Strange Days

2000年06月30日(金曜日)

湿気に死にます

22時23分 暮らし 天気:くもりでしたよね

 今日は蒸し暑い一日。気温の方はそれほど極端でもなかったが、湿度が高くて蒸し暑い(生暖かいではなく)風が部屋を吹き抜けていく。
 これはたまらんのでさっさとエアコンをドライに入れた。こういう面での根性がまったく鈍りきってしまったな。わはは。

2000年06月29日(木曜日)

相変わらずくもりですか

23時22分 星見

 昼頃には空は多少なりとも雲が切れ、最近目にしてなかった青空ものぞいていた。今夜は晴れてくれるかと期待していたが、21:30に帰宅した頃にはすっかり雲が復活して、いつしか雨が降り始めていた。陸風海風の影響か、夜になると雲が増えるようだ。
 あーあ、全然観望できないよ。今年の梅雨は仕事熱心だ。

朝から不調なときは

10時21分 暮らし 天気:くもりのち雨

 朝、目覚めると、昨夜の不調がまだ残っていて、頭がぼんやり重かった。この重さは風邪ひきかけ&自家中毒のそれを予感させたので、特効薬の葱入りうどんを作った。朝食を自前で作るのは最近では珍しい。最近、朝食は会社の食堂で食っていたのだ。七味を叩き込んでむさぼり喰らうと、多少汗をかき始めて、前記症状は綺麗さっぱり消えうせた。効果てきめんなり。

2000年06月28日(水曜日)

夢記憶

23時19分 思考 天気:曇りだし雨だし

 今日は定時退勤日だったのでさっさと退勤した。帰宅して生焼きそばを作ってビールで流し込んだら、強烈な睡魔が襲撃してきた。反射的に抵抗しながら『ああ、ここは会社じゃないんだ』と思い直し、素直に布団にもぐりこんだ。
 どれくらい寝たのか、起き出したのはもう1:00過ぎだった。頭がボーっとしてかつ重い。ちょっと熱があるようだ。風邪を召した模様である。エアコンをドライに入れっぱなしにして寝込んだのだが、ちょっと体を冷やしすぎたようだ。今夜は湿度が頓に高い。
 悪夢っぽい夢を見たというのもあるかも。会社の同僚が登場する夢で、かなりうなされたような気がするのだが、少し経つと綺麗さっぱり忘れていた。
 人間は夢を記憶に留めておかないようになっているのだ、という説を前にどこかで書いた気がする。どこで目にしたのか忘れたのだが、人間は毎日見る夢(実は憶えてないだけで毎日必ず見ているのだ)をいちいち記憶にとどめておいたら容量をオーバーしてしまうので、それを忘れるように出来ているのだという仮説だ。それを目にしたときには素直にそうなのかと思ったのだが、良く考えると「ではどのようにして」というメカニズムの説明がまるで成されていない。
 僕は案外に夢も他の体験と同様の機構で処理され、場合によっては長期記憶に移行する事もあるのだろうと思っている。実際、子供の頃に見た悪夢(笑っちゃうのだが、傘お化けが登場する)は、今に至るまで鮮烈に憶えている。でも夢の大部分を忘却してしまうのも確かだ。
 これは要するに、夢に脈絡がないからこそ記憶していられないのだと解くべきだと思う。人は過去のことを思い出すとき、その事項に関連した出来事を手がかりに思い出す。例えば「あれは夏休みの初日だった」とか「実家の裏山で」とかいう風にだ。また「叔母さんが遊びに来た」から「おはぎをおすそ分けしてもらえた」という風に論理的な整合性をも手がかりにその先の展開を思い出すこともある。
 ところが夢は時制も論理的な接続をも超越しているために、こうした通常の手繰り方では思い出せないのだ。まるごとエピソードの塊としてしか処理できない。だからその中の1エピソードを思い出すことは可能でも、その全体を思い出すことは難しいのだ。この辺は、やっぱり前に書いた人の恐怖体験の記憶に似ている。
 これを克服するには夢を見た直後にノートなどに書き付けるしかない。しかしそのようにして文書化された「夢」は、見た当人の夢解釈でしかないだろう。かように、夢はその全体像を処理できないが故にとりとめが無く、またそれ故に悪夢は根源的な恐怖を呼び覚ますのではないだろうか。

2000年06月27日(火曜日)

雲が切れないなあ

23時18分 星見

 夜、空の所々に黒い裂け目のようなものが見えた。雲が切れかかっているのだ。そこで期待しながら真夜中まで待っていたが、やがて雲がかえって濃くなり始めた。朝方には雨になったようだ。全然星が見れないなあ。

あぢー

19時17分 暮らし 天気:くもりですね?

 蒸し暑い日が続く。僕の部屋はアパートの東の端にあって、割と風通しは良いのだが、それでも部屋の中に湿気がこもってしまってやってられなくなる。さっさとエアコンをドライモードにした。
 体にカビが生えないか心配になってくる。

2000年06月26日(月曜日)

今夜もくもり

23時16分 星見

 今夜も真っ白なくもり。C8EXはもちろん、フィールドスコープも試したいのだが、全然雲が切れないので試すに試せない。欲求不満でなんとかなりそうです。(とほ)

なぜか足が痛い

17時15分 暮らし 天気:くもり

 なぜだか知らないが、日曜日から足が痛いのだ。かかとが痛んで、歩くたびに響く。その原因に、これという思い当たるものが無いのだ。
 強いていえば土日に歩き回ったことくらいだろうか。しかしその程度のことでこうなるものだろうか。なんというか、重い鈍器のようなものでかかとを殴りつけられたような痛さなのだ。
 考えられる原因はいくつかある。
1.夜中に無意識のうちに裸足で飛び出して駆け回った。
2.夜中に窓から白髪の老婆が侵入してきてかかとを金属バットで乱打した。
3.夜中に長島茂雄が侵入してきて(以下略)。
 ともあれ足が痛むのは事実で、緊急時に走り出せないので難儀している。歩くだけでも大変なのだ。いやあ、足が疲労骨折でもしたか。

2000年06月25日(日曜日)

今日も秋葉に

23時13分 星見 天気:雨のちくもり

 前日寝たのは4時頃だったのだが、いったいなにがどうなったのか8時過ぎにはすっきり目覚めてしまった。こんな時間に起きるのも癪なのでしばし布団の上でゴロゴロしていたが、なぜか眠気は消えうせていた。やむなく起き出してゴロゴロしていた。
 昼過ぎまでどこかに出かけようかと思いながら、外の天気をうかがっていた。そんなに雨ってないで(こんな表現ありか)、結構曇っている。路面は濡れてはいるが、一部乾き始めている。
 とりあえず投票に行って飯を食い、さて、どうしようかと考えた。湘南台に出ようかという気持ちはあったが、いくつか入手しなければならないものがあったので、それらを確実に入手できるだろう秋葉原に再度向かうことにした。欲しかったのはPalmのソフトウェア開発に関する本、そして長焦点のアイピースだ。
 いつものように14:00過ぎに出て、15:30頃には昭和通口を出ていた。そのままスターベースに向かうかと思いきや、連日顔を出すのもなんなのでそのまま通り過ぎ、高架のほうに歩いていった。スターベースの前の通りは、確か電気街口の終端(僕にとって)辺りに出るよなあと考えたのだ。その通り、高架をくぐると玄麺(元めんめん)の辺りに出た。ここからM専、OverTop、若松と巡回してみた。Palmの折りたたみキーボードは相変わらず品切れだ。その代わり、若松でボールペン内蔵スタイラスペンを買った。さらにコンピュータ関連書はほぼ揃うLaOXコン館で、Palmバイブルを買った。8000円弱もするが、読み応え充分だ。
 そのまま帰ろうかと思いつつ駅の方に歩いていったが、高架の辺りで思い出し、KYOEIに向かった。KYOEIではできるだけ安く、長焦点のアイピースを探した。できれば30mm超級のものが欲しかったのだが、このクラスのものだと大抵は2インチスリーブで、アメリカンサイズではまず見当たらない。また長焦点かつ広見かけ視野のタイプは手が出ないほど高い。代表格はナグラーで、ざっと4万円以上する。
 見かけ視野が少々狭くてもいいから、アメリカンサイズで長焦点のものはないかと探していたら、ふとビクセンのLVアイピースの新顔が目に入った。焦点距離40mm、アメリカンサイズのものだ。形態的にはLV4mmに良く似ている。LV30mmは2インチスリーブで、LVシリーズではかなり高視野という異色のモデルだったが、40mmはいかにもLVらしい細身のアイピースだ。スペックは見かけ視野43度とやや狭くなっているものの、アイリリーフが32mmと逆にかなり長くなっている。市販のアイピースでは、ほぼ最大クラスではないだろうか。レンズ構成もLV短焦点モデルとはまったく変わっている。
 14000円とLVとしてはやや値が張るが、これ以外の長焦点アイピースだと倍はするのでこれを買って帰った。
 帰宅して、さっそく中学校の校舎をターゲットに試してみた。LV40mmとC8EXでは50倍になる。この倍率なら中クラスの散開星団が見事な眺めだろう。LV4mmだと500倍か。通常、望遠鏡で実用になるのは口径ミリ数の倍まで、つまりC8EXだと400倍程度までといわれているので、これは限界に近い、あるいは越える倍率だ。この倍率だと100m離れた教室の窓に打たれたビスまで見えるが、視野は暗くてボケている。目が負けそうな感じがする。一方、LV40mmだと教室の窓全体が見え、その下の教室の窓も視野に入ってくる。視野は非常に明るく、また隅々までくっきりしている。
 今度は100EDに載せ変えてみた。100EDとLV4mmの組み合わせでは160倍で、200倍まではいけそうな100EDからすれば余裕の倍率だ。この倍率では教室の窓の上端から2/3程度まで視野に入る。ここでC8EXとの見え方の違いに気づいた。100EDのほうがコントラストがくっきりしているのだ。例えば教室の窓には飛散防止用に金網が鋳込まれているのだが、それに気づいたのは100EDで見たときだった。反射光で白っぽくなっている窓に、もう少し白く光る金網がくっきりと浮かび上がっている。しかしC8EXで見たときは、見えることは見えるのだが、最初は見逃したように今ひとつはっきりとは見えないのだ。良く屈折式のほうがコントラストで有利といわれるのだが、こういうことだったのかと納得した。
 こうした望遠鏡の傾向を考えると、C8EXは光害で明るい夜空に対してはかえって不利かもしれないと思った。ここはフードなどを改良してStray Lightを防ぐか、豊富な光量(100EDのざっと4倍)を生かして、フィルタを使って必要ない光を排除するかだ。まあ梅雨空はまだまだ続くようなので、ゆっくり考えることにしよう。

2000年06月24日(土曜日)

