Strange Days

2000年10月31日(火曜日)

あぅ、スペリングミス

23時42分 思考

 掲示板の方で、我が日記に突っ込みが入るという前代未聞の事態が発生した。10/29付けの日記で「民族浄化」の原記としてEsnic Cleansingと書いたのだけど、もちろんEthnic Cleansingが正解です。あぅあぅと慌てふためく俺様であることよ。もっとも、注意深く読んでみれば誤記は毎日登場するのではあるけれど(図らずも笑)。しかし"日記"が建前なので、後日判明した誤記などは訂正しない方針なのだ。いかに誤記が多かろうが、結論が支離滅裂だろうが、もはや俺様にはどうしようもないのであった。本当はたまに直したりするのだが、量が量なので切りがないというのが実際のところだったりして。

シグマリオンを買った

18時40分 デジタルギミック 天気:晴れてますかねえ

 結局のところ、シグマリオンを買った。通販で安そうなところは品切れが多かったのだが、TwoTopインターネット通販でまた39800円の物件が出回ったので、これで手を打った。ああ、もう少し安いところもありそうだがと思いつつ注文フォームを送信する俺様であった。発注は昨夜のことだが、今日にはもう受注確認が入っていた。土日指定したので、週末には手に入りそう。

2000年10月30日(月曜日)

社内教育

20時39分 暮らし 天気:晴れですかね

 今週の頭には社内教育が1.5日ある。漠然といつものように「聞くだけ~」でいいだろうと思っていたのだが、あにはからんや演習、それもグループ演習がありやがるという。おかげでQFD法なる聞きなれぬ手法での例題を、みっちりやりこまされることになった。あるフォーマットに従ってユーザのニーズと想定機能から品質を積み上げてゆくという手法なのだが、この手順が慣れないと煩雑で、なおかつ個別に設定された項目(例えばセールスポイント)の係数が良く分からない。これらを表例から逆算しながら記入してゆくのだ。久しぶりにアタマを使ってるって感じぃ。
 授業が終わった後も明日の発表に向けて演習課題と取り組んでいたので、帰宅したときにはもう脳みそが粘土の塊のように無感覚になっていた。機械的に爆睡するなり。

2000年10月29日(日曜日)

NHKスペシャル

23時37分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルはボスニア紛争(ユーゴ内戦というべきか)に暗躍した米情報コンサルタント会社の話題。
 '93年、ユーゴ連邦からの離脱を宣言したボスニアに、セルビア軍が介入した。恫喝により、できればボスニアの離脱を阻止したかったのだろう。しかしボスニアの抵抗で、介入は本格的な内戦の様相を呈し、セルビアによる更なる攻撃を誘発することになった。これは独裁的な体質を持つといわれるミロシェビッチも、本心では望んでなかった事態のはずだ。しかし資源にも産業にも人口にも恵まれてないボスニアは、軍事的な圧迫に窮地に追い込まれる。
 内戦勃発から3ヵ月、事態打開のために就任したばかりのボスニアの外務大臣が渡米した。ボスニアは「世界全体から見れば取るに足らない地域」と自ら認めるだけに、国力の乏しい小国家だ。外務大臣も単独での渡航だった。彼は強大で、なおかつ正義なるものに乗せられやすいアメリカの力を利用しようとした節がある。もちろん、ニューヨークには国連本部があるので、国連での活動をも睨んだものであるのも間違いないだろう。しかし最終的には、最大の狙いはアメリカ政府を動かすことだった。
 ボスニア政府はまずボスニアがこの世のどこにあるのかをアメリカ人に知らしめなければならなかった。ボスニアでオリンピックが開かれたことをおぼえている人は多かったろうが、そのボスニアがバルカン半島に位置することを知っている人は少なかったようだ。僕も、マケドニアの位置をイタリア側にあると間違えておぼえているのに気づいた。
 こんな頼りない状況を打開するために、渡米した外相が契約を結んだのが大手情報コンサルタントだった。情報コンサルタントは世論形成に大きな力を持ち、クライアントが情報発信の過程で有利に立つようにアドバイスする立場にある企業だ。この件を担当したコンサルタントは、早速記者会見を開いて外相自らボスニアの存在と、そこで起きている事態をアピールし始めた。
 最初は"つかみ"が悪く、記者会見にも人が集まらない状況だった。しかしコンサルタントはボスニア政府が主張する非セルビア系住民への虐待行為をアピールするために、ある言葉を借用した。いまや新聞の国際面にこの字が躍らぬ日は無いとさえいえる「民族浄化」だ。元々はナチスの非アーリア系住民根絶政策で用いられた用語だ。cleansingという肯定的な響きを持つ言葉を"虐殺"に用いることは、大きなインパクトがあった。
 狙いは当たった。Esnic Cleansingはアメリカの世論に大きな衝撃を与え、アメリカによる対ユーゴスラビア経済封鎖へとつながった。この結果、ユーゴスラビア政府がアメリカ国内で同様の活動を繰り広げることが困難になり、この"情報戦争"で小国ボスニアが優位に立つ下地を作った。この劣勢はユーゴにとって最後まで堪えた。ユーゴが免れたいと思っていた国連からの追放へと事態が進行してしまったのだ。そのように広範なユーゴ非難の世論を形成したという点で、"Esnic Cleansing"という借語を見出した情報コンサルタントの手腕には、目を瞠るものがある。小国ボスニアを守るためにNATOが介入するという事態は、このようにして形成された国際世論の後押しがなければ生まれなかったはずだ。
 しかし情報戦争には負の面もある。なぜならばこれは戦争だからだ、と言ってしまえるだろう。敗者となったユーゴは「ボスニア側もセルビア人の強制収容所を作った」と主張し、それはハーグの戦争犯罪法廷でも事実とされたことだ。しかし圧倒的なセルビア=悪のイメージを前に、そうした事実はほとんど意味を持たない。ある単純な図式を認識するだけで、国際世論は満足してしまうのだ。そこには正負双方の価値があるが、いずれにせよ充分な資金とタイミングに恵まれれば、個人にも国際世論を左右する力があるということを意味するのだろう。

横浜へ

19時36分 暮らし 天気:くもりですか

 横浜駅近辺に遊びに行った。西口を出てヨドバシカメラの辺りに歩いてゆくと、ほとんど秋葉、渋谷並みの密集度で人の群れが流れてゆく。息が詰まりそうだ。が、同時になぜかホッとする光景にも思えた。妙なことに、この場に集う縁もゆかりもない人間集団に、なぜだかなぜか親近感を持ったのだ。なにか、同じ場所にいるという事実以上のものを共有しているように思えたのだ。人恋しさかもしれないが、同時にポジティブな価値観を共有できているような感覚もある。こういう人ごみは嫌いではない。
 ヨドバシも人が束になってなだれ込んでいく状況で、店内は相当に込み合っている。PCハードのコーナーでシグマリオンを探すと、値札は46800円。これは高い。Visorのコーナーにはパニオンのお姉さんが立って売り込んでいる。Palm系は絶好調だ。ヨドバシを出てビックカメラにも寄ったが、地下のカメラ売り場は狭くてヨドバシほど楽しそうではない。寒くて眠気が募ってきたので。さっさと帰宅した。

2000年10月28日(土曜日)

やさぐれ秋葉オデッセイ

23時34分 暮らし 天気:雨が降りそう

 8時間はぐっすり寝たはずだが、起きてみると目が痛い。局所的に痛むので浮腫が出来ているのかもしれない。今週は酷使したからなあ。目は痛かったが秋葉に出撃した。
 秋葉は相変わらず人出が多い(いやオニヒトデだのクモヒトデだのがウジャウジャ群れているという意味ではないが)。買う気満々でシグマリオンを探し回ったが、案外に在庫切れの店が多い。またプライスゾーンも44000円からと高めだった。売れるものは高くなるというのがこの世の常だ。ちょっと長期戦のつもりで探し回るしか無さそう。
 秋葉ではスターベースで見た「Meadeアイピース半値」の張り紙に心揺らいだが、来週も続いているだろうと見てそのまま何も買わずに帰った。今月限りだったらどうしよう。
 帰りに久しぶりに玄麺に寄ってチャーシュー麺を食った。せっかく「八郎潟」なるコードネームが設定されているのに、店の人も「チャーシュー麺」と呼称しているのは納得できない(別にいいけど)。
 帰宅してシグマリオンの通販情報を追い求めながらテレビを見た。今夜のNHKスペシャルは「会社に英語がやってきた」というもの。あまりに身につまされる話なので半分も見ていられなかったではないか(爆)。そのかわり、愛社精神に溢れる俺様(どこがだ)は「世界ふしぎ発見」を鼻をほじりながら見た。今夜は例の琉球古陸の話題。番組のスタンスとしては例の海底遺跡=ムー大陸伝説=蓬莱島というストーリーだ。例の海底の異常地形が遺跡であるというのはほとんど断言していたが、番組制作者の良心がうずいたのか最後の一歩で踏みとどまっている。「神々の指紋」の著者が登場したところで怪しさ大爆発だ。僕はある種の系統の本に「トンデモ」などと勝手にラベリングして、なにかをわかったような顔をする無神経な輩どもの一味と思われたくは無いが、連中の手法はそれなりに信用してもいるので、「神々の指紋」も怪しさ大爆発の本だと受け取っている。まあ単に異端的な学説はあるフレームの内部では消化できないというだけのことかもしれないが。
 しかし例の木村教授の様子では遺跡である可能性はさらに高まっているようだ。前に本で読んだ以上の事柄は出てこなかったようだが。
 ロマンを感じるねえ、琉球古陸か。

2000年10月27日(金曜日)

やっと金が入った

18時32分 暮らし 天気:くもりですか

 給料日。今月は交通費が入るので、やっと定期が買える。ホッとした俺様であることよ。
 しかしまああぶく銭(違う)が入るとパーっと使っちゃいそうで怖いものがある。いきなり高橋の経緯台76000円とかな。シグマリオンはもう買う気満々ので、その他に7万も出費したら赤字になってしまう。これは自制しなければっ。
 それでも今半値のMeadeアイピース群に目が行く俺様であることよ。

2000年10月26日(木曜日)

