Strange Days

2005年秋のしまなみ海道ツーリング3日目

2005年11月22日(火曜日) 22時20分 天気:晴れ

 楽しかった秋しまなみツーリングも最終日。そして実は、いささか憂鬱な気分だった。行程に未知の部分が多く、果たして予定通りに行動できるのか、見通しがつかなかったからだ。特に大崎下島に渡る便に自転車を載せられるかどうか、まだ確認できてなかった。7:00の朝食の時間になっても、運航会社との連絡がつかない。どうしたものか。
 煮え切らない思いを抱えつつ、もしもダメなら松山方面に走るかなどと考えていたら、フロントから内線が入った。実は、フロントにも聞いてみていたのだが、やはり電話が通じなくて不明、という答えだったのだ。話は、やはり高速船のことだった。あれからまた電話してもらって、今度は通じたそうだ。問題なく載るという。やった。これで懸念が一つ消えた。フロントの親切に感謝だ。
 宿を後にし、一行を今治港まで引率した。後で思い返すに、ちょっとくらい寄り道して、今治城くらいは見て行けばよかったか。ともあれ、高速船の切符を買い求め、桟橋で待ち受けた。料金は1700円台だが、自転車をそのまま持ち込む場合は手荷物扱いとなり、1550円を取られる。船内は列車よりはかなり広いので、折り畳んでの輪行も問題ない。折り畳まない*1自転車は、後部デッキに載せられた。後でスピードメーターの表面を見ると、白い塩が薄くこびりついていた。
 やがて船は出航すると、大崎下島を目指して進み始めた。30kt出ているとかで、風晒しのデッキに出ていると、風に息が詰まるくらいだ。しかし、船の旅は視点が異なるので、楽しめる。橋を下から見上げたりして。
 今治から30分で大崎下島の大長港に着く。まずは岡村島でも一周しようではないか。
 大崎下島と岡村島は、三つの島で繋がっている。一つ目の橋は比較的短くて片持ち式、二つ目三つ目の橋は、見た目は同じの双子の橋だ。
 岡村島から豊島まで、そしてその隣の両蒲刈島は、既に橋で繋がっている。豊島と下蒲刈が繋がれば、ここまで陸地と接続されるわけだ。
 岡村島の北側、岬の突端に、ちょっとした公園があった。なんでも、2~3世紀頃にこの近辺に勢力を持った豪族が、多数の古墳を残しているのだとか。
 岡村島はさくっと一周してしまう。再び大長近辺に戻り、昼飯場所を探しながら御手洗までゆっくり走った。いいところはなさげだな。とりあえず、御手洗を散策することに。
 最初は、こぐ氏らがご執心の時計店に。機械式時計の修復で有名だとかで、全国から古い時計の修理依頼が来るらしい。外から作業場を覗けるのだが、確かに日本各地からのものらしい、機械式腕時計がいくつも壁に掛かっていた。
 昼飯どうしようかなあ、などと話しつつ、時計店から走り出す準備をしていると、郵便配達のおばさんが通りかかった。ちょっとした会話があり、ついでに聞いてみると、近くに食堂があるという。そこにするか。
 教えてもらった通りに進むと、海岸通の小さな食堂に行き当たった。他にも飲食店らしきものはあるのだが、外見がどう見てもふつうの家にしか見えないところばかりで、ここがほぼ唯一の食堂だった。中で鍋焼きうどんを頼み、おでんを3本くらい摘む。鍋焼き400円。おでん100円/本。鍋焼きは具は少しチープだが、関西風の出汁に卵、青物、そしてアナゴの焼き物が良く合っていた。おでんは良く煮込まれていて、味が染みきっていた。どうやら、周辺の住民の昼食場所みたいだ。
 この御手洗、古い家並みを細い路地が縫うように走っており、なかなか風情がある。自転車ではなくて、歩いた方が楽しいだろうという判断から、自転車はまとめて駐輪した。海に向かって、いい感じに朽ちつつある物置。来年、台風が何発か来たら、もう無いかも。
 鉄漿事件なる伝説が残る置き屋跡を見てから、方々を歩き回った。乙女座という古い映画館跡がいい感じだった。
 適当に見て回り、次の高速船の時間が近づいてきた。大長に戻り、再び船上の人となった我々は、1時間半後に呉へと到着した。残念ながら閉館日の大和ミュージアム近辺をうろつき、阪急ホテルまで案内、さらに呉の中心街方面に誘導してから、帰宅した。
 これで春、夏、秋としまなみを走った。ネタとしては、冬のしまなみも走らなければならないのだが、うーむ。

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