Strange Days

2000年11月30日(木曜日)

戦いは続くよ

23時55分 コンピュータ 天気:晴れていたかも知れず

 2号機との戦いはまだ続いている。相変わらずWindows2000からはOS/2機のドライブが見えない。Netbeuiを外したり入れたり、サービスとプロトコルのバインドを変えたりしたがダメ、見えないものは見えない。わけがわからない。一番分からないのはOS/2側からは2号機のドライブが見えていることだ。
 なんて事をやっているうちに、それどころか今まで使えていたWindowsNTからもOS/2のドライブが見えないことに気づいた。どういうことだ? これがOS/2側の設定をいじったのならば、なにか設定が変わったせいだという推測も出来るのだが、今回はOS/2側は全然いじってないのだ。原因が不明すぎる。NTもW2Kも「予期しないネットワークエラーが起こった」とほざくばかり。だから何が起こっているというのだ! ちゃぶ台返しを決めながら吼える俺様だった(っていうかちゃぶ台なんて我が家にはない)。
 ともかく、OS/2へのメモリ増設は済ませておいた。+128MBで384MB。気のせいか動きが軽快になった気がする。でも今までもメモリを使い切ったことはなかったしな。

2000年11月29日(水曜日)

それではケースを買いましょ

23時55分 コンピュータ 天気:曇っている......?

 昼過ぎに起き出して、湘南台に出かけた。ケースは近場で買うつもりだったのだ。こう考えると、立場という土地もそれなりに便利である。
 湘南台では、まずは図書館に寄った。ちょっとした調べもののつもりで机に数冊の本を積んで読み始めたとたん、閉館のアナウンスが流れ始めた。あれ、平日は19:00までではないの? 退散するときに開館時間の案内を読むと、月、金曜日が19:00まで、それ以外は17:00までということらしい。知らなかった。
 ともかく図書館を追い出されたのは確かなので、WaveEyeでケース、ビデオボード、小物を買って帰った。
 帰って、まずは2号機の更新に挑んだ。久しぶりにケースを開け、ほこりをブロワーと掃除機で吸い取りながらメインボード、ディスク、プロセッサ類の変更を行った。本当に汚れてるなあ。今回は、今やゴミみたいな2GBのSCSIディスクを外し、熱と騒音の問題を改善した。古いディスクだったのだ。
 いちおう、この状態でもNTは起動できる。しかしなぜだかなぜかLANが死んでしまっている。なんで? いろいろ試したが、結局LANドライバをいったん削ってから再インストールすると、一応LANは蘇った。一応、というのは、なぜだか1号機(OS/2)のディスクが見えなくなったのだ。1号機はディスク周りが高速で、ファイルサーバとして使用していた機械だから、これにアクセスできないと非常に困ったことになる。実は同時に入れたWindows2000からもやはり見えないのだ。なにが起こっている? さらに(これは以前からだが)OS/2機からは3号機のSamba共用エリアが見えない。なにか小さな問題が累積していろんな問題を起こしているようだ。これらをどう解決するべきだろうか。ううむ。
 夜中遅くまで悪戦苦闘していたが、結局なんともならず、新4号機の建造など全く手つかずのままだった。いやはやなんとも(永井豪爆)。

2000年11月28日(火曜日)

久しぶりに星見

23時55分 星見

 帰宅して、2号機の更新を検討しているうちに眠くなって寝てしまった(駄目じゃん)。起き出すと、昼間の快晴がそのまま澄んだ星空になっていた。早速100EDをベランダに出した。
 そういえば、今日の昼にスターベースに寄ったとき、噂のSKY90を見た。これがほとんど100ED級にコンパクトで、RFTには最適なスペックだと思った。価格がもう一声あれば......。このSKY90にTG-L経緯台を組み合わせたセットは非常に魅力的だ。なんといってもTG-LならばC8EXにも耐えられそうだからだ。ベランダ観望にはGP赤道儀より向いていそうだ。ああ、物欲が募る冬なりよ。
 空の方はそんな僕のドロドロした物欲など知らぬげに、澄んだ輝きを湛えている。まずはLVW42を着けてオリオン座を見た。このサイズだと大三ツ星の眺めが見事だ。いったい、いくつの星が群れているのだろう。射手座近辺と同じく、銀河系の断面が通っている(つまり天の川)ので、こんな見事な眺めになるのだ。しかしそこに全天でもっとも明るいシリウスと、いずれとっても全天屈指の明るさを誇るオリオン座の星々が重なることで、これほどの眺めになるわけだ。しかしまあ、美しいこと。
 接眼鏡をSW18mmに換えると、さすがに大三ツ星はなにがなんだか分からない眺めになる。しかし小三ツ星の方は見頃だ。今夜は風が強いせいか、トラペジウムはこの倍率ではいまいちはっきりしない。しかしM43(だったっけM42の真北にある星雲)に群れる小さな星が輝いて見える。単に光っているのではなく、輝いて見えるのだ。
 さらにUW6.7ではさすがにトラペジウムが分離できるようになった。今夜は四つ目の星はぼんやりしていて見分けにくかった。
 またLVW42(これ、輸入物で日本にはさほど入ってこなかったらしい。いいモノなので入れれば売れると思うのだが)に戻して、シリウス近辺を眺めた。シリウスのぎらぎらした輝きは、目を痛めそうなほどだ。その周辺を見回すと、M41を難なく発見した。それをUW6.7で眺めると、たくさんの星がそっと光って見える。こちらは本当にそっと光っているという感じだ。空が透明な山奥なんかで眺めると、これまた違った感じを受けるのだろうな。
 しばしの星見で心が和んだので、さっさと爆睡モードに入った。

秋葉でモノを買い物

19時42分 コンピュータ 天気:晴れ!

 さて、いよいよ増強計画用資材の買い出しにかかる。ささっと買ってこようぞ。
 平日の秋葉は、いつもよりは人通りが少なくて歩きやすかった。これは昼過ぎという、いつもより早い時間だったためでもありそうだが。
 まずは前日までに当たりをつけて置いた店を歩き回った。今まで気にしなかったFAITHという店が、価格的に意外に頑張っている印象があった。それとZOA辺りだろうか。後はTwoTopを回ってメインボードの価格を調査し、それからささっと買い集めた。最初にFAITHでメモリ、Pentium3 800EBMHz、30GBHDD(IBM)を各2づつ買い集めた。さらにTwoTopでP3用デュアルメインボードを買い、そして最後にパソコン工房秋葉原店でAthlon1GHzとそのメインボード、とりあえず大物は買い揃えた。それから若松に寄って小物を買い、そこを出たのが15:00前。さて遅い昼飯を食って帰ろうと思い、前に入ったことがある三菱銀行のブロック近くにある豚カツ屋に入った。ここが家庭的で良い店なのだ。
 ちょうど腹が減っていたこともあって、ここの豚カツが非常に美味なのである。おばちゃんたちが豚カツ、飯、豚汁を出してくれるなり、むしゃむしゃ食い始めた。丸五の豚カツに比べて半額だが、油にサラダ油を使っているらしく、結構あっさりした印象がある。また豚汁がおいしい。特に寒い今日なんかには、腹の底に応えるような暖かさが嬉しいのだ。飯はちょいと冷めてるかな。でもアツアツの豚カツにはこれくらいがちょうど良いのだ。あんまりおいしいものだから、顔が自然にほころんでしまう。ついつい豚汁も飲み干してしまった。するとおばちゃんがお代わりしてくれた。ちょっと腹一杯だったが、それでもおいしいので全部飲んでしまった。いい店だ、またこようっと。
 それから神速で帰宅した。疲れちゃったよ。

2000年11月27日(月曜日)

新しい機械のスペックは

23時00分 コンピュータ

 ゴロゴロしながら、マシン増強計画の詳細を決めた。
 まず2号機はPentium3プロセッサの800MHz版、それもFSB133MHzに対応したEB型名のものをデュアルで搭載し、メモリはその対応品を256MB*2載せる。またHDDはIDEの30GBを追加しよう。もうアプリ(というかゲーム)でいっぱいだから。
 新4号機はAthlon1GHzを載せるが、これは実はFSB100MHzらしいので、今の2号機のメモリで充分だろう。これを128MBずつ1号機、新4号機に分けると。HDDも同じく30GBのものを。
 あれやこれや、安価な店を探してみると、20万円をかなり切りそうだ。しかしきっと新4号機用のケースやらなんやらで20万越えることになりそうだ。ううむ、安上がりにはならないものだな。

今日もゴロゴロしてました

21時00分 暮らし 天気:あいもかわらずですなあ

 いいかげんどこかにでかけんか~い! と、自らを叱責したくなるような無気力な日でした。おかげでウェブ日記の更新も滞る始末。
 夕食も無気力にうどんで済ませる始末だった。
 明日は出かけることにしよう。

2000年11月26日(日曜日)

世紀を越えて

22時44分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは世紀を越えて、シリーズ「未来世代」。あれ、(プログラムによれば)このシリーズは今回でお仕舞い。2回限りの小シリーズだったようだ。
 今回はベンチャー企業の聖地、シリコンバレーに集まる起業者たちの話題。
 1980年代、シリコンバレーは日本の安い半導体に押され、不況にあえいでいた。シリコンバレーが生み出した新技術、半導体は、しかし日本を始めとする後続グループが急速に製品化し、あっという間にシリコンバレーのお株を奪ってしまったのだ。
 しかし今はどうか。半導体産業のチャンピオンは相変わらずシリコンバレーであり、後続グループ、特に日本は大きく水をあけられてしまっている。この逆転劇の主役となったのが、シリコンバレーを舞台に熾烈な競争を繰り広げている、ベンチャー企業群だったのだ。
 シリコンバレーの歴史は、スタンフォード大学から始まった。'30年代、この大学の1教授が卒業生が近辺に定着できるように、大学周辺で起業するように卒業生に働きかけるようになった。それに促されて二人の卒業生が起業したのがHewlett-Packard社だった。そしてHP社を皮切りに、数多くのベンチャー企業が興っては消えていった。
 シリコンバレーの特徴は、そこに居を構える企業群の生存競争が激しく、その結果新陳代謝が激しいことだ。6000ある企業のうち1000ほども1年のうちに消えてゆくということだ。このような激しい入れ替わりの原因は、シリコンバレーにおいては起業が非常に簡単で、かつまた失敗しても起業者自身は失うものが少ないというシステムにある。
 シリコンバレーでは、起業者と資本家とが明確に分かれている。その結果、起業者は資本に関するリスクを背負うことなく高い目標に挑むことが出来る。一方、資本家はその失敗を全て背負うことになるので、資本提供を望む起業者を厳しく選別する目が必要になる。その結果、起業者は失敗しても挑戦を続けることが出来、また事業に見切りをつける判断も速く下せるようになるのだろう。
 こうしたシステムがシリコンバレーにおける激しい新陳代謝となって現れ、失われていた優位を'90年代に入って取り戻す原動力になったわけだ。
 こうしてみると、拙速は巧遅に勝るというのがビジネスの世界での黄金律のようだ。どこまでも走りつづけなければ生きていけないのだな。僕には起業なんて無理だということが良く分かった(笑)。