シグマリオンを買おうか迷い中

20時29分 デジタルギミック 天気:くもってるやん

 最近、つくづく思うのだが、Palmでは僕のニーズの全てを満たすことは出来ない。いやPDAとしてはPalmになんの不満も無いのだ。しかし僕は、それ以外に携行日本語タイプライタも欲しいのだと気づいた。さすがにPalm単体では日本語入力がつらいのだ。
 そんなわけでシグマリオンに目が行った。シグマリオンはCE3.0を採用した軽くて薄いキーボード付の機械だ。CFスロットを一つ持ち、画面は1/2VGA、明るくてみやすそうなカラー液晶と、大変魅力的な機械だ。強いていえばCFスロットが一つしかないのが弱点になりそうだが、テキスト入力用に使う限りは問題にはならないと思う。そして値段は4万ちょっとというところ。この値段ならMorphy Oneまでのつなぎに使えるなあ。
 そんなことをわにで話しているうちに、本当に欲しくなってしまった。そこで価格情報を検索する俺様であることよ。TwoTopで時々39800というのが出るが、この辺が関東圏での底値だと見た。
 関西では事情が違う。ドコモショップでP-in Comp@ct込みでなんと34800ということらしい。関西のドコモショップは商売してるよな、ドコモ中央は客を虐待するのが得意なのだが(特にPHSユーザはマゾヒストでも無いとやってられないだろう。って他人事のように書いているが自分もそうではないか)。
 まあとにかくこいつを買おうかと思っていたら、今度は待望していたPalm用ATOKの単体販売が始まることになった。最大2MB程度という占有メモリからみて、能力的にはDOS版VJE+αという程度だろう。しかし今の日本語入力よりは断然ましなはずだ。またこのATOKを同梱した日本語版Portable Palm Keyboardも発売になる。しかしよくみるとハードウェアは英語版のままだ(考えてみれば当たり前だが)。ということは、日本語ドライバさえ公開してくれれば、ATOKを買って日本語PPK相当にすることも可能だ。その日本語ドライバは一瞬だけ米Palm社のサイトに登録されたようだが、すぐに消えたとか。欲しければ日本語キーボード買えということならばさすがにつらすぎだ。
 この日本語Palmキーボード構想が使い物になるのなら、モバイル執筆環境はかなり充実する。シグマリオンが不要になるかもしれない。ううむ、結局どっちも買いそうだが。

2000年10月25日(水曜日)

星を撮ってみよう

23時55分 星見

 23:00頃、東天を見るとオリオン座がそれなりに見頃の高度にかかっている。100EDでのぞくと、シンチレーションは悪いものの散光もくっきり見えてかなり楽しめた。これから冬になると風が出てくるので、低倍率で楽しめる天体ばかり見ることになりそうだ。
 トラペジウムがわりとくっきり見えるので、E950での撮影を試みた。2インチ天頂ミラーにして何が良くなったかというと、こういう重い物をアイピース側に着けた時に安定するということだ。アメリカンサイズのものを着けていた時は、E950なんて着けようものならぐるりんと回ってしまったものだが。
 肝心の撮影は失敗。シンチレーションが安定してなかったので、像が膨らんでぼやけてしまった。もう少し高度があるときに撮らないとダメなのだな。

DQ2終わる

20時28分 ゲーム

 プチ敵前逃亡に最適なDQ2だが(爆)、思い立ったその日にさっくり終わってしまった。もともとさいごのほこらで「ふしぎなぼうしを手に入れなければ」と上の世界への洞窟でメイジパピラス殺戮を繰り返していたら、いつの間にかレベルが42、36、28とかになっていた(爆)。ようやく後ろ二人にふしぎなぼうしを被せられたので、とっととハーゴン征伐にレッツゴー。
 ハーゴン上では十字の真中で邪神の像を使うということは憶えていたのだが、そこへのたどり着き方が分からない(はからずも笑)。結局、玉座の向こうのダメージゾーンを慎重に探ったら発見できた。こんなの聞かないと分からんぞ(分かったけど)。後は各階段を死亡遊戯状態で待ち受ける中ボスを打倒しながら進み、最後にハーゴン、シドー様を打倒。あっという間に終わってしまったではないか。中ボス戦の中で油断していたため一人戦死というのが唯一の敗戦だ。後は人々の歓呼の声に答えつつ世界行幸してお終い、と。
 やっぱりつらいゲームではあるが、Diabloと違ってレベル上げが簡単なので、最後はレベルを充分に上げて突破という手が使える。楽なもんだ。
 さあ、ドラクエ3だ(懲りん奴だな)。

敵前逃亡希望

14時27分 暮らし 天気:雨のち晴れ

 うがー、仕事が進まない。眠い。だるい。帰りたい。なにやら仕事で溺死しそうな情勢である。いや、量としてはたいしたこと無いのだが、この事務能力の低さでは無比といわれる俺様に書類を作れだなんて(爆)。こんな状況ではつらいよ。
 やむなく、過去に作った類似書類をいじる破目になったのだ。やむなくというか、他に道は無いのだが。
 あー、どこか遠くに行きたい~、と(謎)な節回しで歌う俺様であることよ。ほんと、どこかに逃げたいぜ。

2000年10月24日(火曜日)

星を見ました

23時55分 星見

 22:00頃、風呂から出て東の空を見ると、夜空に木星が明るく輝いている。それをC8EXで狙ってはみたが、筒内気流と低高度のせいで像が揺れる揺れる。これはあかんと100EDに載せ換えて低倍率(といっても80倍くらい)でしばし眺めた。木星の縞が数本見えるかなという程度だった。それよりもLVW42をつけて散歩したヒアデス星団近辺の眺めが見事だった。最初、ヒアデス星団の外れの小さな塊を本体だと思い、「あれ、こんなつまんなかったっけ」と眺めていたのだが、ふと鏡筒を振ると星がウジャウジャ現れるではないか。ヒアデス星団のでかさをすっかり忘れていた。
 さらに寝る前、1:00くらいに外に出ると、東の空から天頂にかけては澄んだ夜空が広がり、思わず双眼鏡を向けたくなった。10*42双眼鏡でヒアデス、プレアデスの両星団を眺めると、たくさんの星の背後に無数の微光星が現れてきて、まことに神秘的な眺めであった(国道を突っ走るゾクどもはうるさいが)。頭の中がシンと冷えてゆくような瞬間だ。

とおくにゆきたい

18時24分 暮らし 天気:くもりのち晴れ

 つらい、疲れた。眠いし仕事は果てしないしで褒賞休暇を全然取れない。今年一杯で権利がなくなるのだが、仕事が途切れてくれないのだ。どーなっとるのだ。
 なんだか突然失踪して冬の日本海でも見に行きたくなる(まだ冬じゃないが)。

2000年10月23日(月曜日)

Blue monday

18時23分 暮らし 天気:雨

 ね、眠れない。1:00に寝入ったのだが、2時間後に目覚め、それから眠れなくなった。目はしょぼしょぼするし、体も疲れているのだが、精神が妙に高揚している。夕方に一眠りしたのが、今ごろ効いてきたか。
 結局そのまま出社し、半分ゾンビのようにして一日を生きた。今週一週間がつらくなりそうだ......。

2000年10月22日(日曜日)

Linuxの台頭

23時21分 テレビ 天気:くもり

 前日、ドラクエ2をやっているうちに夜が明けてしまい、それから眠ろうにも目が妙に冴えて眠れない。6時間弱うとうとしただけで起きださざるを得なかった。
 ドラクエ2は上の世界に一気に上ってしまったので、後は聖なる祠を拠点にじっくりレベル上げをやっている。アークデーモンの強いこと強いこと、1戦交えると必ず誰かが戦死している(笑)。泣きながらプレーするハードさよ。この世代のドラクエまでは妥協が無いなあ。SFC版なのでふっかつのじゅもん制では無い。それが優しくなった点だ(笑)。
 さて、夕方になって眠くなってきたので一眠りしたら、NHKスペシャル「世紀を越えて」が始まった。今回は公開技術の衝撃と題し、Linuxの普及を追う。
 中国ではインターネットの普及が急激に進み始めている。まだ人口の一部だけしかカバーしてないが、全人口を先進諸国並みのカバレージで普及すれば、世界最大のインターネット市場が出来上がる。中国はその膨大な人口をどうやってまとめて行くかという難題を抱えている。従来型のトップダウン式情報網では"中央"の負荷が高くなりすぎるのは明らかだ。中央で処理するまでも無い情報は当事者のうちで処理するのが、為政者から見ても得策だといえる。
 これまで、中国でクライアントOSとして普及してきたのはWindowsだった。しかしもしもこのままWindowsクライアントが増大してゆけば、莫大な富が国外(アメリカ)へと流出することになる。これを嫌う中国政府が、無償で使用しうるLinuxの普及を後押しするのも、やはり当然の施策と思う。
 中国では大手から中小の企業までがしのぎを削りあい、Linuxの中国語ローカライズを進めている。元々、Li18nuxなんて言葉があるくらい(真中の18はinternationalizationから最初のiとnをのぞいた18文字を意味する)で、Linuxはマルチリンガル、マルチロケールを強く指向している。この点は、Linuxカーネルがフィンランド人のLinus Torvalsによって開発され、日本を含む非英語圏にもメインテナが豊富に存在したことが大きい。まだ完璧とはいえないが、ロケールに従って言語環境を切り替えるという事が、OS、アプリケーションを含む包括的なレベルで可能になっているのだ。
 自国のOSを持ちたいという心理は、日本人がTRONを推したがることを思えば不思議でもなんでもない。いかに従来のLinux開発者たちがi18nに傾注してきたとはいえ、中国語特有の事情に精通しているのは、やはり中国人自身だろう。中国人にとって最適のOSを作るという事業は、オープンソースのLinuxが登場しなければ出来なかったことだと彼ら自身も言う。
 たぶん、MINIXを改造するなどしてマイナーな中国語OSの開発は幾度か試されたのだろうが、OSに関わる全ての機能を持つ大規模OSを自家薬籠中の物にするという経験は初めてのはずで、中国の人々の舞い上がりぶりも分かる気がする。またマイクロソフトのおこぼれに細々と与ってきただけの業界人たちが、Linuxという格好のビジネスチャンスに飛びついたという側面もありそうだ。
 もともとLinuxはGNUが主張するGPLというライセンス条項に従っている。開発した結果をオープンにすることを強く促すこのライセンスに従ったLinuxの開発モデルが、オープンソースというGNUの主張するフリーソフトウェアとは微妙に異なるモデルに同定されているのは不思議な話だ。たぶん、GPLはあまりに「強すぎ」て、より緩やかなライセンスが必要とされたという事情があるのだろう。
 さて、巨大市場中国でのクライアントOSの座を占めるのはWindowsか、Linuxか、あるいは思いもよらず他の何かが普及するのか。忘れられた巨大市場インドの動向も含めて興味は尽きない。

