Strange Days

今治から松山に

2001年08月17日(金曜日) 20時23分 自転車 天気:晴れ(雲量やや大)

 朝、8:00前に起床。昨日、宿に着いた途端に爆睡したためもあり、目覚めは割とすっきりしている。窓を開けると、相変わらず雄大な来島海峡大橋が目に入ってくる(当たり前だ、寝てる間になくなっていたら怖いぞ)。
 朝食は7:00~9:00なので、すぐに1F食堂に向かう。朝食はバイキング形式で、既に満員に近い有り様だ。ちょっと時間を置いて席を取り、適当な品を取って食した。相変わらず食欲が無い。が、冷やしたうどんがうまい。讃岐が近いせいか、うどんのレベルが高いのか。
 食後にコーヒーで一服。走っているときはコーヒーなどの糖分が多いものはあまり飲まないので、朝一のカフェインは心地よいものだ。
 9:00頃にチェックアウト。ちょっと制限はあるが、ロケーションも内容も良い、お得な宿でした。
 BD-1で、昨夜ちょっと放浪した海岸沿いの道に降りていった。当たり前のことだが、歩いて15分くらいかかった所を、自転車だとあっという間に通り過ぎてしまう。
 今治の市街まで、海岸沿いに走ってゆく。漁港と岸壁が交互に現れ、消えてゆく。人通りも店も少ない。やがて遠くに高いビル群が見え始めた。あれが今治の市街地だろう。自転車をちょっと内陸に向ける。
 運河のような川沿いを走り、碁盤の目のような通りに沿って、民家が建ち並んでいる辺りに差し掛かった。おや、この辺は......。なんとなく見覚えがある。実は僕の母方の祖父が、亡くなる前に住んでいたのがこの辺のはずなのだ。しかし、ここだという確証は無い。さらに走って商店街に出た。ここも見覚えあり。
 港に走り、自販機で冷たいものを買い、急激に上がり始めている気温にうんざりしながら、しばし小休止。ふと思いついて実家に電話を入れた。住所がどこだったかを聞き出そうと思ったのだ。が、誰も出ない。
 少し考えて、そういえば四辻の角に蕎麦屋(更級)があり、そこでよく素麺を食っていたことを思い出した。更科、更科、と呪文のように唱えつつ探し始める。
 走ってゆくと、また見覚えのある家並みに出た。そしてこれも記憶にある寺の門も発見。ここから東に一本くらいずれているはずだ。通りを一本分東に走り、また南下してゆくと、ほらあった、更科だ。そしてそこからちょっと進むと、見覚えがある祖父宅の、いやもう人手に渡っているから元祖父宅か、への細い路地が見えた。ちょと入ってみると、そこには確かにかつての祖父宅が建っていた。懐かしいなあ。ちょっと改装されて、かつての玄関は塞がれ、別の位置に新設されているようだ。
 懐かしさに浸りながら立っていると、通りすがり風のおじさんが急に声をかけ、「あなたが悩んでいるのなら......」などと始めた。宗教の勧誘だな。「結構です」ときっぱり断ると、あっさり引き下がった。まあ悪い人ではなさそうだが。なにか家出中年にでも見えたか。
 さて、次は港だ。子供の頃、夏休みは祖父の所に遊びに行く習慣だった。そして港に出かけ、長い防波堤で釣り糸を垂れるのが楽しみだった。しかし、しばらくぐるぐる走り回っても、ピンと来る場所が無い。適当なところで腰を下ろし、コンビニで買ったおやつを食った。
 次は松山に行こう。しかし松山の地理がとんと分からない。今治は漠然とした記憶があったのだが、松山はどうも路面電車に乗った記憶しか残ってない。そこで本屋に入り、地図をあさってみた。なんとなく位置関係は分かったが......。まあ詳細は観光案内所かどっかで地図をもらおう。そう思った僕は、輪行すべく今治駅に向かった。
 今治駅は長い編成の特急も停まるが、基本はごく短いホームがあるだけで、のどかなローカル駅だ。港湾設備の発達振りに比べると、落差が大きい。
 松山行きの列車に乗り込んだ。これがワンマン運行の1両編成で、整理券を取る方式だった。整理券が要る電車にははじめて乗ったよ。いや、広島の路面電車もそうだったか。
