Strange Days

第4回東京・南会津サイクルトレイン1日目

2004年05月22日(土曜日) 23時28分 自転車 天気:なんとか

 やや睡眠不足気味のまま、南会津へ向かう車中の人となる。心配していた天気も、今日は問題無さそうだった。しかしツアーは、会津田島を出た直後から思わぬ展開を見せる。
 トラブルに見舞われつつも、初日の日程を消化し、素晴らしい夕餉の後は宴会になるはずだった。が、それもなんとなく不発に終わり、なんとなく空振り感の残る初日となった。


 3:30頃に起床。そそくさと身支度をして、朝食を取っておいた。4:30頃、MR-4Fで戸塚に向かった。今日はMR-4Fのリアにモンベルのドライフロントバッグを着け、大きな荷物はドイターのバッグに入れて背負った。現地ではドライバッグのみで走ろうという作戦だ。戸塚に5:30前に着く東海道線で新橋に向かい、新橋から東京メトロ銀座線で浅草へと乗り継いだ。集合場所の隅田公園着は6:40くらいだったろうか。受付を済ませてもまだ間があったのでボーッとしていると、hai氏、にち氏らが相次いで到着した。ねず吉氏の姿を見かけたので話しかけていると、出発時間となった。整列して東武浅草駅へと向かった。改札口に、仕事で急遽キャンセルとなった某氏が見送りに来ていた。これは気の毒なり。
 ホームでしばし待ち、一斉に乗車し、南会津へと旅立った。途中、北千住でこぐ夫妻を含む途中乗車組を拾い、さらに北へと向かって走った。
 今回の列車はいつもの「たびじ」号だったが、車両の前後にワッペンを着けていたためか、時折カメラ小僧の標的になっていたようだ。
 車中、同じボックスになったのは、第2回で見かけたポケロケ風ポケラマの男性、初対面のMTBの男性だった。ところがこのポケラマの人はすぐ近所にお住まいで、MTBの人も実家は我がアパートにすぐ近いのだとか。こんな浅草に集まって南会津まで遠征するようなツアーで、なんでこんな近所の者が、としばし盛り上がった。
 途中、会津高原駅で停車となったが、今回は全てのコースが会津田島下車なので、ここで降りる参加者はいなかったようだ。
 会津田島に到着。早速身支度をする。今回のCコースは結構ハードな道行きになるということだったが、初日に登る予定だった駒止湿原が通行止めで、エスケープすることになったため、その分は楽になるはずだった。全員の準備が整ったところで出発。
 まず駒止方面に向かうはずだが、実は道行きをほとんど憶えてなかったため、その後の悲劇につながった。
 走り始めてすぐ、信号待ちのところで、参加者の二人が停止してブレーキを調整し始めた。面倒見のいいhai氏がそれを見守り、僕もしばし眺めていた。信号が変わり、走り始めたとき、前の車列との差が大きく開いていた。しかしまあ、迷子になることはあるまいと、のんびり走っていたのが仇となった。橋を越えたところで、前方にいたはずの車列が見えなくなっていた。不審を覚えて停止している横を、ブレーキ調整をしていた二人が通りすぎていった。その後ろを着いていたhai氏が、僕の顔を見て話しかけてきた。迷ったようだ、と告げると、hai氏は近くのおばさんに自転車の一団が通過したか確認した。答えは否。するとhai氏は、先に行ってしまった二人を追いかけて猛然と走り出した。やがて連れ帰ってきた二人と合わせて4人、南会津の地で呆然と立ち尽くすことになった。伏線はあった。スケジュールがタイトで先を急いでいたこと、最後尾に着いていたスタッフが、道順についての疑義を尋ねるためか、一時最前部を引いているもう一人のスタッフと合流していたこと、などなど。
 どうやらR400じゃなくてR289沿いの裏道を行ったらしいという予想はついたが、ここを動くとさらに状況が悪化する可能性が大だったので、とりあえず連絡のつきそうな他の参加者に電話を入れた。が、いずれも走るのに精一杯なのか、留守電モードにされていた。
 どうするべか、などと話しながら道路脇に立っていると、なにやら見覚えのある一団がやって来るではないか。山アド主催のEコースの一団だった。ラッキー、と思ってCコースの道順を尋ねてみたが、他のコースのことまでははっきり分からないようだ。まあそうだろうなあ。とりあえず元気だけもらって(笑)別れた。
 そうこうしているうちに連絡がつき、結局はトラックで合流地点まで運ばれることになった。今回は全行程を自走突破するつもりだったのだが、いきなりこれですか。まあ、この後のトンネルは危険ということで、結局はトラックに乗ることになっていたのではあるが。
