Strange Days

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2004年2月29日(日曜日)

NHKスペシャル『データマップ63億人の地図』

テレビ 22:33:00
 今夜のNHKスペシャルは『データマップ63億人の地図』第2回「感染症・謎の拡大ルート」
 現在、地球全体に広がりつつある鶏インフルエンザ。その流行は、去年オランダで始まった。そして今年、アジア、アメリカ、欧州のその他の国々に、感染が広がっている。
 去年のオランダでの流行時には、最終的に1億3000万羽もの鶏を処分する結果となり、養鶏業界に大打撃を与えた。しかし、その過程を追うと、政府を中心とした施政者側が、漫然と構えて被害を拡大したとは、必ずしもいえないようだ。
 鶏インフルエンザが発生したのは、オランダ最大の養鶏地帯のさらに北、同国北部でだった。当局は、発生当初から鶏の移動禁止区域を設け、感染拡大を防ごうとした。ウィルスを保持した鶏の移動を禁じれば、鶏インフルエンザの蔓延は防げるという発想だった。ところが、鶏インフルエンザは発生し続け、遂に移動禁止区域外にまで広がったのだ。この原因として、区域内外を行き来する車両に、ウィルスが潜在した鶏の糞が付着し、それが区域外に運ばれたのだと推測されている。微量の糞でも、広い地域に感染を広げるらしい。この辺、一般常識としては想像の外にあり、多くの意識せぬスプレッダーが誕生する結果になったようだ。
 この鶏インフルエンザ、当初は人への感染はありえないとされていた。ところが、感染が広がるに連れ、人への感染例が数多く発見された。それも感染を拡げる一因となったという。
 この疫病が、オランダ最大の養鶏地帯へと侵入することは避けなければならない。そこで、感染区域の南部に緩衝区域を設け、侵入を食い止める方針を打ち出した。緩衝区域の全ての鶏が処分された。しかし、それでも感染拡大は止まらず、ついに養鶏地帯への侵入が確認されたのだった。しかも、この時に最悪の事態が発生した。鶏インフルエンザに感染した医師が、死亡したのだ。この時、人から人へと感染するという、これも従来の認識に無い事態も起こっていた。
 このようにして、打った対策をことごとく逃れて感染は拡大し、最終的に莫大な数の鶏を処分する結果となったのだった。今年、同じように拡大してゆくのか、それとも去年の苦い経験を生かして食い止められるのか、まだ明らかではない。
 一方、アメリカでは、もう一つの思わぬ病気が広がりつつある。西ナイル熱。その名の通り、アフリカ原産のこの疫病が、遠く離れたアメリカ大陸に、着実に広がりつつあるのだ。
 西ナイル熱の発生が最初に確認されたのは、ニューヨークは西クイーンズ地区だった。当初、奇妙な流感だと思われたが、それが西ナイル熱だと判明すると、大きな驚きで迎えられた。遠く離れたアフリカとは、陸続きでもなんでもない。どうしてここにやってきたのか、そしてなにが媒介しているのか。
 一つのヒントとみなされているのが、この地区に二つある国際空港の存在だった。そこにやってくる何かが、ウィルスを保持していたのだろう。しかしなにがウィルスを運んできたのだろうか。推測の一つとして、(密)輸入された鳥が保菌しており、それがニューヨーク一帯にいる蚊に移され、感染が始まったのではないかというものがある。
 米保健当局は、感染区域の蚊を駆除すると共に、感染拡大防止のための手を打った。しかし、事態は予想を超えた展開を見せる。ニューヨークからは離れたボルティモアにも、患者が発生したのだ。その後、更にローリー、フロリダと、アメリカ東海岸を南下するという、不気味な動きを見せた。
 この奇妙な感染拡大について、その原因と目されているのが渡り鳥だ。渡り鳥の飛行ルートの一つとして、この東海岸を南下してゆくルートがあるのだ。その傍証となったのが、皮肉にもその後の拡大ルートの有様だった。アメリカ中西部へと広がっていったのだ。様々なルートで南下してきた渡り鳥たちは、南方の越冬地で共に冬を過ごす。その時、別のルートの渡り鳥にも、ウィルスが渡される。そうして、今度はアメリカ中部を北上する渡り鳥たちにより、西ナイル熱が拡大されていったのだ。
 さらに2002年には、今までに無い爆発的拡大を見せた。アメリカ中部は、長雨の影響で蚊が繁殖しやすい状況にあった。その結果、飛翔距離の長い蚊の一種が大繁殖し、それが感染を広げて行ったのだった。
 拡大の要因は、もちろん自然現象だけではない。遠く離れたカリフォルニアにも、感染がポツリと確認されている。これも、最初のニューヨークの事例と同じく、近くの空港を発着する飛行機(が運んだ何か)を経由したものだと思われる。
 このように、西ナイル熱の急激な拡大は、人為的な原因と自然現象とが併さった結果だと思われるのだ。しかも、その自然現象にも、結局は人間が関与している可能性がある。乾燥した中西部に蚊の繁殖しやすい環境を作ってしまったのは、人間の自然干渉の結果だし、長雨も全地球的な異常気象に一環なのかもしれない。
 かつて、船舶を媒介して、地球全域に猛威を振るったスペイン風邪。その悪夢の再来は避けなければならない。しかし、航空機による物流は、昔とは比べ物にならないほど時間を短縮し、量的にも拡大している。今や感染症は国際問題であり、カリフォルニアに到達した西ナイル熱が次に襲うのは、この日本なのかもしれないのだ。
 感染症には先手必勝だという。しかし、思いもかけぬ事態が連続する最近の感染症対策の現状を見ていると、これは人間の想像力が試されている戦いだとも思えてくる。

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2004年2月15日(日曜日)