NHKスペシャルなど

23時55分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは「虐待と向き合う」。アメリカでの児童虐待と、それを克服しようとする「親業クラス」の話題だった。親業なんて言葉、本当にあるんだな。
 子供たちに暴力を振るう親たちの多くが、やはりそのような育てられ方をしてきたのだという。それを自然なことだと思うから、暴力を振るうことにためらいが無いのだ。あるいは、怒りをコントロールできなくて、いけないことだと思いながらも、ついつい手を上げてしまう親も多い。親業クラスはこうした親たちに子供との接し方、特に怒りのコントロールを教えるために、アメリカの行政機関が設けたセミナーだ。
 ある父親は娘たちが自分に反抗的なのに腹を立て、日常的に暴力を振るっていたという。しかし10代も後半ともなれば親離れし始めるのは当然であり、むしろ利害関係の調節というドライな仕事が親に課せられているのではないかと思った。
 23:00からは国宝探訪という番組がある。いつも楽しみにしているのだが、今夜は長崎の大浦天主堂の話題だった。長崎に天主堂が初めて建ったのは織豊期のことで、土地の支配者の大浦氏が入信して云々と、これは司馬遼太郎の「街道をゆく」で取り上げられていた。その初代天主堂はキリスト教の禁教とともに取り壊され、長崎に再び天主堂が建てられるのは、幕府による開国直後の1864年のことだったという。フランス人神父が中心となり、長崎に住むようになった外国人信者のために建立された。材料のかなりは本国から取り寄せられたが、施工したのは日本人大工であり、結果的に日本式の建築と西欧式のそれとが折衷されたような様式の、世界に類を見ない建造物となった。
 例えば、カテドラルを特徴づけるステンドグラスは、ふつうは色ガラスの小片を鉛でつなぎ合せるものだ。ところがここでは木の桟にはめこむ形を取った。するとその桟の太さを様々に変えることで、本来のステンドグラスでは出せなかったシルエットを描くようになった。また天井部分の丸みは、竹を編んだ上に土と漆喰を塗り込めることで象られている。このように、西洋建築のテーマを、日本の大工たちは創意工夫しながら描き出していったのだ。しかし限界もあった。初期の構想では尖塔を三つ作ることにしていたのだが、左右の尖塔の施工方法に無理があり、竣工後ほどなく落ちてしまったらしい。石造りの剛構造を主体とした欧州の建築と、木による柔構造を主体とした日本の技術と狭間で埋められなかった部分だ。
 フランス人神父がこのカテドラルを建てた動機の一つが、キリスト教禁教以来隠れ潜んでいるはずの日本人信者たちを呼び寄せるためだった。その狙いは当たり、建立された天主堂を目当てに各地の隠れキリシタンが現れるようになった。が、それから明治初頭にかけては禁教が維持されていたため、その多くが弾圧されてしまったという。禁教以来250年も信仰を維持していたというのは、ほとんど非日本的である。日本的な神道や仏教なら、250年も経てばすっかり忘れてしまっただろう。

スターベースのセール

17時09分 星見 天気:雨ですよ、雨

 朝早くに起き出した。7:30というのは休日では記録ものの早起きだ。気分はあんまりよくない。前日の夜、突如として奥歯が痛み出して、なかなか寝つけなかったからだ。激しい痛みではないが、イライラする。ともかく8:30には出た。
 早起きしたのは、スターベースで中古品や半端物の一斉放出があるからだ。安いものだとSC200が39800円、良く見えるといわれるミューロン210も128000円で2本も出る。少しでも安く大口径の望遠鏡が欲しい僕にすれば、見逃せないセールだった。
 現地に着いたのは9:40くらい。少し時間が余ったかと思いドトールで多少時間をつぶし、開店時間の10:00にはスターベースに向かった。が、開店時間ちょうどのはずが、既にほぼ満員の客で賑わっているではないか。恐らく、9:30に整理券を配るという話だったので、その頃には客が来はじめたのだろう。しかしこの雨の中で待たせるのは悪いと、一足先に始めてしまったのではないだろうか。危ない危ない。
 さて、今日のお目当てはSC200である。安いのが2本ほど出ている。その1本、安い方の状態を聞くと、かなり古いもので、まあ値段相応だとか。フムフムと思いつつふと目をその脇にやると、C8EXの中古が78000円で出ている。7*50ファインダーが着いてこの値段か。この望遠鏡はSC200(つまりセレストロンC8)のチューンナップ版で、コーティングを工夫して最終的な光の透過率を高めているものだ。この値段は市価の半額でかなり安い。ほぼ衝動買いに近い形で「買った!」といっていた。
 現金がここまではなかったので、秋葉駅の東海銀行で下ろし、早速買い付けた。ダンボールに簡単に包装し、緩衝材を詰めてもらい、キャリアに縛りつけて持ち帰った。これが結構ハードだった。雨が降っているし、秋葉原駅(電気街口)はエスカレータがない。昭和通口からだとこれまた苦労することになる。死ぬ思いで持ち帰った。
 帰宅して一息つくと、早速GP赤道儀に載せてみた。7*50のファインダーはさすがにでかいが、しかしピントの調節がわからない。パン・フォーカスなのかな。
 窓を開き、真正面の中学校に向けてみた。でかいので取り回しに苦労する。しかしSWK22mmを着けて校舎を見ると、100m先にある校舎の窓の細かな汚れ、そして水滴までくっきりと見分けられた。数千光年かなたの連星を分離しようというクラスなのだからこの程度の能力は当然なのだろうが、それでもやはり感心してしまった。焦点距離が焦点距離(2032mm)なので、SWKでも90倍近くになる。もう少し長焦点のアイピースが必要だ。さて、どのクラスを買うか。
 思いっ切り疲れたので、タオルケットをひっかぶって寝込んでしまった。

2000年06月23日(金曜日)

蒸し暑い

23時06分 暮らし 天気:雨でしょ

 昼間のうちに気温が上昇し、おまけに降り続く雨で湿度が高くなっているので、帰宅したときにはかなりの蒸し暑さだった。早速エアコンをつけて、開けていた換気窓を閉めた。寝室は意外に気温が低く、マシンの熱の凄さを感じた。今は1台しか着けてないのだから、全部着けっぱなしだとどうなるだろう。慄然とするものがある。
 帰宅時にドアの所にクロネコからの連絡が入っていた。荷物が届いたのだが不在で云々だ。再配達の日時を電話のプッシュ信号で入力できるらしいので、早速やってみた。おっちゃんを相手にするより話が早いが、後で確認できないのがいまいちだな。
 荷物はブックウェブで発注した本だろう。ブックウェブも紀伊国屋の店頭在庫に関してはリアルタイムに確認できるようになり、在庫されているものは確実に入手できるようになっている。流通の在庫に関しては相変わらず博打だが、これはかなりの進歩だ。どちらもより便利にしようと頑張っているようだ。

2000年06月22日(木曜日)

蒸し暑すぎる

22時05分 暮らし

 帰宅して、部屋のドアを開くと、熱気が押し寄せてきた。うわっ、これはいかん。速攻でエアコンを入れる。
 本格的に梅雨を感じるこの頃だった。

火星ニ水アリ□

14時03分 科学 天気:くもり

 世界最大の陰謀組織(爆)NASAによれば、火星の地表に液体の水が存在しそうだということだ。
 火星の地表には多くの侵食跡が残されており、太古にはちょうど地球の地中海くらいの大きな海が存在していたとされている。生まれたばかりの頃の火星は液体の水が豊富だったのだが、火星は地球よりはるかに小さなサイズでしか無いため、水蒸気を多量に保持して置けるほどの大気を引きとめておく事ができなかった。そのために長い間に水蒸気は火星圏外に逃げ出し、今では液体の水はまったく残っていないとされていた。しかしそのようにして逃げ出す前に火星が充分に冷え、凍り付いてしまった水(すなわち氷)が、極地方や大きなクレーターの内部などに残されているのでは、と考えられていた。
 今回、液体の水が見つかったのは、地表に発達している渓谷や、クレーターの側壁からだった。正確には、ごく近い時代に水が流れた跡が見つかったということだ。火星を周回して継続観測しているMars Global Surveyorが撮影した画像を処理した結果らしい。地表のごく小さな痕跡をも見逃さず捉えたMGSの能力は、まさにスパイ衛星並といえるのではないだろうか。
 この痕跡は、恐らくは火星のあちこちに残されている氷が、地熱かなにかで急に溶け出した結果生じたものだろうとNASAの科学者たちは推測しているようだ。これは液体の水が存在していることが重要というよりも、火星で水を得るのは存外に簡単かもしれないという可能性を示唆する点のほうが重要だ。
 恐らく、いずれ火星への有人探査ミッションが企てられるだろうが、火星で水を簡単に入手できるとなると、行きの荷物を随分軽減させることができる。乗員の生活用水としてはもちろん、エンジンの反動材としても使えるはずだ。水を適当に処理すれば水素を得られるから、これを適当な熱源を使って噴射してやれば帰りの燃料まで携行する必要は無くなる。
 きっと、宇宙大好きな人々には小躍りするようなニュースだろう。まあ有人ミッションとなると無人探査とは桁違いの金がかかるので、打ち上げられる前に議会で撃墜されてしまう可能性は大きいのだが。

2000年06月21日(水曜日)

観望はなし

23時44分 暮らし

 雨は降ってないが雲が濃い。時々月が顔を出すが、すぐに雲に隠れてしまう。今夜も観望は無理だな。

魂の故郷に帰れ(by デロリンマン)

