Strange Days

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2002年11月02日(土曜日)

NHKスペシャル

テレビ 00:00:00 天気:快晴
 今夜のNHKスペシャルは、アフガニスタンのテレビ放送再開に関する話題だった。
 アフガンには、20年以上前にカラー放送設備が導入されたが(旧ソ連の援助だろうか)、その後は度重なる内戦に設備が破壊され、さらにタリバンによって放送自体を禁止されるという状況に陥っていた。よくタリバンが「厳罰主義で治安を回復させた(から支持を受けていた)という話を聞くけれど、言論という基本的な部分を統制していた状況を見る限り、長い目で見れば結局自壊したようにも思える。
 アメリカの介入によって、(一応)内戦が終結し、テレビ放送もようやく再開される運びになった。
 一時、離散していた技術者も戻り始め、市場にはテレビ受像機が出回っている。アフガンでは、比較的裕福な家庭にとっても、テレビはかなり高価だ。だが、かなりの勢いで売れているという。一応、治安が回復され、生活以外の娯楽に目が向くようになったのだろう。
 タリバンによるテレビ放送禁止の間、技術者、ジャーナリストたちはあるいは別の職に、あるいは難民として国外に逃れ、散り散りになっていた。ある女性プロデューサーは、もともと子供番組の担当だった。しかし、内戦の激化によって、家族ともども国外へと逃れざるを得なくなった。この女性プロデューサーは、避難先のパキスタンでも、難民の子供を対象に取材を続け、ラジオ放送でその状況を訴えていた。
 内戦が終わり、カブールに舞い戻った彼女は、再び子供番組の制作を手がけるようになった。しかし、子供番組のプライオリティは低く、機材が不足している現状では、取材用の機材借り出しも、ままならぬ有り様だ。
 地道な取材を続けるうちに、彼女は地雷の被害に遭う子供が非常に多いことに気づいた。アフガンでは、まず旧ソ連が大量の対人地雷を散布し、それに続く内戦で各勢力が大量の地雷を使用したため、実に数千万発も潜在していると言われている。対人地雷の中には、子供の気を引きやすい形をしたものもある。女性プロデューサーは、地雷の危険を訴える必要があると考え、スタジオ製作の番組を放送した。しかし、一番被害が多発しているのは地方の、テレビ受像機を持ってないような層だろうから、どれほど効果があるものだろうか。
 放送が続いていた頃、テレビの花形はやはり音楽番組だった。中でも著名な音楽家たちが出演する番組、「みんな集まろう」(日本でも同じようなタイトルがありそうだ)は、高い人気を誇っていた。ところが、タリバン政権下では音楽家は活動を禁じられたため、多くは国外への脱出を余儀なくされたのだ。
 内戦終結と共に、やはりこの番組の再開も目論まれた。ところが、音楽家の多くは国外にとどまったままであり、またタリバンによって楽器も破壊されていたため、大きな困難を伴うと思われた。
 一時帰国したかつての出演者を中心に、若手音楽家を加え、やっと番組の再開にこぎつけることが出来た。再び、アフガンに音楽が流れるようになった。
 内戦は、アフガニスタンの諸民族を分裂させてしまった。その爪痕は、テレビ放送ネットワークにも残されている。中央局と地方局の直接配信が、アンテナなどの破損で不可能になっている現在、地方局は独立性を高めている。中央にせよ地方にせよ、その地方の軍閥のカラーが強くにじみ出るようになっている。
 こうした状況の改善には、テレビ放送ネットワークの修復が必要だ。これは諸外国の援助でようやく進み始めている。
 それにしても、旧ソ連の侵攻はあまりに多くの困難を残してしまった。多民族国家を再構築するには、強力な経済の裏づけが必要だ。アフガニスタンの混乱収拾にテレビが一役買うのか、それとも混乱に拍車をかけるのか。現地ジャーナリストたちの頑張りにかかっている。って、なんか紋切り型に締めたりしてな。
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2002年8月24日(土曜日)

国宝探訪

テレビ 23:55:00
 寝る前にETVの国宝探訪を見た。今夜は高野山は金剛峰寺に集まった、仏教芸術の数々を取り上げる。
 金剛峰寺は、平安時代に空海によって開かれた、密教の根本道場だ。空海は、既に雑密と呼ばれる初期密教と修験道の修業地であった高野山を整備し、自らが日本に持ち込んだ純密の中心地としたのだ。人々の空海への信仰は厚く、その死後も実は生きているという空海信仰まで広まっている。
 そんな金剛峰寺も、空海の死後は荒廃が進んだ時期があった。それを立て直したのは、真言僧ではなく、他宗派の僧侶たちであったという。その証拠の絵画として、釈迦入滅の情景を描いた大幅の絵画が残されている。空海の密教では、信仰の中心は大日如来であり、それが様々な形に具現することで、この世の森羅万象が形作られると説く(超ひものひもみたいなものか)。それなのに、あえて仏陀入滅をテーマとする絵を書かせたのは、他宗派の僧たちも共に信仰できる対象であったからだと思われる。
 空海以降、密教はもっぱら加持祈祷を主として、朝野に数多くの信者を獲得する。その結果、貴族、皇族から数多くの宝物が、金剛峰寺へと収められることになった。今日、それらの宝物の多くが残存しているのは、歴代の真言僧らの政治手腕が優れていたからだといわれている。この事は、空海以降、もはや理論的に発展することが出来ず、加持祈祷による現世利益ばかりに走った真言宗の姿に重ねて、なにか皮肉なものを感じざるを得ない。
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2002年8月07日(水曜日)

今夜の動物モノ

テレビ 23:00:00
 夏休み中だからか、今夜21:00からのNHK総合は、特別番組っぽい動物モノをやっていた。
 月夜の晩、無数の帆立貝が海面に浮かび上がり、開いた貝殻に風を受けて走る......そんな話を聞いたことがあるだろうか。僕は初耳だったのだが、アイヌの民話や、それを聞き取った江戸時代の本には、そんな話があるそうだ。
 かなり嘘っぽさを感じる帆走帆立貝話だが、ある研究者は十分ありうることではないかという。航空力学を専攻してきたこの研究者は、帆立貝が長距離を移動する必要があるのなら、貝殻の開閉による水流で進むより、風を受けて走ったほうが遥かに省エネルギーであると考えた。
 研究者は、帆立貝について調べるうち、「飛ぶイカ」の存在を知った。スルメイカの近縁種で、図鑑によれば確かにそのように記述されている。研究者は鹿児島県、さらには離島に足を運び、漁師からも裏づけを取った。研究者は、トビイカの外形から、足の間になんらかの膜を張っているはずだと考えた。
 トビイカを求めて連絡船で粘ること二日、ついにトビイカにめぐり合った。後にその映像、さらには入手した現物からその飛行シーケンスを推定し、大筋では正しいと確信する。が、足の膜をどのように実現しているかが分からない。研究者のトビイカに対する研究は、まだ続きそうだ。
 また、沖縄には大潮の干潮時にだけ現れる「海に浮く花」があるとも聞き、現物を確かめに行く。それはもともと陸棲だったものが水棲に移行した水草で、大潮の干潮時、ほんの数ミリほどの白い雄花が浮かび上がり、風に乗って走り回るのだ。
 この雄花が決して風によって横転しないことに興味を抱いた研究者は、水棲生物の研究者の協力を得て、その構造を明らかにした。この雄花は、外側は疎水性の、内側には親水性の表面を持っている。その結果、雄花は内部に水を抱え、外部は水の表面張力を受け、かならず直立するようになっていたのだ。
 本題の帆立貝に関しては、なかなか情報が集まらない。帆立の水揚げがある港の漁協に尋ねても、否定的な意見ばかりだった。しかし、過去のコラムや、民話などからは、帆走する帆立貝の話題を見つけることが出来た。研究者は、いつか必ず帆走する帆立貝を目撃できるのではないかと期待している。
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2002年7月28日(日曜日)