2000年10月21日(土曜日)

テレビ見た

23時55分 テレビ

 ということでテレビを見た。ビデオに撮っていた番組をしばし眺める。見たのはNHKで火曜日にやっている「プロジェクトX」。難題に挑戦する人々の姿を描き出そうという趣旨の番組だ。今回は飛鳥寺金堂再建に挑んだ硬骨の宮大工たちの話題。飛鳥寺は奈良時代以来の歴史ある寺院だが、その本堂である金堂は戦国時代に焼け落ち、昭和に至るまで仮の本堂で凌いできた。これを再建しようという気運が、昭和30年代に入って最高潮に達した。しかし資金面を別にしても、大きな難題があった。再建の担い手である宮大工がいないのだ。宮大工は高い技術を持っているので、需要が急増していた都市部での建築現場に引っ張りだこだったのだ。金堂の再建は東大寺の鬼と呼ばれた宮大工が請け負ったが、その手足となる宮大工が集まらない。しかし思いもよらないことに、ふつうの大工仕事に飽き足らない若い大工たちが数多く集まってきたという。まあどこにでも高い技術を持つことにあこがれる者がいるのだ。
 ボーっとしている間にNHKスペシャルが始まった。今日はカナダはバンクーバー島の湾内に形作られた不思議な生態系の話題。
 バンクーバー島は北米大陸本土の近傍に浮かぶ細長い島だ。その地形は氷河に削り取られた複雑なもので、海の底までそんな地形が続いている。このバンクーバー島と大陸の間にある袋状の細長い湾は、多くのイルカやシャチ、そして数多くの海の生き物を育む豊かな海だ。海中にはイソギンチャクやナマコ、カニなどが生息しているが、いずれも他の海域では見られない生態を見せる。また非常に大型化するのも特徴だ。
 大型化するのはこの海が養分に富み、餌が豊富で、かつまた危険を逃れられる隠れ家に事欠かない点に由来する。哺乳類などの複雑な生物を除き、軟体動物や魚類などは生涯に渡って成長しつづける。この海の生き物たちはその寿命をまっとう出来るほど長生きするので、その間成長しつづけるというわけだ。
 この海域の養分は湧昇海流にその源がある。湧昇海流とは深海底から湧き上がってくる海流のことで、窒素、カリウムなどの養分に飛んでいる。深海底は生命の総量から言えば寂しい世界だが、実は表層から沈んでくる生命の死骸や様々な有機物が沈殿する、養分に富んだ世界でもあるのだ。湧昇海流の基本パターンは、地球の自転により生じる気流とコリオリの力で海岸近くの表層水が沖に押しやられ、それを補う形で深層から海水が湧きあがってくるというものだ。
 しかしバンクーバー島のそれはやや様相を異にしている。バンクーバー島と大陸との間にある狭い湾には、大陸に降り積もった膨大な積雪がもたらす真水が注ぎ込んでいる。真水は海水より軽いので、表層の海水を沖へと押しやる。そのときにその海水の流出を補う力が働き、海底から海水がせりあがってくる、ということらしい。しかしこの説明をなんとなく納得できなかったのは僕だけだろうか。真水の流入が止まれば湧昇海流が生じるのも分かる気がするが、常に流入しつづけていたらそんな力は働かないのではないだろうか。まあこれは大海嘯(アマゾンにおけるポロロッカね)と同じように、自然は必ずしも人間の直感に従わないということなのかもしれない。
 この湧昇海流がもたらす養分は、雨季が明けた5月に植物性プランクトンの大繁殖を促す。そしてその植物性プランクトンは動物性プランクトンを、動物性プランクトンはさらに大型の生物を養うというわけだ。
 この海域はこのようにして莫大なバイオマスを保持している。そしてそれは、この海域での熾烈な生存競争をももたらしている。番組中、座布団くらいありそうなヒトデに対し、様々な生き物が対抗する様子が撮影されていた。この海域に密集している二枚貝の一種は、ヒトデが触れると海水を噴出して逃げ去る。日本など他の海域に住む近縁種はこうした行動をとらないそうだ。またナマコも活発に動いて逃げてしまう。そしてなんと、一般的には定着して動かないと思われているイソギンチャクまで、ヒトデに襲われると岩場を離れ、泳ぎだしてしまうのだ! 今回の仰天画像といえよう(笑)。泳ぐイソギンチャクなど、本邦初公開ではないだろうか。
 この爆発的なバイオマスの増大も、日照時間が短くなる冬季には退勢に転じる。そしてまた次の春を待つのだ。
 23:00からの国宝探訪。今回は縄文遺跡からの出土品2点。
 一つは縄文のビーナス(ぱちもん臭い名前だと感じるのは僕だけだろうか)と呼ばれる高さ30センチほどの地母神像。縄文の土偶の多くは、その全身に刺青を施していることを表す修飾が施されている。しかしこの像ではそうした修飾を省かれ、面を強調したマッシブな造型が施されている。縄文土偶の多くは、不思議なことに手足などをバラバラにされた状態で出土する。これは呪い師が依頼主の悪い部分に相当する部分をもぎ取り、呪術を施していたことを表わすと考えられている。しかしこのビーナス像などの大型のものでは、不思議なことにそうした扱いを免れているものが多い。これは大型の土偶が公共の、祭りなどで据えられる礼拝の対象であったことを表わしていると解釈しうる。
 このビーナス像よりも強烈な印象を受けるのが、もう一つの国宝、有名な火焔土器だ。ビーナス像が祭祀に用いる非実用品なのに対し、火焔土器は煮炊きに用いる実用品だ。それなのに、おおよそ現代では考えられないほど過剰な修飾が施されている。その修飾がもたらす印象は強烈で、見るものの精神に訴えかけてくる衝撃力を持っているように思える。それも、精神の暗部、光の届かない部分に。暗部、というとネガティブな価値をもっていそうに思えるが、この造型が与えるインパクトはそうした既存の価値観を土台から揺さぶるような、精神世界のあり方を覆すような力を秘めているように感じる。ぜひとも、この目で見てみたいと思った。
 火焔土器の複雑極まりない造型は、実は数種類のモチーフの組み合わせで構成されている。そして越後近辺に散在する他の火焔土器も、同じモチーフを使用している。これは製作者集団が参照すべき原器を共有していたと考えるより、その描くべきモチーフを共有していたと考えるべきだという事らしい。モチーフの一つは"S"字型の曲線だが、これは宇宙が広がっていく様と、それが一点に集中する様とを併記したモチーフだという。つまり、火焔土器のモチーフは具象ではなく、抽象なのだ。火焔土器は縄文人の豊かな精神世界をうかがわせる、ホンの小さなのぞき穴でもあるのだろうか。

ヒッキー

18時18分 暮らし 天気:くもりっぽくないか?

 前日の夜、空は晴れないし、鍋を平らげて腹はくちくなったしで、早々に寝入ってしまった。その結果、今日目覚めたのは珍しく午前中だった。
 しかしなあ、どこにも出かける気がしない。出ても金が無いし、定期を落としたから戸塚まで行くのにも切符を買わなければならないし。ちょっと今月は金を使いすぎたな(笑)。おとなしく引き篭もりをシミュレートすることにした(なにがだ)。

2000年10月20日(金曜日)

晴れない

22時14分 暮らし

 それにしても晴れない日が続く。、春先の晴れてはいても霞がかかるという状態ではなく、きっぱり晴れない。精神衛生にはかえってこっちの方が良いようだが、星見出来ないとそれはそれでストレスがたまる。
 あー、早く晴れてくれないかな。

冬近し

18時13分 暮らし 天気:くもりです

 寒さがこたえるようになってきた。ここ数カ月、窓を開け放ったまま寝ていたのだが、ここ数日の涼しさにさすがに窓を閉めるようになった。明け方、寒気に目が覚めることもしばしばだ。この分では冬本番ではどうなることやら。
 こたつ買おうかなあと思う日々よ。

2000年10月19日(木曜日)

果てしなきテパ

18時12分 ゲーム 天気:くもりですよ

 うむむ、目が痛い。ちょっとしゃれにならんくらいだ。仕事もあるが、ドラクエ2のせいもあるだろう(自業自得とはこのことだ)。
 それにしてもドラクエ2、こんなハードなゲームだったとは。なにせ、探しても探しても町が見つからない。船を入手して以来、世界中を回ってはいるが、情報によればどこかにあるはずのテパという街が全然見つからないのだ。他の大陸や島、さらには地下にある町も見つけたのだが、テパだけが見つからない。鍵も全部手に入れたのに。最初は陸伝いに行けるところを探し回ったが無い。ならばと思い船で行けるところを探し始め、そういえば川をさかのぼれることに気づいた。そうして決死の行軍の末、あった。ムーンブルクの南西に、小さな町があるのを発見したのだ。ところがどうしてもたどり着けない(T-T) あらゆるルートを試みたのに。
 これはもう、見落としている旅の扉とかから行くしかないのかもしれない。
 しかし最初にドラクエ2をやったときはファミコン(スーパーですらない)だったので、いちいち「ふっかつのじゅもん」を書きとめながらやったんだよなあ。途中はもとより、ハーゴンの城に到着した時点で、2回も書き間違えて発狂しそうになった記憶がある。今回は金も預けられるし、前ほどハードじゃないはずだが。よくもファミコンでクリアしたものだと思うぜ。

2000年10月18日(水曜日)

ちょっと月を見た

23時11分 星見 天気:くもりかな

 帰宅したのは早かったが、ドラクエ2にかまけて夜遅くまで空を見ることは無かった。
 22:00過ぎに東天を見ると、雲が多くかかっているものの、月は明るく輝いている。C8EXで狙ってみた。確かに雲が多く、また像が揺れるものの、案外にボケる瞬間は少ない。SW18にムーンフィルターを着けたり、UW6.7で直接のぞいてみたりしながら少し月面散歩を楽しんだ。昼夜境界線上のクレーターがぽっかり口をあけている眺めは楽しい。高度が高く、大気が安定していれば着陸船の窓からの眺めを楽しむことも出来ただろう。
 平日なので早々に引っ込んだ。

2000年10月17日(火曜日)

観望できません

23時10分 星見

 水っぽい季節ゆえか、夜になっても雲が切れない。帰り際には月がちらりと見えて期待を持たせてくれたのだが、結局は雲が切れることなく夜は更けてゆく。

熱珈琲

18時09分 暮らし 天気:くもりでしょうね

 今週の頭から家で熱いコーヒーを入れて会社に持ち込むようになった。そこでペットシュガーとミルクのカプセル(というのかアレは)を一緒に大量に持ち込んだのだが、かさばることかさばること。少しずつ小売したい気分だ。

2000年10月16日(月曜日)

少し観望

23時50分 星見

 雲が多い夜だったが、23:00頃に東の空にC8EXを向けた。かすみがかかっていて、なおかつ高度が低いという状況だったが、オリオン大星雲は思ったより見えた。LV40で見ると雲が真っ白に映るものの、トラペジウムも結構細かく見える。月が真上にかかるという状況だが、口径の大きさがものをいっている。
 アイピースをUW6.7に換えると、さすがに像はゆらぎ、ぼやけてしまうが、時々シーイングが回復するとトラペジウムを四つまで分解できた。
 しかしこれをベランダに持ち込みたいのだが、狭すぎて持ち込めないのが難なのだ。コンパクトな経緯台でもほしいところだが。

定期券が......

