Strange Days

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2008年8月31日(日曜日)

NHKスペシャル「幻のサメを探せ ~秘境東京海底谷~」

テレビ 23:51:00 天気:くもりみたい
 今夜のNHKスペシャルは、久しぶりに興味を引く題材だった。
 ミツクリザメ、というのは存在は知っていたが、謎の多いサメだと聞いていた。深海性のサメ*1は、観察が難しいので謎の多い生き物だ。ところが、東京の目の前、東京湾に棲んでいるというのだ、そのミツクリザメが。
 東京湾の出口、むしろ神奈川県と千葉県の間辺りから、相模湾に向けて、深い谷が刻まれている。”東京海底谷”と呼ばれるその谷は、東京湾の浅い海底から、相模湾の深海へと一気に落ち込んでゆくものだ。そしてそこで、数多くのミツクリザメが捕獲されているのだという。
 ミツクリザメは、過去世界中のあちこちで捕獲されてきたが、その数は30例程度で、しかも陸地を離れた深海での捕獲例ばかりだった。ところが、東京湾の出入り口にあるこの深い谷で、近年実に180例も捕獲されたというのだ。なぜ、これほど多くのミツクリザメが見つかるのだろうか。
 番組では、ミツクリザメを捕らえてきた漁師の協力を得て、実際に水中カメラを設置し、さらに漁師の船にも同行し、ミツクリザメを追い始めた。その結果、深海での直接観測には成功しなかったものの、漁師の捕らえたサメを浅海で観測することに成功したのだ。
 ミツクリザメは、水揚げされた成魚と、若魚とで容貌がやや異なっていた。成魚は口吻部が大きく飛び出しているのだ。両者の構造に違いは無いので、恐らくは成魚の方がサイズ的な問題などで飛び出しやすくなっていたのだろう。実は、この口吻部に、ミツクリザメの最大の特徴がある。
 ミツクリザメの顎部は、頭蓋とさらに一対の骨でつながっており、獲物を捕らえる瞬間に顎部ごと飛び出し、食いつくというより噛み取る感じで獲物を捕らえるのだ。その動きは一瞬で、専門家も驚いていたようだ。構造から想像は出来ても、実際の画像を見て初めて知った事もあったのだろう。
 なぜこのような構造を持っているかというと、基本的にミツクリザメは泳ぐのが下手なサメだからという。獲物を追跡することは難しいので、出会ったら必ず捕食できるよう、特殊な構造を獲得してきたのだろう。
 ミツクリザメに限らず、この東京海底谷には深海性の生物が豊富だ。実は、そこには東京湾周辺に広がる3000万もの人口が関わっている。この巨大な都市群で生成される有機物が東京湾に流れ込むと、この海底谷へと落ちてゆく。その有機物を基礎に海底生物たちのヒエラルキーが維持されているのではないかと思われるのだ。
 ミツクリザメは、この海底谷の入り口、東京湾寄りで産卵し、成魚となると相模湾に移動する生活史を持っているらしい。もしかしたら、日本海溝へと連なる日本近海の深海へと、東京湾産のミツクリザメたちが広がっているのかもしれないな。

2008年1月14日(月曜日)

NHKスペシャル 「南米の神秘:純白の大砂丘」

テレビ 23:50:00 天気:良さそう
 今夜のNHKスペシャルは、ブラジル北部にある大砂丘の話題。
 ブラジル北部にあるレンソイス国立公園、大西洋に沿った海岸にあるそこは、世界一白い砂丘といわれる。真っ白な砂丘が延々と続く様は、この世のものとも思えない。直近の都市からは300kmもの道程を要することもあり、この地は人口もほとんど無い、人間の存在感が希薄な地だ。砂丘地帯の自然環境が過酷なこともあり、従来ここに調査の手が入ることは稀だったという。しかし、雨季乾季という自然のサイクルに合わせ、この地には不思議な命の営みが見られるという。
 年頭、乾季の真っ只中のここに、生命の兆候は見られない。乾ききった砂丘を、海から吹く強い風が動かし、風紋を作り、砂丘の形を変えてゆく。人間が足を踏み入れるのさえ難しい世界だ。生命の痕跡さえまばらだ。ところが、雨季に入ると、この環境が一変する。
 砂丘の上に黒い雲が掛かり、激しい雨を叩きつけてくる。日に何度もスコールが降り注ぐ。だが砂丘に水など溜まりそうに無い。
 ところが、雨季も酣という頃になると、砂丘と砂丘の間の谷地に、無数の池が現れるのだ。何百という青い池が白い砂丘の間に散らばり、砂丘の装いは一変する。
 現れるのは池だけではない。そこにはどこからか生き物もやってくるのだ。池には水草が生え、それどころか魚たちや蛙、亀までもが姿を現すのだ。
 蛙は、乾季の間は砂地の中深くに身を潜めているらしい。乾ききったかに見える砂丘も、実はその砂地を掘り進んでゆくと、やがて湿り気を帯びてくる。その中に潜り込み、乾季の間を生き延びるらしい。
 魚の由来は分からないが、砂丘群奥深くにあるオアシス地帯の、恒常的に存在している池から、池の氾濫時に次第に伝播し、雨季の間はやはり湿った砂地で卵だけが生き延びるようなサイクルを送っていると考えられている。
 しかし、こんな砂丘に、なぜ湿った砂地が。それは、実は雨季に現れる池の成り立ちとも関連している。レンソイスの砂丘群の下には、どうやら水を通さない粘土の層があり、実は豊富な地下水が存在しているらしいのだ。だから砂丘群の地下には湿度の高い砂地が豊富にあり、地下水位が高まる雨季には遂に池として姿を現すというわけだ。
 そもそも、レンソイスの砂丘群は、どのように成立したのだろう。レンソイスの南西に長大な川が流れている。南米らしく高低差の少ない、緩やかな大河で、1000kmほども山岳地帯を流れ、ついにレンソイスの南西に流れ出ている。この山岳地帯を流れる間、多量の土壌を削りだしてくる。ダムの無い川で、削りだされた土壌は、常に土壌同士で研磨され続ける。弱い質のものは砕け散り、比較的硬い石英の砂粒だけが残されるのだ。そうして出来た石英の砂が、今度は海で波の作用を受けるようになる。レンソイスの海岸線は遠浅になっており、岸まで運ばれるのに、10万年掛かるといわれている。その間、砂はさらに強い研磨を受ける。そうして粒の揃った石英の砂が、岸へと打ち上げられ、そこからは強い風が内陸へと運んでゆく。レンソイスの白い砂丘は、そうして出来た、粒の揃った石英の砂が作り出すものだったのだ。
 レンソイスに人跡はまばらだが、中央部のオアシス地帯には小さな村がいくつかある。外部との連絡がほとんど無い場所で、人々は自給自足を絵に描いたような生活を送っている。雨季には風が止むので、海岸まで出て漁をするという。砂丘のどこに水が出やすいか、そんなことも知っている。『都会は忙しないので、ここの方がいい』と長老は言う。若者に聞けば、また別の感想を聞けたかもしれない。
 雨季も終わりに近づくと、レンソイスの生き物たちは子孫繁栄のために必死になる。蛙は早く成長しなければ、消え行く池と運命を共にすることになる。亀も乾季の間生き延びるための栄養を取らねばならない。レンソイス奥深くまで調査している生物学者によると、この蛙*1も亀も、レンソイス特有種なのだそうだ。『レンソイスの生き物たちのことは、まだ全くといっていいほど分かってない』と彼はいう。生物学者にとってはやりがいがある仕事だろう。
 乾季直前、消え行く池を渡り鳥が訪れる。小さくなってゆく池では魚の密集度が高くなり、かつ水深も浅くなるので、魚を取りやすくなるのだ。鳥たちがやってくると、池の消滅までは僅かだ。
 やがて、乾季の始まりとともに、強い風が吹き始め、池は一つ、また一つと消えてゆく。そうして、次の雨季までは、ただ風と砂だけが空を見ているのだろう。
 行ってみたいが、地球の反対側なんだよなあ……。

