Strange Days

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2003年4月20日(日曜日)

NHKスペシャル「文明の道」第一回

テレビ 23:00:00 天気:雨
 今日のNHKスペシャルは、新シリーズ「文明の道」第一回。マケドニアの若き王、アレクサンドロスの大遠征を取り上げる。
 マケドニア、というのは海沿いや平野部にポリス(城壁に囲まれた都市国家)を築き、結果ギリシャ南部に中心があったギリシャ世界からすると、後進の地といってよかった北方にあった。明確なポリスを築いた形跡は無く、アテネのような民主制政治(もちろん大量の奴隷が支えていた)も、スパルタのような極端な階級制度も無い、まあいい加減な国だったらしい。
 そのマケドニアの大飛躍を用意したのが、アレクサンドロスの父君、フィリッポス二世だった。彼は先進諸国に先駆けて金で雇った職業軍人からなる常備軍を持った。この時代まで、ギリシャ諸国では、市民のみが兵役の義務を負い、その代わりに選挙権(市会への出席権など)を手にすることが出来た。このような軍隊は維持費がかからないのだが、その代わりに全ての兵力を一時に動員できるとは限らない。市民が参軍できても、彼らが連れてくる従兵や、生活の苦しい低ヒエラルキーの市民は、参軍できないこともあったのだ。また日常的に訓練を出来るわけでもなく、錬度も限られた。しかし、常備軍にはそれが無い。実は、この時期には先進諸国でも金で兵士を雇うという行為は日常化してはいた。金で雇った兵士を自分の代わりに戦地に送る市民が増えていたのだ。しかしこれは、悪徳と見られ、大々的には推し進められなかったようだ。実際、軍務を負うことで参政権を得るという、義務と権利の対照関係からすれば、これは悪徳に他ならなかったといえる。しかし、後進地故の柔軟さで、常備軍の利点を見抜いていたフィリッポスは、先進諸国では不徹底だった常備軍化を徹底的に推し進めたのだ。ごく当たり前の王権と有力氏族の連合体だったマケドニアでは、民主制のあり方に頭を悩ます必要は無かった。
 もう一つ、先進諸国の衰退も、マケドニアの躍進に道を開いた。ギリシャ世界は、ペルシャという大敵に対し、集合離散を繰り返してきた。初期にはスパルタが先導していたが、海上兵力の大きなアテネがペルシャの海軍を破ってギリシャ世界の防衛に成功すると、今度はアテネの覇権が伸びた。ところが、アテネは対ペルシャ戦のために徴収していたはずの同盟拠出金を、壮麗なペルセポネ神殿などに費やしたため、スパルタら同盟国との軋轢が増大。スパルタと長い戦いを続けた結果、スパルタの勝利に終わったものの、両者ともポリスを成立させていた農耕地が荒廃し、国力は低下してしまった。さらにスパルタの覇権を快く思わない古豪テーベが決起、極端な軍事国家であるスパルタを打ち破ってしまった。そのテーベも、有力政治家の病死などで勢力を落とす。このようにして、マケドニアが王権を確立した頃、遥かに大きな勢力を持っていたはずの先進諸国は、ことごとく地に墜ちていたのだ。マケドニアは対立する諸国を下し、かなり棚ボタッぽくギリシャ世界の覇者となったのだ。
 マケドニアが強かったのは、軍制の改革によるところが大きい。先の常備軍化もその一つだが、もう一つ、強力な槍隊の整備もあった。
 ギリシャ世界の軍制といえば、重装歩兵中心のファランクスが有名だ。ファランクスは縦隊を中心とする縦連携の強い隊形だ。縦には16人程度、横には数十人、時には数千人も並ぶことがあった。そして先頭の兵士が倒れると、後続する兵士が前進して直ちに穴を埋める。ファランクス縦列がそれぞれが隊長に率いられた一隊をなしている。その縦隊を、必要なだけ横に繋げることで、部隊を形成した。しかし、基本的には基本的に前方への攻撃しか考えてない隊形で、しかも最前列の兵のみが戦闘に参加できた。縦隊(ファイル)が32人いても、直接の打撃力は先頭の一人のみなのだ。
 古典的なファランクスの継戦能力は、ファランクスの厚みに比例する。だから戦術単位としてのファランクスでは、大きな部隊を作るかが問題であった。ファランクスの厚みがあれば、そのファランクスは強固で、長時間戦力を維持できる。だがファランクスを厚くしすぎると、横への展開が短くなり、側面攻撃を受ける可能性が高くなる。経験的に最適な一隊の規模が定められていた。各ポリスで最適と思われるファランクスの構成が考え出され、ポリスごとに縦列の深さは変わった(16~32人という線が多かったようだ)。しかし、横長の短冊形という隊形に変わりは無い。だから、その隊形に変化を導入することは、その攻撃力に大きな影響を与えた。
 先に述べた、歩兵の強さで知られたスパルタをテーベが破った戦いでは、左翼側に厚みを持たせた斜形陣が取り入れられ、これが勝利の決め手になったといわれている。斜形陣の分厚い楔の部分で敵のファランクスを分断してしまえば、側面攻撃に弱いファランクスを崩壊させることが出来るからだ。しかし、いずれの陣形でも攻撃可能なのは最前列の歩兵のみだった。
 フィリッポスは、極端に長い槍を導入することで、槍隊の攻撃力を飛躍的に高めた。非常に長い槍ならば、前面の兵士の肩越しに、前方の敵を攻撃することが出来るのだ。しかも最前列の兵士も、このギリシア世界の標準に較べきわめて長い槍のおかげで、敵の攻撃をアウトレンジ出来た。各縦隊の最前列で発揮できる攻撃力は、敵の4倍以上になった(4人以上戦闘に参加できるので)。これじゃあ古典的なファランクスに勝ち目は無い。その結果、先進諸国は、この後進国に膝を屈することになったのだ。なんだかアメリカと欧州の関係みたいだな。
 番組でも取り上げられていたが、マケドニアの長槍(パイク)は扱いが難しく、完全常備軍以外には扱えなかったろう。長い訓練期間を設けることが出来た常備軍の長所の一つだ。
さらに下って、ローマ時代のレギオンになると、今度は投槍が主力になる。単純に長い槍より、より遠距離から攻撃できるので、さらに有利になったわけだ。
 ギリシア世界を制圧したフィリッポスは、今度はペルシャへの報復戦争を始めようとした。彼は小アジアを制圧して、緩衝地帯とするつもりだったようだ。しかし、その出陣以前に、フィリッポスは暗殺されてしまう。
 この暗殺事件は、アレクサンドロスにとって幸運だったかもしれない。というのは、その頃フィリッポスは、王妃(アレクサンドロスの母)と離縁して、別の女に入れ揚げていたからだ。その過程で両者は仲違いし、一時はアレクサンドロスが亡命生活を送ったことさえあった。表面的に和解はしたものの、フィリッポスは新王妃の子が育ったら、そちらに王位を譲るつもりだったともいわれる。ともあれ、アレクサンドロスは、ギリシャ世界を背負って、その表舞台に登場したわけだ。
 アレクサンドロスは、ギリシャ世界の叛乱の動きを抑えると(この時にテーベを完全に滅ぼした。アレクサンドロス最初の大殺戮)、ついに小アジアに侵入した。最初の戦いで危うく勝ちを拾っていこう、ほとんど負け無しで一気にペルシャ帝国を滅亡させてしまったのだ。その要因の一つが、ペルシャ王ダリウスの意気地なさだろう。なにせ、ろくな軍事知識も無いのに前線に口をはさみ、そのくせ、危うくなると何もかも捨てて逃走してしまうのだ。ペルシャ側にも有能なギリシャ人傭兵部隊を始めとする戦力が揃っていたのに、わざわざそれらをドブに捨てるような真似を繰り返したのだ。これじゃあ、圧倒的な国力を持つとはいえ、滅んで当然だ。トップが無能な国家は惨めだ。
 アレクサンドロスも、メソポタミア流域に入る頃までは、もっぱら報復戦争として対ペルシャ帝国戦を戦っていた。しかし独自の勢力を持つアッシリア人の統治に限界を感じた彼は、思い切って『我こそはペルシャ帝国の正当継承者である』などとぶち上げた。そして、ペルシャ帝国の統治機構をそのまま継承する動きを見せた。この方針変更が無ければ、ペルシャ帝国の心臓部への侵攻は、易々とは運ばなかったかもしれない。ギリシャ人たちは、例えば灌漑技術を広く普及させたようなペルシャ式の統治法を学び、我が物にしていったのだ。
 一方、ダリウスは、王都ペルセポリスまで失い、やがて部下の裏切りに遭って死んでしまった。大帝国の君主の、あっけない最期だった。そしてアレクサンドロスは、占領した王宮でどんちゃん騒ぎをした挙句、火を放って完全に焼失させてしまったのだ。ギリシャ世界のペルシャへの報復は、これで区切りがついた。それまでに、アレクサンドロスが殺した人間の数は、恐らくギリシャ世界でぶっちぎりのNo.1になっていただろう。英雄はうずたかく積みあがった死体を踏み越えて、血まみれの覇権を確立したのだ。
 アレクサンドロスは、残ったペルシャ帝国領域を吸収すると、さらにインドへと歩を進めた。ここに至っても彼の軍事的天才は衰えを知らず、大戦力を持つインドの地方君主を、なかばだまし討ちのような形で下している。ところが、その向こうには、さらに巨大な戦力(総兵力数十万といった単位だったらしい)を持つ別の君主が待っていた。その情報に恐れを抱いた部下たちは、ついに前進を拒否した。なにせ、もう一度ペルシャ帝国を征服するのに等しい苦難が待っているに違いないのだから。最後にはアレクサンドロスも折れて、とうとう彼の東征は、インダス川の端で終わったのだ。
 その後、本国の情勢に不安を感じた彼は、一度マケドニアに帰国しようとする。が、その途上、バビロニアで熱病に罹った彼は、あっけなく死んでしまう。まだ余命があれば、彼はフェニキア人が栄えていたカルタゴ地方、さらにはローマ、ガリアへと出兵しただろうといわれている。もしそれが実行されたなら、3世紀後にローマによって達成される地中海世界の統一が、ずっと早まっていたかもしれない。
 その後、この大帝国は、アレクサンドロスの部下たちによって分割され、最終的にはローマと、復興したペルシャ勢力の手に落ちてしまうのだが、それは促成栽培の悲しさだろうか。
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2003年4月12日(土曜日)