いよいよ休み

22時39分 暮らし 天気:晴れてましたっけ

 会社に入ってもう15年かあ。そろそろ出世する意欲もない社員は切り捨てられる頃だよな。事実、もうヤバイ、という兆候は身の回りのかしこしにある。いよいよ一か八かの勝負に出るときが来たのだ。って、どっちかというと「あ、クビ切られちゃった」と後で慌てる俺様の姿の方が想像しやすくはあるのだが。

今日も無為に費やす

17時43分 暮らし 天気:まあまあの晴れ

 今日も今日とてだらだら過ごした。我がことながら、腹が立つほどの無気力ぶりだ(笑)。
 昼頃まで寝て、それから出かけようかと思いながら夕方を迎えた。駄目でありますな。
 この分では今回の休暇も何一つ成果無く終わることだろうな......;-_-)

2000年11月25日(土曜日)

いつものようにぐうたらな朝が来た

20時42分 コンピュータ 天気:どちらかというと晴れているかも

 さて、いよいよ9連休であります。この休暇の間にあれやこれやしようではないかと壮大な企画をぶちあげはするものの、いつものように竜頭蛇尾、いや蛇頭蚯蚓尾に終わることは必至の情勢である。これではいかん! ちゃぶ台返しを決めながら俺様は思うのであった。なにか明日のためになることをしなければ。とりあえず左の拳をねじり込むようにして打ちながら、そう思うのである。
 まあとりあえずマシンはどうにかしようではないか。やっぱり1号機、2号機の増強と新4号機の建造に踏み切ろうではないかと思うのであった。1号機はOS/2をゴロゴロ転がしながらメールやネットニュースを引き受けているインターネットアクセス機兼ファイルサーバだ。用途としてはユニプロセッサでも十分だから、これをAthlon1GHzに載せ変えちゃえ。2号機はヘビーなゲームやらアプリやらが走っているNT機だが、これはデュアルの方がなにかと嬉しいのでPentium3プロセッサ800MHzをデュアル化する。新4号機はWindows98かなんかを転がす主にレガシーアプリの機械になるから、これもP3/800辺りでいいや。メモリは2号機用に256MB/133MHzを二つ買い、今の128MB/100MHz二つのうち一つを1号機に、もう一つは新4号機用に転用する。そして現4号機はいよいよ退役させよう。いや、変なOSのテスト用にしばらく使い続けるのも悪くはないか......。
 とりあえずこれで、1号機でメールチェックをしながら、2号機で重いアプリやゲームを走らせ、4号機はその2号機でプレイするDiablo2のお相手をさせる体制ができる。完璧だ。3号機は従来通りSquidとSambaを走らせる。これはまた金ができたら、2号機から外すP2/400MHzのデュアルを載せ換えるというのもいいだろう。またメモリが要るけれど。
 しかしながら、こんなことをやってて、本当に明日のためになるのか!? やっぱり左の拳にこだわった方がましかもな。

2000年11月24日(金曜日)

マシン群の増強

23時40分 コンピュータ

 いよいよ21世紀だ。21世紀を迎えるに当たり、怠りなく我がPC群の増強に励みたいという脈絡のない衝動に誘われるまま、慎重に欲望の赴くままスペックを見定めている。
 まずはMillenium仕様ということで、プロセッサはAthron1GHz、メモリも1GB載せるつもりでいた。しかしAthronのユニプロセッサ機となると、恐らくはWindows98/Me程度で使うことになるだろう。するとメモリはどう考えても1GBも要らない。そうやって前提を崩せば、むしろ値頃感の強いPentium3プロセッサをデュアルにして、メモリは512MB程度で済ました方がいいかなと思ったりして。なかなか踏ん切りが着かないものだ。

2000年11月23日(木曜日)

休出するニッポンのサラリィマン

19時38分 暮らし

 今日は勤労感謝の日である。勤労者は休暇を取ってのんびり疲れを癒す日なのである。しかし我輩は世間の勤労者の内に入ってないのか、今日は出勤してしまうのである。来週に休みを取るために、今日の休日に出勤しなければならないのである。なにかおかしな気もしないでもないが、これでいいのである。これがニッポンのサラリィマンの正義なのである。
 しかしながら、やはり本日の出勤者は相当に少ないのである。他の休日に較べても半数以下であろうか。こんな我々ニッポンのサラリィマンではあるが、やはり勤労者としての意識はあるのである。これでいいのだ。

2000年11月22日(水曜日)

検索機能はまだ使えません

23時37分 インターネット

 この日記ページにnamazuによる検索窓があるけれど、namazuの設定が出来てないのでまだ使えません。設定する時間がない~。

自転車発注

19時35分 自転車 天気:くもり

 BD-1の見積もりは、出してすぐに返ってきていた。しかししばし悩んだ。たかが自転車に10万円超の金を出していいのか? より生産的な用途に使えるのではないか? 生産的な用途になど一円だって使いはしないのに、そんなことを考えてしまった。
 ところが、何の気なしにBMXのコーナーを見ていたら、あ~らこちらは10万、20万超は当たり前、40万、50万だってざらという状況ではないか。これで10万で使いでのありそうな機械を買えるのなら、、比較対照上問題にならない。一気に気が大きくなった僕は、とうとう予約を入れてしまったのだった。しかしモノは「来年3月までに入るかなあ」だって。春から乗れるかな(というか冬に乗るのはつらい)。

2000年11月21日(火曜日)

星を見れません

23時33分 星見

 夜、帰宅した頃にはかなり晴れ間が広がっていたのだが、寝る頃に空を見ると雲が大きく広がっている。今夜も観望は出来ませんでしたとさ。

HNSのバージョンアップ

19時31分 インターネット 天気:晴れ

 今日はどちらかというと暖かで穏やかな一日だった。むしろ暖房が効きすぎて、職場では暑い思いをしたくらいで。
 遅い時刻に帰宅して、久しぶりにHNS(今、この日記を生成している"はいぱー日記システム"のこと)のウェブサイトを見ると、先月の末に最新バージョン2.10.pl0が出ていたことが分かった。ドキュメントを読むと色んな機能強化が行われている。なかんずく、ウェブベースの日記更新機能が強化されたのが大きい。従来は電子メールベースのものだったので、勝手に.fowardを作れないbig.or.jpでは使えなかった。しかし今回からftpベースの更新がサポートされたので、基本的にftpアカウントの与えられる多くのレンタルスペースで使用可能だろう。
 big.or.jpにログインして、HNSのウェブサイトから最新版を取得して、展開した。とりあえず、big.or.jpだけ入れ替えるつもりだ。
 多少の設定の後で、ウェブベースの更新が可能になった。これでなにが嬉しいかというと、モバイル環境での更新が可能になったことだ。滅多にやらないとは思うけれど。
 さらに以前挫折したnamazuの設定にも挑んだが、前回と同じところで引っかかった。日本語構文解析プリプロセッサというのか、kakasiとかchasenとかいったプログラムがbig.or.jpにはインストールされていないようなのだ。これもローカルで展開しなければならないのだろうか。そんなわけで、今のところは全文検索はつかえない。最近、"シグマリオン"とか"ワイドビノ"とかいった単語を検索してやってくる人が増えているので、出来れば全文検索を使えるようにしてあげたいな。
 airnetの方はしばらくは今のまま使うつもりだ。
 後、iMode対応ページは、以前は別れていたのだけれど、本バージョンから通常の日記ページにアクセスした時に、ブラウザを見分けて自動的にiMode対応コンテンツを生成するはずだ。これはちょっと試せないのだけれど。

2000年11月20日(月曜日)

嵐だ嵐だ

19時26分 暮らし 天気:雨のち暴風雨

 今日は終日雨だった。雨は朝から夜にかけて次第に、止めどなく激しくなるという感じで、夜中23:00くらいにはピークに達した。いやいや凄かった。雨が横殴りに降ってきて、窓をドンドン叩き続けている。窓が壊れるんじゃないかと心配になるほどだった。夏以降初めて雨戸を閉めてしまったほどだ。あまりのやかましさに、真夜中までまんじりともせずに過ごしてしまった。が、明け方までには収まったようだ。この雨では会社にいけないかと思ったが、世の中思うようにいかないものだ(なに?)

