Strange Days

HOME > Strange Days > | タイトル一覧 |
«Prev || 1 | 2 | 3 |...| 8 | 9 | 10 | 11 || Next»

2000年7月30日(日曜日)

地震ですよ

テレビ 22:22:00 天気:晴れました
 今夜のNHKスペシャルは「4大文明」第4週の古代中国編だった。中国の古代王朝といえば殷、そして伝説上はその前に存在したとされる夏がそれに当たる。殷などは2000年は続いたとされているので、随分息の長い王朝だったようだ。
 殷の遺跡として今世紀に発掘されたのが殷墟だ。殷墟は古くから殷の遺跡と言われてきたのだが、それが実証されたのは今世紀に入ってから、発掘調査が行われたときだった。
 殷墟は殷の歴代王の墳墓だった。黄土の大地を掘り下ろし、地下深くに棺室を置き、その上に墳墓の構造物を構築してゆく。棺室を奥底に置くのは、人は死ねば黄泉という地下世界に行くという伝説に基づいているといわれている。黄泉への道行きを少しでも楽にしようということらしい。
 地下に豪華な墳墓を築くのは、後世の始皇帝陵においても受け継がれている伝統だ。巨大な始皇帝陵の地下には地下宮殿が眠っているとされる。また周囲からはいわゆる兵馬俑が発掘されている。これは8000人もの兵力で構成される始皇帝の近衛兵を、そのまま「生き写し」にしたものだ。この地下の軍団は始皇帝の身を永遠に守る事を願い、兵器の材質に至るまで吟味されたものだった。余剰資本の乏しかったろう古代中国で、このような巨大で贅沢な墳墓の建設にどれほどの血が流されたのか、考えてみると慄然とするものがある。
 殷の育まれた地がそうだったからだろうか、古代中国は黄土に依存した文明形態を持っていた。黄土は湿らせてつき固めると鋳型に使えるほど硬くなる、工業製品や建築材に用いるには絶好の特質をもった資源だった。この黄土の鋳型で武器を作り、黄土の防壁を巡らせた都市を築くことで周囲の他民族を圧倒し、古代中国文明は伸張していったのだ。
 という辺りだったろうか。布団に腹ばいになって、Portable Palm Keyboardで雑文を打ちながら見ていたのだが、かなり強い揺れを感じた。振動は体感的には20秒近く続いた。緊張しながら揺れる蛍光灯を見ていたが、やがて収まった。ややほっとしながらテレビに目を戻し、しばらく進行したところで、いきなり臨時ニュースが入った。テロップではなく、ニューススタジオからの本格的な臨時ニュースだ。地震が続いている伊豆諸島を震源地としたM6.2規模の地震があったという速報だった。公共媒体という性格からしてやむを得ないが、なんとも間の悪い話だ。結局、NHKスペシャルは再開されないままだった。また日を改めて放送してくれるんだろうな?
No comments

2000年7月29日(土曜日)

NHKスペシャル

テレビ 22:18:00
 ちょっと星を見て寝ころんでいたら、NHKスペシャルが始まった。今週は以前選挙関係で潰された室生寺五重の塔再建の話題をやってくれた。
 室生寺は奈良の山中にある。国宝に指定されているのは、境内にある五重の塔だ。戦後最初に国宝に指定されたものだという。室生寺は女人高野と呼ばれ、古くから高貴な女性の信仰を集めてきた。江戸幕府の5代将軍綱吉の母も入れ込んでいたらしい。
 その室生寺の境内に立つ五重の塔は、その優美な姿から人々に愛されてきた。この塔は奈良の寺院に立つ塔の中では最小のものだという。その小さくまとまった姿は、女人高野にふさわしく優しげである。
 '98年の夏、その5重の塔が、近くにあった神木の倒壊に直撃され、大きく傷ついてしまった。檜皮葺きの屋根が大きく削り取られ、特に上二層は半壊に近い状態となってしまった。
 文化庁はこの塔の再建を検討し、無事な部分へも影響を残す解体修復ではなく、上二層だけを解体し、その他の層はジャッキアップして分離、修復するという手段を取った。これは室生寺の塔が小さく、軽いことから取られた手段だった。小さいために内部に人が入って修復するのは難しい。だが軽いためにジャッキアップするという道が開けたのだ。
 修復の過程で様々な事実が明らかになった。この塔は鎌倉、江戸、そして明治期にそれぞれ修復を受けている。そしてその度に、修理を担当した宮大工たちは、痛んだ部材をも出来るだけ再利用しようとしていたのがわかった。痛んだ部分は修復するなり切り捨てるなりして、出来るだけ残そうとした形跡がある。
 また檜皮葺きの姿は創建当時のものではなく、檜皮葺きそのものは江戸期の改修で取り入れられたことがわかった。しかも明治期の修復では、江戸期に変えられた檜皮葺きの線を優美にするため、屋根の曲線に手を加えられたこともわかった。今回の修復を担当した宮大工は熟慮の末、この低められた稜線をやや戻すことにした。
 このように文化財の修復は「原状に戻す」という単純な方針では立ち行かないもののようだ。塔を愛でてきた人々の美の意識が変遷するに連れ、塔の形も変えられてきたのだ。しかしこのような建築物を千年以上も守ってきた日本人というのは、どうしてなかなか立派なところがあるじゃないかと思う。
No comments

2000年7月23日(日曜日)