NHKスペシャル

テレビ 23:00:00 天気:くもりのち雨
 今夜のNHKスペシャルは、知性派チンパンジーとして知られるアイの子供の話題だった。
 犬山にある京大霊長類研は、霊長類を使った知性の研究で知られている。猿に文字や人間特有の概念(貨幣など)を教え込み、その学習の様子を観察することで、人間がどのように文字を獲得してきたのか、そしてそのコミュニケーションを通じて人間特有の概念がどのように育まれてきたのか、という大テーマを追求している。
 研究所でいちばん有名な猿が、チンパンジーのアイだ。アイは文字を解する猿として知られている。研究者の訓練を通じて、例えば色と文字の対比を記憶し、さらに得た硬貨を欲しいものと交換するという行為を身に着けている。人間が用いている文字を見分け、それと"色"という概念とを結びつけることを学んでいるのだ。
 そのアイが、近年子供をもうけた。アユムと名づけられたオスで、生まれてほど無く、アユムも実験に参加させられてきた。いい迷惑だろうなあ。
 アユムは、半年くらいで色と漢字の対比問題に向かう姿勢を見せるなど、もしかしたら母親以上の天才かと騒がれたものだ。ところが、その後意外なことに、アユムは問題自体にはまったく興味を示さなくなってしまった。もっぱら、アイからのおすそ分けをねだるばかりだった。現金なやっちゃ。
 野生のチンパンジーは道具を使う能力を持つ。木の幹に空いた蟻の巣に小枝を差し込み、蟻を釣り上げる「蟻釣」などに見られる。それを真似た実験として、室内にたくさんのひも状の道具を散りばめ、壁の穴の向こうに見える蜜を「釣り上げる」実験も行われた。アイ親子、そしてもう一組の親子が参加した実験でも、アイはもっぱら母親が釣り上げた蜜のおすそ分けにのみ注意を注ぐのみだった。
 こんなアユムの姿勢に変化をもたらしたのは、実験室の外での成長ぶりだった。同じ年代の子供たちと遊ぶうちに、アユムのコミュニケーション能力は発達していった。そしてそれが外界への興味を引き出したのか、アユムはアイ、そして他の母猿が蜜を釣り上げる行動を観察するようになった。そして、ある時点から自分も蜜釣を試みるようになった。その時、意外にもアユムはアイが選んだ道具ではなく、別の母猿が選んだ道具を使い、蜜を釣り上げようと試みた。彼らが道具の使い方を真似るとき、単純に母子という狭い単位ではなく、群れ全体というより広い範囲で知識を共有しうることを示しているのだろう。そのアイの行動に触発されたのか、もう一匹の小猿も蜜釣を試み始めた。そして、なんとこちらの方が先に成功したのだ。アユムはその手際も詳細に観察し、やがて遂に、母猿たちとは違う、独自の方法で、蜜釣に成功したのだった。野生のチンパンジーが蟻釣技能を修得するのが3歳前後ということを考えると、実験室内での環境は、チンパンジーに早熟をもたらすようだ。
 アユムは色と漢字の対照実験にも成功するようにはなったが、得た貨幣を一つのものとしか交換できないことは理解できてないようだ。まあ、こうした楽しげな実験を通して、実験者である人間自身の根本原理が解き明かされるかもしれないというのは、面白い状況だと思った。
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2003年3月01日(土曜日)

