Strange Days

2000年04月15日(土曜日)

新さくらほか

23時26分 テレビ

 いや銀行合併の話ではない。4月に入って地上波でもC.C.さくらの新シリーズが始まったので、さっそく録画しておいたのを見た。新オープニングは前のより絵柄がポップになった。前の方が動きがあって良かったな。
 中身は相変わらず元気なさくらを拝めてヨイ(^^) しかし、小狼め、色づきやがって。許せん(爆)。

今夜も観望は無しだ~(激怒)

22時25分 星見

 結局、夜中まで昏々と寝て、やおら起きだしてベランダに出たのだが、相変わらずの雨でまったく晴れる気配が無い。いやはや、せっかくワイドビノとGP赤道儀用プレートが届いて本格的な観望セットが揃ったってのに。欲求不満でどうにかしちゃいそうである。

寝週末と心霊体験

20時23分 思考 天気:雨

 せっかくの週末だというのに雨。出かけるのも本を読むのも面倒になった僕は、日がな一日寝てすごした。日ごろの睡眠不足をまとめて解消しようとでもいうのか。
 世の中には寝溜めができるという人もいるようだが、僕はまったく駄目だ。最近、星を見る習慣が出来たので、帰ったらすぐ寝て、夜中に起きだして星を見た後で、また寝るという生活をしている。一応、一日7時間程度の睡眠時間は確保できているはずだ。ところが体の方は明け方までの数時間の睡眠しか憶えていないらしく、目覚めると肉体はなお睡眠を欲しているのだ!(単なる寝不足という意味だが) 要するに帰ってすぐ寝る分はあまり意味が無いのだが、その頃には睡眠不足で意識不明寸前なので、どうしても寝ざるを得ない。
 そういうことで週末に寝まくってもあまり意味が無いのだが、半分眠りかけつつも頭はさめているという状況が好きなので、ゴロゴロしていることにした。この状況で様々な論理の飛躍が果たされるということは、今読んでいる「臨死体験」にも出ている事例である。この状況では、通常の負荷にさらされつづけている状況では果たせない種類の情報処理を、無意識のうちに遂行しているようだ。
 この半覚醒状態では、ココロとカラダの同期がずれて、通常では体験できない現象が起こることがあるという。事実、僕はオカルト用語でいう幽体分離と思しき現象を何度も体験している。誰もが体験するであろう金縛りの状況で、強く外界の事を想うと、視点のみが想った場所に移動する。カラダから抜け出して、部屋の中を漂い、さらには屋外に出て空を自由に飛ぶことが出来る。それも非常にリアリティを伴った体験なのだ。ところが、後で言語化しようとすると、実は体験の細部が非常にあいまいで朧であることに気づくのだ。思うに、「明瞭であると感じること」と「体験の細部まで明瞭に記憶すること」はまったく別種の体験なのだと思う。ここで前後の体験を等号で結んでしまう人は、無意識のうちに日常得ている他のデータを拝借してきて、結果的に「明瞭な体験」そのものを捏造しているのではないだろうか。
 まどろんでいて眠りに落ちる寸前で頭に浮かぶ映像は、時たま非常に明晰なものになる。これも僕が体験するところの幽体分離と同質の体験なのかもしれない。このことを考えてみると、人間の想像の不明瞭さは、実は身体感覚というノイズの存在ゆえのものなのかもしれないと思われる。眠り込む寸前、カラダの感覚が消失し、想像のほうのリアリティが向上する。そこで人間の恐怖心やその他の性質が幻視させるのが様々な心霊体験の正体なのではないだろうか。事実、金縛り状態で「のどを締め上げる腕」だとか「背後に添い寝する誰か」を想像すると、その通りのものを体験できる。それを消すように強く念じると、その通りに消えてしまう。明らかに幻覚なのだ。まあこれは、僕個人の体験という、それ自身では一般化も解析も出来ないモノに依拠しているのだけれど。