2008年1月10日(木曜日)

NHKスペシャル「夫婦で挑んだ白夜の大岩壁」

テレビ 02:00:00 天気:寒いさー
 昼間あまりにも寝すぎたので、夜になっても眠気がこない。なにか無いかと思い、久しぶりにテレビ番組を調べたら、NHKスペシャルで面白そうなのをやるみたい。
 最近、NHKスペシャルの自然ものを見かけなくなって、もともと見ないテレビを全く見なくなってしまった。全くNHKめが、受信料払わんぞ*1と思っていたものだ。どうやら、平日でもNHKスペシャルを放映するようになって、単発の自然ものはそっちでやるようになったということらしい。
 今夜の再放送は、北極圏に聳える未踏の大岩壁に挑む夫婦クライマーの話題。
 2002年の秋、ヒマラヤの高峰ギャチュンカンで、一組の登山者たちが危機に見舞われた。屈強のクライマー夫婦、山野井夫妻だった。体調不良の妻を置いて、なんとか単独での登頂に成功した夫妻だったが、下山中の雪崩で妙子婦人が宙吊りになってしまう。無酸素登山だったため、予定外の長期行動の結果、二人とも視覚障害を起こしていた。目が見えなければロープを固定するハーケンを打てない。救助と下山のルート確保のため、夫の泰史は過酷な決断を下す。氷点下のヒマラヤで、あえて素手で岩を探り、確実なポイントを探してゆくのだ。『1時間に指1本』を犠牲にしながらも、かろうじて妙子を救助し、二人は半死半生でベースキャンプに生還した。しかし代償は大きかった。泰史は手足合わせて10本の、妙子は18本もの指を凍傷で失ってしまったのだ。クライマーにとってこれは致命的だ。二人のクライマー生命は終わったかに見えた。
 2007年夏。しかし二人はグリーンランドの大岩壁に挑んだ。失った指は取り戻せないが、登坂能力は訓練によってかなり回復できた。往時の6割程度。それでも、山に挑むことは可能になった。指無しでは使いにくい道具をカスタマイズし、再び山を仰ぐ場所に立つことになったのだ。
 あれほどの危険に遭って、なぜ? そう聞かれて、泰史は『楽しいから』と答える。名声を求めるのではなくて、ただ山に登ることが生きがいだし、そもそもそれが楽しいからだという。かつての僕ならばほんのわずかの共感も無かっただろうが、自転車で坂を越えてゆくという苦行に目覚めた*2今なら、なんとはなしに頷けるものがある。
 二人が挑む大岩壁は、氷河から1300mも立ち上がる大絶壁だ。特に途中に聳える絶壁が難所に思われた。ここを3週間の予定で上りきる予定だった。北極圏のここは、夏の時期は白夜だ。行動時間も長く取れ、天候も穏やかで好都合だ。
 同じように指を凍傷で失った先輩登山家の協力を得て、二人は絶壁に取り付いた。この絶壁は比較的傾斜の緩やかなパート、大絶壁のパート、頂上を含む尖塔パートと三つに分けられる。登山はルートを切り開くトップ、それを補助するセカンド、そして後続して荷運びをするサードに役割が分けられている。主に泰史と妙子がトップとセカンドを代わりつつ、ルートを切り開いていった。
 泰史には一つの希望があった。妙子を頂上に立たせたいということだ。ギャチュンカンでもK2でも、妙子は登頂まで成功しなかった。登頂してこその登山だ、と泰史はいいたかった。妙子に登頂の喜びを味わってほしかったのだ。
 絶壁パートでは、やはり困難を味わった。いかに改良してあるとはいえ、基本的に健常者に合わせている登山道具は、指を失った二人には使いにくいのだ。それでも、時に焦らず、時に多少の賭けを犯して、遂には全員が登頂に成功したのだった。
 それにしても、『1時間に指一本』失ってでも、確実なルートを探し、生還の可能性を拓く。そんな決断を僕が出来るだろうか。時々、日本人が戦争に強いように見えることがあるのは、実はこういう決断を下せる血を裡に秘めているからではないかと思うのだが。

2006年2月19日(日曜日)

NHKスペシャル『気候大異変』第二夜

テレビ 23:42:00 天気:降りそうだな
 これ、昨日今日と二日間連続のシリーズなのだ。
 さて、昨夜は超巨大台風と豪雨、乾燥化といった未来の気象異変にワクワクさせられたわけだが、今夜は更にそれを敷衍してゆく。
 地球シミュレータ*1が描き出す未来の地球気象、その変化の予兆は、既に現れ始めているのではないかと考える学者は多い。
 去年、スペインを中心とする欧州南西部、そして南米はアマゾン川流域において、記録的な旱魃が猛威を揮った。スペインの農業は大打撃を受け、アマゾン川は水位が大きく下がった。しかしそれは、去年だけの現象では無い。むしろ未来の姿を先取りしているのだという指摘がある。
 100年後、これらの地域は乾燥化が進む。特にアマゾン川流域のそれは、砂漠化という形で顕在化するだろう。気温が上がると、なぜ乾燥化が進むのだろう。まず土壌から蒸発する水分が増大する。その分を降雨が補えばいいのだが、降雨はむしろ減ってしまう。アマゾン川では、大西洋で蒸発した水分を含む大気が、西進してアンデス山脈に衝突した結果、雲となって雨をもたらしてきた。ところが大西洋の水温が高くなりすぎ、蒸発量が多くなると、以前は内陸部に進んで雲となっていたのが、大西洋の上空でもう雲を形成してしまう。雲が出来るとそこで雨を落としてしまうので、結果的には乾燥した空気しか内陸部にもたらされなくなるのだ。
 雨が減れば、アマゾン川の流水量は減少する。そしてそれは、密林の消滅、草原化、さらには砂漠化という形に繋がってゆく。今世紀末には、アマゾン川流域は広大なジャングルの代わりに、アラビア半島に匹敵する砂漠が出現するだろう。
 気候が変われば、農業への影響は甚大だ。日本の場合、気温上昇の結果、東日本で収穫されている林檎が生育限界を越えてしまい、北海道や高地でしか収穫できなくなるだろう。また西日本の温暖な地域で収穫されている蜜柑は、その生育地が東進し、内陸部で収穫されるようになるかもしれない。
 主食たる米も大きな影響を受ける。かつて稲が育たぬといわれた*2北海道は、生育適地となり、逆に本土は生産量が減少してゆく。農業に関しては、北海道に集約されてゆくかもしれないのだな。
 これに留まらず、熱帯性の病原害虫の侵入なども懸念される。地球温暖化がもたらす気温の上昇は、冬が寒くなくなってラッキーなどとほざいてはいられないものだ。
 はてさて、どうなることだろう。この程度*3の気温上昇など、実は地球の歴史ではありふれたものらしい。とはいえ、そんなありふれた事象の影には、その度に絶滅を余儀なくされた多数の種が存在しているわけで。そこに人類が加わらないよう、足掻いてゆくのだろうか。人類の在り様に大きなインパクトを与えるだろうこの気候変動、果たしてそれを予防する道はあるのだろうかね。

2006年2月18日(土曜日)