NHKスペシャル「核拡散テロリズム防止最前線」

テレビ 23:00:00 天気:雨
 今日のNHKスペシャルは、旧ソ連を中心とした、核物質拡散の実態を追うものだった。
 内容的に、よく知られたこと、すなわち旧共産圏での杜撰な核物質管理の実態、それを使用した核テロの危険性を取り上げたものだった。
 去年の8月、旧ユーゴスラビア(ここも今は亡き国家の仲間入りか)のセルビアにある核エネルギー研究所から、大量の高濃縮ウランがアメリカに運び出されることがあった。ここは長年、ユーゴスラビアの核研究の中心だった研究所だ。しかし、ユーゴ連邦の崩壊に伴い、潤沢だった資金は途絶え、施設の管理が行き届かなくなってきた。アメリカは大使館を通じてこの施設の実態を調査した。すると驚くべきことに、核爆弾を製造するのに十分な高濃縮ウランが、十分な警備も無いままに在庫されていることが分かった。アメリカとセルビアは話し合いの時間を持ち、これをアメリカが買い取ることで決着させたのだ。アメリカはウランの代価のほか、経済援助も約束したという。それでも、このウランがテロリストの手に渡り、それを使ったテロが引き起こされるよりは、遥かに安上がりなはずだと作戦関係者は主張する。確かに、そうやって製造された核兵器が、紛争地域だけでなく、アメリカの中枢部で使用された場合、どれほどの被害をもたらすか、想像もつかない。その予防が可能なら、確かに高くは無いのだろう。それに、こうやって核関係情報の収集と、友好関係の構築が図れれば、一石三鳥だ。
 同じ問題は、旧ソ連圏にも存在する。旧ソ連では、セミパラチンスクを始めとする核実験場を、中央アジアに置く傾向があった。それらの国家はソ連崩壊と同時に独立を果たしたが、核管理に十分な予算を割けているとはいいがたい。故に、核物質の拡散が進む可能性が大きいのだ。事実、低レベル核物質の盗難は、日常茶飯事といってよいほど起きている。アメリカは、それらの核拡散リスクを低減するために、ロスアラモス研究所など、自国の核研究者の活用を進めている。核拡散のリスクが大きい諸外国の施設に、視察、指導、支援、核物質引き取りの要員として、これらの人員を派遣することを行っているのだ。海外諜報活動と相まって、アメリカは危険な施設の実態を、よく把握しているといわれている。
 さらに、衛星写真から核物質の所在地を割り出す技術を開発するなど、アメリカは核拡散防止に向けた取り組みを強化しつつある。
 この核物質盗難のリスクは旧共産圏だけではなく、もちろん先進諸国やアジア圏にも存在する。日本でも放射性物質の紛失事件が続いていることもあり、楽観は出来ない状況だ。少量の核物質と爆弾を組み合わせただけで、一定地域を使用不能にする"ミニ汚い核爆弾"が製造できるのだ。それがテロリストの手で使われる日が来るのかどうか、恐れながら待つしかないようだ。
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2003年2月16日(日曜日)

NHKスペシャル

テレビ 23:00:00 天気:雨
 今日のNHKスペシャルは、久しぶりの自然シリーズ。北海道の中央にある富良野の森の話題だった。
 富良野は北海道の中央という海から離れた場所ゆえに、日本でもっとも低温になる場所だ。氷点下41度というとんでもない記録も残されている。
 富良野には東京大学の演習林がある。人手が全く入ってない、原始の森の姿が残されている。
 この森には、他の地域では見られないような、珍しい生き物たちが棲息している。
 クマゲラは、日本に生息するキツツキ類の中ではもっとも大きくなる鳥だ。力強い両足で体を支え、強力なくちばしで倒木に穴を穿ち、そこに潜む虫などを捕食する。
 エゾリスはオニグルミなどの果実を取っては、そこら中に埋めて蓄えてしまう。なんだかラブリーな生き物だ。
 また植物相も独特だ。
 この地にはエゾマツという松の一種が良く見られる。その形状は不可思議で、根元の部分が大きく地上から競りあがって、下に空洞が出来ているのだ。
 5月、遅い春がきて、短い夏が去り、あっという間に収穫の秋も過ぎ去ってしまう。そしてやってくる過酷な冬に、生き物たちは生き残るための戦いを繰り広げるのだ。
 冬眠しないエゾリスにとって、秋に蓄えた木の実は生き残るための糧だ。だが、厚い雪の下からどうやって探し当てることが出来るのだろう。エゾリスは嗅覚が非常に鋭く、こんな状況でも匂いでかぎ当てられるのだとか。
 エゾシカは、冬に入ると葉や木の実といった物を口に出来なくなる。彼らが飢えを凌ぐために、森の若木が犠牲になる。すなわち、まだ柔らかいそれらの皮を削ぎ喰らい、飢えを凌ぐのだ。しかしそれも冬が深まると喰らい尽くしてしまい、彼らは餌を求めて争うようになる。幼い子供たちが、この飢えに耐えかねて力尽きてしまうこともある。
 クマゲラは、まだ雪が少ないうちは、そのくちばしで器用に除雪し、暖かい頃と同じように虫を取ることが出来る。しかし、冬が深まり、分厚く雪が積もるようになると、もうそれも不可能になってしまう。倒木には雪が積もりやすいというのもあるのだろう。すると、クマゲラはこの時期にしか見られない不思議な行動を取り始める。通常、クマゲラが虫を探すのは、既に寿命を終えた倒木などの腐った木だ。健康な木には、虫などは寄り付かないからだ。ところが、真冬になると、そうした健康な木に穴を穿ち始めるのだ。健康な木は腐った木よりも組織がしっかりしており、通常よりなお労力が必要だ。しかし、延々と掘り進んだ果てに現れたのは、表面には見られないような黒ずんだ、死んだ組織だった。健康そうな木でも、中心に近づくと組織が壊疽を起こし、そこにアリなどが住むつくことがある。冬のクマゲラは、そうした虫たちを取って、飢えを凌いでいるのだ。どうやって、そんな深部の状況を把握しているのか、これは不思議なことだ。トライ・アンド・エラーで手当たり次第にやっているのだろうか。
 さて、件のエゾマツの根の秘密は? それには、エゾマツ特有の繁殖戦略が関わっている。
 エゾマツは、秋には無数の松ぼっくりを実らせる。そのそれぞれに100以上の種子を格納している。一本のエゾマツが果実させる種は、数万個に及ぶ。しかし、エゾマツの種は雑菌に弱く、地面に落ちると雑菌にやられ、実ることが出来ない。秋、エゾマツは種子の半分を散布させるが、それは実ることなく消えてしまうという。
 冬になっても、エゾマツはじっと種子を抱えている。ある得意な気候の日を待っているのだ。やがてその日が来る。
 極度の低温のために大気中の水分が凍りつき、ダイアモンドダスト現象が発生するような日がやってきた。大気中の湿度は極限まで下がり、また地上も乾ききった風と雪に覆われ、全てがさらさらと流れてしまうような日だ。エゾマツはこの日を待っていた。恐らく、低温と低湿度がキーになっていたのだろう、種子が一斉に放出されたのだ。種子は乾ききった雪原を、風に吹かれて散って行く。雑菌が極端に少ないこの時期なら、雪面に落ちても腐ることは無い。そうして風に飛ばされながら、種子はある特殊な地点を目指すのだ。
 やがて春を迎え、生き残ったエゾマツの種子は、新天地で芽吹く。そこは……力尽きて倒れた倒木の上なのだ。倒木は雑菌が少なく、また栄養も豊富なので、エゾマツの種子には絶好の苗床となるのだ。そうしてすくすく育っていったエゾマツが、大きく幹を伸ばす頃、苗床となった倒木は朽ちて消えてしまう。そして、エゾマツの不思議な形態が形作られるのだ。
 冬は生き物にとって苛烈な季節だが、反面、その生き残りをかけて能力の極限を発揮する躍動の季節でもあるようだ。いや、こっちは傍観者だから気楽なもんだけど。
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2003年2月13日(木曜日)

