Strange Days

佐賀長崎五島弾丸ツーリング3日目

2014年09月23日(火曜日) 23時09分 , 思考 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:雲多いね

 最終日は、長崎といえばあそこ、を訪うのだった。


 朝一のフェリーで、長崎に戻った。このフェリーとはよほど相性が良いのか、またしても爆睡して疲労解消に務める。
 今日もBD-1で走り回るが、距離はそんなではない。平和公園に立ち寄る予定だったが、往復でも数km程度だ。
 細長い長崎湾に沿った道で、北に向かう。長崎の被爆地関連の施設は、概ね平和記念公園に固まった広島と違い、何故か分散している。まず爆心地と、著名な平和祈念像は、間を幹線道路にぶったぎりにされている。爆心地はそのモニュメントと、被曝した旧浦上天主堂の遺構が一部保存されている。北側にあるのは、平和祈念像を中心としたモニュメント群。まず噴水が迎えてくれ、いかにもな思惑を感じさせる旧共産圏からの寄贈品の陳列の向こうに、かの平和祈念像がある。想像以上にでかい。
 平和公園を一頻り散策したところで、奇妙な感慨に囚われた。なんというか、こんな高潔でいいのだろうか。
 広島の平和記念公園を見て回ると、そこここに浄化しきれないような、強い怨念を感じる。霊的なものではなくて、そこを戦後に作った人たちのそれを。『決して忘れません』というスローガンに透けて見えるのは、文字通り決して忘れ去られない惨劇の刻印だ。憎しみを超克できないからこその、棘々しい情念の形が、広島の原爆の記憶を形作っている。それに対して、長崎のここの、なんと浄化された悲しみであることだろうか。浄化が進みすぎて、むしろ捉えどころのない、小綺麗な概念に収まってしまっているのではないか……。
 そんな、憎しみの超克した祈念の形こそが、ここを作った人々の意思なのだろう。だがその結果、どこかインパクトが薄いのだ。広島の、ちょっと傷をつければ"反米"という形で吹き出す情念の形も、反核反戦のためになっているだろうかという疑問を持っている。しかし、長崎の観念性の高すぎる祈念の形も、果たしてその目的に適っているのだろうか。
 原爆資料館にも立ち寄る。広島のそれほどには、血の臭いのしない展示形式だった。一番興味を引いたのが、かのファットマンの模型だ。プルトニウムによる、いわゆる爆縮レンズを使用した基本原理は知っていたが、よくもB-29で運べたものだと感心するような太っちょぶりだ。内部は多量の爆薬で、しかも緩燃性のものと速燃性のものの2層構造で構成されていた。これほど多量の爆薬を、爆縮レンズを構成できるように、緻密にコントロールして炸裂させる技術を持っていたのだ。WW2時のアメリカは、いろいろチートすぎる。しかし、それでも所期の性能を発揮しきれてないという。外装は、長い間漠然と濃緑色だと思い込んでいたのだが、実は黄色く塗装されていたそうだ。
 平和祈念館も覗く。このガラスの塔は、被爆者名簿の収蔵庫だ。広島だと原爆記念碑に収蔵されているのだが、こちらはエアコンが効いた環境で隔離しているわけで、より合理的だ。
 長崎駅に折り返し、また特急で佐賀に、そこからバスで空港に向かい、空路羽田から戻った。目的を絞った旅だったせいか、短い割に興味深い旅となったものだ。

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