今日も塩飽諸島をうろつく。その後は本土に渡り、海の上のでっかいアイツを眺めに行くのだ。
体調不良のまま、しかし墜落はせずに済み、寝床で爆睡する。ちょっとだけ持ち直したかな。
目覚めると、外は結構な雨であった。あ、
猫が雨宿りしている。
こば氏と、どうするよなどと話しながら、雨の様子を見ていた。まあ、まずは
朝食だ。食事は、夕食と同じく塩飽家で。
塩飽家までの往復の間は、雨は小降りになっていたのだが、離れに戻ると雨脚が増す。あーあ、どうすんべと、しばらく眺めていた。
しかし、1時間ほど経つと、雨は小降りになり、これなら走るに支障無さそうだ。宿を引き払う。なかなか、過ごしやすかった。
島を、時計回りに走る。ほとんど、どこからでも見えるのが、
瀬戸大橋。後で、瀬戸大橋記念公園に行くことになっている。
島の南西方向は、海際の土地が拡げられている。その結果、墓地をどうにかせねばならなくなったようだ。世話人がいる墓は、そのまま移転しただけだが、無縁となった墓はやむをえず、なのか、
こんな感じに高圧縮され、まとめて供養の運びとなったようだ。
古くから風待ちの湊として栄えてきた地だけに、方方にお社やお堂が散財している。また
巨石信仰の痕跡も伺える。修験者の類も立ち寄る地だったのだろうか。
集落には、瀬戸内の島にはよく見られる、島四国の
お堂も点在している。かつては漁業、船大工で栄えた島だけに、集落には必ず複数の
寺があった。ここは常福寺。境内の五輪の塔は、室町の頃に作られたという。
同じ集落の五所神社では、本殿を建立した塩飽大工の遊びが随所に見られる。これは、
唐獅子の姿を彫りだしたもの。普通は首と上半身くらいまでしか作らないものだが、これは柱を貫通して、下半身まで全て作られている。たまたま、催事の準備だろうか、なにがしか準備に勤しんでおられた、近所の方と思しきおばさんが、教えてくれた。
海岸線近くに、
夫婦倉という、全く同じ構造の2連の蔵がある。中は繋がっていないのだ。
北上してゆくと、古い、既に廃校になっている小学校の後に、「機関車先生」という看板が立っている。そういう映画のロケが、ここで行われたらしい。
中はロケ当時のまま、残されていた。ちょっと面白そうな内容だったので、後で原作を読んでみようと思う。
島をぐるりと一周し、昨日も立ち寄った笠島地区にやってくる。ここで食事も可能だが、ちょっと早いか。
何の気なしに海岸の家並みを裏に回ってみると、
何故かカフェあり。趣味でやってるんだろうなあ。
本島港に近づくと、高台の創価学会は措いて、古い塩飽大工の手仕事の残る家々を眺めて回る。番所跡も心惹かれたが、別の民家に入ってみた。家のご主人は既にここには住んでいないのだが、塩飽大工の技を見せたくて、週末に公開しているのだそうだ。大きな部材を使った床の間、天井や、細かな細工が施された格子など、円熟を感じさせる手わざが随所に見られる。と、まあ適当に書くこと。
庭の
手水鉢の佇まいも素晴らしい。
フェリーで丸亀に戻る。丸亀城に向かう途中で、うどん屋に入った。何食でも入るよ。
天ぷらうどんで油脂分補給も十分だ。
丸亀城に登城する。上構はコンパクトだが、
街中にある平城は、存在感が強い。
海沿いに出てから、瀬戸大橋記念公園に向かう。足元に来ると、
その存在感が凄い。ロケットくらい、打ち上がりそうだな。
公園には、橋の建設で使った建築機材や、橋の運営に関係するブイ、ワイヤーなどが陳列されている。これは、無人で海底を移動しつつ、カメラで状況を記録する
自走機械だ。燃えるねえ。
この公園は、橋の立つ突端にあるので、ここから
海へと伸びてゆく橋の存在感が凄い。今回、雨っぽい天気予報だったのと、荷物を増やしたくなかったので、TG-1を持ってきた。しかし、もっとズームを使えるカメラが良かったな。
公園には、
展望タワーもあるのだが、時間がないのでパスした。公園越しに、もう1枚
橋の写真を。ケーソンが実にゴツイ。
帰路は、坂出駅近くから、バスで空港に向かう予定だった。時間があったので、駅近くにある
香風園という庭園をうろついた。
空港では、楽しみなことが一つあった。かの『
さぬきうどんの汁が出てくる蛇口』だ。早速駆けつけるも、もう今日の分は終わりだった。次こそは。
代わりに、
カツ綴じと
うどんのセットという、別にここじゃなくてもセットを貪食し、羽田へと舞い戻ったのであった。
瀬戸大橋記念公園は、もう一度行きたい。