ビデオデッキ更新したいが

テレビ 00:00:00 天気:いいのかな
 ビデオデッキを更新したいと思っている。更新したいとずっと思っている。なにせ、ウチにある最新のものですら、'95年製造の8mm/VHSのデュアルデッキなのだ。8mmがフェードアウトした今、真剣に後継を考えねばならない。
 巷では回り物(DVD-xなど)が主流になっており、PCとの共用を考えるとDVD系とHDDのデュアル機がいいのかなと思う。しかし、どうせDVDに落とすのだったら、デッキと適当な手段で交信できればいいのだから、IEEE1394インタフェース付の適当なデッキでいいような気もする。そういう意味で、シャープが発表したパーソナルサーバも気になるなあ。実売10万以下だったら、こいつにしちゃうかも。
 なんにせよ、今のデュアルデッキが生きているうちに後継機を決めなければ、手持ちのテープが再生不能になってしまう。こういう時に限って、急に逝っちゃったりしてな。嫌な予感にうなされるような今日この頃だ。
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2003年2月08日(土曜日)

NHKスペシャル「ギリシア正教秘められた聖地・アトス」

テレビ 23:00:00 天気:晴れ
 今夜のNHKスペシャルは、ギリシア正教の聖地、アトスの話題だった。
 正直、ギリシア正教は、カソリック、プロテスタントはおろか、ロシア正教よりなおなじみが無く、そういえばそういう宗派もあったな、という印象だ。
 アトスは、ギリシア北部にある半島の南端に位置するアトス山を中心としている。古く8世紀頃からビザンティン帝国の聖地として名高い土地だ。10世紀前後には最盛期を迎え、100もの僧房が並び立っていたという。
 現在、アトスには20の僧房があり、そこで2000人ほどの修行僧が祈りの日々を送っている。
 アトスの修行僧たちは、用が無ければ僧房の外に出ることは無い。その生涯を、祈りの中に終える。なんか、非生産的すぎないか。
 この地では、外交権を除く自治が確立されており、自前の政府を持っている。15世紀からこちら、厳格な女人禁制を貫いているアトスでは、猫を除いて家畜の雌さえも存在しない。猫だけは、増やして鼠を取らせるためと言う名目で、特別に許可されているという。鼠は家財にダメージを与えるだけでなく、伝染病を広げもするので、格別恐れられたのだろう。
 アトスではビザンチン帝国以来の古制が、いまだに頑なに守られている。ユリウス暦を使用するのもその一つだ。暦も、生活時間も、アトスの外とは大きく異なっている。
 一日は日没とともに終わる。その前後、修行僧たちは、一日のうち最も大切とされる、長い祈りの儀式を執り行う。キリスト教の儀式には疎いのだが、儀式には聖グレゴリオ讃歌とはまた違う、古い歌謡の形式を持った讃歌が用いられているようだ。
 儀式を終えた修行僧たちは、自室に戻り、そこで個々の祈りと、神との対話の時間を持つ。それは深夜、あるいは明け方まで続けられることがある、深い内観の時間なのだろう。
 明け方、まだ日の無いうちに、再び祈りの儀式が執り行われる。それから、ようやく朝餉となる。食事は日に2回だけ。それも、完全な自給自足体制ゆえに、ごく慎ましやかなものだ。
 昼の間、修行僧たちはそれぞれに労働に精を出す。畑を耕すもの、家屋の修繕を行うもの、など。イコンの模写もその一つだ。イコンは正教系の教会に唯一登場する偶像で、定められた道具と手法で模写が行われる。新たにイコンが起こされるということは無さそうだ。いや、身内の僧が聖列された時など、もしかしたら新しいイコンが加えられるのかもしれない。
 アトスには、ギリシア全土だけでなく、ロシア正教や、さらに遠いキリスト教世界からも、数日の滞在のために人々が訪れている。彼等を受け入れ、善導するのも仕事の一つだ。
 僧房を離れて修行する人々もいる。彼らは厳格な僧房の生活を離れるかわり、全てを自給自足しなければならない。ある青年僧は、師匠である老僧とともに暮らしている。彼は幼い頃にスラムに捨てられ、それ以来どん底の生活を送ってきた。俗世間に未練が無いように見える彼にも、実は両親への郷愁が残っており、いまだに断ちがたいという。「自分も50までは(そういった誘惑に)苦しんだ」と老僧も語る。50を越えると、さすがに枯れて来るということか。
 修行僧たちがアトスに入る動機は、様々なものだ。かつては10代でアトス入りするのが普通だったが、今では20台、30台の、一度社会に出た人がやってくることが多いという。ある修行僧は、人間関係や仕事のことで苦しんだ挙句、とうとうアトスでの修行生活を選んだ。この辺、万国共通の現象なのかなと思う。
 アトスは、ビザンティン帝国の庇護の元、10世紀までは大いに栄えた。だが、ビザンティン帝国がオスマントルコに屈服すると、その圧政下、重税に苦しむことになる。しかも、海賊の侵攻にも悩まされることになる。そのような状況のもと、自衛のための武装も備えられていった。今でも、武装した修行僧によるパトロールが続けられている。
 アトスに匹敵するのは比叡山、あるいは高野山辺りだろうか。信仰を持つ人々への評論は措くとして、信仰というものの継続性が、国家の寿命を凌駕するという現実に、目を瞠る思いがする。などと司馬遼太郎風に締めたりしてな。
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2003年1月24日(金曜日)

ブースター使用結果

テレビ 23:00:00 天気:寒いです
 これだけではなんなので、ブースターをば使用しますたというお話をば一つ。
 どうもNHK(だけではないが特に)の写りが悪くなったのだが、どうも長後街道沿いに建ったビルたちのおかげで、受信状態が悪化してしまったように思える。といってビルを爆破するわけにも行かないから、こちらでまずなんとかしなければならないだろう。集合住宅のアンテナを弄るのは怖いので、この間ハンズに行って、ブースターを買って来ていたのだ。それをようやく取り付けた。
 取付前はNHK総合もETVも画面全体に砂の嵐が吹き荒れて、特にETVは視聴に耐えない状態になっていた。ブースターをかますと、総合の方はほぼ満足できる状態に、ETVも少しノイズが掛かるが前より全然マシになった。やはり、うちのアンテナと、NHKの送信アンテナとの間に、どこぞのビルが立ちはだかってしまったようだ。
 とりあえず、これで満足。テレビなんて、見るのはほとんどNHKだけだしな。機会があったら、家主にアンテナのことを言っておこうかと思う。しかし、他の住民はNHKを見ないのかね(受信料を払っているのは僕くらいなのだろうか)。
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2002年12月15日(日曜日)

