Strange Days

いよいよしまなみ海道へ

2002年04月29日(月曜日) 19時00分 自転車 天気:くもり時々晴れ BGM:AVIATOR/DEEP PURPLE

 朝、6:00に起床。前日まとめておいた荷物を背負い、MR-4Fを駆って呉駅に向かう。実家を出るとき、母が起き出して見送りする。気楽な旅の始まりだ。
 呉駅でMR-4Fを畳み、7:00くらいの三原行き各停で三原に、三原で乗り換えて二駅の尾道には9:00前に到着する。GW本番前ということもあり、人出は考えていたほどではない。それでも、目的を同じくすると思える自転車乗りが、ロードバイク、MTB、あるいはランドナーで通りすぎて行く。朝の潮風を胸いっぱいに吸い込むと、これから始まる小旅行への期待に胸が膨らむ思いだった。
 ルートは深く考えてなかったが、概ね去年と同じルートをたどるつもりだった。ただし、生口島では島の北、観光地がある方を走るつもりだった。去年はショートカットのつもりで南側を走ったのだが、実は距離的に大差無く、しかも観光ルートから外れるので、走っていてつまらなかったのだ。
 尾道駅前の岸壁まで走り、そこで渡船に乗る。渡船には、レンタルのMTBに乗った若い女性の二人組が既に待っていた。僕が乗って程なく、今度はこれもレンタルとおぼしきママチャリに乗った男性二人組が乗り込んで来た。渡船出港。
 渡船は細長い小湾の奥まで入り込む。運賃は大人一人100円+自転車10円だ。なにか補助が出ているのだろうか。それくらい安いと思う。
 渡船を降りると、同道の二人組*2はさっさと走っていってしまう。僕はあえてゆっくり走り出した。今日は、時間と競争するのは止めようと漠然と考えていた。去年、ヘロヘロになりながらも、実質5時間くらいで走りきれたことを考えると、どんなにゆっくり走っても、夕方までには糸山に確実にたどり着ける。去年は時間を気にしすぎて、途中の観光地、景勝地を楽しむことは無かった。今回は、走ることだけでなく、そういう途中の道行きを楽しもうと思っていた。いわば、時の回廊の脇道を探って行く旅にしたかった。
 向島では、渡船を下りた場所から広い道まで走り、右に折れて走って行けばいい。何ら迷うことのない道だが、早速気の迷いが生じる。さっき渡船で降りた人々が見当たらない! どうしたことだ。二組とも道を誤るとは考えられないし、向島にこれという観光地があるわけでもない。もしかしたら、去年のルートから変更があったのだろうか。確かにこの道で間違いない。去年と同じ道だ。その迷いは、やがて海岸線に出て、因島大橋の姿を見ることで、ようやく解消された。
 因島大橋は上下二段の特異な構造の橋だ。歩行者と自転車にとって、走ってあまり楽しい橋ではない。しかし、歩行者と自転車のための路面が車道より5、6m下にあるので、そこに上るまでは少しだけ楽ではある。海岸線の道からは、車道の脇にあるアプローチ入り口から上って行くのだが、うっかりすると見過ごしにしてしまいそうだ。
 アプローチをひたすら上って行く。去年はヘロヘロになりながら上っていったが、今年もやはりヘロヘロだ(滅)。だが、今年は全く休まず、アプローチの上端まで上りきれた。自転車が違うからか、多少脚力が着いたからか。なんにせよ、去年よりはずっと楽だ。
 因島大橋の鳥籠のような自転車道を渡り、爽快な下りを突っ走ると、そこは因島だ。
 因島は工業化が進んでいて、道沿いにも大型店舗が散見される。道路もよく整備されている。多少アップダウンのある道を、MR-4Fで走り抜けて行く。やはり、前2枚でクロスしたギア設定がこの快適さを生んでいるのかも。BD-1(去年の夏にはオリジナルのままの8速だった)ではどうしても回しきれない、あるいは回りすぎるギアしか探せなかったが、MR-4Fではいいケイデンスで回せるギアが見つかる場合が多い。去年はこの先のアプローチからはほとんど押して上がっていたが、今年は難なく自力で登れた。先行きに自信を抱いた瞬間だった。