17時42分 思考 天気:薄曇

 夏場なので怪談サイトをうろついているのだが(って眠れなくなるからやめろって)、少しリンクをたどるとオカルト系のサイトに行き当たってしまう。おかげでリーディングだのチャネリングだのヒーリングだのといった代物に少し詳しくなってしまった。リーディングは宇宙のどこぞにある「アカシック・レコード」なる、宇宙開闢以来今までの、そして今からの全ての出来事や"真理"を記録した媒体を自由に読み取ることができる、と主張するものだ。チャネリングはどこぞの親切な宇宙人が頭の中にいろんな事を直接吹き込んでくれる、というものだ。ヒーリングは単に癒すという意味でも使われるが、例によって大変安易そうに"宇宙の真理"やら"隠されたエネルギー"とかいった代物と結び付けられてしまっている。いずれにせよ、なにか「とてつもないもの」が我々の既知の世界の外にあって、それを自由に扱える方法を心得ている、と主張している点では共通している。そしてこれらの能力を持つと主張する人々は、一様に「訓練すれば誰にでもこの能力を持てること」を主張し、「物質文明からの脱却」を叫ぶ。
 奇妙な事実がある。その「物質文明からの脱却」を主張し、かつ自らは脱却していると主張してもいる人々が、それらの能力を他者に使用したり教授したりするときには金を取るのだ。それもたかが1時間のセッションで数万円という、決して安くはない(僕の主観では絶望的に高い)金を取るのだ。この金は何のための取るのか。
 そんな素朴で本質的な質問があるチャネラーのサイトに寄せられていた。開示するだけサイトの責任者は誠実だったといえる。それに対して同調する意見もあったが、サイトの性格もあってなんとかこの矛盾を説明しようとする意見が多かったように思う。すまん、どこのサイトだったか再検索しても見つからないのだ。
 金を取るという行為を合理化しようとする手法には共通点があった。金は「中立的」であると定義するものだ。金額が高かろうが低かろうが修行や各能力の正否には無関係だというものだ。
 だがこのような理屈ではなぜ金を取るのかということをまったく説明できない。単に金が好きだから、と受け取らざるを得ない。もしも真に物質文明を脱却していると主張しているのなら、その物質文明の中枢にある資本という概念そのものを否定しなければならないはずだ。取った金を何に使うのか。他の困っている人を救ったりするという意向は全く見られない。それとも「親切な異星人」が金儲け大好きなのだろうか。そんな馬鹿な。彼らが自らの欲望を満たすために使うのだと考えることに、ほぼ無理はないだろう。彼らは、自らが物質文明(とやら)のしくみにどっぷり漬かり、あまつさえその中での快楽を追い求めているのに、口ではそこからの脱却を主張する。まるで自らは快楽をむさぼりつつ、信者には清貧と喜捨を説いた中世の堕落した僧侶たちのようなものだ。
 これらの人々は明らかに嘘をついている、と僕の直感は告げている。それも悪質な嘘だ。直感だけでなく、上記のように考えれば理屈も通らないことが分かるはずだ。ひどく不誠実な人々だと思う。
 僕の実家が真宗だからこう思うのではないのだが、こうした人々に比べて法然や親鸞といった人々はなんと清廉で壮烈な生き方をしたのだろう。それぞれの信念を通すために時の権力の弾圧を被り、物質的な栄華はまったく手にできなかった。だがその思想は後世に巨大な影響を与えたのだ。精神的な栄華というものがもしあるのなら、これらの先達たちのそれが当たるのではないか。だがかれらの精神を中心に成立していたはずの浄土宗や浄土真宗が、後世にいたって物質的な栄華の中に堕落してしまったことも忘れてはならないと思う。清貧を通すのは難しい。
 少し僕の考えを書いておくと、「アカシック・レコード」なるものの実在はもちろん疑わしい。宇宙は偶然に生まれ、偶然により今の姿ができたに過ぎないだろう。未来も過去も、ランダムな数列が作り出しているに過ぎない。したがってリーディングなるものが成り立つとは思えない。また親切な宇宙人がいていろいろ吹き込んでくれるとも思えない。異星人の存在は疑わしいし(そういう意味で僕はSETIにも懐疑的だ)、たとえいても人間と意思疎通ができるとも思えないのだ。この広い宇宙の、それも地球のごく近くに、人間と様々な論理の通じあえる異星人がいるかどうか、大変疑わしいと思わざるを得ない。例えば人間のごく近い場所にいる犬や猫に、人間の神学や経済学を理解させられるだろうか。まず不可能だ。犬や猫は人間と同じ生命圏に住み、その行動様式や素朴な経済観念(例えば山を登るより脇道を迂回したほうが楽、など)も通じている。その犬猫との意思疎通ができないのに、共通したバックグラウンドをなにも持たないであろう異星人と意思疎通するなど、まずもって不可能に思えるのだ。
 それでもビリーバーたちは信じつづけるだろう。それは問題ない。彼らが何を信じようと、世の中は相変わらず科学主義のイデオロギーを享受しつづけるだろうからだ。だがその物質文明のグラウンドでは、それをいくらかでも良くしようという無数の試行が続いている。破綻をぎりぎりで逃れようと苦闘している人々がいるのだ。その物質文明のグラウンドにありながら、口だけで否定してみせる行為はひどい背信行為ではないだろうか。僕がチャネラーたちに感じるのは、実はそういう部分での怒りなのだ。

2000年06月20日(火曜日)

テーブルから観望

23時41分 星見

 寝る前に、寝室に置いてある文机の上にフィールドスコープを置いて、雲をまとった月を眺めてみた。コンパクト三脚の足を縮めたままで、ちょうど良い高さになる。結構視界も開けている感じだ。
 いいかげん晴れてくれないかな。フィールドスコープの実力を試してみたいものだ。

暑くなってきた

20時40分 暮らし 天気:晴れ風くもり

 次第に暑さが染みてくるようになった。帰宅してドアを開けると室内から暑気がムッと押し寄せてくる感じだ。まだPCが誤動作するほどではないが、食物が傷みやすくなってきただろう。
 夜はそろそろタオルケットだけで充分になってきた。というか、羽毛布団の他はこれしかないんだけど(極端すぎ)。

2000年06月19日(月曜日)

フィールドスコープで空を見る

23時39分 星見

 夜、空はかなり曇ってはいたが、所々雲が薄いところがあり、明るい星ならかろうじて見えた。そこで土曜日に買ったフィールドスコープで空を眺めてみた。
 コンパクト三脚を最大限に伸ばし、その上に載せる。うっかり足を引っ掛けると脚を曲げてしまいそうな細さだ。雲台も遊びが大きい。
 これでさそり座を眺める。雲を通してなのでかなり暗いのだが、まあまあの見え味だろうか。やはり価格が価格なので過剰な期待は禁物というところだろうか。しかし澄んだ空なら実はかなり見えるのかも(過剰な期待中)。軽くて正立象を得られるので、子供へのプレゼントには良さそうだ。
 45度対空の見口は通常の直線型より楽ではあるが、やはり高角度では屈まなければならないのでそれほどでもない。対空は90度の方が良さそうだ。しかし対地では45度のほうがいいのだろう。

みんなのうた

17時37分 テレビ 天気:晴れ的なくもり

 そろそろ今節分のみんなのうたについて書くか。
 新作分。
 山遊歌。中年に差し掛かった友人たちがかつての山歩きの事を思い出している、ってな感じ。山行きたいなー。
 名もない花のように。自分らしく生きるってのは決して自由気ままに生きることばかりじゃないよな。9 to 5で生きていたかつての官公庁の人々も、あるいは彼ららしく生きていただけなのかも。
 はる なつ。南家こうじの絵は良いです。でも見ているとむずがゆくなる。
 再放送分。
 赤い自転車。相変わらず絵が怖いです。人魚、こっちにガンつけんなよな。
 みずうみ。大貫妙子はこういうのも歌ってたんですね。湖畔に立って深い緑色の湖面を眺めているような心的光景。
 雨のてん・てん。河合奈保子もこういうかたちで自分の歌が残るとは思ってもいなかったろう。C.C.さくらの2代目エンディングともども梅雨空にお似合いですな。
 いたずラッコ。もう最高。さびの部分ではいっしょに歌ってます(ただの馬鹿)。ラッコはいいな。

2000年06月18日(日曜日)

よく寝ました

20時34分 暮らし 天気:くもり

 ふと目覚めるともう夜だったのでまた寝た。じゃなくて、いいかげん夕方だったので買い物に出かけた。ふと、明け方にDiabloを始めるという暴挙をやらかしてしまったが故だ。おかげで夕方以降は何もする気力が湧かない。
 これが夜になると目が冴えて、明け方にうとうとした以外は一睡もできなかった。よく寝ると睡眠不足になる。世界は神秘に満ちている。

2000年06月17日(土曜日)

今夜の世紀を越えて

23時32分 思考

 帰宅してふとテレビをつけたら、今夜のNHKスペシャルは世紀を越えてだった。いつもなら日曜日にやるのだが、危ない危ない。
 今夜は今シリーズの最終回、第6回目。実は第5回目を先週録画したまま見てなかったので、順番が逆転してしまった。まあ順番は関係ないシリーズだが。
 今回はシリーズの最終回「自分らしく死にたい」。最終回にふさわしく死を取り上げた。
 アメリカ、オレゴン州では、世界でも例の無い法律が成立し、運用されている。これは余命幾ばくも無く、苦痛を和らげる手段の無い患者に対し、医師が致死量の睡眠薬を処方することを許可する法律だ。医師による自殺幇助と呼ばれている。
 オレゴン州に住むある女性は、肺機能が次第に低下するという病気により、余命半年と診断されていた。彼女は自分がかかった病気に関して徹底的に調べ、自分が既に末期であることと、そしてこの病気が末期に大変な苦痛を味あわせるものである事を知った。彼女は主治医に法律に基づいた自殺用睡眠薬の処方を依頼するとともに、その法律で定められた別の医師による診断を受けた。法律では、まず主治医に処方を口頭で依頼するとともに、余命半年以下であるという診断書を得る。次に別の医師による同様の診断書を得て、初めて書面による処方の依頼をする。そこでさらに時間を置き、再び口頭で処方を依頼すると、初めて自殺用の睡眠薬を得ることができる。それを使用するかどうかは、後は患者の自由意志にゆだねられるのだ。
 この女性は自分の容態が油断なら無いことから、一刻も早く処方を受けたかったのだが、二人目の医師の診断は意外なことに余命1年以上というものだった。
 このような処方を受けた患者は、既に40人以上に上っていると見られている。
 州内の別の女性は、筋肉が無力になる病気にかかり、やはりこの処方を受けた。彼女は自分が完全に無力化し、家族に迷惑をかけることを避けたかったのだ。自分がそのような状態になる前に自ら命を絶つのが、自分の尊厳を守ることだと考えたのだ。死ぬときは自分で決めたい、というのだ。そしてこの女性は、処方を受けた薬を間を置かず服用することに決めた。
 彼女は家族と、処方する医師の囲む中、自宅で服用した。それは彼女なりの尊厳ある死だったが、しかし家族や医師に波紋を投げかけるものとなった。夫は妻の"自殺"に耐えられず、別室に逃れ、しかし進行している事態に耐えられず、さらに車で近くの海岸へと向かった。そこは妻との想い出の海岸だった。彼はとうとう妻の死に立ち会わなかった。
 子供たちも自分を育ててくれた母親の死の手助けをしなければならなかったことに、それぞれ複雑な思いを抱いた。医師にとっても耐えがたいことだった。本来、患者の命を例えわずかでも延ばすことを正義とする医療の現場では、積極的に死へと導くこのような処方への抵抗が大きいのも当然のことだろう。
 この女性は長い眠りの後、そのまま事切れたという。
 医師による自殺幇助への風当たりは強い。オレゴン州の他にも三つの州で同様の法律の制定が叫ばれたが、強い反対にあっていずれも否決されている。また連邦議会でも強い非難を浴び、医師による自殺幇助を禁じる法律の制定も目論まれている。「死へと逃れることなく、一分一秒でも長く生きることが絶対的な正義だ」というわけなのだろうか。だがそれはどういう正義なのだろう。
 最初の女性はこの動きを見ながら、「あの人たちは本当に死にかかっている人間の事などわかってはいない」と切り捨てる。彼女の苦しみの質を理解してないというのだ。「あの人たちは私を拷問にかけている」とまでいう。彼女はそこまでして生きる意味がないと感じている。しかも耐えがたい苦痛に耐えながら生きるなんて。それを命を危険に曝されてもいない議員たちが勝手に「生きろ」と命じるのは耐えがたいことだ、ということなのだろう。
 しかしオレゴン州のこの法律は世界に類例の無いものだ。日本でもホスピスの普及などによって終末医療への関心が高まってはいるが、積極的な自殺やその幇助までは視程に入っていない。苦痛を和らげつつ、末期の時を自然に迎えようというのがその全てだ。日本でも短い生を続ける意味を見失い、自殺を図ったり、周囲に殺害を依頼する患者がいるという。だがそれらは心のケアにより、かなりの程度回復できるものらしい。だが最初の女性の例でいえば、その苦痛は心の不安とは別の次元に属するといえる。
 オランダでは、積極的に医師による自殺「介助」が認められている。自殺幇助というレベルではなく、医師により致死性の薬物の注入などが、社会全体で容認されているのだ。余命幾ばくも無く、治療方法が無く、苦痛を緩和する手段も無く、本人の意思が明示されている場合、オランダの医師は患者の命を終わらせる手助けができるというのだ。この場合、医師に関しては犯罪として記録に残るものの、罪に問われることは無い。そしてこの慣習を法律化しようという動きがあり、成立する見込みだという。日本でも積極的な自殺介助は認められていないものの、自殺介助の基準(それを逸脱すれば殺人に問われる基準)としてオランダのそれと同様のものとする判例が出ている。
 このように、死生観は変わりつつある。生を絶対的な正義とみなす近代の死生観は、生をそれを遂行するに足る価値があるかどうかで決める、相対的な死生観へと取って代わられつつあるように見える。しかし注意しなければならないことは、死が個人的な価値観では決して決まらないものだということだ。その意味では死の価値(生の価値でもある)は、以前から相対的であるのがふつうだったということだろう。僕たちは、生がたまたま絶対的な正義であるかのように映る異常な時代を生きてきたというに過ぎないのではないか。
 そして死は死する者だけにとって意味を持つのではない。残されていく家族の痛みを思えば、死する人は長く痛みを耐えなければならないと感じるかもしれない。逆にその痛みを思うとき、周囲の人々は、そして医師は死の痛みに耐えなければならないのかもしれない。その判定基準を死する当人へと委ねようというのが、僕たちが受け容れつつある新しい死生観の正体なのではないだろうか。いずれにせよ、死は案外多くの時代、その個人の自由意志に委ねられてきたように見える。
 最初の女性は、二人目の医師による診断を得られないうちに、とうとう激しい呼吸困難のうちに死に至った。逃げているのではと勘ぐりたくなるような二人目の医師の態度や、連邦議会での対抗法案制定の動きなどの雑音に悩まされながらの最期は、さぞかし不本意だったろう。

