Strange Days

2000年10月01日(日曜日)

NHKスペシャル

23時32分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは北極海の横断に挑んだ人たちの話題。ある冒険家の呼びかけに集まった市井の人たちが、徒歩で北磁極への横断に挑んだのだ。60kgのそりを引いての旅は想像以上に過酷で、体力に自信がある人でもうまく環境と折り合えなければ挫折することになる。むしろ己の限界をわきまえて自然と折り合えば、多少体力に自信が無くともやっていけるものらしい。この旅に参加したのはそれぞれ人生にアクセントをつけたいとか、何か日常では得られないものを求めている人が多いようだ。そういう意味では、山にこもって山岳修行に励む人々に似ている。しかし僕ほどなまりきった肉体の持ち主には、どうあがいても達成できそうに無いな。

ロカティオ連れて町に出る

19時31分 デジタルギミック 天気:くもり

 今日もくもり。晴れないなあ。
 今日も今日とて、昼までとろとろと眠り、昼過ぎに戸塚に出かけた。例によって図書館に行き、読みかけだった本を最後まで読み通した。日本人の死生観云々というものだが、分かったような分からないような気分にさせられる。恐らく、死というものが誰にでもやって来るものなのに、誰も体験したことが無いという点が難しいのだろう。などと分かったようなことをなおも書いたりして。
 一点、胸を突かれた思いがしたのは、「日本人は本来の仏教的無常観にいろいろ付け加えてしまっている」という記述に当たったときのことだった。日本人の無常観の代表といえば平家物語や方丈記のような「なにやっても死ぬんだから無駄じゃん」(何故似せハマッ子)というものだ。しかしこの本では仏陀はそうはいってないのではないかという。「人は生まれた以上必ず死ぬ。そのことをそのまま認めよ」というのが本来の無常なのではないかというのだ。そこにネガティブな価値観を織り込むこともせず、ただそのような事実を前提に生きよというのが仏陀本来の主張なのだ、と感じた。変にネガティブに考え込むことも無いのだね。とはいえウェットな死後観を持つ日本人としては難しいのだが。
 行き帰りでロカティオをいじってみた。日本語入力は使えるやら使えんやら。複雑な漢字を認識できる反面、簡単なひらがな、記号を認識してくれないことがしばしばある。GPSと地図の連動もそうなのだが、インターネットに接続できるようにしないと、今ひとつ面白みに欠ける。611Sを調達するかあ。