NHKスペシャル『気候大異変』第一夜

テレビ 23:31:00 天気:くもり
 今日明日のNHKスペシャルは、久しぶりに面白そうなお話。横浜にある世界屈指*1のスーパーコンピュータ、地球シミュレータは、地球規模のマクロな気象の様子を予測する能力がある。こいつに今後百年間の気候変動因子*2を入力し、今世紀の気候変化の予測を試みた。一度、見学に行ってみたいね。
 この地球シミュレータは、本当にそのようなマクロな気象の変動を予想できるのだろうか。実は、つい最近、地球シミュレータが予測したのではないかと思われる、これまで見られなかった異常気象が発生している。ブラジル南部、ウルグアイとの国境に近い付近には、穏やかな気候に恵まれた、美しい港町が立ち並んでいる。穏やかな温帯性気候であり、激しい風雨を伴う、熱帯性低気圧の類とは、縁遠いと考えられていた。ところが、近年この地を襲った激しい嵐が、実は熱帯性低気圧だったのではないかと考えられている。この近辺を襲った、過去例を見ない激しい風雨のため、甚大な被害がもたらされた。地元の気象台ですら、記録にある限り初めての現象だという。だが、地球シミュレータは、これを予測していたかもしれないという指摘がある。近年の平均気温の上昇を織り込んでシミュレートしたところ、通常は熱帯性低気圧の現れないこの近辺で、それが発生する可能性が示されていたのだ。このことから、地球シミュレータは、図らずも実際の気象変動を予見する能力を持っていると示されたのだ。
 そうなると、今後進むと思われる平均気温の上昇が、こうした激しい熱帯性低気圧を、どれほど大型化、多発化させるのかが気になる。去年、アメリカを襲った超巨大ハリケーン、カトリーヌの威力は記憶に新しい。一般的に、こうした熱帯性低気圧は、水温が高くなればなるほど、発生頻度と強度が上がる。では、今世紀末の気温はどれほどになるのか。
 今世紀末までのCO2の増大傾向は、もっとも楽観的な予測でも700ppmの濃度にまで高まるだろう。その場合、地域によっては、平均4.2度もの上昇になる。それは、一義的には、日本の気象をより南方化させるだろう。東京では、今は11月に紅葉の時期を迎えるのだが、今世紀末には年を越し、正月になって見頃という有様になる。冬は短く、すぐに春がやってくる。桜は3月には咲き、5月には夏そのものの気温になる。夏は9月、10月まで続くだろう。暖かくなるんだからいいじゃないかという声も聞かれそうだが、その分、真夏の酷暑は長引くだろう。
 さて、夏が長くなれば、その分だけ熱帯性低気圧の頻度と強度は増す。なぜならば、海水面の温度が上昇するからだ。去年は記録的な数の台風が本土を襲ったが、それが例年のものになる。さらにカトリーヌを思わせる、強風と高潮を伴った巨大台風も、幾度と無く上陸することになる。日本だけの問題ではない。アメリカにおいても、カトリーヌ級のハリケーンに、しばしば襲われることになるだろう。
 気温上昇がもたらす脅威は、ハリケーンだけではない。より端的に、気温上昇そのものによって、人命が危機に晒されることがある。2003年夏、欧州、特にフランスを襲った熱波は、3万人もの死者を出すに至った。この近辺は、むしろ冷涼な気候の地だ。それゆえ、熱波に対する備えが十分ではなかったのだ。このように、気候の変動は、備えの無い事態をもたらすことにより、多大な被害をもたらすのだ。
 さらに気温上昇は、地球の乾燥化をもたらすと予測されている。日本は九州を除き、今よりも降水量が減る。そうなると、巨大な消費地を抱えた関東は、水の確保に苦慮するようになるだろう。今ですら相模水系はしばしば干上がっているというのに、これはたまらん。ダムの新設ももはや難しい*3。今のような縦割り型水行政は立ち行かなくなるだろう。より遠隔の地と、水を融通できるようにしなければ。
 しかし地球の平均気温が、最大でも6度弱上昇するだけで、この大騒ぎだ。過去の地球では50度もの上昇を記録した時期もあることだが、それが今起こったらどうなることだろう。
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2005年12月04日(日曜日)

NHKスペシャル脳梗塞(こうそく)からの“再生”~免疫学者・多田富雄の闘い~

テレビ 23:15:00 天気:雨だなあ
 夜、NHKスペシャルを見る。脳梗塞で半身不随に陥った、免疫学者の生き様。闘病生活とか日常とかではなくて、まさに生き様と形容すべき内容だった。NHKからの取材申し込みのメールに対し、『私の心が衰える前に』取材して欲しいと返答したエピソードが、心に残った。
 この人は、咽喉の一部、舌の感覚が麻痺しているという。金曜日に歯医者に掛かった時、麻酔を使ったのだが、しばらくは唇と歯の感覚が全く無かった。触ってもつねっても、なにも感じることの無い"肉"が付いているという感覚は、異様なものだ。この人は、それを日常的に抱えているわけだ。しかも、舌という重要な部分さえも。結果、言葉を失ってしまったのだが、執念で言語回復訓練を続け、少しだが発声を取り戻している。
 脳梗塞からのリハビリは、発生から半年が勝負だという。それ以降の期間では、回復の望みは薄い。だが、この人は、4年経った今も続けている。僅かずつでも、麻痺した肉体は新しい反応を見せる。それを糧に続けてゆくことは、人間の尊厳を回復する作業だという。
 この人、免疫学者であると同時に、能にも造詣が深く、最近は新作能の製作に打ち込んでいる。能は生者と死者を自由に登場させるのだが、広島の原爆投下に関する能では、まさに原爆に倒れた死者が、亡霊となって現れる。その画面に戦慄した。死後の世界を弄ぶあまり、死の重みを忘れがちな僕たち現代人にとって、能という表現手段は可能性を持っているのではないか。
 僕も病を心配する歳になったからか、思わず最後まで見ちまったぜ。
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2005年11月12日(土曜日)