NHKスペシャル「カルロ・ウルバニ SARSと闘い死んだ医師の全記録」

テレビ 23:50:00
 今夜のNHKスペシャルは、「カルロ・ウルバニ SARSと闘い死んだ医師の全記録」~ベトナムで何が起きたのか?~
 去年のSARS流行の記憶は生々しいし、鶏インフルエンザの流行も不気味だ。SARSが流行した去年前半には、空気感染するという情報もあって、なかばパニックのようになっていた。事実、東アジアの経済に大きな傷跡をもたらしているのだ。最終的に死者700名を越えた段階で、流行は収まった。だが、もしも一人の医師の命を賭けた奮闘が無ければ、死者は4桁になっていたかもしれない。
 一昨年の初冬、中国広東省で謎の肺炎が流行り始めた。これがSARS流行の発端となったのだが、中国政府は当初、いや病原が特定されるまで、この肺炎が新しい種類のものであることを否定し続けた。現地のWHO関係者は、新型肺炎の全容解明の手がかりを前にしながら、中国国家の秘密主義という大きな壁に阻まれ、最初期段階での流行制圧に失敗していた。結果、SARSは世界各国へと飛び火してゆく。香港、ベトナム、シンガポール、カナダ。市場としての魅力から多くのビジネスマンが行きかう中国は、SARSの"発信元"としてはうってつけだったのだ。だが、早期にSARSに直面したベトナムでは、感染者63名、死者5名と、比較的軽微な損害で切り抜けた。その影には、一人のイタリア人医師の努力があった。
 カルロ・ウルバニ医師は、国境なき医師団を経てWHOに入り、感染症対策の専門家として、当時ハノイに赴いていた。3月、彼の元に、市内の民間病院(社会主義国家ベトナムでは初めての)から、見慣れない症状を見せる患者に関して助言して欲しいという要請が入ってきた。患者は中国系アメリカ人のビジネスマンで、入国時に体調不良を訴え、入院、直後に重症に発展したという。ウルバニ医師は、その症状の進行の早さに疑念を抱いた。通常、肺炎を引き起こすような病気は、重症に発展するまで比較的長い時間を要する。それに対し、この患者の場合は、わずか5日程度。しかも健康な成人をここまで重症化させるような例は、彼の知る限りなかった。ウルバニ医師は出来る限りの治療を試みながら、彼の脳裏に浮かんだ疑念を突き止めようとした。そのビジネスマンは香港を経由してきたという。その中国で流行していると伝えられる肺炎との関連を懸念したのだ。同じものだとすると、ウィルスによる流行性のものであることになる。ウルバニ医師は、在中国のWHO職員と連絡を取り、情報を得ようとしたが、先に挙げた中国の秘密主義体質が、それを阻んだ。
 ウルバニ医師は、これが新しいウィルスによるものであることを確信していた。そのことをWHOの関係者やベトナムの保健政策責任者に説き続ける。しかし、病原や詳しいメカニズムに関して特定するには、時間も情報も不足していた。結局、この患者は、より高度な医療を求め、香港へと搬送されてしまった。しかし、ベトナムにおけるSARS流行は、まさにこの瞬間に始まったのだ。
 程なく、医療スタッフの中から、不調や不安を訴える声が出始めた。そして彼らに、最初の患者と全く同じ症状が現れ始めた。これで病原がウィルスであり、しかも人に感染することが確定的になった。ウルバニ医師は既に取り始めていた院内感染対策を徹底すると共に、患者の聞き取り調査を行い、彼らが最初の患者のごく近傍に接近していた事実を突き止めた。空気感染の懸念は薄れたが、飛沫感染である可能性は強まった。こうしてウルバニ医師が整理した情報は、後にSARSを制圧してゆく過程で大きな意味を持った。
 未知の病気に見舞われたスタッフは、パニック寸前に陥った。それを食い止めながら、ウルバニ医師は国家への働きかけを続けた。当初、ベトナム保健省は事態を軽く見ていた。単なるインフルエンザの変種だろうと見ていたのだ。しかし、ウルバニ医師は、必死に説得を続ける。ここで食い止めないと、流行は爆発的に広がり、手の打ちようが無くなるのだ、と。彼の粘り強い説得が功を奏し、ベトナム政府は国を挙げての感染拡大防止に乗り出した。病院は閉鎖され、既に感染の疑いが濃い患者から隔離されていた一般患者も転院させ、外部との接触を絶った。またウルバニ医師の助言に基づく二次感染対策も徹底された。その結果、やがてベトナムでは感染が食い止められ、いち早く制圧に成功したのだ。WHO側からすれば、国家主義の壁を熱意で乗り越えての勝利、ということだろう。しかしベトナム側から見れば、感染症との闘いに豊富な経験を持つベトナムの国家レベルでの正しい指針の勝利、というところになるのだろうか。
 WHOの診断基準のための骨格となるデータを提供するなど、計り知れない貢献を果たしたウルバニ医師。しかし彼自身も、感染から逃れることは出来なかった。あまりに患者たちと接触しすぎていたのだ。彼はタイに出張という形で出国したところで発病が明らかになり、隔離先の病院で死去した。
 彼の命がけの貢献が無ければ、SARSの流行という事実は発覚が遅れ、さらに診断基準も整わぬゆえに爆発的流行を食い止めるすべが無かったかもしれない。
 もう一人のイタリア人、マルコ・パンターニの死の報に接した夜、別のイタリア人の死に様を知るというのも、奇妙な偶然に思えなくは無い。
 現在、SARSの病原と特定されたコロナウィルスの変種には、ウルバニ医師の名が冠されている。
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2004年2月08日(日曜日)

NHKスペシャル

テレビ 23:09:00
 昼ごろ、まあ近所を走るくらいならと思い、TCR-2で湘南台に出てきた。近所の吉野家で済ませようと思っていたのだが、これがびっくりするような混雑振りだったので、諦めたのだ。多分、吉牛最期の日を前にした駆け込み需要だろう。
 湘南台で湘南家のラーメン(びっくりするほど美味くは無いが、なぜか通ってしまう店)を食ったら、外の冷気で更に喉がつらくなっていた。さっさと帰宅して、また布団に横になっていた。
 21:00からのNHKスペシャルを見た。今夜のNHKスペシャルは見ていて面白い自然科学もの。「探検 溶かされた大地 ~謎の洞窟に原始の命を追う~」
 メキシコの中部を流れる川の支流の一つ、この源流にある洞窟が、世界中の生物学者たちの注目を集めている。この洞窟から流れ出ている細い川は、なぜか白く濁っている。実は、この川には大量の石灰が含まれている。この一帯は、かつては浅い海の底で、大量の貝(牡蠣の仲間)の死骸が降り積もり、それがやがて岩となった地層で出来ているのだ。その豊富な石灰は、川のあちこちに、鍾乳洞に見られる棚田のような地形を作り出している。
 川の源流は、全長500mほどの洞窟に繋がっている。内部は有毒の亜硫酸ガスに満たされており、マスク無しで足を踏み入れるのは危険だ。マスクは有毒物質を吸着するようになってはいるが、フィルタは2時間程度しかもたない。
 洞窟は内部で細かく枝分かれしており、そこここに異様な地形を形作っている。入り口付近にあるのは、まるでなにかに溶かされたような、鋭いナイフのように尖った部分を持つ岩肌だ。また表面がペースト状のものに覆われた岩肌も、更に奥へと行くと見えてくる。岩を溶かしたものの正体は、小さなバクテリアたちだった。この洞窟には亜硫酸ガスを取り込んで、硫酸を排出するバクテリアが生息している。彼らが作り出す強い硫酸が、岩肌を溶かしていたのだ。そのバクテリアが糸状に連なって出来る、異様なものも見つかっている。
 これらのバクテリアはどこからやってきたのだろう。亜硫酸ガスを代謝して硫酸を排出するようなバクテリアは、地表には見当たらない。このバクテリアには、おそらく酸素は活性が高すぎて、有毒なのではないかと思われる。
 実は、このバクテリアは、地中奥深くの岩盤に潜み、地下から噴出する亜硫酸ガスと共に現れたものなのだ。洞窟を満たす亜硫酸ガスは、洞窟内に多数存在する穴から、多くは水と共に噴出している。地殻の奥深くには、マグマから湧き上がってくるガスを代謝して生きる微生物が、多数生息していることが分かってきた。これらの生物の総質量を推定すると、地表に住む生物全体の数倍というとてつもない値が示されている。彼らは、まだ酸素濃度が高くない原始地球に生まれ、葉緑素を獲得した藻類によって酸素濃度が急上昇すると主に、地球の奥底に封じ込められていた微生物たちなのだ。そもそも、生命が誕生したのは、比較的環境の安定した近くの奥底だという説もある。
 洞窟内には、このバクテリアを基底にした生態系が築かれている。洞窟内を流れる川には、洞窟外の下流にも見られる小魚が住んでいる。しかし、洞窟内のそれは、酸素濃度が低い洞窟内の水質に適応した、ヘモグロビンを多量に持つ種類だ。またその小魚を食すウナギの仲間までいる。生息数はごく少ないようだが、これも洞窟内の環境に適応したものだ。蚊やこうもりも生息している。
 洞窟の最深部は、亜硫酸ガスの濃度が特に高く、研究者たちも数えるほどしか足を踏み入れてなかった。ここに入るには、マスクでは能力が不足しており、外部からボンベで空気を供給する型のマスクが使われる。
 そこは濃い亜硫酸ガスが岩の表面に硫黄を析出させ、花畑のように広がった空間だった。美しくはあるが、さりとてマスクを外せば人間は長くは生きていられない。人間にとって苛酷な環境ではあるが、そこに住む生き物たちにとっては、まさに楽園なのだろう。
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2004年1月25日(日曜日)

