Strange Days

千曲川~信濃川ツーリング(見附~新潟)

2015年07月19日(日曜日) 23時13分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:晴れたね

 いよいよ下流域。川筋は複雑に入り乱れつつ、河口を一つ、二つと日本海に刺してゆく。


 昨夜は、まだ雨が残っていたのだが、朝には綺麗に上がっている。やっとのことで、雨の心配をせずに、走られそうだ。
 宿を後にする。居心地は良かったな。
 まずは、信濃川への再合流を急ぐ。川は既に、幾つかの放水路と分離されており、急激に幅を広げている。
 そのうちの一つを越えたところで見かけたのが、この諏訪神社の跡地。向日葵に囲まれている。なんでも、大水害への対策で橋を掛け替える際に、村社を移転して土地を供出したのだそうな。
 信濃川に沿っている水路を当てにして、川下に向かっていった。農地が多く、のどかな眺めだ。信濃川の川面は、その全長で最も幅を広げる辺りに来る。この先、平地をうねるようにして流れているため、その水害は甚だしかったという。ところで、信濃川の流れは、日本海の海岸線と並走しており、まっしぐらに海岸に向かう流れではない。そこが水害の甚だしくなる一因なのだ。そこで、途中で日本海へと向かう放水路を開削する計画が、江戸時代から立案されてきた。この地、大河津は、河口部を除けば海岸に最も近づく場所であり、好適地と考えられてきた。江戸時代の計画は計画倒れに終わり、明治初期のそれも技術的裏付けを欠き、財政的にも逼迫していたため、中止の憂き目に遭った。地元負担が大きすぎ、一揆が起こったのも一因という。その後、横田切れという空前の大水害をきっかけに工事再開の嘆願が重なり、遂に20世紀初頭に、多数の工作機械を投入した機力を以って、世紀の難工事が始まる。1922年に、遂に水路は完成するが、開通後も分水路側の自在堰が沈下し、流量が想定を超えてしまった結果、本流での水運、水利が大打撃を受けるという問題が発生。それに対して新しい分水路側自在堰が作られ、遂に分水路の運用は安定した。その後、全世紀末から最近にかけて、両水路の堰改修工事が行われている。
 というような説明を受けられるのが、分水地点に立っている信濃川大河津分水路史料館。川を渡り、史料館でしばらく展示を見る。
 分水路側可動堰は、先に書いたように最近になって更新されている。通常、この半円形の堰で、通常は放水路への流量を制限しているが、流量が増えると跳ね上げて、増水分を引き受けることになっている。
 信濃川は、放水路から別れ、更に本流と支流とに別れて、北上している。もっとも海岸寄りを流れる、中ノ口川に沿って走りだした。この辺に、先の横田切れという水害が始まったことを示す、が立っている。ここで始まった水害だが、最終的には河口近い新潟まで水没したというのだから、凄まじい。被害は甚大極まるものだったろう。
 できるだけ川沿いに走りたかったが、未舗装だったり、そもそも道が無かったりで、なかなかそうはゆかない。
 燕市に入っても、あまり川沿いに行けない。そろそろお腹がすいたな、というところで、燕市産業史料館を通りがかり、ちょうどその近所にピンとくる店があったので入った。生姜焼き定食でお腹を満たす。飯がうまいな。
 せっかくだから、と燕市産業史料館にも入ってみた。何も期待しないで、ちょっと休憩して時間を潰せればと思っていたのだが、思いの外面白い。燕市は、工業都市で、特に金属、ガラス製品を得意にしているようだ。真空チャンバーの形状に燃え上がる。
 別室には、コレクターによる寄贈品が陳列されている。ここは、スプーンコレクションだったかな。
 館内はやたら広く、古い商家や、キセルのコレクションなんぞもある。想像以上に楽しめる場所だった。
 いやあ、面白かったと思いつつ、外に止めてある自転車に歩み寄ったら、近くをうろついていた自転車の男性に声を掛けられる。なんと、Twitterでフォローしていただいている、ちまきさんだった。この近所にお住まいとのことで、わざわざ川を渡って探しに来てくださったのだとか。まさかの、奇跡の邂逅だった。
 ちまきさんからは、手土産*1まで頂いてしまった。旅先での出会いは嬉しいなあ(現金)。
 名残惜しいが、先を急ぐので、ちまきさんと別れる。また会う日まで。
 さらに下流に向かう。川は、上流の幅広い河川敷を持つ眺めから、堤に囲まれた管理水路の眺めになってくる。とはいえ、大河信濃川*2。幅はそれなりにあるのである。
 しばらく走っていると、妙に整備されたサイクリングロードに合流した。所々、停留所だったと思しき小公園が整備されている。思った通り、廃線跡だった。新潟電鉄線の廃線跡を利用した、いわゆるサイクリングロードだ。途中、かつて使われていたラッセル車も保存されている。
 川沿いの道は、しばしば工事により寸断され、土手下に誘導される。のだが、迂回路表示がさっぱり要領を得ない。矢印の示す方向に進むと、ただの車道がズーッと走っているだけで、どこで復帰できるのか分からないのだ。そんな感じで途方に暮れ、ふと見かけた自販機で買ったのがこれ。イリーの缶コーヒーって、珍しくない?
 ようやく見つけた復帰地点で目にしたもの。この斜度を登れと申すか! まあ登ったとも、泣きながら。
 川の眺めは、次第に都会に紛れ込んでゆく。そんな感じに自然の雰囲気がフェードアウトして行く中、ふと見かけた木橋の親和性は、心に残る。痛んでいて通過できなかったが。
 川沿いに沿って走り続けて行く。しかし、ここはまじめにサイクリングロードとして整備されておらず、しばしば不条理な途切れ方をする。それでも、出来るだけ川沿いに走り、これ以上は無理ぽと見るや、幹線道路に乗り換え、新潟市の中心街へと向かった。最終的に、車の溢れる、新潟駅前に到達する。
 宿は東横ホテルだった。フロントが3階くらいにある、自転車にとってはうれしくないレイアウト。駐輪場は無いので、畳んで持ち込んだ。ここのテレビもHDMI端子を持っているので、もちろんICSをつなぐことが出来る。
 ともあれ、信濃川を、飯山からほぼ走りきった。残るはここから河口までのわずかな区間だが、それは明日走る。

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