2000年11月19日(日曜日)

NHKスペシャル「世紀を越えて」

23時25分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは後半に入った世紀を越えて新シリーズ。教育に的を絞ったシリーズだ。今夜はアメリカで広がる新しい学校の形態、チャータースクールに関するレポートだ。
 9年前、アメリカで画期的な法律が制定された。誰でも政府機関の許可を得られれば、"公立学校"を設立できるというものだ。こうして設立される学校をチャータースクールという。チャータースクールは設立されると生徒数に応じた多額の助成金を得られる。それが基本的な運営費になるのだ。それが学費収入を主体に成り立つ私学との違いなのだろう。従って、ふつうの公立学校と同じく生徒の負担は軽い。そのような有利さと引き換えに、教育委員会からの厳しい監査が入る。この監査で学校として不適当とされれば、設立許可を取り消されてしまうのだ。
 チャータースクールの設立の原動力となったのは、アメリカでは'70年代から顕著になり始めた教育の危機に立ち上がった、父母たちの努力だった。自分の子供が画一的な学校教育に馴染めず、あるいは登校拒否に陥ってゆく。そういう現状を自ら解決しようと、自分たちの手での教育を目指す運動が起こった。それが'90年代に入って結実したのがチャータースクールだったのだ。共和党政権下で誕生したチャータースクールは、クリントン政権下で急速に普及した。既に全米の公立学校の数パーセントを占めるまでに至っている。チャータースクールは通常の公立学校と異なりカリキュラムを政府に縛られないのが特徴だ。ある学校ではアートを積極的に取り入れている。また別の学校では時間割を完全に無くしてしまった。逆に日本の有名私学を思わせるハードスケジュールを組んだ学校もある。その代わり、その結果に対して厳しい責任を負わねばならない。いわば教育の網の目を被せることを主任務とする通常の公立学校は、最低限の規格を守ればその廃止を問われることがない。しかしチャータースクールでは、その自主的に企画された教育が不十分であると裁定されれば、即廃止の運命にある。事実、そのようにして消えていった学校も少なくないという。このようにして父母に私学、通常の公立学校、そしてチャータースクール(さらに在宅学習という選択肢もあるらしいのだが)という多用な選択肢を与え、その義務である子供の教育を活性化させようというのがチャータースクールの狙いだ。増えつづけるチャータースクールは他の公立学校に対策を迫っている。その結果、様々な試みがさらに広がってゆく情勢にあるという。
 日本でもチャータースクールを作りたいという声が高まっている。その一つの試みが藤沢市で続いているようだ。自由度の低い公立学校の枠内での改革に限界を感じた教師たち、既存の学校に不満を抱く親たちが集まり、チャータースクール設立に向けた話し合いや運動を続けている。その中心になっている教師は、かつて公立学校での改革に参加し、担任制を廃したグループ指導制による学級崩壊を救ったものの、「担任を廃止するなんてとんでもない」といった匿名の(というのが卑劣だが)電話などにより、翌年には元の担任制に戻さざるを得なかったという経験をもっている。匿名の、いわば無責任な声により新しい試みが潰されたのは残念だ。その反面、この事件は担任制という旧来の手法に対して、例え無根拠ではあっても信頼感があり、またそれを変えることに対する感情的な反発があるということを示している。これはむしろ、公教育というものが保守的な立場に立たざるを得ないという、越えられない限界の存在を示しているのだと思う。だから、その「外」で新しい教育を追及しようという姿勢は正解だろう。しかしまだまだ文部省などの反応は鈍い。政治家の関心を呼び始めているものの、立法への道はまだ遠いという感じだ。
 チャータースクールの成立には異存はないものの、少し気がかりなことがある。僕は学校には訓練の場、特に動物的な本能に反して成立している現代社会への適応の場としての意味があると思うのだ。卑近な例を引けば、時間割という奴は、統一された時系列に沿って調整されている実社会への適応訓練という意味が大きいのではないだろうか。人間に、生まれつき時間に合わせて生きてゆくという本能があるわけではない。あのくだらな~い「前へ倣え」だの組み体操だのにも、いわばある型に人を嵌めてしまうという意味付けが大きかったはずだ。その型を取り払って、果たしてこのクロノポリスを生き延びる人間が形成できるだろうか。アメリカでチャータースクールの試みが始まってまだ9年。それが社会にどんな影響を与えてゆくのか、まだ確かではない。チャータースクール制の導入は、その影響を見極めてからでも遅くはないのではないだろうか。などと結局文部省のお役人と似たようなことをいってしまったりして。
 しかし、今我が子を抱えている親たちには切実な問題だろうと思う。彼らにとっては、今まさに問題の真っ只中にいるわけなのだから。そんな、いわば現実にドロップアウトしてしまった子供を抱える親たちのために、限定的にでもチャータースクールの試みを始めることは、意味があるのではないだろうかと思った。

ハンズ再襲撃と自転車通販

22時24分 自転車

 またハンズを襲撃した。今日はかなり買う気で自転車売り場に向かった。昨日確認したシルバーのBD-1に目をやると......あれ、これBD-1Cじゃないか。BD-1のステアをもう少し立てましたというモデルだ。うーん、これでもいいが、ちょっとポジションがママチャリ的になりすぎる。そこで店員に在庫を確認すると、あいにくBD-1は品切れだという。入荷は12月かなあといったところらしい。価格を確認すると、定価販売だった。ううむ、とりあえず買わないで帰宅した。
 帰宅して、一寝入りしながら考えた。いや考えないでなんとなく決めた。ここは通販で見積もりを取ってみよう。ということで、前から目をつけていた自転車通販サイトでBD-1の見積もり依頼を出してみた。BD-1に様々なオプションを着けて、かなり奢った構成になってしまった。うーむ、最初はDAHONのそこそこのグレードのものでも良かったかなと弱気になったりして。

昨日のことだが

20時22分 音楽 天気:くもり

 そうそう、昨日のハンズ初襲撃の帰路、戸塚駅でちょっとした催しと遭遇したのを思い出した。横浜市交通局の主催で、ほのぼの駅コンなる小コンサートが開催されていたのだ。あちこちの駅で催されているようだ。僕が行き会った頃は第1部が終わって駅長がなにやら挨拶していた。プログラムを見ると第2部はゴスペルのグループとなっていた。ちょっと楽しみにして待っていると、やがて若いもんが10人ばかり壇上に上がった。ノリのいい、というよりむりやりノッているような人々である。少しイタイなあと思っていたら、「ゴスペルとはGod Spellのこと」という前説の後で歌い始めた。しかしそれが色んな意味でイタイものだった。まず相当無理しているとわかるのである。テレビでよく見るゴスペル隊の連中は大体ガタイもでかい黒人のおばちゃんが混ざってて、とても人間とは思えない声量で朗々と歌ってくれるのに聞き惚れるほどだ。しかし平均的日本人に過ぎないこの人々は、やはり平均を少し上回る程度の声量しか出せない。それをがんばって無理やり大きな声を出しているものだから、余裕が無いのである。また駅の構内で堅い壁と大きな開口部に囲まれているという状況は、特にコーラスのような声楽には向いてないと思われる。固い壁からの反射はピーキーで耳障りな音を作り、開口部は音を吸い込んで余韻を作り出さない。実際、1曲は我慢して聞いたが、それ以上足を止めるに値しないと思ったので、本屋に向かってしまった。帰りにまだやっていたら見ようかと思ったが、30分ほどで終わってしまったようだ。
 しかしまあ、確かに不利な状況ではあるけれど、本場のゴスペルグループならどうするだろうと思った。こういう場所ではやらないというのも選択肢だが、一つにはむしろ声量を絞るというのがあるのではないかと思った。声を出せば出すだけピーキーで耳障りな反響も増えるわけだから、それは声量を絞って抑える。そして抑えた分だけ声を自由にコントロールする余裕が生まれるわけだから、それで微妙で豊かなハーモニーを作り出して行くのではないだろうか。イアン・ギランだって、そうやってパープルの色んな曲に合わせて声を作っていったわけだから。基本的に、昨日遭遇した集団は経験不足なのが一目瞭然だった。経験を積めば、ただ声を出すだけがゴスペルじゃないと分かったはずだろう。ってゴスペルの何たるかをしらない俺様が断言していいのか? とにかく、TPOに合わせた歌いを出来てなかったのは確かだと思う。経験を積んで欲しいものだ。やる気は満々だったわけで、その点はとても好印象だったから。

2000年11月18日(土曜日)

星を見た

23時55分 星見

 21:00からのNHKスペシャルを見ようと思って布団に入って待っていたら、いつの間にか23:00過ぎまで意識が飛んでいた。危ない危ない。危うく国宝探訪まで見逃すところだった。っていうかもう後半だったけどね(;o;) 今日は鎌倉の大仏で、面白そうだったのだが。
 その次のサイエンス・アイは英国の著名な科学番組プロデューサー、アッテンボロー卿が登場。よく自分の番組に出てくる人だ。科学番組のスタイルを作り上げた人とは、確かにいえるだろう。思えば、昔、フジでやってた「第三の目」とかNTVの「驚異の世界」とかいった番組には、大いに影響を受けたものだなあ。それらの科学番組の基礎を作り上げた人といえるわけで、きっと日本のある狭い世界では足を向けて寝られない人が多かろうと思う(謎)。
 その後で、ひょいと空を見たら、うぉ、晴れ上がってる。それから慌ててのんびり風呂に入り、急いで30分くらい掛けてスパゲティを、しかもワインなんぞ飲みながら平らげ、それから大急ぎで髪が乾くのをじっくり待ちつつドラクエにふけっていると3:00過ぎ。ダメやん;xox) しかしまだオリオン座は南中を過ぎたばかりで、高度は高かった。ああ、ありがとうお星様(爆)。
 早速100EDをベランダに出す。設置作業は30秒。これでも観望にならばなんの問題も来さない追尾精度を出せるのだ。軽いというのは良いことだ。が、振動に対する弱さはなんとかしたいなあ(と、企み中)。
 まずはLVW42でオリオン座全体を流してみた。をを、今夜は特に光害の影響が低いような気がする。LVW42で見てもコントラストは悪くない。そりゃあ背景はやや白くなるが、目障りになるほどではない。いよいよ冬が到来したのだ。シンチレーションも悪くなく、シーイングは8/10程だろうか。オリオン大星雲はV字型の切れ込み、ぽつんと離れた散光がくっきり見え、その間を走る暗黒星雲の実在を感じることが出来る。Or6+2.2倍で見るとそれほど揺らぎなくトラペジウムが浮かび上がる。うぅ、今夜は絶好のシーイングだったかも。もう少し本格的に見ればよかった。
 最後にLVW42でシリウス近辺をうろつく。M41は光害に邪魔されることなくくっきり浮かび上がっている。とはいっても思ったより暗い天体なんだけど。UW6.7で見ると、視界一杯に微光星がちりばめられている。M7程明るくはないが、高度があるので本当に暗い星まで見える。おかげでずいぶん賑やかな集団となっているわけだ。しかし個々の星は暗いので、本当にそっと光っているという感じ。かわいらしい天体だ。

