってほしかったのだ。
 絶壁パートでは、やはり困難を味わった。いかに改良してあるとはいえ、基本的に健常者に合わせている登山道具は、指を失った二人には使いにくいのだ。それでも、時に焦らず、時に多少の賭けを犯して、遂には全員が登頂に成功したのだった。
 それにしても、『1時間に指一本』失ってでも、確実なルートを探し、生還の可能性を拓く。そんな決断を僕が出来るだろうか。時々、日本人が戦争に強いように見えることがあるのは、実はこういう決断を下せる血を裡に秘めているからではないかと思うのだが。