Strange Days

第4回東京・南会津サイクルトレイン2日目

2004年05月23日(日曜日) 23時45分 自転車 天気:いよいよ悪化

 南会津の二日目は、微妙な空模様の下、始まった。まず小峠を越える大規模林道が待っている。朝食直後のこともあり、苦しんだ人は多かったようだ。というか苦しんだ。その後は大桃の舞台を経て、会津高原駅へと向かう。その途中には旧中山峠が待ち構えていた。そして温泉で汗を流し、南会津を後にする。
 終わってみれば、そこここに課題は残したものの、楽しい二日間だと思い返す俺様だった。が、このサイクルトレインという企画にかかわる課題も浮き彫りになり、確かに企画として見直す時期がきているとも思ったのだった。


 7:00に朝食ということで、6:30には起きていた。空模様はいまいちだったが、日も差しているという微妙な状況。同室したスタッフの中村氏も気にしていた。
 朝食もかなりの品目で、白飯だけで戦えるのかというくらいだった。ここで腹一杯にすると、去年も苦しんだ大規模林道の上りで悶絶することになるので、そこそこに控えておいた。
 集合場所はもう一軒の民宿前ということで、8:00前に自転車を取り出して、走り出した。集合場所は、なんだ、去年も休憩を取った酒屋の前ではないか。しばしストレッチをしながら待っていると、やがて分宿組もやってきた。
 ここで身支度を整えて、いよいよ大規模林道のアタックだ。600mくらいの上りになる。去年よりも自転車は上りに有利で(EPIC号->MR-4F改)、それほど苦しむことなく上れるだろうと思っていた。確かに去年より楽だが、ロードバイクが多い関係で全体のペースが速く、到着は真中くらいの順番だった。健脚を知っている青木老に負けたのはともかく、トレンクルのにち氏に負けたのはどうよ? 要するにトレーニングなんざ、全然役に立たないんだなあ。それでも上り切れた分は、役に立ったのか。
 事前のミーティングで頂上のトンネルを越えた退避場で集合、となっていたと記憶していたのだが、なぜかみんなトンネル前に溜まっている。トンネルの向こうに移動しようということになり、先頭を切って走り出した。トンネルの中で、最近の習慣になっている「奇声をあげて反響を楽しむぞ」攻撃をしたところ、誰も追随してくれない。一人だけハイになっていると思われたかも知れず、やや寂しい思いをした(ハイになっているのは事実だろう)。
 トンネルを超えてびっくりした。退避場に雪が溜まっている! 道理で寒いはずだ。慌ててウィンドブレーカーを着込んだ。
 後続が三々五々やってきて、退避場に溜まってゆく。にち氏が記念写真をとっていたので、僕もhai氏にお願いして撮ってもらった。ほとんどの参加者は自力で登りきったようだ。
 ここからは爽快なダウンヒルになる。所々の路面が濡れていたので、慎重に下っていった。下りきり、少し走ると、小豆温泉に着く。土産物屋で、去年も買ったごまソフトを買った。今年は売り切れにならなかったようだ。うん、美味なり。
 さらに走ってゆくと、大桃の舞台に至る。真中に構造物がある不思議な形から能舞台ではあるまいと思っていたのだが、帰宅して調べると農民歌舞伎の舞台だったらしい。
 ずっと走りつづけ、昨日も通過した舘岩村の景観保護地区で休憩と昼食を取る。おむすび主体の昼食だったが、とても美味。その景観保護地区は、単に藁葺屋根が保存されているということらしい。しかし、水の豊富な家並みは美しい。
 さて、旧中山峠の麓で休止をとり、いよいよ最後の峠を越える。去年秋、僕が参加したBコースが越えた道を、逆にたどってゆく形になる。大規模林道よりは楽だろうと思っていた。が、荒れた路面はロードバイクにはつらく、かつすでに売り切れ寸前だった足では苦労の連続だった。なんか、全然鍛えられてないな、俺。
 なんとか登頂に成功。さらに後続を待ち、全員で記念撮影した。この中山峠の下りは、路面に水が浮いており、ごみも多く、かなりの恐怖だった。が、下りきると、もうそこは会津高原駅だった。近くの温泉で汗を流し、会津高原駅に着いた途端、パラパラと降っていた雨が本格化してきた。我々に続いて到着したEコースの人々は、最後の最後に雨に降られる形になった。が、Cコースは、なんとか免れた。
 出発まで時間があるので、会津高原駅でしばらく買い物を楽しんだ。以前口にして美味しかった国権を買い込み、ビールとパンも買っておいた。やがて乗車時間が迫り、Eコースともどもホームに移動する。電車が見えてきた。慌しく乗り込むと、もう出発の時間だ。ホームには、世話をしていただいた現地スタッフの姿がある。毎度毎度、この瞬間は、胸に迫るものがある。手を振り合っての別れ。また来ますね。
 車中、サイクルトレインの未来に思いを巡らせた。今回参加して、いくつかの問題点が浮き彫りになったと思う。まず定例化した反面、新鮮味を失い、動員力が低下した参加者数。意外にリピーターが少なく、新規参加者もそれなりという状況だ。本来、Aコースのように、普段は自転車に乗らないが、イベントとして興味があって参加する層が多い方が、将来的にリピーターを増やしやすいはずだ。しかし、今回、Aコースは一番少なかったのだ。一度、『どの媒体で開催を知ったか』というアンケートを、詳細に分析するべきだと思った。どうも、注目度がいまいち上がってないような印象を持っている。例えばBD-MLのような、マスは少ないが、参加する可能性が高い層に向けてアピールすべきだと思う。そういう意味で、今回のサイクルトレインの情報を、BD-MLに流さなかったのは、僕の失敗だ。
 もう一点は、スタッフの手薄さだ。今回、5コースに分かれたこともあり、Cコースなどは21人の参加者に対し、二人で先導するという形になった。初日の4人迷子事件、翌日の大桃の舞台前後での迷走など、危うい局面がいくつかあった。せめてもう一人は必要だと思った。そういう意味で、スタッフとして参加できるサイクリストを、積極的に養成する必要もありそうだ。今のままでは現地スタッフへの負担が大きくなり、結局は南会津という土地に寄りかかってしまう運営になりかねないだろう。これらの問題点が、うまく解消されれば、サイクルトレインはさらに盛り上がることだろう。将来的には横浜から出発してくれないものか(結局それかい)。
 思い出話に花を咲かせているうちに、列車は北千住に、そして浅草へと帰着した。僕はにち氏とともに東京まで出て、東海道線で戸塚に帰り、地下鉄で帰宅した。泉区は雨が少し降っていた。MR-4Fの掃除をしないとね。
 今回も楽しかったな。次回まではわずか4ヵ月。今度はAコースをのんびり行くか、山アドコースで激走するか、どちらかだろう。

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