NHKスペシャル「巨大穴の謎に挑む」

テレビ 23:00:00 天気:晴れ(やはり雲量大)
 今夜のNHKスペシャルは、「巨大穴の謎に挑む」。南米はギアナ高地に点在する巨大な穴の話題。
 なつかしいなあ。たぶん、僕と同年代の方は、NTVの木曜スペシャルでの放映を覚えてらっしゃることだろう。サンデーだったかマガジンだったか、少年誌でも盛んに特集されたものだ。今回は、あの巨大穴に再び調査に訪れた研究者たちに同行する。
 この巨大穴は、ギアナ高地の上面に点在する、直径50mから300mに達するものだ。ギアナ高地のサリサリニャーマという台地に存在するこの穴は、40年近く前に航空機によって偶然発見された。今回の番組に登場するブリュワー氏も、発見直後の巨大穴に降り、調査を行ったという。ところが、その時には数日の時間しかなく、十分な調査を実施できなかった。そこで今回は、ベネズエラ政府の特別な許可の元、数人の科学者チームと共に3週間の調査を行うことになったのだ。
 このギアナ高地自身、人跡未踏の地であり、ヘリコプターによる移動がもっとも確実だ。一行はサリサリニャーマの台地上にヘリコプターで機材を運びあげた。
 調査の主目標としたのが、巨大穴の中でも最大のもの、直径、深さ共に300mを超える穴だった。穴の周囲は切り立った断崖になっており、探検家であるブリュワー氏はともかく、他の研究者たちには自力での降下は難しい。そこで、ヘリコプターでの着陸が試みられた。しかし、ヘリコプターでも、鬱蒼とした木立をかいくぐってのランディングは難しい。結局、ヘリコプターを地面すれすれにホバリングさせ、そこからおのおの飛び降りる形になった。
 穴の内部には、台地上とはまた違った生物相が見られる。ここはギアナ高地の断崖によって下界から隔絶し、さらにそのギアナ高地とも穴の断崖によって隔絶している。二重の孤立地なのだ。それ故に、今まで知られてなかった新種の生物が、相次いで発見された。
 穴には不思議な場所がいくつもある。その一つが、ある断崖に沿って存在する「種の山」だ。植物の種が、何メートルにもわたって降り積もり、山をなしているのだ。この映像を見て、これは確か昔の放映でも見たぞと思い出した。その時には、確か成因は謎とされたんだっけ。
 しかし今回、その謎が解き明かされた。この場所の断崖に、大量のヨタカの一種が生息している。彼らは夜になると巣穴を出て、ギアナ高地へ、さらに下界へと去り、食料を調達してくる。この食料として最も多いのが、木の実の類なのだ。ヨタカは巣穴に帰ると、消化できない種だけを巣穴の外に出す......つまり、その種が巣穴の下に積みあがっていたのだ。
 これにより、巨大穴内部の不思議な植物分布の謎も解明できる。ここには、ここ固有の植物がある反面、下界にあるありふれた植物も存在しているのだ。後者はヨタカなどによって、下界から持ち込まれたものだったのだ。
 ところで、この巨大穴はどのようにして生まれたのだろう。ブリュワー氏は一つの仮説を立てた。
 このギアナ高地自身は、1億年程前、南米が超大陸の一部だった頃、湖に堆積した土砂が固まった堆積岩で出来ている。やがて超大陸が分裂し始めると、ギアナ高地の真下にホットスポットが生まれ、そこから上昇するマグマの圧力で、この地が高々と押し上げられた。さらにその堆積岩が雨などに浸食された結果、この奇観が生まれたのだという。
 では巨大穴は? 巨大穴の内部を観察すると、大きな岩塊が散乱しているのが分かる。そのことから、穴は空洞が生じ、それが崩落することで生じたと推測される。その空洞を穿ったものは? ブリュワー氏は、それは地下水だと推測した。ギアナ高地は雨量が多く、その多くは隙間の多い堆積岩の性質から、地下深くに浸透し、地下水脈を形成しているはずだ。その地下水脈の豊富な水流が、地下深くで空洞を穿った。その空洞は、内部に水が充満している間は、その水圧で保持されていた。ところが、ある時になんらかの理由でその地下水が放出され、水圧で支えきれなくなった空洞の上面が崩落したというわけだ。
 もしもこの仮説が正しいのなら、巨大穴には地下水脈の痕跡が見つかるはずだ。調査団はそのありかを探し始めたが、最大の穴では見つからない。恐らく、最大であるだけに、堆積した岩石の層も分厚いのだろう。そこで別の穴を調査した。すると、水量の豊富な泉が断崖から湧き出しているのが発見されたのだ。さらに、この水脈の行方も推測された。最終的には台地の外周のどこかで、下界へと流れ落ちているはずだ。その地点をヘリコプターで調査したところ、確かに台地のふもとへと、大きな水流が湧き出しているのが発見されたのだ。
 これらの証拠から、恐らくは巨大穴同士は地下水脈でつながっており、最終的には台地の外周から流れ出ているのだろうと推測された。
 ブリュワー氏は、いつかこの地下水脈を探検したいという。そんな狭くて暗くて危険な場所は、僕ならごめんだが。元気なおじさんである。
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2002年7月27日(土曜日)

NHKスペシャル

テレビ 23:00:00 天気:晴れ(雲量大)
 今夜のNHKスペシャルは倒産企業の復活戦の話題。ここ数年、戦後最大規模の倒産が相次ぎ、件数的にも高原状態を保っている。件数的に多くを占めるのが、中小企業、さらには個人経営の零細企業だ。多くは中国からの安価な輸入品に押されている製造業だ。
 一度倒産した企業の建て直しは難しい。豊富なリソースを持つ大手企業でさえ、しばしば再建に失敗するのだから、限られたリソースしか持たない零細企業の再建が難しいのも道理ではある。
 番組では、残った社員たちが、未払いの給与などを債権として、企業の工作機械などを入手し、操業を続けながらの再建を目指す、自主再建企業を追っていた。企業再建という課題に対し、最大の壁として立ちふさがるのが、失われた信用の回復だ。信用が低ければ、金融機関から資金を得ることは難しい。また顧客を得ることも困難だ。倒産からの復活戦は、限られた資金をやりくりしながら、少しずつ信用を取り戻してゆく戦いともいえる。
 番組中、自主再建企業同士が手を組み、新しい製品開発に挑む姿も紹介されていた。しかし、乏しい資金のやりくりがつかず、開発は順調には行かない。
 一度倒産した企業のうち、復活できたのはわずか1割だといわれる。製造業への逆風が続く中、人々の血のにじむような努力は続く。
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2002年6月23日(日曜日)

