Strange Days

2000年07月29日(土曜日)

今夜の観望

23時55分 星見

 日が落ちた頃にベランダに出ると、近所で盆踊り大会でもやっているのかハマッコ音頭(あるのかそんなの)が流れてくる。もちろんベランダで踊ったさ(大嘘)。100EDと20*80双眼鏡で星を眺めたが、サウンド的には妙な風情があったかも(笑)。
 今夜のシーイングは9/10くらい。横浜ではこれ以上望むのは難しいくらいだ。100EDでも双眼鏡でもM4はその位置がわかった。M7は見事な眺めだ。なにしろ今夜は透明度が高く、微光星が群れているようなので、M6はなかなか位置がわからなかったくらいだ。M8も今夜は散光がキレイに見えて美しい。望遠鏡の仰角を取れば取るほど美しい光景が目に飛び込んでくる。さそり座のδ星はこのところ異常な増光をしている。確かに前に見たときよりも、並びの星との光度差が大きくなっているように感じた。
 その後、ちょっと一眠りしてしまい、2:30頃に今度は100EDを北側通路に出した。椅子を据え、天頂にあるだろうM31を追い始めたとき、東の空にある明るい星々に気づいた。これは何座だろう? とりわけ明るい星に目が行った。望遠鏡を向けて見て初めて、それが木星であることに気づいた。久しぶりに100EDで見る木星は奇妙な輝線をまとっていた。よく考えると中学校のネットに掛かっていたのだ。しかしガリレオ衛星はキレイに見えていて、かつ高倍率では縞もくっきり見えた。大赤斑は見えなかったが、もしも地球に向いていたら見えたろう。C8EXで見ればよかった。
 近くに土星があるはずだなと思い、捜索していたとき、突然明るい星の大集団が飛び込んできた。それぞれくっきりした星が無数に群れている。これはM7どころの騒ぎではない。いったい何を見ているんだ、とパニックになりかけながら考えていたとき、はたと気づいた。これはすばるだ。もうプレヤデス星団が上る季節になったのだ。それにしてもなんと美しい眺めだろう。それぞれが生命を内蔵した宝石を、まっくらなキャンバスに無造作にぶちまけたようだ。倍率を変えると別の眺めが目に入り、見ていて飽きない。
 さて、M31を片付けようと天頂を探したが、これは一筋縄では行かない。天頂を見上げるのは大変だし、M31はおぼろで結構見つけにくい。ここは10*42双眼鏡とワイドビノの二丁拳銃で探しだし、程なく100EDの視界に収めた。100EDの集光力をもってしてもM31はぼんやりと見える。しかしその近くに浮かぶ伴銀河(M32か?)も見えてきた。しばらく見続けていると、ようやくなんとなく写真で見たアンドロメダ銀河の姿と重ねることが出来た。
 ここで観望を終わろうと思ったが、その前にフィールドスコープですばるはどう見えるかを試してみた。すばるは視界一杯に広がり、かなりの迫力がある。主要な大型天体になら充分通用するようだ。

NHKスペシャル

22時18分 テレビ

 ちょっと星を見て寝ころんでいたら、NHKスペシャルが始まった。今週は以前選挙関係で潰された室生寺五重の塔再建の話題をやってくれた。
 室生寺は奈良の山中にある。国宝に指定されているのは、境内にある五重の塔だ。戦後最初に国宝に指定されたものだという。室生寺は女人高野と呼ばれ、古くから高貴な女性の信仰を集めてきた。江戸幕府の5代将軍綱吉の母も入れ込んでいたらしい。
 その室生寺の境内に立つ五重の塔は、その優美な姿から人々に愛されてきた。この塔は奈良の寺院に立つ塔の中では最小のものだという。その小さくまとまった姿は、女人高野にふさわしく優しげである。
 '98年の夏、その5重の塔が、近くにあった神木の倒壊に直撃され、大きく傷ついてしまった。檜皮葺きの屋根が大きく削り取られ、特に上二層は半壊に近い状態となってしまった。
 文化庁はこの塔の再建を検討し、無事な部分へも影響を残す解体修復ではなく、上二層だけを解体し、その他の層はジャッキアップして分離、修復するという手段を取った。これは室生寺の塔が小さく、軽いことから取られた手段だった。小さいために内部に人が入って修復するのは難しい。だが軽いためにジャッキアップするという道が開けたのだ。
 修復の過程で様々な事実が明らかになった。この塔は鎌倉、江戸、そして明治期にそれぞれ修復を受けている。そしてその度に、修理を担当した宮大工たちは、痛んだ部材をも出来るだけ再利用しようとしていたのがわかった。痛んだ部分は修復するなり切り捨てるなりして、出来るだけ残そうとした形跡がある。
 また檜皮葺きの姿は創建当時のものではなく、檜皮葺きそのものは江戸期の改修で取り入れられたことがわかった。しかも明治期の修復では、江戸期に変えられた檜皮葺きの線を優美にするため、屋根の曲線に手を加えられたこともわかった。今回の修復を担当した宮大工は熟慮の末、この低められた稜線をやや戻すことにした。
 このように文化財の修復は「原状に戻す」という単純な方針では立ち行かないもののようだ。塔を愛でてきた人々の美の意識が変遷するに連れ、塔の形も変えられてきたのだ。しかしこのような建築物を千年以上も守ってきた日本人というのは、どうしてなかなか立派なところがあるじゃないかと思う。

