縁あって、香川県の塩飽諸島に旅することになった。今日は金毘羅さんに寄ってから、島に渡る。
例によって、こば氏のマイルが期限切れになりそうなので、塩飽諸島にでも行こうかー、と誘われた。塩飽諸島ってどこだ? というところから始まり、ともかく行くことにした。
朝、こっちも現地も湿っぽい天気なので、自転車は折り畳み性能が高く、それなりに走行でき、泥除け付きで雨対策もバッチリな、BD-1を持ってゆくことにした。
戸塚まで走り、JR、京急と乗り継いで、羽田に。体調は良くない。なんとか、今日明日は保たせないと。
こば氏と落合い、高松に飛ぶ。バスで丸亀駅に。高松の内陸部は、結構アップダウンがある。今日の走りがこの調子だと辛い。幸い、丸亀から、今日立ち寄る予定の金毘羅さんまでは、ほぼフラットなはずだ。
丸亀駅から、まずは海側に向かう。金毘羅さん参りの旅人は、四国外からは必ず船で渡ってるくので、港も大いに賑わったことだろう。かつて設置された
大燈籠が待っている。
丸亀から金刀比羅神宮へと、街道が伸びている。しかし、案内板に示された道順は奇妙なもので、まるで真っすぐ行くのが嫌だとばかりに、西に東に蛇行しながら街中を進み、郊外でやっとほぼ直線上の道になるのだ。町割りの関係かもね。
街中には、こうした
古い灯籠や、案内板が随所に残されている。また、街中のややこしい経路は、Google Street Viewである程度追ってあったので、余り迷うこと無く進めた。
まだちょっとしか走ってないが、うどん屋を見つけてしまったので、早目の昼食。
竹天うどんの冷やしぶっかけ。麺も真に宜しいのだが、薄味なのに出汁の効いた冷たい汁もまた、美味しいこと。
店の外観はこんなんだけどな。
街道には、概ね港の始点から距離を表す、”n丁”の標が残っている。これは
90丁の標。問題は、n丁と言われても、その距離を実感できないことだなあ。
南北に走る土讃線、それに東西に交差する琴平電鉄の線路が見えてくると、ようやく金毘羅さんを含む、こんもりした山塊が目に入ってきた。ここからはじまるのが、
延々と続く階段だ。自転車置いて、さあ登るよ。
この階段がまた、
まあ登ること登ること。土産物屋が立ち並ぶ辺りをやっと抜け、ようやく神社の境内感が漂ってきた辺りでも、
まだ登る。
やっと本殿。いやあ、足腰に来た。特に、体調降下中の折には。しかし、上っただけあって、
ここからの眺めは良い。
境内には、色々謎なものがある。本殿裏手には、太陽電池で発電してモーターを駆動する方式のソーラーシップがあった。ああこれ、堀江謙一さんの。
さらに、なぜか
アフリカゾウだのの塑像も。なんだかフリーダム。
帰路は、来た道を概ね辿って帰る。ここは
土讃線と琴平電鉄線の立体交差。
さて、本題の塩飽諸島へは、フェリーで渡る。今回は、最も人口の多い、本島に渡る。フェリーで1時間強の航海だが、真横に
瀬戸大橋がズイッと伸びていて、これは大迫力だ。
フェリーで上陸し、一先ずは島の探検。北東方面に向かう。途中見かけた
奇妙な建造物。生口島と同じく、島ごと美術館という企画で建てられたものだ。展望台になっていて、
裏手の墓地が見える。ここは、遺体を埋葬する埋め墓と、参拝の対象とする参り墓を分ける両墓制が残っている。
島ごと美術館の美術品ポイントはわかりやすく示されているが、それより面白い
磨崖仏探しは大変だ。結構、あっちこっちで見かけた。
一山越えて、笠島地区に向かう。
風光明媚だ。空も、陽も高い。
こちらもなかなかに開けている。食事処もありそうだ。そんな店の前で、恐らくは餌を待っている
猫達。
笠山地区の裏手には、かつて山城があった。
その跡を見に行ったが、まあ、空堀だったのかなあという窪地があったくらい。
港の方に戻る途中、溜池で大型生物が茂みにジャブジャブ入ってゆくのを目撃。はれ、ヌートリアだ。大型のげっ歯類で、かつて毛皮を取るために輸入したものが逃げ出し、野生化していると聞いた。特に猖獗を極めているのが岡山県。まあ対岸だけど、そこから来れるものか? 後で調べると、本当に海を越えて広がりつつあるらしい。これは、本腰を入れて退治しないと。
今日の宿は、
塩飽家。旧民家を改装した母屋で、
夕食を出される。しかし、母屋はそう広くないし、何組も泊められそうにない。実は、宿泊者は空き家になっている別の民家に案内され、そこに寝泊まりするシステムだ。これはいい。
しかし吾輩、調子が悪い。風邪がどうしても追い付いてきたようだ。こば氏には失礼ながら、別室に寝転がって爆睡してしまう。おかげで、ちょっとだけ回復したが、旅先でこれでは先が思いやられる。