NHKスペシャル アジア古都物語「千年の水脈たたえる都~京都」

テレビ 23:00:00 天気:くもり
 面白かったこのシリーズも最終回だ。今回は、千数百年の歴史をもち、長らく日本の首府だった古都、京都の話題。
 京都には老舗が多い。それぞれに長い歴史を持つ老舗は、客が店を選ぶだけでなく、店も客を選ぶという、京都の商風土に磨き上げられてきた。それらの老舗を足元から支えてきたのが、京都に豊富に湧き出る湧き水だ。市中に数多くある和菓子屋の透明な味わいを支えているのは、あちこちにある湧き水だ。豊富で美味しい湧き水で素材を磨き、繊細な和菓子の味を作り出しているのだ。
 ある豆腐屋の主人も、地下からくみ出す湧き水で豆腐を作っている。主人はこの湧き水が高品質なことを誇りにしている。
 京都に豊富な湧き水をもたらす秘密、それは京都特有の地勢にある。京都は全体が盆地にすっぽり収まっている。その地下を探ると、地下もまた岩盤による盆地状の地形になっていることが分かっている。岩盤は水を通さないため、この盆地に降った雨は京都の地下に溜まる。その水は、盆地の南端からしか流出しないため、京都の地下は地下水が豊富に存在することになるのだ。
 この京都の主として所在してきた天皇は、古くから水にまつわる神事を司ってきた。飛鳥京の遺構を調査した結果にも現れているが、天皇は水を"支配"することで権力を維持して来たという背景がある。京都でも、もっとも湧き水が豊富な一帯に、天皇家にまつわる施設を置くことで、その支配を狙ってきた。
 京都御所の近くには、天皇家に仕え、水にまつわる神事を司ってきた、鴨家の末裔が暮らしている。鴨脚(こう書いて「いちょう」と読む)家の当主は、今でも下鴨神社などで、水にまつわる神事に参加している。鴨脚家の庭には、京都御所の池と同じ水位を示す池が掘られている。今は、ほとんど枯れているが、かつて神事にあたっては、この池で禊するのが慣わしだった。
 この池に見られるように、都市化の進んだ京都では、地下水位の低下が深刻な問題を引き起こしている。アスファルトなどで被覆された市街地では、地下水が地下に浸透しない。近年、地下水を得られなくなった老舗の中には、水道水に切り替えたり、店を畳んでしまうところも出ているという。前出の豆腐屋さんも、地下水位の低下に悩まされた。しかし、さらに地下深くまで掘り下げたところ、十分な水量を確保出来たという。
 京都の地下水が枯渇する日が来るのかどうか、予断は許さないが、毎年引き継がれる神事などに水の色が色濃く残る、水の街でありつづけることだけは間違い無さそうだ。
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2002年6月09日(日曜日)

NHKスペシャル「イグネ 屋敷林が育む田園の四季」

テレビ 23:00:00 天気:晴れ
 今夜のNHKスペシャルは、仙台平野に点在する小さな人工林、イグネの四季。
 イグネは居久根と書く。仙台平野に入植した植民者たちが、田畑や家屋を守るために作った、人工の林だ。イグネは、仙台平野を吹き抜ける北風を防いでくれる。番組は、イグネが残る長喜城地区の一年を追った。
 この林は人工の林であるだけに、常に人手を必要とする。里山に比べれば楽そうだが。植層が自然にはありえないだけに、木を切ればその分だけ新しい植林が必要なのだ。
 ある農家は、30年程前に家を建て替えた際、このイグネから切り出した材木だけで賄ったという。完成までに15年掛かったということだ。木を乾燥させたり、成長を待ったりするために、これだけの時間が掛かったのだろう。
 長喜城では、農業の共同化を進めており、他の地区よりも労働力不足に悩まされることは少ない。だが、農民の高齢化、若年層の流出により、やはり苦しくなりつつあるようだ。それでも盆には地区外に出ていた家族も戻り、賑やかな宴会が繰り広げられる。
 労働力不足に悩まされた末、とうとうイグネの伐採に踏み切った農家もある。市街地が間近に迫ってきており、将来どこまで林を守り通せるか、不安が残る。
 人の手で作られた林だけに、人手が無くなればあっけなく消えてしまう。だが人の手で作られたがゆえに、どこか心安らぐ小さな森。残して行ければいいなと思った。
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2002年6月08日(土曜日)