NHKスペシャル 「データマップ 63億人の地図」

テレビ 23:00:00 天気:晴れ
 今夜のNHKスペシャルは、新シリーズ、「データマップ 63億人の地図」の第1回、2004年いのちの旅、だった。番組は、WHOや各国厚生当局が発表した資料を可視化し、様々な視点で見つめなおし、そこから新しい意味を読み取ろうとする。
 近年、日本は平均寿命という点で、世界最高の地位にある。長く続く平和は戦病死のリスクを減らし、国による統括的な保険政策がそれを裏付けている。こうした良循環が平均寿命を長く保ち続けているのだ。しかし、世界は日本のような幸運に恵まれた国ばかりではない。
 アフリカの小国シエラレオネは、現在の平均寿命がわずか35歳。多くは乳幼児のうちに死を迎える。その主因は、栄養失調だった。
 かつては豊かな農業国だったシエラレオネは、しかし近年の内戦で国土が荒れ果て、農業生産が落ち込んでいる。内戦は多くの人を傷つけ、その傷病が元で無くなる事はもとより、生産性の低下も大きい。国土が平和だったなら、国民を養うことが可能だったろう。平和であったが故に国民を養い続けるのに障害の無かった日本と引き比べると、その違いは際立っている。内戦の原因も、本来ならば大きな富を生み出すはずの鉱山資源(ダイヤモンド)の利権争いに端を発するという。
 世界の平均寿命上位の国は、ある程度必然的ながら、いわゆる先進工業諸国が占めている。世界最強の国家、アメリカ合衆国は、当然上位グループを形成している。ところが、そのアメリカの中でも、地域地域で平均寿命には差がある。その中では最低に属するウェストバージニア州では、肥満が大きな問題になっていた。食うことを止められず、命が脅かされるほどの肥満度に達する人が増えているのだ。なんと、3人に1人が肥満なんだとか。しかも、日本人の肥満とは太り方が違うというか、それは君、人として間違ってるよ、といいたくなるようなレベルに達してしまっている人ばかりのようだ。こうした携行は既に幼少時に見られ、その原因として食生活の変化が挙げられている。
 日本でも、沖縄での肥満の増加が問題になっている。長寿県で知られる沖縄だが、男性の平均寿命は、近年伸び悩んでいる。こちらでも、肉製品主体の食生活への移行が、こうした傾向を生み出しているのだと考えられている。
 先進諸国の中でも、平均寿命が下落している国がある。旧ソ連崩壊によって誕生した国々だ。ロシアでは、平均寿命が5歳も低下したという。大きな戦争が無かったにも関わらず、これほどの急落は異常なことだ。原因の一つとして、社会構造の急激な変化により、市民生活にまつわるストレスが増大していることが上げられている。
 こうして一つの『平均寿命マップ』を読むだけでも、世界各国の現状が目に見えてくる、というのがこのシリーズの狙いなのだろう。理科年鑑の類を読んで楽しんでいた人もいると思うが、一つのデータを別のデータと対比させるだけで(例えば今年の地域別平均気温とインフルエンザ死者数とか)、面白い発見があるものだ。この番組でどんな新しい読み方を提示してくれるのか、楽しみだ。
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2004年1月24日(土曜日)

NHKスペシャル 「ソウルに生きる」

テレビ 23:00:00 天気:晴れだったと思う
 今夜のNHKスペシャルは、「ソウルに生きる」~脱北者たちの歌舞団~
 統一の機運が生まれては、どこかで消失してしまう分断国家、韓国と北朝鮮。'90年代に入ってからの恒常的な経済危機に悩まされている北朝鮮からは、危険を承知で国外脱出を試みる者が後を絶たない。深刻な食糧危機で、餓死者が続出していると言われている。残って死ぬか、それとも国外への一か八かの脱出を試みるかの、二つに一つの賭けに乗ずる人が増えている。
 韓国では、こうして逃れてきた北の元国民に国籍と教育を与え、手厚く保護している。だが、南北の文化の違いから、韓国社会に馴染める者は少ない。番組では、こうした"脱北者"たちの現状を、彼らが結成した歌舞団の活動を追跡しながら、レポートしている。
 脱北者たちは、南北の文化、社会慣習の違い、北の出身であること自体を警戒され、思うように就職できない者が多くを占める。彼らに紹介される仕事は、きわめて条件の悪いものばかりだ。一応、韓国へと入国した際、専用の施設で教育が与えられてはいるのだが、それでも北での暮らしで身に着いたモノは、なかなか抜け落ちないようだ。結果、社会から落伍し、犯罪に走る者が後を絶たない。この点、日本国内での外国人によるそれと較べると、母数が母数だけにかわいらしくさえ見える。いや、日本で比較するべきなのは、中国残留孤児にまつわる事件の方だろうか。日本でも、やはり日本社会に馴染めず、犯罪に走る残留孤児(と家族)がいるという。
 この状況を変えるには、脱北者自身が力をあわせ、自分たちが身に着けた芸を売ってゆくしかない。北で歌舞団に所属していた女性を中心に、北朝鮮の芸能を中心に疲労する歌舞団が結成され、活動を始めていた。
 メンバーには夢があった。彼らが北の芸能を紹介することで、南北の敷居を下げ、統一の機運につなげたいというものだ。だが、仕事は思うように入ってこない。経済的な理由から、始まったばかりの歌舞団からの離脱者が相次いだ。また入ってきた仕事も、北への警戒心を煽りたいという右翼団体(日本での右翼は民族主義に近似しているが、こちらは南北の統一を力で成し遂げようという主張と見た)、客寄せとして利用したい健康器具メーカーなど、彼らの活動目的に沿ったものではなかった。後者の仕事など、ずいぶんまともなものに見えるが、リーダー格の女性はどうやら非常に誇り高く(前の職場を、言葉の訛りをからかわれてやめたという話をも考慮すると)、屈辱的に感じているようだ。だが、生きてゆくためには、そんな仕事でも笑顔でこなして行く他は無い。客の反応は鈍く、決して色よいものではないのだから。
 脱北者たちの受け入れ事業は、将来の南北統一を占う事業と位置づけられ、積極的に推進されてきた。だが潜在的には数十万に及ぶと見られる脱北者の受け入れを無制限に進めると、経済的な負担が大きくなりすぎるという批判が高まっている。一つの曲がり角に差し掛かっているといえる。南北の統一が果たして近未来に実現するのか、実現するとしてもドイツ型の吸収合併式で実現できるのか、予断を許さない。しかし、現実に南へと逃れてきた人々と、韓国社会とのコンフリクトは、様々な形で続いてゆくのだろう。
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2003年6月15日(日曜日)

NHKスペシャル 文明の道「ガンダーラ・仏教飛翔の地」

テレビ 23:00:00 天気:くもり(やや雨っぽい)
 今夜のNHKスペシャルは文明の道第3集、「ガンダーラ・仏教飛翔の地」。
 仏教は今から約2500年前にインドに誕生した。当時のインドにはバラモン教以外にも多数の宗教や宗教が次々に生まれ、それらがしのぎを削っていた。新宗教が次々に興り、そして消えてゆく、宗教の坩堝だった。仏教はそのただ中に、ゴータマ・シッダールタ(これは後世に付け加えられた偽名かもしれない)によって作り出された、新宗教の一つだった。初期の仏教徒たちは、他宗教との、特にバラモン教との論争を通じて、ゴータマの唱えた教義を洗練させていった。古い仏教の説話(スッタニパータなんぞに書いてあるような)を読むと、ここから後世の諸宗派(日本に限っても天台、真言、曹洞、浄土真宗など)のバリエーションが生まれたとは、なかなか信じがたいくらいシンプルなものだ。
 この時代の仏教徒たちは、修行を通して個々人の解脱を目指すという僧侶、その僧侶たちに布施を施すことで現世の罪を祓う在家信者の2クラスに分かれていた。あくまでも自分個人の救済を目指す信者集団という位置付けだったわけだ。
 アレクサンドロスの大遠征は、インド北部にまで至る広大な領域に、いくつものギリシャ人勢力の飛び地を生み出すことになった。紀元前2世紀頃、インド西北部に勢力を張ったミリンダ王(ギリシャ風にはメナンドロス王)は、そうしたギリシャの知的遺産を背負った、賢人王の一人だった。彼は当時のインドに群立する宗教的/哲学的勢力と、活発な論議を繰り返したらしい。その中でも仏教勢力の長老だったナーガセーナとの問答集が残されている。なんだか禅問答というか、東西屁理屈合戦の観も無きにしも非ずだが、その中に既に大乗仏教的な思想を説いた問答も散見されるそうだ。とはいえ、衆生一切の救済を本意とする大乗仏教は形を成しておらず、あくまでも個々人の枠にとどまった原始仏教の形が保たれていた。
 仏教に変革が訪れたのが、紀元後のインド北部、ガンダーラでの事だった。仏教徒は偶像崇拝を禁じてきた。したがって、彼らは崇拝すべき仏像をまだ持たず、もっぱら仏の象徴である法輪を崇めていたようだ。こうした礼拝の形式は民衆に対する訴求力を欠いていたようだ。要するに、原始仏教は伸び悩んでいたのか? それを一気に解決したアイテムが仏像だった。コレを拝めば救われるというのだから、信者集めには便利なアイテムだ。
 初期の仏像にはヘレニズム文明の影響が指摘されてきた。ところが、最初期の仏教遺跡を調査したところ、仏像(それもギリシャ的な彫りの深い造形だ)がギリシャ神話の神々を従えたものが発見されたのだ。さらには、アレクサンドロス大王その人の像が、仏像に従っていると思われる例も発見されている。このことは、インド北西部に残留していたギリシャ人勢力が、初期の仏像の造形に関わってきたことを示唆するものだ。
 仏像を得た仏教は、その教義を次第に変質させて行く。最大の変化は例のガンダーラで起こった。巨大な仏塔が建立され、仏教文化の興隆期を迎えていたこの地で、最初期の大乗仏教思想が起こった形跡が発見されたのだ。極めて古い仏典(椰子の葉や木の皮に書かれたものだった)の中に、大乗仏教思想を語るものが散見されるのだ。
 原始仏教から大乗仏教への変化には、この地の支配者となったクシャン族の影が見え隠れする。中央アジアからこの地までまたがる大帝国を築いたクシャン人に、仏教勢力は取り入ろうとした。そのために、クシャン人を始めとする富裕層に、受け入れられやすい形にアレンジされたのが、大乗仏教の正体だったともいえる。そしてこの時期に、仏教はインドのローカル宗教から、あらゆる民族に浸透して行く世界宗教への脱皮を果たしたのだ。
 しかし、仏像をアレクサンドロスが崇めている構図はインパクトがあったが、考えてみるとほとんど同時代、同時期の出来事なんだな。
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2003年4月20日(日曜日)