ハンズに出かけた

19時19分 自転車 天気:晴れ

 久しぶりにお日様をまじまじと拝める朝だった。昨夜は夜中の3:00過ぎに起き出して獅子群を見ようと夜空を見上げてはみたのだが、そのときはまだ雲が空を覆っていて諦めてしまった。その後で徐々に晴れ始めたようだ。もう少し粘ればよかった。でも明るい月があったのでよく見えなかったかもしれない。
 ともあれ、朝の11:00までぐっすり寝て、昼食を摂って出かけた。横浜は東急ハンズに出かけるつもりだった。今まで横浜近辺に住んでいながら、横浜駅前のこの辺りには出たことがなかったのだ。
 横浜駅までは二通りのルートがある。一つは戸塚まで地下鉄で出て、そこからJRを使うルート。もう一つは地下鉄で直通するルートだ。実は前者の方が70円ほど安かったりする。また乗り継ぎ次第では早く着くこともあるので、もっぱら前者の方を利用している。しかし実はヨドバシだのハンズだのには地下鉄の駅の方が近いはずなので、どっちでもいいのかな。金額にさえ目をつぶれば。
 横浜駅からハンズまでは、ヨドバシのさらに向こうの界隈に、川を渡って行かねばならない。道理で橋の辺りの混雑が並でないはずだ。
 ハンズは妙な構成になっている。建物全体を半分に分割し、各エリアは半階程度の差があって、階段で結ばれている。それが最上階まで交互に続いているのだ。建物全体に連続性があって良い。しかし全部歩かなければならないのはチト辛いかも。いいの、弱音は吐かないから(謎)。
 店舗内には工具類だの実験用具だの美術用品だのが豊富にあって嬉しくなる。思わず最下階から最上階まで見て回ってしまった。
 そこでそもそもの目的を思い出し、またしても最下階に向かった。そこにサイクリング用品売場があったのだ。そしてBD-1やBromptonがあることは既に分かっていた。最下階に向かってモノをしげしげと眺めてみた。だいたい思っていたくらいのサイズだ。ギヤがメカメカしくて良い。しかしこんな機械を15秒で折り畳めるというのはちょっと信じられない。まあゴルゴ13のように毎日訓練すればということかもしれないが。訓練無しなら30秒くらいかも。それくらいなら訓練無しでいいや。
 現物があるのはBD-1のシルバーとプジョーのOEM版のマットブラック。価格は10万弱で、チト高いかも。しかし会社の帰りに寄れる距離にあるのは心強い。
 とは思ったが、こういうときに拙速は慎もうと思い(なんて殊勝な心がけではなく単にひよっただけだが)、とにかく一度帰宅した。

2000年11月17日(金曜日)

休暇はどこに行こうか

20時18分 暮らし 天気:晴れ間も見えてましたが

 休暇のプランをいろいろ考えている。というのは嘘でちっとも考えてない。再来週のことなのだから、じたばたしても仕方ないと思ったのだ。それにすぐ年末なので金が続かないだろう。結局は図書館で調べものの毎日ということになりそう。いや新マシンの組立やゲームの毎日というのがもっとありそうな気がする(金がないはずではないか)。

2000年11月16日(木曜日)

休めそうだぞっと

20時13分 暮らし 天気:くもり

 今年、永年勤続の褒章休暇の権利をもらったのだが、夏ごろ休むつもりが全く隙が無く延々と秋まで来てしまった。それをようやく取得できることになった。仕事の隙を縫って、一週間のお休みである。さてどこかに出かけようかな。火焔土器を見たいから新潟まで出かけてくるか。あるいは神奈川県下の美術館、博物館を見て回るか。それとも仕掛かっている小説を進めちゃうか。全ては今週末に自転車を買えるかどうかにかかっている(そうなのかっ)。
 まあ9日間、うだうだ過ごすことになるのであろう。

2000年11月15日(水曜日)

星を見た

23時55分 星見

 ソーサリアンのレベル5シナリオを解いていよいよドラゴンモードに突入した。途中までの各ボスは98版のソレと大差ない。しかし最後のドラゴンがでかくなってる。少なくともデザインは変わっている。しかし倒し方は同じだ。そして打倒すると真のエンディングが流れた。僕はソーサリアンではパーティメニューの曲、シナリオクリアの曲、そして真のエンディング2の曲が好きだ。特に真のエンディング2の曲は何時間聴いてても疲れないので、昔はよくBGM替わりに流していた。98版とメガドライブ版では真のエンディング1でドラゴン打倒の画像のままテロップが流れ、真のエンディング2ではキャラクタと背景がRGB各色ずつ抜けてゆき、最後は星が流れる背景のみになるという趣向だった。それが今度のソーサリアンでは真のエンディング1で星が流れる状態になり、真のエンディング2では1枚絵が表示された状態に変更されている。前の終わり方の方が良かったなあ。
 真のエンディング2を飽きるまで見て、なにかキーを押すと初期画面に戻り、やがてパーティメニューに戻る。この状態でさらに新しいシナリオが五つ追加される。今回の隠し機能だ。しかし新シナリオとはいっても、実はforeverのそれだったりする。この分だと追加シナリオも期待できそうだ。
 まあいい、本物の星を見よう。
 今夜は帰った頃には雨が降っていたのだが、1:00過ぎにふと空を見るときれいに晴れている。月が浩々と輝いている。早速ベランダに100EDを出した。
 オリオン座は西に傾き始めたところだったが、高度があるので透明な感じだ。月が近くにあるという悪条件なのだが、雨が大気中の浮遊物を流し去ったのか透明感が高い。
 まずはLVW42で小三ツ星を視界に収めた。オリオン大星雲の散光はかなり鮮やかだった。といっても色がわかるほどではない。コントラストはあまり悪化しない。いつもながら、視界一杯に明るい星、散光星雲、微光星がひしめく様は見ものだ。
 オリオン大星雲の細部を見るべく、UW6.7に換えた。90倍ではオリオン大星雲がちょうど視界の真中を占めるくらいだが、さらにトラペジウムの星が四つまで明確に分離できる。大口径だとさらに暗い星まで見えるそうだ。オリオン大星雲そのものはV字型に切れ込んだ星雲全体が良く見える。
 もう少し低倍率、SW18で30倍強で見ると、大体小三ツ星がギリギリ収まるくらいになる。この倍率でもトラペジウムは分離できる。
 逆にOr6+2.2倍バーローだと恐らく200倍弱程度だと思われるが、トラペジウムが拡大されて見えるものの、ややぼやけて見える。最近、100EDにちょっと物足りなさを感じるのはこういう点だったりする。といって100mm超の屈折は笠井のアクロマートを除いて高価だからなあ。笠井のはこういうシチュエーションがまさに向かないだろう。
 LVW42に戻して(それにしても重いアイピースだ)大三ツ星を視界に収めた。大三ツ星がすっぽり視界に収まり、その強烈な輝きの周囲に微光星が群れる様は圧巻だ。高価な2インチアイピースを買ってよかったと思う瞬間である。
 次にシリウスへと向け、M41を探してみた。高度が低いと背景に溶け込んで見失うくらい可愛らしい星団なのだが、今夜はシリウスを視界に収め、そのまま南にずらすとすぐに見つかった。透明度が高いので、光害が抑えられていたようだ。これでSW18を使うと、64度の視界の真中に割とこじんまりと収まる。M41にはUW6.7が向いているようだ。こっちだと、視界一杯に微光星が散らばって、非常に美しい眺めになる。もう少し大口径だとさらに星が明るくて華やいで見えるのだろうが、コントラストも悪化するので痛し痒しだ。
 しばしM41と対話した後、布団にもぐりこんだ。

地獄の責め苦

07時07分 暮らし 天気:雨は降ったが時々晴れた

 夜中、ふと目が覚めた。途端に右足のふくらはぎが攣った。目覚めた瞬間に、だ。不意を喰らった僕は飛び起き、とっさに攣った部分を掴んで必死に抑え、苦痛に耐えた。そして思った。俺が何をしたというのだ! きっと運動不足が悪いんだろう。やっぱり自転車買おうっと。
 ともかく、しばし痙攣が収まるのを待ったわけだ。こういうときにいつも感じるのだが、自分の肉体の一部が自分の意思とは全く関係なく蠢くという状況は、本質的にとても怖い。体の中に異物が生じたような感じである。
 とりあえず収まったのでまた寝たが、起きてみると案の定右足が凄く痛い。ふくらはぎをしっかりと揉み解し、踵を伸ばして筋肉を解きほぐそうとしてはみたが、やはりしこりは残っている。ここ数日は歩くのがつらそうだ。少しずつ解していくしかないのだろうな。これで左足も攣ってしまったら。とほほ。

2000年11月14日(火曜日)

風が冷たい

20時06分 暮らし 天気:雨のちくもり

 特に朝方は寒くなってきた。起きると布団を出るのが億劫だ。それでものろのろと起き出して出勤した。外は今にも雨が降りそうな天気だが、会社までは保つと見て傘(正確には長い傘)を持たずに出勤した。会社の直前でポツポツと雨滴が降ってきたが、何とか持ちこたえてくれた。
 会社にいる間は雨。それも昼にはあがり、帰る頃にはポツポツと晴れ間も見える天気になっていた。しかし雨が降ったせいか、かなり寒い。

2000年11月13日(月曜日)

気力萎え萎えの朝

21時05分 暮らし 天気:くもり

 風邪です。でも今日は休めないな。気力ミニマムのまま会社に出勤する。
 会社でも気力萎え萎えのまま仕事を続けた。目と頭と喉が痛いのだ。早く帰りたいのだが、仕事が終わらないのだ。今日は勘弁して欲しいなあ。
 結局残業して帰宅する破目に。早々に寝た、といいたいがソーサリアンをプレイして寝た。

2000年11月12日(日曜日)