NHKスペシャル「大河出現」タクラマカン砂漠、ホータン川

テレビ 00:00:00 天気:チョット雲多いかな
 今夜のNHKスペシャルは、久しぶりの自然もの。タクラマカン砂漠に夏の間だけ現れる大河、ホータン川の姿を追う。
 タクラマカン砂漠は一年を通じて雨がほとんど降らない、カラカラに乾ききった砂漠地帯だ。特にその中央部は動くものの姿も稀な死の地帯だ。当然、水を連想させる川、湖など見当たらない。ところが、6月末から3ヶ月だけ、この砂漠の真ん中に大河が忽然と姿をあらわすのだ。
 タクラマカン砂漠の南部には、崑崙山脈の丈高い姿が聳え立っている。白く雪をまとった崑崙山脈には、氷河が発達している。氷河は一年中消えることが無いが、日照時間が伸び、気温が上昇する夏には、その先端部が溶け出して氷河が後退する。溶け出した水はどこに向かうのだろうか。そう、崑崙山脈から見ると低地にあるタクラマカン砂漠に向けて流れ出すのだ。
 五月。この一帯の気温が上昇すると、徐々に増える雪解け水が、砂漠に向かって流れ始める。この頃にはまだ地表を流れる水流はない。しかし水は地下に浸透し、タクラマカン砂漠から遥か北のタリム川に向けて流れて行く。五月下旬、ホータン川出現の先触れとして、タリム川へと向かう地下水路の帯が観測される。この地下の川の水位が上がりきったとき、初めてホータン川が姿を現すのだ。地下水位が低ければ、いくら大量の流水を地表を流れようとしても、すぐに乾燥し切った大地に吸い込まれるだけだ。しかし地下水位が十分高ければ、水は乾燥地帯でも地表に消えることなく、川として流れて行けるわけだ。
 6月。流路に近い町や開拓村では、人々の動きが慌しくなる。タクラマカン砂漠で水を豊富に入手できるのは、ホータン川が現れている3か月の間のことでしかない。それにあわせ、作物の栽培計画を進めなければならないし、灌漑施設も整備しなければならない。開拓村では、入植以来作物の栽培に失敗しつづけてきた農家が、今年の作物に期待をかけている。それがうまく育つかどうかは、ホータン川からの水が一日でも早く引けるかどうかに掛かっている。
 地下水位が上昇すると、乾ききっていた川床が湿り始め、靴で踏んだだけで水が染み出てくるようになる。間もなく、"川"がやってくる。
 上流から生き物のように川床を這いまわりながら下ってきた水流が、人家の近くにまで姿を現した。川の出現は、いつになっても大事件だ。たまたま川床で放牧中だった羊飼いは、大急ぎで羊たちを岸へと避難させた。
 ホータン川は、盛夏にかけてその勢いを増してゆく。方々で堤防が決壊し、その度に近隣の住民が対応に追われる。一日以上道路が使えないと、その近隣に住民に罰金が課せられるのだそうだ。日本とはえらい違いだなあ(日本だと住民が提訴して国が金を払うことになるのだろう)。
 ホータン川は、数百キロの距離を流れて行くのだが、その高低差は僅か100mくらいだという。そんなわけで、川は僅かな低地や障害物で流れを変えながら、離散、集合を繰り返して行く。だが、タリム川が近づくと、次第に一つの大きな流れにまとまって行く。そして、やがてタリム川へと合流する瞬間を迎える。ホータン川貫流の瞬間だ。
 ホータン川は9月に入ると勢いを失い、次第に川床へと消えてゆくのだろう(番組ではここまでは放送しなかった)。しかし、大河が現れ、消えるという驚異を毎年目にしている人々は、他の地域の人間たちとは自然観が異なっているのかもしれない。
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2002年12月07日(土曜日)