NHKスペシャル「文明の道」第一回

テレビ 23:00:00 天気:雨
 今日のNHKスペシャルは、新シリーズ「文明の道」第一回。マケドニアの若き王、アレクサンドロスの大遠征を取り上げる。
 マケドニア、というのは海沿いや平野部にポリス(城壁に囲まれた都市国家)を築き、結果ギリシャ南部に中心があったギリシャ世界からすると、後進の地といってよかった北方にあった。明確なポリスを築いた形跡は無く、アテネのような民主制政治(もちろん大量の奴隷が支えていた)も、スパルタのような極端な階級制度も無い、まあいい加減な国だったらしい。
 そのマケドニアの大飛躍を用意したのが、アレクサンドロスの父君、フィリッポス二世だった。彼は先進諸国に先駆けて金で雇った職業軍人からなる常備軍を持った。この時代まで、ギリシャ諸国では、市民のみが兵役の義務を負い、その代わりに選挙権(市会への出席権など)を手にすることが出来た。このような軍隊は維持費がかからないのだが、その代わりに全ての兵力を一時に動員できるとは限らない。市民が参軍できても、彼らが連れてくる従兵や、生活の苦しい低ヒエラルキーの市民は、参軍できないこともあったのだ。また日常的に訓練を出来るわけでもなく、錬度も限られた。しかし、常備軍にはそれが無い。実は、この時期には先進諸国でも金で兵士を雇うという行為は日常化してはいた。金で雇った兵士を自分の代わりに戦地に送る市民が増えていたのだ。しかしこれは、悪徳と見られ、大々的には推し進められなかったようだ。実際、軍務を負うことで参政権を得るという、義務と権利の対照関係からすれば、これは悪徳に他ならなかったといえる。しかし、後進地故の柔軟さで、常備軍の利点を見抜いていたフィリッポスは、先進諸国では不徹底だった常備軍化を徹底的に推し進めたのだ。ごく当たり前の王権と有力氏族の連合体だったマケドニアでは、民主制のあり方に頭を悩ます必要は無かった。
 もう一つ、先進諸国の衰退も、マケドニアの躍進に道を開いた。ギリシャ世界は、ペルシャという大敵に対し、集合離散を繰り返してきた。初期にはスパルタが先導していたが、海上兵力の大きなアテネがペルシャの海軍を破ってギリシャ世界の防衛に成功すると、今度はアテネの覇権が伸びた。ところが、アテネは対ペルシャ戦のために徴収していたはずの同盟拠出金を、壮麗なペルセポネ神殿などに費やしたため、スパルタら同盟国との軋轢が増大。スパルタと長い戦いを続けた結果、スパルタの勝利に終わったものの、両者ともポリスを成立させていた農耕地が荒廃し、国力は低下してしまった。さらにスパルタの覇権を快く思わない古豪テーベが決起、極端な軍事国家であるスパルタを打ち破ってしまった。そのテーベも、有力政治家の病死などで勢力を落とす。このようにして、マケドニアが王権を確立した頃、遥かに大きな勢力を持っていたはずの先進諸国は、ことごとく地に墜ちていたのだ。マケドニアは対立する諸国を下し、かなり棚ボタッぽくギリシャ世界の覇者となったのだ。
 マケドニアが強かったのは、軍制の改革によるところが大きい。先の常備軍化もその一つだが、もう一つ、強力な槍隊の整備もあった。
 ギリシャ世界の軍制といえば、重装歩兵中心のファランクスが有名だ。ファランクスは縦隊を中心とする縦連携の強い隊形だ。縦には16人程度、横には数十人、時には数千人も並ぶことがあった。そして先頭の兵士が倒れると、後続する兵士が前進して直ちに穴を埋める。ファランクス縦列がそれぞれが隊長に率いられた一隊をなしている。その縦隊を、必要なだけ横に繋げることで、部隊を形成した。しかし、基本的には基本的に前方への攻撃しか考えてない隊形で、しかも最前列の兵のみが戦闘に参加できた。縦隊(ファイル)が32人いても、直接の打撃力は先頭の一人のみなのだ。
 古典的なファランクスの継戦能力は、ファランクスの厚みに比例する。だから戦術単位としてのファランクスでは、大きな部隊を作るかが問題であった。ファランクスの厚みがあれば、そのファランクスは強固で、長時間戦力を維持できる。だがファランクスを厚くしすぎると、横への展開が短くなり、側面攻撃を受ける可能性が高くなる。経験的に最適な一隊の規模が定められていた。各ポリスで最適と思われるファランクスの構成が考え出され、ポリスごとに縦列の深さは変わった(16~32人という線が多かったようだ)。しかし、横長の短冊形という隊形に変わりは無い。だから、その隊形に変化を導入することは、その攻撃力に大きな影響を与えた。
 先に述べた、歩兵の強さで知られたスパルタをテーベが破った戦いでは、左翼側に厚みを持たせた斜形陣が取り入れられ、これが勝利の決め手になったといわれている。斜形陣の分厚い楔の部分で敵のファランクスを分断してしまえば、側面攻撃に弱いファランクスを崩壊させることが出来るからだ。しかし、いずれの陣形でも攻撃可能なのは最前列の歩兵のみだった。
 フィリッポスは、極端に長い槍を導入することで、槍隊の攻撃力を飛躍的に高めた。非常に長い槍ならば、前面の兵士の肩越しに、前方の敵を攻撃することが出来るのだ。しかも最前列の兵士も、このギリシア世界の標準に較べきわめて長い槍のおかげで、敵の攻撃をアウトレンジ出来た。各縦隊の最前列で発揮できる攻撃力は、敵の4倍以上になった(4人以上戦闘に参加できるので)。これじゃあ古典的なファランクスに勝ち目は無い。その結果、先進諸国は、この後進国に膝を屈することになったのだ。なんだかアメリカと欧州の関係みたいだな。
 番組でも取り上げられていたが、マケドニアの長槍(パイク)は扱いが難しく、完全常備軍以外には扱えなかったろう。長い訓練期間を設けることが出来た常備軍の長所の一つだ。
さらに下って、ローマ時代のレギオンになると、今度は投槍が主力になる。単純に長い槍より、より遠距離から攻撃できるので、さらに有利になったわけだ。
 ギリシア世界を制圧したフィリッポスは、今度はペルシャへの報復戦争を始めようとした。彼は小アジアを制圧して、緩衝地帯とするつもりだったようだ。しかし、その出陣以前に、フィリッポスは暗殺されてしまう。
 この暗殺事件は、アレクサンドロスにとって幸運だったかもしれない。というのは、その頃フィリッポスは、王妃(アレクサンドロスの母)と離縁して、別の女に入れ揚げていたからだ。その過程で両者は仲違いし、一時はアレクサンドロスが亡命生活を送ったことさえあった。表面的に和解はしたものの、フィリッポスは新王妃の子が育ったら、そちらに王位を譲るつもりだったともいわれる。ともあれ、アレクサンドロスは、ギリシャ世界を背負って、その表舞台に登場したわけだ。
 アレクサンドロスは、ギリシャ世界の叛乱の動きを抑えると(この時にテーベを完全に滅ぼした。アレクサンドロス最初の大殺戮)、ついに小アジアに侵入した。最初の戦いで危うく勝ちを拾っていこう、ほとんど負け無しで一気にペルシャ帝国を滅亡させてしまったのだ。その要因の一つが、ペルシャ王ダリウスの意気地なさだろう。なにせ、ろくな軍事知識も無いのに前線に口をはさみ、そのくせ、危うくなると何もかも捨てて逃走してしまうのだ。ペルシャ側にも有能なギリシャ人傭兵部隊を始めとする戦力が揃っていたのに、わざわざそれらをドブに捨てるような真似を繰り返したのだ。これじゃあ、圧倒的な国力を持つとはいえ、滅んで当然だ。トップが無能な国家は惨めだ。
 アレクサンドロスも、メソポタミア流域に入る頃までは、もっぱら報復戦争として対ペルシャ帝国戦を戦っていた。しかし独自の勢力を持つアッシリア人の統治に限界を感じた彼は、思い切って『我こそはペルシャ帝国の正当継承者である』などとぶち上げた。そして、ペルシャ帝国の統治機構をそのまま継承する動きを見せた。この方針変更が無ければ、ペルシャ帝国の心臓部への侵攻は、易々とは運ばなかったかもしれない。ギリシャ人たちは、例えば灌漑技術を広く普及させたようなペルシャ式の統治法を学び、我が物にしていったのだ。
 一方、ダリウスは、王都ペルセポリスまで失い、やがて部下の裏切りに遭って死んでしまった。大帝国の君主の、あっけない最期だった。そしてアレクサンドロスは、占領した王宮でどんちゃん騒ぎをした挙句、火を放って完全に焼失させてしまったのだ。ギリシャ世界のペルシャへの報復は、これで区切りがついた。それまでに、アレクサンドロスが殺した人間の数は、恐らくギリシャ世界でぶっちぎりのNo.1になっていただろう。英雄はうずたかく積みあがった死体を踏み越えて、血まみれの覇権を確立したのだ。
 アレクサンドロスは、残ったペルシャ帝国領域を吸収すると、さらにインドへと歩を進めた。ここに至っても彼の軍事的天才は衰えを知らず、大戦力を持つインドの地方君主を、なかばだまし討ちのような形で下している。ところが、その向こうには、さらに巨大な戦力(総兵力数十万といった単位だったらしい)を持つ別の君主が待っていた。その情報に恐れを抱いた部下たちは、ついに前進を拒否した。なにせ、もう一度ペルシャ帝国を征服するのに等しい苦難が待っているに違いないのだから。最後にはアレクサンドロスも折れて、とうとう彼の東征は、インダス川の端で終わったのだ。
 その後、本国の情勢に不安を感じた彼は、一度マケドニアに帰国しようとする。が、その途上、バビロニアで熱病に罹った彼は、あっけなく死んでしまう。まだ余命があれば、彼はフェニキア人が栄えていたカルタゴ地方、さらにはローマ、ガリアへと出兵しただろうといわれている。もしそれが実行されたなら、3世紀後にローマによって達成される地中海世界の統一が、ずっと早まっていたかもしれない。
 その後、この大帝国は、アレクサンドロスの部下たちによって分割され、最終的にはローマと、復興したペルシャ勢力の手に落ちてしまうのだが、それは促成栽培の悲しさだろうか。
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2003年4月12日(土曜日)