恐怖と対決すること

23時03分 テレビ

 鍋を作りながら(といっても鋳造したり鍛造したり溶接したりしていたわけではない)NHKスペシャルを見た。昨夜から続けての教育問題、というか子供はどうなっとるのだ問題だ。
 なにせ鍋を作りながらだったのでよく見ていられず、印象を語ることしかできないのだが、主に引きこもりに関してのレポートだったと思う。番組では引きこもってしまった子供(といっても20代の大人が多いそうだ)と苦闘する家族の姿を追い、公的な支援がなかなか得られない現状を訴えていた。引きこもりに限らず心に病を抱える人口はますます増大しているわけだから、公的なカウンセラーの増員は必須だろうなと思った。
 それにしても、なぜ引きこもってしまうのだろうか。きっかけはいろいろあるのだろう。僕もなんとなく外に出たくない時期が続くことがある。しかしいざ引きこもってしまった人々がその状態をさらに続けざるを得ない理由は、なんとなくわかる気がする。簡潔にいえば、外が怖いのではないだろうか。外に出れば何が起こるかはわからない。どんな不条理な理由で傷つけられるかわからない。いや、たとえ道理に合っていても傷つけられるのに耐えられないことさえあるだろう。しかし家にいればとりあえずこれ以上傷つくことは無い。だから今の状態、引きこもっている状態を続けざるを得なくなるとまずは考えられる。
 しかしテレビでは、引きこもっている人の口から、引きこもっていることでさらに傷ついていく心境も語られていた。引きこもっていても苦痛に感じるのは同じなのではないだろうか。つまり「傷つくから」は引きこもりつづける第1理由にはならない。だから「怖いのでは」と考えるのだ。傷つけられるというのは、怖い理由の一つに過ぎないのだろう。
 どうして怖いのか。それは「わからない」からではないだろうか。引きこもりにより、引きこもった個人は外部とのチャンネルを絶ってしまう。すると当然情報が途絶するわけで、引きこもり者は外で何が起こっているのかを知ることができなくなる。いや正確には「外があるということが分からなくなる」のかもしれない。するとすべての判断が自分の内部情報だけに基づくことになり、未来予測がネガティブに傾きがちになり、さらには支離滅裂になる。その結果、「外」に対して闇雲な恐怖を抱くことになるのではないか、と。
 でも外界の未知さというものは、いつでも人間を取り巻いてきたはずだ。それなのに、なぜ今になって引きこもりが増えたのだろうか。
 理由の一つは、かつては引きこもるという行動に対する社会的な制約が強く、家から強制的に排除されることが多かったからだろう。しかしそれ以上の理由として、外への好奇心が失われているからというのもあるのではないだろうか。恐怖の最大の理由は未知であることだ。もしも対象が既知のものならば、それに対する対策も講じようがある。恐怖を克服する手段はある。しかし対象が未知ならば講じようが無い。恐怖は恐怖のままとなる。誰でも、いつでも、未知なものに対して恐怖を抱くのはごく自然な感情だと思う。しかしそれを克服するための知的な好奇心を持てるのが、人間の最大の特徴なのではないだろうか。かつてはそれが人を引きこもりから救う鍵になっていた。それが教育の失敗なのか悪霊のせいか分からないが、我々の生活の中から徐々に失われてきてしまっているように感じるのだ。そういう感覚を共有している人は多いように思う。
 一時期「何故殺してはいけないか」という子供からの質問を想定したような問いに、どのように答えるかが(大人の間だけで)話題になったことがある。あたかも子供が疑問を発しているように見えるが、実際にそれが問われている状況、そして回答が考えられている状況を考えれば、大人が自問自答しているだけなのは自明のことだと思う。そして答えはある程度問いそのものが内包していると思う。なぜならば、単に「殺してはいけないか」という問いに対してだけならば、「本当は殺していい」という合意が社会の広い範囲で共有されているからだ。それは死刑制度の存続、戦争に対する反応、そして以前の玄倉川の痛ましい事故で見られたような「死んで当然だ」という反応を見るだけで充分だ。これらの問題に対する社会の反応は、命より優先すべきものがあるという認識が、かなり広範囲に共有されていることを示している。つまり、場合によっては「殺していい」のだ。
 しかし「何故~」となると少し趣が変わってくるかもしれないと思う。「何故~」と問うからには、「殺したい」というより積極的な意思が存在するはずだ。何故ならば、「殺したい」という意思を止める理由を欲しているという構造が存在するわけなのだから。そしてその裏返しは、「何故殺さなければならないか」ではないだろうか。つまり、「殺したい」という衝動の理由を問う自問自答がその正体なのではないだろうか。
 どうして「殺したい」、それも自分でも分からない理由で「殺したい」などと思うのだろうか。これを僕は「怖いからだ」と思うのだ。「怖い」のは理解できないからではないだろうか。例えば少年が浮浪者を襲うということがあるが、彼らは浮浪者が「怖い」から襲うのではないかと思っている。身体に危害が加えられるなどと考えているわけではないだろうが、なぜあんな無為な状態でなおも生きているのかが理解できず、その存在そのものが怖いのではないだろうか。そう考えないと、単に反撃可能性が低いからというだけでは、いくつかの残虐な事件の謎は解けないと思う。大人にも同じ傾向が存在するように思える。
 知的好奇心の喪失という謎を解くには、情報の氾濫を想起すれば充分かもしれないと思う。僕たち(なかんずく僕のような知識人まがい)は、周囲に溢れる出来合いの知識を受け容れるだけで精一杯だ。それ以上の、本当の意味での未知に挑む気力はそんなに無い。あるいは教育カリキュラム、教師の資質双方の問題が、現代の日本人から知的好奇心を喪失させたのかもしれない。なにより、恐怖に立ち向かう意思を、僕たちは失ってしまっているのではないか。これをどう立て直せばいいのか。どうにも答えの出せないでいる。

戸塚へ

18時02分 暮らし 天気:くもりかな

 6時間くらいトロトロ寝て昼過ぎに起きる。ということは今日も明け方まで起きてたのかっ。少し眠かったが、戸塚の図書館に出かけた。
 図書館では本棚から本棚へとうろうろしながら、ロボット関係の本を探した。これがなぜか見つからないのだ。機械工学の棚にも電子工学の棚にも無い。蔵書に一つも無いということはありえないから、きっとどこかに固まっているのだと思うのだが。しかしその間に面白そうな本を見つけては読みふけった。
 帰りに駅前のミスドに寄ったら例によって満杯。朝方とか20時過ぎとかは結構すいているのだが、一番利用したいこの時刻には満杯なのだ。って当たり前だよな。みんなこの時刻に利用したいって事だろうから。
 結局、ドーナツだけ買って帰った。

2000年11月11日(土曜日)

国宝探訪

23時55分 テレビ

 今日は鍋にしようと思い、材料を捌いていたら10時を過ぎてしまっていた。さっさと作り、鍋を平らげながら国宝探訪を見た。
 今夜は室生寺の五重塔。以前、NHKスペシャルで取り上げられたのをみたことがある。(7/29の日記)
 この寺の五重塔は、屋外にあるものとしては日本最小なのだそうだ。'98年夏、この塔を台風が襲った。1200年間耐えてきた塔を、強風にへし折られた大木が直撃したのだ。早速、五重塔の再建が進められた。この五重塔に関しては以前書いたから繰り返さない。
 室生寺には他にもいくつもの国宝がある。優美な姿を見せる金堂と、そしてそこに守られた仏像群だ。釈迦如来像を中心とした5体(この場合はやっぱり"柱"ではないだろうな)の仏像と、それを護持する十二神将像が安置されている。この仏像に魅せられた写真家は、これらの仏像群には不自然な点があると指摘する。まず仏像の大きさがまちまちである点。そして様式に不一致がある点だ。大きさの違いは措くとして、様式の不一致とはなんだろう。実は室生寺の仏像群は、ここにしかない特有の様式を持っている。たゆとう細波のように優美な曲線で構成された着衣。連波式衣紋というらしい。また光背を彫刻ではなく、杉の一枚板に彩色を施すという形で表現しているのも特徴らしい。これらを室生様式と呼ぶ。このうち、光背の彩色を比較してみると、結局5体のうち3体だけが当初からあったものと推測されるそうだ。
 しかしなおも不自然な点が残る。この3体のうち、地蔵菩薩の光背と本体の大きさが一致しない。通常、仏像の頭部は光背の中心に位置するのだが、それより小さいのである。写真家は、室生川の下流域にある別の寺に安置されている別の地蔵菩薩が怪しいという。それは室生寺の他に例が無い室生様式で作られ、さらに大きさも室生寺の光背と一致する。つまり、本来はこの地蔵菩薩像が、室生寺の3体のうちの一つだったのだ。
 この地蔵菩薩像がなんだって別の寺にあるのか謎だが、そんな大切なものがひょいひょい移動したりするのが不思議といえば不思議だ。

ソーサリアン・オリジナル

21時58分 ゲーム

 帰宅して、早速ソーサリアン・オリジナルをインストールした。パッケージを見るとNTはサポートに入ってない。しかし一応入れてみると、オープニングまでは動いているように見える。これでいけるかと安心していたら、タウンメニューのところで表示が出なくなってしまった。DirectXのバージョンが古いせいだと思われる。ううむ、Windows2000の入れ時かなとちょっと思ったりして。
 こういうときに登場するのが、今や旧態依然たる4号機だ。プロセッサはK6/233MHz、メモリ48MB、ディスクは全て2.5インチIDEといういかにも遅そうなスペックだが、前に出たWindows版ソーサリアンはこれでもプレイできていた。しかしインストール時に「ディスクにデータを書き込めない」という怖いメッセージが出る。前から、この機械はディスク周りがおかしかったのだ。それでも無理やりにインストールを終え、プレイしてみると一応は動くようだ。一応というのは、滅多やたらとキー操作が難しかったり、BGMが壊れていたりするからだ。やっぱり、インストールできてないようだ。
 仕方ないので、これはやりたくなかったのだが、常時NTで使っていた2号機をリブートしてWindows98を起動し、そこにインストールした。これならなんの問題も無く、きわめて快適にプレイできた。
 プレイしてみると、あのソーサリアンの世界がそのまま広がっている。グラフィックが増えたりして多少強化されてはいるが、ちびキャラの動きも画面構成も98版にかなり近い。ただしウィンドウを開く動作が遥かに高速化されている。キャラの移動速度は一定で、SHIFTキーを押すと高速化するということは無い。全体的に、かつてのソーサリアンの操作性を良く再現している。良くここまで作ったなと思った。
 怠惰なプレーヤーである僕は、早速不老不死キャラを作ってシナリオを開始した。かつて何回もクリアしたゲームだが、案外に細部は憶えていないものだ。そのくせ、煩雑なフラグ立ての手順は漠然と憶えていたりして。もうドラクエ3そっちのけで遊んでいる。懐ゲー天国であります。