10時08分 暮らし 天気:晴れのちくもり

 朝、いつものように地下鉄の改札をくぐろうとした時、財布の中に定期券が見当たらないのに気づいた。あれっ、どこにいったんだろう? とりあえず急いでいたので切符を買って、会社に着いてから身の回りを探し回った。しかし見つからない。帰宅してさらに探したが、やっぱり無いでやんの。
 不思議なのは、いつ無くしたかだ。地下鉄構内でないのは確かだ。さもないと外に出られるわけが無い。金曜日の夜までは確かにあったから、無くしたのはその後、月曜日の朝までということになる。一番怪しいのは、スーパーのレジで財布を取り出したときの事だ。
 残り一月を切っていたのが不幸中の幸いだった。

2000年10月15日(日曜日)

世紀を越えて

23時07分 テレビ

 帰宅してさらにドラクエ2を進めていると、NHKスペシャルが始まった。今日は夢のテクノロジー、人間型ロボットの話題。
 本田技研では2足歩行型ロボットPシリーズの開発を続けている。Pシリーズの最新型P3では、速度こそ遅いものの、人間のそれにかなり近づいた歩行を実現している。最大の特徴は、電源や外部の認識という点でかなり自立している点だ。
 Pシリーズの初期コンセプトは、人間の歩行という動作をどれだけ少ない関節数で実現できるかを追求していた。最低限必要な関節は股関節、膝、足首の3点なのだそうだ。なんとなく直感的にも理解できる気がする。そしてこの試作機は、平らな場所なら2足歩行で移動できる。ところがこの試作機は地面の凹凸にあまりにも敏感で、階段はもとより、ホンの数センチの段差があってもバランスを崩してしまう。
 技術陣、特に制御用プログラムのチームはこの点で苦戦したが、やがて体操競技会の演技をヒントに乗り越えることが出来た。従来の制御では、バランスを崩しかけたときにはぐっと踏ん張るようにされていた。しかし実際の人間の動作を見ると、バランスが崩れたときには倒れかける方向へと足を踏み出し、慣性で上体が起きあがるのを利用して踏みこたえるという動きをしている。これに気づいた技術者たちは、制御プログラムに同様のアルゴリズムを組み込むことで、バランスに関しては飛躍的に改善できたという。
 最新のP3はさらに腰椎部での回転機構を組み込み、上体を回転することでさらに複雑な動作、開いたドアを支えたままくぐりぬける、などが可能になった。重量も実に80kgにまで軽量化された。実用化まであとわずかだ。
 人間型ロボットはどういう用途に使われるのだろう。直感的には、人間と同じ行動能力を持っているのだから、人間の活動範囲での補助ということになるだろう。しかし現状ではまだまだ人間の行動能力を下回っているので、当面は病院などの介護に当たるのではないだろうか。家庭に入るのはその先だろう。
 潜在的には人間以上の大重量を運搬できるだろうから、軍事用途にも使われるかもしれない。人件費の高さに兵員数を揃えられず、結果的に火力が手薄になっている自衛隊にはうってつけかもしれない。

久しぶりに湘南台にでも

17時06分 暮らし 天気:雨ってるやん

 前日の夜からドラクエ1をやりつづけ、竜王を打倒だ~! それにしてもドラクエ1ってこんな小さなゲームだったのか。町が六つしかない。これに続いてドラクエ2までやり始めたのが運のつき。気が付くと朝の9時までやっていた。とほほほ。
 15:00前に散歩のつもりで湘南台に出撃。雨がしょぼつく天気ではあるが、傘を差すほどではなかった。湘南台ではここもしばらくぶりのだし屋に寄る。今日はなんだかやけに込んでいた。ここのスープは濃厚だが、焼き海苔を載せてにおいを打ち消している。残念なのはチャーシューが冷たいまま出てくることだ。食っているうちにあったまって柔らかくなってくるのだが、もう少し配慮してほしい点だ。
 その後は図書館でしばし読書。今日読んだのは動物のお話をまとめたネタ本で、シャコのパンチ力は凄まじいとかピラニアは本当はおとなしいとかそういう系統の話を読んだ。頭を使わなくても読めるので安らぐことよ。

2000年10月14日(土曜日)

深夜遅くに星を見た

23時55分 星見

 1:00くらいに東の空を見ると、オリオン座もシリウスも高くなりすぎて、ほとんど見えない位置にあった。では南向きのベランダから見ると、これが良好な位置に見える。また今夜は月が明るく照っている。久しぶりにBORG片持ち赤道儀を組み立て、100EDを夜空に向けた。
 柔な片持ち赤道儀では重い100EDを支えるのは一苦労だ。ようやくその役目を果たしている、という感じだ。しかし元々トップヘビー気味だったので、重い2インチアイピースとの相性は、ある意味では良い。
 LVW42で見る月は、視界の真中にこじんまりと、明るく見えているので、まぶしくてたまらない。やはりこういうシチュエーションでは高解像度の短焦点アイピースが良いようだ。そこでLV4に2.2倍バローレンズをかませ、350倍強という強拡大を試みた。前に同じ試みをしたときは、相当にボケボケで使い物にならないと感じたが、今日は大当たりで実に良く見えた。シーイングが良く、高度も高かったせいだろうか。しばしアリスタルコス近辺を眺めた。
 一方、オリオン座に対してはやはりLVW42による広視界が有効だった。これで大小の三ツ星近辺を眺めてゆくと、たくさんの星が群れる様が見て取れ、実に見事。しかし背景が明るいな。
 Or6+2.2倍バローで230倍強で見てもさほどボケない。トラペジウムは四つに分離できた。
 まだオリオン座の見頃は深夜遅くだが、冬の大三角形がかかる季節が近づいてきた。

深夜のETV

23時45分 テレビ

 23:00からは国宝探訪。今日は奈良唐招提寺の鑑真和上像の話題。この像は歴史の教科書には必ず載っていた有名なものだ。最晩年の鑑真の死を予感した弟子たちが作らせたものだという。
 鑑真は唐で高位の受戒僧として名高い人物だったが、日本にも受戒制度を伝えて欲しいという日本から渡来した僧侶の願いに動かされ、渡海を決意する。しかし5回に渡る企てはことごとく頓挫し、苦楽を共にしてきた弟子を失い、自らは失明するという苦難に遭う。しかし6度目にしてようやく来日を果たし、日本に初めて正式に受戒制度をもたらした。日本の仏教界にはじめて権威が伴ったといっていいだろう。
 鑑真来日のタイミングは良かった。当時、奈良東大寺の大仏開眼から2年、国中が仏教受容の熱気に溢れていた。そこにちょうど開いていた権威付けという間隙を埋める人物が来日したのだから、鑑真が熱烈に歓迎されたのも当然の話だ。
 しかし鑑真を取り囲む空気は大きく変転する。鑑真が担った役割は、いわばその瞬間だけ存在すればよいような性質のものだった。日本最初の受戒僧は、受戒僧足りうる僧を量産すれば、もう必要とされなくなったのだ。鑑真は国の中枢を追われ、弟子と共に小さな学問寺を築き、そこで残りの人生を過ごした。しかし僕は想像するのだが、こうした日本の公の仕打ちに対し、鑑真はさして気にもとめなかったのではないだろうか。彼は確かに学識高い受戒僧として来日し、その役目を担わされたが、一人の僧としては朝廷の奥深くに鎮座するような役目を喜んでいただろうか。それより彼を慕って集まってくる民衆や、熱心な若い僧侶たちに彼の知識を伝える仕事のほうが、はるかに実り多いと感じていたのではないだろうか。朝廷など、彼からすれば日本の野に仏教を伝えるために通らねばならない、厄介な関門程度の認識に過ぎなかったのかもしれない、と。

