Strange Days

深夜のETV

2000年10月14日(土曜日) 23時45分 テレビ

 23:00からは国宝探訪。今日は奈良唐招提寺の鑑真和上像の話題。この像は歴史の教科書には必ず載っていた有名なものだ。最晩年の鑑真の死を予感した弟子たちが作らせたものだという。
 鑑真は唐で高位の受戒僧として名高い人物だったが、日本にも受戒制度を伝えて欲しいという日本から渡来した僧侶の願いに動かされ、渡海を決意する。しかし5回に渡る企てはことごとく頓挫し、苦楽を共にしてきた弟子を失い、自らは失明するという苦難に遭う。しかし6度目にしてようやく来日を果たし、日本に初めて正式に受戒制度をもたらした。日本の仏教界にはじめて権威が伴ったといっていいだろう。
 鑑真来日のタイミングは良かった。当時、奈良東大寺の大仏開眼から2年、国中が仏教受容の熱気に溢れていた。そこにちょうど開いていた権威付けという間隙を埋める人物が来日したのだから、鑑真が熱烈に歓迎されたのも当然の話だ。
 しかし鑑真を取り囲む空気は大きく変転する。鑑真が担った役割は、いわばその瞬間だけ存在すればよいような性質のものだった。日本最初の受戒僧は、受戒僧足りうる僧を量産すれば、もう必要とされなくなったのだ。鑑真は国の中枢を追われ、弟子と共に小さな学問寺を築き、そこで残りの人生を過ごした。しかし僕は想像するのだが、こうした日本の公の仕打ちに対し、鑑真はさして気にもとめなかったのではないだろうか。彼は確かに学識高い受戒僧として来日し、その役目を担わされたが、一人の僧としては朝廷の奥深くに鎮座するような役目を喜んでいただろうか。それより彼を慕って集まってくる民衆や、熱心な若い僧侶たちに彼の知識を伝える仕事のほうが、はるかに実り多いと感じていたのではないだろうか。朝廷など、彼からすれば日本の野に仏教を伝えるために通らねばならない、厄介な関門程度の認識に過ぎなかったのかもしれない、と。


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