今日は天気に恵まれ、ねんがんの太宰府天満宮に到達、さらにはこれもねんがんの九州国立博物館も訪問できた、充実した一日となった。ただし歩き。
今日は歩きで、太宰府界隈を動こう。以前自転車で来た時には、駐輪場所が見つからなくて素通りしてしまった経験があるからだ。どのみち、国立博物館でかなり時間を費やす予定なので、歩きで十分。
まずは、JRで水城駅に。この
水城というのは、白村江の戦後に、唐新羅の侵攻を警戒した朝廷の命で築かれた、大宰府に付属する防衛施設の一部。大宰府南西の平地で守るべく築かれた、幅の広い堀と土手。
大宰府は、大体太平記の時代までは九州北部掌握の要として意味を持っていた場所なので、時代別に様々な遺跡が残されている。水城から北に向かうと、
国分寺と国分尼寺の跡がある。国分寺金堂跡の背後には、かなりコンパクトになった現在の国分寺がある。
さらに坂道を進むと、国分寺/尼寺創建時に瓦を焼いたらしい、
窯跡の史跡がある。ここは看板しかないので、ふーんと眺めるしかないのだが、近所に無料で入れる展示館があるので、休憩にはちょうどいい。
もう少し頑張って坂道を超えると、今度は大宰府に向けて下り始める。『ツツガムシが出ているので藪に入るな』という表示に戦きつつ進むと、
大宰府政庁跡に裏側から出た。ここには以前にも立ち寄ったことがあるが、このモデルとなった奈良平城京に立ち寄ったあとでは、印象が……。あれ、俺、平城京(復元版)に行き損ねたんだっけosz
ともかく、でっかい礎石に、往時の威容を偲ぶにはいい場所だ。むしろ、現物がないのがいい。
飯をどこかで、と思いつつ、天満宮方面に歩く。これという店はないな。とうとう、西鉄太宰府天満宮に着いちゃったよ。駅の南西側に、かなり長い駐輪場があった。防犯を考えないなら、ここに停める手もある。
昼食は、一瞬だけ鰻をと思ったが、胃の調子がイマイチなので、
隣の蕎麦屋に落ち着いた。ツルッと入れるですよ。
食後は、天満宮への参道に。途中で買ったのは、名物の
梅ケ枝餅。買ったことがなかったので、梅の枝がそのまま練り込んであるとか(それは食えん)、『お主、梅か桜か』と問われたら隙かさず声高く『梅が枝ー』と答えねば買えぬとか、いろいろ想像していたのだが、普通に焼きあんころもちだったぜ。食後のおやつに良い。
ちなみにここまで、熱中症を警戒して、水ボトルを買っては頭にぶっかけて冷やし、ぬるんだら飲み水に回しとやっていたら、3本めに入っていた。
さすがに天下の大宰府天満宮。夏休み突入直後の比較的閑散期のはずだが、
結構な人出だ。
少し進むと、
妙な店構え。なんと、スタバだってさ。なにこれ、景観配慮型店舗か?
参道を進み、意表を突いた90度ターンの後、
天満宮に参拝。いや、参道の延長線上には別の小社があってな、まさか90度北転するとは思わなんだ。ともかく、学業の神様に『この老いてあらゆるものに物憂くなった頭に喝を!』と、文字通りの神頼みをしておいた。
戻り道、ひょいと道を逸れると、某かの書き札が立っていた。いわく、
この扉は定遠の廃材を使用したもの、だとか。破孔はそのまま、日本海軍からの被弾によるものだそうな。定遠、鎮遠は捕獲後に日本海軍に編入されているので、これは修復時に出た廃材ということなのだろう。
土産物屋で
ラムネが売られていたので、たまらず買い求める。うまい。簡素な甘みと冷たさが、酷暑に煮られる脳を癒してくれる。
最後に、ここが本当の目的であった、九州国立博物館を襲った。
裏側の坂道を延々と登りつめると、ようやく到着。遠いよ、ここ。想像以上に。
施設はでかい。ちょうど、江戸期以降の絵師の流れを追える特別展をやっていたので、見て回った。上野ほどではないにせよ、やはり物量が半端ない。名だたる絵師たちの代表作を一同に閲覧できるとあって、人出は多い。が、上野程ではないのが救いだ。おかげで、じっくり見て回る余裕はあった。時間的余裕はあったが、やはり名品とされる絵画の多彩な表現、色世界に酔っ払ったようになってしまい、最後には息絶え絶えによろばうようにして、会場を抜けなければならなくなった。ここは、半端な覚悟では来れないな。あまりに息絶え絶えだったので、通常展の方を見忘れたほどだった。くそっ、今度こそ。
帰路は、Raderを眺めて検討した結果、西鉄で二日市まで出て、JRで戻るのが正解と出た。ところが、西鉄二日市から、JR二日市までが遠い。10分以上もテクテクと歩いた。なによ、このわざと離しました感は。西鉄とJRの連絡の無さには、いささか戦慄すべきものがある。
帰宿して、さて今夜は博多に繰り出すか、と思っているうちに寝入ってしまい、目覚めたら夜中。こんな時間では終電に間に合わないので、泣く泣くコンビニで済ませた。宿はいいんだが、場所は大失敗だったな。次は、高くても博多の中心街に取ろう。