NHKスペシャル

テレビ 22:57:00
 今夜のNHKスペシャルは4大文明その3、インダス文明の巻だ。
 インダス文明の遺跡として有名なのはモヘンジョダーロ、ハラッパーなどの教科書もの遺跡だろう。これらの遺跡の特徴を挙げれば、まず計画都市であること、そして非常に水にこだわった都市設計であることがある。計画都市ということは、ここにそれなりに強力な権力の裏づけを持った政治機構が存在したことを示唆する。水にこだわった都市設計は、その権力が水資源の配分に強く関与していたことを示唆するのではないかと思う。
 インド亜大陸のパキスタン近辺にあった上記の遺跡に対し、海に近い辺りにある新しい遺跡が注目を集めている。この遺跡はさらに水にこだわった設計をされている。都市全体を整然としたプールで取り囲み、わずかな雨季に氾濫する川の水を引き込み、1年中農業を営めるように工夫していたのだ。これが都市の住民に富をもたらしていたと思われる。
 都市の住民たちはどんな人々だったのだろう。考古学者によれば、インダス文明の遺跡からは戦争の痕跡がうかがえず、また王権のような強大な権力の存在も見出せない。権力の中枢にいた人々は、街の有力者といった役どころだったようだ。彼らが権力の背景としていたのは、富や神聖といったものだったらしい。その代わりに子供の遊び道具は豊富で、平和な文明だったことが分かる。
 モヘンジョダーロというと山田正紀の「神々の埋葬」が頭に浮かんで戦争で滅んだというイメージがあったのだが、実際にはインダス川の遷移によって放棄されたというのが実情らしい。甚だしいのはインダス、ガンジスに並ぶ第3の川で、紀元前1600年ごろ、なにがあったかは知らないが消滅して潜行するようになってしまったらしい。その結果、それぞれ数万の人々を養っていた都市国家が放棄されるようになったのだ。消滅にはインド亜大陸の地形が影響しているのかもしれない。文明を育てるのも、滅ぼすのも、地球の大いなる力だったのだ。
No comments

2000年7月15日(土曜日)

NHKスペシャル

テレビ 22:34:00
 寝床でうんうんうなりながら見たのが、今夜のNHKスペシャル、「さよなら映画のふるさと・大船撮影所」だった。「フーテンの寅さん」との絡みでとかくその名が知られてはいたが、さほど映画を見ない僕にはやや縁遠い世界でもある。
 大船撮影所の巨大カマボコ型建屋は戦前の1936年に落成したものだったという。時期的に、なんらかの国策に沿ったものと思う。
 しかし大船には東海道線の乗客を一度はギョッとさせる大船観音もあるんだったっけ。なにか巨大なものが集まりやすい土地なのかも。
No comments

2000年6月24日(土曜日)

NHKスペシャルなど

テレビ 23:55:00
 今夜のNHKスペシャルは「虐待と向き合う」。アメリカでの児童虐待と、それを克服しようとする「親業クラス」の話題だった。親業なんて言葉、本当にあるんだな。
 子供たちに暴力を振るう親たちの多くが、やはりそのような育てられ方をしてきたのだという。それを自然なことだと思うから、暴力を振るうことにためらいが無いのだ。あるいは、怒りをコントロールできなくて、いけないことだと思いながらも、ついつい手を上げてしまう親も多い。親業クラスはこうした親たちに子供との接し方、特に怒りのコントロールを教えるために、アメリカの行政機関が設けたセミナーだ。
 ある父親は娘たちが自分に反抗的なのに腹を立て、日常的に暴力を振るっていたという。しかし10代も後半ともなれば親離れし始めるのは当然であり、むしろ利害関係の調節というドライな仕事が親に課せられているのではないかと思った。
 23:00からは国宝探訪という番組がある。いつも楽しみにしているのだが、今夜は長崎の大浦天主堂の話題だった。長崎に天主堂が初めて建ったのは織豊期のことで、土地の支配者の大浦氏が入信して云々と、これは司馬遼太郎の「街道をゆく」で取り上げられていた。その初代天主堂はキリスト教の禁教とともに取り壊され、長崎に再び天主堂が建てられるのは、幕府による開国直後の1864年のことだったという。フランス人神父が中心となり、長崎に住むようになった外国人信者のために建立された。材料のかなりは本国から取り寄せられたが、施工したのは日本人大工であり、結果的に日本式の建築と西欧式のそれとが折衷されたような様式の、世界に類を見ない建造物となった。
 例えば、カテドラルを特徴づけるステンドグラスは、ふつうは色ガラスの小片を鉛でつなぎ合せるものだ。ところがここでは木の桟にはめこむ形を取った。するとその桟の太さを様々に変えることで、本来のステンドグラスでは出せなかったシルエットを描くようになった。また天井部分の丸みは、竹を編んだ上に土と漆喰を塗り込めることで象られている。このように、西洋建築のテーマを、日本の大工たちは創意工夫しながら描き出していったのだ。しかし限界もあった。初期の構想では尖塔を三つ作ることにしていたのだが、左右の尖塔の施工方法に無理があり、竣工後ほどなく落ちてしまったらしい。石造りの剛構造を主体とした欧州の建築と、木による柔構造を主体とした日本の技術と狭間で埋められなかった部分だ。
 フランス人神父がこのカテドラルを建てた動機の一つが、キリスト教禁教以来隠れ潜んでいるはずの日本人信者たちを呼び寄せるためだった。その狙いは当たり、建立された天主堂を目当てに各地の隠れキリシタンが現れるようになった。が、それから明治初頭にかけては禁教が維持されていたため、その多くが弾圧されてしまったという。禁教以来250年も信仰を維持していたというのは、ほとんど非日本的である。日本的な神道や仏教なら、250年も経てばすっかり忘れてしまっただろう。
No comments

2000年6月19日(月曜日)

みんなのうた

テレビ 17:37:00 天気:晴れ的なくもり
 そろそろ今節分のみんなのうたについて書くか。
 新作分。
 山遊歌。中年に差し掛かった友人たちがかつての山歩きの事を思い出している、ってな感じ。山行きたいなー。
 名もない花のように。自分らしく生きるってのは決して自由気ままに生きることばかりじゃないよな。9 to 5で生きていたかつての官公庁の人々も、あるいは彼ららしく生きていただけなのかも。
 はる なつ。南家こうじの絵は良いです。でも見ているとむずがゆくなる。
 再放送分。
 赤い自転車。相変わらず絵が怖いです。人魚、こっちにガンつけんなよな。
 みずうみ。大貫妙子はこういうのも歌ってたんですね。湖畔に立って深い緑色の湖面を眺めているような心的光景。
 雨のてん・てん。河合奈保子もこういうかたちで自分の歌が残るとは思ってもいなかったろう。C.C.さくらの2代目エンディングともども梅雨空にお似合いですな。
 いたずラッコ。もう最高。さびの部分ではいっしょに歌ってます(ただの馬鹿)。ラッコはいいな。
No comments

2000年6月09日(金曜日)