フィールドスコープを買った

20時29分 星見 天気:雨

 前日、朝まで起きていたので(なにやってんだか)、目覚めるともう昼。今日は秋葉に行くつもりなので早く起きるつもりだったのに......なにやってんだか。ともかく起き出して、15:00頃に出かけた。
 秋葉では電気街口に出て、まずは若松の地下に向かった。先週品切れで買いそびれた、Palm用折りたたみキーボードを買うつもりだった。しかしなんと今日も品切れ。M専にも無いようだ。うーん、ボーナス需要のせいだろうか。
 その足で(って、だからいちいち足付け替えてんじゃねーよ)中央線の高架をくぐり、スターベースに向かった。ここでしばし手頃な双眼鏡の類を溜めつ眇めつ(すがめつ、ってこんな字を書いたのか)眺めまわす。ここではMIZAR(またかよ!)の20mm単眼鏡が気になった。これは20mmのコンパクト双眼鏡の片側だけを使ったものだ。どうもこういう小物に弱い俺様だった。
 しかしとりあえずは先週気に入ったスターベースブランドの50mmフィールドスコープを買った。
 この時、別の若い衆(って町内会の年よりかっ)がミューロン210について店員に尋ねていた。ふふふ、なかなか良い目の付け所だね。僕はミューロン180が欲しいのだが、来週はスターベースの特別セールで、ミューロン210の中古が2本出回ることになっているのだよ。ちょっとでかすぎなので僕は手が出ないが。
 秋葉原駅へ戻る途中、カメラ屋で8段式コンパクト三脚を買った。雲台はぐらぐらだし、足も伸張すると華奢そうで不安なのだが、もっと軽くて安いのはさらに悲惨なので5000円位ので手を打った。一瞬、モノポッドもいいかなと思ったが、それほど軽くも安くもなさそうなので見送り。武器にはなりそうだな。
 帰って、コンパクト三脚に50mmフィールドスコープを載せてみた。このスコープ、安い(9800円)のでOEMかなにかかと思ったら、説明書はちゃんとタカハシ鉄工所謹製だった。重い高い頑丈、というWW2時のグラマンのようなタカハシ製望遠鏡からは想像もつかないくらい軽い。プラスチック製のようだ。口径50mmで、見口はちゃんと45度の傾斜型である。もちろん、この価格ではズームはついてないが、気軽に持ち運べる軽さではある。
 これでアパートの前の学校を眺めてみた。19:00ともなると、夏至が近いこの季節でも、かなり暗くなってきている。それでよく見えるかというと、まあ値段相応だろう。よく見えるという印象でもない。もっとも、望遠鏡にとってはそんなに良い条件ではないのだが。
 しかし構造的にシンプルで、防滴型なので、気軽に使いまわせそうだ。
 この三脚にE950を載せて、高感度設定(ISO400程度?)で夕暮れの町並みを写してみた。これが結構良く写る。20mくらい離れた紫陽花を撮ってみたのだが、この悪条件でも花びら一枚一枚を分離できそうなくらいに撮れた。いやこれはたいしたものだ。惚れ直したぜ、E950。
 旅に出るときは、コンパクト三脚とフィールドスコープとE950を持って出よう。

2000年06月16日(金曜日)

皇太后逝く

20時27分 思考

 皇太后、つまり昭和天皇の奥さんが亡くなった。この場合は明らかに神式なので、きっと冥福は祈っても差し支えないだろう。仏教的には冥福など無意味だろうから。
 激動、というにもあまりにも凄まじい疾風怒濤の時代となった昭和を生き通した彼女の生涯は、春風駘蕩とした平安時代の皇后たちとは質的に異なっていただろうと思う。昭和天皇が戦争を始めたとも終わらせたとも思わないが(とはいえ無関係ともいえない)、彼女の内助の功が昭和天皇を支え、戦争終結に多少なりとも好影響を与えただろうと評価したい。敗戦という局面で、夫が、そして自分が戦犯に問われないか不安の日々を過ごしただろう。もちろん、天皇制を支えたという意味で、WW2時のおびただしい死者に責任を負わねばならない立場だったともいえる。しかしそれは、おおよそ個人が負いうる責任の範疇を逸脱しているのではないか。むしろ天皇という神格的個人に国家の存在理由の根拠を置いた戦前の日本が間違っていたのだというべきだろう。
 彼女には冥福よりも必要なものがあるはずだ。お疲れ様、そしておやすみなさい。

Diablo効果?

13時24分 ゲーム 天気:はれのちくもり

 このところ、妙にアクセスカウントが増えている。すわクラックかとアクセスログを見てみると、Club E950掲示板からとYahooからのアクセスが急増しているのが分かった。前者は単によく見られる掲示板にURIを置いたことによる効果だ。しかし後者は何年も前に登録して塩漬け中のコンテンツへのアクセスが、最近になってまた増えているのである。Diablo2の発売が(やっと、ようやく)7/1と確定したため、Diablo2関係の情報を求めてアクセスしてくるユーザが多いようだ。もう長い間更新してないコンテンツなので、見てもつまんないと思うが。なんだかペテンにかけたようで申し訳ないような気もする。
 それにしてもDiablo2がでたら、また日記を書いちゃうんだろうか。へへへ、楽しみだ(^^)

2000年06月15日(木曜日)

今夜の観望

23時33分 星見 天気:晴れ

 天気が続いている。今夜も晴れていた。うれしい。
 真夜中0:00くらいに100EDをベランダに出した。月がちょうど西に傾き始めた頃だ。月はアンタレスの真上にかかり、ほぼ満月だ。
 ファインダーに月を収め、SW18mmにバローレンズをつけて眺める。満月に近いので月には陰影が乏しく、その代わりにティコの光輝が月の直径の半ば以上に伸びている。LV4mmに替えて細部を眺めると、今夜は結構はっきりとした細部までが見える。
 月に飽きたのでM6、M7を探してさそり座に向けてみた。しかし今夜は明るい月のせいでシーイングは4/10程度だろうか。明るい星のほかははっきり見えない。M7でさえ見つけられなかった。いて座方面も同じ事だ。もう少し東天のほうではいま少しましだが、いずれにせよ月の暴力的明るさのせいで空は真っ白だ。この状況ではワイドビノでは星座さえもなかなか判然としない。むしろ10*42双眼鏡で見たほうが分かりやすいくらいだ。
 20*80双眼鏡を出してさらにM7を探したが、これでも空は真っ白に見えるだけだった。むしろ月からのStray Lightで双眼鏡の視界が光るのが分かるくらいだった。
 しばし月を眺めてから撤収。

2000年06月14日(水曜日)