NHKスペシャル「変革の世紀」

テレビ 00:00:00 天気:雨ですぜ
 今夜のNHKスペシャルは、「変革の世紀」。このシリーズも最終回だ。
 冷戦終結後に明らかに変わり始めた富のあり方は、日本型企業にも大きな変化を強要し始めている。狂牛病対策費を国家からだまし取ろうとした日本ハムでは、若手社員を中心に企業風土を変えようという運動が進められている。従来、日本ハムという企業の中で、いくつもの独立性の高い部門が競い合って、売上高の高さを競うというあり方が続けられて来た。しかしこの形態は、企業内部に縦割り社会を作り出し、企業内部の風通しを悪化させるという弱点がある。今回の不正でも、現場(直轄子会社)による不正は直属の部門で握りつぶされ、内部告発により初めて外部に知られる結果になった。日立という会社も強い縦割り型なので、けっこう耳が痛い話だ。
 直接的に内部告発を奨励しようという動きは、NECなどの電機系大手にも広がっている。内部告発専用のメールアドレスを公開して、内部からの声を直接中枢に吸い上げようという意図だ。これにより、社内の不正が大きくなる前に、対策を打てたという。しかし、これは一種の秘密警察ではないだろうか。インターネットアクセスに対するフィルタリングもそうなのだが、本来は社内の個々人の活動は、その当人の裁量に任されるべきだ。エロいウェブの閲覧がけしからぬということなら、単にその社員のアクセス量が、生み出す利益に見合ってないという事実を指摘して、是正を迫るべきだろう。フィルタリングという非インテリジェントな手段はやりすぎだと思うのだ。同じように告発のような手段も、と書きかけて、告発の場合は告発者、告発受理者というそれぞれの段階で知的な判断が期待できるからいいのか、と自己解決してしまったりしてな(ダメじゃん)。しかし、内部告発はその性質上告発者を隠蔽しなければならないので、社内競争で足を引っ張る手段として悪用されるかもしれない。またそれとは逆に、情報の質から告発者が特定されてしまう可能性も高い。告発者を保護しながら、制度を悪用されない仕組みが不可欠だ。
 番組では音楽産業界からの主張をほぼそのまま取り上げて、「(不正)コピー=悪」という図式を強調しながら、著作権の保護を不可欠とする内容を放送した。だが、いわゆる不正コピー問題の根本には、消費者の側からすれば問題とは思えない行為までの排除を強要されていることに対する、強い反感が横たわっているのではないだろうか。さらにいえば、"権利"というもののあり方自身が変わりつつあるのだ。
 例えば音楽CDをコピーして友人に渡すこと。あるいは歌詞(の一部)をウェブで引用すること、などが、"権利者"の側から"不正"とされている行為だ。しかし、前者はともかく、後者が本当に権利侵害に当たるのだろうか。歌詞を一つ引用する毎に、"権利者"の儲けが減って行くなんて信じられるだろうか。それが『歌詞を引用する毎に課金する仕組みを作れば儲かるはずなのだから、これは侵害である』という主張に基づいているのなら、僕はいくらなんでも権利の濫用に過ぎないだろうと思うのだが。だいたい、自由な引用を拒むということは、自由な批評をも拒むということだ。それは市井に新たな才能が育ちにくいということを意味する。前者の行為も、同じように濫用されれば、自由な才能を育てる機会を失わせることにつながらないだろうか。
 権利者側の主張を言い換えれば、金のない者は音楽を聴くなということになる。タダでは聴かせないと。だが先人たちの無償の膨大な蓄積の上に成り立っているくせに、自分たちの持ち物だけはしっかり有償とする価値観は奇形的ではないだろうか。いったい、ただ単に"今"存在しているというだけで、音楽という巨大な共有財産のあり方を決定付けられるなどと、彼らはなぜ思い上がるのだろうか。
 よしんば音楽産業が成り立たなくなったとしても、それで誰が、どれほど困るというのか。産業界の人々を除けば、誰も困らないのではないだろうか。社会現象として容易に思いつくのが、メガヒットが出にくくなるという点だろう。これという大ヒットは無くなるかもしれない。実際、音楽CDのメガヒットは、このところ急激に減っている。しかし、それらの急激なヒットは、結局は音楽産業自身の作り出したもので、聴く側からすればどうでもいいことだと思う。例えばBeatlesだのDeep Purpleだのだって、あんな大ヒットにはつながらなかったかもしれない。でも僕は、本当に良いものならば常に売れ続け、結局世に広く知られるようになるのだと信じている。今は音楽産業の背後に隠蔽されているCD製作手段が、インターネットを介してクリエータと結びつくようになるまで、あと一歩だと思う。そうなれば、ますます産業界はその存在意義を問われるようなるだろう。音楽産業があるから音楽があるのではない。ハードロックだのポップスだのという産業音楽に音楽産業(なんの洒落だ)が深くかかわっているのは認めるにせよ、結局はそれらだって一つの必然として登場しただろうと思うのだ。音楽産業はプロモーターだったかもしれないが、自身がクリエーターだった例は無いじゃないか。それなのに自らが文化の創造者であるかのように振る舞うとは、なんという思い上がりなのだ、はあはあ(なにを興奮しているのだ)。
 こう考えると、本来の権利者を取り込もうという産業界(音楽に限らず文芸、美術などなど)の動きは剣呑に思える。なぜならば、本来のクリエーターたちが主張するとき、正面切って反論しづらい雰囲気が醸し出されるからだ。しかし、クリエーターたちは、自由な批評を最も必要とする部分であるはずだ。本来ならばクリエーターとコンシューマーがサシで話し合えばいいものを、中間搾取しているに過ぎない産業界が出てくるから話がややこしくなるのだ。コンピュータ産業(特に無形のソフトウェア産業)にも無縁な話ではない。
 そういう意味で、番組中登場していた新しいデリバリーの形を追求するクリエーターたちの姿は興味深い。ある小説家は、10年掛かりで書き上げた小説を1年ほど前に上梓した。しかしその小説の最終的な原稿は、実はインターネットのウェブサイトでも公開されているのだ。その小説は、数年前からインターネット上に公開されており、その読者からのインタラクティブな批評を通じ、完成形に近づいていったという。小説から、その小説を広く読んで欲しいから公開しているという。所得につなげるより、広く読まれることで社会的な知の増大に貢献することを願っている、というわけなのだろう。かっこいいなあ。しかし、餓死の危険性が飛躍的に低減された現代社会において、金銭的な富よりも社会的な富に寄与することを望む層が増えているのは事実だろう。与謝野晶子の"黄金の釘"というわけだ。大昔にだって樽のディオゲネスのような変わり者がいたんだし。
 そんな富に対する市民の態度の変化は、自ら社会に対して行動しようという意思につながって行く。
 近年、NGOに代表される市民グループの活動が全世界に広がっている。今、国境を越えた国際協力、なかんずく難民対策において、NGOの力は不可欠なものになりつつある。国家の枠から自由な彼らは、ごく自然に他国(あるいは多国籍)のNGOと協力体制を取り、結果的に一国家を越える影響力を行使する場合すらある。NGOについてはもう常識の範疇だろう。
 市民グループの活動として面白かったのが、北海道で進められている市民による風力発電プラント建設プロジェクトだ。これは一般市民から出資を募り、17年で償還するという前提で大型の風力発電施設を作るというものだ。従来の市民運動が法制度や援助活動のような無形、あるいは不定形のものを対象にしていたのに対し、これはプラントという有形のものを自らの手で作ろうという画期的なものだ。特に電力政策は国家、産業界の専任事項とされてきたものなのだから、そこに市民層が直接介入し始めたという意義は小さくないと思うのだ。こうしたプラントが、風力発電に限らず満遍なく張り巡らされるようになったとしたら、ある地域の巨大プラントで集中的に電力を生産するという基本政策すら、その意義を問われるようになるだろう。ひいては、市民の側からはつねに否定的な評価を受け続けている原発も、その立場が危うくなるかもしれない。マクロな国家戦略が、ミクロな市民活動の積み重ねで変わるかもしれない。否、その存在意義が失われるかもしれない。そういう面白さと、危うさが共にある。
 番組を通して見て、その狙いはいまいち分からなかったのだが(あるいは番組ホームページとのインタラクティブ性を狙いすぎたのか)、この先に待ち受ける変化の風は確かに感じた。市民パワーが、知の、富のあり方がどう変わるのか、あるいは結局変わらないのか、まだ未来は計り知れない。だがはっきりいえることは、近未来社会においては、行動せざるものに発言の権利無しという倫理が打ち出されるだろうということだ。漫然とそこに座って権利を主張するものに未来はないのだ。こりゃキビシーよ。
 翻って我が身を省みれば、毎日インターネットだの自転車だの本だのに耽溺しているのはどうよ? 僕が社会に関与する手段、それはどうあるべきなのか、それを模索してみたくなった。
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2002年11月02日(土曜日)

NHKスペシャル

テレビ 00:00:00 天気:快晴
 今夜のNHKスペシャルは、アフガニスタンのテレビ放送再開に関する話題だった。
 アフガンには、20年以上前にカラー放送設備が導入されたが(旧ソ連の援助だろうか)、その後は度重なる内戦に設備が破壊され、さらにタリバンによって放送自体を禁止されるという状況に陥っていた。よくタリバンが「厳罰主義で治安を回復させた(から支持を受けていた)という話を聞くけれど、言論という基本的な部分を統制していた状況を見る限り、長い目で見れば結局自壊したようにも思える。
 アメリカの介入によって、(一応)内戦が終結し、テレビ放送もようやく再開される運びになった。
 一時、離散していた技術者も戻り始め、市場にはテレビ受像機が出回っている。アフガンでは、比較的裕福な家庭にとっても、テレビはかなり高価だ。だが、かなりの勢いで売れているという。一応、治安が回復され、生活以外の娯楽に目が向くようになったのだろう。
 タリバンによるテレビ放送禁止の間、技術者、ジャーナリストたちはあるいは別の職に、あるいは難民として国外に逃れ、散り散りになっていた。ある女性プロデューサーは、もともと子供番組の担当だった。しかし、内戦の激化によって、家族ともども国外へと逃れざるを得なくなった。この女性プロデューサーは、避難先のパキスタンでも、難民の子供を対象に取材を続け、ラジオ放送でその状況を訴えていた。
 内戦が終わり、カブールに舞い戻った彼女は、再び子供番組の制作を手がけるようになった。しかし、子供番組のプライオリティは低く、機材が不足している現状では、取材用の機材借り出しも、ままならぬ有り様だ。
 地道な取材を続けるうちに、彼女は地雷の被害に遭う子供が非常に多いことに気づいた。アフガンでは、まず旧ソ連が大量の対人地雷を散布し、それに続く内戦で各勢力が大量の地雷を使用したため、実に数千万発も潜在していると言われている。対人地雷の中には、子供の気を引きやすい形をしたものもある。女性プロデューサーは、地雷の危険を訴える必要があると考え、スタジオ製作の番組を放送した。しかし、一番被害が多発しているのは地方の、テレビ受像機を持ってないような層だろうから、どれほど効果があるものだろうか。
 放送が続いていた頃、テレビの花形はやはり音楽番組だった。中でも著名な音楽家たちが出演する番組、「みんな集まろう」(日本でも同じようなタイトルがありそうだ)は、高い人気を誇っていた。ところが、タリバン政権下では音楽家は活動を禁じられたため、多くは国外への脱出を余儀なくされたのだ。
 内戦終結と共に、やはりこの番組の再開も目論まれた。ところが、音楽家の多くは国外にとどまったままであり、またタリバンによって楽器も破壊されていたため、大きな困難を伴うと思われた。
 一時帰国したかつての出演者を中心に、若手音楽家を加え、やっと番組の再開にこぎつけることが出来た。再び、アフガンに音楽が流れるようになった。
 内戦は、アフガニスタンの諸民族を分裂させてしまった。その爪痕は、テレビ放送ネットワークにも残されている。中央局と地方局の直接配信が、アンテナなどの破損で不可能になっている現在、地方局は独立性を高めている。中央にせよ地方にせよ、その地方の軍閥のカラーが強くにじみ出るようになっている。
 こうした状況の改善には、テレビ放送ネットワークの修復が必要だ。これは諸外国の援助でようやく進み始めている。
 それにしても、旧ソ連の侵攻はあまりに多くの困難を残してしまった。多民族国家を再構築するには、強力な経済の裏づけが必要だ。アフガニスタンの混乱収拾にテレビが一役買うのか、それとも混乱に拍車をかけるのか。現地ジャーナリストたちの頑張りにかかっている。って、なんか紋切り型に締めたりしてな。
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2002年8月24日(土曜日)