NHKスペシャル「ニッポンの技が未来を開く」

テレビ 23:00:00 天気:晴れ
 今夜のNHKスペシャルは「ニッポンの技が未来を開く」。日本の伝統工芸は、日本人が様々なヒントを得ながら、自らの生活の中で磨き上げてきた経験の技だ。それら伝統工芸は、近代に入って西洋科学文明による淘汰にさらされ、あるものは廃れ、あるものは文化的側面を強調することで生き残ってきた。しかし、現代の科学技術に対し、それらの伝統工芸が、様々なヒントを与えるようになっているという。
 現代文明の利器として、象徴的な存在である自動車。日本は、その自動車の生産国として実力を高めてきた。その自動車の心臓部、エンジンから、路面に力を伝えるタイヤへの伝達装置に、日本の思わぬ伝統工芸が関係している。和紙だ。
 伝達装置は、エンジンからプロペラシャフトへと、動力を滑らかに、しかも確実に伝達できなければならない。構造としては、2枚の金属プレートを密着させ、動力を伝達する仕組みになっている。しかし、ただの金属面を接触させただけではスリップが発生し、また破損の恐れもある。そこで、この部分に柔軟な素材を貼り付け、それらが擦りあうことで金属面の直接の接触を防ぎ、またその素材にオイルを浸透させておくことで、高温高圧にも耐久しやすいように工夫されている。従来、この素材としては、石綿が使われてきた。石綿は燃えず、また柔軟性も併せ持っているので、素材としては理想的だ。ところが、石綿は強い発ガン性を持つことが知られるようになり、各国で使用を禁止されている。そうなると、何らかの代替素材が必要になる。
 日本のあるメーカーは、その素材として合成素材を紙状に整形したものを試作した。ところが、ただ単に素材を繊維状にばらし、薄く整形しただけでは、素材同士がくっつきやすいため、斑が出来てしまう。これでは実用にならないのだ。そこで、メーカーはある和紙職人に助けを求めた。和紙職人によれば、和紙の場合、単純に繊維を溶かして漉くのではなく、ある添加物を加えるのだという。植物から取れる粘液状のもので、繊維を絡めとる糊のような役割をするのだ。繊維はこの糊にくるまれ、他の繊維から離れてしまう。そこで漉くと、きれいに斑の無い和紙を漉けるのだ。和紙職人は、持参の道具で、合成素材を漉いてみた。すると、きれいな和紙状の素材が出来上がった。この製法を機械化した結果、実用化された新素材は、世界市場で大きなシェアを占めることが出来たのだ。
 ニューヨーク、レストランや、そこで使う調理道具を扱う店などで徐々に売上を伸ばしているのが、日本製の包丁だという。日本刀の伝統を引き継いだ包丁は、こまやかな調理を必要とされるようになった、欧米の調理人たちに広く受け入れられつつある。切れ味に勝る点が受け、伝統的に大きなシェアを占めるドイツ製刃物に迫る勢いだという。
 ところが、シェアを伸ばしつつあった頃、欧米のユーザからのクレームが相次いだという。包丁がすぐに壊れるというのだ。欧米の調理では、大きな肉の塊を刀で叩ききるようにして切るなど、かなりハードな使われ方をする。日本製の包丁は切れ味の鋭い鋼鉄を使用しているのだが、硬い反面もろい性質があり、粗い使われ方に耐え切れなかったのだ。そこでメーカーは、日本刀の刀鍛冶に協力を求めた。日本刀でも素材は鋼鉄だ。しかし日本刀は過酷な肉弾戦に耐えられるようになっている。そこに何か秘密があるのではないか。
 秘密は、日本刀の製造工程そのものにあった。日本刀の刃は鉄に炭素を浸透させた鋼鉄であることは前述の通りだ。しかし、単純に浸透させると、炭素含有量の多い部分で斑が出来、もろいその部分から破損しやすくなる。そこで刀鍛冶は、日本刀を繰り返し鎚で打ち、"鍛える"のだ。鍛えることで、斑が少なくなり、より粘り強くなる。メーカーは斑を無くす行程を取り込み、荒っぽい使用にも耐えうるよう、製品を改良できた。このメーカーは、ますますシェアを伸ばしているという。
 日本版スペースシャトルとして開発中なのが、HOPE。完全無人の小型往還機で、H2A改によって打ち上げられる予定だ。大気圏に再突入する必要がある往還機では、機体の少なくとも一部を熱から保護する必要がある。そのため、アメリカのスペースシャトルの機体下面には、シリカ素材を使ったタイルを使用している。しかしシリカ素材のタイルは高価で、高コスト/パフォーマンスであることが必要なHOPEには、そのままでは適用できない。そこでNASDAは、陶石を使った"陶器"を使用することを考え、ある陶芸家に協力を求めた。
 陶器そのままではシリカ素材の場合より重くなってしまう。そこで陶芸家は、発泡素材を使って小さな空洞をたくさん作ることを考えた。こうすることで、強度を確保しながら軽量化も図れるのだ。
 試作されたタイルの質量比はシリカ素材より軽量に仕上がっている。HOPEが飛ぶのはまだ先だが、陶芸家の夢は膨らむばかりだ。
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2002年5月12日(日曜日)

NHKスペシャル「変革の世紀」

テレビ 23:00:00
 NHKスペシャル「変革の世紀」第2回目は、"情報革命が組織を変える"。
 20世紀の大半を通して、様々なサイズの組織は、大体のところピラミッド状の階梯を成していた。つまり、意思決定を行う少数の幹部が居て、その下にその命令に従う労働者がいるという形式だ。その命令を効率的に実行するべく、多数の中間管理職が存在するのが普通だ。
 このような階層構造の組織を考案したのは、普墺、普仏戦争の立役者、ドイツ参謀本部のモルトケ(大の方)らしい。モルトケは、長い訓練期間を必要とする熟練した正規兵中心の軍隊を、未熟練の動員兵主体の近代的な軍隊へと作り変えた。平時に専門職(そしてただ飯喰らい)たる軍人を多数用意するのではなく、必要なときにその辺の一般市民に武装させて使うことをはじめたわけだ。そのような軍隊に、なおかつ高度な行動力を必要とする近代戦を遂行させるために、モルトケは一般兵に最低限の命令を与え、それさえこなせば機能する組織を編み出したのだ。この、教育を受けていないふつうの人に、高度な各種労働を遂行させるための仕組みは、その後様々な近代企業が取り入れるところとなった。
 中でも自動車メーカーのフォードは、ライン生産による職能の分解と組み合わせ、爆発的な成長を可能にした。フォードはピラミッド型企業の代名詞となった。
 ところが、こうした巨大組織に異変が生じている。
 まず、米軍は、一人の兵士は一人の命令系統からしか命令を受けないという大原則(命令一系統の原則とでも名づけるか)を崩し、ある兵士が直属の上司を飛び越えて、さらに上部の司令部から命令を受け取ったり、逆に情報を伝えたりすることを可能にしようとしている。このバックボーンになるのが"戦術インターネット"だ。一つの戦域中にある軍の構成員全員が、各種AFVに設置された端末を通じて情報を共有するのだ。これにより、情報の遅滞、欠如を生じることなく、自由に命令と情報の交換が可能になる。それだけではなく、横のつながりさえ生まれる。ある歩兵部隊が、上位司令部の命令を待つことなく、すぐ背後にいる砲兵部隊に支援依頼することが可能になるのだ。もちろん、戦闘教則もそのように書き換えられることだろう。
 フォードの場合、従来のラインが最下部、すなわちひたすら命令を待つだけなのはおかしいと、ピラミッドをひっくり返そうとしている。すなわち、顧客や生産現場に接している一般社員に大規模な権限委譲を行い、中間管理職、経営陣は、その支援に回るという図式だ。もちろん、企業の舵取りは"誰か"がやるのだろうが。
 さらに進んで、組織そのものが消滅するという予測もある。ある研究組織は、掲示板システムをうまく活用し、利益を上げている。ある懸案を掲示すると、それにまつわる情報を全社から求める。そしてその懸案に興味を持つ社員が集まると、自然に一つのプロジェクトが生まれるという寸法だ。これを進めてゆくと、やがて企業からは"部"、"課"、"係"などが消えるだろう。そして、それぞれ特殊な知識や技能を身につけた社員一人一人が、ある案件に対して集まり、解決や発展を図る場がアドホックに生まれてゆく、そういう組織になると予測する研究もある。
 この辺、日本ではどうかなと思わなくもない。すなわち、なにかトラブルがあったとき、それに対して謝罪し、あるいは"誠意"を見せるのは、ある程度の地位を持つ幹部でなければならない。いくら権限を持っているとはいえ、その辺のヒラが頭を下げても、日本の企業風土ではまったく意味を持たないのだ。こうした風土が根強く残る限り、縦の組織が急に解消されることは無いだろう。と、ここまで書いて思ったのだけど、それなら頭を下げる専門の部署を設け、見かけ上高い地位につけておけばいいのだ。実に日本的解決法。
 しかし、果たしてこのような組織が有効に機能するのだろうか。末端の一人一人が高度な権限を持つ。そのような組織では、不正をどう防げばいいのだろうか。例えば、莫大な資源を持つ大企業にオウム真理教(現アレフ)のような狂信者集団が潜り込み、危険な物資の調達、あるいは生産を図ったとしたら。また軍事組織で、首都にミサイルを照準することで、クーデターを図る組織が暗躍したとすれば。それゆえに、未来の組織では、監察という要素がより重視されるようになるだろう。軍隊の憲兵隊を、より強化したような組織が設けられるかもしれない。この組織がかなり高い権限を持たなければならないのは自明だろう。なぜならば、取り締まる対象がそれぞれに高度な権限を持つ構成員、あるいはその集団だからだ。その活動を阻止するには、やはり高度な権限を持ち、それらの活動を止めさせなければならないだろう。また命令系統の混乱防止、あるいは監査作業の独立性のために、監察組織もまた独立した存在でなければならない。ますます憲兵隊に似てくることになりそうだ。
 未来の組織は、あるいは個人個人がその力を伸ばせるような、働きやすいものになるかもしれない。しかし同時に、組織全体に張り巡らされた監視の目という、新たなストレス源が生まれることになるのかもしれない。
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2002年4月14日(日曜日)

