Strange Days

NHKスペシャル「揺れる精神医療」

2001年10月20日(土曜日) 23時07分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは、「揺れる精神医療」。今年起きた池田小学校の児童殺傷事件は、犯人が以前起こしていた事件において処置入院、退院を経ていたことが明らかになったことから、退院を認めた医療側の責任を問われる展開となった。しかし、医療の現場では、この「処置入院」というものはどう扱われるのだろう。
 処置入院とは、事件を起こした者が、精神疾患につき責任能力がないと認定されたものの、自傷他傷の可能性がある場合に、本人や親族の同意無しに病院に収監できるというものだ。あくまでも緊急的な処置であるという位置づけのようだ。この処置は、"自傷他傷"の可能性と、誰もが持ち冒すことの出来ない(とされている)人権とを秤にかけ、一時的に人権を制限しても止む無しという、応急的な処置なのだ。
 この責任能力の有無と、処置入院の必要性は、警察に委託された二人の医師によって判断される。ところが、その診断時間というのが、せいぜい半日というものらしい。精神医療において、病名の診断には時間を要するものだということだ。ある患者には、複数の症状が交互に現れたりする。僕の今日の日記のここまでの分なんて、隔日で現れる躁病を思わせるものがある(いっておくが、意識的に書いているからね<ってなにを威張ってるのやら)。またまれにしか現れないが、その時に他人を傷つけるなどの凶暴化を伴うものもある。それを即日に診断せよというのは無理な話だと番組ではされている。
 入院した患者は、世間から完全に隔離された隔離病棟で治療を受ける。治療の内容は対症療法的な薬物投与だ。これだけで病因の撲滅は難しい。しかし、症状はかなり抑えることが出来る。しかしながら、自傷他傷の可能性が消えたかどうかは、本人が精神疾患を認識することなどを確認する問診、行動の観察によるしかない。血液を採取して分離器にかければ一発、などというものではないのだ。真の病因が多くの場合不明なため、対症療法はあくまでも対症療法にとどまる。そのため、30年も処置入院を余儀なくされたケースもあったという。ここまで来ると、人権を侵害するしないという以前の問題だ。
 本人に自覚があり、また症状の低滅が明らかになった時、処置入院が解除されるかどうかが再び診断によって決められる。この時は一人の医師が診断してよいことになっている。ここで解除となると、被処置者は晴れて世間に出て行くことが出来る。
 ところが、出て行った被処置者が全快したかというと、そういうわけではないのだ。被処置者は、処置入院解除の時点で、自傷他傷の可能性が無くなった、というだけのことなのだ。症状は抑え込んだものの、疾患が全治したというわけではないのだ。退院後の環境によっては、また症状が昂進して、自傷他傷可能性が高まるかもしれない。退院後も、病院による治療を受けなければ、全快へは至らない可能性が高い。ところが、退院後にまた治療を継続する道を選ぶ患者は、極めて少ないという。そして、完全な治癒を見ないまま社会に出た患者の中から、池田小学校での事件のような犯罪を犯す者が出てくる事もありうる。というより、既に社会はその可能性に怯えていると言ってよいのではないだろうか。
 こうした処置入院のシステム上の問題の一つは、医療の責任が重すぎるというものだ。医療側からではアプローチできない情報もあり、また先に上げたような時間的問題もあり、医療側からだけの判断は難しすぎる。そこで社会的な影響なども考慮するべき司法が加わるべきだという論議がなされている。しかし、医療側が痛切に感じているのは、社会に出た患者のアフターケアの必要性だ。多くの精神病者による犯罪は、彼らが孤立してしまった結果生まれている。池田小学校の例では、容疑者は華々しい精神病歴を持ち、幾度も犯罪、処置入院を繰り返しながら、いわば医療と司法の狭間に浮かぶような形で、いつの間にか世間に舞い戻っていたのだ。十分な治療を施せなかった責任を問われるのはやむを得ないと思うが、今のシステムではその機会が十分与えられていないと医療側は考えている。また精神病者に対する世間の目の冷たさも、やはり孤立化に手を貸しているとはいえないだろうか。
 精神病を患った者による犯罪行為は、人権と治安の危うい均衡を刺激し続けているのだ。


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