NHKスペシャル「ユリばあちゃんの岬」

テレビ 23:03:00 天気:良好
 今夜のNHKスペシャルは、知床の荒々しい自然の中、一人で夏を過ごす、79歳のおばあちゃんの話題。
 北海道西端、北方領土に向けて延びる知床半島は、世界自然遺産に登録されたほどに色濃い自然が残る、日本でも数少ない手付かずの場所だ。特に先端部には人工物がほとんどなく、道路も無く、ここに進むには船で向かうしかないくらいだという。しかしオホーツク海と太平洋の狭間に位置するこの近海は、有数の漁場であり、海産物の宝庫でもある。そんな場所なので、無人の地とはいえ、夏の間だけは漁師が定住する。番屋と呼ばれる小屋を海岸線に建て、そこに寝泊りするのだ。
 半島先端、知床岬に近い赤岩という辺りにも、1軒の番屋が建っている。そこの主は、79歳になるというおばあさんだ。ユリばあさんは、昔から夫とともに漁を営み、死別した後も一人で同じ暮らしを続けている。晩春から早秋に掛けての四ヵ月、一人で水道もガスも電気も無い暮らしを続けている。
 ユリばあさんの獲物は、海岸線に生えるオニコンブだ。昆布は強い波に曝されると根を引きちぎられ、海岸に漂着する。ユリばあさんは、それを拾い集め、天日で乾かし、倉庫に溜めておく。秋口、小屋を退去する際には、1年を暮らすのに十分な金になるという。
 獲物は昆布だけではない。夏の間、この近海は魚の豊富な漁場になる。そしてその魚を狙い、方々から渡り鳥が集まってくる。それらの渡り鳥に狙われた魚たちが、時々海岸に打ち上げられるのだ。ユリばあさんはそれを拾い、食事としている。
 ユリばあさんの仲間は、二匹の犬だ。犬たちはユリばあさんをヒグマから守る役目も果たしている。先日、小屋にヒグマが侵入した時、ユリばあさんは町に出かけていて無事だったが、小屋を守ろうとした犬が噛み殺されている。ヒグマは頻繁に姿を現すのだが、ユリばあさんは泰然と構え、ヒグマへの刺激を控えている。そのせいか、ヒグマもたまに小屋を荒らす程度のこと以上はしない。
 ユリばあさんの隣人は、近くの番屋の漁師たちだけだ。しかし、その番屋までは、険しい斜面を越え、半島を横切らなければならない。ほとんど一日仕事だ。犬たちを連れて出かけるも、番屋は空。不在だった。「こういうこともあるさ」と、ユリばあさんはお土産を残し、また番屋へと帰っていった。しかし、電話も無い暮らしなので、万が一の時の連絡は、近隣の漁師仲間だけが頼りだ。
 帰り道、ユリばあさんは寄り道した。半島の先端部に向かったのだ。知床岬の崖上から眺める海は、雄大なオホーツク海が一望できる。前にも書いたように、ここまでは道路が通じていないので、この場所に立てるのは僅かな人間だけだ。
 嵐になれば、番屋は強い風に打たれる。大波が来ればひとたまりも無い。だがユリばあさんは、翌日が楽しみだという。強い波は、深い場所に生えている良質なオニコンブを打ち上げ、嵐の去った空は天日干に最適な晴れ空をもたらしてくれるからだ。翌朝、案の定の好天に恵まれ、ユリばあさんは張り切って昆布を集め、天日に曝した。ところが、晴れの続くはずの空は、突然の雨をもたらし、せっかくの昆布を台無しにしてしまう。「ゆったりして無いとやってられん」と、ユリばあさんは自然と付き合う心構えを説く。
 初秋、番屋を去る日が来る。ユリばあさんの孫たちが迎えに来る。昆布を全て運び出すと、犬たちとばあさんは番屋を去り、無人の番屋が残される。年明け、流氷がこの海に押し寄せると、もはや海からも陸からも孤絶した岬が、じっと冬の海を眺めながら、春を待つのだ。
 この知床半島。世界自然遺産に登録されて以来、この番屋の存在が問題化するのではないかと言われているようだ。番屋の多く*1は、糞尿の類を海に垂れ流しており、それが環境に影響するのではと懸念されている。少数の漁師ならともかく、番屋ツアーなる名目で半島を漁船で巡るツアーも現れており、観光客のもたらすそれにより、自然環境の汚染が進むのではないかと懸念される。ちょうど、富士登山と同じ構図になるのでは無いかと。
 富士に較べ、自然の許容量が圧倒的に大きいのが救いだが、何らかの規制が現れるかもしれない。だがそれは、自然と折り合いながら暮らしてきた、旧来の番屋暮らしを圧迫するのではないか。
 全ての地に人間が入らねばならぬ理由など無いが、厳しくともあの岬に立つ道だけは残しておいて欲しいなと思う。

2005年7月16日(土曜日)

NHKスペシャル「ディープインパクト~生命の起源に迫る彗星探査~」

テレビ 23:06:00 天気:良好
 今週のNHKスペシャルは、彗星への”爆撃”を敢行した、NASAの彗星探査機ディープインパクトの話題。
 ディープインパクトのターゲットは、地球近傍を頻繁に通過するテンペル彗星だ。前回のハレー彗星接近時以来、彗星の直接観測は何度も試みられている。だがこのディープインパクトの特徴は、インパクターと呼ばれる小型の子探査機を突入させて、彗星の一部を破壊し、内部の組成を直接観測しようという点にあった。インパクターは知能を持つ、一種のミサイルで、衝突起動を修正し、最適な地点に衝突する機能を持たされていた。確か、材質は銅が主体で、これは衝突時に彗星内部から噴出する(だろう)成分と、区別しやすくするためらしい。
 "衝突"は米独立記念日当日だった。首尾よく衝突に成功した、その一部始終は、探査機本体のほか、世界中の天文台でも観測され、その分析が進められた。
 テンペル彗星の表面は、反射能が極めて低い、黒く見える物質に覆われている。過去、観測してきた彗星のいずれも、同じような状況だった。
 衝突の状況からは、どうやら彗星の表面は比較的柔らかく、しかしその下には比較的硬い物質が存在しているようだ。氷主体の核に、黒い物質が降り積もって、層を成しているのではないかと推測される。
 日本の宇宙探査計画のタイムテーブルには、先日打ち上げられた"はやぶさ"後継の計画として、彗星へのサンプルリターンも計画されているようだ。彗星の裸の姿が、いよいよ人類の目に晒される時代がやってきた。
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2005年2月22日(火曜日)

今節のみんなのうた

テレビ 10:55:42 天気:ようやく回復
 最近のみんなの歌は妙に変則的で、ニュース番組の最中に挿入されたりする。おかげで、全部見るのに苦労したではないか。
 歌っている男子の横のおにゃにょ子、何してるのよと思っていたのだが、聾唖者なんだってね。それで歌モノユニットか。お染ブラザース並みの分業制なんだな。可愛いけど、この先ネタが続くのだろうかと心配になってしまう。がんばれ。
 ラシアンなおにゃにょ子が歌っているとか。こぶしが回りまくってド演歌っぽいけど。二度聴いて、主人公の少女がこの城の生き残りなのだとようやく気づいた。
 ああ、いいねこれ。歌っているのはソプラニスタという、女声のソプラノと同じ声域を持つ男性だとか。そういうのはファルセットでやるもんだと思っていたのだが、地声で出せる人もいるらしい。そういうのをソプラニスタというとか。ファルセットでやる方はカウンターテナー。どちらも希少な歌い手だが、ソプラニスタとして名乗りを上げているのは世界でも三人しか居ないとか。ほんまに地声か、という声もあるらしいが、カウンターテナーの場合より低音域がずっと安定しているように思えた。
 歌声は非凡の一言。ジミー・ペイジがロバート・プラントの歌声に初めて接した時、『これだ、この非凡さだ』とZEPPELIN*1の成功を確信したとか。この歌も、この歌声を得たことで、成功を約束されたようなものだ。いや、僕にとってはだけどな。
 歌われる歌詞もいい。あざとい、技巧的な表現に走ることなく、さりとて低俗に走ることも無く、ぎりぎりの線で、永劫の時間と輪廻、そして再会の物語をつむぎあげている。輪廻とは、単に存在が復活するわけではない。不滅の本質が、時を越えて何度も立ち現れ、めぐり合うことなのだ。作詞家はそう主張している。
 アニメはCGを多用しているし、それが*2どうしても目に付いてしまうのだが、それが鼻につく寸前で収めている。そして今までに無かった美麗な色使いで、絢爛たるこの世界を創造しているのだ。キャラがオコジョとイルカという、白いもこもこ系なのが、ちょっとあざといけどな。
 もう、俺様のみんなの歌殿堂入りは確定だ。世紀が変わる頃に放送された『風がくれたメロディ』*3も、何度も聞きたくなって、その度に心が和らいだものだ。この曲も何度も聴きたく、いや見たくなることだろう。

 再放送分。
 幻想系。だがアニメ臭さが鼻につきすぎる。
 冬の定番。これと寒太郎と白い道のヘビーローテーション振りには笑いさえこみ上げてくる。
 犬、いいな。いさましいチビの和犬を飼いたいものだ。って、全然歌の感想じゃないし。
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2005年1月13日(木曜日)

今節のみんなの歌

テレビ 22:22:00 天気:雲が出てきた
 というわけで、久しぶりにみんなの歌を録って見た。
 新曲分。
 美麗なアニメだが、スタジオジブリ周辺の連中を集めて作ったようだ。何度も聞けば良くなるかもしれない曲。
 僕はラップが大嫌いで、特に日本語を乗せたそれは、聞いていると歌っている奴を殺害したくなるほど嫌いだ。醜い音楽だと思う。これもその分に漏れず、一度聞いただけでうんざりした。みんなの歌で嫌いな曲に会えるとは、僕にとっては珍しいことだ。まあ、それがみんなの歌である証なんだろう。
 冬らしく、雪にまつわる歌だね。しかし白熊の爪が怖い。
 再放送分。
 謎の生物。
 真冬といえばこれと寒太郎だな。
 謎過ぎる。帽子の妖精なのか。しかし楽しい。
 傑作! 見てない間にこんな代物が放送されていたとは。しりあがり寿のアニメも、石坂浩二の意味があるのかないのか分からないようなナレーションも秀逸だ。
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2004年11月14日(日曜日)

