Strange Days

The NETを漂流するという行為

2004年02月19日(木曜日) 12時10分 インターネット

 RSSリーダを使い始めている。UTF-8、EUCを理解してくれるという意味で日本語対応しているSharpreaderを導入してみたのだ。.NETフレームワークを自分のPCに入れるのは業腹だったが。
 使ってみると、決まりきっている巡回先に限定すれば便利ではある。更新状況とサマリが、わざわざ見に行かなくても分かるのは便利だ。僕も早速、RSS2.0を出力できるようにした。つうか、標準でさえずっているんだけど、分かりやすいようにリンクを設置しました。
 しかし、このRSSリーダーを使うようになって、実際に見に行っているのはいわゆるニュースサイト(@ITとか)に限定しているのに気づいた。なぜか、個人サイトに関しては、適当なときに、特にトリガーも無く見に行っているのだ。僕自身は、どうやら個人サイトに関しては、リアルタイム性以外のものを重視しているようだ。それはなんだろう。
 昔、パソコン通信の頃にも自動巡回が流行った。当時はパソコン通信のホスト側に未読検出の機能があったので、アクセスフィーが高すぎたNIFTY-Serve(現@Nifty)では、もっぱらこればかり使っていたものだ。しかし、草の根ホストとかASCII-Netとかでは、自動巡回を使いながらも、リアルタイムにアクセスしながら、そのあちこちを漂流する行為を止めなかった。
 というところまで書いて、ああ、そうか漂流(net drift)することが大切なんだと気づいた。インターネットはURIでリンクされた資源の集合体だ。リンクを持たない資源はいくら重要ではあっても、広がりを持たない。逆にそれ自身は重要ではなくても、広がりを持つ資源もありうる(リンク集とか)。URIを辿ってゆくことは、発見の旅でもありうる。新しい知識、概念にぶつかる度、僕は豊かになってゆく(実際には、そんな気がするだけ、の事ばかりだけれど)。そして発見とは、思いもかけぬ場所でなされるものだ。リンクとリンクと狭間、そのわき道を探るようにして旅してゆくことが、実は発見への近道なのだ。決まりきった道行きからではなく、行き当たりばったりのそれからこそ、僕は何かを発見する。
 そういう目で、かつてのパソコン通信を眺めてみると、結局はやはりリンクされた資源の集合体であり、その中をdriftすることは、発見の旅でありえたわけだ。そしてRSSリーダの類を個人サイトに適用することは、その広がりを否定することだと頭のどこかで考えているようだ。実際には、一度その個人サイトに入り込んでしまえば、そこもまたThe NETの一部であり、内部も外部も持たない大海の一部ではあるのだが。それでも、その漂流する行為を合理的に片付けてしまおうと考えることは、まるで獣道が出来るように、結局は漂流を移動へと移行させてしまうものだと恐れているのではないか。なんて事を考える。
 なんだか、文藝の世界での創作行為に関しての手書き派とワープロ派の意見対立を思わせるものがある(ちなみに僕自身は手書きを好みます)。実際にRSSリーダやFOAFでインターネットの広がりを効率的に表現しようとしている人々には、こういう思想は無意義であるのかもしれない。広大なThe NETの膨大な情報から多くのものを振り捨てたところで、まだ思いもかけぬ発見に出くわすことは多いはずだから。それでも、僕は他人が気にもかけない"発見"が魅力的に映るから、あてどなく漂流する行為を止めないだろう。
 しかし、The NETなんて言い方は、めっきりしなくなったね。これはきっと、多くの人が広大さに倦み、効率的で確実なつながりを重視し始めている兆しなのではないだろうか。


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