Strange Days

NHKスペシャル「ギリシア正教秘められた聖地・アトス」

2003年02月08日(土曜日) 23時00分 テレビ 天気:晴れ

 今夜のNHKスペシャルは、ギリシア正教の聖地、アトスの話題だった。
 正直、ギリシア正教は、カソリック、プロテスタントはおろか、ロシア正教よりなおなじみが無く、そういえばそういう宗派もあったな、という印象だ。
 アトスは、ギリシア北部にある半島の南端に位置するアトス山を中心としている。古く8世紀頃からビザンティン帝国の聖地として名高い土地だ。10世紀前後には最盛期を迎え、100もの僧房が並び立っていたという。
 現在、アトスには20の僧房があり、そこで2000人ほどの修行僧が祈りの日々を送っている。
 アトスの修行僧たちは、用が無ければ僧房の外に出ることは無い。その生涯を、祈りの中に終える。なんか、非生産的すぎないか。
 この地では、外交権を除く自治が確立されており、自前の政府を持っている。15世紀からこちら、厳格な女人禁制を貫いているアトスでは、猫を除いて家畜の雌さえも存在しない。猫だけは、増やして鼠を取らせるためと言う名目で、特別に許可されているという。鼠は家財にダメージを与えるだけでなく、伝染病を広げもするので、格別恐れられたのだろう。
 アトスではビザンチン帝国以来の古制が、いまだに頑なに守られている。ユリウス暦を使用するのもその一つだ。暦も、生活時間も、アトスの外とは大きく異なっている。
 一日は日没とともに終わる。その前後、修行僧たちは、一日のうち最も大切とされる、長い祈りの儀式を執り行う。キリスト教の儀式には疎いのだが、儀式には聖グレゴリオ讃歌とはまた違う、古い歌謡の形式を持った讃歌が用いられているようだ。
 儀式を終えた修行僧たちは、自室に戻り、そこで個々の祈りと、神との対話の時間を持つ。それは深夜、あるいは明け方まで続けられることがある、深い内観の時間なのだろう。
 明け方、まだ日の無いうちに、再び祈りの儀式が執り行われる。それから、ようやく朝餉となる。食事は日に2回だけ。それも、完全な自給自足体制ゆえに、ごく慎ましやかなものだ。
 昼の間、修行僧たちはそれぞれに労働に精を出す。畑を耕すもの、家屋の修繕を行うもの、など。イコンの模写もその一つだ。イコンは正教系の教会に唯一登場する偶像で、定められた道具と手法で模写が行われる。新たにイコンが起こされるということは無さそうだ。いや、身内の僧が聖列された時など、もしかしたら新しいイコンが加えられるのかもしれない。
 アトスには、ギリシア全土だけでなく、ロシア正教や、さらに遠いキリスト教世界からも、数日の滞在のために人々が訪れている。彼等を受け入れ、善導するのも仕事の一つだ。
 僧房を離れて修行する人々もいる。彼らは厳格な僧房の生活を離れるかわり、全てを自給自足しなければならない。ある青年僧は、師匠である老僧とともに暮らしている。彼は幼い頃にスラムに捨てられ、それ以来どん底の生活を送ってきた。俗世間に未練が無いように見える彼にも、実は両親への郷愁が残っており、いまだに断ちがたいという。「自分も50までは(そういった誘惑に)苦しんだ」と老僧も語る。50を越えると、さすがに枯れて来るということか。
 修行僧たちがアトスに入る動機は、様々なものだ。かつては10代でアトス入りするのが普通だったが、今では20台、30台の、一度社会に出た人がやってくることが多いという。ある修行僧は、人間関係や仕事のことで苦しんだ挙句、とうとうアトスでの修行生活を選んだ。この辺、万国共通の現象なのかなと思う。
 アトスは、ビザンティン帝国の庇護の元、10世紀までは大いに栄えた。だが、ビザンティン帝国がオスマントルコに屈服すると、その圧政下、重税に苦しむことになる。しかも、海賊の侵攻にも悩まされることになる。そのような状況のもと、自衛のための武装も備えられていった。今でも、武装した修行僧によるパトロールが続けられている。
 アトスに匹敵するのは比叡山、あるいは高野山辺りだろうか。信仰を持つ人々への評論は措くとして、信仰というものの継続性が、国家の寿命を凌駕するという現実に、目を瞠る思いがする。などと司馬遼太郎風に締めたりしてな。


Add Comments


____