NHKスペシャル『地球大進化』第6夜「ヒト 果てしなき冒険者」

テレビ 23:07:00 天気:悪化中
 あれ、と思い出すに、第5夜を見逃してしまったこの番組。くそっ、年末年始にアンコール放送するだろうから、ちゃんと見るぞ。
 さて、今夜は第6夜「ヒト 果てしなき冒険者」。年末放送の最終話は総集編らしいので、本編最後の回だ。
 どうやら前回で猿が無事に登場したらしいが、我々人類はその猿の眷属。つまりやっと我々人類に直接つながるご先祖様が登場したって訳だ。山崎努もご満悦なことだろう。
 我々と極めて近い親族関係にある猿の種が、アフリカに生息するチンパンジーだ。人類とチンパンジーは、400万年以上前に、共通の祖先から分かれたとされている。その祖先の種は、当時アフリカ全土を覆っていた熱帯雨林に生息していたらしい。そして彼らから分かれたヒト科最初の種が、アウストラロピテクスだった。
 アウストラロピテクスと猿とを分かったものは、直立歩行する能力だった。どうして直立歩行を始めたのかは分かってない。だが直立歩行は、やがて新しい能力の獲得につながる。歩行の補助から解放された両手は、道具を操作することを可能にしたのだ。アウストラロピテクス後期、彼らが道具の使用を始めた事が、化石の調査で明らかになっている。しかし、彼らの生活ぶりは、恐らくはチンパンジーのそれと大差無かったろうといわれている。実際、彼らの脳の容量は、現在のチンパンジーと大差ない。またチンパンジーにも道具を使用する場合があるということが、報告されてもいる。ただ、アウストラロピテクスは、チンパンジーに比して平地の生活に適応しつつあったと考えられている。直立歩行は、その結果なのだろうか*1
 彼らが平地の生活に適応しつつあった背景には、全地球的な気象変動があった。当時、アフリカ東北部は、二つの理由から乾燥化が進みつつあった。まず大地溝帯の形成。アフリカ大陸を南西から北東に向けて、地溝帯という一種のギャップが生じつつある。これは地球内部から上昇するプルームがアフリカ大陸の乗っているプレートに衝突し、その圧力で大陸が分割されつつあることを示している*2。この地溝帯は動植物相の断絶をもたらすため、主に植物の生息域を分割する結果になった。その結果、北部の比較的乾燥した地域では、乾燥した地域に適した植物が優勢になっていった。
 もう一つ、ヒマラヤ山脈の形成も影響している。インド亜大陸がユーラシア大陸に命中した結果生まれたヒマラヤ山脈は、地球史上最大の山脈だといわれている*3。このヒマラヤ山脈を季節風が越える時、大気は水分をヒマラヤ山脈に落としてゆく*4。そうして乾燥した風は、アフガニスタンからはるかサハラ砂漠に掛けての、広大な地域に吹き付ける。これらの地域の乾燥化が現在進行形なのは、このヒマラヤから吹き降ろす乾燥した季節風が継続しているからに他ならない。
 この乾燥化の結果、樹上生活に適した猿にとって快適な熱帯雨林は消え、開けたサバンナが広がってゆく。人類の祖先が樹上から平地へと進出していった背景には、そうした事情が横たわっているのだ。
 猿は樹上生活に適応した動物なので、熱帯雨林の生活は生存に関わってくる。直接的には、餌が手に入らなくなる。熱帯雨林では豊富な果実も、サバンナでは希少になる。猿から分かれた人類は、まずは果実以外の餌を求めなければならなかったろう。だがこの生存の危機が、その後のヒト科に進化の圧力として働き、急速な進化をもたらしたのだ。
 ヒト科の祖先が人類へとつながる道筋は、過去においてはだいたい一直線に、様々な種を経て漸進的に進化してきたと思われてきた。が、今までに積み上がってきた知識を総括すると、むしろ多種多様な種が同時代に共存し、それら多くの絶滅を経て、結果的に人類が生き残ってきたのだということが明らかになってきたのだ。
 だいたい200万年前。人類揺籃の地であるアフリカにおいて、少なくとも2種類のヒト科の種が共存していたことが分かっている。一つはホモ・エルガステルと呼ばれるすらりとした長身の種、もう一つはパラントロプス・ロブトスと呼ばれるずんぐりした種。見かけ上、あまりに違いすぎる二つの種は、長い間共存してきたと考えられている。
 二つの種を分けたのは、主たる食物だった。ホモ・エルガステルは、恐らくは他の肉食獣の食べ残した肉を漁っていたと考えられている。餌場を渡り歩いて餌を探す必要から、移動に適した体型を獲得したものと思われる。パラントロプス・ロブトスは、植物の根を漁っていたと考えられている。硬い植物の根を噛み砕くために、顎の筋肉が非常に発達していたのだ。これらの食性は、今でもアフリカに暮らす狩猟民族に見られるものだ。食性の違いが二つの種を作り出し、しかも長い間共存していたのだ。しかし、必要に応じてどちらの食物も漁れたらよかったじゃないかと思うのだが、なにか大人の事情があったのだろう*5
 この2種はそれぞれ繁栄したが、次の時代に生き残ったのはホモ・エルガステルの方だった。パラントロプス・ロブトスが滅んだ理由はよく分からない。しかし、ホモ・エルガステル以降の種は、肉食という食性を受け継いだため、脳を大型化させやすかったらしい。それがヒト科の種に新たなる進化の道を指し示したのだろう。
 ヒト科の種は、過去20種も誕生して、人類を残して全て絶滅してきたことが分かっている。それだけ苛酷な環境で生きてきたって事なのだろう。そしていつの時代にも、複数の種が共存してきたらしいのだ。
 人類も、つい最近まで隣人を持っていた。ネアンデルタール人だ。過去においては人類の直接の祖先ではないかと考えられたこともあったが、今は絶滅したホモ・サピエンスの亜種だったという説が優勢っぽい。
 ネアンデルタール人は、氷河期の欧州に勢力を広げ、現存人類=クロマニヨン人と共存していた種だ。寒冷地に適した丈夫な体躯を持っていた彼らは、欧州各地に遺跡を残している。
 ネアンデルタール人は、現存人類に比して、さほど大きな差異がある種ではない。脳の容量はほぼ同じだし、道具も立派に使いこなしていた。事実、ネアンデルタール人は、現存人類と同じホモ・サピエンスの一亜種とされている*6。番組中、山崎努がネアンデルタール人に扮して(いや顔だけな)市中を練り歩いたのだが、'80年代の北野武を思わせる点を除いて、さほど異様には映らなかった。
 にもかかわらず、生き延びたのは我々現存人類だった。我々とネアンデルタール人を分けたのはなんなのだろう。
 ネアンデルタール人の頭骨を詳しく調べると、一つの大きな違いが明らかになってくる。現存人類と、ネアンデルタール人とでは、気道の構造が違い、彼らの方が喉仏の位置が高いのだ。喉仏が高いということは発声器官の長さが短く、現存人類ほど柔軟に発声できなかったことが推測できる。そのことから、ネアンデルタール人は言語を用いることは出来たが、現存人類のような高度なコミュニケーションを持ち得なかったと考えられている。コミュニケーションの発達は、我々現存人類に生物学的装置に拠らない進化をもたらした。この強力なツールは環境の激変期には威力を発揮するはずで、氷河期の終わりとともに訪れた激変期に、現存人類のみを生き残らせる結果につながったのだろう。
 例えてみれば、インターネットに接続可能なハードのみが価値を持ち、そうでないハードは価値を失って駆逐されていった、って感じなのだろう。
 かなり面白かったこのシリーズも、今回で事実上最後。山崎努ともこれでお別れだ。最初はどうなることかと思っていたが、意外にいい仕事したね。

