Strange Days

対馬壱岐~九州北方ツーリング 3日目

2015年05月01日(金曜日) 22時27分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:急激に晴れ

 今日は対馬北方編。遙かなる朝鮮半島を見てやろうと意気込んだのだが。


 今日は、厳原からバスで北部最大の港町比田勝へと向かい。対馬最北端辺りをぐるりと周る予定だ。問題は、そのバスが日に数便しか無いことと、長大路線故に片道3700円、往復では7000円を越えることだ。新幹線並。しかし、他に手段はない。
 宿での朝食後、大通りにあるショッピングセンターのバス停から、比田勝*1に乗り込んだ。懸念したほどに乗客はなく、ポケロケを抱えたまま、最後部座席を占有できた。とはいえ、途中途中の乗客、特に学生の乗降はそれなりにあり、その状況次第ではポケロケを膝に載せざるを得ない。軽いポケロケでよかった。
 昨日走った道を、ほぼそのままなぞりつつ、豊玉から更に北に。豊玉を過ぎると、集落の数は急減し、山も深くなる。南北で人口密度が大きく違うことがわかる。
 車中、隣に座ったおっさんに声を掛けられ、あれこれと話す。主に歩きとバスで、あちこち歩いているそうな。この人から聞いた耳寄りの話が、バス会社が1日乗り放題券を売っているというもの。おっさんは豊玉の北で降りたが、確かになにかをチラ見せしただけだった。
 やがて、比田勝のバスターミナルに到着。降りしなに、運転手に1日フリーパス券を求めると、\1000で購入できる。往復\7000超が、\1000で済んだ。おっさんに感謝だ。
 ポケロケを展開し、に出る。意外に、というとアレだが、よく整備された港*2が備わっていた。ちょうど、韓国は釜山からの高速船が入港中だった。韓国からの観光客は、概ね宿からのバスに分譲して散っていったが、中にはレンタサイクルを借り出して回る人もいるようだ。
 まずは南に走る。少し南に、こちらは唐津からのフェリー便が出ている。こちらは車両主体なのか。
 さらに海沿いに走ると、網代という漁港のほど近くに、古代の波跡、網代の漣痕がある。岩場に、かなりの面積広がっている。岩のりを取っているらしい、おばさんがせっせと歩き回っていた。対馬は全島が砂岩や頁岩などの堆積岩で成っており、比較的脆い土壌だ。
 一度、比田勝に戻る。遠目に気になっていたのが、この恵比寿さん。赤い鳥居がキュート。
 改めて、フェリーターミナル前。ここは真新しく、最近になって整備されたことがわかる。韓国からの観光客をアテにしているのだろう。
 観光地図を見て、目についた塔の首遺跡という場所に向かった。ちょっと内陸に入った、小高い丘の上だ。ここからは、地元の豪族のものらしい複数の墳墓が発見されている。石棺が発掘された状態のまま残されているのが興味深い。
 反時計回りに、北の岬を回ってくるつもりだ。少し走った戸の崎に、日本海海戦を記念した、様々なモニュメントが並ぶ。これは確か、捕虜となったロジェストヴェンスキーを、東郷平八郎が見舞ったシーンではないか。
 岬の半ばにヘリポートがあり、そこと並んで日本海海戦戦勝記念碑が立っている。その裏に、ロシア政府が割りと最近に建てた、戦没者の慰霊碑も立っている。この別け隔てのなさは、なかなかのものだと感じ入った。
 この辺りの海は、真に清い。砂岩の島なので砂浜が多く、南国感が醸しだされている。主要幹線が、海から遠く離れているのが残念だ。
 三宇田に下り、海沿いに走ってゆく。豊の辺りを抜ける直前、神社を何の気なしに撮っていたら、車から降りてきたおじさんに『写真を撮らせてください』とお願いされた。ちょうど鳥居の前でポケロケに跨ったまま撮っていたので、邪魔になっているのかと思ってどうぞどうぞと去りかけたら、『写真を撮っているところを撮らせて欲しい』という意味だった。珍妙な格好だったのだろう。快く応じる。
 今日の主目標、韓国展望台に向かう。登り口は山側の東西2箇所。距離は同じくらい。ならば、海側を抜けて、西側からアプローチしよう。
 鰐浦の港へと抜ける道にあるトンネル。ここは国境じゃないよー。
 トンネルを抜けると、王仁博士の顕彰碑がある。王仁博士は、記紀に本邦に論語と(漢字)千文字を伝えた人物と記載されているが、あくまでも伝承上の人物で、実際の知識伝達は朝鮮半島から何次にも渡って継続された交流の中で果たされたと見るのが、日本では主流だ。この真新しい顕彰碑は、実は王仁博士に関する伝承が無かった韓国で、民族主義者たちが日本での伝承を『発見』した後、日本においてその”業績”を強調するために建立したものなのだろう*3
 港を抜ける。目についたのが、自衛隊の運営する小型船。どうも空自のものらしい。沖にある空自第19警戒隊の施設へと、人員と物資を運ぶためのものなのだろう。考えてみればあたりまえのことだが、ヘリポートだけでは賄えるわけがないのだ。
 そういえば、対馬には高床式の倉庫が多い。土地柄なのだろうか。
 で、集落の奥から登ってゆこうと思いきや、ややや、なんと通行止め! そりゃないよ。東側の登り口まで引き返す。距離は大したこと無い。
 東西からの道がめでたく合流し、さらに海側へと登り始めた辺りに、鳥居をモチーフにしたのだろうなあという門がある。抜けて、上がってゆくと、立派な駐車場に出た。その向こうに、韓国展望台が見えた。たこ焼きの屋台が出ていた。お腹が空いていたので、たこ焼きを買い求めた。ぱくつきながら、韓国展望台へと向かった。さあ、初めて目にする韓国だ*4。だがしかし、春霞の時期、まるで見通しが効かないのだった。空自のレーダ基地はよく見える。
 展望台には、韓国からの客がほとんどだ。彼らの大半は観光バスで移動するので、バスの発着により波がある。しばらく展望台をうろついていたが、次の波が来そうだったので、退散した。
 韓国展望台の駐車場から、また遊歩道らしきものが見えたので、歩いて行った。展望台の西側に出る道だ。金毘羅神社があった。さらに進むと、韓国展望台とはまた別の展望台に出る。もう使われてないのか、荒れ放題だった。
 そろそろ比田勝に戻ろう。しかし、この頃になると、空はピーカンの晴れ。太陽高度の高い時期だ。物凄い勢いで日焼けしているのを感じていた。生憎、日焼け止めは置いてきてしまった。山道を登りながら、ジリジリと焼かれる。たまらず、大浦というところにあったマツモトキヨシに飛び込み、日焼け止めを買って塗った。ちょっと、時既に遅しだが。
 比田勝に戻ってきたら、案外に道が捗ったせいで、思いの外時間が余った。そこで、先の本土行きフェリーターミナルでしばらく昼寝してから、バスターミナルに戻って輪行状態に。そして厳原へと帰った。いやはや、風呂に入るのが苦痛なくらいに日焼けしてしまった。

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