Strange Days

20世紀最後の一日

2000年12月31日(日曜日) 21時55分 思考 天気:晴れかな

 とうとう20世紀最後の日がやってきた。それにしても妙なものである。月面基地はできてないし木星の有人探査はおろか月面への再到達もかなっていない。それなのに、10年前からすればそこそこ想像を絶する世界ではないか。少なくとも、10年前にパソコン通信を始めた頃には、世界中にサーバが分散して、そこにさらに無数のクライアントが自由にアクセスできるような状況が実現するとは考えてもいなかった。むしろHSSTだとか海底都市だとかいったような、居住空間の拡大が実現するのだとばかり思っていた。当時地価は異常に高騰していたし、しんかい2000/6500が実現し、NASAのXシリーズもぼちぼち再始動の気配を見せていたからだ。ところが20世紀最後の10年間に拡大した空間は、完全に人工の空間であるインターネット空間だったのだ。これを『仮想空間』だの『サイバースペース』だのと名付けても、拡大しつつあるモノの本質を、何一つ捉えてい無いような気がする。完全に仮想の世界ではないし、かといって現実世界の影にすぎないという捉え方も単純にすぎる気がする。インターネット空間と形容するより他にないのではないだろうか。実のところ、ITが隆盛を極めることで、なにが豊かになったのかいまいちピンとこないのだ。確かに情報の切り口は増え、以前より遙かに利用しやすくはなった。だが総体として新しい見地があったとは言い切れないのでは無いだろうか。インターネット空間で増大しているのはその領域ではなく、実はディテールである。そんな気がする。
 もちろん、インターネットを背景に新しい潮流、例えばLINUXに代表されるオープンソースの流れのようなものは立ち上がってきた。しかしオープンソースの思想的原形としてのフリーソフトウェアは遙か以前から存在していたし、それがインターネットと不可分だったわけではない。古手のパソコン通信のユーザや、初期のインターネット(日本ではJUNETと呼ばれていた頃)の参加者は、ソフトウェアの回覧という催しに参加した人も多いのではないだろうか。これはパソコン通信にせよインターネットにせよ、そもそも基盤となる回線が遅く、貧しく、大量のデータをやりとりするコストがあまりに高価だった時代によく行われていたもので、大量のソフトウェアやデータを媒体に納め郵政省メールでやりとりするというものだった。あらかじめ参加者を募り、一筆書きになるように、全参加者が次の参加者への郵送料だけ負担する形で実施されることが多かったように思う。僕もこれで最初期の日本語ポート版FreeBSDを入手したし、同時期にやはり最初期のLINUXの回覧も行われていたと思う。むろん、この手段では日数がかかるし、メディアの破損などのリスクもあり得るしでリスクがある。従って速い回線を得られないときの次善の策ではある。LINUXなどのオープンソースの急激な発展は、素早くデータをやり取りできる高速回線の普及に強く依存してはいる。しかしながら代替え手段がなかったわけでは無いという意味で不可分ではないと思うのだ。そんな風に回顧して行くと、インターネットでITが興隆を極めるようになったとはいえても、それが全人類的な利益を生み出しているとか、インターネットが21世紀の世界の中核技術になるとは単純にいえない気がするのだ。
 よく21世紀をインターネット時代だなどと軽々しく口にする人がいるが、20世紀を電話の時代だったなどと総括できないように、強力ではあっても単なる基本的技術の一つを占めるに過ぎないものに終わるかもしれない。むしろ21世紀には、さらに想像を絶するモノが立ち現れてくるのだ。そう覚悟した方が良さそうではないか。


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