 とはいうものの......、この因島、一向に橋が見えない。走れど走れど道があるばかり。因島は半ば都市化している島なので、走っていてもいまいち風情が無いのだ。それにしても、橋はどこだ......。止まって、去年のしまなみ行で活用した、派出所でもらった観光用ロードマップを調べる。......むむむ、なんだか島を逆回りしてしまったようだ。因島大橋を降りて、生口橋の方向とは逆に回ってしまったのだ。はからずも、去年とあわせて因島を一周してしまったことになる。次の生口島も、去年は南回りだったから、今年観光ルートを通れば1周達成だ。まあいいか、こういうのもありだ。と、一人旅ならではのいい加減さで構える俺様だった。やがて、生口橋がようやく見えてきた。
 因島から次の生口島までは、この生口橋を渡る。この橋は、それぞれの岸にある鉄塔に本体を鋼索で懸吊する構造だ。この鉄塔は車道から見上げると天頂に向かってすぼまるような形になっている。幾何学的で、美しい造形だ。また、生口橋は車道と歩道が平行しているタイプで、走って気持いい。愉しい橋です。
 生口島では、今年はちゃんとした昼食と、観光地を見て回るつもりだった。去年はいい加減にコンビニで済ませたので、ハンガーノックと熱中症のダブルパンチにやられかけたものだ。
 生口島までアプローチを下り、よく整備された道を北側の観光地まで走る。やはり、観光ルートだけあって、南側よりは走りやすい。南側も十分走りやすいのだが、標識類が充実しているのだ。
 その案内表示に従って走って行くと、やがて一際賑やかな一角に出た。ここに耕三寺、平山郁夫美術館がある。耕三寺はミニ東照宮という感じで、凄まじいばかりにケバい派手派手な寺だ。平山郁夫美術館は、平山画伯の日本画があるかと思いきや、しまなみ海道沿線の水彩スケッチが主体だという。今回は寄る必要を感じなかった。
 この辺りの商店街を歩く。少し鄙びた観光地という佇まいだ。食事処を探してしばらく歩くが、ピンと来るところがない。そこで耕三寺のまん前にある店のことを思い出した。小綺麗な店で、メニューも悪くなかったのだが、この先にも店はあり、もっといいところが見つかるかも、と見送っていたのだ。みんな同じことを考えるなら、あそこは案外に穴場かも。
 そう思いつつ耕三寺前まで引き返し、その店に入ってみた。万作、というその店は、間口の割りに奥行きがあり、結構入れそう。座敷もある。が、その時には、昼時にも関わらず、客は他に一組だけだった。多少の不安を感じつつ、席に着いた。
 メニューを見ながら、給仕の女性にここのうまいものを聞いてみると、魚介類全般におすすめだという。そこでじゃこ天丼というのを注文する。これは、ちりめんじゃこを使ってかき揚げのようにしたものだという。さらに、ビールも注文する。
 出てきたじゃこ天丼にありつく。......んまいっす(T^T) ここまで大休止なしで突っ走って来ていたので、ここでの昼食は胃に染みた。ちりめんじゃこを織り込んだかき揚げは、サクサクした歯触り、たれがかかった部分の食感ともにナイス。吸い物の身の正体を尋ねてみると、鯛だという。確かに骨が硬い。これにビールが組合わさると、満足指数はかなり高くなるぞっと。僕が平らげている間に、ようやく他の客が入り始めた。案外に穴場な店なのかもしれない。
 店を出て、自転車を止めてあった広島銀行の支店まで歩き、自転車のそばでしばし一休み。アルコールが回る回る。うが、こりゃあ回りすぎだ。真っ昼間から500ccも入れたせいか。二人くらいで分け合えばちょうどよかったのだが。
 ひろぎんの隣に、果物屋がある。そこでソフトクリーム発見。これは、神奈川支部の名にかけて試さずにはおかれまい。桃ソフトクリームというのを試してみる。桃の上品な酸味が、食後の口をすっきりさせてくれた。
 しばらく、携帯で神奈川支部の掲示板にアクセスしたりしながら休憩し、ようやくアルコールが醒め始めたので、再びMR-4Fで走り出した。
 しかし、多々羅大橋を目指して走っているうちに、やはり心拍が上がりすぎだと感じるようになった。アルコールが抜け切ってないのだ。そこで、道の途中にあった小さな休憩所で、寝っ転がって昼寝モードに入った。傍目にはマグロか、水死体のようにも思えただろう(笑)。