News23でのR.村上 v.s. 筑紫哲也

テレビ 23:39:00
 この間インターネット中継されたR.村上と筑紫哲也の対談が、News23で放映された。時間的に15分程度のごく短いものだったので、ほとんど要約というレベルだった。まあ移り気な視聴者は深い議論なんざ聞きたくないのだろう。
 対談そのものは筑紫による「共生虫」の予言性に対する指摘に始まった。村上は自分の中で"引きこもり"をシミュレートしたらああなっただけだとかわす。
 対談では、'90年代に入っての相次ぐ経済的社会的破綻を子供たちがつぶさに見て、大人への信頼を喪失した点を指摘している。また少年の犯罪に対する社会全体のばかげて過敏な反応が、自己の位置を見失って犯罪に走る少年たち(とは限らないと思うが)に付け入る隙を与えているとも指摘している。
 これはどういう意味か。大きな犯罪を起こした少年たちの言動を見ていると、何か漠然としたもの、例えば学校、例えば社会に対する復讐というニュアンスが引き出される。この対談でも語られたように、語彙の少ない少年たちの言葉を額面どおり受け取るのは危険だ。だが漠然とした目標に向けられた漠然とした感情というものの存在は明らかだ。そこで自分が起こした犯罪に対し、社会全体があたかもこの世の終わりのような反応を示すことは、犯罪者だけでなく、その予備軍たる少年たちにも達成感を与えてしまうということだと思われる。
 村上は、「子供はもっと愚かであっていいのでは」という。まだ幼いうちからなにかを悟ったように感じ、未来への閉塞感を抱く子供の多いことに、村上は懸念を抱いているようだ。
 それと矛盾するようだが、と村上は前置きを置いて、「戦略的に生きろ」とも語った。自分が何をしたいかを見極め、それを達成していくような生き方をしろというのだ。
 しかしこの前後の論理の乖離は大きい。悟ること、何か結論を出すことを回避しながら、自分の進む道を見極めるというのは本当に可能なのだろうか。この辺、実は村上もまだ未整理の問題なのだと感じた点だ。
 一方筑紫は「モデルの不在」を指摘した。戦前は大将か大臣か、戦後はもう少し具現化して本田総一郎やビル・ゲイツ(マジかよ)か、というモデルがあり、それを目指すというある意味戦略的な生き方が可能だった。ところが今、少年たちには成りたい者がないというのだ。そして筑紫は、そこには肯定的な意味もあるという。多様な生き方を、自分で決めることができるのだから。しかし「モデル探し」をしてしまうのは、これはもう人情というものではないだろうか。
 僕が感じたのは、少年たちの"語る技術"の貧困さは、彼ら自身を苦しめているのではないかというものだ。人間は苦痛を感じたらそれを人に訴えたり、訴えることが出来なくても自分の内部で言語化してその根源と対決することができる。しかし今、子供たちは語ることが苦手になっている。語るということは語彙だけの問題ではない。まず語るべき事項の持つ意味性、それら相互の関連する論理性をも理解し、きちんと行使することが重要だ。また語るべき事項が、現代ではあまりにも複雑になりすぎていることも指摘できるだろう。「ちびくろサンボ」が善だった、あるいは悪だった時代のなんと単純だったことか。
 "語る技術"は、語彙を習得し、それを文法に沿って幾度となく繰り返し使用することで得られるものだ。そこには必ず訓練という要素が必要とされるだろう。しかし教育の現場では訓練という要素が次第に軽視されているように感じている。「個性」という魔物に囚われすぎて、軍隊の記憶を呼び覚まさせる訓練という要素を、現場の教師が次第に排除しつつあるのではないかと勘ぐってしまう。
 語る、ということは人間の生活史全てに関わってくるものだから、いずれにせよ少年に自らを積極的に語らせるように、社会の様々な局面で働きかけていくのが筋ではないだろうか。
 この対談、時々インターネットのBBSでのメッセージを拾い読みしながら進んだ。この点だけはインターネット公開の意味があったといえるだろう。
No comments

2000年6月04日(日曜日)

ちょっとテレビ見た

テレビ 22:45:00
 今夜のNHKスペシャルは老朽化が進むコンクリートの話題だった。今、日本にある建築物のうち、特に高度成長期に作られたもののコンクリートに、急速な劣化が見られるというのだ。この話、数年前ぐらいから盛んに取り沙汰されていたが、最近特に喧しいのは山陽新幹線でのトンネル壁面剥落事故の影響だろうか。
 この番組では監査と保守の重要性を強調していた。つまり日本では(アメリカでも近年まで)建築時の品質チェックが甘く、また建造後の維持点検にもほとんど金を使ってこなかった事が、急激なコンクリート劣化の要因になっているというわけである。作ったものの品質を改善するのは不可能に近いので、品質は建築時に作りこまなくてはならない。また建築物にもライフサイクルがあるので、それに見合った手を打っていけば、延命の大きな助けになる。そういうわけで、ゼネコンにもそれなりの新事業が見込めるようになるというわけだな。
 どこで見たのか忘れたが、江戸時代に島津藩が財政再建のために取った諸策を挙げているWebページがあった。その中で島津の家老が大阪商人に250年ローン(!)を飲ませた件を挙げ、「現代の日本ではゼネコンに泣いてもらうということになるだろう」としてあった。確かに今体力がそこそこあって、しかも消えてもさほど困らない業種はゼネコンぐらいだろう。全部消えても、韓国や米国の業者を入れればいいだけのことだ。ゼネコンへの拠出、すなわち公共投資の効果はいまや随分と疑わしく思われている。自由競争により国内外の同業者に門戸を開き、その代わり国内で雇用を創出もらうというのが良いだろうと思う。国外の業者では日本の現場での慣習や要求を受け容れてもらえないというのなら、それは市場が開かれていないか、必要な規制が実施されていないだけなのだから。
No comments

2000年5月28日(日曜日)

