当初の予定では、今日は萩の沖合にある、見島に渡るつもりだった。しかし、フェリーの本数から見て、現地での行動時間が限られること、この時期には渡り鳥が少ないことから、取りやめにした。代わりに、萩をうろつこう。
宿を後にする。って言っても、連泊するんだけど。
まずは、東萩駅に近い、松陰神社辺りに向かった。松陰神社に用はないが、この辺にいくつかの歴史公園が整備されているのだ。その一つ、
郡司鋳造所遺構広場。長州藩で大型兵器の鋳造を請け負っていた郡司家があったのがここで、その遺構が発掘されたのを契機に整備されたもの。
こんな風に、鋳型を立てて、上から青銅を流し込んだ。幕末、
西洋式の大砲を整備していたものの、下関戦争では新式砲を装備した四カ国艦隊にアウトレンジされ、一方的に敗れている。しかし、大型鋳造品を作る技術は持っていたので、その後は急速にキャッチアップできたわけだ。
阿武川を渡り、南に走ったところにある、旧湯川家住宅に向かう。萩で、一番好きな場所の一つ。水路で水を引き込み、
生活用水に利用していた。水がある家は良いな。
坪庭も上品で、真に我が身と縁遠いからこそなのか、憧れる。
更に南に下り、阿武川とその分流の橋本川とで分け隔てられた本土へと渡り、
萩駅を訪った。そういえば、一度も来たことがなかった。今は東萩駅の方が乗り継ぎ駅、鉄道基地として比重が高まったが、かつての萩の玄関口であり、レトロな駅舎は瀟洒で見ものだ。中には
ちょっとした博物室がある。
昼食はどうしようかなあ、と思案しつつ、橋本川を渡り返し、川沿いに西進する。
目に入った旧家が、いかにも観光物件然として整備されていたので、覗いてみる。渡辺嵩蔵という、明治大正の日本造船界の大立者の旧宅だという。萩市は、こういった旧家屋の保全に力を入れているようだ。
田中義一旧宅にも立ち寄る。
二階からの眺めが、実に清々しい。しばし、風の通る畳の間で、寝転がっていた。
しかし、お腹の好き具合が厳しい。野生の本能が、給餌を強く求めてくるので、やむなく居心地の良い座敷を辞し、鍵曲を経て、平安古を通る。
平安橋という、古い橋が残されている。萩城内と、城下町とをつなぐ、石橋の一つだったそうだ。
村田清風旧宅などが集まる、
武家町の通り。塀が巡らされており、修復の手がこまめに入っているようだ。
この辺まで来ると、橋本川の流れは
大きな堀のようによどむ。海とは、薄皮一枚で隔てられている塩梅だ。唯一の流れは、常盤橋から北に向かうお堀だ。
萩城近く、萩史料館の並びにある、
土産物屋で昼食。ガッツリ入れてます。暑くて、体力を消耗している。
萩城内に入る。建物の残っていない、城址公園なので、むしろ
石垣や堀が見渡せる。園内に移設された茶室周辺を散策していたら、
おや寝坊助めが。
萩城の海際まで行ってみた。指月山の北辺には近づけず、萩市街から見えている範囲までしかいけない。
博物館のある辺り、
この辺も武家屋敷が多い。
博物館には入ってみた。さらに西に向かうと、
ぽつんと残された大門に行き当たった。北の総門というものらしい。
海側をうろつき、最後に阿武川を渡った漁師町を散策してから、宿に戻った。そんなに走ってないのに、真夏の徘徊は疲れる。