Strange Days

対馬壱岐~九州北方ツーリング 2日目

2015年04月30日(木曜日) 23時02分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) , デジタルカメラ 天気:くもり

 今日は、いよいよ対馬を走る。対馬で見ておきたいところの一つ、綿津見神社を目指した。


 昨日は雨の中の対馬入りだったので、宿から出ることもなく、厳原の繁華街を少しうろついただけだった。今日は走ろうぞ。
 宿での朝食後、ポケロケを厳原から北方に走らせる。厳原の市街地は、観光向けにか結構整備されていて、地方都市なりの賑やかさがある。
 厳原から対馬空港方面へは、坂道をよじ登り、トンネルを幾つか抜けねばならない。そう長いトンネルではないが、広いトンネルでもない。
 途中、海側に公園があったので、立ち寄る。たぶん、対馬周辺の地形を表しているのか?
 空港を過ぎ、万関の瀬戸までの間に、大船越という運河がある。ここは、万関に先立つこと200年、江戸時代の初期に宗家によって掘削された運河だ。それまでは、北にある小船越ともども、周囲より標高の低い谷間だったので、船を曳いて越えたそうだ。
 大船越を過ぎ、次に当たる運河が万関。ここに掛かる万関橋の手前に公園があるのだが、内陸にあって瀬戸が全く見えない。なんでと思ったら、20世紀末に瀬戸の拡削が予定され、そのために予め内陸寄りに公園や橋の支持部が設けられたのだが、肝心の拡削が立ち消えになったんだとか。この公園で小休止。なぜか白たい焼きの屋台が出ていたので、おやつ代わりに購入。実はこのモチモチ系の歯ざわりが好きではないのだが、まあ小腹は満たせた。
 万関橋から瀬戸を見下ろす。大船越よりは広いにしても、大型船の通過は無理だろう。日露の際には、ここから水雷戦隊が出撃していったという。
 振り返って、橋本体。瀬戸が拡削されないと、どうにも冗長だ。
 北へと向かった細い湾に、謎の何かが遠くに見えた*1。先の画像はFinepix S1の広角端24mmだが、望遠端1200mmで撮るとこうなる。この辺りは真珠養殖が行われており、その真珠貝に感謝するためのモニュメントなんだとか。
 対馬には、野鳥が数多い。特に田圃をうろつく鷺の仲間たちは、都市部ではお目にかかれないほどの群れを作っていた。渡りの中継地でもあるのだろう。
 かつて朝鮮半島と大和朝廷に向かう外交使が越えたという小船越に、実は日本最古の寺院ではないかとされる梅林寺がある。由緒書きに拠れば、538年に百済の使節がここに仮堂を設けたのが始まりという。法興寺に先立つこと半世紀という、事実ならば日本最古と言えそうではある。で、案内看板に従って入ってみたのだが、なんということもないお寺だった。
 程無く、今日のとりあえずの目的地、に近い、豊玉に到着した。対馬は、先の万関へと東から貫通する浅茅湾を境に、北の上島、下島と分ける。この豊玉は、上島の南、浅茅湾に面した大きな集落だ。
 ここらで飯にしようと思いつつ、うろついていたら、背後からロードバイクに乗った三人組が抜きざまに「アンニョン!」と声をかけて行った。韓国の人たちだった。この人達にかぎらず、対馬では日本人観光客と同じくらい、韓国からの観光客も多かった。なんでも、釜山から、北島の比田勝へと向かう高速船には、対馬市から補助金が出ており、\3000程度で渡ってこられるのだとか。日本本土だと、その倍だ。しかも、距離的に福岡~厳原より、釜山~比田勝の方が近いのだとか。最も近い外国ということで、日本人から見たグアムみたいな場所なのかもしれない。
 ここのバス停で、厳原へと帰るバス便を確認。本数は少ないが、夕方遅くなっても戻るのに支障はない。今日は、バスで帰るつもりだった。
 中華料理屋に入り、天津飯を。お腹空いてるからと、大盛りを頼んだが、予想以上に大盛りで弱る。残してしまった。
 さて、今日の目的地に向かう。豊玉から少し南東に下ると、綿津見神社がある。ここは、海から幾つもの鳥居が立ち並ぶ、面白い造りの神社なのだ。
 神社の外れに、立派な船倉があって、そこにフナグロー舟という、要するに古式競艇に使う伝馬船を保管してあった。その近くに清水が湧いているということだったが、さすがに飲んでみる勇気はなかった。
 海沿いの細い道を進んでゆくと、なにやら銅像が、謎の玉を捧げ持っている。祭神の一人、豊玉姫命じゃないか。
 車道に戻り、本殿に向かった。本殿の前には広い駐車場があり、意外なくらいコンパクトな社殿が見えている。参拝客の大半は、明らかに韓国からの人。
 社殿から海へと、合計5つの鳥居が立っている。うち2つは、海中に立っているのだ。これは、なかなか無い眺め。
 社殿は、先に書いたようにコンパクトだ。
 十分堪能して、神社を後にした。さて、帰りのバスまで、どう時間を潰すか。
 とりあえず、浅茅湾に沿って、東に向かった。意外にアップダウンがある。途中で発見した看板。応永年間、倭寇の本拠地がこの地にあるのを察知した李氏朝鮮が、直接兵を以って来寇するという事件があった。戦闘は、地の利を活かした国主宗家の兵力が能く抵抗したしたところで、手早く講和に持ち込んだため、10日あまりで完結したという。
 しばらく、東の方に向かっていった。しかし、この先もアップダウンが続きそうなのと、時間的に自走でなら戻れるそうだったので、バスを待たずに自走帰還することに決した。
 豊玉まで戻ったところで、気になるものを山の上に見る。この近所には大きな建物があって、なんとなく宗教臭さを感じていたのだが、住所的には中学校と公民館くらいしか無いはず。なんなのだろうか。
 来た道を走って戻り、宿に無事帰着した。明日は確実にバスを使う。

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