横浜にお出かけ

20時57分 暮らし 天気:晴れてますか

 前夜、結構早めに寝たのだが、12時間くらい寝てしまって起きたのが2時過ぎ。ふぅ;-.-)
 さすがに秋葉に出かける気力も金力も無いので、横浜のヨドバシ周辺をサクッと攻略した。
 ヨドバシの込み様は殺人的で、秋葉原駅の電気街口もかくやという人口密度だ(いやそこまでは......)。特にデジカメコーナーの周囲にはずっと人だかりがあって、通路を通行できないような状況だった。ここではまず出たばかりのソーサリアン・オリジナルを買った。このとき、たまっているポイントを何気に使ったら、ソーサリアンは金を払う必要が無くなった。それだけたまっていたのか。それほど激しく使っていた憶えは無いのだが。E950とカメラ用小物、ソフトウェア程度ではなかっただろうか。
 これに気を良くした僕は、シグマリオン用のCFカードとしてLexarの8倍速64MBを奢ってしまった。こんなに速い必要は無いのだけれど。さらに今まで使っていた超安物ラバーブロワーの弁が抜けてしまったので、もう少し作りの良い大型ブロワーを買って帰った。

2000年11月10日(金曜日)

シグマリオンの欠点

20時56分 デジタルギミック 天気:くもりかな(だいたいくもりと書いておけば間違い無さそうな)

 会社でマシンを叩きながら(といっても猿のようにマシンの上面をバシバシ殴打している様を思い浮かべてはいけない)シグマリオンをつついていると、色んな欠点が見えてきた。
 まずトップヘビーである点だ。全体が比較的に軽量で、特に本体側が軽量化されているので、相対的に液晶側が重量の大きな部分を占める。そのために、画面を大きく開いた状態だと、キーボード側が浮き上がってこけることがあるのだ。特に膝で打っているとキーボードの支持が不安定になりがちだ。
 これに関連して、ヒンジが緩いという問題もある。買って間もない今の状態でも、液晶部分は非常に軽く開いてしまう。大きく開けた状態だとそのまま自然に開ききってしまいそうだ。
 さらにいえば、液晶が見難い。液晶自体は明るいのだが、その前面にあるガラス面の反射が多く、光源が背後にあるような状況ではかなり見難くなってしまうのだ。
 しかしまあ、なにせ4万円でこの内容だから許せる。

2000年11月09日(木曜日)

晴れないです

20時54分 暮らし 天気:くもりのちくもり

 晴れる日が少ない。夜風が冷たくなってきた。元気が無くなる季節である。こういう夜は酒飲んで寝ることである。
 寝酒にワインを飲みながら大統領選の情報を眺めていたが、全然決まらないな。昼の間、仕事をしながら追っかけていたが、「ゴア優勢」、「ブッシュ勝利!」、「白紙撤回」と二転三転しやがる。傍目には面白すぎる展開だが、当人たちは生きた心地がするまい。また次期大統領がしばらく決定しないという異常事態も考えられるとか。その間、アメリカには権威ある中枢という者がいなくなる(クリントンはもういないも同然だ)。しかしフロリダの再集計作業、もめそうだぞっと。

2000年11月08日(水曜日)

やっぱり軽い方がいい

20時50分 自転車 天気:晴れてるかな

 どういう自転車を買おうか考えている。折り畳み自転車が欲しいのは、帰路は電車でとか、電車で遠いところまで行ってとか、そういう使い方を想定しているからだ。それなら小さく折り畳める折り畳み自転車がいい。しかし軽いだけなら、スポーツ用自転車の方が軽いので、分解して持ち運んだ方が有利ではある。そこでそこそこ軽くて、小さく折り畳める機種に目が行く。やっぱりBromptonとBD-1かな。Bromptonはとにかく小さく折り畳めてそこそこの走行性能を持っているのが魅力だし、BD-1は走行性能そのものも高い。どっちかにしようかなと考えている。
 国産の対抗馬はブリヂストンとパナソニックだが、どちらも非常に軽いが走行性能の低そうな機械と、走行性能は高そうだが重めの機械しかない。その間のツボにはまったセグメントを舶来2種が占めている。特にBD-1が良く売れるのも分かるような気がする。
 どれを買うにせよ福沢さん1個分隊は消えてしまうので、衝動買いを控えて慎重に検討しなければ(書きながら何故こんなに説得力をもたない文言なのか考えてしまうぜ(爆))。

2000年11月07日(火曜日)

折り畳み自転車

23時49分 自転車 天気:雨のち晴れ

 前夜、ワインを寝酒にしたせいか、なんとなくユーロな夢をみていたような気がする(なにがだ)。何かに乗って、風を切って走っていたような気がする。そして、目覚めた時、僕はなぜか折り畳み自転車について思いを巡らせていた。直感的に、夢の中で見たものがそれであることに気づいていたのだ。なぜか、そうなのである。
 起きだして、すぐに検索してみる。すると出るわ出るわ、ぞろぞろとヒットする。プジョーの自転車だのビアンキだのイギリス製だのブリヂストンだの。無名メーカーも多い。とりあえず趣味の品になると思うので、無名メーカーは避けようと思う。するといくつかの国産メーカー、そして著名な外国製品が目に入ってくる。サイズも用途も様々だが、折り畳み自転車に特有の制限も目に付く。知らなかったけど、ここのところブームだったようだ。
 一つは折り畳みという構造ゆえに、フレームの剛性が低い点だ。これは各社とも工夫している点で、ジョイント部を強化したり、フレームそのものは折り畳まないでもコンパクトになるような収納法を考案したりしている。どうしてもモトクロスに使えるような強度は得られないが、街乗り、短距離のツーリング程度なら問題無いようだ。
 もう一つ、より大きな問題として、小さく折り畳むという性格上、ホイールを大きく出来ないことがある。せいぜい20インチ程度が限度だ。BMX用のホイールを確保している機種もあるが、かなりかさばってくるようだ。このホイールサイズをさらに小さく14インチ程度に抑えた機種もあり、そういう機械は非常にコンパクトに折り畳める。JR東日本がPanasonicと共同開発した機種は、折り畳んでしまうとコインロッカーに収まるサイズだ。変速装置がついてないので、どうしても街乗り用になってしまうが、機動性という点では良さそうだ。
 では僕は何を買えばいいのか。用途を考えてみると、大体は街乗りに限られてくると思う。またある程度日常的な足にも使いたい。しかし、例えば帰省した時に持ち帰り、故郷の山河を散策するのにも使いたい。すると小さく折り畳めると同時に、ある程度の距離を走っても苦痛にならないような機種が欲しくなる。
 今のところ目をつけているのが、さっきのプジョーもその眷属であるBD-1という機械だ。大体5万円台から9万円台に収まる中級の機械で、20インチホイールと7段変速を奢っている。坂道を考えると、最低でも3段変速は必要で、7段あれば御の字だ。またこの機械はフレーム自身は折り畳まないので、剛性の点でも問題は少なそうだ。非常に良く売れているそうだが、確かに様々な点で高水準のスペックを誇っているし、所有者たちの評判も高いようだ。
 他にGiantというブランドで出ている機械が気になっている。これは前後のホイールを片持ちで支えているという面白い機械で、その結果片側のハブが無いためにすっきり折り畳める。問題は耐久性に不安がある点だ。結構安価(といっても5万円台)なのでこれも気になっている。
 他にもBrimptonだのPanasonicだのが非常に小さい機械を出している。BD-1に心は傾きかけているのだが、「小さい」という点にも凄く心惹かれるのだが...?

2000年11月06日(月曜日)

休んじゃえ

21時48分 暮らし 天気:くもりがちでしょうか

 朝方、目を覚ましてボーっとしていると、喉がガラガラして頭がボーっとしているのを感じた。たぶん、風邪ではない。寝不足だ。前日、なんとなく眠れなくて、明け方近くまで寝床で七転八倒していたのだ。どうも気分が晴れないと思ったら、ちょっとした鬱になっていたのかもしれない。こういう時期には休日の夜に眠れなくなるのだ(それ以外に自覚症状はないのだが)。別に緊急の仕事がないはずなのでさっくり休む。というか、仕事に切れ目がなさ過ぎ。いつ休暇を取ればいいのだ。
 そのまま寝たりドラクエ3をしたりで一日が過ぎていった。

2000年11月05日(日曜日)

NHKスペシャル

23時46分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは大量に輸入され、大量に捨てられてゆくペットの話題だった。
 最初に大量に輸入している当事者であるペット業者が「ペットは去勢して1代限りとして飼うのがベスト」(なので全部去勢している)といってはいたが、小さな昆虫類や小動物まで本当に去勢できているのだろうか。掌に載るくらい小さな生き物にとっては、去勢/不妊手術自体が危険なものになると思うのだが。
 ペットを実際に捨てた人の声を聞けなかったので本当のところは分からないが、問題の根底にはブラックバスなどの密放流と同じく、人間の対自然観に潜むエゴイスティックな所有感が横たわっているのではないだろうか。つまり自分の楽しみのために既存の生態系を壊してバスを放流してもいい(あるいはするべきだ)という認識と、目の前の生き物の生殺与奪の権利を持ちかつ個人的な罪悪感を逃れるためにその生き物を外に放ってもいい(放つべきだ)という認識とは、同じように既存の生態系が自分の所有物であるという認識がない限り生まれてこないはずではないだろうか。どっちが生態系にダメージを与え、どっちがより個人的かという差はあるかもしれないが、この二つの立場は基本的に同じくらいエゴイスティックに思える。そもそも、ペットを飼うということ自身、相当にエゴイスティックな行為だとも思うのではあるけれど。
 こう考えてみると、ポストペットだのAIBOだのは、案外にペット問題の解決に役立つアイテムになるのかもしれない。