NHKスペシャル

テレビ 23:00:00 天気:くもりのち雨
 今夜のNHKスペシャルは、知性派チンパンジーとして知られるアイの子供の話題だった。
 犬山にある京大霊長類研は、霊長類を使った知性の研究で知られている。猿に文字や人間特有の概念(貨幣など)を教え込み、その学習の様子を観察することで、人間がどのように文字を獲得してきたのか、そしてそのコミュニケーションを通じて人間特有の概念がどのように育まれてきたのか、という大テーマを追求している。
 研究所でいちばん有名な猿が、チンパンジーのアイだ。アイは文字を解する猿として知られている。研究者の訓練を通じて、例えば色と文字の対比を記憶し、さらに得た硬貨を欲しいものと交換するという行為を身に着けている。人間が用いている文字を見分け、それと"色"という概念とを結びつけることを学んでいるのだ。
 そのアイが、近年子供をもうけた。アユムと名づけられたオスで、生まれてほど無く、アユムも実験に参加させられてきた。いい迷惑だろうなあ。
 アユムは、半年くらいで色と漢字の対比問題に向かう姿勢を見せるなど、もしかしたら母親以上の天才かと騒がれたものだ。ところが、その後意外なことに、アユムは問題自体にはまったく興味を示さなくなってしまった。もっぱら、アイからのおすそ分けをねだるばかりだった。現金なやっちゃ。
 野生のチンパンジーは道具を使う能力を持つ。木の幹に空いた蟻の巣に小枝を差し込み、蟻を釣り上げる「蟻釣」などに見られる。それを真似た実験として、室内にたくさんのひも状の道具を散りばめ、壁の穴の向こうに見える蜜を「釣り上げる」実験も行われた。アイ親子、そしてもう一組の親子が参加した実験でも、アイはもっぱら母親が釣り上げた蜜のおすそ分けにのみ注意を注ぐのみだった。
 こんなアユムの姿勢に変化をもたらしたのは、実験室の外での成長ぶりだった。同じ年代の子供たちと遊ぶうちに、アユムのコミュニケーション能力は発達していった。そしてそれが外界への興味を引き出したのか、アユムはアイ、そして他の母猿が蜜を釣り上げる行動を観察するようになった。そして、ある時点から自分も蜜釣を試みるようになった。その時、意外にもアユムはアイが選んだ道具ではなく、別の母猿が選んだ道具を使い、蜜を釣り上げようと試みた。彼らが道具の使い方を真似るとき、単純に母子という狭い単位ではなく、群れ全体というより広い範囲で知識を共有しうることを示しているのだろう。そのアイの行動に触発されたのか、もう一匹の小猿も蜜釣を試み始めた。そして、なんとこちらの方が先に成功したのだ。アユムはその手際も詳細に観察し、やがて遂に、母猿たちとは違う、独自の方法で、蜜釣に成功したのだった。野生のチンパンジーが蟻釣技能を修得するのが3歳前後ということを考えると、実験室内での環境は、チンパンジーに早熟をもたらすようだ。
 アユムは色と漢字の対照実験にも成功するようにはなったが、得た貨幣を一つのものとしか交換できないことは理解できてないようだ。まあ、こうした楽しげな実験を通して、実験者である人間自身の根本原理が解き明かされるかもしれないというのは、面白い状況だと思った。
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2003年3月01日(土曜日)

NHKスペシャル「核拡散テロリズム防止最前線」

テレビ 23:00:00 天気:雨
 今日のNHKスペシャルは、旧ソ連を中心とした、核物質拡散の実態を追うものだった。
 内容的に、よく知られたこと、すなわち旧共産圏での杜撰な核物質管理の実態、それを使用した核テロの危険性を取り上げたものだった。
 去年の8月、旧ユーゴスラビア(ここも今は亡き国家の仲間入りか)のセルビアにある核エネルギー研究所から、大量の高濃縮ウランがアメリカに運び出されることがあった。ここは長年、ユーゴスラビアの核研究の中心だった研究所だ。しかし、ユーゴ連邦の崩壊に伴い、潤沢だった資金は途絶え、施設の管理が行き届かなくなってきた。アメリカは大使館を通じてこの施設の実態を調査した。すると驚くべきことに、核爆弾を製造するのに十分な高濃縮ウランが、十分な警備も無いままに在庫されていることが分かった。アメリカとセルビアは話し合いの時間を持ち、これをアメリカが買い取ることで決着させたのだ。アメリカはウランの代価のほか、経済援助も約束したという。それでも、このウランがテロリストの手に渡り、それを使ったテロが引き起こされるよりは、遥かに安上がりなはずだと作戦関係者は主張する。確かに、そうやって製造された核兵器が、紛争地域だけでなく、アメリカの中枢部で使用された場合、どれほどの被害をもたらすか、想像もつかない。その予防が可能なら、確かに高くは無いのだろう。それに、こうやって核関係情報の収集と、友好関係の構築が図れれば、一石三鳥だ。
 同じ問題は、旧ソ連圏にも存在する。旧ソ連では、セミパラチンスクを始めとする核実験場を、中央アジアに置く傾向があった。それらの国家はソ連崩壊と同時に独立を果たしたが、核管理に十分な予算を割けているとはいいがたい。故に、核物質の拡散が進む可能性が大きいのだ。事実、低レベル核物質の盗難は、日常茶飯事といってよいほど起きている。アメリカは、それらの核拡散リスクを低減するために、ロスアラモス研究所など、自国の核研究者の活用を進めている。核拡散のリスクが大きい諸外国の施設に、視察、指導、支援、核物質引き取りの要員として、これらの人員を派遣することを行っているのだ。海外諜報活動と相まって、アメリカは危険な施設の実態を、よく把握しているといわれている。
 さらに、衛星写真から核物質の所在地を割り出す技術を開発するなど、アメリカは核拡散防止に向けた取り組みを強化しつつある。
 この核物質盗難のリスクは旧共産圏だけではなく、もちろん先進諸国やアジア圏にも存在する。日本でも放射性物質の紛失事件が続いていることもあり、楽観は出来ない状況だ。少量の核物質と爆弾を組み合わせただけで、一定地域を使用不能にする"ミニ汚い核爆弾"が製造できるのだ。それがテロリストの手で使われる日が来るのかどうか、恐れながら待つしかないようだ。
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2003年2月16日(日曜日)