NHKスペシャル「変革の世紀」

テレビ 23:00:00
 今晩のNHKスペシャルは、新シリーズ「変革の世紀」。第一回は『立ち上がる市民パワー』。
 ここ数年、いわゆる新ラウンドを議題とするWTOの会合に、"反グローバル化"を標榜する様々な市民グループが異議を唱え、会場を取り囲んで気勢をあげる光景が見られるようになった。そうした市民グループの中の中に、フランスに本部を持つATTACがある。彼らは"もう一つの世界"を合言葉に、行き過ぎたグローバル化は貧富の差を拡大し、社会に不安をもたらすと主張する。
 ATTACは、ル・モンドのある社説を切っ掛けに生まれた。その記事を執筆したル・モンドの編集長は、今はATTACの主要メンバーでもある。行き過ぎたグローバル化の弊害を説くその記事には、思いがけないくらいの反響があり、社会の非常に広い範囲で、興味を集めているのだと気づかされた。その記事を切っ掛けに、インターネット上で様々なディスカッションが繰り返されるようになった。それはやがて、市民グループATTACの成立へと向かった。
 ATTACの特徴は、比較的高年齢層が多いことだ。このことは、比較的余暇があり、経済的にも豊かな層が、それでも(自分たちに富をもたらしているに相違ない)世界経済のあり方に疑問を抱き、さらには抗議の声を挙げていることを意味する。いわば自分たちの富の源泉に疑問の目を向けた形になっている。あるいは、当然あるべき配当が、実際にはなされてないと感じているのだろうか。
 ATTACの会員はフランスを中心に世界中に広がっている。特に会員の多いフランスでは、あちこちの地区で会合が持たれ、様々な議題に対して議論が続けられている。そして彼らのターゲットの一つが、その発足のきっかけになった経済のグローバル化を推し進める、WTOの会合なのだ。
 WTO新ラウンド反対を叫ぶ団体は、ATTAC以外にも多種多様に存在する。カナダのある団体は、カナダ政府がガソリン添加物禁止を撤回した経緯から、『国民の健康より海外貿易を優先する政策に反対するには、自分たちも国境を越えてゆかねばならない』という認識に至り、ATTAC同様にWTO新ラウンド反対を叫ぶようになったという。
 先進国だけの現象ではない。ジンバブエでは、通貨危機を切っ掛けに、自国経済のあり方に疑問を抱く経済学者が、やはり市民団体を結集してグローバル化に抗議の声を挙げるようになった。彼は、先進国の市民グループに、正直なところ反感を抱いていたという。しかし、『共に新ラウンドに反対してゆこう』というメールを先進諸国の市民グループから受け取ったのを切っ掛けに、考えを改め、共闘するようになったという。
 1999年、シアトルで行われたWTO新ラウンド交渉は、新ラウンドの危険性を説く市民団体に推されるようにして、まずいわゆる発展途上国が異議を唱え、さらに先進国同士でも意見が分裂するようになり、結局は決裂する結果となった。それ以降も、新ラウンドは、こうした市民グループたちの反対に悩まされつづけている。
 彼ら自らもグローバル化を進める市民グループは、一様に『シアトルが原点だ』という。従来、国際政治の前には無力だった一般市民だが、連帯することでその壁を突き崩せることに気づき始めている。この流れは、インターネットという効率的な知識共有手段により、ますます加速してゆくだろう。
 実は、僕自身は、テレビで放映されるWTO議場を取り囲む市民団体と、彼らが引き起こす暴動(市民団体は各国政府の陰謀だと主張している)を見て、なんだってあんなことをするのか、その行動原理に疑問を感じ、むしろ反発を感じていた。しかし、その成立の経緯、そこに所属する人々の素顔を見て、かなり親近感を憶えた。僕だってクラゲのような生活を送ってはいるが、クラゲ程度には生存競争にさらされ、自分と社会のありように様々な疑問を感じている。そこで声を挙げ、実際に行動した人々が、彼らなのだと理解した。彼らと、様々な事柄を話し合ってみたいと思った。たとえ思想も価値観も異なっていても、得られるものはありそうに感じたし、また彼らも対話を重んじるだろうと思った。もちろん、対話可能性など全く無いような、奇矯で過激なグループもいるのだろう。だが、彼らの大半が、専門の市民運動屋(家ではなく)ではなく、その辺の一般市民だという認識は重い。
 しかし、まだわだかまりは残る。最初、彼ら市民グループはこう叫んでいた「あちら(国際会議に臨む各国政府高官の人数)は30人、こっちは3億人!」と。ちょっと待て、それはおかしい。彼ら市民グループが代表してカウントできる人数は、彼ら自身の人数に過ぎないはずではないか。勝手に、その他の無関心層を代表してしまっていいのだろうか。"市民グループ"が代表する"市民"とは、実際には市民のごく一部、彼ら自身に過ぎないのではないか。ニクソンばりにサイレント・マジョリティを持ち出すのなら、それは"30人"の側だって持ち出せるはずだ。
 このスローガンが、自覚的にスローガンにとどまっているのならいいだろう。しかし、これが『我々=最大多数派』、いや、『我々=市民全て』という錯誤に変わるとき、市民運動は政治的な革命運動へと堕落してゆくだろう。
 市民パワーは強大化してゆく。インターネットなどのツールを手に入れた結果、これはもう逆転しようの無いことだろう。しかし、強大化したものには錯誤と、腐敗とがつきまとう。彼らが決してジャコバン化しないなどと、どこの誰にも保証は出来ない。強大化する市民パワーを、今度はまた誰かが監視しなければならない。そういう流れからは、NGOを監査するNGO、あるいは国際的なルールが求められることになるだろうと思う。直接、政治を担おうとする市民、それがどのように影響してゆくのか、今の段階では計り知れない。
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2002年3月30日(土曜日)

さらば、サイエンス・アイ

テレビ 23:55:00
 帰宅して、テレビを見ながらゲームする。なんと、サイエンス・アイが今日で終わりなんだとか。月一の特集とか、名物研究室とか、面白い企画が多かったんだけどなあ。クソまじめな番組作りじゃあついていけない程度の、いちいち手取り足取しなきゃならない、なにも思考しない視聴者が増えすぎたんだろう(世の中一般化してる『笑いどころでテロップ』とかな)。もったいない話だ。未来潮流といい、新日本探訪(これは毛色が違うが)とか、俺様がお気に入りの番組ばかり終わらせやがって。許すまじNHK。しゃべり場みたいな番組こそ、民放に任せてしまえばいいのに。
 4月に始まる新番組で、なにか期待できるものはあるだろうか。
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2002年3月10日(日曜日)