そして久しぶりの観望

23時32分 星見

 早く帰宅したのだが、あまりに眠いので布団にもぐりこんでしばし爆睡した。ここ数日の睡眠時間は無茶苦茶だったからなあ。
 目覚めたのは10時過ぎ。雑用を片付けながら夜空に目をやると、満月に近い月がかかっている。残念ながら薄い雲がかかっているようだ。
 食事をとり、風呂に入って、ベランダに100EDを出した。過去の日記を読むと6/6以来のことだ。
 ワイドビノで夜空を見渡すと、明るい星がぽつぽつとは見える。しかし相変わらず薄雲がかかっているようで、さほど鮮明には見えない。特に低高度はまったく見えない。しかし明るい星が見えれば、ファインダーの調節には使える。
 タカハシ製の6*30ファインダーを覗き込んでみた。こりゃまた良く見える。割とクリアに、かつ結構な広視界が広がっていた。スターベースの店員さんはタカハシの7*50mmを「よく見えるんですがねえ」といっていた(僕の「高い」という文句に対し)が、30mmでこれなら50mmは確かに良く見えるのだろう。
 ファインダーの中央にいて座の星を一つ収め、それを100EDSWK22mmの視界で確認してみると、そんなに外れてない位置にあった。それを SWK22mmの視界中央に持ってきて、今度はファインダーを調整して中央に持ってこようとした。ファインダーは台座に3本のねじで支えられていて、これで押し引きすることで調節できる。この方式は伝統的なやり方で、大昔に持っていたVixenの60mm屈折式も同じ方式を採っていた。しかしこの方式は直感的でない。一方向に動かすのに、大抵3本のねじ全てを調節しなけばならないのだ。苦労しながら中央に持ってこようとした。しかし押し側のねじの限界まできても、中央まで少し足らない。ふたたび100ED側を見て中央に調節し、再度ファインダーを調節しようとしたが、やはりそこまで動かない。ファインダーを左眼で見やすいように鏡筒右側に持ってきたのだが、そのために可動範囲を越えてしまったのだろうか。
 少し考えて、六角レンチを取り出した。ファインダーの足は鏡筒にボルトで取り付けられているのだが、そちらの調整も必要だろうと気づいたのだ。少し緩め、わずかにずらして取り付け、再度ファインダーを調整すると、今度はちゃんと中央に持ってこれた。やれやれ。
 さあ、適当な星を見てやろうと夜空に目を走らせたが、その頃には既に刷毛で刷いたような薄雲が空を埋め尽くしつつあった。仕方無しにいて座の明るい星をいくつか入れてファインダーの効果を確かめ、西に沈みつつある月に向けた。
 ファインダーを月の中央に合わせ、100ED側を覗き込むと、ドンピシャリの位置に月が入っていた。いやあたりまえなのだが、便利なので感動。
 アイピースをSWKmm22からMeadeSW18mmに変えた。SWKは安価軽量故かフィルタ取り付けねじを切ってないのだが(プラスチック製故ということもありそうだ)、SW18mmはさすがに切ってある。そこにムーンフィルタをねじ込んで月を眺めると、広視界の中央に月がこじんまりと収まっている。今ひとつ面白みにかける。そこでLV4mmに変えて拡大してみた。今夜の月は満月近いので、ティコの全貌がはっきりと見える。しかし雲が多く、高倍率ではぼやけてしまう。ここで一つ発見。LVの見口のゴムを折り返すと、メガネをかけたままのぞくことができるのだ。って大発見みたいに書くが、LVの長いアイリリーフはまさしくそういう効果を狙ったものだ。同じようにSW18mmもメガネのまま見える。しかしSWKはあまりのアイリリーフの短さにそれが不能なのだ。まあメガネを外せばいいし、値段が値段なので文句はいうまい。
 ふと、SW18mmにバローレンズを組み合わせたらどうだろうと思った。BORGの2.2倍バローレンズにSW18mmを取り付け、覗き込んだ。すると視界のほぼいっぱいに月が収まっている。満月を見渡すのにちょうどいいサイズだ。こりゃあいい。しばらく月の表情を眺めて楽しんだ。この状態でもSWにはフィルタが取り付けられる。
 しばらく月を眺めていたが、雲がいよいよ増えてきたので撤収した。次に夜空を眺められる日はいつだろう。

久しぶりの青空

18時31分 暮らし 天気:雨のちくもり

 朝方、雨が降っていたのだが、昼にはあがり、夕方には青空さえのぞいていた。
 寒気でも入り込んできたのか、気温はさほどに上がらない。涼しい風が吹いている。しのぎやすい日だった。

2000年06月13日(火曜日)

幽霊

23時29分 思考

 結構怖い心霊話サイトを見つけた。 ここはテケテケもの、湖から無数の手ものなどの類型が少ないので、なかなか楽しめるサイトだ。といっても夜遅くに読む気にはなれませんが。
 こうした心霊話に仏僧(フランスの坊さんにあらず)が出てきて人間の霊魂に関して実しやかに説諭するということがしばしば書かれているのだが、これは本来の仏教からいえば噴飯もののことなのだそうだ。本来、仏教は魂のような永劫普遍のものの存在を認めていない。これが絶対神だのなんだのを教義とする他の宗教との違いだ。我々が目にするところの世界には、永劫普遍に変わらぬものなど何一つありはしない。そのような観測から、移ろい行く諸々のものへの執着を捨てるために修行し、そのような心の平静を得よというのが仏陀の主張らしい。何かをひたすら信ぜよとは説いていない。原始仏典には「信仰を捨てよ」とまであるという。原始仏教は自らを信仰ではないとみなしていた、ということらしい。
 そういう本来の仏教の姿からすれば、事あるごとに魂だの死後の世界だのが語られ、織田無道のような人まで闊歩する日本の仏教は堕落しているともいえる。しかし古来からの御霊信仰とシームレスに接続できる霊魂説を採らないで仏教の興隆があったとも思えない。
 急いで付け加えておくと、仏教では魂の存在を否定してはいない。しかしそのようにあるのかないのか分からないものを語ることは無意義だという立場から、少なくとも原始仏教では魂に関して何も語っていない。仏陀も「魂はあるのですか」とか「死後の世界はどうなのでしょう」とかいった人間の知覚の及ばない世界に関する質問に対し、沈黙を守ったという。そのようなあるのかないのか分からない事に関わりあうよりは、現実に存在する病老貧苦などの災いを克服せよというのが仏陀の態度だった、らしい。
 こんな話を聞くと、例えば超心理学の発展で霊魂や死後の世界の実在が明らかになったら、仏教者はどうするのだろうと思ってしまう。それを取り込んだ新しい教義を発展させるのだろうか。それとも所詮外道の説として切り捨ててしまうのだろうか。確かに、人間の知覚と言う問題に関して、現代科学と仏教とでは大きな隔たりがあるように感じる。
 ともあれ、仏教的には魂は「無い」として良い。少なくとも、それは人間には知覚し得ない世界のことだ。また科学的、唯物論的な態度を取っても魂は存在しない。幽霊なんていやしないのだ。
 とまで考えてはいてもやっぱり幽霊は怖いのである。だって、我々の想像も及ばぬなにかが存在するかもしれないじゃないですか。それを僕の頭のどこかが恐れつづけているのだ。

耳が......

18時28分 暮らし 天気:雨に次ぐ雨

 朝、目が覚めたとき、左の耳が詰まった感じで聞こえなくなっていた。気持ち悪いなーと思いながら出勤の準備をしているうちに直ってしまったが。ここ数年、内耳の管が細くなったのか、病気をすると耳が詰まりやすくなっている。あるいはストレスかもしれない。海老名にいた頃の上司が、ストレスからくる難聴で名古屋送還の刑に処された事もあった。人間の体は心の状況に正直に反応するのだな。

2000年06月12日(月曜日)

復活

23時27分 暮らし

 夕方に起き出してもまだ8割頭だったので、気合を入れるために焼きそばを作ってビールを流し込んだ。これが効いたのか、ようやく頭がしゃっきりしてくれた。ってアル中かい。
 起き出して、Hページに手を入れ、BBSの調整に手をつけた。怪しい雑談ページをさらに怪しくして、リンクページも天文関係を大幅に充実させた。なんだか初志と違うページになってきたなあ。最初はPCとDiablo(爆)のページだったんだけど。
 Diablo2関連の情報も、発売が決まって急激に増えているようだ。そろそろうずうずしてきたぞっと。

雨だな

18時25分 暮らし 天気:雨々です BGM:Rain Song/Led Zeppelin

 前日からの不快な感じはまるで改善されない。こういうときには汗をかけば何とかなるのだが、季節柄不快な、ねっとりした汗をかくばかりで、体温の降下には役立ちそうにない。さっくり休みましょう。しかし休出して翌日休みか。なにしてるのやら。
 布団に寝転がって、雨の音に耳を傾けていた。どうせ休むのならば、晴れの日より雨の日がいい。雨の日の静けさが心を安らわせてくれる。物理的には音量は増えているはずだけど、不思議な現象だね。人間の心の働きというものは不思議だ。
 それにしても今年の梅雨は梅雨らしい梅雨だな。例年、入梅後もしばらくは空梅雨という状況があたりまえだったのに。今年の梅雨前線は気合が入っている。おかげで星空を見たい僕は割を食っています。とほほ。
 ふと気づくと、もう夕方になっている。そろそろ日が暮れ始める時刻だった。今日は眠りに眠った日だったな。
 書くまでもないことだと思うが、雨なので観望は不可能です。

2000年06月11日(日曜日)

新掲示板設置

23時23分 インターネット

 HP-UXに完敗を喫した俺様は、身も心も疲れ果てて帰宅した。が、すげー調子が悪い。異常な眠さと異様な不快感にのた打ち回りつつ、布団で寝込んでしまった。その前にNHKスペシャルはちゃっかりビデオ予約しておいた。
 目覚めるともう1時過ぎ。とりあえず風呂に入ってまた布団にもぐりこんだが、今度は目が冴えて寝付けない。不快だ。
 やむなく起き出して、ぼんやりネット撃沈される(やっぱ受身であるべきだよな)。ネットの海は紛争が絶えず、行く雲の形は絶えず移ろい行き、世は並べて平和である(意味不明)。
 ふとDiablo2の情報を検索したら、7/1に発売の文字が。待ってました! そろそろDiablo2のページを作っておくか。
 いい機会なので、新しい掲示板を立ち上げた。今は久遠さんからの借り物だが、久遠さんとの関係を見直したい(手を切りたいの婉曲表現)ので、現掲示板は破棄、新掲示板に完全移行することにした。長い間どうもありがとうございました>久遠
 新掲示板は、あちゃいんさんのwebbbsを導入。通常のperlベースのものではなく、C++による掲示板だ。g++によるmakeの必要がある。前にairnetに導入しようとしたときには、airnetの環境にライブラリが足りず、makeできなかった。しかしあちゃいんさんはBig-netにも設置しているので、こちらなら確実なのだ。事実、問題なくmakeできた。
 設置したのは日記感想用BBSと雑談用。雑談用はらぶりぃである(謎)。

休出

19時22分 暮らし 天気:くもりと雨

 雨の中、会社に向かった。仕事が終わらねー、と喚きつつマシンの近辺をうろうろ。本当に終わらない。HP-UXへのパッチ当てって、どうしてこんなに面倒なんだ!(これでもテキストをシェルに食わせて.depotを得てswinstallと簡略化されてはいる)。おまけにJava2の前提パッチとして挙げられているもののいくつかは、HPの個別パッチデポでも見つからない。リプレースされているのがあるようだが、それがJava2の前提パッチに反映されてないのだな。とりあえず当てられるだけ当てておく。
 それで起動すると......Java2アプリケーションが起動できないでやんの(T-T)(身も世もなく泣き崩れる)。パッチ当てる前は起動できてたやん。なぜだ、フィオリーナ!(あんまり関係ないよな)。

2000年06月10日(土曜日)

