Strange Days

2000年07月10日(月曜日)

なんちゅう偶然(10:00追加)

22時58分 インターネット

 などと書いていたら、このドメインの所有者が7/7に亡くなっていたことが分かった。インプレスの「できるXXXX」シリーズの編集者だった山下憲治氏だったとは。僕がkangae.comなどというものを気にしたのは昨日のことだったが、山下氏の死を知ったのは中村正三郎おじさんのWebページを読んだ今朝方、上の雑文をいったんアップロードした直後のことだった。
 もちろん偶然なのだけど、なにか神秘的な同期性を確信する人がいたとしても無理の無いような偶然だ。ちなみに山下氏は34歳、僕と同い年だった。編集者という職業は、寿命を縮めてしまうものなのかもしれない。
 ああ、それと。複数名の印鑑登録が必要なのはor.jpではなくてgr.jpだったかも。いずれにせよ、趣旨からすればgrの方が似つかわしいよな。

ドメイン青田刈り

22時57分 インターネット 天気:晴れですよ

 眠さにとろけそうな脳味噌は妙なことを考え付く。
 kangae.comというサイトを作ろうと思った。いや単にtanomi.comからの連想なのだけど。
 コンシューマー・ゲーム機でのゲームすら明らかにルーチンワーク化してしまっている現代では、もはや純粋な娯楽は"考える"という一点しかありえないと思える。人間は様々な行動を反射的なルーチンワークに展開してしまうという業を背負っている。なぜならばそれはまず楽だし、怠惰に陥ることも人間の業であるからだ。その意味では、今現在、思考というものほど苦役と形容しうるものは無いように思える。ルーチンワークの本質は等質化で、全ての作業を同等のステップへと分解し、差異を意識することなくたどっていくことで一つの作業を完遂させようとする。思考は逆に差異を意識しながら遂行される。このことは細かなステップ一つ一つで別々の様式を必要とされるので、煩わしく、不快で、人を不安にさせる。
 ところが世人の一部にその思考を喜びとする変な人々がいる。ルーチンワークという確実な手段を捨て、不安に満ちた思考の大海に勇躍飛び込んでゆく人々がいるのだ。僕にはこれは奇妙なことだと思えるのだが、反面それこそは僕たちが追随すべき未来の娯楽だと思える。だって、ルーチンワークに堕したゲームなど、読書など、創作など、単なる時間つぶしに過ぎないことは明らかではないか。
 そんなわけで"思考"にこだわってみようと思ったのである。というところで以上の文章を読み返してみると、我ながらなにを主張しているのかさっぱりわからないな。わはは。
 ところが世の中には同じようなことを考えた人がいて、きっちりそのドメインは登録されていた。それもニュアンスとしては日常の様々な思考を書くという趣旨の個人サイトだ。やはり僕が考える程度のことは、世の中では既に実現されているのだな。
 実は.jpの方でthink.or.jpというのが未登録なのは確認してある。kangae.comの明快さには及ぶべくも無いが、これはこれで趣旨の明確なドメイン名ではある。orgドメインだと複数名の署名が必要だったと思うので、誰か同じような妄想を抱く人間を見つけて共同設立するのが吉だろうか。~
 もっとも、.jpドメインでは北米のような価格破壊が進んでないので、本当に作るかどうか怪しいようなドメインを取得するのは、ややためらいを感じるが。
 ところで、件のkangae.comの人はインプレスの編集の人(だった)らしい。記事の多くがリンク切れなんだけど。