NHKスペシャル「海のけもの道」

テレビ 23:00:00
 今夜のNHKスペシャルは、「海のけもの道」。日本独特の漁法である、定置網の話題。
 定置網は、その名の通り、海中に網を仕掛け、魚を誘い込むという漁法だ。定置網は能登半島に抱かれる富山湾で発達してきた。その発祥は、戦国時代、関が原の合戦の頃にまでさかのぼるという。
 富山湾では、秋冬にかけて、10kg前後の脂の乗ったブリが大量に水揚げされる。その水揚げの多くを担うのが、この定置網なのである。
 定置網は、まず沖合いから岸に向かって伸びる垣網、この垣網で誘導された魚を囲い込む運動場、魚を定置網の奥へと誘導する登り網、そして最終的に魚を水揚げするための箱網で構成されている。最小の空間である箱網の中でさえ、ブリの魚群が十分回遊できるスペースがある。
 垣網は黄色く着色されており、この色を嫌う魚たちは垣網と並走することになる。回遊魚は水深が深いところを好む性質を持っているので、沖合いにある運動場へと誘い込まれる。運動場に入った魚は、次第に定置網の奥へ奥へと誘い込まれ、最後は箱網で水揚げされることになる。ところが、最近の研究では、定置網に入った魚の2割しか捕獲されてないことが判明した。定置網は入った魚を決して逃がさない半密閉型の仕組みではなく、できるだけその滞在時間を長くしようという一種の開放系なのだ。
 定置網は規模が大きいだけに、その設置には多大な時間が掛かる。
 去年、相模湾を漁区とするある漁協が、台風で壊されてしまった定置網の再設置に乗り出した。相模湾の急潮による定置網破壊は、寺田寅吉が研究した事例もあるそうで、結構長く対策が練られてきた。それでも事故が無くならないのは、定置網をあまり頑丈に作ると潮流を妨げ、今度は潮の流れを利用する定置網自身の意味がなくなるからかもしれないと思った。
 この漁協では、まず製網会社に設計を委ね、その設計に沿って実際の設置作業を行っていった。
 まず中心となる2対のロープを張るところから始め、そのロープを位置決めし、しっかり固定し、次の網を張る、という手順で進んでゆく。その所々で、伝統的な手法が生きている。位置決めの際には、陸地の見え方から位置を割り出す山立てという技法が用いられる。400年もの歴史を持つ定置網は、こうした技術の分厚い蓄積に支えられているのだ。
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2002年3月05日(火曜日)

NHKスペシャル「森と水が生んだ奇跡 世界遺産 中国・九塞溝

テレビ 22:00:00
 夜、昼間寝すぎて眠れないうちに、CLIEがグォーっと鳴った。いや、バルカン砲を仕込んでいるわけではなく、バイブレーターが作動したのだ。バイブレーターは肩こり解消についているわけではなく(そんなに電池がもたないと思うね)、あらかじめ指定していたスケジュールの時刻になったことを知らせてくれたのだ。これで思い出したのだが、今日は前に見損ねたNHKスペシャルの再放送があるのだった。どうせ眠れないので、ビデオに撮るのではなく、直接見ることにした。
 今夜のNHKスペシャル再放送は、中国は四川省にある世界遺産の景勝地、九塞溝の紹介。
 中国、山深い四川省と中原との境に立つ山を削るようにして、Y字型に谷が走っている。そしてその谷に沿って、大小さまざまな池が点在している。ここが九塞溝だ。
 九塞溝の湖沼群は、それぞれに違った表情を見せてくれる。しかしそのいずれも、青く澄み切ったような、不思議な色に統一されている。この青、深みを帯び、しかもどこまでも透明に見通せるという、ちょっと他に無い色だ。映画『ショーシャンクの空に(これは邦題な)』で「太平洋が夢に見たような青ならいいのだが」なんて台詞があったが、これぞまさしく夢に見るべき青だろう。しかも、悪夢にも登場しそうだ。
 九塞溝の水に神秘的な青をもたらしているものは、いったいなんなのだろう。そこには、九塞溝の成り立ちが関係している。
 九塞溝の位置する山脈は、数億年前の古大陸時代には、二つの大陸の間に広がる浅瀬だった。浅瀬には殻を持つ貝類、頭足類、珊瑚が繁殖し、その屍がうずたかく積み上げられていった。それらの死骸が豊富に含む石灰質が堆積していった。やがて浅瀬は大陸移動によって隆起し始め、その圧力で石灰質は石灰岩へと変わった。遂にはうずたかい山へとのし上がり、今の姿になった。つまり、九塞溝をいただく山々には、膨大な石灰岩が含まれているのだ。
 その石灰岩は二つの役割を果たし、水を浄化する。まず、浸透した雨水は地下を移動するうちに石灰岩がフィルタとなってろ過される。そして九塞溝の水底から湧き上がった地下水は石灰を豊富に含んでおり、この石灰が水中のゴミに付着し、沈底することで、さらに水が浄化されてゆくのだ。
 九塞溝の湖底には様々な藻が繁茂しているが、砂漠のような白砂も広がっている。藻の中には石灰質を沈着させて真っ白になったものもあり、まことに見ていて飽きない多彩さだ。
 しかし、いくつもの湖沼が連なるこの眺めは、どのようにして形成されたのだろう。その答えは、山を一つ越えた隣の谷にあった。ここにも、九塞溝を凝縮したような、小さな湖沼群が形成されつつある。まるで棚田のように見える池と池を隔てているのは、積みあがった木の葉や枝を核に成長した、石灰質の壁なのだ。ちょっとした切っ掛けで水がよどみ、木の葉などが溜まり始めると、その上に石灰質が沈着し始める。やがて石灰質は壁状に成長するというわけだ。
 九塞溝では、これよりもっと大規模に壁が形成されている。その新陳代謝の中で、より広い池に水没してしまった古い壁もあり、それはまるで水底に龍が潜んでいるようだ。
 湖の中には、季節によって幻のように消えたり現れたりするものもある。水源が地下水なので、地下水位が上昇する雨季に現れ、低下する乾季には消えてしまうのだろう。こうした季節変化の大きさも、九塞溝の魅力の一つだ。
 この地勢ゆえか、植物の生態も独特なものだ。池から池へと水が流れるそのただ中に、緑を茂らせた潅木類が平然と林立しているのだ。ふつう、特殊なものを覗き、植物は根が水没すれば、呼吸が出来なくなって枯れてしまう。ところが、九塞溝の植物群は、呼吸根という水中で直接空気を取り入れる特殊な根を発達させることで、その問題を解決しているのだ。
 しかし、そもそも流水の中に種は根をおろせないはずだ。すぐに水に流されてしまう。ところが石灰質の壁は多孔質で、種が引っかかりやすく、また根をおろしやすいのだ。その結果、かなりの種類の植物が流水中に根をおろし、生い茂ることが出来るのだ。
 このように九塞溝は、地形がもたらす奇観に、植物が見事に適応した結果生まれた、見事な場所なのだ。しかしここ、日本から見に行くのは大変だろうな。
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2002年2月16日(土曜日)