NHKスペシャル

テレビ 23:00:00 天気:雨
 今日のNHKスペシャルは、久しぶりの自然シリーズ。北海道の中央にある富良野の森の話題だった。
 富良野は北海道の中央という海から離れた場所ゆえに、日本でもっとも低温になる場所だ。氷点下41度というとんでもない記録も残されている。
 富良野には東京大学の演習林がある。人手が全く入ってない、原始の森の姿が残されている。
 この森には、他の地域では見られないような、珍しい生き物たちが棲息している。
 クマゲラは、日本に生息するキツツキ類の中ではもっとも大きくなる鳥だ。力強い両足で体を支え、強力なくちばしで倒木に穴を穿ち、そこに潜む虫などを捕食する。
 エゾリスはオニグルミなどの果実を取っては、そこら中に埋めて蓄えてしまう。なんだかラブリーな生き物だ。
 また植物相も独特だ。
 この地にはエゾマツという松の一種が良く見られる。その形状は不可思議で、根元の部分が大きく地上から競りあがって、下に空洞が出来ているのだ。
 5月、遅い春がきて、短い夏が去り、あっという間に収穫の秋も過ぎ去ってしまう。そしてやってくる過酷な冬に、生き物たちは生き残るための戦いを繰り広げるのだ。
 冬眠しないエゾリスにとって、秋に蓄えた木の実は生き残るための糧だ。だが、厚い雪の下からどうやって探し当てることが出来るのだろう。エゾリスは嗅覚が非常に鋭く、こんな状況でも匂いでかぎ当てられるのだとか。
 エゾシカは、冬に入ると葉や木の実といった物を口に出来なくなる。彼らが飢えを凌ぐために、森の若木が犠牲になる。すなわち、まだ柔らかいそれらの皮を削ぎ喰らい、飢えを凌ぐのだ。しかしそれも冬が深まると喰らい尽くしてしまい、彼らは餌を求めて争うようになる。幼い子供たちが、この飢えに耐えかねて力尽きてしまうこともある。
 クマゲラは、まだ雪が少ないうちは、そのくちばしで器用に除雪し、暖かい頃と同じように虫を取ることが出来る。しかし、冬が深まり、分厚く雪が積もるようになると、もうそれも不可能になってしまう。倒木には雪が積もりやすいというのもあるのだろう。すると、クマゲラはこの時期にしか見られない不思議な行動を取り始める。通常、クマゲラが虫を探すのは、既に寿命を終えた倒木などの腐った木だ。健康な木には、虫などは寄り付かないからだ。ところが、真冬になると、そうした健康な木に穴を穿ち始めるのだ。健康な木は腐った木よりも組織がしっかりしており、通常よりなお労力が必要だ。しかし、延々と掘り進んだ果てに現れたのは、表面には見られないような黒ずんだ、死んだ組織だった。健康そうな木でも、中心に近づくと組織が壊疽を起こし、そこにアリなどが住むつくことがある。冬のクマゲラは、そうした虫たちを取って、飢えを凌いでいるのだ。どうやって、そんな深部の状況を把握しているのか、これは不思議なことだ。トライ・アンド・エラーで手当たり次第にやっているのだろうか。
 さて、件のエゾマツの根の秘密は? それには、エゾマツ特有の繁殖戦略が関わっている。
 エゾマツは、秋には無数の松ぼっくりを実らせる。そのそれぞれに100以上の種子を格納している。一本のエゾマツが果実させる種は、数万個に及ぶ。しかし、エゾマツの種は雑菌に弱く、地面に落ちると雑菌にやられ、実ることが出来ない。秋、エゾマツは種子の半分を散布させるが、それは実ることなく消えてしまうという。
 冬になっても、エゾマツはじっと種子を抱えている。ある得意な気候の日を待っているのだ。やがてその日が来る。
 極度の低温のために大気中の水分が凍りつき、ダイアモンドダスト現象が発生するような日がやってきた。大気中の湿度は極限まで下がり、また地上も乾ききった風と雪に覆われ、全てがさらさらと流れてしまうような日だ。エゾマツはこの日を待っていた。恐らく、低温と低湿度がキーになっていたのだろう、種子が一斉に放出されたのだ。種子は乾ききった雪原を、風に吹かれて散って行く。雑菌が極端に少ないこの時期なら、雪面に落ちても腐ることは無い。そうして風に飛ばされながら、種子はある特殊な地点を目指すのだ。
 やがて春を迎え、生き残ったエゾマツの種子は、新天地で芽吹く。そこは……力尽きて倒れた倒木の上なのだ。倒木は雑菌が少なく、また栄養も豊富なので、エゾマツの種子には絶好の苗床となるのだ。そうしてすくすく育っていったエゾマツが、大きく幹を伸ばす頃、苗床となった倒木は朽ちて消えてしまう。そして、エゾマツの不思議な形態が形作られるのだ。
 冬は生き物にとって苛烈な季節だが、反面、その生き残りをかけて能力の極限を発揮する躍動の季節でもあるようだ。いや、こっちは傍観者だから気楽なもんだけど。
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2003年2月13日(木曜日)

ビデオデッキ更新したいが

テレビ 00:00:00 天気:いいのかな
 ビデオデッキを更新したいと思っている。更新したいとずっと思っている。なにせ、ウチにある最新のものですら、'95年製造の8mm/VHSのデュアルデッキなのだ。8mmがフェードアウトした今、真剣に後継を考えねばならない。
 巷では回り物(DVD-xなど)が主流になっており、PCとの共用を考えるとDVD系とHDDのデュアル機がいいのかなと思う。しかし、どうせDVDに落とすのだったら、デッキと適当な手段で交信できればいいのだから、IEEE1394インタフェース付の適当なデッキでいいような気もする。そういう意味で、シャープが発表したパーソナルサーバも気になるなあ。実売10万以下だったら、こいつにしちゃうかも。
 なんにせよ、今のデュアルデッキが生きているうちに後継機を決めなければ、手持ちのテープが再生不能になってしまう。こういう時に限って、急に逝っちゃったりしてな。嫌な予感にうなされるような今日この頃だ。
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2003年2月08日(土曜日)