 ここでアルコール抜きをほぼ果たして、再び走り出した。時刻は13:00。前回よりちょっと遅いが、あちこちに寄っている分を考えるといいペースだ。
 ここまでにも、数多くの自転車乗りと行き会っていた。今回は積極的に声を出して挨拶しているせいか、ほぼ確実に反応が返ってくる。そこはかとないグルーブ感が心地よい。
 多々羅大橋へのアプローチを上りはじめ、途中の休憩所で一服していたときだった。「撮りましょうか?」と、同じく休憩していたらしいカップルの男性の方から声をかけられたのだ。そういえば、今まで一人でツーリングに出て、自分の写真を残したことはなかったな。お言葉に甘えて、その場で多々羅大橋を背景に俺様の高貴な間抜け面をデジカメに収めてもらう。
 そのカップル、やはり尾道から今治へと向かって走っているらしい。去年はなぜか折り畳みマニアの友人と共に、借りたブロンプトンで走ったとか。こんなところでブロンプトンの名を聞くとは。それで、去年の体験が忘れられず、今度は自前のMTBで走っているんだとか。女性の方(気のいいお姉ちゃん)は、GiantのMTBに乗っている。同じGiant同士、むやみに親近感を感じる(笑)。
 しばし談笑し、もう少し足を休めたい僕を残し、そのカップルは去っていった。こういう出会いが多いのも、一人旅のいいところだ。
 多々羅大橋を登りきると、去年も感動した眺めが広がる。無数の鋼索が一点に集中して行く様は、何度見てもすごいとかしか言いようがない。来島海峡大橋ともども、建造物としての迫力に圧倒される思いだ。こんなものを作ってしまう日本人は、自分たちのことをもっと誇りに思っていいのではないだろうか。少なくとも、金さえあれば何でもやってみせるという意味で、アメリカ人がアポロ計画を誇るくらいには誇りに思っていいのではないだろうか。
 この多々羅大橋も、生口橋ともども、橋桁を鋼索で橋梁に直接吊るすタイプの橋だ。この橋梁の麓で手を打つと、その音が反響、共鳴しながら増幅され、発信元に帰ってくるという。自動車の走行音に邪魔されて、柏手程度では聞こえない。そこで、拍子木が用意されている。拍子木を取り、打ち鳴らしてみると、『ぐわーん』という感じで想像以上に大きな反響が返ってきた。これは面白い。
 大三島へのアプローチをかっとぶようにして下る。MR-4Fは、さすがに長距離ではBD-1より疲れにくい。たぶん、フロントサスが無いので挙動が安定し、リアサス(というかこれはセンターサスか?)のおかげで肉体的疲労が軽減されるのだろう。
 大三島に降りると、道の駅がある。ここで一休みだ。自転車を咲き乱れるさつきの側に止め、アイスクリームを買い求めた。むらさきアイスだげな。要するに芋のソフトクリーム。ほんのり上品な甘さが、体の疲れを癒してくれる。多々羅大橋を眺めつつ、よくあれを渡ってきたなとしみじみ考える。
 道の駅を出て、再び走り出した。大三島を走る距離は短い。あっと言う間に大三島橋に到着する。そのアプローチを探しながら走っていると、後ろから「どこ行きたいん?」と声をかけられた。振り返ると、地元民とおぼしき壮年の男性が、実用自転車に乗って追尾してくるところだった。四国に渡るんです、と答えると、「なら、この先にアプローチがあるよ」と教えてくれた。礼を言って少し引き離す。やがて、そのアプローチへの入り口が見えた。そこを入ると、「その先、左に曲がればええよ」と、再びさっきの人が。全然離れてないやん。また礼を言い、今度は上りなので引き離すつもりでペダルを回し始めた。これで離せたろう。
 ひぃひぃいいながらもアプローチを極め、同じように登って来ていた自転車集団を抜き、ようやく橋を渡り始めた。すると、またしても後ろからあのおじさんが追いかけてきて、「よお走るねー」とにこやかに話しかけてきた。
 うん、確かに、去年の僕より、そして今のアプローチで抜いていった、明らかにへばっていた集団よりはな。
 でも、重いシングルギアの実用車にみかん箱(たぶん10kgはある)を積んで、涼しい顔で上がってきたおじさんほどじゃないけどな。
