今日は北端の方を攻めるよ。
今日は丸一日を、壱岐の北方攻略に費やせる。イルカパークなるものがある辺りを攻める予定だ。
ホテルからの眺め。細い湾と橋のある風景は良い。電線が無ければ尚の事。
昨日のようにお宝地蔵のある方向に登ってゆき、その先もずっと北進する。途中で立ち寄ったのが、
双六古墳。かなり大きな単独の古墳で、春に行った時と比べ、草が刈られており、見通しが良くなっていた。
さらに、近所の
百合畑古墳にも立ち寄る。ここは小規模な古墳が集中しており、斜面に沿ってポコポコと並んでいるのが面白い。
この先は、途中にゴルフ場やら郊外型の車屋やらが点在する、やや殺伐とした尾根道を走る。とはいえ、壱岐の尾根は皆低い。大したアップダウンではなかった。尾根道からグッと下っていった先にある港が、目的地の勝本だった。ここは春には来れなかった。
食事処がいくつかありそうだが、昼には間があるので、西の方をうろついてみた。途中、蔵元らしい
酒屋を見かける。詳細は不明。
地図を見ると、聖母宮というなぞめいた場所に気づいたので、行ってみた。なにか非日本的な、キリスト教めいた名前ではあるが、歴然とした
神社だった。神功皇后の朝鮮出兵伝説によると、ここに仮宮が営まれたのだという。その後、神功皇后のと仲哀天皇、さらに住吉三神を併せた五柱を祭神とする神社が創建された。
ここで驚いたのが、
手水の水受け。なんと、巨大なシャコガイを使ったもので、南洋パラオで取れたものだとか。たまたま居られた御神職に、この手水舎の謂れなどを聞かせていただいた。
昼時には、なおも間がある。イルカパークにも行っちゃおう。東へと向った。
漁港を抜けると、目の前は透明度の高い水の躍る
入江。これはきれいだ。
イルカパークは有料施設なので、某かの金を払って入所する。中は、小さな入江を一つ仕切ってあるらしい。さらに
飼育槽が浮かんでいるのだが、中にはやる気無さそうに新入りらしいイルカが泳いでいる。群れの多くは
入江内にいるらしいのだが、ああそうなんだと納得するしか無い、のどかな眺めだった。
お腹が空いたよ。港へと引き返す。途中で碑を見かけたので寄ってみた。
梅屋トク。誰? なんでも、辛亥革命当時の孫文を支援した。梅屋庄吉という人物の妻だったらしい。
港に戻り、土産物をあさったりしながら、どこで飯にするかと相談。結局、大幸物産の食堂で、ウニめし主体の定食にした。美味しかったけど、俺的には味が濃すぎる。豆腐はサービスで。これがしっかり締まった豆腐で、都会のフニャチン野郎とは別格の美味しさだった。
この辺りの裏道をさまよい、コジャレた感じの喫茶店があったので入った。
甘い物は別腹よね。
どこかに鯨塚って標識があったよなあ、とみんなして海沿いをうろつくが、なかなか見つからない。こんな所にあったよ、
鯨塚。えらいところにあったな。
海に迫る背後の山、城山には、河合曽良の墓があるはずだ。港を後にし、坂を登ってゆくと、さらに散策路があった。標識に従って見て回ると、目立たない場所に見つかった。芭蕉の門人、
河合曾良の墓だ。ただこの墓地、海側の崖が崩れだしていて、結構危険だ。
展望台まで登る。ここからの眺めは良い。
沖に浮かぶ小島がよく見える。
浦全体を見下ろすと、さっきまでいた港から、漁船がワラワラと出稿してゆくのが見えた。
頂上を鎮めているのは
お稲荷さん。下ってゆくと、なぜか御柱が立っていた。先の河合曾良がもたらした縁で、生地の諏訪から贈られたものだとか。
まだ日は高い。寄り道ながら戻れるだろう。
行きに寄った古墳群の手前に、勝本ダムの
ダム湖があった。遠くに風車が見え、なにかの園地を期待させる地名が見えたので寄ってみたが、なにか公民館的な建物があっただけだった。
明日寄るつもりだった、月讀神社辺りの古墳群にも立ち寄る。
鬼の窟という、こんもりした鎮守の森化した古墳だ。玄室を覗き込める。
さらに
へそ岩という、謂れのよく分からない物が立っている。壱岐の中心部を示すものだったと言われる。なにか巨石信仰の一種だったのではないかとも言われる。
更に進んで、
月讀神社。ここが全国の月詠社の祖だと言われている。近所には月読神社もあるのがややこしい。
ここまで来たんだから、もう一つくらい古墳ゲットだぜ。郷ノ浦へと向かう道に入るとあるのが、
カジヤバ古墳。公園整備のついでに整備されたようだが、草が生えていてよく分からない。まあ、形はわかるか。
最後に、ここに寄らずばなるまいの、住吉神社にも寄った。ここは
巨木が目立つ。
ということで、今日も
夕陽に間に合った。夕餉は、壱岐牛を行きたかったので、人気の焼肉店に。走った後は、飲めるし食べるし。さらにラーメンまで入れる始末だ。
さあ、概ね壱岐は回ったな。明日はどうするかだ。