犯罪被害者は訴える

22時02分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは、犯罪被害からの救済に自ら立ち上がり始めた被害者の話題。
 特に'90年代に入ってから、犯罪被害者の救済という観点から法律のあり方が論じられるようになってきた。死刑廃止に関する論争でも感じられることだが、犯罪者をどう処分するかという観点からは熱心に論じられるのだが、その被害に遭った人々に対する処置は往々にしてなおざりにされてきた。被害によって肉親を失い、あるいは心身ともにダメージを受け、精神的にも経済的にも困窮しがちな被害者に対しては、人権保護に熱心なはずのNGOも結果的にはほぼ無関心に見過ごしてきた。
 こうした境遇に貶められてきた犯罪被害者たちが、ついに立ち上がり始めた。今年、被害者たちが全国的に大同団結した組織が設立され、各政党への働きかけを開始したのだ。会長を務めるのは、自らも妻を殺害された犯罪被害者である老弁護士だ。
 老弁護士は、これまで三十数年にわたって法廷での弁護に参加し、もっぱら犯罪者の権利保護に尽力してきた経験をもつ。老弁護士は、その過程で犯罪被害者の気持ちを踏みにじってきたかもしれないと回顧する。「泣く泣く示談に応じた被害者もあったでしょう」と。彼はそんな被害者の立場の弱さを、自らが犯罪被害者になってやっと分かったという。
 刑事裁判は、被害者による犯罪者への報復という機能を極力排除することを狙っている。刑事裁判の目的は、実は犯罪者による国権侵害、あるいは治安撹乱を罰することに他ならない。また刑罰の内容も報復を目的としたものではなく、あくまでも犯罪者の更生を目的とした教育主義的な機能を担っている。この辺は死刑制度の特異さとの関連でよく語られる部分ではある(死者をどう教育するというのか)。
 では被害者が立つ位置はどこなのだろう。実は被害者の立場はどこにも無いのだ。刑事裁判においては犯罪者と国家という立場のみが存在し、被害者の立つ場はどこにも無い。刑事裁判において、国家、あるいは犯罪者(こっちは滅多に無いだろうが)が求めない限り、被害者が法廷に立つことはありえない。目の前で被害者が辱められても、一言の反論も許されないのだ。またそもそも損害賠償を請求することも出来ない。
 こうした日本での刑事裁判のあり方に対し、諸外国はどうだろう。実は欧州では被害者(あるいはその代理人もありうるだろう)が検事と同席するという形態が広く見られるという。被害者は事実認定の過程で意見を陳述する権利を認められ、さらに損害賠償をも併せて求める権利が認められている。この制度は日本にも導入されるべきだとの意見があり、自民党などの後押しにより、法務省での検討が進められている。また犯罪被害者への裁判記録の開示などを盛り込んだ初めての指針も示されている。
 被害者が裁判に参加する権利を積極的に認めることは、その心理的な窮状を救済するのに役立つだろう。しかしそこには犯罪者対被害者という構図が再度生じ、近代的な法制度が否定してきた私刑的な意味合いが復活しないだろうか。特に陪審員制が導入されるとなると、ますます私刑的な意味合いが濃くなるのは否定できないように思う。それを検事のコントロールによって払拭しようというのだろうが。
 そもそも、被害者たちがもっとも困窮しているのは、経済的な意味合いにおいてである。被害者たちは公共的な救済制度が欲しいと願っているのである。
 犯罪被害者への視線が、せいぜいその憤りという観点(だいたいは殺人者が存在するのに死刑を廃止してよいのか、といった類の論議で見られる)にとどまっていたのは、犯罪の多様さに対し、その被害者の困窮のあり方も実に様々だという事実に拠っていると思う。それ以上に、被害者への眼差しに、その根源にあるべき共感と想像力が欠如していたのだと思う。僕自身、被害者は悲しみに暮れながらも日常をまた送っていくという、あまり根拠の無い漠然とした予想を持っていた。しかし事実は元のような日常を二度と送れなくなり、また時にはいわれなき中傷にも傷つけられるというふうに、精神的にも経済的にも困窮してゆくのだ。これを救済する公共の制度が望まれるのは当然ではないだろうか。自己責任において破綻した私企業を救済するのに何千億円も使うよりも、僕たち自身がいつか同じ立場に立つかも知れない被害者を救済し、その本来の能力を社会に生かせる方向に使う方が、よほど実りある金の使い道というものではないだろうか。それは、僕たちが漠然と抱え始めている、不条理な犯罪に対する恐怖感を、いくらかでも軽減してくれることだろう。

今日は爆睡の日

14時01分 デジタルギミック 天気:くもりのち晴れ

 1週間分の睡眠不足を解消すべく、鋭意爆睡に励んだ日だった。とはいえ、朝のうちに宅急便が届く予定だったので、午前中早めに起きてトロトロとしていた。名古屋の店に発注していたロカティオ用PC接続ケーブルが届く予定だったのだ。
 モノは10:30くらいに届いたので、早速ロカティオをPCに接続してみた。をを、内蔵のメモがPCから新規作成できるぞ......それだけか? 編集できないってのはなんだ(爆)。これじゃPCと接続してもあんまり意味が無い。まあバックアップを取れるのはありがたいが。PDAの特性の一つはPC(Macでもいいが)との密接な関係だと思うから、ロカティオは近年のPDAの書式に則ってはいない、独立性の高い機械だと良く分かる。GPSをのぞけばPalmやCEの方が便利そうだ。こういう力仕事はCEが向いているから、CEベースで同様の機械を作ればもっと売れたかもしれない。
 ロカティオのPC接続に失望した後は、午後遅くまで爆睡した。

2000年10月13日(金曜日)

ドラクエ

23時00分 ゲーム

 なにを思ったかドラクエをやり始めている。しかもSFC版1&2のカップリングだ。世の中は7が出て久しいというのに、いったいなにを考えているのだ > 俺
 そもそも、Diablo2(というよりB.net)があまりにも不安定なので、暇つぶしに手を出したのが運の尽き。いやもう、面白いのなんの。Diablo2のあまりものハードさ(とB.netの不条理な重さ)にめげかけている僕には、この安易なゲーム進行はまことに心癒されるものがある。いやまあ「あまいいき」の前に全滅などという事態もあるのだろうけれど、Diablo2の「ラグでゲームは動いてない様に見えるが敵のダメージはバシバシ入っているので動き出した途端に死亡」というスタッフ全員銃殺モノの不条理さは無かろう。最近、ユーザが増えたせいか、頓に酷くなっている。あるいは、フレッツISDNでのディレイもあるのかもしれない。

天気よくないなあ

21時58分 星見 天気:くもり

 せっかくの週末だというのに天気は良くない。どうして僕の星見を邪魔するのだぁ(ToT) 天に唾した覚えは無いが、なにか恨まれているような気がする。

2000年10月12日(木曜日)

星見れません

22時57分 暮らし

 今日の昼は晴れていたのだが、夕方からむくむくと雲が湧いてきて、結局夜には空が真っ白になっていた。ままならぬものよのお。
 さて、そろそろISSが見頃だと思われるので、人類が作った0等星を拝みたいところだ。

眠いぜ

19時57分 暮らし

 このところ、星見て午前様で寝る習慣がついたせいか、日々大変けだるく、昼まで仕事をするとすぐに帰りたくなる。リポDを我慢しているせいでもある。習慣になるとかえって効かなくなるからな。
 むさぼるように眠れる週末が待ち遠しい。

会議が長すぎる

17時56分 暮らし 天気:くもり

 昨日は定時前から会議があり、定時退勤日だったため定時で打ち切りとなった。今日は朝からそのリターンマッチがあった。これが長いこと長いこと。昼までかかって昼食時間に入ってもまだ終わらない。かなりオーバーランして、やっとお終い。最後の方は細かい部分を端折っていたな。も少し効率的な進行をお願いしたいところである俺様なりよ。

2000年10月11日(水曜日)

今夜も星を見た

23時40分 星見 天気:晴れ

 今日も薄雲はあるもののいい天気で、夜には期待持てそうだと思っていた。
 19:00に帰宅して少し月を眺めた。この時刻にはまだ東の空を上り始めた頃なので、東のフローリング部屋から充分狙える。C8EXにSW18を着けて月を入れると、視界一杯に月がすっぽり収まるくらいだ。それにしてもまるで像が安定しない。地形の細部まで見える瞬間があるかと思えば、全体がぼんやりとにじむ時間が長く続く。まだ高度が低いというのもあるのだろう。UW6.7で見ても、月はぼんやりとしてあまり楽しくは無い。アリスタルコス周辺をしばし眺め、一度撤退した。
 それからなんとなく寝込んで、日付が変わる頃に起き出した。その頃にはすばるが高く上っている。3脚の位置をずらし、100EDですばるを視界に収めた。今夜は霞が多いのか、LVW42で見てもすばるの細かい星までは見えない。
 土星、木星も高倍率では揺らぎが激しく、ほとんど見えない状態だ。
 天文ガイド誌の星図を参照し、M1やその他の天体を探してはみたが、まるで見えない。空が明るすぎるのだ。
 オリオン座が高くなってきたので、小三ツ星を眺めながらアイピースをいろいろ試してみた。LVW42はコントラストの点で不利だ。当然だが背景のレベルはUW6.7で見るほうが暗く、M42の細部まで良く見える。もっとも、LVW42でも細かい星が見えないわけではない。目が慣れると、かなり暗い星まで視界に浮かび上がってきた。M41も最初は苦労したが、LVW42でもUW6.7でも見えることが分かった。
 シリウスから北に移動してゆくとM50があるはずだ。その近辺をうろつくと、確かに細かい星がたくさん見える。だがどれがM50なのやら。この辺りはちょうど天の川に重なっているので、細かい星ならいくらでも見えるのだ。ちょっと分からないなあ。まあ明日も探してみよう。M41も最初は分からなかったのだから。

2000年10月10日(火曜日)

今夜もちょっと観望

23時55分 星見

 今日の天気予報は晴れのちくもり。夜になると雲が出るということだった。舐めとるのか。実際、帰宅する頃にはまだ月が見えていたのだが、21:00頃にいざ望遠鏡を出そうとすると空は真っ白に曇っていた。しばし空を見ていたが雲が切れる気配は無い。今夜は無理そうだと思っていた。
 ところが、23:00にふと空を見ると、いつの間にやら雲が切れて晴れ上がっているではないか。動きの多い天気だ。まだ東の窓からギリギリすばるを狙える時刻だったので、100ED+LVW42をすばるに向けた。
 LVW42の広大な視野の中に、すばるはすっぽり収まっている。まだ余裕があるほどだ。しかし背景が大変明るいので、コントラストはかなり悪化している。こういう状況ではフィルタの類が有効なのだろう。しかし2インチ用のフィルタは大変高いのだが。
 すばるが視界の外に消えた後、オリオン大星雲を眺め、それから天文ガイド誌の星図を参照して面白そうな天体を探した。M1が土星と木星を延長した辺りにいそうだ。しかしその頃には既に窓枠の外にはみ出ていた。もう少しレイアウトを考え直さなければダメだな。

試験

15時42分 暮らし 天気:くもり時々晴れ

 会社で試験があった。なんの試験かというと、我ら社員の業務遂行能力を認定し、待遇の参考にするという恐ろしいものだ。まあふつうに生きていれば極端に悪い点を取ることも無いのだが。そのうちにこうした能力認定の方法により、情け容赦なく待遇が決まってしまうようになるのだろうな。

2000年10月09日(月曜日)