秋葉で買い物

17時17分 デジタルギミック 天気:晴れの中の晴れです

 目覚めると朝だった(当たり前だ)。久しぶりに物欲が体内で蠢いている。給料日直後、しばらく秋葉に寄ってない、という状況では「たまらんのお」が本音である。
 電車で秋葉に向かいながら、欲しい物をリストアップする。まずはMP3対応ポータブルCDプレイヤーだ。これは九十九辺りにある19800円の機種が欲しい。もう一つは前から物欲衝動を熟成させていたPalm用折り畳みキーボードだ。この二つが無ければ、スターベースか協栄で長焦点広角のアイピースを買う腹積もりもあった。ただしこの場合はちょっとやそっとの出費で済まないので(必然的に2インチスリーブになるため)、優先度はかなり低い。
 まず若松に向かった。するとPalm Portable Keyboardが在庫されているではないか。自動的に買う。続いて九十九本店、DOS/V店から俺コンハウス、果てはZOA21にまで向かったが、MP3なCDプレイヤーは発見できない。T-Zone本店でも見つからない。売れてしまったようだ。などと思いつつ俺コンハウスのT-Zone本店並びの店舗に入ると、ここにあった。これもまったく反射的に買う。これで予定の資金は尽きたので、天文関係には寄らずに帰った。
 帰宅してまずはPalm Portable Keyboardを試してみた。ドライバのインストールは簡単で、ファイルを一つPalmにコピーするだけだ。これで問題なく使える。キーボードの方に電源は不要だ。キーボードは延ばすとIBM Space Saver Keyboardと同じくらいのサイズになる。しかもキーのサイズそのものは大きい。タッチはペコペコして短ストロークだが、最近はこういうキーボードに慣れてしまったので違和感はない。違和感といえば、E/R、P/[の間辺りに折り目が来て、キー2個分くらい空いてしまうのでやや打ちづらい。しかしながらこのキーサイズは立派だと思う。少し長文を打ってみたが、日本語入力ではいろいろ問題があるものの、克服できないことではない。例えばカナに一発で変換できない点は、画面にタッチすればいい。が、キーボードから出来ればもっと良いのだが。また折り畳み部分が固定されないので膝に載せて使えないが、これは適当な本(アスキーのLinuxマガジンが最適だった)に載せれば問題がなくなる。
 今のままでも大変使いでがあるアイテムだが、もしもドライバ関係で日本語入力への対処がされるのならば欲しいところだ。英語版購入者にも有償でもいいから分けてもらいたいものだが。
 お次はMP3対応CDプレイヤー。モノのデザインとサイズは10年くらい前の日本製CDプレイヤーにそっくりだ。電源はACアダプタと単3電池2本。NiMHでも問題ないようだ。プレイすると、最初の読み込みで多少時間がかかるものの、使い勝手そのものはふつうのCDプレイヤーだ。ただしモノがMP3ファイルを焼いたCD-Rなので、曲数が100曲以上という尋常なものではなくなるのだが。音質はMPMAN並。造りは全体的にチャチな面もあるが、MPMANに較べれば許容範囲だ。だいたい、単3*2で10時間くらい保つということだが。僕が最初に買った初代ディスクマン(バッテリーを含めるとサブノートなみの重さ)が確か単1*4で2時間しか保たなかったことを思えば、技術もずいぶん進歩したものだと思う。