いろいろ買い物

22時42分 暮らし 天気:くもりです

 昨日、無事にボーナスが支給されたので、さっそくモノを買い物に出かけた。
 秋葉に出かけ、まずは協栄に向かった。先週、ビクセンのファインダーが入るでしょう、といっていたのを憶えていたからだ。ところが店員さんに聞いてみると、まだ入ってないという。「電話を下さってからいらしていただければ......」と店員さんはいっていたが、なに、他に用事はあるのでお気になさらず。
 じゃあスターベースに行こうかと思ったが、先に若松に寄った。ここでWorkPadc3(8MB)を買うつもりだったのだ。が、店内を見回しても見当たらない。カウンターで言えば出してくれるのだろうが、張り紙も見当たらなかったので、他を当たってみた。結局、M専にて4万円でゲット。思ったより安かったな。さらに折りたたみキーボードを買おうと若松に引き返したが、今日は品切れの様子。うう、思ったより売れているようだな。確かに、そそるアイテムではある。
 やむなくここではボールペン内蔵スタイラスペンを買い(しかしサイズ違いでPalm3系にしか刺さらなかった)、T-Zoneに入ったが、ここでも折りたたみキーボードは見つからない。液晶保護シートと皮製バインダーを買って出た。
 その足で高架をくぐり、スターベースに。ここで店員さんにBORGに着くファインダーのことを聞くと、いろいろ出してくれた。MIZARやタカハシのモノがここにはあった。MIZARの変な形の正立ファインダーはそそるが、口径が20mmと小さいのでパス。50mm級のとしてはタカハシの物があったが、値段は本体だけで2万以上する。結局、タカハシの6*30+足を15000円で買った。帰ろうかと思ってスターベースの店内に目をやると、いろいろ面白いものに気づいた。まず、前から欲しかったミューロン180+経緯台セットがあったことだ。経緯台は本当に頑丈そうで、かなり大きいミューロン180も軽々とハンドリングできそうだった。微動ノブも軽いし、本当にそそる。近々、C8の中古をなるべく安く買うつもりだが、それでもこの望遠鏡なら観望用に欲しいところだ。またTeegul100という小さなカセグレン式望遠鏡も面白そうだった。100ED持ってなかったら買ったかも。またタカハシ製の50mm フィールドスコープが9800円。これもそそるが、荷物が多かったので今回はパス。その後は丸五に寄ってとんかつを食らって帰った。
 帰って、まずはファインダーに取り付けてみる。実は、家を出る前にBORGの付属部品をやりくりして、ヘリコイドにアメリカンサイズを挿せる構成が実現できることに気づいていたのだ。そこにファインダーを着ける。全長がタレットの無い分だけコンパクトになり、そこにファインダーがついたのでますます精悍なスタイルになった。かっこいいぜ、俺のスーパーボーグ!(どの辺がスーパーだ)。これなら携行バッグにもすぐに収まりそうだ。ファインダーの足もタカハシ製だが、鋳物のがっちりしたものだった。
 続いてWorkPadc3(PalmVx)のセットアップを。これは寝室の文机に置いてあるPortege660CDTに着けた。いろいろなアプリをインストールして、大型辞書を放り込んでも、まだ4MBも余っている。これは使い出がありそうだ。
 また日本語OS3.5は細かい部分で改良されているので、ますますPalmが使いやすくなっている。これでインターネットアクセスしようとは思わないが、可能性はいろんな意味で開けている機械だ。

2000年06月09日(金曜日)

News23でのR.村上 v.s. 筑紫哲也

23時39分 テレビ

 この間インターネット中継されたR.村上と筑紫哲也の対談が、News23で放映された。時間的に15分程度のごく短いものだったので、ほとんど要約というレベルだった。まあ移り気な視聴者は深い議論なんざ聞きたくないのだろう。
 対談そのものは筑紫による「共生虫」の予言性に対する指摘に始まった。村上は自分の中で"引きこもり"をシミュレートしたらああなっただけだとかわす。
 対談では、'90年代に入っての相次ぐ経済的社会的破綻を子供たちがつぶさに見て、大人への信頼を喪失した点を指摘している。また少年の犯罪に対する社会全体のばかげて過敏な反応が、自己の位置を見失って犯罪に走る少年たち(とは限らないと思うが)に付け入る隙を与えているとも指摘している。
 これはどういう意味か。大きな犯罪を起こした少年たちの言動を見ていると、何か漠然としたもの、例えば学校、例えば社会に対する復讐というニュアンスが引き出される。この対談でも語られたように、語彙の少ない少年たちの言葉を額面どおり受け取るのは危険だ。だが漠然とした目標に向けられた漠然とした感情というものの存在は明らかだ。そこで自分が起こした犯罪に対し、社会全体があたかもこの世の終わりのような反応を示すことは、犯罪者だけでなく、その予備軍たる少年たちにも達成感を与えてしまうということだと思われる。
 村上は、「子供はもっと愚かであっていいのでは」という。まだ幼いうちからなにかを悟ったように感じ、未来への閉塞感を抱く子供の多いことに、村上は懸念を抱いているようだ。
 それと矛盾するようだが、と村上は前置きを置いて、「戦略的に生きろ」とも語った。自分が何をしたいかを見極め、それを達成していくような生き方をしろというのだ。
 しかしこの前後の論理の乖離は大きい。悟ること、何か結論を出すことを回避しながら、自分の進む道を見極めるというのは本当に可能なのだろうか。この辺、実は村上もまだ未整理の問題なのだと感じた点だ。
 一方筑紫は「モデルの不在」を指摘した。戦前は大将か大臣か、戦後はもう少し具現化して本田総一郎やビル・ゲイツ(マジかよ)か、というモデルがあり、それを目指すというある意味戦略的な生き方が可能だった。ところが今、少年たちには成りたい者がないというのだ。そして筑紫は、そこには肯定的な意味もあるという。多様な生き方を、自分で決めることができるのだから。しかし「モデル探し」をしてしまうのは、これはもう人情というものではないだろうか。
 僕が感じたのは、少年たちの"語る技術"の貧困さは、彼ら自身を苦しめているのではないかというものだ。人間は苦痛を感じたらそれを人に訴えたり、訴えることが出来なくても自分の内部で言語化してその根源と対決することができる。しかし今、子供たちは語ることが苦手になっている。語るということは語彙だけの問題ではない。まず語るべき事項の持つ意味性、それら相互の関連する論理性をも理解し、きちんと行使することが重要だ。また語るべき事項が、現代ではあまりにも複雑になりすぎていることも指摘できるだろう。「ちびくろサンボ」が善だった、あるいは悪だった時代のなんと単純だったことか。
 "語る技術"は、語彙を習得し、それを文法に沿って幾度となく繰り返し使用することで得られるものだ。そこには必ず訓練という要素が必要とされるだろう。しかし教育の現場では訓練という要素が次第に軽視されているように感じている。「個性」という魔物に囚われすぎて、軍隊の記憶を呼び覚まさせる訓練という要素を、現場の教師が次第に排除しつつあるのではないかと勘ぐってしまう。
 語る、ということは人間の生活史全てに関わってくるものだから、いずれにせよ少年に自らを積極的に語らせるように、社会の様々な局面で働きかけていくのが筋ではないだろうか。
 この対談、時々インターネットのBBSでのメッセージを拾い読みしながら進んだ。この点だけはインターネット公開の意味があったといえるだろう。

いや今朝は凄かった

20時38分 暮らし 天気:暴風雨

 目覚めると、外は大荒れの天気。風が、いや暴風が雨戸を叩きのめしている。台風でも来たのかと飛び起きてしまった。
 出社のためにこわごわ外に出たが、しかし雨はそれほどでもない。また風も(その瞬間は)それほどでもないように思えた。
「でも濡れるとヤだから傘差そうっと」
 しゅばっ。びしっ。
 その瞬間にタイミング良く吹いた強風に、一瞬のうちに傘がひん曲げられる(笑)。笑うしかない状況だ。それでも雨がそれほどでもなかったので、傘を更生させつつ駅に急いだ。
 昼の間は雨が叩きつけるように降る豪雨だった。今年の入梅は派手だ。例年、ひっそりと入梅していたのに。
 幸運が重なって、帰宅時にも雨はほとんど降っていない。足早に帰宅を急いだ。

2000年06月08日(木曜日)

蒸し暑い

23時37分 暮らし

 帰宅した途端、湿気の高さと高温に、うわっとなった。慌ててエアコンを除湿に入れる。うーん、快適。文明の利器だぜ。しかしそれは掻き曇っているので、今夜の観望はなしでした。

ソース盗用疑惑

20時33分 コンピュータ 天気:晴れのち雨

 ご存知の方も多いとは思うが、PSION用に無償開示されているMUAのソース盗用疑惑が持ち上がっている。
 あるグループがJM5というMUAを無償開示していたのだが、そのソースコードを営利企業であるパックス社が盗用していると彼らは主張している。一瞬、「あのバックスが?」とわが目を疑ってしまったが、幸い半濁点らしいぞっと。
 そのグループは、パックス社が販売しているJ MailというMUAのSMTP処理部(メール送信部)は、JM5の盗用であるとしている。根拠の一つはJ Mailのメッセージの一部がJM5のそれと同じというものだ。JM5では作者の趣味を反映して特徴的なメッセージを出すことがある(たとえば1バイトカナコードを使った場合とか。「ふつ~XXでしょう」とかいわれちゃうのかな)が、それはJ Mailでも引き継がれているというのだ。またJM5ではメール原稿に特殊な書式を必要としているらしいが、それもそっくり引き継がれているというのだ。さらにJM5開発者グループの様々な解析結果でも結果は"クロ"だという。
 さらにまずいことに、同社はモバイルニュース誌の問い合わせメールに対し、この問題自身の認知を拒んでいるらしい。こうした重要な問い合わせに対しては社内のしかるべき責任者に確認を取ったはずであり、当然パックス社の公式回答と見るべきだ。つまりパックス社は、盗用事実の否認ではなく、事件の存在を否認しているのであり、これはかなり異常な態度といわざるを得ない。
 今のところ、僕の印象は、限りなくクロに近い灰色というものだ。ソースコード盗用云々はそれらのユーザやコアな開発者にしか正確には判定しがたいが、パックス社の対応は盗作の事実をほぼ認めているとさえいえる。
 こうした盗用疑惑は結構あちこちであるものだ。パソコン通信時代からソースコードを盗用する行為は後を絶たない。こうした盗用が多発する背景になっているのは、オープンソースとか、フリーソフトウェアとかいった開示形態に対する無知があるものと思われる。オープンソースといってもSUNのそれとIBMのそれは違うし、GPLとはさらに違う。また固有の条件で開示している作者も多数存在するのだ。それらをひとくくりにして「フリーソフト」とかいった曖昧な総称でハンドリングしてしまい、「ようするにタダで使えるんだろう」と乱暴に扱ってしまう風潮が背景にあると思う。インターネットリソースなどで入手可能なソフトウェアを、乱雑に「オンラインソフト」とかいった恥ずかしい名前で呼んでしまう風潮も、これに近いものを感じさせる。いずれにせよ、それぞれの作者が主張する権利は、それが社会正義(またかよ)に反しない限り守られなければならないと思う。それを怠る人のなんと多いことか。
 今回の疑惑がどう収束するか予断を許さないが、ソースコード開示に対する関心が高まっている昨今だけに、かなりのインパクトを与えそうな気がする。

2000年06月07日(水曜日)

