Strange Days

2000年05月27日(土曜日)

雨なので観望はなし

23時19分 星見

 強い風とともに雨が振り込んでくる。ちょうどベランダの近くにLANのHUB、テレビのアンテナ分配器が転がっていて、水に濡れてしまった。さらに近くのコンセントも水にぬれているのを発見したときは、かなり恐怖した(笑)。幸い、通電部にはかかってなかったようだ。明日もこの天気では、出かけるのも嫌になる。

じっとしている週末

22時17分 テレビ 天気:雨

 昨日から天候が悪く、せっかくの週末だというのに星空観望できない。かなり欲求不満気味。
 こういうときに秋葉に出かけると馬鹿買いしてしまうので、自宅でじっと我慢。とりあえず少したまり気味だったビデオ録画分を見る。
 C.C.さくら。さくらの学級の学芸会を前後編で。小狼め、ますます色気づきやがって(笑)。りりしい王子様のさくらとキュートなお姫様の小狼......ケロじゃないが男の子と女の子の役ぐらい分けとけ~! さくらのこととなるとすぐ妄想に走る知世様もよいですわっ☆
 グルグル。ククリの出生の秘密が、今暴かれる! ククリへの遺産を豪快に売り払ってしまった一行の運命や如何に? 幼児退行するククリがそそる(なにをだ(笑))。キタキタ親爺はますます妖怪じみてきたぞ。
 「東寺平成の大改修」。これは先週撮っておいたNHKの番組。空海建立の東寺が大改修されることになり、その仏像たちが修復される過程を追ったドキュメンタリー。これら平安初期に中国の強い影響下に作られた仏像たちは、過去何度かの改修により本来の姿を失っているという。今回の修復ではそれらの改修の悪影響を除去し、本来の姿に戻すことが目論まれた。例えば明王像の一つは表面に塗られた漆のために、平安期の表情を失ってしまっているのだという。厚さ1mm程度というのだからそんなに厚くなさそうだが、それでもその下の表情を塗りこめてしまう。逆にいえば、本来の表情がいかに微妙な凹凸で表現されていたかが分かるというものだ。
 NHKスペシャル、「密輸オランウータン故郷に帰る」。オランウータンはワシントン条約で輸出入が禁止されているが、そのことが闇市場での価格を吊り上げ、密輸出入が絶えない。最近、日本でも大阪のペットショップでも4頭のオランウータンが保護された。このペットショップ、広告にご禁制のオランウータンを堂々と載せていたというのだから、まったく神経を疑う。しかしこのことを裏返せば根強いニーズがあるということでもある。こんな高価なペットを買う方も、ワシントン条約に関して無知であるとは思えない。確信犯だろう。まったく、頭がどうかしているのではないだろうか。
 一度人に馴れたオランウータンを野生環境に帰すのは容易ではない。一つにはこうしたオランウータンたちが幼い頃に母親と引き離され、生きるために必要な知識を学べなかったという点がある。恐らく、母親は密猟者に殺されたのだろう。一匹の密輸オランウータンには、必ず一匹の母猿の死が付きまとっている。つまり、日本で密輸オランウータンを購入した人は、最低でも一匹の死に関与していることになる。この場合、無知であることは許されないことだ。多くの無知は罪ではないと思うが(つまり価値中立的)、この場合の無知は明白に罪だ。一人の満足感が、それ以外全てにネガティブな影響をもたらしているのだから。と、ここで僕が怒っていても仕方ないが、なんともやりきれない話だと正直に思う。オランウータンがここ数年で半減するほど生息状況が悪化していると聞けば、なおさらのことだ。
 さて、こうして生きる術を学ぶことが出来なかったオランウータンに、森で生きていく術を教える施設がある。元々は年々減少する森から追われた猿たちを保護する施設だったのだが、近年は密輸されたオランウータンを再教育することが多い。以前この施設のレポートを見たときは、確かに森林火災で云々というところに主眼が置かれていたと思う。
 猿たちは木登り、食餌の確保だけではなく、猿同士の付き合い方も学ばなければならない。例えば、Play Fightという行動は、模擬的な喧嘩を通じて猿同士の社会的地位を確認しあう行動だ。しかし一匹で育ってきた密輸オランウータンにはこれを学ぶ機会が無かった。猿同士のぶっつけ本番の付き合いの中で学んでいくより他に無い。また幼少時の生育環境から、木に触れることを怖がったり、神経症を患ったりする猿も多い。オランウータンが人間に近く、かなり社会的で精神的な生き物であることが良く分かる。これらの障害を乗り越えてオランウータンを森に帰す地道な作業が続いてはいるが、生育環境の悪化という大原因が手付かずである以上、焼け石に水というのが正確なところだろう。このままオランウータンが消えてしまうのだとすれば、人類が犯した大罪リストにまた一つ、大きな項目が付け加えられることになるだろう。やがて悲しい結末を迎えてしまうのだろうか。