NHKスペシャル

テレビ 23:00:00
 今夜のNHKスペシャルは、「心を癒す魔法の国」。
 アメリカはフロリダ州、大小さまざまなテーマパークが密集する辺りに、一風変わったテーマパークがある。"Give Kids the World"と名づけられたこの施設は、ある限られた人々のために作られた施設だ。明日をも知れない難病と戦う子供たちと、その家族のためのものなのだ。
 この施設を作ったのは、代表を務める元実業者、ランドワース氏だ。彼はベルギーの裕福なユダヤ人一家で育った。時は第二次大戦前、やがて戦争がはじまり、一家はナチスの手で強制収容所に送り込まれた。両親は収容所で殺害され、取り残された彼はアメリカに渡り、血のにじむような努力の後、いくつものホテルを経営するホテル王にまで上り詰めた。
 経営者として成功を享受していたはずの彼が、その座を投げ打つ決意をしたのは、ある家族からのキャンセルの電話だったという。彼はキャンセルの理由を知りたいと考え、調査した。その家族は、実は不治の病に犯されていた娘との旅行を計画していたのだが、旅行の直前にその娘が亡くなり、旅行を取りやめていたことが分かったのだ。彼は家族との旅行という小さな望みさえかなわなかったその少女のことを悼んだ。家族と引き離された我が身にひきつけ、他人事とは思えなかったという。
 このことを切っ掛けに、彼は難病と戦う子供たちと、その家族のための施設を作ることを考え始めた。安らぎもなく、恐怖にさらされている彼らに、せめてひと時の安楽を、と。
 ランドワース氏は、資産の全てを売却し、フロリダ州に土地を購入した。その上で、広く寄付を呼びかけた。彼の構想で、様々なアトラクション、ゲストハウスが整備され、Give Kids the Worldがスタートした。
 Give Kids the Worldは完全無料でゲストを迎える。ゲストはアメリカだけでなく、世界各国からやってくる、難病の子供たちと、その家族だ。その渡航、滞在費用は、すべてGKWが持つ。ゲストはGKWの施設だけでなく、その趣旨に賛同する周辺のテーマパーク(例えばディズニーワールドのような)も無料で利用できるのだ。そこでもゲストは特別に扱われ、人気のあるアトラクションにも並んで待つことなく、すぐに利用できるのだ。難病の子供たちとその家族にとって、時間はあまりにも貴重なものだ。もしかしたら次はないかもしれない。そういう気配りが行き届いている。
 GKWの職員はわずかで、運営のほとんどはボランティアが賄っている。それと企業の寄付。この二つが、一家族辺り1万ドルを超えることもある費用を捻出することを可能にしている。
 ゲストの一家にとって、GKWでの時間は大きな救いになる。明日をも知れない病魔にさらされている子供と、その家族には、気の休まる時間もない。家族揃っての旅行も極めて困難だ。旅先で症状が悪化したら、どうすればいいのだろう。そういう不安を解消するための準備も、GKWではなされている。
 アメリカでは、難病の子供(どの多くは病室に閉じ込められているのだろう)の過半数が会いたいと望むのが、なんとミッキーマウスなのだとか。日本じゃ誰になるんだろうねえ。ともあれ、その声に応え、ディズニーワールドの住人も、GKWに出張してくる。連中は世界中の小児病棟にも出張しているのだそうだ。働き者だねえ。
 10年前に難病に苦しむ二人の子供とともに招待され、その後その子供たちを相次いで無くした夫婦が居る。彼らは、毎年寄付金を持ってGTWを訪れている。「子供を亡くしても、なんとかやっていけるものをここは与えてくれた。子供たちとの思い出です」と彼らは語る。そう、GTWは子供たちに魔法の、無憂の時間を与えるだけでなく、残された家族にもかけがえのない思い出を作る場を提供しているのだ。
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2001年12月30日(日曜日)

NHKスペシャル「宇宙」"宇宙は生命に満ちているのか"