2004年7月17日(土曜日)

NHKスペシャル『地球大進化』第4夜「大量絶滅」~巨大噴火が哺乳類を生んだ~

テレビ 23:36:00 天気:なんだか禍々しい
 毎度毎度、生物に襲い掛かる悲惨な事件が楽しい(爆)この番組。今夜は『大量絶滅』ときたもんだ。期待も膨らむってもんだ(どんな期待だ)。
 毎度、山崎努の語りで始まる。『せっかく苦労してここまで来たってのに、また絶滅かよ』。その通り、人類の生命進化観は、過去の漸進的で継続的なものから、急進的で断続的なものに代わってきた。種の多くが根絶される大量絶滅劇は、過去5回もあったとされる。その中でも、2億5千万年前に起こったペルム期末のそれは、種の95%が途絶えたという凄まじいものだった*1
 ペルム期末、世界中で繁栄を極めていたのは、哺乳類の先祖に当たる、哺乳類型爬虫類だった。この奇妙な名称は、体の構造としては爬虫類の一種に当たるのだが、生活様式には現在の哺乳類の特徴も見られることから名づけられたらしい。一部には温血性の恒温性をもつ種もあった*2
 この絶滅劇、原因は様々に考えられているのだが、注目を集めているのが、プルームテクトニクスと絡められた環境激変説だ。
 この時期、陸地はパンゲアという単一の超大陸に集結していた。この時代だったらグレートジャーニーなんて簡単だったんだなあ。どうでもいいですかそうですか。ともあれ、でっかい大陸が一つ。馬鹿でかい海に取り囲まれていると思いねえ。海洋プレートと大陸プレートとの境目には、プレートが落ち込んでゆく海溝が発達する。日本の南海上にある奴ね。この時期、この超大陸は、周囲をぐるりと海溝に取り囲まれる形になっていた。そして、その海溝からは、潜り込んだ海洋プレートが落ち込み、マントルの中を地球の核へと向けて落ち込んでゆく。核は、超高温*3の内核、溶解した金属によって出来たやや低温の外核によって形成されている。この外核へとプレートが大量に落ち込んだとき、その反動*4で、巨大なプルームがマントルの中を上昇していった。この巨大プルームが、今のシベリア北西部へと衝突したのだ。地球内部から放出された膨大な熱が、巨大な火山活動を引き起こしたのだ。プルームの上昇は、今もシベリアの近くに、大きな裂け目として爪痕を残している。
 この大噴火は、しかしそれほど大きな被害はもたらさなかったろう。巨大な超大陸では、これほどの大噴火でもごく限られた領域に過ぎず、生物たちが逃げ出す余地は十分あったからだ。生物たちに大打撃を与えたメカニズムは、別にあった。
 この噴火は、大量の二酸化炭素を放出し、その温室効果により、地球の平均気温を数度、極地では10度以上も上昇させたものと思われる。その結果、海洋の底深くで異変が生じた。大量に蓄積されたメタンハイドレートを溶解させ始めたのだ。地表に放出されたメタンは、二酸化炭素より遥かに高い温室効果により、さらに地表の温度を上昇させた。それが更なるメタンの放出をもたらすという悪循環が始まり、結果、地表に莫大な量のメタンが放出されることになった。
 このメタンは、大気中の酸素と結びついてしまう。ペルム期、繁栄を極めた植物たちにより、大気中の酸素濃度は30%に達していたという。それが一気に10%前後にも落ち込んでしまったのだ。酸素濃度が1/3にも減少すると、多くの生物は運動能力が激減し、餌を得ることが難しくなっただろう。呼吸が出来ず滅びる種さえあったかもしれない。酸素という活性の高い物質を利用することで、高い運動能力を得てきたのが地球の生物だった。それゆえに、酸素の急減は、大量絶滅の一因として働いたのだった。
 この酸素不足は長い間継続した。その間、地球の生物相は、プルム期末からは一変していた。哺乳類型爬虫類は支配種族の座を滑り落ち、双弓類から進化した恐竜たちが闊歩する時代になったのだ。従来、この劇的な交代劇は、その原因がはっきりせず、諸説取り沙汰されて来た。後々、なぜか*5恐竜が、その哺乳類型爬虫類から進化した哺乳類に取って代わられたことを考えると、その奇妙さは増す。
 原因の一つとして考えられているのが、恐竜たちの呼吸器が優れていたからだ、というものだ。鳥は恐竜から進化したとされている。その鳥と、恐竜との間には、構造上の一致点が多い。首の骨の構造などはそっくりだ。そのことを敷衍してゆくと、鳥が持っているある器官を、当時の恐竜も持っていたことが分かる。気嚢の存在だ。気嚢は吸気を一時蓄積し、肺に流すことで、常に肺に対して新鮮な空気を流入させ続ける器官だ。この存在により、鳥は、そして恐竜は、低酸素の状況下にあって、なお高度な運動性を獲得できたと思われる。最大のライバルである哺乳類型爬虫類との生存競争の上で、恐らくは圧倒的な優位に立っただろう。
 このように、数多くの種が、巨大プルームの上昇によって生じた様々の現象に、直接、間接的に滅ぼされていったのだ。そして恐竜の時代が来た。
 人間の祖先に当たる哺乳類型爬虫類にとって、圧倒的な恐竜の脅威の下、苦難の生活を送る日々がやってきた。だが、彼らも新しい環境への適応を進めていた。一つは横隔膜の発達だ。低酸素濃度に対応するために、肺のサイズを拡大すると共に、迅速に排気するための横隔膜をも所持するようになったのだ。これにより、従来よりは遥かにすばやく動けるようになったと思われる。
 もう一つの画期的な事件は、真の哺乳類への進化だった。胎内で子供をある程度育て、生まれた子を確実に育ててゆく。それは恐竜の脅威の下で暮らす彼らの生存率を、確実に上げる手段だった。そのことが、未来での逆転劇、今度は哺乳類がメインストリームとなる事件の伏線になったという説がある。恐竜が滅びたとき、何らかの環境の激変*6を伴っていただろうという予測は多い。その時、基本的に*7卵を産みっぱなしだった恐竜に対し、子を育て、効率的に資源を受け渡してゆける哺乳類の方が、激変後の適応拡散の時期に大きく有利になれたと思われる。その結果、今度は恐竜が生存競争に敗れたのだ、という説だ。
 なんにせよ、恐竜の脅威下で、人間の先祖たる哺乳類が生まれ、その絶滅と共にいよいよメインストリームに躍り出たわけだ。
次回はお猿さんの登場らしいぞ。
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2004年6月26日(土曜日)

