Strange Days

2014秋の隠岐山陰ツーリング 7日目鳥取を観光する

2014年11月13日(木曜日) 22時29分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) , デジタルカメラ 天気:晴れ時々雨

 終盤に突入。今日は鳥取観光にあてる。当然、鳥取砂丘が主眼だが……。


 ホテルは快適だった。なんといっても、すぐ傍にコンビニや飲食店があるのがいい。
 朝食は、ホテルで。まず向かうのは、鳥取城方面だ。
 出立準備して、さて宿を後にしようという時に、近くの庇に小鳥が止まっているのに気づいた。アカハラかなと思うが。見慣れない。
 鳥取城に向かう。といっても、もう城の構造物は石垣しか残ってない。しかし、かつての城跡一帯に、明治期に様々な施設が作られた。県庁もそうだ。
 中でも高名なのが、仁風閣。明治期、皇太子だった大正天皇の休憩所として建てられた、豪奢な建物だ。中は手の掛かった英国風外見もグラスエリアを広く取り、明るい開放感がある。庭園は和風で、離れ的な茶室があるのだが、これは最近移築された、本来無関係なものかもしれないという雰囲気だ。
 仁風閣の背後に聳える山が、鳥取城があった久松山。この西側に石垣がめぐらされ、かつて城があった。城跡に登り、パノラマする。鳥取市街を遠くまで見渡せる。
 この石垣遺構の一部に、奇妙な球型石垣が残されている。なんでも、江戸期に石垣を修復する際に、堤を築いていた職人を使ったため、このような形で修復されたのだという。武者返しという石垣の機能はどうなっているのだ。太平の時代に、そんなことを考える必要も無くなっていたということだろうか。
 下から見るとこう。登りやすそうだな。
 南東方向に走ると、今度は万葉期の遺構が残されている。かつて因幡の国の国庁が置かれていた地で、その遺構が残されている。といっても、礎石が整然と並ぶ様が、かろうじてうかがわせる程度だが。
 この政庁で、国司だった大伴家持が、万葉最後の一首を読んだという言い伝えが有り、その石碑が残されている。江戸期に建立されたものだ。
 お腹が空いたなあと思いつつ、その近所にある因幡万葉歴史館に立ち寄る。が、その前に、お昼にしたい。ちょうど昼時で、いかにも昼食に出かけましたという、事務員風の人たちが近所の建物に吸い込まれるのを目ざとく観察し、後について入った。そこにあったのは、スナバコーヒー。スタバじゃないのか。とにかく、ここでかつサンドを摘んだ。コーヒーは、まあ、UCCのシュガーとフレッシュがついてくるようなものだといえば、お分かりいただけるだろうか。
 因幡万葉歴史館にも入る。家持の在任時を中心に、因幡の古代史をうかがわせる展示になっている。のだが、同時にやっていた企画展、伊福部昭展が面白かった。伊福部の父はこの地の出身で、縁があったという。その関係で、伊福部の遺品を中心に、企画展が編まれたようだ。収集していた様々な楽器、若いころの悪友とのエピソードなど、一つ一つ見てゆくと楽しかった。
 この因幡万葉歴史館の敷地内に、4階建てくらいの展望台が立っている。そこからの眺め。なるほど、古代から開けた地だったというのが、納得できるような眺めだ。早くから稲作が盛んで、つまり人口も多かったのだろう。
 今日は奇妙な日で、朝のうちから寒かったのだが、昼に入ってさらに気温が下がった。更に、風も強い。川沿いの道を駅まで戻ったのだが、寒さと風にめげる。鳥取砂丘に行ったら、これは砂嵐じゃあるまいか。つ、次の宿題ね! ということで、豪快にエスケープして、JRを乗り継いで次の宿、城崎温泉へと向かった。ここは温泉地だが、入った宿は内湯のないビジネスホテル的なところで、客の放置度は半端無かった。鍵もチェックアウト時にポストに置いとけだし。まあ、特に困らないが。
 しかし、風呂は外に入りに行った。雨がぱらついていたが、地蔵の湯という湯を使う。臭みのない温泉で、ちょっと温泉らしくなかったが、温もったのでよしとしよう。

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