Strange Days

NHKスペシャル

2000年10月29日(日曜日) 23時37分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルはボスニア紛争(ユーゴ内戦というべきか)に暗躍した米情報コンサルタント会社の話題。
 '93年、ユーゴ連邦からの離脱を宣言したボスニアに、セルビア軍が介入した。恫喝により、できればボスニアの離脱を阻止したかったのだろう。しかしボスニアの抵抗で、介入は本格的な内戦の様相を呈し、セルビアによる更なる攻撃を誘発することになった。これは独裁的な体質を持つといわれるミロシェビッチも、本心では望んでなかった事態のはずだ。しかし資源にも産業にも人口にも恵まれてないボスニアは、軍事的な圧迫に窮地に追い込まれる。
 内戦勃発から3ヵ月、事態打開のために就任したばかりのボスニアの外務大臣が渡米した。ボスニアは「世界全体から見れば取るに足らない地域」と自ら認めるだけに、国力の乏しい小国家だ。外務大臣も単独での渡航だった。彼は強大で、なおかつ正義なるものに乗せられやすいアメリカの力を利用しようとした節がある。もちろん、ニューヨークには国連本部があるので、国連での活動をも睨んだものであるのも間違いないだろう。しかし最終的には、最大の狙いはアメリカ政府を動かすことだった。
 ボスニア政府はまずボスニアがこの世のどこにあるのかをアメリカ人に知らしめなければならなかった。ボスニアでオリンピックが開かれたことをおぼえている人は多かったろうが、そのボスニアがバルカン半島に位置することを知っている人は少なかったようだ。僕も、マケドニアの位置をイタリア側にあると間違えておぼえているのに気づいた。
 こんな頼りない状況を打開するために、渡米した外相が契約を結んだのが大手情報コンサルタントだった。情報コンサルタントは世論形成に大きな力を持ち、クライアントが情報発信の過程で有利に立つようにアドバイスする立場にある企業だ。この件を担当したコンサルタントは、早速記者会見を開いて外相自らボスニアの存在と、そこで起きている事態をアピールし始めた。
 最初は"つかみ"が悪く、記者会見にも人が集まらない状況だった。しかしコンサルタントはボスニア政府が主張する非セルビア系住民への虐待行為をアピールするために、ある言葉を借用した。いまや新聞の国際面にこの字が躍らぬ日は無いとさえいえる「民族浄化」だ。元々はナチスの非アーリア系住民根絶政策で用いられた用語だ。cleansingという肯定的な響きを持つ言葉を"虐殺"に用いることは、大きなインパクトがあった。
 狙いは当たった。Esnic Cleansingはアメリカの世論に大きな衝撃を与え、アメリカによる対ユーゴスラビア経済封鎖へとつながった。この結果、ユーゴスラビア政府がアメリカ国内で同様の活動を繰り広げることが困難になり、この"情報戦争"で小国ボスニアが優位に立つ下地を作った。この劣勢はユーゴにとって最後まで堪えた。ユーゴが免れたいと思っていた国連からの追放へと事態が進行してしまったのだ。そのように広範なユーゴ非難の世論を形成したという点で、"Esnic Cleansing"という借語を見出した情報コンサルタントの手腕には、目を瞠るものがある。小国ボスニアを守るためにNATOが介入するという事態は、このようにして形成された国際世論の後押しがなければ生まれなかったはずだ。
 しかし情報戦争には負の面もある。なぜならばこれは戦争だからだ、と言ってしまえるだろう。敗者となったユーゴは「ボスニア側もセルビア人の強制収容所を作った」と主張し、それはハーグの戦争犯罪法廷でも事実とされたことだ。しかし圧倒的なセルビア=悪のイメージを前に、そうした事実はほとんど意味を持たない。ある単純な図式を認識するだけで、国際世論は満足してしまうのだ。そこには正負双方の価値があるが、いずれにせよ充分な資金とタイミングに恵まれれば、個人にも国際世論を左右する力があるということを意味するのだろう。


Add Comments


____