戸塚にちょっと出かけた

20時45分 暮らし 天気:晴れてるようだが

 うひぃ、昨日の日記は長すぎ。11KBもあるじゃないか。記録物だな。今日は短く。
 前夜、結構遅くまで起きていたためか、昼頃起きた時にはまだまだ眠かった。それからDQ3でメタスラを大量虐殺しながらレベルを上げまくり、気が付くと15:00を過ぎている。ちょっと調べ物をするつもりで戸塚の図書館に出かけた。
 その帰り道、立場駅近くのヨークマートでなんとなくワインを買って帰る。入荷したての商品なので、酢みたいになってるって事はないだろう。

2000年11月04日(土曜日)

星を見た

23時55分 星見

 曇りが続いていたせいでなかなか星を見れなかった。NHKスペシャルが後を引いて少しボーっとしていたのだが、やがてようやくベランダに望遠鏡を出す元気が戻ってきた。
 時間は既に2:00過ぎ。ちょうどオリオン座が南中している。まずは西に傾いている木星と土星を視界に収めた。薄雲が出ていて、しかもシンチレーションが安定しない。土星も木星も何がなんだかわからないような見え方だ。あきらめて、オリオン座に向けた。
 LVW42で見るオリオン座は、いつもながら圧巻だ。特に高度がある今の時刻では、目が慣れるに従って小さな星たちがぞろぞろと現れてくる。LV4でトラペジウムを狙うと、四つまではきれいに分解できて、ことによればさらに見えそうな感じだ。......あれ? 土星を見たときにはあんなにシンチレーションが不安定だったのに、この安定ぶりはなんだ? よくわからないが、今夜はオリオン座に関してはシンチレーションが安定していた。なぜだ!
 ともあれ、薄雲があるくせにシーイングそのものも良かったので、濃い雲の切れ目を探してはしばらく眺めていた。やがて雲が一面に出てきたのでおしまい。
 やっと冬型の天気になってきたようだ。

小さき人々

23時41分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは久しぶりにガツンとやられた気がする。ロシアの女流作家、スベトラーナ・アレクシェービッチが混迷にあえぐ祖国の様々な人々について語る。
 アレクシェービッチ女史は、ゴルバチョフ政権下の'85年に、WW2時独ソ戦に動員された女性兵士の苦渋を描いた「戦争は女の顔をしていない」で一躍脚光を浴びた気鋭のノンフィクション作家だ。それ以来、アフガニスタン戦争、チェルノブイリなど、ロシアを中心としたスラブ諸国を襲う災厄に関して書きつづけてきた。
 近年、ロシアは2度にわたる崩壊を体験してきた。一つは'91年のソ連邦解体に連なる共産主義社会の崩壊、そしてもう一つはその後に豊かな富を生み出すはずだった資本主義社会の失敗だ。今、ロシアは一部の成功者を除いて、経済的などん底にあえいでいる。日本のそれなど比較にならないほどの破綻だ。人々はかつて信じていたモノたちがあっけなく崩れ去るさまを目の当たりにし、誇りを傷つけられている。
 日本でもそうだが、ロシアでは毎日のように自殺者が電車を止めてしまう。最近、一人の老人がやはり電車の前に身を投げた。彼は独ソ戦緒戦において絶望的状況の中で陥落したブレスト要塞の生き残りの一人、ソ連邦英雄とされた元兵士だった。ブレスト要塞の陥落は、それを予期していなかったスターリンの名誉を傷つけるものとされた。捕虜となった人々はシベリアへと送られ、その存在そのものが抹殺された。ところがフルシチョフ政権が登場するとスターリン批判の格好の題材として取り上げられ、彼らブレスト要塞の生存者たちは逆にソ連邦英雄へと祭り上げられた。この老人はそれに奢ることなく、模範的労働者としてその後の人生を歩んできた。「ソビエト連邦」、「社会主義社会」という枠内での栄誉に、十分に満足していたのだ。ところがそれらの栄誉も、ブレスト要塞での悲劇の後に得た勲章も、ソ連邦の破滅ですべて無に帰してしまった。名誉を得るだけで満足し、決して財産は望まなかったのに、その名誉さえ奪われてしまったのだ。既に老境にあった彼は生きる意味を見失ったのか、ついに自死へと至った。彼の妻は、彼が「休暇に出かける」という書置きだけを残して出て行ったと証言する。彼女はそれを額面どおり受け取ったようで、さして不審に思わず農作業を続けたという。生活は楽ではない、というか苦しい。そのような想像力を働かせる余裕が無かったものと思われる。彼女は「あなたは死んでしまったけど私は生きつづける。あなたより強いのだから」と涙ながらに老英雄をなじるのだ。この言葉は痛ましくはあるけれど、同時になにか救われるような強さを感じさせてくれる。しかしアレクシェービッチはいう。「彼がブレストの罪を負わされたとき、彼は彼女だけのものだった。しかし彼が英雄とされたとき、国家が彼を奪っていった」と。この過酷で醒めた短評は、アレクシェービッチが単なる民衆の代弁者でないことを物語っているように思える。彼女は「権力者は人間の生の声を一番恐れる」からこの仕事を続けているのだと語る。権力者による隠然たる暴力を暴き立てる。そこに彼女の関心があるようだ。
 巨大な権力機構であるソ連崩壊のきっかけになったとさえいえるのが、悪夢のようなチェルノブイリ原発事故だった。アレクシェービッチの故郷は、ソ連邦崩壊により誕生した小国ベラルーシにある。ベラルーシはチェルノブイリ原発が存在するウクライナと国境を接している。そのため、事故が発生したときには莫大な量の放射性物質が降り注いだのだ。その影響は計り知れない。今に至るも多数の人々が汚染地帯での生活を余儀なくされている。
 事故が発生した当初、多くの人は単なる火事だと考えたそうだ。当の技術者たちが原子炉の崩壊という現実を認めたのは、空からの観測や外部の専門家による指摘を受けてからのことだったのだ。そのため、ろくな装備もないまま、あまりにも多くの人が致死量の放射線を浴びてしまった。
 原発のすぐ近くに住んでいた消防士も、事故発生とともに駆けつけ、莫大な量の放射線を浴びてしまった一人だ。その結果、彼自身が高レベルの放射性を持つことになってしまった。看護婦さえも近寄ることを拒んだという。彼は新婚ほやほやで、家では妻が帰りを待っていた。しかし「すぐ戻る」と告げて事故現場に駆けつけた夫が、いつまで経っても帰ってこない。やがて夫は入院しているという情報が飛び込んできた。しかも彼はモスクワの病院に移送されるという。地方の病院では手のうちようが無いほどの事態が、彼の身に起こっていたのだ。
 発電所所属の消防隊が現場に到着したのは、事故発生からわずか5分後のことだったという。この迅速な活動開始は任務を考えれば当然のことではあるが、その結果として十分な情報もなく、闇雲に危険に立ち向かわざるを得なかった。チェルノブイリでの初期の死者は、原発技術者を除けば消防隊に集中している。記録によれば急性放射線障害で倒れた消防士は17人、そのうち6人がモスクワの病院で、手厚い介護の甲斐なく死に至った。彼もその死者のうちに含まれている。莫大な放射線を浴びたとき、彼は現代医療でも手の届かない彼岸に去ってしまっていたのだ。彼はもはや生かされる死人となっていた。
 絶望的な状況にもかかわらず、医療テクノロジーの力、そしてなによりも妻の献身により、彼はその後の数カ月を生き延びた。最後は組織の壊死が全身に広がり、関節が外れてしまうほどの状態になったという。考えるだけでも気が滅入りそうだ。しかし妻の献身は、彼にとって救いになったと考えたい。彼の最後の時間は無駄ではなかったのだと。
 だが彼の死を看取った妻には、チェルノブイリはなおも災厄をもたらした。事故当時身ごもっていたのだが、夫の死後に出産した子供は生まれつき内臓障害を持っており、出産からわずか数時間で世を去った。その後、彼女は別の男性との間に一子を設けたが、その子供も障害を負っていたという。彼女は心の中で最初の夫の面影を追い求め、その肉体は放射線障害の影におびえている。
 事故から14年経った今、チェルノブイリ一帯は住人がいないという意味での無人地帯になっている。しかしチェルノブイリの無事だった原子炉の運転は続いている。これもようやく廃止されることになったようだが。
 チェルノブイリ事故での被災者は3群に分けられる。一つは先の勇敢な消防士、原子炉の技術者など直接被爆したグループ。次にチェルノブイリ原発近辺の清掃、修繕や、事故を起こした4号炉を"埋葬"するための"石棺"作りに携わった労働者、軍人、技術者たち。そして最後に事故による汚染域内にいたため被爆した人々だ。最初の群、次の群も問題だが、今最大の問題となっているのが第3群、汚染地域に住んでいる人々だ。公式には、健康に問題が発生するほど汚染された地域からは住民が退去させられ、別の地域で生活しているとされている。しかし実際には避難範囲である半径30km圏内の外でも汚染はひどく、さらには"無人地帯"にも多くの住人が舞い戻っているという。舞い戻らざるを得なかったのだ。移住先では十分な支援も職もなく、生きてゆくためには汚染されている故地に戻らざるを得なかったのだ。そうした地域では、主に食料からの経口による被爆が続いている。
 そうした食料による汚染を局限しようと、医学アカデミーを辞してまでも被爆量の測定、住民の指導を続けている医師がいる。彼は簡単に被爆量を計測できる機械を製作し、放射線の影響を受けやすい子供たちの調査を続けている。彼には気がかりな子供がいた。その子供は計測の度に異常に高い被爆量を示すのだ。家庭に問題があるとにらんだ彼は、その実際を調査した。すると貧しい小作農である両親は、子供たちの栄養源として牛乳を与えていることがわかった。牛乳は牛のえさ、牛、そして牛乳という方向に濃縮が進む結果、放射能汚染度が高くなってしまう食品だ。当然、医師は牛乳を与えることをやめるよう両親に告げた。しかしそれは無理だと両親は言う。経済的に貧しい彼らにとって、牛乳は他に代替しようのない重要な栄養源なのだ。生きてゆくために、たとえ将来に影響が残るとしても、牛乳を与えることをやめるわけにはいかないのだ。「どうしようもない」と彼らは言う。いかに危険が潜在しているとはいえ、他の道は選べないのだ。
 この状況は、一見して貧困とチェルノブイリ原発事故が重なり合った特異な状況にも見える。だが果たしてそうなのだろうか。
 この農夫の悲劇の根底は、目の前に苦難があっても避け得ないこと。そしてその苦難がいつまで続くかわからないことに端を発する。アレクシェービッチは「これは新しい状況だ」という。戦争とは違うのだと。戦争ならば、戦争が終われば人々が傷つけられることはもうない。生まれてくる子供たちも、恐らくは健常者だろう。だがチェルノブイリで災厄に見舞われた人々にとって、その傷害はいつ果てるとも知らず、将来生まれてくる子供たちにまで影響が残ってしまう。だがそのような状況ならば、僕らの身の回りにも簡単に見出せる。例えば環境ホルモン、例えば薬害エイズ、例えばPCB汚染など、思いもよらないところに顕在化し、しかもそれを避けるのが困難な状況ばかりだ。現代人は、そのような不条理で、しかも後遺症の果てしない苦難に取り囲まれているといっても過言ではないだろう。先の勇敢な消防士と、日本で起こった東海村での臨界事故の犠牲者との類似点を指摘するのは容易だ。アレクシェービッチは「チェルノブイリの惨禍は終わってない。今まさにその状況にある」という。それならば僕らもその状況下にあるといえるのではないだろうか。人間は、今やその全員がチェルノブイリ状況下に生きているのだ、と。
 それにしても、いつもより長い75分の番組は、とても数日では消化できないほど重い内容だった(冒頭の石鹸の話など)。頭を一撃されたように感じる。