でけえぞ2インチアイピース

22時18分 星見

 今夜は午前一杯降った雨のおかげで雲が晴れない。観望は無理そうだと思った。
 しかし望遠鏡への装着を試してみようと思い直し、100EDに取り付けてみた。100EDの備品をやりくりし、ヘリコイドに2インチアダプタを取り付けた構成で装着できるのを確認した。しかしこのアダプタ、最初はアイピースなんて通らないのではないかと思うほどきつかったのだ。特にMeadeのミラーはほとんど通らないのではと思うほどだった。しかしなんどか試しているうちに内径が削れたのか、きっちりはまるようになった。
 あれこれやっているうちにふと空を見ると、いつの間にか空が晴れ上がっている。天の恵みに感謝しながら、100ED+LVW42をオリオン大星雲に向けた。
 このアイピース、重さは1Kgはあると思われるもので、重みで望遠鏡のバランスが崩れてしまうほどだ。Naglar5ともども、凶器になりうるアイピースである。しかし見口は大変広く、かつめがねを掛けていても視野全てを見渡せるほどアイリリーフが長い。扱いやすさでは随一だ。物理的なサイズは別にして。これでオリオン座M42を視界の中心に置くと、小三ツ星が視野の中央に収まってしまう。広大な視野は大三ツ星さえもすっぽり収まるほどだ。しかし視野は明るく、コントラストは劣化する。
 計算上、実視野は5度近くにもなる。まさにRFTだ。
 その広視野に感動しながら、では他のアイピースで焦点が出るかと試してみた。2インチ天頂ミラーは、1.25インチ天頂プリズムよりも光路長は長くなる。テストの結果、やはり焦点が出ないアイピースがかなりあることが分かった。ビクセンのツァイスサイズと、BORGの軽量アイピースだ。ツァイスサイズのものはともかく、BORGのアイピースが使えなくなるのは痛い。正確には、(存在自身を忘れていた)H50を含めて、メガネを掛けていればなんとか焦点が出る。しかしアイリリーフの長いH50をのぞいて、残り二つのアイリリーフは極端に短いので、めがね付での運用は無理だ。前記2インチアダプタよりさらに短いサイズのアダプタがあればいいのだが、今度協栄に行ったときに探してみよう。
 それ以外のビクセンLV、Or、Meadeのものは問題なかった。とりあえずこれで使えそうだ。

モノを買い物

20時16分 星見 天気:雨のちくもり

 うーん、ロカティオはPC接続ケーブルが無いと、外部とファイルのやり取りも出来ないのか。CF経由では地図データぐらいしかやり取りできないようだ。これは買わざるを得ない、と思って秋葉に出かけた。
 いつもより多少早く、14:00前に出かけた。ポケットにはロカティオを突っ込んでおく。Palmの倍はあろうかという重さが頼もしい。わけが無い。重すぎだぜ。
 秋葉に出ると、まずはスターベースを襲う。ここで2インチ天頂ミラーの価格を見ておいたのがポイントだった。Meadeのアイピースが軒並み半額だった。うわっ、安い。幸いにして、我がUW6.7の買値の方が少し安かった。しかし、今がアイピースの買い時かもしれない。などと考えてしまいディーラーの罠にみすみすはまる俺様であることよ。
 ここではなんとか耐え、その足でロカティオのPC接続キットを探して秋葉を流離う。このキット、実体は単なるケーブルに過ぎない。秋葉のどこかにはあるだろうと思い、最初はM専の類を探してみたが、無い。さらに大手量販店を探すも、ここにもなし。そもそも、ロカティオ自身、影も形も無いではないか。やっぱりソフトウェアが独自というのが痛かったのだろう。WindowsCEかPalmかだったら良かったのだが。そういうのを出す気は無いのだろうか。
 結局、秋葉では接続キットを買えなかった。帰宅してインターネット検索で探し出した店舗に問い合わせを出してみることにした。
 では秋葉でなにも買わなかったかというと、あにはからんや高額商品をまたしても購入してしまった。最後に協栄に寄ったとき、以前見かけたビクセンのLVW42を買ってしまったのだ。しかも、Meadeの2インチ天頂ミラーまで一緒に。
 このアイピース、焦点距離が実に42mmと長く、実視野を広く取れる点が目を引いていた。しかし見かけ視野の方は他のLVWと同じく65度だと思い込んでいたのだ。しかしふと値札を見ると、実際には72度とあるではないか。これはほとんど、貧乏人向けNaglar5だ。Naglar5が8万円近くするのに対し、こちらは28000円弱。高価ではあるが、しかし手が出ないわけではない。しかしこれを買っても2インチの天頂ミラーが無いとなあ。
 まあいい、とりあえずは直視で使おうと思った。このアイピースと安売りしていたBORGの遮光環キットを手にレジ向かった。そこでつい「安い2インチの天頂ミラーってありますよねえ」などと話したのがいけなかった。店員さんいわく、「あれは平滑度が......」と。確かにその点は不安だ。そこで店員さんが薦めてくれたのがMeadeの2インチ天頂ミラーだったというわけだ。これなら13000円でどうだという。乗りかかった船だ。買わざるを得なかった。そんなわけで思いがけない大出費となった。
 それにしてもこのアイピースとミラーの重いこと。たかが"望遠鏡用小物"の癖に、リュックがずっしり重くなる。今夜は鍋するつもりだったので、飯屋には寄らず、ロカティオでネット漂流しながら帰宅した。

2000年10月08日(日曜日)

うっかり八兵衛

19時15分 暮らし

 うわっ、オフのレポートで水彩氏と章友氏を間違えていた。すまん。

テレビでも見るか

14時13分 テレビ 天気:くもりのち雨

 休みの中日ともなると外に出かけたい気もするが、今日はさぞかし人出が多かろうと思った。よって家でゴロゴロすることに決定。
 昨日録画しておいたNHKスペシャルを見た。アメリカはフロリダ半島の地下に広がる、広大な地下水脈を探検する人々の話題。
 フロリダ半島は地下水に恵まれた土地で、飲料水の90%を地下水で賄っているという。半島のあちこちには多くの泉があり、澄んだ水が滾々と湧き出ている。そうした泉は、その底で地下深く走る地下水脈とつながっている。
 地下水脈の形成には、フロリダ半島の成り立ちが関わっている。フロリダ半島はかつて水面下にあった。地球が温暖な時期に水に覆われていたフロリダ半島では、サンゴ礁が発達し、膨大な石灰質が堆積していった。やがて氷河期に入り海面が下がると、石灰石の塊が地上に現れた。それが長い間に侵食されて鍾乳洞となり、フロリダ半島に降り注ぐ雨が地下水となって流れるようになったというわけだ。
 この地下水路を潜水調査しているのは、厳しく訓練されたダイバーたちだ。かれらはボランティアとして実地調査を任されている。調査は10年以上にわたって続いているが、9年前にメンバーの一人が事故に遭い、水路内で亡くなっている。この事故をきっかけに徹底した安全対策がとられた。流れのきつい水路内の探査に適した装備を自力で開発する。また実際に潜水するダイバーを多数のサポートダイバーがバックアップする体制などなど。一般ダイバーが300名も命を落としているというのだから、こんな対策が必要になるのだろう。
 泉の多くは水路で連絡しあっていることが確認されている。調査した中では最も南のワクラ泉の場合、南方に実に5km以上も延びていることがわかっている。そしてこれらの地下水脈は、はるか北方から連なっていると考えられている。状況証拠があるのだ。
 '99年、調査範囲のはるか北方にある湖が、ホンの二晩で干上がるという椿事があった。調査の結果、この湖の地下にも地下水路があり、旱魃によって地下水位が下がったために湖の底が抜け、水が一気に流れ出してしまったためと判明した。一月後、今度はワクラ泉の水位が急上昇し、かつ透明度が下がるという事件が起こった。この二つの事件は密接にかかわっていると考えられた。すなわち、北方の湖から流れ出した水が、未知の地下水路を通ってワクラ泉から流れ出したのだと推測されている。
 水路ははるか南にも続いていると考えられている。メキシコ湾には真水が湧き出す海中泉がいくつもある。それらはフロリダ半島の地下水脈の終端だと考えられている。
 このプロジェクトを引率するのは、地元で証券会社に勤めているダイバーだ。完全にボランティアでこうした科学的調査が進められるというのが、アメリカという国家の面白いところだ。このダイバーは、「丘を越えると何が見えるのだろう。角を曲がると何が見えるのだろう。そういう好奇心がプロジェクトの原動力になっている」という。実際、地下深くに広がる大洞窟、パワーケイブを目にする人はごく少ないはずで、なんともうらやましい趣味だと思う。しかし14時間も潜水しているなんて。

2000年10月07日(土曜日)

天体写真に挑戦

22時55分 星見

 帰宅してのんびりしていると、空に月がかかっているのを思い出した。南天を覗くと、月は高度が低くなり、あまりよく見えない。しからば東天を見ると、すばるがまさに昇りつつあるところだった。それをLV40で撮り、PhotoshopLEで処理してみた。まだCCDオーバーフローの影響を除去しきれてないが、結構いい感じである。大型CCDでバルブ可能な機種ならもっときれいに写るだろう。