NHKスペシャル「ギリシア正教秘められた聖地・アトス」

テレビ 23:00:00 天気:晴れ
 今夜のNHKスペシャルは、ギリシア正教の聖地、アトスの話題だった。
 正直、ギリシア正教は、カソリック、プロテスタントはおろか、ロシア正教よりなおなじみが無く、そういえばそういう宗派もあったな、という印象だ。
 アトスは、ギリシア北部にある半島の南端に位置するアトス山を中心としている。古く8世紀頃からビザンティン帝国の聖地として名高い土地だ。10世紀前後には最盛期を迎え、100もの僧房が並び立っていたという。
 現在、アトスには20の僧房があり、そこで2000人ほどの修行僧が祈りの日々を送っている。
 アトスの修行僧たちは、用が無ければ僧房の外に出ることは無い。その生涯を、祈りの中に終える。なんか、非生産的すぎないか。
 この地では、外交権を除く自治が確立されており、自前の政府を持っている。15世紀からこちら、厳格な女人禁制を貫いているアトスでは、猫を除いて家畜の雌さえも存在しない。猫だけは、増やして鼠を取らせるためと言う名目で、特別に許可されているという。鼠は家財にダメージを与えるだけでなく、伝染病を広げもするので、格別恐れられたのだろう。
 アトスではビザンチン帝国以来の古制が、いまだに頑なに守られている。ユリウス暦を使用するのもその一つだ。暦も、生活時間も、アトスの外とは大きく異なっている。
 一日は日没とともに終わる。その前後、修行僧たちは、一日のうち最も大切とされる、長い祈りの儀式を執り行う。キリスト教の儀式には疎いのだが、儀式には聖グレゴリオ讃歌とはまた違う、古い歌謡の形式を持った讃歌が用いられているようだ。
 儀式を終えた修行僧たちは、自室に戻り、そこで個々の祈りと、神との対話の時間を持つ。それは深夜、あるいは明け方まで続けられることがある、深い内観の時間なのだろう。
 明け方、まだ日の無いうちに、再び祈りの儀式が執り行われる。それから、ようやく朝餉となる。食事は日に2回だけ。それも、完全な自給自足体制ゆえに、ごく慎ましやかなものだ。
 昼の間、修行僧たちはそれぞれに労働に精を出す。畑を耕すもの、家屋の修繕を行うもの、など。イコンの模写もその一つだ。イコンは正教系の教会に唯一登場する偶像で、定められた道具と手法で模写が行われる。新たにイコンが起こされるということは無さそうだ。いや、身内の僧が聖列された時など、もしかしたら新しいイコンが加えられるのかもしれない。
 アトスには、ギリシア全土だけでなく、ロシア正教や、さらに遠いキリスト教世界からも、数日の滞在のために人々が訪れている。彼等を受け入れ、善導するのも仕事の一つだ。
 僧房を離れて修行する人々もいる。彼らは厳格な僧房の生活を離れるかわり、全てを自給自足しなければならない。ある青年僧は、師匠である老僧とともに暮らしている。彼は幼い頃にスラムに捨てられ、それ以来どん底の生活を送ってきた。俗世間に未練が無いように見える彼にも、実は両親への郷愁が残っており、いまだに断ちがたいという。「自分も50までは(そういった誘惑に)苦しんだ」と老僧も語る。50を越えると、さすがに枯れて来るということか。
 修行僧たちがアトスに入る動機は、様々なものだ。かつては10代でアトス入りするのが普通だったが、今では20台、30台の、一度社会に出た人がやってくることが多いという。ある修行僧は、人間関係や仕事のことで苦しんだ挙句、とうとうアトスでの修行生活を選んだ。この辺、万国共通の現象なのかなと思う。
 アトスは、ビザンティン帝国の庇護の元、10世紀までは大いに栄えた。だが、ビザンティン帝国がオスマントルコに屈服すると、その圧政下、重税に苦しむことになる。しかも、海賊の侵攻にも悩まされることになる。そのような状況のもと、自衛のための武装も備えられていった。今でも、武装した修行僧によるパトロールが続けられている。
 アトスに匹敵するのは比叡山、あるいは高野山辺りだろうか。信仰を持つ人々への評論は措くとして、信仰というものの継続性が、国家の寿命を凌駕するという現実に、目を瞠る思いがする。などと司馬遼太郎風に締めたりしてな。
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2003年1月24日(金曜日)

ブースター使用結果

テレビ 23:00:00 天気:寒いです
 これだけではなんなので、ブースターをば使用しますたというお話をば一つ。
 どうもNHK(だけではないが特に)の写りが悪くなったのだが、どうも長後街道沿いに建ったビルたちのおかげで、受信状態が悪化してしまったように思える。といってビルを爆破するわけにも行かないから、こちらでまずなんとかしなければならないだろう。集合住宅のアンテナを弄るのは怖いので、この間ハンズに行って、ブースターを買って来ていたのだ。それをようやく取り付けた。
 取付前はNHK総合もETVも画面全体に砂の嵐が吹き荒れて、特にETVは視聴に耐えない状態になっていた。ブースターをかますと、総合の方はほぼ満足できる状態に、ETVも少しノイズが掛かるが前より全然マシになった。やはり、うちのアンテナと、NHKの送信アンテナとの間に、どこぞのビルが立ちはだかってしまったようだ。
 とりあえず、これで満足。テレビなんて、見るのはほとんどNHKだけだしな。機会があったら、家主にアンテナのことを言っておこうかと思う。しかし、他の住民はNHKを見ないのかね(受信料を払っているのは僕くらいなのだろうか)。
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2002年12月15日(日曜日)

NHKスペシャル「大河出現」タクラマカン砂漠、ホータン川

テレビ 00:00:00 天気:チョット雲多いかな
 今夜のNHKスペシャルは、久しぶりの自然もの。タクラマカン砂漠に夏の間だけ現れる大河、ホータン川の姿を追う。
 タクラマカン砂漠は一年を通じて雨がほとんど降らない、カラカラに乾ききった砂漠地帯だ。特にその中央部は動くものの姿も稀な死の地帯だ。当然、水を連想させる川、湖など見当たらない。ところが、6月末から3ヶ月だけ、この砂漠の真ん中に大河が忽然と姿をあらわすのだ。
 タクラマカン砂漠の南部には、崑崙山脈の丈高い姿が聳え立っている。白く雪をまとった崑崙山脈には、氷河が発達している。氷河は一年中消えることが無いが、日照時間が伸び、気温が上昇する夏には、その先端部が溶け出して氷河が後退する。溶け出した水はどこに向かうのだろうか。そう、崑崙山脈から見ると低地にあるタクラマカン砂漠に向けて流れ出すのだ。
 五月。この一帯の気温が上昇すると、徐々に増える雪解け水が、砂漠に向かって流れ始める。この頃にはまだ地表を流れる水流はない。しかし水は地下に浸透し、タクラマカン砂漠から遥か北のタリム川に向けて流れて行く。五月下旬、ホータン川出現の先触れとして、タリム川へと向かう地下水路の帯が観測される。この地下の川の水位が上がりきったとき、初めてホータン川が姿を現すのだ。地下水位が低ければ、いくら大量の流水を地表を流れようとしても、すぐに乾燥し切った大地に吸い込まれるだけだ。しかし地下水位が十分高ければ、水は乾燥地帯でも地表に消えることなく、川として流れて行けるわけだ。
 6月。流路に近い町や開拓村では、人々の動きが慌しくなる。タクラマカン砂漠で水を豊富に入手できるのは、ホータン川が現れている3か月の間のことでしかない。それにあわせ、作物の栽培計画を進めなければならないし、灌漑施設も整備しなければならない。開拓村では、入植以来作物の栽培に失敗しつづけてきた農家が、今年の作物に期待をかけている。それがうまく育つかどうかは、ホータン川からの水が一日でも早く引けるかどうかに掛かっている。
 地下水位が上昇すると、乾ききっていた川床が湿り始め、靴で踏んだだけで水が染み出てくるようになる。間もなく、"川"がやってくる。
 上流から生き物のように川床を這いまわりながら下ってきた水流が、人家の近くにまで姿を現した。川の出現は、いつになっても大事件だ。たまたま川床で放牧中だった羊飼いは、大急ぎで羊たちを岸へと避難させた。
 ホータン川は、盛夏にかけてその勢いを増してゆく。方々で堤防が決壊し、その度に近隣の住民が対応に追われる。一日以上道路が使えないと、その近隣に住民に罰金が課せられるのだそうだ。日本とはえらい違いだなあ(日本だと住民が提訴して国が金を払うことになるのだろう)。
 ホータン川は、数百キロの距離を流れて行くのだが、その高低差は僅か100mくらいだという。そんなわけで、川は僅かな低地や障害物で流れを変えながら、離散、集合を繰り返して行く。だが、タリム川が近づくと、次第に一つの大きな流れにまとまって行く。そして、やがてタリム川へと合流する瞬間を迎える。ホータン川貫流の瞬間だ。
 ホータン川は9月に入ると勢いを失い、次第に川床へと消えてゆくのだろう(番組ではここまでは放送しなかった)。しかし、大河が現れ、消えるという驚異を毎年目にしている人々は、他の地域の人間たちとは自然観が異なっているのかもしれない。
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2002年12月07日(土曜日)