今夜のテレビ

テレビ 23:21:00
 今夜のNHKスペシャルは「世紀を越えて」、"心の病"。近年、続発する巨大事故やテロ、幼児虐待などにより、深い後遺症に悩む人が増えている。なかんずく心の傷は、外からは容易にうかがえないだけに深刻化する傾向にあるという。
 人間は、大きな衝撃を受けると心が変形してしまい、元に戻るのに時間を要する。人間の心は柔軟で、十分な時間をかければ原状に復旧できる。しかしあまりに強い衝撃を受けたり、あるいは回復する暇がないほど続けて衝撃を受けると、回復不能に塑性変形してしまう。これを心的外傷、トラウマという。そしてこのトラウマが引き起こす心の異常な反応をPTSD、心的外傷後ストレス障害という。
 PTSDが引き金となって現れる異常行動の一つが多重人格だ。一人の人間にあたかもスイッチで切り替わるように複数の人格が入れ替わり立ち代わり現れる。多重人格の要因の一つが、個人では対処しきれない衝撃から心を守りたいという欲求だという。『この状況にあるのは自分ではない』と、あたかも傍観するような別の人格を想定することで、自分の心がこれ以上のストレスにさらされるのを防ごうとするのだ。その結果、個人の内部で別の人格が際限なく生成されて行くことになる。
 PTSDは肉体にも強い反応を引き出す。テロによる爆破で強い恐怖を与えられたある女性は、いまでも大きな音に対して押さえがたい恐怖を感じてしまうという。それだけではなく、心拍や血圧の上昇が現われ、理性的な判断が困難になってしまう。
 こうした生理的な反応の原因は、人の恐怖体験の記憶の仕方、そして感情を抑制する脳のメカニズムにあるのではないかと考えられている。人間の脳では興奮を促す機構とそれを抑制しようとする機構がせめぎあっている。前者を扁桃体が、後者を前頭葉が担っている。人は恐怖を感じると扁桃体の活動が活発になる。これが現実の恐怖ならば問題はないが、例えば映画などによる偽の恐怖でも活発になりつづけることは、心に大きな負担を与えてしまい良いことではない。そこでその恐怖が真に存在するかどうかを前頭葉で理性的に判断し、しかるべき抑制を加える。ところが、あまりに強烈な恐怖体験は、脈絡の無い体験の固まりとして記憶されてしまうため、前頭葉で処理できなくなってしまうというのだ。
 PTSDによるストレスは、脳の機能にも障害をもたらす。人間の脳はあちこちの部分がそれぞれの機能に沿って処理した情報を統合して活用する超並列マシンだ。この情報の統合を行うのが海馬という部分だ。ところが海馬はPTSDによるストレスに弱く、長期間にわたってストレスが加えられると、萎縮して機能を減退させてしまうことが知られている。その結果、人の心の統合が緩み、人格乖離や、PTSDが顕著になってしまう。
 これを克服する手段の一つが、かつて受けた強い衝撃の原因となった出来事を言語化することだ。言語化することで前頭葉での判断が可能になり、抑制できるようになる。しかし恐怖体験を思い出すこと事体が苦痛なので、それを克服する作業は容易ではない。
 一方、萎縮した海馬を修復する手段として注目されているのが、セロトニンという物質を投与することだ。セロトニンは人間の情動を平静にする作用があり、海馬にダメージを与えるストレスを抑制することができる。すると海馬の神経組織が回復し始めるのだという。人間の不思議な、しかしすばらしい機能の一つだ。
 セロトニンは投与しなくても人間の脳に自然に存在する。その分泌を促すには、人の心を落ち着かせて平静にしてやることだ。そのことによってセロトニンが分泌され、ますます平静になってゆく。従って心的外傷を負った人の心を癒すには、その平静を取り戻してやるという伝統的で直感的な治療法が正しいことになる。
 以前、自分はPTSDだと主張する人とメールをやり取りしたことがある。以前、NIFTYにいた頃、そのフォーラムの一つで知り合った人だ。その人は周囲と軋轢を起こしやすく、その原因は自分には無いと主張していた。当時の僕は見るところ、その人自身の支離滅裂な主張に周囲が振り回され、当然の帰結として拒絶に遭っただけだと考えていた。自らがどれほど論理的に破綻していても気づかない末期的状況だった。しかしそんな暴走の果てにあったのは、自分を受け入れてくれなかった周囲(主にフォーラムの運営陣)を告訴するという恫喝だった。これでは多くの人が見放してしまうはずだ。僕は多少なりとも説得を試みたのだが、結局手におえなくて引き下がらざるを得なかった。未だに尾を引いている、苦い体験だ。
 僕はフォーラム制というものを憎みつつも、この事態に巻き込まれた運営陣には同情せざるを得なかった。彼ら自身は概ね善意の人々だったからだ。
 しかし、この時どうすれば良かったのだろう。他に道はあったのだろうか。決裂を回避しつつ一人の人間のために他のすべての人々を犠牲にすることも、逆に一人の人間を切り捨ててしまうこともしないで済む道は無かったのだろうか。経済効率とか社会正義というものがそれぞれ登場してくると「無い」という事になってしまうのだろう。しかし粘り強く対話を続けていけば、何かしらの進展があったのではないか。
 その時、一番いけなかったのはフォーラム制の官僚主義と経済効率を押し付けたNIFTY自身、そしてそれを求めて一連の事件を黙殺し早く無いものにしたいと無言の圧力をかけた一般会員ではなかっただろうか。それぞれが当事者同士の解決に時間を与えなかったことが、無惨な決裂へと至ったように思えてならない。せめて周囲の人々が双方の対話継続に好意的な反応を示していたらと思う。彼らに時間を貸してあげられたならば。こんな風に責任が運営陣に集中してしまうことがフォーラムという官僚制度の限界であり、それを越え得なかったことがそのフォーラムを構成していた人々の限界だったのだろう。
 しかしなぜ対話の継続というサインを出せず、むしろ阻害する方向へとサイレント・マジョリティは動いたのだろうか。僕はそこに心の病への根強い無理解があると思う。先のPTSD(と主張している)の人は、元々論理的に支離滅裂なのではなく、感情をまったくコントロールできないのだ。だからこそ大量の感情的記号を含有した文書ばかり書いていたのだと推測する。従ってその人に対して必要だったのは受入れること、それが不可能ならば好意的に中立する事だったと思う。心の平静を取り戻す時間を与えてやるのだ。この両者が困難なのは言うまでもない。支離滅裂な主張を繰り返し、論理的な矛盾を指摘しただけで攻撃してくる相手には、中立でいる事さえも難しい。しかし精神の病とはそういうものだ。バランスを失った精神は退行するか、攻撃的になってしまう。そして僕たちは大なり小なり同じ病を抱えている。それが顕在化しやすいかどうかの違いでしかない。だから拒絶は、その場に心の病への拒絶という負の遺産ばかりを残してしまい、僕たち自身に病の顕在化への恐怖という新たなストレスを付け加えてしまう。
 継続する事は重要だ。しかし支離滅裂な要求は拒絶しなければならない。受入れつつはね付けるという態度をじっと我慢しながら続けなければならない。聖職者以外には不可能そうに思える。
 しかし多くの人が少しずつ分け合えばどうだったろう。何万人も要らない。せいぜい10人ほどが参加すれば事足りたのだろうと思う。それには心の病に関する深い理解までは不要だ。自分もその一人かもしれないという共犯関係への認識と、少しばかりの同情が必要だったのではないだろうか。もしもそんな事が可能だったならば、フォーラム制にだって少しは価値があったのにと残念に思えてならない。
No comments