オフだオフだ

20時42分 暮らし 天気:晴れ

 前日、1:00くらいには寝たので、10:00前には楽勝で目覚めていた。それから風呂に入り(前日、入らないまま寝入ったので)、しばしゆっくりした。
 ふと思い立って、ロカティオ用の地図をダウンロードし、ロカティオにほうり込んだ。横浜近辺と、地元呉周辺。全部で10MB近くにもなる。結構食うなあ。
 そのロカティオを持って、15:30過ぎに家を出た。目的地はいつもながらのあざみ野だ。今日、17:00からの予定でオフ会があることになっている。
 地下鉄の改札を出たのが16:50。集合場所の東急改札口近辺に落ち着いて、ロカティオを取り出してまずはテスト。うん、ちゃんとアクセスできる(当たり前だ)。顔を上げて探しもしない。どうせ17:00ちょうどに来るはずも無いのだから。いつものことだ。期待しなければ失望することもない(爆)。果たして、17:00ちょうどに現れたのはY.SATO氏のみだった。律義なY.SATO氏にロカティオを自慢していると、5分過ぎくらいに久遠氏と大阪組が現れた。これは意外だ、てっきり30分は遅刻すると思っていたのに(爆)。まあその前にしびれを切らして久遠邸襲撃となっていただろうが。大阪組二人(瓜生&KAZUKA)は相変わらず元気だった。関西人のバイタリティの素はおいしいたこ焼きだろう。だから関東ではまずいたこ焼きしか食えないのだ(いったいどういう論理の運びだ)。
 それぐらいから参加者がわらわらと集まり始める。既出の5人に加え、はるだぁ、おーぎや、妄言王、水彩の各氏が集合してくる。水彩氏は今回始めての参加で、久遠氏のチャットに参加してる人だとか。
 肝心の伊藤君はというと、これがまた来ない。行方不明だ。15:00には渋谷にいるという話だったらしいので、今ごろは小田急線にうっかり乗ってしまって箱根湯本だ、いや新幹線で大阪だなどと勝手なことをほざいていたら、頭をかきつつ伊藤君登場。やっぱり電車を間違えたんだとか。新幹線と間違えなくてよかったな。
 残り一人の章友氏は未着だ。章友氏を待つ久遠氏を残し、一行はいまやお馴染みの花子へと移動した。
 花子では前回と異なり一般の席に通された。ホッ、アレは決して怪しげな集団を隔離するための処置ではなかったのだ。席に着いて大阪組とはぐれちゃったねえなどと話していたら、久遠氏が登場。章友氏も一緒。章友氏はこの宴会唯一の女性だった。大阪組も到着し、宴会が適当になんとなく始まったような気配になった。
 花子では隅っこに陣取り、モバイルツールを並べて周囲に自慢した。というか並べるだけのスペースが無いぞ。早々にバックパックに収まる運命のロカティオであることよ。PHSの繋がりもいまいちだ。
 しかし喋りながら適当に出されるモノを口に運んでいた。駆けつけ三杯というが、宴会では最初のピッチが早すぎてしばしアタマが混迷を極める。話題はなんだかわからんが、もっぱら妄言王いじりが主流であった。この会合は、一応は創作を志す者の集いということだった。しかしY.SATO氏はそうではないというし、僕も半分位道を誤りかけているものだ。これという共通の話題があるわけでもなく、そのくせ話は尽きない。結局何を話したのかほとんどおぼえてないではないか。「ゼノンのパラドクスをアリストテレスはどう論破したか」ではもちろんないし、「えここ萌え~」でもなかったと思う(極端だよそれは)。いやまあ、これは毎度のことか(爆)。
 妄言王は隣に陣取った章友氏の尋問に喘いでいる。ここで「安物の卓上ライトと刑事さんのカツ丼があれば奴は落ちる」という意見が僕の周囲では主流であった。
 トイレに中座したとき、やや足下がおぼつかないのを自覚した。鏡の前に立っているとフラフラして、このまま倒れてしまいそうだ。その後はジンジャーエールとウーロン茶で酔いを醒ますことに専念した。
 なにせ花子だ。今回もドッと料理が来るに違いないと思っていた。冷戦たけなわの頃、ソ連海軍は米海軍の機動部隊を撃破するために、対艦ミサイルによる飽和攻撃を何度も演習していた。数分のうちに数百発のミサイルを集中させ、機動部隊の対空火力を飽和させてしまおうというものだ。花子の物量作戦もそれと似たところがある。こちらが食いきれないほどの料理が、短期間のうちにどどっと来てしまうのだ。これを警戒していた。ところが、今回はどうしたことか、あれっと思うほど少なかったのだ。揚げ物が出て、刺身が出て、蕎麦が出て、打ち止め。昼食をごく軽くしてきたので、これではかえって物足りなくなる。さては花子め、いままでの大盤振る舞いをやめて絞り始めたな。
 真偽は不明だが、ともかく意外なほど食えないうちに打ち止め。二時間はあっと言う間だった。しかしまあ食って喋ってで楽しむことは出来た。
 一行はなんとなくまたあざみ野駅に出て、しばし雑談する。水彩氏とはここでお別れ。残りはコーヒーを飲みに適当な喫茶店に雪崩れ込んだ。ここでもしばらく喋りながら高価なアメリカンコーヒーをすすり込んだ。ここでも章友氏は妄言王を責める責める。妄言王の何が周囲の嗜虐心を励起するのだろうか。
 ここで一時間以上話し込んで、ようやくお開きになった。最後は横浜在住になったはるだぁ氏と妄言王を新横浜へと送還し、帰宅した。

2000年10月06日(金曜日)

今節のみんなのうた

17時34分 音楽 天気:曇ってますね

 今節分のみんなのうたの録画が出来たので、感想を書いておこう。
「よかったね笑えて」。ああ、そうですか、という感じの歌ですな。
「むし」。70年代のポップスロックっぽい曲で、なかなかヨイですな。しかし最後で虫になったまま終わったらどうしようと思った。最後に夢が覚めるのが教育的である(なにがだ)。
「花になる」。時期的にもう少し前ならオリンピック応援歌になりそうだ。女子柔道部らしいが、ふつうっぽい娘がいてかえって新鮮な感じ。
 再放送分は全部見たものばかりだ。「ふうせん」があるのが、ちょうど「むし」との対比で面白い。'70年代ポップスロックのブームでも来ているのか?

2000年10月05日(木曜日)

久しぶりに星を見た

23時32分 星見

 毎日くもりが続いている。今夜も白い雲が一面を覆っていたので、恐らくダメだろうと思っていた。しかし23:00頃、鍋の残りで雑炊を作りながら外を見ると、空がかなり晴れて星が光り始めている。雑炊を平らげ、100EDで東の空を狙った。
 すばるは最初のうちはいまいち明るくも無く、また群れても見えず、迫力不足が否めなかった。土星は多少ましだが、やっぱり暗い感じだ。まだ雲があるようだ。しかししばらく土星から木星に掛けてをさ迷っているうちに、やがて薄雲もほとんど見えないくらい薄くなった。この時点ですばるはいつもの煌きを取り戻していた。LV40で見ると背景が白くなりすぎるが、SW18で見ると広い視野にすばるの大半が収まり、かつ背景が暗いので、すばるの星一つ一つが引き立って見える。カバレージや視野の広さではSWK22が上だが、これはフルコート(マルチではない)であるのとアイリリーフが短いのとで、さほどには嬉しくない眺めだ。すばるのように明るい天体を見たとき、コーティングの差はいやらしいほどはっきりと分かる。実売価格に5倍以上の開きがあるので仕方ないのだが。これはこれで面白いアイピースだ。広角で軽くて安価! 僕のような貧乏人の友である。しかしのぞく度に目レンズが汚れるのはなあ......。
 その後、土星と木星も見た。土星はカッシーニの間隙は識別できたが、本体の縞が判然としなかった。木星も本体の縞数本が見えただけだ。まだ残っている薄雲が邪魔しているようだ。
 今夜はここまで。明日晴れたら、すばるをE950で撮ってみよう。

Windows Me導入

17時31分 コンピュータ 天気:くもり

 会社の機械にMeを導入してみた。最初、NTしか入ってない機械に入れようとして大変苦労したのだが、結局はまっさらな機械か既に95系が入っている機械かでないとインストールできないようだ。MSの立場からすれば、NTを入れてある環境にMeをインストールすることなど考えてないようだ。しかし使用するソフトの関係で後からデュアルブートにしたいという要求はあるはずだ。ネックは、CドライブがFATで無ければならない点なので、もしもCがFATという設定にしてあるNT環境ならインストール可能かもしれない。いや、たしかWindows98はダメだったので、Meもやっぱりダメなんだろう。95系OSの構造的問題であると共に、MSによる誘導をも感じる。
 このMe、見た目も使用感も98とほとんど差が無い。MS-DOS5が6になったときのようなものだ。操作上、多少はWindows2000から導入された機能が追加されてはいるが、通常使う分ならばあまり戸惑うことも無いだろうと思った。

2000年10月04日(水曜日)

レリーズの威力

23時29分 暮らし

 今夜は寄せ鍋にした。一人では手に余る量の鍋をなんとか平らげ、夜風に当たりながら一服していると、思いがけず空の雲が切れた。木星が見えたので、早速100EDを向けた。シーイングは悪くない。そこでLV4を着け、ニコンデジカメアダプタで土星と木星を狙った。
 E950で撮影するときはシャッターによる手ブレが問題だったが、今日買ったレリーズ固定ツールのおかげでそれは解消された。今までは木星が写っているのか人魂が写っているのか判然としないような画像しか撮れなかったが、少なくとも木星だと分かりそうな画像が撮れるようになった。大変な進歩だ。
 土星、木星と撮ったところで雲が出てきた。今夜はここまで。