NHKスペシャル『地球大進化』第3夜「大海からの離脱」~そして手が生まれた~

テレビ 23:52:00 天気:雲多し
 毎月、山崎努の顔を拝める(いや別にそれを楽しみにしているわけでは)このシリーズも3回目。今夜は遂に、動物たちが上陸するのだ。
 今から4億年5千万年以上前、三つの大陸が集合して、一つの巨大大陸が生まれようとしていた。どうもローラシア大陸の誕生前夜のことらしいのだが、ローラシア大陸がパンゲア大陸から分かれたのは2億年前くらいじゃなかったっけ? あ、一度形成された後、パンゲアへと集合して、それから再度分裂したのかな。よく分からないな。
 まあとにかく、でっかい大陸が形成されつつあったと思いねえ。この大陸の形成域の中心には、生物の生育に適した広い浅海が広がっていた。当時、海域の住民は、定着性の生物の他、三葉虫、オウムガイの祖先、そして我々の祖先に当たる魚の一種も生息していた。これらの生物は、広大な内海の微温的な環境で繁栄していた。
 従来のプレートテクトニクスは、最近のプルームテクトニクスへと取って代わられつつある。というか、従来のプレート*1の動きにのみ着目したプレートテクトニクスに対し、プレートを駆動するエンジンであるプルーム*2の存在までも組み込んだのがプルームテクトニクス、というべきか。
 このプルームテクトニクスによれば、下降する冷たいプルームは、地殻を強力に引き寄せるので、そこに多数の大陸が集結して、超大陸が形成されるという事件が繰り返し起きてきた。ローラシアの形成もその一環だった。
 先の内海が存在していた時期は長かったが、永続はしなかった。というのは、ローラシアが形成されてしまうと、当然のことながら内海は消滅してしまうからだ。次第に狭くなる内海では、生物の生存競争が激化し、進化圧はより攻撃的な生物の出現を促した。板皮類*3が生物層の頂点に立ったのはこの頃だ。強力な顎を持ち、板皮によって防護力も持つこの類は、現代の魚類の大半の祖先である硬骨魚類に対し、捕食者としての位置に立った。また硬骨魚の多くが依存していた定着性の生物たちは、内海の消滅によりほとんど絶滅してしまう。巨大大陸では、浅海はその周囲のごく狭い範囲にしか存在しないので、面積的にはごく限られていた。
 ヒエラルキーの下層に追いやられた硬骨魚類は、新しい環境への適応拡散を図った。川への進出だった。
 巨大大陸の中央、かつての浅海の跡には、継続されるプレート運動により、巨大な山脈が形成されていった。この山脈に、湿度の高い風が当たると、雲が生まれ、雨が降り始める。このようにして、乾燥した大地から、一転して多雨多湿地帯となった高山沿いの地域には、大きな川がいくつも生まれていった。こうした川に、魚たちは進出して行ったのだ。
 魚たちには先達がいた。植物は、既に陸地への進出を始めていた。そして、昆虫たちも、それに着いて陸地に生息域を広げつつあった。この頃、陸地には、最初期の樹木が森を形成し始めていた。アーキオプテリスという木は、ライバルがいないこともあり、瞬く間に大繁栄を築き上げていった。それ以前の陸地は、日を遮り、水分をためる植物が存在しないことから、ほとんど砂漠化していたと考えられている。ところが、アーキオプテリスが森を作るようになると、強力な直射日光から生き物を守り、適度な湿度も提供してくれる、結構な環境が生まれることになったわけだ。水中生物にとっても事情は同じだったろう。またアーキオプテリスが落とす葉は微生物の活動を活発化し、川に進出した魚を頂点とするヒエラルキーに、しっかりとした基盤をも提供してくれる役割を果たしたのだった。
 ところが、このアーキオプテリスの落とす葉が、魚類に別種の災厄をももたらした。先に書いたように葉は微生物によって分解される。ところがこの時に、水に溶けている酸素をも大量に消費するのだ。水量が豊富で流れているときならば問題は無いが、乾季で水量が激減している時期には、深刻な酸素不足に見舞われることになったのだ。
 これに対し、魚たちが打ち出した対策の一つが、肺を発達させることだった。肺は食道の一部が膨らみ、空気から酸素を取り込めるように発達したものらしい。浅海の激減と比して河川域が長大化したこの時期、肺魚類は急激に発達して行ったようだ。やがて全長5mもの捕食者まで現れるようになった。すると、川という新環境の中にも、改めて生存競争が激化していく結果になったのだ。いやはや、世知辛いもんだ。
 肺魚の一部は、捕食者の脅威から身を隠すべく、アーキオプテリスが落とした枝の影や、川岸に近い物陰に暮らすようになった。こうした場所では、水中を自由に泳ぎまわるのとは別のスキルが必要とされる。
 アカンソステガというこの時代の肺魚には、奇妙な特徴がある。骨で支持された鰭、言い換えれば手足を持っているのだ。この手足には、指もある。しかし、あまりにひ弱で、可動範囲も狭いこの手足では、陸地を移動することは不可能だったはずだ。恐らく、先ほど挙げた川底の狭い環境を移動するのに適した形態だったのだろう。
 最初期の両生類、イクチオステガともなると、手足の造りはより強固になり、また空気中で肺を保持するために肋骨も発達している。イクチオステガは、最初に上陸した両生類の一派だろうと考えられている。そして、重力を浮力で相殺できない新環境の中で、両生類は爬虫類へと発達してゆくのだ。
 40億年も海の中でのほほんと暮らしてきた生物は、陸地という変化の激しい環境の中で、急激に進化の速度を上げてゆくのだ。次回は、どんな大絶滅が待っているだろう!(たぶん愉しみどころが違うと思うな)
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2004年6月12日(土曜日)

NHKスペシャル「永平寺/104歳の禅師」

テレビ 23:33:00 天気:雨らしいが、まだ
 夜、NHKスペシャル「永平寺/104歳の禅師」を見た。あんまり語るような内容はなかったが、一つだけ。この老禅師の語りに満ちる確信が良い。「~だ」と断言する口調には、確かに迷いは感じられない。ある事柄に関して思考することすらやめるという禅の教義に対する疑義はともかく、老僧がそれを確信し、常に実行あるのみという姿勢を貫いてきたであろう事は、その語り口から容易に想像できる。
 思えば、僕たちは悪しき相対主義に毒されるあまり、あらゆることに対して確信を失いつつあるのではないか。たいていの注意深い人は、一流の知識人と目される人々が語るときに、その言葉に添えられる「~と思います」とか「~ではないでしょうか」という確信の存在を疑わせるような一言に気づくだろう。僕はその度に、ああ、確かに相対主義は言論の世界を制圧してしまったのだなと考える。誰一人絶対的な確信をもち得ない言論の世界の現状は、自由度が高い反面、混迷にも溢れた現実世界にはふさわしいものだ。だが、老禅師の確信に満ちた姿勢を見るとき、迷いの無いことが懐かしい。迷いが自由の必然の代償だとすれば、なんとも不自由な世界に生きているとも思えるのだが。
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2004年5月15日(土曜日)