2000年5月27日(土曜日)

じっとしている週末

テレビ 22:17:00 天気:雨
 昨日から天候が悪く、せっかくの週末だというのに星空観望できない。かなり欲求不満気味。
 こういうときに秋葉に出かけると馬鹿買いしてしまうので、自宅でじっと我慢。とりあえず少したまり気味だったビデオ録画分を見る。
 C.C.さくら。さくらの学級の学芸会を前後編で。小狼め、ますます色気づきやがって(笑)。りりしい王子様のさくらとキュートなお姫様の小狼......ケロじゃないが男の子と女の子の役ぐらい分けとけ~! さくらのこととなるとすぐ妄想に走る知世様もよいですわっ☆
 グルグル。ククリの出生の秘密が、今暴かれる! ククリへの遺産を豪快に売り払ってしまった一行の運命や如何に? 幼児退行するククリがそそる(なにをだ(笑))。キタキタ親爺はますます妖怪じみてきたぞ。
 「東寺平成の大改修」。これは先週撮っておいたNHKの番組。空海建立の東寺が大改修されることになり、その仏像たちが修復される過程を追ったドキュメンタリー。これら平安初期に中国の強い影響下に作られた仏像たちは、過去何度かの改修により本来の姿を失っているという。今回の修復ではそれらの改修の悪影響を除去し、本来の姿に戻すことが目論まれた。例えば明王像の一つは表面に塗られた漆のために、平安期の表情を失ってしまっているのだという。厚さ1mm程度というのだからそんなに厚くなさそうだが、それでもその下の表情を塗りこめてしまう。逆にいえば、本来の表情がいかに微妙な凹凸で表現されていたかが分かるというものだ。
 NHKスペシャル、「密輸オランウータン故郷に帰る」。オランウータンはワシントン条約で輸出入が禁止されているが、そのことが闇市場での価格を吊り上げ、密輸出入が絶えない。最近、日本でも大阪のペットショップでも4頭のオランウータンが保護された。このペットショップ、広告にご禁制のオランウータンを堂々と載せていたというのだから、まったく神経を疑う。しかしこのことを裏返せば根強いニーズがあるということでもある。こんな高価なペットを買う方も、ワシントン条約に関して無知であるとは思えない。確信犯だろう。まったく、頭がどうかしているのではないだろうか。
 一度人に馴れたオランウータンを野生環境に帰すのは容易ではない。一つにはこうしたオランウータンたちが幼い頃に母親と引き離され、生きるために必要な知識を学べなかったという点がある。恐らく、母親は密猟者に殺されたのだろう。一匹の密輸オランウータンには、必ず一匹の母猿の死が付きまとっている。つまり、日本で密輸オランウータンを購入した人は、最低でも一匹の死に関与していることになる。この場合、無知であることは許されないことだ。多くの無知は罪ではないと思うが(つまり価値中立的)、この場合の無知は明白に罪だ。一人の満足感が、それ以外全てにネガティブな影響をもたらしているのだから。と、ここで僕が怒っていても仕方ないが、なんともやりきれない話だと正直に思う。オランウータンがここ数年で半減するほど生息状況が悪化していると聞けば、なおさらのことだ。
 さて、こうして生きる術を学ぶことが出来なかったオランウータンに、森で生きていく術を教える施設がある。元々は年々減少する森から追われた猿たちを保護する施設だったのだが、近年は密輸されたオランウータンを再教育することが多い。以前この施設のレポートを見たときは、確かに森林火災で云々というところに主眼が置かれていたと思う。
 猿たちは木登り、食餌の確保だけではなく、猿同士の付き合い方も学ばなければならない。例えば、Play Fightという行動は、模擬的な喧嘩を通じて猿同士の社会的地位を確認しあう行動だ。しかし一匹で育ってきた密輸オランウータンにはこれを学ぶ機会が無かった。猿同士のぶっつけ本番の付き合いの中で学んでいくより他に無い。また幼少時の生育環境から、木に触れることを怖がったり、神経症を患ったりする猿も多い。オランウータンが人間に近く、かなり社会的で精神的な生き物であることが良く分かる。これらの障害を乗り越えてオランウータンを森に帰す地道な作業が続いてはいるが、生育環境の悪化という大原因が手付かずである以上、焼け石に水というのが正確なところだろう。このままオランウータンが消えてしまうのだとすれば、人類が犯した大罪リストにまた一つ、大きな項目が付け加えられることになるだろう。やがて悲しい結末を迎えてしまうのだろうか。
No comments

2000年5月21日(日曜日)