 このワンマン号で、ひたすら単線な線路を走る。のどかな風景が外に続いている。線路は海岸線に出たり、山中を走ったりしながら、松山を目指した。
 車中、荷物の関係で最後部に乗ったのだが、僕の近くにはねーちゃん二人組みが、後部ドアの近くには髪も髭もぼさぼさの爺さんが立っていた。この爺さんが、めったやたらと人に話し掛ける。それも「俺の母ちゃんは中国人だ」とか、「北条市はつまらんところよ」とか、およそ他人には愚にも付かぬことばかり口にする。その上、なにを話しているのか良く聞き取れない。当然のことだが、誰も相手にしていない。しかし、爺さんにとって一番反応が良かったのがさっきのねーちゃん二人組みだったのだろう。爺さんはこの二人にばかり話し掛けるようになった。爺さんの話に内容が無いせいで、会話はほとんど成り立ってない。しかしそれでも、やがて爺さんが松山の手前の駅で降りる事が明らかになり、その事からなんとか会話らしきものが成り立つようになった。といっても「ここはXXか?」、「まだよ」などというレベルではあったが。しかし、無理やりにでもコミュニケートしてしまえたねーちゃんたち、恐るべしである。コミュニケートできなければ凄く変な爺さんだが、コミュニケートすることで変な爺さんというレベルまで、潜在的危険性を緩和してしまえる。いやまあ、変さがちょっと違うくらいではなるけれど。しかし野獣が家畜になるくらいの違いはあった。
 やがて列車は松山に着いた。駅前で観光案内版を探したが、構内には無い。ちょっと外れた場所にあった。ふむふむ、路面電車の線路を伝ってゆけば、道後温泉に簡単に行けそうだ。そこまで、BD-1を走らせた。
 松山市内は道幅が広く、歩道も広いので自転車で快適に移動できる。30分程度で道後温泉に到着した。商店街の入り口にBD-1を止め、歩いて道後温泉本館まで向かった。
 本館の写真をとり、しかしこの暑さでは温泉に入る気になれず、結局そのまま引き返した。もう少し涼しい季節に来たならば。
 近くの喫茶店に入り、カウンターにいるご婦人に松山港までの道を聞いてみた。すると、道後温泉の前から、概ねまっすぐ走ってゆけば良いのだと分かった。また自転車を止めている辺りに、観光案内所があることも分かった。早速、地図をもらいにいった。ついでにフェリーの便も調べた。松山近郊には、松山観光港、堀江という二つの港があるが、呉経由のフェリーがあるのは観光港の方だ。そこまでBD-1を走らせる。
 もらった地図を見る限り、国道をずっと走ってゆけばいいらしい。走ってゆくと、ほとんど下りで、時々上りがある。しかし体力はかなり回復しているので、そんなにきつくはない。快調に飛ばし、長い下りでは一番重い8速ギアを踏んだりした。45km/h以上出ていただろうか。BD-1では、ちょっと飛ばしすぎ。
 国道の案内表示に松山観光港の表示が常に出ていたので、道に迷うことは無かった。しかし次第に道が細くなり、しまいにはちょっと山寄りかなという場所を走り始めた時には、正直心配になった(笑)。
 しかし、やがて無事に松山観光港に到着。ロビーで呉行きのフェリーを尋ねると、どうやら200mも離れた場所に券を買いにいかなきゃならないとか(車両つきだとそうなのか)。そこでそこまで走ると、妙に急いだ雰囲気で車両ゲートを案内された。どうも次の便の出港時刻が近いようだ。BD-1を走らせ、フェリーに滑り込んだ。ほどなく、出港。
 客室に上がり、周囲に見える島々を18*50ISで眺めつつ、ビールで一杯。くぅ、たまらんっす。しかし、周囲の島のどこにもギャルの群れはいなかった......。
 やがて16:00前に呉港着。そのまま自走して帰宅した。ああ、楽しかった。


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