国宝探訪

テレビ 23:55:00
 寝る前にETVの国宝探訪を見た。今夜は高野山は金剛峰寺に集まった、仏教芸術の数々を取り上げる。
 金剛峰寺は、平安時代に空海によって開かれた、密教の根本道場だ。空海は、既に雑密と呼ばれる初期密教と修験道の修業地であった高野山を整備し、自らが日本に持ち込んだ純密の中心地としたのだ。人々の空海への信仰は厚く、その死後も実は生きているという空海信仰まで広まっている。
 そんな金剛峰寺も、空海の死後は荒廃が進んだ時期があった。それを立て直したのは、真言僧ではなく、他宗派の僧侶たちであったという。その証拠の絵画として、釈迦入滅の情景を描いた大幅の絵画が残されている。空海の密教では、信仰の中心は大日如来であり、それが様々な形に具現することで、この世の森羅万象が形作られると説く(超ひものひもみたいなものか)。それなのに、あえて仏陀入滅をテーマとする絵を書かせたのは、他宗派の僧たちも共に信仰できる対象であったからだと思われる。
 空海以降、密教はもっぱら加持祈祷を主として、朝野に数多くの信者を獲得する。その結果、貴族、皇族から数多くの宝物が、金剛峰寺へと収められることになった。今日、それらの宝物の多くが残存しているのは、歴代の真言僧らの政治手腕が優れていたからだといわれている。この事は、空海以降、もはや理論的に発展することが出来ず、加持祈祷による現世利益ばかりに走った真言宗の姿に重ねて、なにか皮肉なものを感じざるを得ない。
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2002年8月07日(水曜日)

今夜の動物モノ

テレビ 23:00:00
 夏休み中だからか、今夜21:00からのNHK総合は、特別番組っぽい動物モノをやっていた。
 月夜の晩、無数の帆立貝が海面に浮かび上がり、開いた貝殻に風を受けて走る......そんな話を聞いたことがあるだろうか。僕は初耳だったのだが、アイヌの民話や、それを聞き取った江戸時代の本には、そんな話があるそうだ。
 かなり嘘っぽさを感じる帆走帆立貝話だが、ある研究者は十分ありうることではないかという。航空力学を専攻してきたこの研究者は、帆立貝が長距離を移動する必要があるのなら、貝殻の開閉による水流で進むより、風を受けて走ったほうが遥かに省エネルギーであると考えた。
 研究者は、帆立貝について調べるうち、「飛ぶイカ」の存在を知った。スルメイカの近縁種で、図鑑によれば確かにそのように記述されている。研究者は鹿児島県、さらには離島に足を運び、漁師からも裏づけを取った。研究者は、トビイカの外形から、足の間になんらかの膜を張っているはずだと考えた。
 トビイカを求めて連絡船で粘ること二日、ついにトビイカにめぐり合った。後にその映像、さらには入手した現物からその飛行シーケンスを推定し、大筋では正しいと確信する。が、足の膜をどのように実現しているかが分からない。研究者のトビイカに対する研究は、まだ続きそうだ。
 また、沖縄には大潮の干潮時にだけ現れる「海に浮く花」があるとも聞き、現物を確かめに行く。それはもともと陸棲だったものが水棲に移行した水草で、大潮の干潮時、ほんの数ミリほどの白い雄花が浮かび上がり、風に乗って走り回るのだ。
 この雄花が決して風によって横転しないことに興味を抱いた研究者は、水棲生物の研究者の協力を得て、その構造を明らかにした。この雄花は、外側は疎水性の、内側には親水性の表面を持っている。その結果、雄花は内部に水を抱え、外部は水の表面張力を受け、かならず直立するようになっていたのだ。
 本題の帆立貝に関しては、なかなか情報が集まらない。帆立の水揚げがある港の漁協に尋ねても、否定的な意見ばかりだった。しかし、過去のコラムや、民話などからは、帆走する帆立貝の話題を見つけることが出来た。研究者は、いつか必ず帆走する帆立貝を目撃できるのではないかと期待している。
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2002年7月28日(日曜日)