世紀を越えて

テレビ 23:04:00
 今夜の「世紀を越えて」は脳死患者からの臓器移植をめぐる話題。
 脳死患者からの臓器移植は日本でこそ始まったばかりだが、欧米では既に日常化しており、毎年数千人の患者が臓器の提供を受けている。
 冒頭、脳死した男性から臓器を次々に摘出する現場が映し出されたが、まさに人間の部品取り、いや解体工場という感じだった。今や臓器だけでなく骨や皮膚まで利用されている。
 欧米では肉親の同意があれば臓器提供が可能なため、このように臓器移植が盛んになり、それが医療技術の発展につながってきたのだ。
 しかしこうした臓器移植の普及の陰で、提供する側と提供される側ぞれぞれの問題点も浮き彫りにされつつある。
 アメリカに住むある外科医は、重い心臓疾患に苦しめられた末、臓器提供を受ける事を決意した。そして提供を待つ間、彼には奇妙な性癖が現れたという。強盗や事故、火災といった悲惨な記事を追い、肉体は健康でも脳死を迎えた人を探すようになったのだ。それは彼には「ごく当然のこと」だと思っていたという。
 やがて心臓の提供者が現れ、彼は死の時期と宣告された3ヵ月前に移植を受け、そしてかなりの健康を取り戻すことが出来たという。
 しかし移植された心臓は彼に健康をもたらすと同時に、心の問題をももたらすことになった。
 移植された心臓は血管などの接続はされているものの、収縮パルス自身はペースメーカーで作り出しているようだ。そのため、心臓の鼓動は彼の心の動きとは独立して常に一定だ。奇妙なことだが、まるで一体感が感じられないという。「まるで体の中にエイリアンがいて、自分の生死を支配しているようだ」と彼は語る。
 さらに、自分が生きているのが正しいことなのだろうか問う疑問も拭いがたいものになる。一人の人間が死んで、一人の人間が生き長らえる。しかしなぜ提供者が死に、彼が生き延びることになったのだろう。そういういささか抽象的な悩みにも苦しめられた。彼は同じ悩みを抱いているだろう受領者の相談に乗るカウンセリングのボランティアにも関わっている。
 臓器移植は盛んになってはいるが、需給のバランスはいまだ需要の側に大きく傾いたままだ。脳死という概念を受け入れてきた西欧諸国では、もっとも大きな供給を見込める提供者、すなわち脳死者のうち、臓器提供に同意した割合を増やすためにあの手この手を尽くしている。
 オランダでは18歳以上の国民すべてに同意書を送付し、同意、拒否、同意の形態、そして提供する臓器などを決めさせる試みを続けている。国民はこの同意書をいつまででも保留できるのだが、それが大きな誤算を生んだ。いつまでも提出しない人が多いのだ。そのため、イタリアなどでは3ヵ月以内に提出することを義務付けている。しかもイタリアの場合、その後の同意内容の変更はかなり難しく、なおかつ一度提供を決めたらどの臓器を提供するか本人には決定権がない。これはイタリア憲法で国民は公共に尽くすこと、国家は国民の健康を国益として重視することが謳われているからだ。それにしても、これほど強制力を持つ法律を、しかも臓器提供という議論の余地が大きい分野で成立させるというのがすごい。日本ではまず成立しないだろう。しかも、これらの法律が成立している地域は復活の奇蹟を重視するカソリック圏なのだ。死体損壊に対する抵抗は、日本などよりもむしろ大きかったのではないか。これらの地域の政治にキリスト教が大きな影を落としているのは間違いないが、それを超克して新しい認識を切り開いていこうという西欧諸国の姿勢には、日本は学ぶところはあっても教えるものは何もないような気さえする。
 その西欧圏でも、脳死者からの臓器移植が一般化するにつれ、提供者の家族の提供を受けた人たちの事を知りたいという願いが顕在化してきた。
 元々、臓器移植では提供者と受領者のそれぞれが秘密にされる原則があった。臓器提供はあくまでも人の善意によるものであり、それがビジネスや他の関係を生み出してはならないと考えられている。だから双方に深い関係を築かないほうが良いだろうと考えられてきたのだ。しかし提供者の家族の「知りたい」という願いを無視しつづけるわけには行かない。提供者の脳死という最期をどうしても受容できない家族は数多くいるからだ。
 次男の臓器提供に同意したある家族も、それ以来次男の臓器の行き先を知りたいと願い、コーディネータに働きかけるようになった。当初、コーディネータからは、それぞれの臓器の提供を受けた人々の簡単なプロファイルが伝えられただけだった。しかし家族の方は次男の"死"にどうしても納得できないものを抱きつづけざるを得なかった。
 増えつづけるこうした声に、コーディネータたちも従来の方針を転換せざるを得なかった。様々な問題は考えられるものの、心の問題を放っておくことは、臓器提供という行為自身に悪影響を与えかねないと考えられたようだ。結局、双方に念書を取ることで対面を実現することにしたのだ。
 先の家族は、何人かの受領者の中から一人の女性に会うことができた。心臓の提供を受けたその女性も対面を希望したことから、ついに対面が実現することになった。
 提供者の母親は、感動的な対面の場面でその女性と抱き合った。「心臓が脈打っているのが感じられた」と母親は喜ぶ。彼女の息子の心臓は、別の生命を確かに支えている。
 ところが対面を果たした母親の認識は、ある部分で変化を遂げた。彼女が会ったのは他人に渡った息子の心臓なのではなく、息子の心臓を受け継いだ一人の女性なのだ。そのことを感じた母親は、ようやく息子の"死"を受け入れることができそうだという。
 僕が思うに、一人の個人から肉体の一部を部品のようにして取り出すというやり方は、今だけの一時的な方便に過ぎないように思える。クローニングや遺伝子改変技術のおかげで、別の動物から部品取りをするという技術が登場するのも、もう間もなくのことだと思える。恐らく、人間からの部品取りという抵抗の大きい方法にとった変わるのも、そう遠くない日のことだと思える。
 しかしたとえそうであっても、一人の人間の"部品"で別の人間が生き長らえるという事実が今あることに変わりない。それを一時の異常な現象ではなく、人間の生命をめぐる紛れもない一つの真実として考えることを怠りたくはないのだ。
No comments

2000年5月07日(日曜日)