テレビ 23:00:00
 今夜のNHKスペシャルは「宇宙 未知への大紀行」最終回第9夜"宇宙は生命に満ちているか"。
 宇宙の、この地球以外のどこかに、僕たち地球の生命とは別の生命は存在しているのだろうか。それは人類が宇宙の広大さを認識し始めた当初からの、大きな疑問だった。そしてその疑問の先には、僕たち地球の生命とは何者なのか、そしてこの先どこへ向かうのかという、また別の大きな問いが待ち受けている。
 生命が想像以上にしぶとい存在であることを、人類は徐々に悟り始めている。地球の地下深く、太陽の影響などその重力以外にはありえないような深所に、しかし豊かな生命圏が築かれていることが、最近になって明らかになった。スウェーデンの鉱山跡深くの岩中に、奇妙な生命が大量に発見されたのだ。それらの生命の糧はなんなのだろう。それは地球深くから浸透してくる水素、炭酸ガスなどだった。それらを化学合成してエネルギーを得る微生物を底に、その微生物を捕食する別の微生物が生きるという生態系が築かれていたのだ。同じように、大洋の深海底にも孤独な生態系が築かれていることが知られているが、この深地中の生態系は地表の植物群に数倍するバイオマスに達するともいわれている。科学者たちの言葉を借りれば「地球を食べている生き物」なのである。
 最新の深宇宙探査の成果を一覧すれば、宇宙にはこれら地球の過酷環境よりよほど安穏な環境があるとわかる。例えば、太陽系外縁部から飛来する彗星は、その表層は意外に温潤で生命の生育が不可能でないといわれる。また恒星間を漂う星間物質の濃厚な場所にも、生命の生き延びうる場所があるとする学者もいる。これらを信じるのならば、少なくとも微生物の類が繁茂している場所が、宇宙には意外にたくさん見つかるのかもしれない。しかし、それらが僕たち人類のような"知性"を持つに至るかどうか。
 地球の生命に知性が宿るに至ったのは、安定した環境が数十億年も継続するという"偶然"が働いた結果だと、惑星学者の松井教授は指摘する。偶然、いや奇蹟とも言える長き安定は、どのようにしてもたらされたのだろうか。
 松井は、地球環境の安定は、まず第一に海の存在があったからである、と指摘する。海は惑星表面の安定化に大きな役割を果たす。特に恒温化という意味では不可欠な存在だった。だがその海も、もしも地球環境が太古のままならば、すなわち濃密な二酸化炭素の大気を持ったままならば、やがて温室効果の昂進で干上がり、金星のような死の惑星になっただろう。それを防ぐためには、意外にも陸地の存在も不可欠だった。広い陸地があったから、そこに降り注ぐ雨を通して様々な物質(例えばカルシウムなど)が海に溶け込み、海は余剰な二酸化炭素を石灰質にして沈殿させることができたのだ。そして、その多様な物質群は、多様で複雑な反応を生み、やがて生命の誕生を見たのだろう。これらのことから、地球全体の組成として、適正な厚さの地殻と広い大洋を生み出す絶妙な比率である必要があったのだと推測できる。
 次に、太陽からの距離が適切であることも必要な条件だった。地球より太陽に近い金星は、今は灼熱の地表と濃厚な腐蝕性の大気を持つ、地球生命から見れば地獄としかいえないような星だ。しかし、惑星の進化史の最初の頃、地球と金星は良く似た道をたどっていたと考えられている。金星にもやはり海が生まれ、ある時代まではそれが地表を潤していたのだ。ところが、その海はある時に干上がってしまった。その原因は、単純に言えば太陽に近すぎたからだと考えられている。金星から見た太陽の視直径は地球のそれより大きく、単位面積辺りの入射量が大きく違う。そのため、大気の温室効果を和らげる前に海が干上がり、それがさらに温室効果を高めてしまったのだと考えられている。一方、火星に海があったことも既に確実視されている。それは逆に太陽から遠すぎて、地殻内に永久凍土として封じ込まれていると考えられている。地球環境は、今より太陽に近すぎても遠すぎても生まれなかっただろう。
 しかし、地球環境が安定するためには、これ以外にも条件があるのだ。
 その一つは、意外にも太陽系外周部に木星、土星などのガス巨星が存在することなのだ。太陽系の周縁部には、オールトの雲と呼ばれる微小天体の存在する領域がある。これらの天体は、いわば太陽系創建時の資材の使い残しだ。そしてこのオールトの雲から、時折微小天体が流れ出し、太陽に向かって落ちて行くことがある。これが彗星発生のメカニズムだ。彗星は微小天体といえど、直径数十キロに達するものがある。それがもしも地球に衝突すれば、地球生命にとって大惨事となる。実際、地球には比較的大型の天体が何度も降り注ぎ、そのたびに生態系が大ダメージを受けてきたという歴史がある。しかし、その間隔は6000万年程度と、哺乳類の先祖から現世人類が出現するのに必要な時間を満たしている。これが1/100だったらどうだろう。アウストラロピテクスから60万年後といえば、かろうじて原人の類が現れ始めた頃だ。文字通り身に寸鉄も帯びず、原始的な石器の他には何も持たないか弱い原人に、彗星衝突後の激変期を生き延びられるとは思えない。そもそも、僕たち現世人類を生み出した真猿類の枝は、途中で断ち切られていたかもしれない。そして彗星の衝突頻度が100倍になりうる条件はあった。地球より外周にガス巨星が無ければ、その大重力により彗星が吸収されたり、あるいは軌道を変えたりすることもなく、地球への衝突頻度が大きく上昇したという試算があるのだ。
 また宇宙空間には、恒星の死や特異な活動によって生じる銀河宇宙線という、きわめて強力な宇宙線が飛び交っている。この宇宙線は、生命の核である遺伝子や重要なたんぱく質を破壊し、その活動をしばしば狂わせる。時には死をももたらすこの銀河宇宙線は、地球の表面では大気の存在により和らげられている。しかしそれも、今より強度が上ならば、やはり無視できないものになっていただろう。もしかしたら、ある程度の大きさまでの生命しか存在できなかったかもしれない。そうならなかったのは、実は地球大気の外に、さらに銀河宇宙線を和らげる存在があったからなのだ。
 今、人類が送った探査機の一部は、太陽系を脱出して恒星間へと入り込みつつある。ボイジャー1号は、今のところ人類がもっとも遠所に送った探査機の一つだ。ボイジャー1号が太陽系の果てへと近づいたときだった。強力な電波源を間近に発見したのだ。それもボイジャー1号の進行方向に。その正体は、太陽風と星間物質の衝突する現場だった。太陽系は、銀河系の核を中心に、大きな円軌道を巡っている。その際、星間物質と衝突しながら進んでいる。その結果、星間物質は太陽系に対して大きな相対速度を持つことになる。その星間物質は、太陽系の中心からやってくる別種の物質流と衝突し、その結果電波を発することになったのだ。太陽系の奥底からやってくるもの、それは太陽からの風、太陽風だ。太陽風が意外に強く、なおかつ遠方まで影響を及ぼしていることは、これで明確になった。この太陽からの風は、太陽系を繭のようにすっぽり包んでいる。そして太陽系はこの繭に包まれて、まるで宇宙船のように銀河系を旅しているのだ。宇宙船地球号ならぬ、宇宙船太陽系号だ。この繭が無ければ、銀河宇宙線はその強度を確実に保ったまま、地球へと降り注いでいただろう。
 このように、地球に生命が生まれたのはある種の必然だったといえるが、そこに知性が宿ったのはある種の奇蹟といえるかもしれないのだ。
 近年、太陽系外に惑星が相次いで発見されている。その多くは恒星に近接した軌道を持ち、生命の生育に適さないと思われるものだ。しかし、中にはあるいはと思えるものもある。最近、ある恒星の周囲に、二つのガス巨星が発見された。これらの惑星は、その位置を太陽系と比較すると火星より遠方で、木星よりは内側に存在している。そのことから、さらに内側、地球軌道にまさしく地球型惑星があるはずだと夢想する学者もいる。もしもそうならば、彗星の脅威を緩和するという点では、我らが地球に近い恒星系があることになる。だがその他の条件はどうか。それらはこの恒星をさらに詳しく調べ、夢想の地球型惑星が実在するかを明らかにしなければ、判明しないだろう。
 人類の地球外生命への思いは、奇怪なことに時間がたつにつれ悲観的になってきたという歴史がある。なにせ、最初は月にすら生命があるに違いないと思い込んでいたのだ。それが'60年代に完全に否定され、続いて火星と金星も分が悪くなり、今は木星のエウロパの内部にいるかも、という状況だ。エウロパの生命圏も、観測手段の確立によりその非在が確認される日が来ないとも限らない。次はタイタンか。一方、太陽系外でも、生命の存在し得る領域は、徐々に狭まりつつある。生命の成立条件が明らかになる一方、星たちの環境もまた明らかになるのだから、不適合領域が増えて行くのはある種の必然だろう。だが今や、生命の中に知性が芽生える可能性は、限りなく低いものだったということも明らかになりつつある。例え生命圏が宇宙に広く存在していたとしても、僕たち人類の稚拙な通信文に応え、懇切丁寧に知恵ある言葉を返してくれるような存在は、もうほとんど望む余地が無くなっているのだ。もしもそんな存在が間近にあるのなら、僕たち人類は既に彼らと知り合えているはずだ。この先、彼らを見出すことができるとしても、お互いに何らの影響も及ぼすことのできない超遠所においてだろう。このことをもう少し詩的に述べれば、僕たち人類は2度にわたって神の不在を知りつつあるのだ。一度は地球(と哲学的領域)において、そして次は宇宙においてだ。そしていずれも、その告発者は科学だった。我々は絶対者としての神も、クラークが書くような上位の知性としての神も、もはや見出すことができないのかもしれない。
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