観望はなし

23時32分 星見

 帰宅して、夕食を作ったところであまりの気分の悪さにダウンした。頭痛がして、嫌な汗をかく。布団にもぐりこんでしばし寝込んだ。
 起きだしたのは1:30頃。空は晴れているはずだが、今夜はベランダに出る気にはなれなかった。
 それでも寝る前にMIZAR10*42を空に向けては見たが、思ったより低高度の星が冴えない。空がうっすら光って見えるので、薄雲がかかっているようだ。
 週末に晴れてくれよと願いつつ就眠。

R.村上 v.s. 筑紫哲也続報

22時30分 インターネット 天気:晴れ

 この件、「共生虫」サイトの専用BBSを読む限り、途中くらいまでろくに音声が聞こえなかったようだ。恐らく、スタッフの経験不足が原因だったのだろう。
 この掲示板、パスワードロックかなんかかけているのかと思いきや、単にURIを秘密にして希望者にメールで通知しただけのようだ。これでは第三者の闖入を効果的に防げず、事実途中から闖入者のノイズが多くなっていった。
 しかしそのノイズを分析してみると、議論する上で必然的に生じる感情的ノイズだけでなく、単に人目をひくために取る異常行動も目立っている。ようするに「私を認めて」という奴だ。バスジャック犯の少年にも人生の経験値として殺人を犯した少年にも同じような気持ちはあった筈だ。これは彼ら犯罪者だけが異常なのではなく、それ以外の僕たちにも似たようなバックグラウンドがあることを示している。
 対談の内容に話を持っていきたいのだが、中継を視聴してないし、本放送は金曜日なのでまだ詳細はわからない。しかし前記掲示板での反応を見ると、対談がすっきりとした結論を出せないまま終わったことを批判しているものが多いように思える。しかしそれは仕方ないのではないだろうか。ここでの話題は日本の対中政策とか干潟干拓とかいった比較的ソリッドな問題ではなく、少年犯罪というそれ自身が多面的で同時多発的な問題なのだから。そこには無数の個人的事情と無数の偶然が絡み合っているはずだ。少年犯罪という言葉自身に絡む曖昧性も指摘しうるだろう(つまり少年とは社会的な定義だという類の)。
 その解は当然「なんでもあり」になるだろうと思う。つまり、無数の個人的偶然的状況を解きほぐしてやるには、それぞれに対してアドホックに戦っていくしかないだろうと思うのだ。それをなにか戦争で秘密兵器を使うように一つの手段で一気に解決できるだろうとは、どこの誰も思ってはいないのではないだろうか。ある少年に対しては宗教家が解決に適しているかもしれない。ある少年には戸塚ヨットスクールのような(まあ極端に言えば)純暴力的教育が適するかもしれない。ある少年は猫を一匹殺して見せたら立ち直るかもしれない(誌的だ)。それは第三者には分からない。しかし当事者とすれば、とにかく当面は手当たり次第に試してみるしかないのではないかと思う。
 それらの無数の試行の中から、貴重な知識が得られてゆくのだ。それを体系化してマニュアルを作るのは、これからの話ではないだろうか。今の時点でマニュアルが揃うとはとても思えない。
 僕が思うに、もっとも必要な処置は、少年犯罪専門のカウンセラーを養成することだと思う。今は無力であっても、試行を重ねていけば彼らが自動的にマニュアルになってゆくはずだ。逆にカウンセラーが存在しないで、知識が統合されない状況が一番まずい気がする。

2000年06月06日(火曜日)

今夜の観望はまずまず

23時30分 星見

 今日の昼間、ふと空を見上げると、最近では珍しい空の青さが目に付いた。梅雨入りを控えて、名物梅雨の青空(爆)が始まったか。
 帰宅後に意識不明に陥り(寝ただけ)ふと目覚めると、もう翌日になっていた。のろのろと起き出して、ベランダに出てみると、暗い夜空が広がっている。大喜びでMIZAR20*80をベランダに出した。
 時刻的に射手座が南中している頃だ。すでに沈み始めているさそり座に双眼鏡を向け、まずはM6、M7を眺めた。今夜は透明度がいまいちなのか、M7はそんなに細かくは見えない。が、双眼鏡の視界一杯に広がる様はいつもながら見物だ。
 M8は思ったより詳細に見えた。高度が上がって、大気の影響を受け難くなっているのかもしれない。
 さらにこの間見たM11に向けようとしたが、ワイドビノでは目印の細かな星の並びが見分けられない。わし座(この間は白鳥座と書いたが誤り)とたて座の辺りなのだが。
 こういう細かい星を見る場合にはMIZAR10*42が便利だ。どれか一つで済ませられる万能双眼鏡というものは無いのだな。
 MIZAR10*42でこの辺りかなと見回すと、あっさり発見。さらにはこの10*42でもM11はちゃんと見えた。しかしMIZAR20*80でも見え方に大差はない。
 一風呂浴びて、今度はBORG100EDを出した。既にM7は隣家の屋根に隠れていたので、まずはM8に向ける。SuperWide18mmの視界には微光星が群れ、その周囲を取り囲む散光もおぼろに見えた。この時気づいたのだが、100EDはコントラストの点で双眼鏡より有利だ。背景が暗いので、細かい星までよく見える。大倍率を得ようとLV5mmに差し替えてみたが、なんとボケボケだった。実は直進ヘリコイドの2"スリーブにアメリカンサイズの接眼鏡を取り付けるためにアダプタを着けていたのだが、これがプラスチック製の精度の低いものだったので、どうも軸線がずれていたようだ。ちゃんとしたものを買わなければ。
 100EDをM11に向けようとして、導入にすごく苦労する羽目になった。ファインダーが無いのでカンで向けるしかない。10*40双眼鏡で位置を確認し、ワイドビノでそれが空全体のどの辺に位置するか確かめ、それから100ED自身を等倍ファインダー代りにして導入してやったのだ。やっぱりいいファインダーが必要だ。
 100EDで見てもM11はそんなに良くは見えない。中に比較的明るい星がぽつんと見えるばかりで、単なるにじみなのかどうか良く見ないと見分けられないのだ。もっと大口径の望遠鏡でないと面白味がなさそうだ。
 そろそろ撤収しようかと思って射手座の近辺をうろついていたら、ふと散開星団が視界に飛び込んできた。位置的にM23だと思われる。100EDクラスの望遠鏡では、どうも散開星団を見るのが一番面白いような気がする。

R.村上 v.s. 筑紫哲也

22時28分 インターネット

 News23の企画でR.村上と筑紫哲也が"17歳"をテーマにインターネット対談するらしい。というか、恐らくは対談の様子をインターネットにRealPlayer用データとして流すということなのだろう。面白いのは、掲示板を同時に開き、希望者にのみ意見を許すという試みもやることだ。無制限のアクセスを許せば、ゴミのようなメッセージに溢れてしまうことを警戒したのだろう。
 僕も参加してみたいと思ったが、どういうメールを書けばいいのかよく分からない。名前と年齢だけでよかったのかな?
 どのみち1:00スタートらしいので、勤め人には非常につらいのだが。

だ、だるい

20時27分 暮らし 天気:晴れ!

 朝、目覚めたら気力ゼロゼロ状態だった。そのくせ起床予定時刻の30分前。なんだか体がバラバラになったような感じがする。ともあれ、二度寝するとそのまま昼まで寝ていそうだったので、そのまま起き出して出勤した。
 会社でも気を失いそうなくらいの眠気が立て続けに襲ってくる。危うし、俺様の正気! ハリウッド的に波瀾万丈であった。
 とにかく仕事を終えて(多少、小人さんが暗躍したかもしれない)、20:00前に帰り着いた。
 帰宅して、飯を食ったら、強烈な眠気が襲撃してきた。これに抗うすべは我が手には無い。ゴロンと横になって爆睡。

2000年06月05日(月曜日)

くもってます

22時26分 暮らし 天気:晴れとくもりの重ね合わせ状態

 居も昼から空がはっきりしない。五月に入ってから大気中の水分が増え、入梅間近のこの時期にはさらに倍の絶賛くもり中である。ああ、光学兵器にカビが生えちゃうかも。
 実際、ちょっとばかりカビに注意しなければならないな。小物と望遠鏡の対物レンズは外しておいて、防湿容器に入れて吸湿剤で乾燥させておくのが良いのだろう。
 今日、マジにそういうのを買って帰ろうっと。

2000年06月04日(日曜日)

やっと星空観望

23時46分 星見

 夕方の空は雲が多かった。それでも多少に切れ目があったので夜に期待していたのだが、生憎なことに夜中に雨が降り出した。これは観望は不可能かなと思っていたのだが、雨は案外にすぐ止んでしまった。もしかして通り雨だろうか、だったらすぐ雲が切れるかも、と期待して空を見ていたら、やがて雲が切れて星空がのぞくようになった。やった! まだ雨だれの聞こえる中で望遠鏡を出した。
 まずは100EDを出して、MeadeのSuperWide18mmを試してみた。ワイドな割に小型のアイピースだが、軽さ命のBORG純正アイピースに比べるとかなり重い。このアイピースは見かけ視野の広さが売りなのだが、確かにカタログスペックの68度に近い視野が確保できているように思える。なによりもBORGのものに比べてアイリリーフが大きいのが助かった。BORGの特にSWKは、アイリリーフが小さくてすぐケラレるのが困り者だった。
 このSWK、 yamacaさんの推測 によれば、安いケルナー式で広視野を得るために、短焦点レンズにレデューサーを組み合わせているのではということだった。バローレンズと組み合わせるとどちらも改善された経験から言えば、確かにうなずける。しかし安価で軽いし、あんまり周辺像にこだわってないので、こういうコンセプトの製品もありだと思う。
 このSW18mm、確かに金が懸かっている分、BORGのアイピースより光学性能は良さそうだ。まだファインダーを着けてないので、苦労しながらM7を導入してやった。まだ空気中の水分が多く、それが青く見えるほど光っているために、さほど良くは見えない。シーイングは5/10程度だろうか。しかし36 倍弱の視界にM7がすっぽり収まる様は、大変に気持ちいいものだ。また周辺まで行っても星像はあまり崩れない。M8やM20も今夜はあまりよく見えない。
 次にMIZR20*80双眼鏡に組み合わせたボールマウントを試してみた。双眼鏡をつけたままベランダに持ち出そうとしたら、ボール部の留めが外れて、後ろにがくんと倒れてしまった。強度的にはやや難ありである。少し持ち運ぶような場合、双眼鏡は外したほうが無難だ。
 これでM7やM8を見ても、やっぱりよく見えない。しかしボールマウントのおかげで、随分と高仰角まで向けられるようになった。いて座の上、たて座の辺りまでちゃんと向けられる。その上は屋根に隠れてしまうのだが、まだまだ余裕がありそうだった。これなら天頂にまで確実に向けられる。
 この辺りをこの双眼鏡でのぞくのは初めてだったので、しばらくうろついていると、なにかぼやっとした天体のようなものが目に飛び込んできた。なにか星が滲んだだけのように見えたのだが、よくよく確かめると双眼鏡のピントが合ってなかったのだ。ピントを合わせて件の天体を見ると、なおもM22的にボヤッとして見える。位置的には北からまず南東方向に、次に西へと連なる明るい星の群れの近くにある。これ自身が星座かもと思って星図を見ると、結局は白鳥座のくちばしからたて座にかけての付近だと分かった。そしてそこにあるのが、M11散開星団だった。やはり散開星団だった。見掛けの大きさが小さいせいで、滲んだような眺めになるのだ。
 偶然とはいえまたM天体を確定できたので、今夜も気分よく観望を終えた。