NHKスペシャル

テレビ 23:51:00
 連休の終わりゆえか、NHKスペシャルは昨夜に続いて面白そうなものだった。今夜は村上龍が"インターネット・エッセー"と題して、バブル崩壊後の日本のあり方に思考を巡らす。
 最近、村上は経済に興味を持ち、メールマガジンを主催して読者の意見を募ることを始めている。彼は'90年バブル経済崩壊後の『失われた10年』とはなんだった(あるいはなんなの)だろうかという問いを読者に投げてみた。
 村上は、まず「バブルの原因はなんだったのか」という問いをMLに投げてみた。それに対する読者の回答は様々だった。
 単に官僚や不動産、銀行関係者に原因を求める意見も多かったと推測するが、いくつか新しい知見をもたらしてくれる意見もあった。
 イギリスの経済アナリストは「欲が無かったからだ」と逆説的な意見を述べた。バブル当時にありあまる資金の投下先を見つけることが出来ず、結局土地神話にしがみついて『確実な回収』を怠ったというのがそのアナリストの意見だ。あるいは土地神話から目覚めていれば、このアナリストの言うとおりに確実な回収を心がけることも重視されたに違いない。今なら確実にそういう思考が働くはずだ(今もそうでないのなら銀行関係者の無能さに絶望するしかない)。しかし当時は地価が下がるなどという事態は想像の外にあり(このこと自体は官僚、銀行関係者の想像力の貧困さを反映したものではある)、土地を担保に取ることが『確実な回収』と等号で結べるとされていたのだ。このアナリストの意見は正鵠を射たものではあると思うが、同時に局外に立ちすぎて"なぜ"(つまり"犯行動機")を見失っているのではないかと思った。
 「バブルのときに何に金を使えばよかったか」という問いとも密接に関係するだろう。その中には「ベンチャー企業に投資すればいい」という意見が散見された。しかしベンチャー企業に投じることが出来る資金は多くなく、また回収率にも問題がある。日長銀の元行員の「かつてベンチャーに大量の資金を投じたことがあったが、回収率は惨憺たるものだった」という指摘を知れば、ベンチャーに投資されなかったことを一概に非難は出来ない。残念ながら、日本ではベンチャーが育つ土壌が醸成されていないように思われる。
 村上は、これらの結果を踏まえ、バブル当時には土地以外に大量の余剰資本を吸収できる物件は無かったとする。銀行員たちは儲けに走ってバブルを引き起こしたのではなく、資金を消化するためにやむなく土地に走ったのだ、と。バブルの悲喜劇が銀行マンたちのまじめさによるものだとすれば、まことに日本的な状況だといわざるを得ない。
 銀行内部でも土地神話の危うさは盛んに指摘されていた。「土地が下がったらおしまいだ」という指摘は、既にバブル当時から散見されていた記憶がある。しかし銀行のノルマ主義という現実を前に、そういった市場の現実は無視されてしまった。一線の銀行マンたちの懸念の声は、ノルマ消化のための軍事機構とでも言うべき銀行組織の内部で消滅する運命にあったのだ。
 そう、バブルは'80年代という特殊な状況で用意されたものではなく、実は日本的な組織運営が抱えてきた時限爆弾が、あの日あの時に炸裂したものに過ぎないのだ。
 日本的組織の限界、あるいはその崩壊というものを白日の下に曝したのが、海外での日本金融機関の不祥事、そして海外企業による日本企業の買収だった。前者は海外の、つまり世界デファクトのモラルと日本的モラルの深刻なズレを、後者は日本型組織の自己浄化機能の低さを暴き立てる結果になった。日産、マツダのトップ人事は、日本型組織の限界を確かに示している。
 バブルの原因はどこに求められるだろう。村上は、'60年代も終わりに入り、日本の高度成長期が終わりを告げた時期に求められるのではないかという。日本はその時期に"大人"になったのだ。しかしその新しい経済的現実に見合った体制を作ることを怠ってしまった。これは社会のすべての階層、すべての人々に当てはまることだ。当時の人々は未来に関してのビジョンを持つことなく、ただ過去の継承という形でしか未来を生きることが出来なかったのだ。そしてビジョン無き社会が一気に破綻したのがバブル(バブルそのものが破綻だったといっていいだろう)であり、その後の荒涼とした焼け野原のような日本だったのだ。
 村上は「高度成長期の日本を心の拠り所にしてもいいのではないだろうか」という。あの時代、確かに奇跡のような経済成長を達成できたことを、日本人はもっと誇りにしてもいいのかもしれない。しかしあの時代の再現はもはや出来ない。日本は質的に違ってしまったのだ。
 村上が20代の読者を対象にした簡単な実験が面白い。'60年代に多い白黒画像の中の"日本"を見せ、感想を求めたのだ。彼らの感想は「同じ日本とは思えない」というものだった。そして同時代、あるいは直後に多いカラー映像に関しては、なんとなく今との均質性を感じているようだ。'60年代に巨大な断層があるという村上の感想は当たっているのだろうか。
 最後に村上は「生まれ変われるとしたらいつの時代がいいか」と問うた。答えは圧倒的多数の「現在」だった。このことは人間の本能的な保守性にのみ求めうるものではなく、恐らく現在ただいまがやはり住み良いという認識を反映したものだと考えて良さそうだ。そんな時代を築いたこと、そんな時代に生きていることを、もっと誇りにして良いのではないだろうか。村上はそういう。
 確かに、過去に戻ることだけは出来ない。昨日、「後退する勇気をもつべきだ」と書いたけれど、実際に実現可能なのは、過去を参考にした未来に過ぎないのではないか。
 我々は誰でも過去の苦さを感じている。アメリカはベトナム戦争に、イギリスは植民地経済に翻弄され、そこからようやく這い上がったのだ。そしてそれぞれの経験は貴重な知識につながったと思う。
 僕たちがやるべきことは、バブルという過去を忘れることではなく、その苦味を思い返しつつ新しい知識を創出することだと思う。そのとき、バブルは決して無益で有害な経験ではなく、いずれ通らねばならなかった道だと思い返せることだろう。
No comments

2000年5月06日(土曜日)

NHKスペシャル

テレビ 22:47:00
 帰宅して、夕食を作ったらNHKスペシャルが始まった。今夜はツキノワグマの生態を追うという内容。
 舞台は広島県の山中、中国山地。なんでも中国山地には数多くのツキノワグマが生息しているとか。しかしその数も年々減少しつつある。
 取材班は冬眠中の親子を発見、その近くの窪地を見下ろす場所に観測小屋を設置した。その親子が冬眠から目覚めると、まっすぐここにやってくるだろうという目論見だった。しかし春がきてもその親子は姿を見せず、また他の熊たちもほとんど姿を見せなかった。動物を自然の状況で観察しようとすると、時々こういうことが起きるようだ。
 取材班はリモートカメラをあちこちに設置して、ツキノワグマの動静を探った。その結果、ツキノワグマが非常に広い範囲を移動していることがわかった。
 このことはツキノワグマの減少傾向と関係がある。ツキノワグマ同士が交尾できる期間は限られているのだが、この間に異性に出会える可能性は元々高くは無い。しかも森の奥深くに入り込んだ林道などにより、森は次第に分断されつつある。林道は動物の移動を妨げるので、その内外にいる個体同士が交流できる可能性も低くなってしまうのだ。
 中国山地といえば、それが瀬戸内に流れ落ちる辺りが僕の故郷なので、多少なりとも親しみのある地勢ではある。故郷の呉市の山間には「熊野」とか「焼山」とかいう地名が散見される。熊野はいうまでも無いだろう。焼山も熊が出没するたびに山焼きをして追い払ったという故事に基づいているらしい。かつては僕が住んでいたような、海が見える傾斜地にまで熊が日常的に出没したものだという。しかし人間社会の拡大は、共存していた多くの生き物たちを追い払ってしまった。人間にとって快適な環境と、他の生き物たちにとって危険な環境とは、それぞれ等号で結んでしまってもいいだろう。
 人間は少し、というか、かなりやりすぎてしまった。人とその愛玩動物だけがぽつんと存在する世界というものは味気ないものだ。
 僕たちはもう少し後退する勇気を持っていいのではないだろうか。例えば山間地を縦横に走る林道や道路網を統合し、森を分断する部分を少なくするとか、今あるインフラを放棄してでも森を守る処置を講じなければならないのではないだろうか。山で暮らす人たちには悪いけど、しかし山を見たことも無い役人たちが計画した林道が、地域経済に本当に貢献できているとも思えないのだ。
No comments