秋葉に出かけるぴょ

20時40分 暮らし 天気:曇りですか晴れですか(ええいはっきりしろい)

 前夜、まあいつもの夜に較べたら早いかもしれないなあという時刻に寝たので、起きたのはまだ午前中のことだった。昼食にラーメンを食らい、秋葉へと出かけた。お目当てはCFメモリカードだったのだが......。
 昭和通口から書泉方面に抜け、九十九本店から若松方面に歩いた。若松でCFメモリカードを買おうかと思っていたのだが、ここで大いにひよった。今のところシグマリオンの32MBの容量で不足はないし、もう少し待つとCFメモリがさらに値下がりするだろう。本当に必要になったら買えばいいのだ。そんなこといってるといつまで経っても買えないが、まあすぐ必要というものでないのは確かだ。そういうわけで12月まで待つことにした。
 その後、M専近辺からとかT-Zone本店に回ってみると、以前T-Zone本店だった鉛筆ビルが九十九に占拠されているではないか。このビルは、DOS/Vが世に出た頃には数少ないPCショップの一つだったんだよな。今も無事に残っているのはコムサテライトくらいになってしまった(あそこも移転したが)。そういえばこのT-Zone側にあるゲーマーズ本店と道路を挟んでもう一軒ゲーマーズがあるのだが、ふと気づくとブラックゲーマーズになっているではないか。とうとう店舗にまで進出して来たか。看板でぴよこがなにやら吼えてます(笑)。
 帰り道、17:20くらいに昭和通側のドトールに寄ったのだが、「あと10分で閉めます」なんていわれた。こんなに早く閉めるの? いつももう少し早く寄るので気づかなかった。いったい、どういう客層を当てこんでいるんだろうね。
 帰路、東海道線に乗って、シグマリオンで日記を書いていると、目の前に座った中学生らしき二人組がポータブルCDプレーヤーを取り出して「うごかねー」と話し合っている。よく見るとそれはMP3ファイルを直接再生できるタイプだった。CD-Rを取り出して「認識できてないのでは」などと話していた。結構、この手の機器が普及してきたようだ。

2000年11月03日(金曜日)

爆睡に次ぐ爆睡

23時55分 暮らし

 今週一杯の疲れがたまっていたのか、今日はシグマリオンをいじるかドラクエ3をするかの他は寝てばかりの一日だった。金がかからない。いいことだ。しかし体にカビが生えそうだ。

シグマリオンを使い物にする

22時38分 デジタルギミック 天気:くもりかな

 昨夜届いたシグマリオンをどつきまわした......じゃなくてつつきまわした。なにせ日本語入力のデフォルトがATOKなので、VJEで育った僕にはなかなか慣れない。例えばVJEでは変換中にESCキーを押すと変換前の入力状態に戻るのだが、ATOKの場合はばっさり消えてしまう。変換取り消しはBSキーだったりする。また変換キーを押して変換候補を出すとき、VJEでは一つずつ候補が選択されてゆくのだが、ATOKでは候補一覧画面(この場合は五つの候補が表示されている)単位に送られてゆく。ATOKに慣れた人ならなんでもないのだろうが、ATOKを使う場合でもVJEタイプのキーアサインで使っていた僕にはつらい状況だ。しかし長らくキーを打ちつづけているうちに、次第に慣れてはきたのだが......。
 ふとシステム情報を見ようとコントロールパネルを開いたとき、ATOK Pocket設定なるものがあることに気づいた。それは知っていたのだが(なにせ初期状態はMS-IMEなのでこのアプレットを使って使用可能にする必要がある)、細かい設定は出来ない単なるイネーブラだと思っていたのだ。しかし"ATOK Pocket設定"である。なにか引っかかったのでよくよく見てみると、ちゃんと"ATOKのプロパティ"というのがあって、細かい設定ができるではないか。そしてキーアサインをVJEスタイルに変更することもできるのだった。何たること。無駄な時間を過ごしてしまった。
 これでキーアサインをVJEスタイルにすると、快適なこと快適なこと。いくらでも入力できるという感じだ。
 しかしキーボードそのものは、やはり大きさの違いからPalm Portable Keyboardの方が打ちやすい。あれはフルキーボードだからなあ。残るは画面の大きさだが、これは実はテキストを打つだけならあまり気にならない。ということで、移動中も使える(膝上で)という点を除けば、キーボードの点ではPPKの方が楽かなと思う。

2000年11月02日(木曜日)

シグマリオン到来

23時36分 デジタルギミック 天気:くもりかな

 来たにょ来たにょ、シグマリオンが来たにょ。などとでじこ化するほど嬉しいぞ。いったい、買おうと決意して何日経ったことか(答え:たかだか一週間)。手に入れる苦労があるほどまた手に入れる喜びも大きいというものだ(いやまあLibretto20ほどには苦労したくはなかったが)。
 夜、黒猫のおじさん(くどいようだが黒猫のコスプレをした変なおじさんと友達というわけではない。でもそういう友達、ちょっと欲しいかも)がやってきて、諸経費と消費税込みで42600円をまんまとせしめていった。いやまて、ちゃんと箱は置いていったのだよ。俺様の勝ちだな(なにがだ)。
 箱はロカティオよりちょっと小さめで、中にはシグマリオン本体と説明書の類、そしてWindowsCE3.0のCDがあった。......ケーブルの類は? どうやってPCと接続するのだろう。本体だけ買えばPCとの接続までオッケーだったPalmとはえらい違いである。
 メモリカードも付いてないが、これはまあ他に買うつもりだから問題ないだろう。しかしまずは母艦群からのデータ転送が問題になる。
 とりあえずE950用に買った64MBフラッシュを活用することにしよう。過去に書いたテキスト群を全て持ってきてもせいぜい10MBなので、空きが30MB近くあるシグマリオンになら余裕で収まる。当面はこれでしのげるだろう。
 このCE機は、マイクロソフトの策略によりMS-Officeに汚染されている。それぞれ多機能で便利そうには見えるが、操作時に余裕度がないPDAに載せるには重すぎるし、複雑すぎるアプリだ。MSはPDAを誤解しているのではないだろうか。こんなものより1挙動で即座に使用可能になるメモ帳、スケジューラの方が遙かに重要なはずだ。テキストデータがPocketWordに関連づけされているなど、ほとんど言語道断だ。この機械はCE機中最高速なのだそうだが、それでもやはりもっさりしている。それは多分に、MSの開発部隊が掲げた理想(NTカーネルの流用などCEは高度なテクノロジーで固められてはいるのだ)と、PDA市場の現実(電子手帳の正常進化製品へのニーズ。せいぜい便利なページャ)との乖離により、MSの開発体制に混乱があるのではないだろうか。
 これらの機能は別に使わなければ使わないで済むのだが、実はもっとも困ったのが期待の日本語入力、ATOK Pocketだったりする。僕の普段使う環境は、全てVJE系で統一してある。ライセンスの問題などでVJEを入れてない機械も、たいがいは操作体系をVJEにあわせる機能を持っているので、とりあえずはあまり気にせず使える。僕は日本語入力の変換結果を信用しないので(なぜかというと日本語変換がまるで信用できなかった大昔から使ってきたせいだが)、文章変換を短く切って確定しながら入力してゆく癖が付いている。今の日本語入力はそれなりに賢くはあるのだが、しかしあまりにも長い文を日本語入力の変換に任せきりにすると、かえって誤変換の見逃しにつながりやすい。文章はうまいのに誤変換が多い書き手は、たいがいこのタイプだと思う。
 それ以外のMUAやエディタは結構よくできているし、POCKET IEもそれなりの使い勝手ではある。ロカティオのブラウザの出来もそれなりではあるのだが、やはり横640ドット使えるのは大きい。とはいえ、比べてみると意外にシグマリオンの方が大きくてかさばるので、ロカティオにもかなり使い道が残っていそうに思う。特に立ったままウェブブラウジングするとなると、ロカティオの方が断然有利だ。
 そうすると二つとも持ち運ぶことになるだろうな.....。なんだか馬鹿みたいだが、実際馬鹿なので仕方ないのだ。これでいいのだ。

2000年11月01日(水曜日)

打ち上げにょ

23時55分 暮らし 天気:雨ですかくもりですか?

 仕事の打ち上げがござった(いや種子島関係でも内の浦関係でもないのだが)。つい最近完了したお仕事の打ち上げで、みなとみらいのランドマークパークでビール飲み放題酒池肉林の宴会を開くということだ。一仕事終わったという安心感か、集まった関係者の顔には一様にホッとした表情が浮かんでいる。もっとも、僕は既に次の仕事を突っ込まれているのだが(切れ目がない)。
 雨にけぶるランドマークパークは見ものだった。
 帰宅したのは22:30頃だが、その頃には既に意識が朦朧としていたので、風呂を沸かしたものの入らずに爆睡モードに移行した。今週はなんだか体がつらい。