NHKスペシャル「巨大穴の謎に挑む」

テレビ 23:00:00 天気:晴れ(やはり雲量大)
 今夜のNHKスペシャルは、「巨大穴の謎に挑む」。南米はギアナ高地に点在する巨大な穴の話題。
 なつかしいなあ。たぶん、僕と同年代の方は、NTVの木曜スペシャルでの放映を覚えてらっしゃることだろう。サンデーだったかマガジンだったか、少年誌でも盛んに特集されたものだ。今回は、あの巨大穴に再び調査に訪れた研究者たちに同行する。
 この巨大穴は、ギアナ高地の上面に点在する、直径50mから300mに達するものだ。ギアナ高地のサリサリニャーマという台地に存在するこの穴は、40年近く前に航空機によって偶然発見された。今回の番組に登場するブリュワー氏も、発見直後の巨大穴に降り、調査を行ったという。ところが、その時には数日の時間しかなく、十分な調査を実施できなかった。そこで今回は、ベネズエラ政府の特別な許可の元、数人の科学者チームと共に3週間の調査を行うことになったのだ。
 このギアナ高地自身、人跡未踏の地であり、ヘリコプターによる移動がもっとも確実だ。一行はサリサリニャーマの台地上にヘリコプターで機材を運びあげた。
 調査の主目標としたのが、巨大穴の中でも最大のもの、直径、深さ共に300mを超える穴だった。穴の周囲は切り立った断崖になっており、探検家であるブリュワー氏はともかく、他の研究者たちには自力での降下は難しい。そこで、ヘリコプターでの着陸が試みられた。しかし、ヘリコプターでも、鬱蒼とした木立をかいくぐってのランディングは難しい。結局、ヘリコプターを地面すれすれにホバリングさせ、そこからおのおの飛び降りる形になった。
 穴の内部には、台地上とはまた違った生物相が見られる。ここはギアナ高地の断崖によって下界から隔絶し、さらにそのギアナ高地とも穴の断崖によって隔絶している。二重の孤立地なのだ。それ故に、今まで知られてなかった新種の生物が、相次いで発見された。
 穴には不思議な場所がいくつもある。その一つが、ある断崖に沿って存在する「種の山」だ。植物の種が、何メートルにもわたって降り積もり、山をなしているのだ。この映像を見て、これは確か昔の放映でも見たぞと思い出した。その時には、確か成因は謎とされたんだっけ。
 しかし今回、その謎が解き明かされた。この場所の断崖に、大量のヨタカの一種が生息している。彼らは夜になると巣穴を出て、ギアナ高地へ、さらに下界へと去り、食料を調達してくる。この食料として最も多いのが、木の実の類なのだ。ヨタカは巣穴に帰ると、消化できない種だけを巣穴の外に出す......つまり、その種が巣穴の下に積みあがっていたのだ。
 これにより、巨大穴内部の不思議な植物分布の謎も解明できる。ここには、ここ固有の植物がある反面、下界にあるありふれた植物も存在しているのだ。後者はヨタカなどによって、下界から持ち込まれたものだったのだ。
 ところで、この巨大穴はどのようにして生まれたのだろう。ブリュワー氏は一つの仮説を立てた。
 このギアナ高地自身は、1億年程前、南米が超大陸の一部だった頃、湖に堆積した土砂が固まった堆積岩で出来ている。やがて超大陸が分裂し始めると、ギアナ高地の真下にホットスポットが生まれ、そこから上昇するマグマの圧力で、この地が高々と押し上げられた。さらにその堆積岩が雨などに浸食された結果、この奇観が生まれたのだという。
 では巨大穴は? 巨大穴の内部を観察すると、大きな岩塊が散乱しているのが分かる。そのことから、穴は空洞が生じ、それが崩落することで生じたと推測される。その空洞を穿ったものは? ブリュワー氏は、それは地下水だと推測した。ギアナ高地は雨量が多く、その多くは隙間の多い堆積岩の性質から、地下深くに浸透し、地下水脈を形成しているはずだ。その地下水脈の豊富な水流が、地下深くで空洞を穿った。その空洞は、内部に水が充満している間は、その水圧で保持されていた。ところが、ある時になんらかの理由でその地下水が放出され、水圧で支えきれなくなった空洞の上面が崩落したというわけだ。
 もしもこの仮説が正しいのなら、巨大穴には地下水脈の痕跡が見つかるはずだ。調査団はそのありかを探し始めたが、最大の穴では見つからない。恐らく、最大であるだけに、堆積した岩石の層も分厚いのだろう。そこで別の穴を調査した。すると、水量の豊富な泉が断崖から湧き出しているのが発見されたのだ。さらに、この水脈の行方も推測された。最終的には台地の外周のどこかで、下界へと流れ落ちているはずだ。その地点をヘリコプターで調査したところ、確かに台地のふもとへと、大きな水流が湧き出しているのが発見されたのだ。
 これらの証拠から、恐らくは巨大穴同士は地下水脈でつながっており、最終的には台地の外周から流れ出ているのだろうと推測された。
 ブリュワー氏は、いつかこの地下水脈を探検したいという。そんな狭くて暗くて危険な場所は、僕ならごめんだが。元気なおじさんである。
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2002年7月27日(土曜日)

NHKスペシャル

テレビ 23:00:00 天気:晴れ(雲量大)
 今夜のNHKスペシャルは倒産企業の復活戦の話題。ここ数年、戦後最大規模の倒産が相次ぎ、件数的にも高原状態を保っている。件数的に多くを占めるのが、中小企業、さらには個人経営の零細企業だ。多くは中国からの安価な輸入品に押されている製造業だ。
 一度倒産した企業の建て直しは難しい。豊富なリソースを持つ大手企業でさえ、しばしば再建に失敗するのだから、限られたリソースしか持たない零細企業の再建が難しいのも道理ではある。
 番組では、残った社員たちが、未払いの給与などを債権として、企業の工作機械などを入手し、操業を続けながらの再建を目指す、自主再建企業を追っていた。企業再建という課題に対し、最大の壁として立ちふさがるのが、失われた信用の回復だ。信用が低ければ、金融機関から資金を得ることは難しい。また顧客を得ることも困難だ。倒産からの復活戦は、限られた資金をやりくりしながら、少しずつ信用を取り戻してゆく戦いともいえる。
 番組中、自主再建企業同士が手を組み、新しい製品開発に挑む姿も紹介されていた。しかし、乏しい資金のやりくりがつかず、開発は順調には行かない。
 一度倒産した企業のうち、復活できたのはわずか1割だといわれる。製造業への逆風が続く中、人々の血のにじむような努力は続く。
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2002年6月23日(日曜日)

NHKスペシャル アジア古都物語「千年の水脈たたえる都~京都」

テレビ 23:00:00 天気:くもり
 面白かったこのシリーズも最終回だ。今回は、千数百年の歴史をもち、長らく日本の首府だった古都、京都の話題。
 京都には老舗が多い。それぞれに長い歴史を持つ老舗は、客が店を選ぶだけでなく、店も客を選ぶという、京都の商風土に磨き上げられてきた。それらの老舗を足元から支えてきたのが、京都に豊富に湧き出る湧き水だ。市中に数多くある和菓子屋の透明な味わいを支えているのは、あちこちにある湧き水だ。豊富で美味しい湧き水で素材を磨き、繊細な和菓子の味を作り出しているのだ。
 ある豆腐屋の主人も、地下からくみ出す湧き水で豆腐を作っている。主人はこの湧き水が高品質なことを誇りにしている。
 京都に豊富な湧き水をもたらす秘密、それは京都特有の地勢にある。京都は全体が盆地にすっぽり収まっている。その地下を探ると、地下もまた岩盤による盆地状の地形になっていることが分かっている。岩盤は水を通さないため、この盆地に降った雨は京都の地下に溜まる。その水は、盆地の南端からしか流出しないため、京都の地下は地下水が豊富に存在することになるのだ。
 この京都の主として所在してきた天皇は、古くから水にまつわる神事を司ってきた。飛鳥京の遺構を調査した結果にも現れているが、天皇は水を"支配"することで権力を維持して来たという背景がある。京都でも、もっとも湧き水が豊富な一帯に、天皇家にまつわる施設を置くことで、その支配を狙ってきた。
 京都御所の近くには、天皇家に仕え、水にまつわる神事を司ってきた、鴨家の末裔が暮らしている。鴨脚(こう書いて「いちょう」と読む)家の当主は、今でも下鴨神社などで、水にまつわる神事に参加している。鴨脚家の庭には、京都御所の池と同じ水位を示す池が掘られている。今は、ほとんど枯れているが、かつて神事にあたっては、この池で禊するのが慣わしだった。
 この池に見られるように、都市化の進んだ京都では、地下水位の低下が深刻な問題を引き起こしている。アスファルトなどで被覆された市街地では、地下水が地下に浸透しない。近年、地下水を得られなくなった老舗の中には、水道水に切り替えたり、店を畳んでしまうところも出ているという。前出の豆腐屋さんも、地下水位の低下に悩まされた。しかし、さらに地下深くまで掘り下げたところ、十分な水量を確保出来たという。
 京都の地下水が枯渇する日が来るのかどうか、予断は許さないが、毎年引き継がれる神事などに水の色が色濃く残る、水の街でありつづけることだけは間違い無さそうだ。
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