2000年4月30日(日曜日)

世紀を越えて

テレビ 22:20:00 天気:くもり
 連休も三日目ともなると倦怠感がみなぎってくる。水曜日までは大きなイベントがない。必然的に寝るか読むかの実にぐーたらな生活を送ることになるのだ。
 今夜は見たいテレビがあった。NHKスペシャル「世紀を越えて」。今夜は次第に恒常化しつつある生命操作の実態を追う。
 人の遺伝子を解読しようというヒトゲノム計画は、すでに80%まで進捗している。実を言えばアメリカの企業がすべて解読したと発表してはいるのだが、この発表には多くの専門家が疑義をあらわしている。しかし間もなくヒトゲノム解読が完了するであろうことは疑うべくもない(個人の個性という部分では恐らく依然として未知の部分が残るだろう)。
 その副成果(いや目的かもしれない)として人の病気のうち、遺伝子に要因を求めうるものの遺伝情報も明らかにされつつある。アメリカではそうした遺伝病の要因因子を持っているかどうかという遺伝子診断が普及しつつある。そのなかにはきわめてショッキングなものもある。ある男性は、自分もそうした遺伝病の一つの因子を持っているのではないかと疑い、遺伝子診断を受診した。彼の家族の何人もが、若年性アルツハイマー症に犯されているのだ。これは遺伝病だった。従って自分もその遺伝要素を受け継いでいるかもしれないと疑うのは当然のことだった。
 診断の結果は医師によって直接ではなく、カウンセラーを介して伝えられる。カウンセラーが伝えた結果はショッキングなものだった。彼も遺伝要素を受け継いでおり、発病する可能性が高いというものだった。これがどれほど衝撃的か理解できる気がする。これほど重い十字架を背負ってしまった人はそう多くはないだろう。
 彼は生きる気力を失ってしまう。その彼を支えたのは、そんな彼の人生を肯定してくれたある女性の存在だった。その女性が彼とともに病気と戦うことを誓ってくれたから、彼もまた死病の恐怖と戦う力を持てるようになったのだという。このような局面でカウンセラーの存在は大きい。彼は病気ではない。だがすでに死んだも同然だと自分をみなしてしまう。そうした心の葛藤に力を貸すのがカウンセラーであり、彼の生を肯定してくれる人々の存在なのだろう。
 別のある女性は、やはり家族に多かった乳がんと卵巣ガンの遺伝因子を持ち、発病する可能性が高いことを知った。その恐怖に直面した挙句、彼女はまだ健康であるにもかかわらず乳房と卵巣の切除手術を受けることにしたのだ。発病の恐怖から逃れるにはこれしかなかったという。
 遺伝子診断は生命の初期段階、受精卵の段階ですら実施可能だ。そのことによって、遺伝病の恐怖から子供を持つに持てなかった夫婦が、遺伝要素を受け継いでない健康な子供を得ることもできるようになった。体外受精で受精卵を複数つくり、それらの遺伝子解析から病気の遺伝要素を受け継いでいない受精卵のみを選別することができるようになったのだ。
 この受精卵に対する選別は、命の選別ではないか、すなわち受精卵の段階とはいえ人間の最初期段階でもあるのだから、他の受精卵たちの生まれてくる権利を阻害しているのではないかという指摘がある。
 この事に関していえば、それはダーウィニズムでいう適者生存というイデオロギーを、可能な限り隠蔽してしまおうという活動の一つだと見ていいのではないだろうか。近代に入って人間は社会ダーウィニズムを骨子とする資本主義社会を発展させてきた。人間の欲望をまあ概ね無制限に認める市場経済社会を駆動してきた社会ダーウィニズムの威力は絶大だった。しかし同時に優生学のような怪物を生み出しかねない危険をも孕んでいることをも、現代に生きる僕たちは知っている。後ろめたいのだ、適者生存なんて考えは。なんのためらいもなく社会そのものに適用できると考える人はよほどの少数者だろう。
 そこで胎児の選別が登場するわけだ。今意思的に行動している人に対して適者生存を適用するのにためらいがあるとしても、生まれる前の受精卵ならば後ろめたさは少ない。始末するにしてもわずかな量のたんぱく質が無駄になるだけだ(受精卵に魂が宿ると信じているのでなければ)。
 このように生命発生の早い段階で操作を加えようという考えは、旧来の価値観との衝突もそれほど大きくないだろう(なにせそのような段階があるという考えすらなかったのだから)。医療側から見ても都合のよい技術になりそうだ。だがこうした技術は生殖と出産という自然界で長い間に検証されてきた手法と違い、様々な検証がなされていない。いまや生物学的にも未知の領域に深入りしつつある現状で、いまさら検証もなにもないのかもしれないが。
No comments

2000年4月25日(火曜日)

アニメとか

テレビ 20:06:00
 先週撮っておいたグルグルを見た。ああ、ゆうしゃさま~(爆死)。相変わらず変なノリで良いです。キタキタ親父おいしすぎる(アレはタモリのネタにあったな)。着ぐるみ着せたがるモンスターも良い。
 六番目の小夜子。やっと第1週を見た。小夜子役の女の子、前から見ると鬘かと思うような不自然な髪型なのだが。後ろから見ると自然だな。まだ導入部という感じだ。
No comments
«Prev || 1 | 2 | 3 |...| 8 | 9 | 10 | 11 || Next»