NHKスペシャル『地球大進化』第2夜「全球凍結」~大型生物出現の謎~

テレビ 23:29:00 天気:だんだん……
 第1夜も面白かったこのシリーズの第2夜は、「全球凍結」。
 ニューヨークの中心部に広がるセントラルパーク。その環境が日本人にはうらやましい広大な敷地のそこここに、奇妙な岩塊が転がっている。"迷子岩"と呼ばれるこの岩は、それが乗っている場所のものとは、全く異なる組成を持っている。これらの岩塊は、離れた別の場所から運ばれてきたのだ。その原因として、かつてはノアの箱舟にまつわる大洪水の伝説が挙げられていた。しかし、19世紀の博物学者アガシーが、別の説を(突然の直感により)打ち出した。アガシーは、ヨーロッパ各地に残る迷子岩は、やはりヨーロッパの高山、高緯度地方に残る氷河が運んできたものに違いないと考えたのだ。
 氷河は、降り積もった雪が自重で圧搾され、氷となったものが、地表の高低差によって流れてゆく現象だ。川と変わらんやんけ。しかし、氷河の移動速度は、数m/年程度だ。それでも、万年単位で見れば、数十Km単位で移動するわけだ。氷河は岩を転がしながら、ゆっくりと運んでゆく。セントラルパークの迷子岩も、そうして遠く離れた地から運ばれてきたわけだ。アガシーの説は次第に認められるようになり、やがて定説となった。
 セントラルパークに迷子岩を配達したのは、最近(数万年前)の氷河期だった。この時には、氷河が日本列島でも発達したことが分かっている。この寒冷期は動物たちの移動を促した。当時、陸続きだったシベリアから北米大陸へと、モンゴロイドの一団が渡ったのも、この頃の話だった。生物にとって、気温が大きく低下する氷河期は、大きな脅威だ。しかし、この時の氷河期では、熱帯地方への影響はほとんど無かったと考えられている。地球全体からすれば、深刻な影響は無かったのだ。しかし、遥か以前、遥かに大規模な氷河期が、文字通り地球全体を覆ったことが、近年の研究で明らかにされつつある。
 アフリカ南部の古い地層から、奇妙な岩塊が発見される事例が相次いでいる。その岩塊は、周囲の地層とは組成の異なっているのだ。そのことや、その形状(氷に削られた痕跡が残っているなど)から、それが迷子岩であることは明らかだ。しかし、その地層が問題だ。その地層は、6億年前のものなのだ。その時期、この一帯は、プレートテクトニクスによる移動を考慮すると、赤道直下にあったと考えられている。赤道まで氷河が? すると、それこそ地球全体が凍っていたとしか考えられないじゃないか。全球凍結(スノーボール・アース)という仮説だ。
 6億年前、なんらかの原因で、地球の寒冷化が進行しはじめた。両極の冠氷が発達し、ゆっくりと高緯度地方から赤道へと向かい始めた。この時期のプロセスは緩慢なものだったが、次第に昂進してゆく。というのは、雪原の反射能は森林や砂漠よりも高く、太陽からの光の多くを反射してしまうからだ。その結果、太陽光は地表を暖めることなく、その多くが宇宙へと逃れていってしまう。従って、雪原(氷河なども)が広がるに連れて、加速度的に地球の平均気温が下がっていってしまうのだ。
 この6億年前(原生代末期)の氷河期では、地表を1000mまで氷が覆い、海すら深くまで凍りついたと考えられている。今の地球がそんな状況に陥ったら、人類を含め、大半の生物が滅んでしまうだろう。
 ここで山崎努が登場すると、なぜか和んでしまう。意外にいい仕事をしているような気がする。地殻津波も全球凍結も、なんとなく深刻な事件じゃない気がしてくるから不思議だ。
 ともあれ、全球凍結だ。幸いというべきか、この時代の生物相は、ごく単純なものだった。酸素を生産するグループ。その酸素を取り込んで活動するグループ。そしてメタンを生産するグループの三つに大別される。実は、この全球凍結の契機になった急激な寒冷化は、この3者のバランスが崩れたからだという説がある。そもそも、地球の温暖な環境を保っていたのは、第3のグループが生産するメタンの温暖化効果だった。しかし、この第3グループは、第1グループとの資源の取り合いに負け、次第に少数派へと転落していった。その結果、大気へのメタンの供給が途絶えたというわけだ。
 これらの生物たちにとって、-50℃という環境は、生存が難しいものであったはずだ。実際、南極大陸の奥深くでは、ウィルスさえも死滅するという。しかし、第1夜で取り上げられた巨大隕石(逆に言えば小型の惑星)の衝突という地獄に較べれば、まだしも生存の余地は多いといえる。海洋の底は凍りついていないので、栄養さえ確保できれば生き延びられるはずだ。今、海洋底の熱水鉱床で生きる生物群のように、一部の生物は暖かな環境で生き延びただろう。また地表にも火山活動による温暖な地点はそこここにあり、生物に避難所を提供しただろう。地球の活動に守られ、一部の種は生き延びたに違いない。
 しかし、この氷河期は、原理的には永続するはずだった。一度寒冷化してしまうと、地表の反射能は高止まりとなり、地表が暖まることはもう無い。氷を溶かすきっかけは無いはずだ。しかし、それもまた、地球の活動によって、打ち破られたのだ。
 全球凍結の期間中も、地表の火山活動は続いていた。それに伴って、二酸化炭素も放出され続けただろう。通常、二酸化炭素は、海洋へと大半が溶け込んでしまう。しかし、その海洋が凍りついたため、放出された二酸化炭素は、ひたすら大気中に蓄積されてゆく。そうした期間が数百万年続いた。二酸化炭素は温室効果を発揮し始める。現在の濃度の20倍という高濃度の二酸化炭素により、今度は急激に地球の温暖化が進み始めた。そして氷は解け、氷河は後退し始める。地表と海面が現れはじめ、反射能が低下すると、今度は加速度的に温暖化が進行して行った。-50℃から50℃へと、100℃近い気温上昇の結果、地球は全球凍結を脱したのだ。
 全球凍結の時期を挟んで、地球全体で縞状鉄鉱床の発達が見られる。この点も謎だった。縞状鉄鉱床は、海中の鉄分が酸化し、海中に降り積もったものだ。形成のためには大量の酸素が必要とされる。しかし、生命活動がほとんど途絶えたこの時期に、すぐさま大量の酸素が供給されるとも考えられないではないか。
 いや、供給されたのだ、という説がある。全球凍結の期間中、生命活動の元となる有機物などが、深海底へとひたすら蓄積されていった。なにせ、それを消費するものがいないのだ。全球凍結が解除された時点でも、深海底の資源など、海面や地表にいる生物には、なんの意味も無かった。が、このかけ離れた両者を結びつける気象現象が、この時期の地球では頻発していたかもしれない。今の地球で見られるそれなど、足元にも及ばない規模の、巨大な嵐だ。嵐は、100mもの高波を沿岸部にもたらし、巨大な竜巻を巻き起こした。これほどの規模の竜巻になると、海洋は底に至るまで攪拌されたことだろう。そして海洋から吸い上げられた有機物が、海面へと再進出した生物群と出会った。とりわけ、酸素を生産するグループにとって、ご馳走だったろう。全球凍結が終わり、海洋面が上昇した結果、生物の繁殖に適した浅海面が、数多く生まれたはずだ。それらの楽園で、生物たちは増えに増えていった。海は葉緑素を持つ生物によって緑色に染まっただろう。そしてそれらが生産する酸素が、猛烈な勢いで大気に蓄積されていった。海中の鉄分を還元しても有り余った酸素は、酸素に乏しかった地球の大気を、今の組成に近いレベルにまで変えてしまったと考えられている。
 この時期まで、地球の住人たちは、ごく単純な単細胞生物たちだった。まあ、顕微鏡レベル。ところが、原生代が明け、古生代に入ると、一転して多細胞の大型生物が出現し始めるのだ。例えばエディアカラ生物群と呼ばれているグループは、大きなもので30cm~1mくらい。まあ、ゆらゆら、のろのろ、のたのた、という感じの生き物たちだ。完全に多細胞化し、器官への分化も始まっている。ある生物化石には、脊索の原型らしきものと、目らしきものがあると推測されている。これが正しければ、我々脊椎動物のご先祖様といってよかろう。今までは有名なバージェス生物群のピカイア辺りがご先祖様とされていたので、少しさかのぼったかもしれない。
 しかし、この急激な進化は、なぜ可能だったのだろう。なにせ、生物というものは、誕生以来の30億年、単細胞一筋で通してきたのだから。それをもたらしたものも、実は生物自身が生み出し、大量に蓄積された、酸素だった。
 多細胞生物の構造を作り出しているものには、コラーゲンという物質が関係している。コラーゲンは、例えば骨を形成したり、皮膚を維持したりするのに消費される。このコラーゲンを生産するには、大量の酸素が必要とされる。つまり、コラーゲンの量産が可能になったのはこの時期だったのだ。その結果、生物は急激な多様化へと向かい、エディアカラ生物群を経て、バージェス生物群に見られる、爆発的な適応拡散へと繋がってゆくわけだ。
 まるで地球と、生物と、地球環境の主導権を巡っての戦いとも思える。ドラマチックだね。そりゃあ番組制作者の主観がそう見せているにしても。
 地球環境に対する生物側の攻撃は、今も人類を尖兵として続いている。地球温暖化が取りざたされているが、その終わりから眺めたとき、結局は人類が進行させた地球環境の変化と、その生産物を足がかりに適応拡散していった新しい生物のドラマとして、認識される日が来るかもしれない。例え認識の主体が人類ではないとしても。
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