v.s. DOCOMO

20時26分 デジタルギミック 天気:くもり

 朝からどうも体調が優れない。微熱があって、すごくしんどい。今日はやっと仕事の谷間というところなので、さっくり休むことにした。
 しかし寝床で悶々としているといろんな事を考えてしまう。やっぱり対DOCOMO問題は早期に解決を図るべきではないか。KDDIに乗り換えるにせよDOCOMOビルを爆破するにせよ、さっさと手を打たないと金が浪費されるばかりだ。ロカティオだって全然活用できないじゃないか。まことに腹立たしい。
 とうとう起きだして、ネットでKDDIのサイトを調査した。こういうとき、常時接続は本当に便利だ。
 調査の結果、KDDI(DDI-P)では数種類の料金コースが用意されており、そのうちデータ通信を意識したコースは3000円のうち1000円分の無料通話が可能だと判明した。これはDOCOMOのデータプラスでは1980円で1000円の無料通話が可能なので、DOCOMOの方が有利だ。またDDI-Pのそれは音声通話分はこの無料通話対象外になる。DOCOMOのコースは最近改訂されて含むようになった。
 ここまで見るとDOCOMOの方が有利そうだが、この先でちょっと変わってくる。通話料金そのものは大差ない。DOCOMOにはmoperaというDOCOMOのPHSさえあればすぐにアクセスできるプロバイダサービスがあるのだが、これが利用料金15円/分。それに対してKDDIでは昼間10円/分、夜間は13円/分で全国一律にアクセスできるMALというサービスがある。これはMALに加入しているプロバイダまでの経路を提供するものに過ぎないが、そのプロバイダが固定料金ならば結構低価格で利用できる可能性がある。そしてそれが日常使っている固定料金プロバイダなら、MALの課金だけで利用でき、moperaより安くなることになる。残念なことにairnetは加入してないが、どこか適当なプロバイダに乗り換えても良いと思った。
 一長一短あるという感じだが、このときはやはりKDDIで行こうと思った。H"は魅力的だし、この先もDOCOMOを使うなら機種変更のたびに苦労するのが明白だ。会社を休まなくては機種変更できないなんて。結局、僕は今の341Sでの契約を切り、KDDIに乗り換えるつもりで横浜に出かけた。
 まずはH"を購入しようと思っていた。しかし電車の中でいろいろ考えていくうちに、H"に乗り換えても利点が無いのではないかと思うようになった。まずH"にはカード一体型が用意されていない。カード型はあるが、これは音声通話できない。データ通信主体だが、音声通話も結構使う僕には向いていない。一般的なPHSではケーブルが必要になる。この点に関して美しくないのはもとより、新たなる出費が必要になるという点も見逃せない。特にロカティオのそれは専用品なので、他の一般的なノートPCなどの場合には流用できない。それと果たしてH"が僕の行動範囲で使用可能かどうかが不明だ。よくDOCOMOより通話範囲が広いなどといわれるが、そのDOCOMOの方は僕の行動範囲の大半をカバーできていることが分かっている。一方、H"では買ってみるより他に無い。特に実家の呉での状況はどうなのだろう。そう考えると、かなり博打な面がある。また良く考えるとDOCOMOショップの中には土曜営業の店舗もあるので、そういう店舗で機種変更すればサラリィマンである僕にも年休を取る必要がない。
 思い悩んだ挙句、もしも611Sが充分に安価に入手できるのならそれにしよう、高価ならH"にしようと思い、横浜のヨドバシカメラに入った。この界隈を歩くのは初めてだったが、案外に使えそうな店舗が揃っている雰囲気だ。特にヨドバシでは双眼鏡まで扱っている。なんだか水曜日にはここに来てしまいそう。
 1Fで携帯/PHSコーナーをのぞいていると、611Sを発見。12000円かあ、やっぱり高いのね......などと思いつつ値札を良く見ると、実は1200円。これは思いがけず安い。341Sは2万円近く払った気がするので、随分下がったものだ。その場で契約し、1時間後に受け取れるということでそこを離れた。その間、ヨドバシの各フロアを見て回る。困ったことに、前から欲しかったものがやたら目に付いてしまう。まずNIKONのファーブルミニがたった24000円。欲しくなるがぐっとこらえる。マクロスライダーが4980円。買ってしまう。コンパクトカメラ用のレリーズ固定ツールが980円。買ってしまう。レンズ洗浄液300円。買う。コニカの強力ブロワー800円。買う。Windows2000期間限定パック、我慢。XEROXのWorkCentre用カラーインク5000円、買う。瞬く間に荷物が膨れ上がることよ(笑)。これはヤバイと思ったので、ヨドバシを出てこの界隈を歩き回った。もう一店、カメラ系の量販店があったので歩き回ったが、こちらの品揃えはたいしたものではない。しかしヨドバシを補完するような品揃えではあるようだ。
 近くのコーヒーショップで時間を潰し、1時間後にPHSを受け取った。さて、341Sを解約しに行こう。
 DOCOMOの神奈川支店というのが桜木町駅から15分も歩くなどというふざけた場所にある。なんでこんな辺鄙な地に、と思った。しかし電車で桜木町駅に降り立つと謎は解けた。そういえば、ここはみなとみらいの一帯だったのだ。桜木町駅の近くから恵比寿界隈にあるようなムービング・ウォークがあリ、それに載って移動してゆくと巨大建造物の数々が視界に入ってきた。その間隔は広く開いているので、未来的な眺めの反面、ホッとするような光景でもある。しかしそそり立つビルは物質文明の威力をまざまざと思い知らせるものがある。ETVのとある番組で、ベトナム戦争に従軍した経験があるベトナムの作家が、訪米した際の印象を語るのを見たことがある。いわく「物質文明の迫力を感じた」という。物質的には貧しいベトナムからやってきて、マンハッタンの高層ビルの塊を見たときには、誰だってそう思ってしまうのではないか。自分たちと隔絶した力を感じたはずだ。僕たちは普段なんとなくビルの中で生活し、無数の巨大構築物の間を無関心に歩いている。しかしこうして屹立する高層ビルを眺めていると、これが人間の力で作られたとはなかなか納得できない。ほとんど超自然的な作用すら感じるほどだ。しかし設計から施工まで、一貫して人間の意志が感じられるのも確かだ。
 ランドマークタワーを過ぎ、横浜市美術館の前を歩く。広い広い道のあちこちで人々が楽しげにたたずんでいる。それを見ているうちに、いつの間にか僕の風邪による不快感も解消してしまった。もっとも、帰宅してぶり返したけれど。
 さらに進み、横浜駅前のそごうが見えるほどの場所に、DOCOMOの神奈川支店があった。ここで341Sの契約を解約した。窓口嬢は手馴れた様子でDOCOMO東海に照会し、最大明日までの課金が発生する旨告げられ、あっという間に完了。341Sを返却するように言われたが、何の法的根拠もないだろうと思ったので紛失したと告げて回避した。コードレス子機として使ってもいい。
 帰り道、メディアタワーから横浜市美術館、ランドマークタワー、そして日本丸の辺りまでE950で写真をとりながら歩いた。巨大建造物を入れる構図が多いので、今日ばかりはワイコンを持って来れば良かったと思った。
 ランドマークタワーの根元にあるカフェテリアで一服し、ロカティオ+611Sでネットアクセスしながら帰宅した。実はDOCOMOに行く途中、横浜美術館の前で611Sを開梱して試していたのだ。立ったままですばやくインターネットアクセスできるのは便利だ。しかしブラウザの操作が良く分からなくて困ることもあった。でも快感だ。
 17:00頃、疲れきって帰宅した。思いがけず充実した1日になったが、帰宅すると同時にまた微熱がぶり返してきた。

2000年10月03日(火曜日)

思案思案の俺様

20時37分 デジタルギミック 天気:概ねくもり(雨も降った)

 ううむ、どうするべきか。PHSに関して迷っている。道義的にはDOCOMOなど切ってしまうべきだとは思うが、611Sの魅力は劣悪なキャリアさえも容認させてしまう。しかしH"もそそる物があるのは確かだ。キャリアとしてはDDI-Pの方に分がある。
 しかしである。CDMA系の携帯電話データ通信が普及間近となると、果たしてPHSに依存してよいのかという気にもなるのだ。まあ数年で消えるとは思えないし、消えるとも限らないのだが、田舎に行くとやはり携帯電話の方が有利なことが多い。
 PHSは都会の移動通信だからな。

2000年10月02日(月曜日)

ダメダメDOCOMO中央

20時35分 デジタルギミック 天気:晴れのち雨

 ロカティオを活用したい。そうすると必ずインターネットアクセスが必要になる。地図とかはまだ何とかなるのだが、DGPSや細々としたサービスは、必ず直接インターネットに接続する必要が生じる。
 手持ちの341Sでは接続できないので、対応機種に入っている611Sに機種変更することにした。
 この機種変更に関しては、DOCOMOでは直営のDOCOMOショップでしか扱っていない。他の会社のPHSはどこの店舗でも機種変更可能だし、DOCOMOでも携帯電話に関しては一般店舗で可能だ。それがDOCOMOのPHSではこの有様なのだ。はっきりいって、PHSキャリアとしてのDOCOMOにはまったく期待してないのだが、カード一体型の機種がDOCOMOにしかないこと、日常的に行動する範囲ではDOCOMOの圏外に出ることがまず無いことから、契約を継続したいのだ。長期利用割引期間に入ったという点も見落とせない。
 まあ不本意だが仕方ないと思いつつ、湘南台のDOCOMOショップに611Sの在庫の確認を入れ、同時に他地域のDOCOMOと契約している場合でも機種変更は可能かと質問した。ショップ側は「可能」と回答し、必要な書類に関しても答えてくれた。そこで定時後に速攻で退社し、湘南台に向かった。
 ショップでは少し待たされた。やがて呼び出しがあって、窓口に行くと、担当の女性がなぜか非常に低姿勢で申し訳なさそうな顔をする。いわく、「他地域のDOCOMOとの契約の場合は、このショップでは扱えない」とのこと。桜木町にある支店に行けといわれ、地図を記した紙切れを渡されて追い払われた。僕も大人になったものだ、爆発しないでおとなしく引き上げたのだから。窓口でごねても、制度としてそういうパスが廃止されたようなので、1店舗でどうにかなるものでもなさそうだと思ったからだ。しかし帰り道、どうしても苦渋に満ちた顔つきになる俺様であることよ。
 帰宅して、善後策を練った。この支店というのが平日の9~17時のみ営業という、まるでサラリーマンの天敵のような営業時間なのである。休んで行けというのか。
 どうやらおとなしく休みを取って支店に出向くか、今の契約を打ち切って新規契約するかの二者択一しか無さそうだ。頭来るよな、これは。まあ各地域のDOCOMOは別会社という建前なので仕方ないが、携帯電話との差の大きさに唖然とする思いである。
 この分では、契約を中央に移したいと言おうものなら、本店に行けといわれかねない情勢である。ああ、頭に来る。なぜKDDIはカード一体型の機種を用意してくれないのだ。電話出してぇ、ケーブルつないでぇ、というもたもたしたケーブル回しが、僕の美意識に著しく反するのである。カード一体型をぶち込んで即通信。これ以外に考えられないのだ。

2000年10月01日(日曜日)

NHKスペシャル

23時32分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは北極海の横断に挑んだ人たちの話題。ある冒険家の呼びかけに集まった市井の人たちが、徒歩で北磁極への横断に挑んだのだ。60kgのそりを引いての旅は想像以上に過酷で、体力に自信がある人でもうまく環境と折り合えなければ挫折することになる。むしろ己の限界をわきまえて自然と折り合えば、多少体力に自信が無くともやっていけるものらしい。この旅に参加したのはそれぞれ人生にアクセントをつけたいとか、何か日常では得られないものを求めている人が多いようだ。そういう意味では、山にこもって山岳修行に励む人々に似ている。しかし僕ほどなまりきった肉体の持ち主には、どうあがいても達成できそうに無いな。

ロカティオ連れて町に出る

19時31分 デジタルギミック 天気:くもり

 今日もくもり。晴れないなあ。
 今日も今日とて、昼までとろとろと眠り、昼過ぎに戸塚に出かけた。例によって図書館に行き、読みかけだった本を最後まで読み通した。日本人の死生観云々というものだが、分かったような分からないような気分にさせられる。恐らく、死というものが誰にでもやって来るものなのに、誰も体験したことが無いという点が難しいのだろう。などと分かったようなことをなおも書いたりして。
 一点、胸を突かれた思いがしたのは、「日本人は本来の仏教的無常観にいろいろ付け加えてしまっている」という記述に当たったときのことだった。日本人の無常観の代表といえば平家物語や方丈記のような「なにやっても死ぬんだから無駄じゃん」(何故似せハマッ子)というものだ。しかしこの本では仏陀はそうはいってないのではないかという。「人は生まれた以上必ず死ぬ。そのことをそのまま認めよ」というのが本来の無常なのではないかというのだ。そこにネガティブな価値観を織り込むこともせず、ただそのような事実を前提に生きよというのが仏陀本来の主張なのだ、と感じた。変にネガティブに考え込むことも無いのだね。とはいえウェットな死後観を持つ日本人としては難しいのだが。
 行き帰りでロカティオをいじってみた。日本語入力は使えるやら使えんやら。複雑な漢字を認識できる反面、簡単なひらがな、記号を認識してくれないことがしばしばある。GPSと地図の連動もそうなのだが、インターネットに接続できるようにしないと、今ひとつ面白みに欠ける。611Sを調達するかあ。