ちょっとテレビ見た

22時45分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは老朽化が進むコンクリートの話題だった。今、日本にある建築物のうち、特に高度成長期に作られたもののコンクリートに、急速な劣化が見られるというのだ。この話、数年前ぐらいから盛んに取り沙汰されていたが、最近特に喧しいのは山陽新幹線でのトンネル壁面剥落事故の影響だろうか。
 この番組では監査と保守の重要性を強調していた。つまり日本では(アメリカでも近年まで)建築時の品質チェックが甘く、また建造後の維持点検にもほとんど金を使ってこなかった事が、急激なコンクリート劣化の要因になっているというわけである。作ったものの品質を改善するのは不可能に近いので、品質は建築時に作りこまなくてはならない。また建築物にもライフサイクルがあるので、それに見合った手を打っていけば、延命の大きな助けになる。そういうわけで、ゼネコンにもそれなりの新事業が見込めるようになるというわけだな。
 どこで見たのか忘れたが、江戸時代に島津藩が財政再建のために取った諸策を挙げているWebページがあった。その中で島津の家老が大阪商人に250年ローン(!)を飲ませた件を挙げ、「現代の日本ではゼネコンに泣いてもらうということになるだろう」としてあった。確かに今体力がそこそこあって、しかも消えてもさほど困らない業種はゼネコンぐらいだろう。全部消えても、韓国や米国の業者を入れればいいだけのことだ。ゼネコンへの拠出、すなわち公共投資の効果はいまや随分と疑わしく思われている。自由競争により国内外の同業者に門戸を開き、その代わり国内で雇用を創出もらうというのが良いだろうと思う。国外の業者では日本の現場での慣習や要求を受け容れてもらえないというのなら、それは市場が開かれていないか、必要な規制が実施されていないだけなのだから。

学校の近く

19時44分 暮らし 天気:晴れ時々雨

 朝、子供たちの歓声で目覚めた。アパートの正面にある中学校で、ハンドボール大会が開かれているらしい。いろんなユニフォームを着た中学生たちが走り回っている。これはこれで、なかなか清々しい眺めではある。睡眠の邪魔さえされなければ(爆)。
 とはいえ、こういう大規模な催し物のほかにはさほど騒がしくは無いので、別に疎ましく思っているわけでもない。こういう場所なので、きっと警察のパトロールも多くて治安もいいだろうと期待してもいるし。その代わり、近所に酒類の自販機が無いのが困り物だ。夜中にいきなり飲みたくなったときに困る(アル中か)。

2000年06月03日(土曜日)

今夜も観望無し

23時55分 星見

 今夜も空は雲で真っ白。雲が切れるかなと期待していたが、その気配は全くない。早々に寝ることにした。

本当に久しぶりに秋葉に出た

23時41分 暮らし 天気:くもり(水っぽい) BGM:Hotel California/Eagles

 久しぶりに秋葉に出た。いったい何週間ぶりだろう。
 朝は結構早く目覚めたが、それから二度寝なんかしちゃったりなんかして11:00過ぎにようやく起き出した。風呂に入り(この時間にかい)、身支度して14:00に出た。秋葉には15:00過ぎに着いた。
 まずはスターベースを目指す。とりあえず安いファインダーとワイドな接眼鏡を買うつもりだった。
 途中でカメラ屋に寄ったとき、面白いアイテムを発見した。雲台の上に付けるボール式傾斜台だ。これでカメラを自由に傾けようというわけだ。考えてみれば、あって当然のアイテムだ。
 我がMIZAR20*80用に調達した三脚は、雲台のレバーが水平にではなく斜めに突き出している関係で、高角度には向けられない代物だ。そこにこの傾斜台を取り付ければ、その上の双眼鏡の傾斜角を自由に変えてやって、天頂の星たちも見ることが出来る。早速買った。
 スターベースでは高そうな7*50くらいのファインダーしか置いてなかったのと、店員さんが急がしそうだったので買いそびれた。ただしフィールドスコープの中に面白いものがあった。MIZARの80mmフィールドスコープで、形としては我が20*80の半分そのものだ。そして価格は9800。だいたい 1/3くらいだ。双眼鏡は両目の軸を合わせる機構が命なので、まあこんなもんだろう。安いので思わず買おうとして、おのれの馬鹿さに気づいてやめた。 20*80を片目でのぞけばいいではないか。欲しいフィールドスコープはコンパクトでズーム可能な50mmくらいの、しかも見口が傾斜しているタイプだ。残念ながらスターベースにはそういうタイプはなかった。他にそそられるアイテムとしてはカートンの経緯台があったが、ちと資金に乏しいので見送ることにした。
 その足で(って別に足を取っ替え引っ替えしてるわけじゃないが)協栄に寄った。ここにまさに欲しいフィールドスコープが置いてあるではないか。コーワの展示処分品で、スペック的には僕の願いにぴったりのものだ。しかし金が無い。今回は諦め、来週まで売れ残っていることを願った。
 ここで店員さんにBORGの鏡筒に着くファインダーのことを聞いたら、いろいろ詳しく教えてくれた。なんでも、BORGの鏡筒にはタカハシ、Vixen のファインダーも着くんだとか。ただしVixenのは旧タイプしか着かないらしい。ファインダーの取り付け部がやけに複雑だなあと思っていたら、そういう目論見だったのか。さすがBORG、まるで小判鮫である。
 しかし、生憎なことに5*30くらいの安いファインダーは品切れ中らしい。いろいろ親切にしてもらったお礼代わりにMeadeのSW18mmアイピースを買った。手持ちのSWK23mmとWO13.5mmの中間的なクラスだ。ワイドな割りにかなり軽い。それでもBORGの超軽量アイピースに較べると結構重いのだが。
 その後は不調なWorkCentre用カラーカートリッジを買って帰った。どうもインクが目詰まりしてしまい、どうしても解消されないのだ。

2000年06月02日(金曜日)

観望無し

23時40分 星見

 今夜はくもりで星が見えず、観望はなし。もうすぐ梅雨入りだ。

マシン大移動

17時38分 暮らし 天気:だいたい曇り

 職場のマシン類を全て移動することになった。といっても各自の机上にある(建て前としてはOA用の)機械ではなく、テスト用に固めておいてある機械類を別のフロアに移すというのだ。30台強の大移動はどうなることやら。
 僕の世話している機械は5台だが、いずれもサーバクラスでかなりでかい。それに今の置き場所は僕の居場所から歩いて2秒の所(要するに通路を挟んだ隣)にあって超便利だったのだが、これからはいちいち下に降りなければならない。先が思いやられるところだ。

2000年06月01日(木曜日)

少しだけ観望

23時38分 星見

 昼は少し晴れていたが、夕方には雲が広がり、帰る頃には雨さえぱらついていた。観望は無理だと思っていたのだが、1:00過ぎにベランダに出てみると、空は結構暗い。雲が少ないのかと思ってワイドビノで見上げると、星がちゃんと見える。案外に雲が少ないようだ。
 眠かったのでそのまま寝ようと思ったのだが、MIZAR10*42で見上げたりしてるうちにどうしても見ておきたくなり、とうとう20*80を出した。明日晴れるとは限らないから。
 明るい星が見えればいいと思っていた。ところが思いがけず暗い星まで見える。雲はほとんど無いようだ。目が暗順応しないまま見ていたためだろう。
 結構見えるどころか、良く見える。5/29の観望よりももっとよく見えた。シーイングは7/10というところか。M6、M7も小さな微光星まで良く見え、M8は散光までおぼろに見えた。ちょっと雨がぱらついたのが良かったのかもしれない。
 もう遅かったのでさっさと店じまいした。

あ~らよ出前一丁

17時33分 暮らし 天気:晴れかもくもりかも

 僕が子供の頃は、ラーメンといえばずばり出前一丁のことだった。同じインスタント麺でもチャルメラやサッポロ一番、チキンラーメンではダメだった。近年は新手の商品や、実家の方ではかなり本格的な生麺パックなどが売られるようになったが、相変わらず出前一丁が僕にとってのスタンダードだった。
 理由はいくつかあるが、もっとも大きいのは中学のときに保健体育の教員が力説した「インスタントラーメンは体に悪い説」だ。その先生いわく、「インスタントラーメンのスープにはふつうの食品の絞り粕のような小魚などが使われているのです」。だから体に悪いというわけだ。しかし考えてみれば、絞り粕だからといって体に悪いわけじゃない。おからはどうなる。絞り粕だって立派な食品になるのだ。だから本当に絞り粕を使っていたとしても大して体に悪いわけじゃないだろう。そう考えた僕は、その後はかえってインスタントでも気にせず食べるようになった。要するに生物由来の材料を使っているのなら、そんなに悪くないではないかと思うようになったのだ。実際には化学調味料の多用などの理由もあったのだろうが、あの先生の警告はかえって仇になったのかもしれない。まあインスタントばかり食ってると体に悪いこともあるのだろう。しかし荒俣宏氏があの体躯をインスタント麺の常食で築いたということだから、カロリーそのものは決して低くは無いのだろうと思う。
 話が紀州みかんに化けそうなので戻すと、前述の理由でまずインスタントラーメンへの忌避がほぼ無くなった。その上で出前一丁でなければならない理由というと、これはトッピングに対する無類の鈍感さということになる。
 だいたい、インスタント麺を食すときには、なんらかの具を載せるようにしている。概ねキャベツを炒め、そこにベーコンかチャーシューを炒めて加える。場合によっては禁断の卵も煮込んでしまう。卵まで登場すると大抵のスープでは太刀打ちできず、てきめんに水っぽくなるのだが、出前一丁の強靭なスープはそれに耐えてしまうのだ。そこに大量の葱と炒め野菜を載せるとやはりラーメンが霞んでしまいそうになるのだが、そこにあのごまラー油を入れると、最終的にはやっぱり出前一丁としか形容しようの無いものに仕上がってしまう。あのごまラー油の強烈さは、何を載せようがその香りが消し飛んでしまう点にある。ごまラー油、恐るべしである。
 かくして数あるインスタント麺の中でも出前一丁が生き残ってきたのは、あのふてぶてしいまでの強靭さにあると考えている。インスタントラーメンはラーメンではなく、何か別種の食品なのだ。
 こんなにも愛している出前一丁なのに、横浜ではなぜかなかなか手に入らない。本格的中華圏の矜持が似非中華の存在を許さないのだろうか。どこかの通販で扱ってないかな。あの味を口にしたいのです。