NHKスペシャル「変革の世紀」

テレビ 00:00:00 天気:雨ですぜ
 今夜のNHKスペシャルは、「変革の世紀」。このシリーズも最終回だ。
 冷戦終結後に明らかに変わり始めた富のあり方は、日本型企業にも大きな変化を強要し始めている。狂牛病対策費を国家からだまし取ろうとした日本ハムでは、若手社員を中心に企業風土を変えようという運動が進められている。従来、日本ハムという企業の中で、いくつもの独立性の高い部門が競い合って、売上高の高さを競うというあり方が続けられて来た。しかしこの形態は、企業内部に縦割り社会を作り出し、企業内部の風通しを悪化させるという弱点がある。今回の不正でも、現場(直轄子会社)による不正は直属の部門で握りつぶされ、内部告発により初めて外部に知られる結果になった。日立という会社も強い縦割り型なので、けっこう耳が痛い話だ。
 直接的に内部告発を奨励しようという動きは、NECなどの電機系大手にも広がっている。内部告発専用のメールアドレスを公開して、内部からの声を直接中枢に吸い上げようという意図だ。これにより、社内の不正が大きくなる前に、対策を打てたという。しかし、これは一種の秘密警察ではないだろうか。インターネットアクセスに対するフィルタリングもそうなのだが、本来は社内の個々人の活動は、その当人の裁量に任されるべきだ。エロいウェブの閲覧がけしからぬということなら、単にその社員のアクセス量が、生み出す利益に見合ってないという事実を指摘して、是正を迫るべきだろう。フィルタリングという非インテリジェントな手段はやりすぎだと思うのだ。同じように告発のような手段も、と書きかけて、告発の場合は告発者、告発受理者というそれぞれの段階で知的な判断が期待できるからいいのか、と自己解決してしまったりしてな(ダメじゃん)。しかし、内部告発はその性質上告発者を隠蔽しなければならないので、社内競争で足を引っ張る手段として悪用されるかもしれない。またそれとは逆に、情報の質から告発者が特定されてしまう可能性も高い。告発者を保護しながら、制度を悪用されない仕組みが不可欠だ。
 番組では音楽産業界からの主張をほぼそのまま取り上げて、「(不正)コピー=悪」という図式を強調しながら、著作権の保護を不可欠とする内容を放送した。だが、いわゆる不正コピー問題の根本には、消費者の側からすれば問題とは思えない行為までの排除を強要されていることに対する、強い反感が横たわっているのではないだろうか。さらにいえば、"権利"というもののあり方自身が変わりつつあるのだ。
 例えば音楽CDをコピーして友人に渡すこと。あるいは歌詞(の一部)をウェブで引用すること、などが、"権利者"の側から"不正"とされている行為だ。しかし、前者はともかく、後者が本当に権利侵害に当たるのだろうか。歌詞を一つ引用する毎に、"権利者"の儲けが減って行くなんて信じられるだろうか。それが『歌詞を引用する毎に課金する仕組みを作れば儲かるはずなのだから、これは侵害である』という主張に基づいているのなら、僕はいくらなんでも権利の濫用に過ぎないだろうと思うのだが。だいたい、自由な引用を拒むということは、自由な批評をも拒むということだ。それは市井に新たな才能が育ちにくいということを意味する。前者の行為も、同じように濫用されれば、自由な才能を育てる機会を失わせることにつながらないだろうか。
 権利者側の主張を言い換えれば、金のない者は音楽を聴くなということになる。タダでは聴かせないと。だが先人たちの無償の膨大な蓄積の上に成り立っているくせに、自分たちの持ち物だけはしっかり有償とする価値観は奇形的ではないだろうか。いったい、ただ単に"今"存在しているというだけで、音楽という巨大な共有財産のあり方を決定付けられるなどと、彼らはなぜ思い上がるのだろうか。
 よしんば音楽産業が成り立たなくなったとしても、それで誰が、どれほど困るというのか。産業界の人々を除けば、誰も困らないのではないだろうか。社会現象として容易に思いつくのが、メガヒットが出にくくなるという点だろう。これという大ヒットは無くなるかもしれない。実際、音楽CDのメガヒットは、このところ急激に減っている。しかし、それらの急激なヒットは、結局は音楽産業自身の作り出したもので、聴く側からすればどうでもいいことだと思う。例えばBeatlesだのDeep Purpleだのだって、あんな大ヒットにはつながらなかったかもしれない。でも僕は、本当に良いものならば常に売れ続け、結局世に広く知られるようになるのだと信じている。今は音楽産業の背後に隠蔽されているCD製作手段が、インターネットを介してクリエータと結びつくようになるまで、あと一歩だと思う。そうなれば、ますます産業界はその存在意義を問われるようなるだろう。音楽産業があるから音楽があるのではない。ハードロックだのポップスだのという産業音楽に音楽産業(なんの洒落だ)が深くかかわっているのは認めるにせよ、結局はそれらだって一つの必然として登場しただろうと思うのだ。音楽産業はプロモーターだったかもしれないが、自身がクリエーターだった例は無いじゃないか。それなのに自らが文化の創造者であるかのように振る舞うとは、なんという思い上がりなのだ、はあはあ(なにを興奮しているのだ)。
 こう考えると、本来の権利者を取り込もうという産業界(音楽に限らず文芸、美術などなど)の動きは剣呑に思える。なぜならば、本来のクリエーターたちが主張するとき、正面切って反論しづらい雰囲気が醸し出されるからだ。しかし、クリエーターたちは、自由な批評を最も必要とする部分であるはずだ。本来ならばクリエーターとコンシューマーがサシで話し合えばいいものを、中間搾取しているに過ぎない産業界が出てくるから話がややこしくなるのだ。コンピュータ産業(特に無形のソフトウェア産業)にも無縁な話ではない。
 そういう意味で、番組中登場していた新しいデリバリーの形を追求するクリエーターたちの姿は興味深い。ある小説家は、10年掛かりで書き上げた小説を1年ほど前に上梓した。しかしその小説の最終的な原稿は、実はインターネットのウェブサイトでも公開されているのだ。その小説は、数年前からインターネット上に公開されており、その読者からのインタラクティブな批評を通じ、完成形に近づいていったという。小説から、その小説を広く読んで欲しいから公開しているという。所得につなげるより、広く読まれることで社会的な知の増大に貢献することを願っている、というわけなのだろう。かっこいいなあ。しかし、餓死の危険性が飛躍的に低減された現代社会において、金銭的な富よりも社会的な富に寄与することを望む層が増えているのは事実だろう。与謝野晶子の"黄金の釘"というわけだ。大昔にだって樽のディオゲネスのような変わり者がいたんだし。
 そんな富に対する市民の態度の変化は、自ら社会に対して行動しようという意思につながって行く。
 近年、NGOに代表される市民グループの活動が全世界に広がっている。今、国境を越えた国際協力、なかんずく難民対策において、NGOの力は不可欠なものになりつつある。国家の枠から自由な彼らは、ごく自然に他国(あるいは多国籍)のNGOと協力体制を取り、結果的に一国家を越える影響力を行使する場合すらある。NGOについてはもう常識の範疇だろう。
 市民グループの活動として面白かったのが、北海道で進められている市民による風力発電プラント建設プロジェクトだ。これは一般市民から出資を募り、17年で償還するという前提で大型の風力発電施設を作るというものだ。従来の市民運動が法制度や援助活動のような無形、あるいは不定形のものを対象にしていたのに対し、これはプラントという有形のものを自らの手で作ろうという画期的なものだ。特に電力政策は国家、産業界の専任事項とされてきたものなのだから、そこに市民層が直接介入し始めたという意義は小さくないと思うのだ。こうしたプラントが、風力発電に限らず満遍なく張り巡らされるようになったとしたら、ある地域の巨大プラントで集中的に電力を生産するという基本政策すら、その意義を問われるようになるだろう。ひいては、市民の側からはつねに否定的な評価を受け続けている原発も、その立場が危うくなるかもしれない。マクロな国家戦略が、ミクロな市民活動の積み重ねで変わるかもしれない。否、その存在意義が失われるかもしれない。そういう面白さと、危うさが共にある。
 番組を通して見て、その狙いはいまいち分からなかったのだが(あるいは番組ホームページとのインタラクティブ性を狙いすぎたのか)、この先に待ち受ける変化の風は確かに感じた。市民パワーが、知の、富のあり方がどう変わるのか、あるいは結局変わらないのか、まだ未来は計り知れない。だがはっきりいえることは、近未来社会においては、行動せざるものに発言の権利無しという倫理が打ち出されるだろうということだ。漫然とそこに座って権利を主張するものに未来はないのだ。こりゃキビシーよ。
 翻って我が身を省みれば、毎日インターネットだの自転車だの本だのに耽溺しているのはどうよ? 僕が社会に関与する手段、それはどうあるべきなのか、それを模索してみたくなった。
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