 この謎の鉄脚おじさんは、多くのチャリダーを次々に抜き去りながら、伯方島へとくだっていった。なにか、悪い夢でも見たようだ。やはり、生活のために毎日このスロープを走っている地元民にはかなわないということか。しかし、瀬戸内らしく、穏健で親切なおじさんだった。
 伯方島では、やはりこれを外せない塩アイスを求め、道の駅伯方で休憩を取った。ソフトクリームではない。案外に塩辛いものではなく、生のバターを口にしたときのような塩っぱさと、アイスクリームの甘みがミックスされ、一言では形容し難い。しかし、下手物ではなかった。
 伯方島も走行距離は短い。しかし、ここから伯方・大島大橋のアプローチは一番厳しいのではないだろうか。自転車を押して上がっているおじさん集団を横目に、一人で休み休み登っていった。
 伯方・大島大橋を渡りきると、いよいよ最後の島、大島だ。大島ではサイクリング道が島の真ん中を突っ切っていて、丘をいくつか越える塩梅なのだ。去年は、ほとんど押して上がったなあ。しかし、今年はかなり体力を温存している。ゆっくりだが、着実に坂を上って行く。時刻は15:00過ぎだ。多くのチャリダーが、最後の力を振り絞って丘を越えて行く。僕もその群れに身を投じ、やはり丘をひぃひぃいいながら越えて行く。その途中で、写真を撮ってもらったカップルが休憩を取っていた。再会を喜び合いながらも、止まるに止まれない僕はなおも先を急ぐ。ほとんど休憩もなく、ひたすら走って行く。何度も繰り返すようだが、去年に比べると自転車力が着いてきたなと思う。
 丘を越えきり、海岸線を走っているとき、側の早瀬の潮流が川のように流れているのが面白く、立ち止まってしばし眺めた。日本に来た中国人が、「日本にも黄河のような大河があるじゃないですか」といったのが瀬戸内でだった、という作り話めいた小話があるが、本当に川のように流れるものだな。
 やがて、いよいよ最後の橋、来島海峡大橋に差しかかった。気合いを入れて、長いアプローチを上って行く。アプローチは緩やかで、なんとかこぎ続けられる。しかし、途中の休憩所でコーラを飲みたくなり、小休止を取った。
 MR-4Fの脇で橋を眺めていると、アプローチを次々に自転車が上ってくる。ママチャリの老夫婦、気合いの入ったロード集団、MTBを駆る家族。いろんな人々が登って行く。その中に、おや、やたら手を振りながら上ってくる女性が。なんとさっき再会したカップルだった。今度は僕が抜き去られる番だ。笑顔で別れる。
 彼らを含む自転車集団が、次から次へと上って行き、やがて高巻くアプローチを、そしてついに橋へと上り詰めて行く。僕は、名も知らぬ人々と、言い知れない一体感を感じて、それらの人々をしみじみと見送った。たとえ幻想にせよ、僕らはなにかを共有しているという気がしてならなくなった。そしてそれらの行きずりの人々が、その瞬間にはたまらないほど愛しく感じられたのも事実だった。
 やがて、自転車の列が途切れた。僕は立ち上がって、MR-4Fにまたがると、最後のアプローチを上り詰めた。
 そして、ついに来島海峡大橋を走り始めた。走れど走れど行き着かない、恐ろしいほど長い橋だ。だが、やがて橋の中央に差しかかった。ここで僕はガッツポーズ。この先は、もうほとんど下るばかりだからだ。快調に橋を走りきり、短いアプローチを下りきると、糸山展望台への分岐点だ。坂を上り、トンネルを抜けると、展望台に到達。目の前に来島海峡大橋の偉容が広がる。いやあ、こんな代物を渡ってきたんだな。
 展望台から、ひとまずチェックインすべくサンライズ糸山へと下っていった。16:00、サンライズ糸山到着。サンライズ糸山には、僕以外にもたくさんの自転車乗りが集まっていた。同様に宿泊するらしい、道中何度か見かけた気合の入ったロード集団に続いてチェックインすると、部屋に荷物を置きに行く。ベッドに腰掛け、やっと一息だ。部屋にはベッドが三つある。ん、4人部屋じゃなかったっけ? ともあれ、一人にはもったいない広さだ。今度来るときは、神奈川支部の連中と来たいなあ。


Add Comments


____