この長旅中、最も苦労した城崎温泉からの旅を終え、今日は舞鶴周辺をのんびりと遊覧する。
舞鶴の朝は、気温は低めだが、晴れ間も見えるそこそこの好天。なのだが、まだ日本海側の前線が去ってないので、今日も一進一退かもしれない。まあ、今日は概ね、屋内の散策になるだろう。
荷物はホテルに預け、ポケロケを東舞鶴から北西、旧鎮守府があった界隈へと向ける。その辺りへは、かつては港湾への線路が伸びており、その名残が自転車遊歩道として整備されている。ここは元鉄道トンネル、現遊歩道トンネルの
北吸トンネル。
北吸トンネルを抜けると、観光向けに整備された、
旧海軍舞鶴鎮守府の赤レンガ倉庫が並んでいる。赤レンガの倉庫というものは、横浜には民間のものがあるが、旧海軍のものがそのまま残っているのは珍しいのじゃあるまいか。呉鎮も庁舎以外は残ってないと思う。
ここには10棟ほどあったと思うが、他に海自が現用しているものが、さらに海自埠頭の方にある。古いものを現用し続けるのには、諦めと割り切りと、愛着が必要なのだろう。
ひとまず赤レンガの列を抜け、隣の海自埠頭を見ると、おお、
でっかい船影が。これは海自最大の補給艦、ましゅう型1番艦ましゅうのようだ。この前にイージス護衛艦も係留されていたのだが、大きさでは図抜けていた。
海自埠頭を目指したのは、週末は一般公開日で、一部艦艇への立ち入りが出来ると聞いたからだ。が、無情にも今日は公開無し。がっくり。
せめて外からと思い、ちょうどしらねが着岸している辺りにある歩道橋に登り、
しらねを撮る。しらねも、排水量で比較すると、海自でもそう大きい船でも無くなったのだが、ヘリコプターを3機収容できる構造物が聳える様は、別種の迫力がある。
赤レンガ倉庫外に戻った辺りで、お昼にしたくなった。せっかくなので、あれを食べてやろう。舞鶴海軍系グルメを。赤レンガのカフェーに入ると、メニューに海軍カレー、肉じゃが丼というのがあった。後者は無いな……。単独で出てきて欲しい。ということで、自動的に
舞鶴海軍カレー。こ、これは……レトルトじゃのう……。がっかり感みなぎっていたが、味そのものは酸味があって、一風変わった感じだった。酸味はなんだろう?
倉庫を出て、赤れんが博物館前にある、観光船乗り場に向かう。ここから、湾内観光船が出るのだ。\1000と高くない。乗り込んで、後部のデッキに立っていると、やがて出港。静々と離岸する。
船は、概ね反時計回りに湾内を回る。明らかに右舷の方が岸に近く、詳細に観察できるのだが、船頭の位置がなぜか左舷で、もっぱらそっち側の解説が多かった。僕は写真目当てなので、右舷後部デッキに立つ。
この埠頭は、海自の施設に挟まれている。海自の修造所は観光船岸壁のすぐ北にあるので、真っ先に近づく場所だ。見ていると、なにやら
見慣れないボートがある。これは、不審船対策で輸入された、特別機動船だろう。こいつの場合、ボートよりも積載物の方が特別なのだろうが。
船上から見える、湾岸の山は既に秋深く、
紅葉に覆われている。遊覧船のハイライトの一つが、舞鶴市街のほぼ対岸に見える東港の
舞鶴クレインブリッジだ。形状的には、多々羅しまなみ大橋に近い、優美な吊り橋だ。
船は湾内を小さく周回し、やがてマリンユナイテッドの舞鶴造船部をかすめ、最後に海自埠頭前をゆっくり進んでくれる。海自の潜水艦乗りだったという案内役の人も、大いに熱が入ったアナウンスをしてくれる。
埠頭の端の方には、さっき陸から見た
しらねと、ワークホースあさぎり、そして大ベテランのまつゆきが並んでいる。しらね型2隻が引退すると、多分海自の機動艦隊に蒸気タービン艦は皆無になるんじゃないかな。
その手前にはイージス艦あたごが居て、さらに手前に同じく
イージス艦みょうこうと、新鋭艦ふゆづきが居る。そして更に手前に、これも先ほど赤レンガ倉庫から見えた大型艦、
ましゅうが。
観光船は、元の岸壁に戻った。これは楽しかった。ガタイのいい、やたら厚かましい中国人が、海自の施設が見える度に熱心にカメラで写していたのが、なにか面白かった。
すぐ近くにある、赤れんが博物館にも入る。観光向け博物館だが、レンガを歴史に絡めて、興味を誘う工夫がされていた。
さて、特急列車で舞鶴を離れる時間だ。ホテルで荷物を受け取り、駅について輪行という瞬間に、突然
空が決壊した。いきなりの土砂降りだが、既に濡れる心配はない。運が良かった。
特急で京都に出て、新幹線で新横浜経由で帰宅した。8泊9日の長旅、無事に帰宅しましたよ。