 迎えのトラックに自転車を載せ、ワゴン車で合流地点まで送られた。毎回、このサポートカーを運転しているのは、現地のボランティアの方々だ。今回のワゴン車を運転していた方は、CANONの60Dをお持ちだった。週末だけ会津に帰っている方もいるとか。それだけ魅力的な土地なのだ。
 合流して、他の参加者も車上の人となり、件のトンネルを越えた。確かに自転車が連なって走るのは難しそうだ。が、途中で単独で果敢に走って行くサイクリストも見かけた。明日のヒルクライムレースに参加するのかもしれない。
 トンネルの向こうで車から降り、再びサイクリストに戻る。駒止湿原を回避した分走るとかで、一度北に向かうようだ。途中、去年も訪れたきらら温泉に立ち寄った。腹が減っていたので蕎麦でも食いたかったが、それだけの時間は無かった。
 南郷村から、一度北に転じて走った。今回、やはりというべきかロードが多い。MTBも同じくらいで、折り畳み自転車はそう多くない。僕のMR-4F、こぐ夫妻のお父さんが持ち込んだHELIOS(なぜかあゆ子女史が搭乗)、そして荒川でも見かけたことがある梛野女史のSatRDay、そしてにち氏の改造されまくりトレンクルくらいだろうか。みんな、それなりに覚悟を固めていたようだ(笑)。
 しばし走り、到着したのが、南郷村歴史民族資料館だった。目印に使っただけで、別に入る時間があったわけでもない。小休止の後、また南郷村の中心部へと戻っていった。
 今夜の宿は木賊温泉だが、途中で古町の大銀杏のある伊南小学校へと寄った。去年のBコースでも立ち寄ったなあ。ここで大銀杏を前に記念撮影。広角ズーム装備のD70は大活躍だ。
 さらになんぞやという滝(名前忘失)にも立ち寄った。こういう眺めだ。幅の広い、なかなか見事な滝だった。
 さらに走り続けると、やがて今夜の宿がある木賊温泉についた。15人と8人に別れて分宿するのだが、僕は8人組で、知り合いは一人もいない方だった。まあこういう旅なら、これは望むところだ。
 宿はくすのきという民宿だった。これがもう見事な民宿で、僕が入れられた3人部屋は、布団を三つ敷いたらもう足の踏み場もない有り様だった。まあこれで良し。風呂は外湯を使ってくれということで、すぐ近くにある広瀬の湯に入った。これがまさに共同浴場という風情の小さな温泉で、洗い場も4つくらいしかない。が、湯は硫黄の匂いのするちゃんとした温泉で、ものすごく暖まった。
 この辺り、雪解け直後のせいだろうか、そこここに水が湧いていて美しい。北の春という感じ。
 部屋は狭いが、民宿だけに料理は頑張ってくれた。こんな大きな膳蕎麦と炊き込みご飯もつく。かつてないほどの豪勢さだった。野菜は美味で、豊富な山菜も都会のスーパーで売っているインチキ山菜では無さそうだ。味が凄く濃いのだ。本当に山で摘んできたものなのだ。
 この席で木賊温泉の由来が問題になったが、博識な高橋老が「木賊という草に由来しているのでは」という意見を出した。宿の人に聞くと、やはり山中に木賊が自生しているそうだ。ならそうだろうということになった。帰宅後にインターネットで調べると、やはり『植物の木賊に由来する』という一文を発見した。
 その後、もう一つの宿まで出かけ、そこで宴会しようということになった。8人組は全員で出かけていったのだが、15人組は部屋が分散したのが災いしたのか半分もいなかっただろうか。しばし歓談して、お開きとなった。今回のサイクルトレインは予想よりも応募者が少なかったとかで、やり方を変えていかなければならないだろうというスタッフの言葉が印象的だった。そういえば、これまでのサイクルトレインでは、BD-ML辺りに募集開始の情報が寄せられたりしていたのだが、今回はそういった動きが皆無だった気がする。サイクルトレインが実績を積み、定例行事になった結果、目新しさを失ってしまったのはやむを得ないだろう。今後に繋げて行くために、BD-MLなどの小さなコミュニティへの情報提供などが必要になるだろうと思った。僕も次回は積極的に情報を流すつもりだ。
 ともあれ、それなりに走り、それなりに遊んだものの、事前情報のそれに較べるとやや物足りなさを残し、南会津の夜は暮れていったのだった。

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